Drupalプロジェクトの歴史

Drupalプロジェクトの歴史

以下は http://drupal.org/node/769 の日本語訳です。

2000年、University of Antwerpの学生たちにとってインターネットの常時接続というのは非常に高価だったので、Dries BuytaertとHans SnijderはHansのADSLモデム接続を8人の学生で共有するために学生寮の間を結ぶ無線ブリッジを作り上げました。これは当時としては非常に豪華な状況であったものの、何かが足りませんでした。つまり、単純なものを議論したり共有する手段がなかったのです。

これに触発され、Driesは友人たちのグループがお互いにネットワークの状態についてのメモを残したり、どこで夕食を取っているかを知らせたり、さらには注目すべきニュース事項を共有したりできる、電子掲示板付きの小さなニュースサイトを作ることにしました。

Driesが卒業して出て行くまで、そのソフトウェアには名前がありませんでした。彼らのグループは、連絡を取り合い、興味深い調査結果を共有したり、自分たちの私生活の断片を伝えあったりするために、この内部のウェブサイトをオンラインに置こうと決めました。それにふさわしいドメインを探していたとき、Driesは'dorp.org'という名前がまだ使用できるか見ようとしてtypoした'drop.org'を使うことにしました。Dorpとはオランダ語の'村'という単語で、これは小さなコミュニティにぴったりな名前だと考えていました。

ひとたびdrop.orgをWeb上に設置すると、その読者たちはモデレーション、シンジケーション、レーティング、分散認証のようなWebの新技術について話し始めるメンバーへと変わりました。議論とあふれ出るアイディアによって、Drop.orgはゆっくりと個人的な実験環境へと変わりました。これらのWeb技術についての議論は、サイトを稼動させているソフトウェアの新規追加機能として、drop.org自体で試されました。

2001年1月になってついに、Driesはdrop.orgで動いているソフトウェアを"Drupal"としてリリースすることに決めました。その目的は、より多くの人たちが発展のための新たな道を探求できるようにし、人々がこの実験的プラットフォームを使用および拡張できるようにすることでした。Drupalという名前は"droo-puhl"と発音し、オランダ語で"しずく"を意味する"druppel"という単語の英語での発音に由来します。

初期リリースからのソフトウェアの完全な変更点が見たければ、http://api.drupal.org/api/file/CHANGELOG.txt/6/source を参照してください。Drupalのリリース(1.0.0から6.9まで)を図式化した年表はこちらから見ることができます。

より詳しいDrupalの歴史を知りたければ、Drupal videos from Drupalcon (2006) in Vancouverも参照してください。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年04月25日 00:50