44-157「―佐々木さんの消滅―ep.04 彼女の想い」

ep.04 彼女の想い

(side sasaki)
目覚めたのはベッドの中だった。遮光カーテンのせいで部屋は暗い。枕元の時計を見るとまだ五時過ぎだ。
私は昨日彼が買ってくれたパジャマを着ていた。彼がベッドに運んで、朝倉さんが着替えさせてくれたのだろうか。
床に敷いてある布団は空だった。寝具は乱れておらず、そもそも人が寝ていた形跡が無い。

喉の渇きを覚えた私はよろよろとベッドを降りてキッチンに向かう。
昨夜の頭痛は治まっていたが、頭の中に靄がかかっているようで、状況をはっきりと認識できない。
キッチンのライトをつけ、勝手に冷蔵庫を開けさせてもらう。麦茶があったので台所においてあったコップに注いで喉を潤す。
これは昨日彼の家で飲んだものと同じだ。してみると、あの麦茶も朝倉さんが作ったものなのだろう。
ただの友人がわざわざ家に来て麦茶を作って冷やしておいてくれるとは考え難い。
やっぱり、彼と朝倉さんはつき合っていて、もしかすると男女の仲なのかもしれない。
友人だの護衛だのというのは、私を安心させるために言ってくれただけなのかも。こんな私なんか……
どうも私は一度ネガティブな方向へ思考が向くと際限なく負のスパイラルに墜ち込む人間のようだ。
いけないいけない。今は彼の言葉を信じて、いつか私が昔のことを思い出したら、また彼と一緒に……
私は何気にリビングの方を見た。そして、早朝に目覚めた自分を呪った。

リビングにあったソファーがマットレスのように展開されていて、そこに彼が寝ていた。
その隣には彼にぴたりとくっついて朝倉さんが寝ている。広がった豊かな黒髪に隠されて顔の部分は見えないが、
覗きに行く勇気は私には無かった。
やっぱりそうなんだ。嘘つき。私には色気も胸も、ついでに記憶も無い。こんな私よりも朝倉さんの方が良いに決まっている。
私は何を期待していたんだろう。私の彼氏だったなんてうまいことを言って、きっと私を何かに利用しようとしているに
違いない。どうして? 何故? また頭の中がぐるぐるしてきた。
空になったコップをキッチンの台に置くと、カタンと意外に大きな音を立ててしまった。そのせいか、朝倉さんがぴくっと
動き、素早い動作で起き上がってこちらを見る。
私は逃げようとしたが、目が合ってしまい動けなくなった。朝倉さんも、しまったという表情でこちらを見ている。
私は何か言おうとしたが、口が動かない。ついでに体も動かない。朝倉さんは立ち上がるとこちらに向かって歩いて来る。
嫌だ。来ないで。

「本当にごめんなさい」
寝室のカーペットの上に座った朝倉さんが頭を下げる。ベッドに座った私は、何も言えないままそれを見ていた。
「本当に彼との間には何も無いの。わたしが一方的に好きなだけ」
「信じられません。だって、二人はどうみても以心伝心だし、お似合いじゃないですか」
何をしていたかは質問できなかった。口にすることで自分が惨めになりそうだから。
朝倉さんはふるふると首を振った。
「そう見えるのは嬉しいけど、本当に何も無いの。でも……」
朝倉さんは眠っている彼にこっそりキスしたことまでは認めた。だが、彼に何かそういうことをしてもらったことは
無いのだとも言う。全く信じられない。
「それはね、キョン君の中にずっと佐々木さん、あなたがいたからなの」
「私が?」
「そう、キョン君は自分にだけ残されたあなたの記憶をとても大切にしていたの。わたし達がこれまで解析して
 判明した彼の特殊な能力のひとつがその記憶の保持なの。わたし達の仲間に喜緑さんという主に事件の後処理担当の
 インターフェースがいて、彼女は極めて高い情報操作の能力を持っているのだけど、その彼女をもってしても彼の
 記憶には手が出せなかったそうよ。彼はあなたが消える前に情報操作をしたと思っているけど、本当は違うの。
 キョン君は自分が能力的には一般人だという信念があるから、わたし達がそうだと言っても笑って取り合ってくれない
 でしょうけど」
「彼の能力については理解できましたけど、もし朝倉さんのことを本当に好きではないのなら、もっとつれない態度をとる
 べきだと思うんです。私が見た限り、彼はあなたにとても優しいと思いますけど」

朝倉さんは淋しそうに微笑む。
「それはね、キョン君のもう一つの特殊能力のせいなの。彼はどんな属性の相手であれ、ありのままを受け入れ、
 普通に接することができるのよ。涼宮さんや昔のあなたのような世界改変能力者、長門さんや私のような宇宙人、
 それに未来人や超能力者でも怯えたり恐れたりせずに普通に接してくれるの。普通の人間であれば抱くであろう
 感情を彼は持たないのよね。ただ、彼は女心には極めて鈍感なくせに紳士的でもあるから、彼に好意を抱いた
 特殊な属性をもつ女の子達は苦労しているのよ」
朝倉さんの話は私を元気付ける内容ではなかった。私も特殊な属性を持っていたらしいが、今は認識できない。
それに彼の周囲には朝倉さんに勝るとも劣らない女性達が何人もいるようなのだ。
その中で私が選ばれた理由が分からない。記憶が戻れば分かるのかもしれないが、分かることが怖いような気もする。
「だから佐々木さん、あなたはキョン君を信じて、キョン君の傍にいてあげて。わたしのことは気にしなくていいから」
朝倉さんはにっこりと笑みを浮かべる。でも、私にはその笑みがひどく悲しいもののように思えてならなかった。
「朝倉さんは本当にそれでいいんですか?」
朝倉さんの笑みが消えた。
「佐々木さん、あなたって優し過ぎて残酷だわ」
朝倉さんはそこで言葉を切ると、目を伏せて一気に想いを吐き出し始めた。
「それでいいわけないでしょ。本当はわたしだってキョン君のこと大好きなんだから。誰にも渡したくないって思ってるん
 だから。せっかくこうしてキョン君と二人でいられるようになったのに、あなたが現れたらキョン君はあなただけを見て
 しまう。キョン君の傍にわたしの居場所はなくなってしまう。そんなのは嫌なの。わたしがそんなことを言う資格がない
 のは分かっているけど、でもどうしようもないの」
「……」
朝倉さんが本当に彼のことを好きなのは痛いほど分かった。彼女は宇宙人かもしれないが、その感性と感情は人間の
女性と変わらない。いや、これほど一途に素直に自分の気持ちを吐露できる人間の方が少ないかもしれない。
私はどうなんだろう。今の私には彼との記憶がない。彼は今も私のことを愛してくれているのだろう。けれども、今の私の
ぼんやりとした頭では彼に対する気持ちもぼんやりとしたままだ。
朝倉さんは袖でごしごしと涙を拭った。
「ごめんなさい。取り乱したりして。わたしはクールでさばけた性格のインターフェースとして構成されているはずなの。
 だからこんなになるのはおかしいのよね。わたしってやっぱり不良品なのかな」
私は思わずベッドから降りて朝倉さんの手を取っていた。
「朝倉さん、今の私には記憶が無いから自信がないの。もし私がこのままだったり、記憶が戻っても前のように彼に
 接することができないのなら、私に遠慮しなくていいわ」
朝倉さんは一瞬ポカンとしたが、すぐに厳しい視線を私に向けた。
「あなたそれ真面目にそう思ってる?」
「ええ」
私がそう答えるなり、弾くような勢いで朝倉さんは私の手を振りほどくと、睨みつけてきた。
「冗談じゃないわ。そんな簡単に諦めるなんてわたしは許さないから」
「え……」
「あなた、キョン君の気持ち考えてる? 誰もあなたのことを覚えていない、あなたに関する情報が全て消えている
 絶望的な状況の中で、この二年間、ずっと大事に大事に守ってきたあなたへの気持ちを。
 それなのに、あなたがそんな気持ちでいるんじゃキョン君が可哀相よ。
 あなたは何が何でも記憶を取り戻さないといけないの。キョン君の気持ちに応えてあげないといけないのよ。
 そういう風に思えないのなら、今度こそ完全に消えちゃってよ。できればキョン君の辛い記憶も一緒に消してあげて。
 最初から諦めてダメだった時のことを考えてどうするのよ」
朝倉さんは真剣な目で私を見つめている。彼を愛するがゆえに、報われなくても彼の幸せを願っている朝倉さん。
それにひきかえ私はどうなんだろう。最初から一歩ひいてる。どうすればうまくいくかを考える前に、うまくいかなかった
時のことなんか考えて。
「……そうね。ごめんなさい。私が悪かったわ。記憶が戻るように頑張ってみる。もし、戻らなくても彼を信じてついて
 いけばいいのよね」
そう、記憶が戻るに越したことはないが、戻らないからといって彼を諦める必要は無い。
「そうよ、佐々木さん。わたしもできる限り応援するから頑張ってね。
 あ、わたしが応援するのは、もちろんキョン君のためにだけどね」
朝倉さんの笑みがまた淋しげになった。

彼が起き出してきた時には、私達は朝食の準備をほぼ整えていた。
朝倉さんの料理の腕は大したものだ。昨夜もそうだったが、とても宇宙人とは思えない手際の良さで、次々と
魔法のように作られていく。私も手伝ったが、お世辞にも手際が良いとは言えない出来だった。
「佐々木さんにも手伝ってもらったのよ。どれが彼女の作品か分かる?」
「うーん、どれも見た目では朝倉のと区別がつかんな」
そんなに朝倉さん作の朝食を味わっているんだろうか。何も無いと言われても、どうしてもまた疑ってしまう。
彼は次々とおかずに箸をつけていく。そして、玉子焼きを頬張った瞬間に彼の顔色が変わった。素早い動作で
もう一切れの玉子焼きを食べてから彼は私に顔を向けた。
「この玉子焼きは佐々木の味付けだな」
「うふふ、さすがね。正解よ」
朝倉さんがにこにこして応じた。
「佐々木、お前は覚えていないだろうが、中学の時に弁当持参のイベントがあると毎回お前が弁当を作ってきて
 くれてな、いつも入っていたのがこの玉子焼きだったんだ。懐かしいぜ……」
彼が急に目頭を押さえたので、私は何か変な味をつけてしまったのかとドキドキした。
「ああ、すまん……いや、何というか、見た目や声だけじゃなくて、今のお前が昔のお前だって証拠が手に入った
 ような気がしたんだよ」
「あら、そうなんだ。良かったじゃない」
朝倉さんはまたにこにこしているが、何となく淋しそうに見えるのは、朝の一件があったせいでそう見えるのだろうか。
いや、恐らくはこうして証拠を見つけるたびに、そして私の記憶が戻るたびに朝倉さんは辛い思いをするのだろう。

朝食が終わると彼は着替えと今日の講義の準備があると言って、一人で自分のアパートに戻って行った。
二人とも大学に行くので同じ電車に乗る約束をしている。いつもそうしているそうだ。一人でいても仕方がないので、
私も一緒についていって待つことになっている。歯を磨いた私は、後片付けを手伝おうとキッチンを覗いた。
朝倉さんが玉子焼きが載っていた皿を手にしてじっと見つめている。私が傍にいるのにも気付かない様子で、
唇をぎゅっと噛みしめて。私にああは言ったが、やはり割り切れないのだろう。
彼のこと、そして私も覚えていない彼と私の時間。
「朝倉さん、洗い物は私がしましょうか?」
私が声をかけると、朝倉さんは飛び上がらんばかりにびくっと反応した。
「え? あ、ああ、いいのよ。わたしがやるわ」
慌てて皿を洗い桶に入れる朝倉さん。皿がぶつかり合って派手な音を立てる。
自分がやると言ったのに、朝倉さんの手は止まっていた。
「朝倉さん、やっぱり彼のことを?」
「ごめんね。あんなこと言ったけど、そう簡単には諦められないわ」
暗い表情で俯く朝倉さんを見て、ここにいつまでも世話になるわけにはいかないなと私は思った。
これ以上私がここにいると朝倉さんはもっともっと辛い思いをするだろう。
今日上京して来る長門さんや古泉さん達にも相談し、なるべく早くこの家を出よう。

私はキャンパスのベンチに座って、二人が講義を終えて出てくるのを待っていた。
五月もそろそろ終わりで、陽射しは既に夏の色を帯びているのだが、幸い今日は薄曇で気温も高くない。
行き交う学生達を眺めながら、もし私がそのまま彼と一緒にいたら、今頃は学生としてこのキャンパスにいたかもしれない
などと想像してみたりする。

私の服は朝倉さんが貸してくれたものだ。サイズがちょっと大きかったが、情報操作でフィットするように直してくれた。
こういう時には便利な能力だ。私が着ていた服は二年前の流行のものだから、こういうところで着て歩くには気が引けるし、
彼が買ってくれたものはいわゆる部屋着の類なので、今日の午後にまた買出しに行く約束だった。
お茶のペットボトルを傍らに置き、彼が貸してくれた文庫本を開いていると、何度も声をかけられた。ジャニーズ気取りだが
どうみてもお笑い芸人にしか見えない人達にナンパされたり、怪しい宗教勧誘に声をかけられたり、妙なバイトの話を持ち
かけられたり。どれも撃退するのは簡単だったが、いろんな人がいて大学というのは面白いところだ。

そういえば、これから私はどうすればいいんだろう。両親が私のことを覚えていてくれれば家に帰ることもできるだろうが、
彼の話を聞く限りそれは難しいようだ。私は存在しないことになっているのだから。できればどこかの高校に編入あるいは
高卒認定をとって大学に入りたい。敷居は高いが、ここに入れればベストだろう。彼と同じ大学に通えたらいい。
あ、私は二年後輩になるのか。生まれたのは18年前だけど、実年齢は16歳だから。
いや、もっと大切なことを忘れていた。私はどうやって生活費、そして学費を稼げばいいんだろう。
存在しないはずの人間がつける仕事など高が知れている。彼に全面的に頼るわけにもいかない。
彼も学生だから学業が本分なのだ。これ以上迷惑をかけるわけにもいかないだろう。
自分がいかに無力でちっぽけかを思い知らされる。体一つで異世界に放り出されたようなものだ。
幸い頼れる人達がいるだけマシだけど。

文庫本はさっきから全然ページが進んでいなかった。私は小さく溜息をつく。ああ、いけない、暇そうにしていると
声をかけられてしまうから、文庫本に集中しているふりをしていろと言われていたのだっけ。
「すまん、待たせたな」
彼の声がしたので私は顔を上げた。彼の隣に朝倉さんが寄り添うように立っている。同じ講義だと言っていたから
一緒にいるのは当然なのだろうが、並んでいる姿はとてもお似合いだ。教室でも並んで講義を受けていたのだろうと
思うと、ちょっと妬けてしまう。

お昼は学校の近くの定食屋に連れて行ってもらった。学生風の男女で溢れかえっている店は賑やかだ。
おすすめのものを教えてもらい注文するとすぐに出てきた。値段と量と出てくる早さが命で、味は二の次なのだと彼が言う。
それでも十分においしかったが、小食の私は結構残してしまった。すると残ったものを彼が食べてしまう。
私が唖然としていると、
「いや、すまんすまん、つい昔の癖でな」
中学の頃、給食で私が食べきれない分をいつも彼にあげていたのだそうだ。
朝倉さんの方をちらっと伺うと、また淋しそうな顔をしている。

「お、キョン、珍しいな。今日は奥さん以外に連れがいるのかよ」
レジに並んでいると彼と同じくらいの年恰好の男子学生が声をかけてきた。『奥さん』というのは朝倉さんのことだ。
事情が事情だけに仕方ないのだろうが、いつも朝倉さんと一緒にいるから夫婦呼ばわりされるのだろう。
「ああ、ちょっと知り合いの娘さんに大学を案内しているんだよ。この子は試験休みなんだ」
彼は適当な話をして誤魔化す。
「へえ、奥さん以外にもこんなに可愛い子が知り合いにいるなんて羨ましいぜ。お嬢さん、是非ウチに来て下さいよ」
男子学生は軽口を叩いて店の奥に行ってしまった。
店を出ると今度は眼鏡をかけた女子学生が声をかけてくる。
「涼子、寝坊でもしたの? お昼が外食なんて珍しいじゃない。いつも愛妻弁当なのに」
朝倉さんがうろたえた表情で口をパクパクしているのをニヤニヤしながら見ていた女子学生はそこで私に気付いた。
「あ、お連れさんがいたのね。こりゃ失礼。じゃあね~♪」
なるほど、普段は朝倉さんと二人仲良く彼女が作ったお弁当を食べているのだと把握した。

何でこうもモヤモヤした気分になるのだろう。自分では分かっているつもりだったのに、いざ彼と朝倉さんが仲良く
している証拠を見せつけられると不安になってしまう。
「おーい、佐々木、待てよ」
待ってあげない。私はキャンパスの通路をずんずんと歩いて行く。どうせ私なんかあなたの相手に相応しくないんだ。
朝倉さんみたいに細やかな神経を持った尽くすタイプがお似合いじゃないの?
「おい、何を拗ねてんだ。ガキじゃあるまいし」
「どうせガキですよーだ。私はまだ十六なんだから」
「あ……そうか、すまんすまん、今のお前はまだ高二だったんだよな。すっかり同級生のつもりでいたぜ」
彼は照れ隠しに頭を掻いた。なるほど、そういうことか。彼は私を同い年として扱い、私は彼を年上の男性として
意識していたのだ。彼の遠慮のなさは同級生の気の置けない相手に対するそれだったのか。私はそれを子供扱いだと
思い込んでいたようだ。でも、どっちが正しいのだろう。今でも違和感があるのに、記憶が戻ったときのことを考えると頭が痛い。
「ここで待ってろよ。次の講義は大教室なんで出席とったらすぐに出てくるから」
彼はそう言い残してまた朝倉さんと一緒に教室棟に入って行く。以前は部外者も入れたのだが、最近いろいろ物騒なので
教職員と学生以外を入れないために入口でカードを通すようになったのだそうだ。
大教室での講義も出席はカードでとるのでカードリーダーに通したら出てきてしまっても出席扱いになるのだと彼は言った。
大学生なので講義を受けないことによるリスクは自分でヘッジしろということだろう。朝倉さんのことだから講義の内容は
後でも分かるよう何か細工をしているだろうし。

私はまたベンチで文庫本を読んでいるふりをする作業に戻った。
「失礼ですがお一人ですか?」
また声をかけられた。正直鬱陶しい。ちらっと上目遣いで見ると、ホストみたいな恰好の人だ。
この手のナルシストじみた人は気持ち悪くて嫌いだ。無視しているとさらにしつこく話しかけてくる。
この大学にもこんな変なのがいるとは思わなかった。
「しつこいですよ。私は待ち合わせしてるだけですから、あなたとお話しする気はありません」
「へえ、待ち合わせ? もしかして相手も女の子かな?」
馴れ馴れしいのも嫌いだ。無視しているとホストみたいな人は携帯で誰かと話している。数分後、ホストの数が
三人に増えた。
「キミ高校生でしょ。こんなところで遊んでていいのかなー」
「ヒマならお兄さんたちといいことして遊ばないかい?」
「キミみたいな美人が一人淋しく待ち合わせなんて似合わないよ」
もう鬱陶しいを通り越してウザい。腕に触れようとして伸ばされた手を叩くと、一人が怒り出した。
「ガキのくせにお高くとまってるんじゃねーよ!」
私はチラッと喚いているホストまがいの方を見て、また文庫本に目を落とした。次の瞬間、強引に手を引っ張られる。
「きゃっ」
私は振りほどこうとしたが、力では全然かなわない。怖くて声も出ない。
「あなた達、わたしの可愛い後輩に何しているのかしら?」
背後で朝倉さんの氷のような声が聞こえた。

「おい、あれ政経の朝倉涼子だぜ」
「すげー、美女二人まとめてゲットだぜ」
ホストまがい達のヒソヒソ声が私の頭上で聞こえる。私たちはポケモン扱い?
「あのー朝倉さん、せっかくなので俺達につき合ってくれませんかね」
無謀な発言が飛ぶ。無知ゆえの傲慢とは良くも言ったものだ。
私は腕をつかまれたまま必死に首を回して朝倉さんの方を見る。
朝倉さんは哀れむような微笑をたたえてこちらを見ていた。圧倒的な実力差を認識している者の余裕の微笑みだろう。
「その子を離してくださる? わたしとしては穏便に済ませたいのだけど」
「その前に是非俺達と一度つき合ってもらえませんかね?」
「うん、それ無理♪」
朝倉さんが明るい口調でそう応じ、愛らしい笑顔を浮かべると、周囲の様子が一変した。
薄曇の空は極彩色が渦巻く天井に変わり、四方にもいつの間にか壁が出来ている。
「うわっ、何だこれ?」
「マジかよ」
ホストまがい達がうろたえた様子で喚きたてる。
「おい、体が動かねえぞ?」
それはお気の毒に。私は動けるので、彼らの手の中から簡単に抜け出した。
「佐々木さん、今のうちにこっちへ来て」
言われなくてもそうする。私が彼女の背後に駆け込むと、朝倉さん手の中に光の粒が集まり、昨日見た
アーミーナイフが構成されていく。朝倉さんはふふっと笑うと、宙に浮き上がり三人の方へ飛んで行く。
物理法則って何それ状態の光景を見て本当にこの人は人間じゃないんだなと私はのんびり考えていた。
「うわーっ」「ひいいい」「やめろー」
彼らの悲鳴が上がる。朝倉さんが戻ってくると、動けない彼らのズボンがずり下がっていた。
いえ、正確にはズボンとその下にはいていたものもずり下がっていたわけで……
「あらあら、レディーの前でご開帳なんてはしたないわよ」
「ひいいい」「やめろー」「化け物だー」
「失礼ね。わたしは化け物なんかじゃないわよ。さて、次はどうして欲しいか教えてくれる? 二度と悪さできない
 ようにその股間の矮小で不快なものを切断してあげましょうか? それともすっぱり頚動脈を切って楽にして
 あげましょうか? ねえ、死ぬのって怖い?」
朝倉さんは楽しそうに彼らに話しかける。この人は間違いなくサディストだ。宇宙人にも特殊な性的趣味を持つ
個体がいるということなのだろうか。
「ひいいい」「たすけてくれー」「ママー」
何か変な叫び声が聞こえたが気持ち悪いので聞かなかったことにする。朝倉さんは再び宙に浮き上がると
彼らの周囲を二周ばかり回って戻って来た。彼らの服の背中がばっさりと切り開かれる。
「今度やったらそのラインから胴体を真っ二つにしてあげる♪ あ、記憶操作するから忘れちゃうわね。ま、いいか」
音符までつけて言う内容ではないと思うが、次の瞬間周囲の風景がきらきらと光る粒に変換され、その眩しさに
思わず私は目を閉じた。

眩しさが消えたので目を開けると周囲は元のキャンパスに戻っていた。
唯一違うのは目の前に下半身を露出し、失禁して気絶している先程の三人が転がっていたことだ。
すぐに女性の悲鳴が上がり、野次馬が集まって来る。
朝倉さんは何事も無かったかのように澄ました顔で私の手を取ると、
「行きましょ」
とだけ言って教室棟の方へ歩き出した。

「おいおい、こりゃ何の騒ぎだ?」
教室棟の入口で出てきた彼と鉢合わせる。
「佐々木さんをナンパして連れ去ろうとした身の程知らずが三名ほどいたので、ちょっとお仕置きしたのよ」
「あーお前またやったのか。長門からお咎めがあっても知らないぞ」
「佐々木さんを守るためには仕方がなかったのよ。申請も通ったし問題ないわ。まあ、むしゃくしゃしてたから
 少々遊ばせてもらったけどね」
「お前なあ……」
彼は呆れ顔になっていたが、不意に朝倉さんの耳元に口を寄せると何事か囁き、朝倉さんの顔が真っ赤になる。
後で何を言われたか訊いてみたのだが、朝倉さんは恥ずかしいからと、どうしても教えてくれなかった。

私達は服の買出しに行くために、校門前のバス停に向かっている。
安心したら急に怖くなった私は彼の腕にずっとしがみついていた。
「あいつらは多分付属から上がってきた連中だな。まともな奴も多いが、どんなバカでもエスカレーターで
 入学だけはできて、しかも金持ちのボンボンが多いからどうしようもないのもいるんだ。
 だがな、佐々木、女の子一人で野郎三人に喧嘩を売るなんて無謀にも程があるぞ」
「ごめんなさい」
彼の言うとおり、相手を挑発したのは私だ。人を見る目が甘いといわれたら返す言葉がない。
「でもキョン君、彼女を一人でいさせた私達にも責任があるわ。たまたま私が良いタイミングで戻ったから
 良かったけど。これから彼女の安全を確保しないといけないと思うわ」
彼は朝倉さんの発言に頷く。
「そのとおりだが、恐らくそれは古泉の仕事だな」

三人で駅ビルやらデパートやらをはしごして私の服を買い揃える。
お金は朝倉さんが出してくれた。出所は訊かないほうが良いだろう。
高校生が普段着るのに良さそうな服が大部分だが、ちょと背伸びしたのも一揃い買った。
それに下着やら小物類やらも併せて買ったので結構な荷物になった。最後にアクセサリー売り場に寄る。
彼が高校生がしていても問題ない程度のリングを買ってくれた。
「それをつけてりゃ特殊な趣味の奴はともかく良識ある奴は寄って来ないだろうからな」
彼は冗談めかして言ったが、左の薬指に指輪をしててもいいんだろうか。
「いいなあ、佐々木さん。ねえ、キョン君、わたしもリング欲しいんだけど」
朝倉さんが甘えた声で彼に言う。
「買ってやらないことはないが、お前絶対それつけて大学に来るだろ。これ以上誤解されるのは俺が耐えられんぞ」
「もう、意地悪なんだから」
朝倉さんは冗談めかしているが、本心なんだろうな。





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最終更新:2009年10月17日 17:24
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