(1)

それは校舎の屋上でのことだった。
昼休み、昼食を食べ終わって、その日は二人で屋上から遠くを見ていた。
天気のいい春の午後。校庭からは学園の乙女たちの嬌声が響いてくる。
なんとも言えず気持ちの良い一時だった。
そんないつもの学園での一コマ。
ふと翠星石がため息をついた。
「暇ですねぇ」
このように話を始めるのはいつも大抵翠星石のほうだ。
聞き役が多い蒼星石は、無意識レベルで返事を返す。
「まぁ、暇だね」
「怠惰な青春です」
「まぁ、そうかもね」
「青春とは青き春です」
「はぁ?」
雲行きが怪しくなってきた。
「春の眠りは甘やかですが、うっかり二度寝してたら幸せの刻(とき)はあっという間に終わるです。その結果として学校に遅刻するです。誰が遅刻魔ですか!」
意味不明な理論展開とともに、興奮したのか翠星石は蒼星石の首につかみかかった。
「痛い痛い痛い!言ってないよ!・・・・・・どうしたの、さっきから」
言いながら姉の手を引き剥がす。寝起きの悪い翠星石を毎朝叩き起こしている蒼星石だった。恨みを買っていたとは。
「ふぅ・・・・・・蒼星石は考えたりしないですか?」
「何を?」
落ち着きを取り戻した翠星石は、珍しく物憂げな表情を浮かべている。
真剣な話かもしれない。そう考えて蒼星石は傾聴の姿勢に入る。
「その、我ながらベタ過ぎてアホらしくもあるのですが」
「うん」
ためらいの表情。一瞬息が詰まる。
そして、言った。
「『このままでいいのか』・・・・・・ってことです」
「ってことです」とは言われたものの、即座には意味を掴みかねる。
「『このままでいいのか』・・・・・・」
口に出してみるが、あまりに具体性に欠けるテーマだ。『このままでいいのか』
だが翠星石はかまわずに話を進めた。
「もちろん、現実的にはやることがいっぱいあって、毎日がそれなりには楽しくて、それはそれでたぶんとっても素晴らしいことなのです。なのですけれど・・・・・・それだけでは、いけないような気が。なにも駄目なことなんてないのに、何か足りないような、そんな・・・・・・」
「何か足りないような・・・・・・?」
蒼星石は聴きながら、翠星石の言葉を思う。
「蒼星石には無いのですか?そういう・・・・・・ふと自分の周りから、色が失せてしまったような感じが?つまり・・・・・・その・・・・・・ええい、双子なんだから言わなくても理解するですぅ!この、この、この」
「痛い痛いやめて翠星石首はやめて」
ガクガクと頭を揺さぶられながらも、(双子だからかはわからないが)蒼星石には翠星石の言いたいことが少しわかり始めた気がした。
しかしわかり始めたところで段々意識が遠のいていく。妹の顔面が変色していく様子を見て流石に翠星石も手を離す。
「あれ、そこにいるのは・・・・・・和樹君・・・・・・?」
「ひぃ!戻ってくるです蒼星石!!」
気付けのためにすぱぱぱぱ、と頬を叩く翠星石。
「あ、翠星石。今ね、向こうの方に・・・・・・」
「それは幻覚です幻聴ですしっかりするです蒼・星・石!!」

そんなことをやっているうちにその日の昼休みは終わってしまい、放課後、家に帰ってからも翠星石がその話題を持ち出すことは無かった。
だが蒼星石は忘れたわけではない。
あの時の翠星石の表情。
眠りに就く前、意外に可愛いパジャマ(翠星石にも秘密)に身を包んだ蒼星石は、考えていた。
あの時の言葉。

『もちろん、現実的にはやることがいっぱいあって、毎日がそれなりには楽しくて、それはそれでたぶんとっても素晴らしいことなのです。なのですけれど・・・・・・それだけでは、いけないような気が。なにも駄目なことなんてないのに、何か足りないような、そんな・・・・・・』

そう、少しなら、自分にもわかる。
翠星石の言いたかったこと。
蒼星石にしてみれば、現実的な面で色々と世話の焼ける姉を持って、そんな日常を生きることで、今は精一杯なのだけれど。
でもそんな「世話の焼ける姉」だから、わかる。
いつも見ている大切な双子の姉だから、わかるのだ。
翠星石はノリやすい。
お祭り気質、というのか。人見知りをするくせにイベントや、面白そうなことには目が無い。
そしてそういった行事に関わる時、いや、どんな時でも(空回りに終わることこそ多いが)一生懸命だ。
他人から見ればナチュラルハイの空振り三振に見えるかもしれないが。
・・・・・・いやまあ実際半分はそうなのだが・・・・・・。
しかし残り半分。
本人もあまり意識していないのかも知れないが、蒼星石は思う。
彼女は心のどこかで、本気になれることを求めているのだ、と。
すべきこと。したいこと。
今はまだ、見えないもの。
それがまだ無いから、心からの充実は無いのだ。
だから色々なことに、ぶつかっていく。
そして見えない壁に、ぶつかっている。
だからこその、今日の言葉。
「翠星石・・・・・・」
君は正しい。
それはきっと多くの人が直面する問題なんだろう。
彼女自身の言うように、『ベタ過ぎてアホらしくもある』
けれど決して軽々しく扱えない問題。
だから・・・・・・。
もし君の力になれるなら。
もし君が本当にやりたいことを見つけたなら。
僕はきっと君の助けになるよ。
そのことを、決意する。
そこまで考えたところで、蒼星石は部屋の電気を落とし、ベッドに潜り込んだ。
明日も早い。朝食と昼の弁当の準備、翠星石との(睡眠時間を巡る)闘い。
そして眠りに落ちる直前。
昼間の翠星石の言葉の一部が、ふいに頭をよぎった。

『蒼星石には無いのですか?』

僕は・・・・・・。
僕はどうなのだろう?
そう、今は世話の焼ける姉がいて、学校があって、毎日が精一杯で。
でも。
じゃあ、いつなら・・・・・・?

「僕は・・・・・・」

そこまでだった。
いつもの就寝時間。やげて翠星石の意識は闇に溶け、前後の記憶も曖昧に溶かしながら、眠りの中へと落ちていった。


最終更新:2006年12月07日 19:22