「ねぇ佐々木さん、今日何時まで起きてる?」
せっかくの修学旅行。いくら理屈を並べ立てたところで、未だ眠る気にはなれない。
「そう……まぁみんなの様子を見て決めるよ」
「じゃぁたっぷり付き合って貰うから」
私は苦笑せざるを得なかった。同じ班の彼女ら三人の眼といったらまるで獣のそれのようだった。
そもそも男子相手なら本で得ただけの哲学の知識で交わせるし、そもそも自分にそういう事をあまり聞いてこない。
ただこの年頃の少女の嗅覚というのは、「ヒト」という生き物の中で恐らく最も強い部類にはいるのでどうにも
追及の手から逃れられそうにない。
想像に難くないように、スタンドライトにスナック菓子、トランプと少し乱れた布団と。
さぁ楽しい修学旅行の夜の始まりだ
さて、私はどうすれば上手く逃れられるやら………。
男子各々を、それぞれが勝手な目線で品定めし、発表する。
男子が聞いたら目を三角にして「何様だ」と怒り出すような上から目線ばかりだが
まぁ特に悪い事でもないのだろう。この場に見え見えの気遣いは無用だ。
「○○って『その人の為に死ぬ』って人じゃなきゃ無理みたいな感じしない?」「あぁ分かる。声からして濃いもんね」
「ハハ、声からしてって! 何も関係ないじゃん」「やーでもなんか堅いよ。好きになるって感じじゃないかな。いい人だけど」
私は何となく笑い声のする輪に入って、相変わらず読書を続けた。さして進まないが気にする事でもない。
かといって、こういうポーズを崩せばもう後は骨の髄まで彼女たちを楽しませる為の道具になってしまうだろう。
「アレは……初め見た時は好きだったけど、もう言ってる事が全部どん引きするレベルだった」
「ねー何か汚いよねー」
「ねー………なんか話題つきたね」
まだ彼のことは話題に上っていない。それで話題がつきた、というのは些か寂しい気もする。
まぁ………これで終わりな訳ないんだ。分かってるさ。
「ねぇさっさっきーさん? そーろそろお時間ですよ~」
「もう寝るの?」
「はいはい、とぼけないで本閉じる! そもそも佐々木さんてさぁ、恋愛ーとかってどういう風に考えてる?」
「また厄介ね」
何となく、この前読んだ漫画のような用意された模範的解答を述べようとした。
「駄目だよ? ちゃんと彼に語るみたいな小難しい言い方で一回言ってみてよ?」
「ちょ、彼って「はいいーからいーから!」
やれやれ……彼女たちはどうあっても私に「彼の事が大好きでたまりません!」と言って欲しいようだ。
そして、それに向けて誘導するよう、出来るようにされていくのだろう……。
なら、その挑戦を受けて立ってみようか。……上手くできると良いけど。
「確かに恋愛というのは魅力的で、甘美だ。そしてそれは自分の命すら厭わなくなる様な程に価値が膨れあがるものでもあるらしい。
でも、恋愛している最中はともかく、恋愛全てを見てみると多分不幸の方が増えるんじゃないかな?
醜い争い、苦悩、破滅といった悲劇の種は往々にして恋愛だ。それもかなり古い時期から近代に至るまで、人類はまるで進歩していないし
むしろそのある意味での愚行をたたえる始末だ。そして何より当事者に具を行う理由が要らないのもその原因だ。
盲目的になってしまった人はどんな事をするにも理由がただ愛あるのみでまかり通ってしまう。これは理性を失っているのと同義だ。
どんな罪深い事でも平気で出来てしまうだろうさ。僕ははっきり言って、そんな恋する対象に支配されるような芯のない人間はゴメンだ。
でもそういう人間は文学に昇らない。それにより破滅する人間の方が魅力的に見え、劇や古書として残ってきた。
どうしてそう――――」
彼女に「彼に向かって」というアドバイスは彼女たちにとってマイナスだっただろう。
初めはつけいる隙を与えないように躍起になって言葉を並べていたはずだったが、今はもうすらすらと言葉が出てくる。
それでも顔を上げる事は出来ない。
眼の中でギリギリ浮かべている彼の飄々とした温かい顔が消えてしまいそうだから。
カシャッ! という音で私の言葉は遮られた。
「あ、やっと気付いた」
「え」
「私さっきから何度が撮ってるよ」
「ねー。本当に全っ然気付かなかったね」
………全然気がつかなかった。なんてこった。
ま、まぁ別に取り立てて目くじら立てるような写真は撮られてないはずだ。
「まぁ動かぬ証拠はこれで取れたし」
「動かぬ証拠!?」
反射的に口から言葉が零れ出て、顔が赤くなっていくのが自分でも分かった。
「あぁ……分かってないなら見せてあげようか?」
随分と意地悪な笑顔のままで、彼女はデジカメを差し出した。私は私にしては随分と素早い動作でそれを取った。
データフォルダには今日だけで数十枚の写真が納められていたが、最新の写真は全て私の写真だった。
いつの間にこんなに撮られていたのか………何だか背筋が寒くなってきた。
「これが本読んでる時のささっきーで、これが彼の事想って話してる時のささっきー……こーんだけ顔が違ったらもー言い逃れは出来ないよねー?」
私はその写真を繰り返し切り替えて見つめたが、完敗と言わざるを得なかった。
片方はいつも鏡で見ている時の自分の顔だった。もう片方は誰だコイツと思う程に表情が違った。
一番最新の一枚の私は、ほんの気持ち赤くて、下を向いていたせいか顔は少し隠れていた。
眼はどこか熱にほだされたような甘い眼をしていて、口は明らかではあるが緩やかに笑顔で。
何だか余白にも満ち足りている空気が出ているような、『私のベストショット』とでも言うべき完璧な一枚がそこにあった。
もし私がナルシストの気でもあったりしたら彼女に頼んでその写真を貰って額にでも入れて飾っただろう。
まぁ私は別にそれでも良いかな……なんて思うあたりもう寝た方が良いのかも知れない。
まぁ彼が先に挙げた支配される愚か者ではないだろうし、あれだけ話せる男子なんて他にはいないから別に構わない――。
「また彼の事考えてる顔だね」
「………」
もう言い返すのも疲れた。
ただこの期に及んで、やっと一矢報いる事が出来そうな一言が浮かんだ。
「……そんな微妙な違いに、彼が気付くと思うかい?」
「…………無理かも」
「確かに、そういうの鈍そう……」
………か、勝った。
最終更新:2008年02月25日 09:41