31-572「宿題は最終日にまとめてやる」

これは、俺が中学生活最後の夏休みに「宿題は最終日にまとめてやる」という定石の通り、
ひーこら言いながら課題に取り組んでいた頃の話である。

「くそっ」
筆が進まない。読書感想文と言うものはなぜこうも長々と感想を書かねばならないのだ。
感想など人それぞれではないか。共感を持たなかった、持った、自分の事になぞらえて感
情移入した、しなかった……etc。
その長さの個人差を削り取って原稿用紙3枚以上などと規定するのは愚かな行いではない
か、個性をないがしろにしやがって、などとぶつくさ言いながら、俺は一向に原稿用紙と
触れ合わないシャーペンをくるくる回していたのだった。
そもそもこれほど書けないのには至極真っ当な理由がある。そりゃ自分の興味ある本なら
たっぷり書いてやるさ、問題なのは課題図書をわざわざ設けるって事だ。
気まぐれでどこぞのサッカーチームの監督のドキュメントを買ってしまったが、別段大し
た感動もなしに読み終えて、サッパリしすぎて何も浮かんでこない読後感と、やっとこさ
芽生えたのは危機感だけで、いてもたってもいられず筆をとって今に至る次第である。

何せ今日は8月31日。学生に与えられた至高の自由期間を締めくくる、恐怖のホームワ
ークスパイラルデーだ。
自由を昨日まで満喫していた我々はでももへちまもなく、今日中に宿題を終える必要がある。

「ぼくはこの本を読んで、すごくこの監とくが良い人だなあと思いました」
何だこの下手くそな文しか書けないくせに入選を密かに狙っている小学生のような作文
は! 大体こんなんじゃ感想文だけで一日が終わっちまうぞ。
仕方ない……気が引けるが、あること無い事書くしかないか。俺はボキャを搾り出し、ひ
たすらカントクを、時に湾曲的に、時に直情的に、時に罵るように褒めちぎったのだった。

さて、ようやく書き終えた頃は既に昼飯時、ペンを机に放り出すと同時に妹が俺を呼びに
部屋に入ってきた。いいタイミング、ちょうど腹が減ってたんだ。
「キョンくん、ご飯だよ~」
「へいへい、っと」
原稿用紙をホチキスで留め鞄に放り込むと、俺は妹と共に階段を下りた。何の憂いもなさ
そうなコイツは、それもそのはずだ、8月の上旬に宿題を全て終えてしまったようなのだ。
面倒な自由研究も友達と一緒にやったのだとか。コイツのこういうところは俺に似ていな
くて心底安心する。最終日に「手伝って」などと嘆願されては目も当てられない。
昼飯の焼きソバをさっさと食べ終えると、最後は国数英のワークである。これは安心、
須藤にアポをとってあるのだ。互いに国語、数学、英語を半分ずつ済ませ、写しあう。
今は12時34分。アイツは1時30分頃来るはずだ。俺は安心してベッドに横たわると、
玄関のベルが響くまでの仮眠だと言い聞かせ、焦がすような日差しを柔らかく受け止め
るカーテンから持ち込まれた、穏やかな光だけを浴びつつ、クーラーという文明の利器の
最高傑作を味わいながら、意識を深く深く沈めていったのだった。
ややあってか、ふと目が覚めた。覚醒しない頭をもたげ、時計を見る。午後4時40分だ。
どうやら須藤はまだ来ていない。
さて、ここで俺がどのような形容しがたい悲鳴をあげたか、想像していただけるだろうか。
なんてこった! なんで須藤は来ていないんだ! 慌てて携帯を覗くと、午前11時頃に
メールが来ている。
『スマン、キョン、風邪をひいてしまったから、今日は行けそうもない。誰か別の人を頼
ってくれ』
……絶望だ。もうどうしようもない。一体誰が、こんな時間に俺のところに来て宿題写さ
せてくれるというのだ。
くそ! せめて昼飯食べた後にチェックさえしていれば……! などと後悔してみるも、
ワークはただ無情に、机の上にたたずむのだった。

夕食を済ました俺は宿題などとうに諦め、半ば現実逃避のようにすでに寝てしまおうとし
ていた。もういい、なるようになれ。

そうヤケになり目を瞑った瞬間だった。
ピロロロロ……

ピッ

「やあ、キョン、ご機嫌はいかがかな?」
「……どうした、佐々木」
夏期講習以来顔を合わせていなかった友人からの当然の呼び出しだったが、当時の俺はテ
ンションが下がりきっていて、まともに相手する気にもなれんかった。
「何、明日から新学期だろう? 君もなんとか、宿題を終えたようだね。君は最終日にま
とめてするのがセオリーだなどと言ってはいたが、内心、間に合わないのではないかとこ
ちらがヒヤヒヤしたものだ」
何を根拠にそんなことを言っているかは知らんが、出会い頭のそのご挨拶に無性に腹が立
った。そりゃコイツにしてみれば労いのつもりなのだろうが、俺には皮肉にしか聞こえん。
「まだ、終わってない。さっきから、何を根拠にそんな事を言っているんだ? どうせもう間に合わん」
俺はできるだけ卑屈に、そういってやった。
すると、佐々木はややあって、色の無い声で呟くように尋ねたのだった。
「どうしてだい」
「どうしてもこうしてもない。須藤と互いにワークを写しあう予定だったんだが、アイツ
は風邪でこれなくなった。俺はその連絡に気づかず待ちぼうけ、んで今に至るわけだ」
普段の佐々木との説明するのも嫌気が差して、さっさと電話を切りたかった。
しかしまた、佐々木はしばらく返事を返さなかった。あまりに押し黙っているので、なに
やら後ろめたくなってくる。
「……用が無いならきるぞ」
俺はいたたまれなくてぶっきらぼうにそういうと、携帯を耳元から少し離した。ああ、全
く自分が悪いのに佐々木に当たっている。そう思って胸の奥が少し軋んだとき、受話器の
向こうから、信じられない声を聞いたのだ。

「バカ!」
それは受話器から離れても十分に聞こえるくらい大きな声だった。俺は慌てて耳に当て戻
し返事をしようとしたが、混乱と慄きで喘ぐようにしか答えを返すことは出来なかった。
少なくとも俺はこんな怒った佐々木を見た事が無い。
俺は何かしらで、知らない内にとんでもなくコイツを激昂させたのだろうか。何が原因だ?
頭の左半分でそれを必死に計算していた。
同時に、普段穏やかな奴ほど怒ると怖いというのは本当だ、などと実に下らない考察も右
半分で行われていた。
「なぜ僕を頼らない」
向こうの声はじゃっかんに震えていた。それで分かった、コイツは怒っている。俺が何も
頼らなかった事を。友人と思っていた人物に友人としての扱いを受けられなかった事を。
それもこんな荒い声で。

「君にとって僕はなんだ? 友達じゃないのか? それとも困っているときに手を差し伸
べてくれるのは友達じゃないのか?」
そうか、きっと俺が宿題を終わっていないなら自分にすがり付いてくると思っていたんだ
な。で、コイツの事だ、それを嫌味っぽく皮肉りながら手伝ってやろうと思っていたんだ。
しかし一向に電話がかかってこないから俺が佐々木に頼らずに宿題を終えたのだと思って
しまったんだ。それで、コイツなりに労おうと……
「違うだろう……キョン」
私をもっと頼ってほしい。それとも君は私に対してその程度の友愛の情も抱いていないの
かい?

後にも先にも、俺に向けて話す佐々木の『私』という一人称を、俺は聞いた事がない。
そこまで聞いて、ようやく俺は口を開く事が出来た。今までのぶっきらぼうな態度も、全
て取り払って、ただただ誠実に答えようとした。
「俺はお前が7月の内に宿題を終えているのを知っていたから、お前の中学の夏休み最後
の日を邪魔したくなかったんだ」
本当は浮かんださ、真っ先にお前の顔が。きっとお前は助けてくれるだろう。でもお前が
どこかで何かしら有効に楽しく時間を使っているのを遮るのは嫌だった。中学最後の夏休
みだ。思うところもあるだろう。楽しく過ごしてほしかったんだよ。俺みたいな奴に邪
魔されずにな。

「友達の為に時間を割く。これが有効といわずに何が有効だ?」
向こうの声は依然怒った様だった。
それから、しばらく沈黙が流れた。

俺は返事をしあぐねていた。情けない。すると、佐々木の方が意を決したように俺に言葉
を紡ぎだした。
「……分かった。今からそっちへ行こう」
俺は、今日2回目、佐々木のとんでもない言葉を聞いたのだった。

結局俺が佐々木の家に行くことになった。何せ夜の道だ。女独りでこちらまで歩かせるな
どできるわけがない。そもそも教えを請うのに家に来させるなどと図々しい真似ができる
わけがない。
急ぎで荷物をまとめ、家を出た。街灯に群がる羽虫や蛾、人の群れ、冷ややかな空気。
走っていく中で、頭の中でリフレインする佐々木の言葉が胸まで響いて熱くなるのを感じ
た。
家に着き、億劫ながらチャイムを鳴らすと、佐々木がすぐに出てきた。どこかバツが悪そ
うで、見ようによってはまだ怒ってもいるようだった。しかし関係ない。
どうせ俺の言う言葉は決まっている。
「スマン。世話になる」

どういうわけか家の中は静かで、人がいる様子はない。
「ちょうど両親は仕事の都合でね、朝に帰るそうなんだ。僕が君に電話したのも話し相手
がいなくて暇を持て余しての事だったんだ。なにせ他の友人は、といっても少ない友人だ
が、君以外は僕の話をイマイチ受け止めも受け流しも出来ないみたいでね、そこで話しが
いが一番ある君に電話をかけたわけさ。しかしそれが功を奏したようだ。くっくっ」

この妙な笑い方と饒舌さから判断するに、佐々木の機嫌はよくなったようである。
安心したところでもっともらしい疑問を口にしてみる。
「大丈夫なのか。その、青少年健全育成法的な側面からは」
まちがっても、間違いがあっては困る、などとは言えない。すると佐々木は、少し眼を丸
くした後、ますます機嫌よくして、
「友人を家に呼び、勉学に励む、一体どこに問題があるのかね?」
と再び低い変な笑い声を上げて、俺を和室に招き入れた。こんな俺でも客人として扱って
もらえるらしい。
早速ワークを開き、問題に取り掛かる。もちろん、佐々木は答えなど写させてくれない。
俺自身もそれで良いと思う。それでこそ佐々木だ。
「分からないところがあったら言ってくれたまえ」
そういうと、別のテキストを取り出して(同じ数学でも月とスッポンのレベル差の内容だ)
解き始めた。

佐々木の教え方は非常に上手かった。人に教えられるようになって初めて人は物事を理解
した事になるというが、まさに佐々木は100%理解しているようである。俺でも分かる
ように教えているのだから。
作業は普段の数倍の効率で進んでいったが、やがて時間は過ぎ、日も変わった頃、俺たち
は睡魔に負けてついに志半ばで眠りについてしまった。

気がついたときは日が鈍く光っており、すっかり朝を伝えていた。
間に合わなかったか……むくりと佐々木も身体を起こすと、思い出したように俺の方を見た。
「しまった、寝てしまったようだ。キョン、ワークは……駄目だったか」
俺は国語を半分残したまま、次の日を迎えていたのである。
時間を確認する為に携帯を見ると、なるほど、8月31日、7時30分……ん?
31日!?
そんなバカな。これは電波時計だから狂うはずがない。その旨を伝えると、佐々木が信じ
られない様子で台所へ走っていった。
「キョ、キョン……日めくりカレンダーが……破ったはずのカレンダーが……戻ってる!」
さすがの佐々木も驚きを隠せないようだ。確かに俺たちは31日を過ごしたのだ。
ここにいるのが何よりの証拠、しかし、日付だけは31日なのだ。

「不思議な事もあるもんだ。どういう錯覚なのだろう。デジャビュなんて物じゃないぞこ
 れは……31日が48時間あるような……しかし……」
しばらく、テーブルの周りをホームズよろしくくるくると歩き回っていたが、佐々木はふ
っと頷くと、再び机の前に座り込んだ。
「考えたって分からないか。とにかく猶予はできた。これならキョン、君の宿題も昼前に
は終わるだろう」
そうだ、まだ31日と言う事は少なくとも純然たる事実、受け止めるしかない。とりあえ
ず、目の前の宿題を片付けるのみだ。
ただ、あっさり現状を受け止めた佐々木の新たな一面――楽観性に驚きながら。

しかし、俺の頭の中はそのとき、すでに昼からの予定が形を成し始めたのだった。わざわ
ざ骨を折ってくれた友への感謝を込めて。





以上。
+ タグ編集
  • タグ:
  • 夏休み
  • エンドレスエイト

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2013年02月03日 15:39
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。