37-415「カナリア」

 「ホントにコレだけで上手くいきますかねぇ」
 「――問題――ない」
 「むぅ、なら後はあたしたちは佐々木さんを応援するだけなのです!!」
 「――フレ―フレ―――ササッキー―」




 
目を開けると私は自分の部屋の真ん中に立っていた。
なんてこと無いずっと生活をしてきた部屋。
でも何かがおかしい。そうだ、この部屋には色がない。モノクロではないけれどセピア色……なんで?
窓に近寄って外を覗く。輝かんばかりに美しい色をした芝生が広がっていた。どこかの公園みたいだ。光に満ち溢れてる。
 ――あれ?私の部屋から公園なんか見えたっけ?――
何故だかわからないけど無性に外に出たくなった。私は窓を開けようとする。だけど窓はピクリとも動かない。
無駄だとわかっているのに窓を力いっぱい叩く。
 ――出して出して出して――
自分でも意味がわからないのだけれど開かない窓から公園を見ると胸が痛い、そして言いようもない不安に駆られる……
これ以上見ることができなくなって振り返った。
さっきやった問題集の代わりに机の上には鳥篭が乗っていた。中には綺麗な小鳥が一羽入れられている。カナリアだろうか?そんな気がした。
カナリアがしきりに嘴を動かしているがまるで鳴き方を忘れてしまった様で、何も聞こえてこない。ただ何かを必死で言おうとしているのはわかった。
 「――あなたもキョンに会いたいの?」
なんでこんなことを言ったんだろう。訳がわからない。今、キョンは関係ないのに。
カナリヤが嘴を動かすのをやめた。私は何かを言おうとして口を動かした。口からは何の音も出てこない。
 ――あれ?声ってどうやって出すんだろう――
カナリアがこっちを見た。目が合った。
訳がわからない。





目覚まし時計のやかましいベルの音で目を覚ます。
なんてことは無いいつもの部屋にいつものベッド。しっかりと色は付いている。
少しボーっとする頭で立ち上がって窓から景色を見た。向かいの家の庭、色づき始めた実を付けた柿の木の下で犬が気だるそうに寝そべって動かない。
公園じゃないみたいだ、やっぱり。
 「夢か…」
つい小説や漫画みたいなセリフを呟いてしまう。
私はわりかし夢を見るほうだ。だけど大抵は目を覚ました瞬間に大部分を忘れてしまい、残るのはぼんやりとした曖昧なイメージだけ。
それが今のは――。曖昧な部分なんて一切無い。見た夢を事細かにきっちりと覚えている。
何故だろう、心に引っ掛かってしまっている。
あの公園……どこだろう、見覚えがある。懐かしいのか何なのかよく分からない感情で胸がむず痒くなってしまう。
それに無意識的だったけど私はカナリアに「あなた『も』」と言った、「は」ではなく。どうして?
私もキョンに会いたいんだろうか。
そう思うとむず痒さを超えて胸が締め付けられるような感じがした。
一体この感覚は何?





「佐々木さん、それは恋なのです!!」

どうしようもなく気になってしまい、土曜日だったこともあって自称私の心理エキスパートの橘さんに話でも聞いてもらおうと思って、キョンたちSOS団御用達の喫茶店に来てもらっているのだけど…失敗だったかな。
さっきも普段覚えてないのに今日の夢は鮮明に覚えてるって言っただけで、隣に座っている九曜さんと顔を見合わせて
 「やったのです」
 「――成功――」
なんて言ってたし……。ちゃんと話を聞いてくれてるんだろうか。

 「ちょ、ちょっとまってよ。私が恋してるだって!?誰に?」
 「キョンさんしかいないじゃないですか。いやぁ、夢でまでキョンさんのことを想うなんて佐々木さんって純ですねぇ」
私の顔を見ているはずなのに、どこか遠くを眺めているような表情と口調な橘さん。
 「――ロマンティックが――止まらない――」
九曜さんまでもがこんなことを言い出した。
私が神になる申し出を断ったから二人とも仕事が減って退屈によって頭が変になってしまったのだろうか。それだったら同情と罪悪感は禁じえない。
 「違います!!あたしも九曜さんもその属性ゆえに現在恋愛1つすることが出来ない状態なのです。だから純な恋心を抱いている佐々木さんがちょっと羨ましいんですよ」
 「――嫉妬の――炎が―――燃え上がる――」
もうこの二人だめなのかもしれない。
 「あなたたち二人が恋愛できないことと私がキョンに恋してるなんて事関係ないでしょ。意味がわからないよ。根拠はなんなの?根拠は?」
へ?と素っ頓狂な声を上げて目をパチクリさせた橘さんはフゥと溜め息をついて幼稚園の先生が園児を見るかのような暖かい視線を私にそそぎつつ私に言った。
 「だって佐々木さん『あなたも』ってカナリアに言ったんですよね?」
 「まぁ、そうだけど」
それは事実だからちゃんと認める。夢に事実、なんてものがあるのかはわからないけど。
 「それに夢に他に登場人物はいなかったんですよね?」
黙って頷く。
 「じゃあ、その夢の中で他にキョンさんに会いたがる人は佐々木さんしか存在しないじゃないですか」
分かるようで分からない理論だ。
 「なら窓から景色を見たときの感情はなんなの?恋愛なんていう精神病とは関係ないんじゃないの?」
むぅ、と橘さんは少し考え込むような顔をした。普段底抜けに明るい彼女がこういった表情をするのは珍しい。こういったギャップに世の男性陣は弱いのだろうか。何となく分かる気もするけど。
 「それはあれじゃないですか?キョンさんとの思い出の場所だったりするんじゃないですか?思い出だから綺麗に色があるのかもしれないし、過去の話だから窓を開けて外に出ることも出来ない、みたいな」
なんて…なんて単純な。フロイトの夢診断でももうちょっと深い内容がはじき出されるんじゃなかろうか。だいたいキョンと公園に行ったことなんて―
 「あ」
 「あ、やっぱりなんかありました?」
さっきまでの暖かみのある表情はどこへやら、橘さんは興味津々と言った表情で聞いてくる。
そう、確かに私はキョンとあそこに行ったことがある。
いつだっただろう。確か中学三年の10月ぐらい、丁度中間テストが終わった日だったような。





試験二日目二限目、最後の試験科目であった数学の試験の終了を告げるチャイムが無機質にスピーカーから流れ、教室のそこかしこからうめき声のような溜め息が上がる。
試験自体はさして難しくなかったけど二日続けての試験の最後に数学を受けると流石に少し疲れた。
試験官の教師が解答用紙を前に送るように指示するのを聞きながら、丸々空いている午後をどうやって過ごそうか、と考えていた。
キョンの方を見ると目が合った。まさに精根尽き果てた、とでも言う様な表情で力なく笑いかけてくる。
お疲れ様、と私は声に出さずに口だけ動かす。
解答用紙を数え終わった教師が「休憩」と一言だけ述べて教室を出て行った。その瞬間にいつもの賑やかな空気に戻る。
終わってしまったら終わったで試験前や試験中の空気が懐かしく思えるのは不思議だ。
はぁ~、なんていうわざとらしい溜め息をつきながらキョンがこっちに来た。
 「その表情を鑑みるにあまり成果は思わしくなかったようだね」
もう一度溜め息をついてキョンが言う。
 「全くだ。大体最後の科目が数学なんてのがおかしいんだよ。俺の脆弱な集中力が二日目まで持つ訳がないだろ」
おかしくてつい笑ってしまう。キョンにいわせれば少し変わった笑い方らしい。私には分からないけど。
 「それは責任転嫁と言うものだよ、キョン。それに今回は塾の補習にもちゃんと受けていたし、いつもとは違って少しは手応えぐらい有ったんじゃないのかい?」
 「まぁな。それに今回は偉大なる佐々木先生にも付きっ切りでフォローしてもらったからな、何とかお袋を納得させるぐらいの点数は出てくれるはずだ」
 「ほぉ、そういって貰えると僕も君のために時間を割いたかいがあるというものだよ。是非とも結果が返ってきたら見せてもらいたいね」
キョンが少したじろいだ。
 「いや、勉強を見てくれたことに対する感謝は尽きないのだが結果も見せないといけないのか?」
 「冗談だよ、冗談」
また一つ盛大な溜め息をつかせてしまったようだ。
 「きついぜ、全く。そうだ、佐々木よ、午後からなんか予定入ってるか?」
 「いや、何もないね。試験中の空き時間も見直しをしながらどうやって埋めようか思案に暮れていたところだよ」
 「試験中にねぇ…うらやましい時間の使い方だな。」
やれやれ、と口癖を呟くキョン。
 「それで?僕の予定を聞きだしてどうするんだい?」
 「どっかいかないか?特別授業の礼もあるしな、昼飯ぐらいなら奢るぜ?」
 「デートのお誘いとは光栄だね、キョン」
 「そんなんじゃねぇよ」
そんなんじゃないのか…何故だろう少し残念だ。
 「どっか行きたい所とかあるか?」
 「ん~、最近は勉学に忙しくてろくに話も出来なかったしね。どこかのんびり話せるところが良いね」
 「具体的に言うとどこにあたるんだ、それは?」
 「ファミリーレストランとかで良いじゃないかな?」
中学生ならばコレぐらいが丁度良いだろう。変に背伸びをして気取ったお店に入っても緊張してリラックスできなければ意味が無い。
 「佐々木がそれで良いならそうするか」
そこでタイミングよく、というか、まぁ休憩時間の終了を知らせる予鈴が鳴った。
あとでな、そう言ってキョンは自分の席に帰った。
つつがなくホームルームも終了して、キョンと二人で学校を出た。お互い一旦帰って着替えてから出掛けることになった。
今日は塾も無い。一応「試験休み」と言う名目だけどそれは私たち生徒のためのものではなく、今まで遅くまで補習などに駆り出されていた塾講師のためのものであるのは明白だけど、
実態がどうあれ空いた午後を丸々親友とノンビリ出来るなら感謝しないといけないね。
着替えて家を出ると既にキョンが家の前に立っていた。今日は自転車と一緒じゃない。
 「おっと済まないね、キョン。待たせてしまったかな?」
 「いや、今来たとこだ。さ、行くか」
のんびりと近くのファミリーレストランを目指して歩く。夏の残暑から逃れてようやく先週あたりから涼しくなってきている。暑いのではなく暖かい、とでもいった感じで歩くには心地よい天気。

大した時間も掛からずにレストランに着いた。平日の昼間だから空いてるかと思ったけれど、そうでもないらしい。小さな子供を連れたお母様方、大学生らしいカップル、そして私たちのようにテスト終わりの息抜きに来たような中学生・高校生。
それなりに混んではいるのにゆったりとした空気が店内に満ちている。
ここにして正解だったな、渡されたメニューを見ながらそう思った。
 「佐々木は何頼むか決まったか?」
メニューとにらめっこをしていたキョンが顔を上げて聞いてきた。
 「まだ思案に暮れているところだよ。キョンは?」
 「決まったぞ。ハンバーグステーキにドリンクバーのセットだ」
 「くっくっく、随分子供っぽいもの頼むんだね。なんだか意外だよ」
 「そうか?まぁ試験明けだしな、肉の一切れや二切れ食べたくなるってもんだ。それに俺としてはファミレスといったらハンバーグ、ってなイメージがあるわけだが」
そこからファミリーレストランで食べるハンバーグの魅力について彼の講義が始まった。家庭におけるハンバーグや、専門店のそれと比較しながら丁寧に。そんなにハンバーグが好きなのかな。
普段の人生を達観したかのような彼らしくない、実に子供っぽい行動。見ていて楽しい。
結局私はキョンと同じものを頼むことにした。

クラスの誰と誰が付き合ってるとか、国木田君は実は相当腹黒いらしいとか、ニーチェの思想がどうとか話していたら、つい飲み放題になっているジュースを飲みすぎてしまった。
苦しくなるほど飲んだわけではないけど、一応女である身としては過剰に摂取した糖分が脂肪として蓄えられるのは何とかして防ぎたい。
 「キョン、ちょっと散歩でもしないか?」
キョンは手に持っていたコップに入ったコーラを飲む干してから、
 「そうだな、今日は天気もいいしな」
そう言って伝票を手に立ち上がった。

店を出て二人で他愛も無い話をしながら当ても無く歩いていると、そこそこに大きい公園が目に入った。
我らが自治体が財政的に豊かである、と聞いたことはないけど綺麗に手入れもされて居心地がよさそうだ。
キョンもそう思ったらしくどちらとも無く公園のほうに足を向ける。
公園を一通り回った後で私たちは芝生の上に腰を降ろした。キョンはそのまま寝っ転がってしまった。
しばらくはそのまま話していたけど、段々とキョンが返事をするまでに時間がかかるようになって、そして今は――
 「やれやれ」
ひざの上で気持ちよさそうに眠る顔を見ながら私は言った。膝枕をしたのは何となく地面にそのまま頭を着けているのが良くないような気がしたからで、他意は無い。
話し相手がいなくなってしまって退屈するかと思っていたけど、キョンを観察するのもなかなか楽しかった。
結構まつげ長いんだね、キョンは。

流石に耳でも引っ張ってやろうかなんて思っていた頃にキョンが少し目を開けた。
 「よく眠れたかい?」
 「ん、ぬぅぁ、俺眠ってたのか?」
ゆっくりと体を起こしてからぼんやりとした表情で少しもごもごとキョンが言った。
 「そうだね、親友をほっといてかれこれ30分ぐらい」
 「はぁ~、スマン。俺から誘ったのに」
 「いいさ、さっき少し食べ過ぎたからね。それに昨日まで寝る間を惜しんで試験勉強に励んでいた訳だから眠くなるのは当然の生理的欲求だよ。それで?よく眠れたかな?」
 「ああ、おかげさんでな」
スッと立ち上がって体を伸ばすにキョン向かって私は言う、
 「そろそろ良い時間だし、帰ろうか」
 「そうだな。ちょっと日も落ちてきたみたいだし」
私は立ち上がろうとしたけれど、さっきまで膝枕をしていたせいか足が思うように動かず、少し腰を浮かべたけどまた座り込んでしまった。
キョンは苦笑しながら「ほら」と右手を差し出してくれた。私は「ありがとう」と返事としながらキョンの手を握り、立たせてもらう。
キョンの手は私の手よりも随分大きい気がした。
帰りはいつものバス停ではなく家まで送ってくれた。普段と変わらない別れの挨拶を告げてキョンは帰って行った。
またこんな風に一緒にのんびり過ごせたらいいな。そんなことを思いながら私は玄関のドアを開けた。





 「なんともまぁ…ストロベリーな話なのです」
 「――イェーイ―めっちゃ――ホリデー――」
半ば呆れたように二人が言った。
楽しい思い出のはずなのに何故だろう、こうやって人に話すのと切なさみたいなものを感じる。
 「もう完全に恋人同士じゃないですか。それなのにどうして付き合ってないとか言っちゃうんですか?」
 「いや、だって実際付き合ってなかったし」
肩をすくめる動作をしながら溜め息を付いて橘さんは随分とぬるくなったコーヒーを口にした。
 「知らぬは本人たちばかり、というのはよくある話ですけどココまでとは……」
 「知らぬが――仏――」
どういう意図で言ったか分からないけど九曜さん、それ多分間違えてるよ?
 「なんで付き合おうとか思わなかったんですか? 一緒にいたかったんでしょ??」
何故だろう。
 「確かに私はキョンには好意的な感情は抱いていたし、一緒にいたいとは思っていたけどそれはあくまで親友としてであって、恋人にはなろうと思わなかったよ。
なんというか、それで十分だったのかな。ただ一緒入れたら良かったから」
 「でも、お二人の思い出話聞いてると節々から佐々木さんの恋愛感情が滲み出てるんですよ。親友だからって男の人に膝枕なんてしないんじゃないですか??」
 「仮に恋愛感情であったとしてもあの頃はそれで十分だったのっ!」
つい声が大きくなってしまった。橘さんはなんだかニヤニヤしている。
 「あの頃は?な んだかまるで今はそうじゃないみたいな言い方ですよ?」
今?
 「会いたくないんですか?そりゃ今でも会ってるかも知れないですけど、涼宮さんとキョンさんが出会う前みたいに2人だけで気兼ねなく、会ったり出来てますか?」
言われてみれば確かにそうかもしれない。春に再開を果たしてからは2人で会うこともあったけど、それは絶対に涼宮さん絡みの話をするためだった。
昔みたいに何でもない話をしただろうか? そう思うと急に中学三年生の頃の記憶が眩しく光っているような気がしてきた。
ずっと一緒だった…お互い宇宙人、未来人、超能力者が実在してるなんか知らず、まして同じ学年の綺麗な女の子が神様だなんて考え付かなかった頃。
思い出すだけで胸が痛い。私は、私はまた前のように――
 「会いたい、かも」
 「んん、もうっ!また『かも』なんて言って。佐々木さん、それこそが恋ですよ、恋!!」
バンバンとテーブルを叩きながら橘さんは言う。
恋、そんなに単純なものなのかな。すっかり冷めてしまったコーヒーが口の中で苦さばかりを主張する。
 「まぁ、初恋ですもんね。最初は良くわかんないと思いますけど、次第にキョンさんのことばっかり考えるようになりますよ」
得意そうに橘さんは言い放つ。どこからそんな自信が出てくるんだろう。
 「あたしだって組織に入るまでは普通の女の子ですよ?恋愛の一つや二つ経験してるのです」
橘さんは可愛らしいし、超能力集団で重要なポストに付くぐらい頭は良い。それに結構面倒見も良かったりする。
モテないほうがおかしいというものかもしれない。
 「最近はさっきも言った通りあたしは恋愛御法度なのです。だからこそ佐々木さんには幸せになって欲しいんです」
そう言って私の右手を両手で包むように握ってきた。優しい口調だけど、あの橘さん?凄く楽しそうな目してるよ?
 「なにか困ったことがあったらなんでも言ってください。この橘京子いつでも力になるのです。
だから佐々木さん、頑張ってくださいね」
 「――時には――起こせよ――ムーブメント――」
九曜さんも心なしか楽しそうだ。他人の色恋沙汰ってそんなに面白いものなんだろうか。

不意に、
 「あっ!!こっちこっち!!」
そういって橘さんはそう言って入り口のほうに手を振った。
そっちの方を見たら私たちに小さく手を振ってこっちに、ちょこちょこ歩いてくる朝比奈さんがいた。女の私から見ても可愛らしい所作。
だけど今日はなんだかいつも以上にポケェッとしている。
 「お待たせしちゃいましたかぁ?あっ、佐々木さんこんにちは」
ミス・ユニバースでも敵わないような笑顔で挨拶してくれた。ちょっと見とれながら私もこんにちは、と返した。
でも何で朝比奈さんがココに?
 「今日は朝比奈さんと一緒に冬物の服を見に行く予定だったのです。もうちょっと後が約束の時間だったんですけど折角外に出てたんで、我侭言って早めに来て貰ったんです」
橘さんが私の疑問を解いてくれた。まだ何もいってなかったんだけど、流石。
最近朝比奈さんと橘さん、九曜さんは仲がいい。よく買い物や食べ歩きなんかをしてるみたいだ。お互い素性が分かってるから割かし気楽な付き合いが出来るらしい。
私は予備校があったりするので、あまり一緒に遊んだりはできないけど。
 「すみません、朝比奈さん。私が橘さんに無理言ったから」
 「良いんですよぉ、気にしないでください。それより三人で何の話してたんですかぁ?」
 「ふっふっふ、佐々木さんの恋の悩みの相談を受けていたのですっ!!」
 「ええっ、ホントですか!?相手は…やっぱりキョン君ですか!?」
途端に目を輝かせる朝比奈さん。なんで皆してこんなに楽しそうなの?
恐るべし、女子高生。というか朝比奈さん、やっぱりってどういう意味ですか?
 「それだけ分かりやすいってことですよ、佐々木さん!!」
高らかに橘さんがそう言った。そうなの?
 「うらやましいなぁ」
思いをはせるような口調。朝比奈さんも未来に恋人いたりするのかな。
しかし、いい加減話を逸らさないと一体何を言われるかわからない。
 「ところで朝比奈さん、なんだか今日はあんまり顔色が良くないみたいですけど、どうかされたんですか?」
 「えぇーっと、昨日涼宮さんから借りたドラマのDVDを見てたら寝不足になっちゃったんですぅ。2人のヒロインが頑張って男の子の取り合いをするんですけど、それが気になっちゃって途中でやめれなくって」
てへへ、と笑いながら言う朝比奈さん。ああ、可愛らしい。同じ未来人なのになんで藤原にはこういったことが出来ないんだろう。藤原が可愛くても良いことなんて一つもないけどせめて愛想の「あ」の字くらいは覚えてもらいたい。
 「でも涼宮さんも恋愛ドラマなんて見るんですね。そう言った普通なものは毛嫌いしてるとばかり思っていたのです」
もっともな疑問。私も気になる。
 「ふふ、涼宮さんも普通の女の子って事ですよ、ああ見えても」

その後は少し4人でおしゃべりしてから三人は買い物に行った。
誘ってくれたけどずっといるとまた根掘り葉掘り聞かれそうなので遠慮することにした。
秋も大分深まってきた町並みをぼんやり眺めながら一人で家に向かって歩く。時折吹き抜ける風が肌寒い。
 「はぁ」
思わず溜め息が出てしまう。私がキョンに恋ねぇ…橘さんに言われて分かったことだけど、確かに私はキョンに昔みたいに会いたいとは思っている。
高校一年の全く連絡を取らなかった時期なんて中学三年の頃に比べたら圧倒的に色褪せて思えるし、私はキョンを必要としてるんだろう。
しかしそれが友人としてなのか恋人なのかは分からない。
 「はぁ」
また一つ溜め息をついてしまった。中学の頃は何も考えなくて良かった。一緒に居るだけで楽しかったのに。
純粋だったのかな、無責任に青い空を見ながらそう思った。





時間が経つにつれてモヤモヤした感情が胸の中で大きくなってきた。
今日は一日オカシイ。私が私でないような感じ。晩御飯も食べたはずなのに味も大して覚えていない。
ああ、この感情は一体何なの……
一人で考えても仕方がない、そう思ってキョンに電話を掛けることにした。何となく話をすることでこのモヤモヤがどこかに行く気がしたから。
 「もしもし、どうした佐々木?」
掛けるとすぐに出た。久しぶりに声が聞けたことが嬉しくてたまらない。
 「やぁ、キョン久しぶり。しかし久しぶりに連絡してきた親友に対して何の挨拶もないとはちょっと冷たくはないか?」
電話口の向こうでキョンが苦笑するのが分かった。
 「へいへい、そりゃあ悪うござんした。なんだ、元気してんのか?」
 「つつがなく平凡でありきたりな日常を享受するぐらいには元気だよ。キョンのほうはどうだい? また厄介ごとに巻き込まれたりしてるかな?」
 「そうそう変なことに巻き込まれてたまるかっての。前のあの騒動からは特にでかい事は起きてないな。恒常的にハルヒに振り回されてはいるが」
 「くっくっく、それは何より。親友の僕としても安心だ。ある日突然平行世界からやってきた君に会ったりなんかしたら流石に驚くからね」
 「それが起こり得ない、と言い切れないのが恐ろしいところだな」
やれやれ、とでも言いたげな口調。
 「それで佐々木よ、今日は一体どうしたんだ?気が変わって神様になりたいなんて言わんだろうな?」
 「くっくっく、あんな力は願い下げだと何度も言ってるじゃないか。今日電話を掛けたのには大した理由はないよ。
敢えて挙げるとするならば久しぶりに君と話したくなった、といったところかな」
というかそれが一番の理由なのだけどそれを口には出さない。
 「俺と話ねぇ。俺は落語家でも漫才師でもないかならな、そこまで面白い話術があるわけじゃないぞ」
 「良いんだよ、別に。僕は君との会話に爆笑なんて求めてないんだからね。君との会話は面白いが落語や漫才といったものの面白さとはベクトルが違うんだよ。
そもそも会話というのはだね――」
中学の頃みたいに私が喋ってキョンは相槌を打って、時折鋭い質問をする。彼との会話はいつでも私の知的好奇心を刺激したが、それは今でも変わらないらしい。
私は今凄く楽しい。胸が高鳴ってつい饒舌になってしまう。
気が付いたら二時間近く話し込んでいた。土曜日といっても余り遅くまで電話してるのはキョンに迷惑だろう。名残惜しいけど……
 「ふむ、すっかり時間を忘れてしまったようだ。済まないね、キョン。こんな時間まで付き合わせてしまって」
 「うおっ、ホントだ。まぁ、良いさ、お前と話しすんのも久々だったしな。結構楽しかったぜ」
 「そうかい? こちらこそ楽しかったよ、ありがとう。それじゃまたね」
 「おう。電話またいつでも掛けてこいよ。俺もなんかありゃ連絡するからよ。それじゃな」
そう言って電話は切れた。当たり前だけど部屋には受話器を見つめる私しか居ない。何故だか部屋が無駄に広い気がした。
 「キョン…」
部屋に私の声が消えていった。
電話のしているは凄く楽しかった、喋っている間はずっと胸が高鳴っていた。
キョンとする会話が余り一般的でない話題であることは十分承知している、でも楽しかったのは会話の内容が興味深かったのが理由じゃない。
キョンと話していたからだ。
他の人、例えば橘さんと同じ事を喋っていてもこれほどまでにはならなかったと思う。
それが何を意味するかはもう分かる。
私はキョンのことが好き。そして切れた途端に感じるこの空しさ、寂しさが意味することも。
私はもう中学の頃みたいにただ喋ったり、親友として一緒にいるだけでは満足できない。それは今はかりそめの喜びに過ぎない気すらする。
プラトニックでは物足りない。名を呼ぶこの口を唇でふさいで欲しい。「愛してる」そう言って抱いて欲しい。
 ――こんなことを思う私をキョンは軽蔑するかな? こんなことを伝えたとして、何か意味があるの?
 ――キョンは私のことをどう思ってるんだろう? 親友? 元クラスメート? 変な女?
 ――好きな人はいるの? 朝比奈さん? 長門さん? それともあの元気な神様?
三人とも女の子らしくて可愛いし…誰を好きになってもおかしくないか。
男言葉で話す私なんか好きにならないよね。一年間連絡もくれなかったんだし。
 ――でも「好き」、そう伝えたら私のことも親友じゃなくて女としてみてくれる?
そんな無意味な疑問が頭を埋め尽くす。
橘さんの言ったとおり…キョンのことで頭がいっぱいだ。苦笑する気にもならない。
寝れないのは分かっているけどもう寝よう。
開け放した窓から入る風で白いカーテンが揺れた。


8


それから一週間と一日、ずっとキョンのことばかり考えていた。食事をしてても勉強してても。やっぱり恋愛感情なんて精神病だ。
自分の胸の内を伝えるために電話しようとした、けどアドレス帳に表示されるキョンの名前を見ると躊躇してしまって結局掛けることが出来なかった。
今のまま親友として付き合ったとしてもいつか壊れてしまうのは分かっている。私はずっと平然としていられる程精神が強くないから。
でも今の親友という中途半端でぬるま湯のような関係を壊してしまえるほどの勇気も持ってない。
いっそ何か悲劇でも起こればいい。
そうしたら無条件にキョンに甘えられる気がする、が、こんな年になってそんな幼稚な方法でしか接することが出来ない自分に嫌気がさす。
昨日は土曜日。
キョンはまたSOS団の不思議探しでもしてたんだろう、私じゃない他の女の子と笑いながら。
 ――昨日は誰と一緒だったのかな?
黄色いカチューシャ着けた女の子に腕を引っ張られながらもどこか楽しそうなキョンの姿が頭に浮かんだ。
ただの妄想でしかないのに胸が痛い、涙が出そうになる。
 ――いやだ……私のそばいて? こんなに必要としてるのに……寂しいよ…。
どうにも独りで部屋にいることが耐えられなくなって私は家をでた。
少しでも人のいる所に行けば寂しさがごまかせる、根拠もなくただそう思った。

日曜の午後。家族連れ、どこかの大学のサークルの集まり、仲良さそうな老夫婦。賑やかな街で私のように独りの人間は少数だ。
人の多いところに出れば…と思って態々電車に乗ってまで繁華街に来たけどまるで効果がなかった。
フラフラと服屋なんかを冷やかしてるから少し孤独が紛れているだけで、コレならまだ部屋で勉強でもしてたほうがマシだったかもしれない。
楽しそうに歩くカップルは目に毒だ。
さっきは欲しがっていた喧騒から逃げるように私は急いで引き返した。
帰り着いたいつもの駅前もそこそこに人がいた。私はそのまま家に帰る体力もなくいつもの喫茶店に入る。
キョンがいるかも、と期待はしたけど現実はあくまでも残酷で思わず溜め息が漏れた。
窓から駅前をぼんやりと眺めながらコーヒーを飲む。入れすぎた砂糖が口の中にねっとりと広がった。時計を見ると三時。微妙な時間だな。
 「どうしようかなぁ」
つまらない独り言が口から出た。
橘さんに相談でもしてみようか? いや、なんだか余計に面倒なことになりそう。
ああ、もうどうしようもないな…
溜め息一つ付いてから甘ったるいコーヒーを飲み干して店を出た。

結局外に出たからって何の気分転換にもならず、逆に憂鬱さが増したみたいだ。
帰ろう、そう決めて歩き出してすぐに、一番聞きたかった声が後ろから私を呼び止めた。
 「お~い、佐々木」
ありえない、そう思っているのに胸が高鳴っていく。振り返るとニヤッと笑ったキョンがいた。
 「よっ、買い物でも行ってたのか?」
 「いや、気分転換のちょっとした散歩みたいなもんさ。大して効果はなかったがね。君のほうこそどうしたんだい? 今日は日曜だから団活はお休みのはずだろう?」
嬉しさで顔がにやけてしまいそうになるのを必死でこらえていつもの様に振舞う。
ちょっと苦い顔してキョンが言った。
 「本来はそのはずだったんだが、ハルヒの野郎に呼び出されてな。朝っぱらからついさっきまでなんか色々付き合わされちまったよ。お陰で貴重な安息日も財布の中身もとんでった」
なんだ、また涼宮さんか…。数秒前まであった嬉しさにとって変わってまた陰鬱な気持ちが中に広がった。 
 「ん? どうした、佐々木」
表情に出てしまっていたようだ。こういうことは気付くくせに…
 「え? なんでもないよ、大丈夫だ」
いかにも「へんなこと言うな、君は」といった感じの言い方をした。
涼宮さんに嫉妬してるだなんて知られたくはない。特にキョンには。
 「そうか。なぁ佐々木よ、今日俺自転車なんだが乗ってくか? 前みたいに」
駐輪場のほうを指差しながらキョンが言った。また私の胸が高鳴る。さっきからやたらと不安定だ。
 「その申し出はありがたいが、団長さんに振り回されて君もお疲れでないのかな? 君の脚部の乳酸の生成をこれ以上促す行為は僕としては自重したいね」
 「何言ってんだ、そこまでやわじゃねぇよ。お前を乗せてくぐらいなんてことねぇって」
 「くっくっく、そうかい? ならば遠慮なく乗せてっていただくするよ」


9


私はキョンの腰に手を回して後ろの荷台に随分と大きくなったような気がする背中にもたれながら座って、キョンは私など乗ってないみたいにのんびりと自転車をこいでいる。
こうやって二人乗りするのはどれぐらいぶりだろう。卒業してからは一回も乗ってないけどこの荷台、いつも私の席だったよね?
懐かしさと寂しさがぼんやりと浮かんできた。
 「キョン、僕は無性にこうやって二人乗りしていた中学の頃に帰りたくなることがたまにあるんだよ。君とずっと一緒だったからね、毎日が楽しかったんだ。
今だってそれなりに楽しいけどあの頃に比べるとね…君はどうだ? あの頃に戻りたいって思うことはあるかい?」
 「いやぁ、特には思わんな」
 「今のほうが楽しいから?それとも中学のことなんてもう覚えてないのかな?」
私といるよりも涼宮さん達といるほうが楽しい? キョンにとって私はやっぱりただのクラスメートでしかなかった?
そう聞きたかったけど口には出来なかった。
 「そういう訳じゃない。今も楽しいが、お前と一緒にいるのはいつだって楽しかったよ。俺の中でそれは事実だし大事な思い出だ。全然忘れたりしてない、懐かしく思うことだってあるさ。
でもな、今が楽しくなくて昔を思い出して帰りてぇなんてただ思うよりも、なんとか今を昔みたいに楽しくしてやろうっつってなんかアクションを起こす方が良いと思うんだよ、俺は」
のんびりとした声が大きくなった背中の向こうから応えた。
この人は凄く成長した。背が伸びたとかそんなのだけじゃなくて大きくなっている。
それに比べて私は? 背もちょっと伸びたし胸だって大きくなった。だけど内面は?
横に一緒に並んでいると思っていたのに随分と先に進んでいくキョンに私は置いていかれてしまうんだろうか…。
砂漠の真ん中にいるような孤独感を私が感じていると、キョンはフッと空を見上げてから、
 「佐々木、ちょっと寄り道してっていいか?」
不意にそう言った。


10


どこに行くんだろう、と思いながらも黙って乗っていると着いたのは高台にあるちょっとした公園だった。
家からそう遠くないがこんなところがあったなんて知らなかった。
でもここで一体何をするんだろう? 涼宮さんに何か命令でもされてるんだろうか?
キョンが自転車を降りたので私も降りる。黙ってキョンが歩き出した。私は横に並んで歩くけど、ずっと地面ばかり見ていた。
ちょっと公園の奥の少し開けたところまで行ってキョンは黙ったまま柵の前で立ち止まった。ほんとに何がしたいのか分からなくなってきた。
 「佐々木、顔上げてちょっと見てみろ」
優しい声に促されて前を見た。
 「――っ」
言葉が出なかった。
見事なまで紅く染まった街並みと宝石のように輝く海、そしてそこにちょっとだけ浸かった太陽がまるで一つの完成された美術品のように私の目に飛び込んできた。
街を動き回る人や車でさえ飲み込んで夕日と影が作り出したその絵は今にも壊れてしまいそうなぐらい繊細で、それでいて永遠にその美しさを保っていられるように力強かった。
 「綺麗だろ?」
紅い顔をしたキョンが呟いた。
自分の声がこの光景を邪魔してしまうのを恐れるような、そういう小さくて遠慮した声。
「うん、とっても」
そう言うのが精一杯だった。無粋な言葉は意味をなさないように思われた。
 「なぁ、佐々木よ、今から俺が言うことが全くの見当違いなら笑ってくれてかまわんのだが」
少し真面目な顔してキョンがおずおずと口を開いた。
 「なんかあるならよ、一人で抱え込んでないで、俺に頼ってくれて良いんだぜ? 助けになれるかどうかはわかんねぇけど、俺だって一応男だからさ多少は重いもんだってもてる。話してみるだけでも違うって言うし。
もし今更俺なんかに頼るのが…なんて思っててもさ、気にすんな、ここには中学の頃のこともこれから先のこともない、笑ったり嫌ったりしねぇから。だからそんな窮屈で陰気な顔してんなよ」
キョンの声、表情、全身から私を包み込んでいくような暖かい優しさを感じる。今まで感じていた不安の何もかもがバカらしくなった。
キョンは私がどんなことを言ったって私を嫌わないだろう。根拠は何もないけどそう確信できる。
たとえ叶わないにしてもホントの気持ちを伝えたい。恋心も、不安も、嫉妬も、何もかも。そうして強がりのない、ありのままの自分を見てもらおう。
 「ありがとう、キョン」
でも今日だけは今までどおりの親友でいたい。中学時代からずっと好きだったこの安心感をもう少しだけ味わいたいから。
 「君に話したいことがあるんだけど、また別の機会を作ってもらっても良いかな。今話すのは無粋な気がするんだ」
 「…そうか。お前のためならいつでも時間を作るよ」
優しい横顔を見ながら私は、明日の予定なかったよね、なんて考えていた。
帰るか、そういって太陽に背を向けたキョンが一瞬固まったような気がして、振り返りその視線の先を見た。
今にも泣きそうな顔した涼宮ハルヒがいた。


11


涼宮さんはほんの数秒間の沈黙のあと走ってどこかに行ってしまった。涙を見せたくなかったんだろう。
キョンは気まずそうな顔をして私のほうを見た。
 「行ってあげなよ」
私はそう言った。
そして今は一人で公園から見える景色を眺めながら、後悔している。
手を握る、そうするだけでキョンは涼宮さんを追いかけずに今も私の横にいただろう。でも私は涼宮さんを追いかけるように言った。
何故?
さっき今日は親友でいたい、そう思ったからだ。ちっぽけな自己欺瞞。大事なときにまた私は臆病になった。
どんよりしている。空じゃない、私が。夕日まだ光を放ち続けている。雲ひとつない。なんだか冷たいけど。
一つの疑問が頭をよぎる。
 ――なんで涼宮ハルヒがここにいた?――
東中だったのだから家はココから随分遠いはずだ。もし仮にただの散歩であったとしてもよりにもよって私とキョンが一緒にいるときに偶然通りかかるなんてありえるのだろうか。
そうか、偶然なんてあの子には通用しないんだった。
会いたいと思えば何時だってキョンに会える。彼女が望みさえすればキョンの心だって操ることが出来るんだろう。
なんだかドラマか何かの世界みたいだ……ドラマ?
 ――朝比奈さんは何と言っていた?
ヒロイン2人が男の子を取り合いするドラマを借りていた。
 ――誰から?
心が嫌な音をたててきしんだ気がした。渇いた笑いが口から漏れ出た。
そうか、コレも全部あの女が望んだことなんだ。
急に中学時代の親友に恋をしてアプローチを仕掛けてくる女を見てヒロインは自分の思いを確信して男の子に伝える、とかそんなような筋書きなんだろう。下らないドラマに影響されて。
一週間ばかり前に見た夢も、それから気づいたこの気持ちも、キョンのあの表情も、言葉も、全てあの女が作った紛い物…
私は何のためにずっと悩んでたの? 一喜一憂して、泣きそうになって、ようやく決意したのに。
あの女は今頃キョンに愛の告白でもしてるんだろう。そしてそれは受け入れられるだろうね、自分が主人公の話でバッドエンドを望む人間なんていない。
安っぽいドラマだ。なんて茶番。これじゃあ道化も良いところだ。
私は何のための存在? 哀れな脇役? 今までのキョンとの関係も物語を盛り上げるためだけの舞台装置? いつごろからか使うようになった男言葉も私のものではないの? 今日の日のために用意された人生?
自分の全てが否定されていく……。自分が一体何なのかが分からなくなってきた。
この意識でさえ私のものではないような感覚が立ち上ってくる。頭が痛い。
こんなことなら、最初から出会わなければ良かったのに、って思う。こんな結末じゃあまりにも――。
考えることすら無駄になっていく気がして、ただ沈んでいく太陽を眺めた。歩いて帰る気にもならない。
キョンが私のところに帰ってきてくれれば良いのに。
 「佐々木」
涼宮さんじゃなくて、私を選んでくれたら…
 「なぁ、佐々木?」
でもそれはないよね、そんなことは分かってる。
 「おいってば」
急に肩を掴まれた。
 「なにするん――」
汗だくで息の上がったキョンが立っていた。

一体どういうシナリオなの?


12


キョンの息が落ち着くのにそう時間は掛からなかった。男の体と言うのは便利なモンだ。
 「ずっとここにいたのか?」
 「そうだね。僕はここからの眺めをいたく気に入ったようだ。ずっと見ていて飽きることがない。今君に声を掛けられるまで時間の概念から僕の思考回路は自由だったようだよ。」
嘘だ。景色のことなんてどうだって良い。
 「それで、君は何でまたここに帰ってきたんだい? 涼宮さんのあの様子はほっといて良いものでは無い様に思ったけど、よもや追いつけずにどうしようもなく戻ってきたんじゃあるまいね?」
親友の仮面を被ってたしなめるように言っているけど、本当にそうであったら、と期待してる。
 「あぁ…あいつにはちゃんと追いついたよ。そんで…まぁ多分大丈夫だ。もしかしたらもうすぐ世界が終わるのかもしれんがな」
疲れた顔して笑っている。
 「多分ねぇ。それじゃあなんで?」
 「世界が無くなっちまう前にはお前と一緒いたい、そう思ったから帰ってきたんだよ」
キョンは不器用にニヤッと笑った。
言ってることが理解できなかった。何でこんなことを言うんだろう。涼宮さんは一体何が望みなの?
「普段はあいつがどんだけ不機嫌だろうと世界を失くそうとするなんて思わないんだが、なんかあいつが泣いてんの見て、ああ世界終わるかもな、なんて思ってよ。
そしたらあいつにゃ悪りぃんだけど、佐々木とここで一緒にいたいなって思ってさ。だからここに佐々木がいなかったら呼び出すつもりだった」
 「それって――」
 「俺は佐々木が好きだ。だから一緒にいてくれないか、俺と」
嬉しい言葉のはずなのに、私はそれを受け入れることが出来ない。
だって私はさっき気付いたから。この言葉もキョンの言葉ではない。涼宮さんが言わせているだけ。
また適当なところで涼宮さんが乱入してくるんだろう。
だけど、このままむざむざと涼宮さんのものにしたくない。せめて真実を伝えるぐらいは…
 「キョン、まさか君の口からそのような言葉が出てくるなんて予想してなかったな。実に驚かされてしまったよ。僕を女として意識してくれているなんてね、嬉しいよ」
キョンの表情が少し明るくなった気がした。
 「でもね、僕は気付いてしまったんだよ」
 今度は怪訝な顔するキョン。
 「キョンは知ってるかな、最近朝比奈さんはドラマに嵌ってるみたいでね。そのドラマと言うのが僕はあまり詳しく知らないんだけど、男女の三角関係を描いたものらしいんだ。
でね、朝比奈さんはそのDVDを誰かさんから借りたんだ。誰からか分かるかな? 涼宮さんだよ。DVDを持ってるぐらいだから涼宮さんもそのドラマが好きなんだろうね。
おっと、それがどうした、みたいな顔しないでくれたまえよ、大事なことなんだから。
ところでキョン、僕よりも君のほうが良く知ってると思うし、実際何度も体験してるだろうけど、涼宮さんには望んだことを現実化させる能力があるよね。
それでこう考えることは出来ないかな、ドラマを見てるうちに彼女はドラマの世界に憧れを抱いてしまった。自分もそんなような恋愛をしてみたいと思ってしまった。
そしてドラマの登場人物と言うのは往々にして個性的だよね? 主人公たる彼女自身はまぁ、置いといて、恋敵になる相手はそれなりの変人である必要があったんだろう。
それで君と親しい人間で変人ということで僕が選ばれてしまった、とね」
「スマン、よく分からんのだが」
「それがジョークのつもりなんだったら全く笑えないな。つまるところだね、
僕はキョンに恋愛感情を抱いている。でもね、それは僕の気持ちではなくて涼宮さんがそう願ったから、ただそれだけのことなんだよ。
君の僕に抱いてくれている感情も同じだよ。全部彼女の作った紛い物さ」
涙がこぼれそうになるのを必死でこらえながら私は言った。
有り体な言い方だけど、心が引き裂かれていく。キョンの固まった顔が傷を深くえぐる。
 「待てよ、そんなこと―」
 「あるわけないって? どうしてそう言い切れるんだい? 人の気持ちなんてもともと変わり易いものなんだよ。
それを少し変化されるぐらいのことが宇宙人を自分の周りに存在させてしまうような人間には不可能だって言うのかい?この世界は全部彼女の思うがままなんだろう?」
キョンは苦い顔をした。
なんで? なんで私は一番大切な人を傷つけているの?
 「それでも俺は―」
 「僕が好き? 今はそうかもしれないね。でもほんの一秒後に僕の事なんか嫌いになって涼宮さんのところに行ってしまうかもしれないじゃないか。
そしたら僕は一体どうなるんだい。一人残されて。僕は引き立て役じゃない。一番大好きなキョンが誰かに操られて僕と一緒にいるなんて、そんなのは嫌なんだよっ」
喋ってるうちに声が大きくなって、半ば叫ぶような感じになってしまった。
これ以上喋ると本当に涙が流れてしまいそうだ。
 「帰る」
私は足早にキョンの横を通り過ぎようとした。キョンが私の手を掴んだ。
やめて…下らない期待なんてさせないで…その手を離したくなくなってしまう…
キョンは私を振り返らせて、私の目をまっすぐ見た。
 「聞いてくれ、確かにこの世界は全部ハルヒが作ったもんで、あいつの思い通りかもしれん。お前が俺の気持ちを嘘だと疑っちまうのも仕方がないのかもしれない。でもな、今お前と繋いだこの手は俺のだ。誰のもんでもない。
そんでもって俺は――」
繋いだ手に力がこもる。
 「――この手を絶対に離さない」
涙が零れた。さっきまでこらえていたものじゃない。キョンはゆっくりと力強く私を抱きしめた。
さっきまで渦巻いていた希望も不安もなくなった。ただキョンがいる。ただ、それだけ。
 
帰りも自転車、さっきみたいに二人乗り。幸せだ。でもこの幸せがひどくもろくてすぐにも消えてしまう気がしたから、私は荷台から自転車をこぐキョンの大きな背中をそっと抱く。
爪で、指で、掌で、腕で、肩で、胸で、鼻で、耳で、キョンを感じた。そうしているうちはずっと一緒にいられる気がした



13

 「スマン、遅れた」
ちょっと小走りで待ち合わせ場所にキョンがやってきた。
 「いいよ、別に。涼宮さんたち、大事だもんね」
つい棘のある言い方をしてしまう。キョンは一瞬顔を顰めたけど、すぐに不自然なくらいに優しい顔をした。
 「スマン」
しまった。感情を隠すのが下手なキョンは傷ついたときにこの表情を見せる。
嫌われてしまったかもしれない。私は思わず目を伏せる。
 「…ゴメン」
自分でも情けなるくらい小さな声。
 「別に良いって、気にしてねぇよ」
ポンポンと頭をなでてくれた。顔を挙げるとキョンの笑顔があった。
キョンの優しさがチクリと胸を刺す。私は嫌な女だ。
付き合ってもう随分経って、キョンのことを色々知った。
大学の講義・レポート作成、サークル、バイト、なんだかんだ言ってちょくちょく活動のあるSOS団、キョンがどれだけ忙しくしているかを一番知っているのは私で、
少しでも空いた時間を私と過ごそうと並々ならぬ努力をしていることを一番知っているのも私。
今日みたいに、どうしようもなく寂しくて、会いたいとき急に、「月が一緒にみたい」なんて私が呼び出してもキョンは嫌な顔一つしないで駆けつけてくれる。
本当は「会いたかった」そう言いながら思い切りキョンに抱きつきたいと思っていても、私はいつもさっきみたいに素直になれない。
だから私は一番大切なはずのキョンをしょっちゅう傷つけてしまう。そんな私をキョンは笑って許してくれる。
大人な彼にいつまでもズルズルと甘えてしまう私はとてもちっぽけな人間かもしれない。
 「なんか買ってくか?」
 「キョンはお腹空いてる? 僕はそうでもないからさ、コンビニの菓子パンとかで良いよ」
 「俺もそんなに減ってねぇしな、そんなもんで良いか」
手を繋いで歩き出す。
私たちには別に煌びやかな格好も豪華な食事も必要ない。簡単な格好でなんてことないお菓子があるだけで構わない。
一緒にいられるなら、それだけでいい。

やって来たのはキョンと恋人になった公園。
今日は紅い夕日ではなく蒼い月を見に来た。
黒い海に朧気に月が映る。満月になるにはもう少しだけ日が掛かりそうけど、あたりをしっかりと照らしている。
私たちはベンチに座ってのんびりと空を仰ぐ。
キョンは缶コーヒーを開け、渡してくれた。少し冷えた手を温めるのはコーヒーの温かさだけじゃない。
私はキョンにもたれかかって胸に耳をつけた。心臓の音、少しだけ早くなったような気がする。
私の肩をそっと包むようにキョンは手を回してくれる。蒼い光に照らされた横顔はいつもよりも精悍。
付き合いだしてから分かったことだけど、ただ好きなだけではどうしようもない時がある。むしろ「好き」が邪魔になる時さえある。
素直になれなかったり、不安になったり、嫉妬したり、八つ当たりしたり。喧嘩なんて数え切れないぐらいしてる。
それでも二人一緒だと、どんな小さな幸せも私たちのために用意されたような気がして、キョンが喜ぶ事を何でもしてあげたい、ずっと大切にしたい、そう思う。
「恋」よりも厳しくって、苦しい、こんな感情を世間では「愛」、そう言うらしい。
でも二人を結び付けているものが、そんな目に見えないものだなんて残酷だ。
色や形があって触れるならば安心できるのに…他の女の子に嫉妬なんかしないですむのに。
でもそんなものは無いって分かっている。それに私の頭の中に「愛」以外にこの感情を表す言葉は無い。
だから私は彼の腕の中でこう言う。
 「キョン、愛してるよ」
 「おう。俺もだよ」
 「ちゃんと言って?」
キョンと目が合う。頭を照れくさそうに掻いて、少し困ったような顔をしていた。
 「俺も愛してるよ」
どちらともなく、顔を近づけて唇を合わせる。
素直じゃない私に惑わされないで、ずっとこうして寄り添っていてね、キョン。

どこかでカナリアが鳴いた。



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年05月08日 01:31
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。