51-764「暗号チョコレート」

 その日の塾が終わり、俺と佐々木は身を縮込ませるように帰途へと付いていた。
 春分を向かえてから10日あまり経つが直ちに暖かくなる訳も無く、まして夜空の下は真冬そのままの風が実を貫く。
 こういう日は一刻も早く暖房の効いた我が家へ帰ることが受験まで1ヶ月を切った己の身を健康に保つ最善の策ではあり、
 速やかに佐々木を最寄のバス停へと送り届け、俺は自宅へと全力でペダルを漕ぐというのがここ数ヶ月の常であった。
 が、今日はいつもの道ではなく店の立ち並ぶ通りへと歩を進めていた。珍しくも佐々木が「ちょっと寄りたい所がある」などと言ったからだ。
 他愛も無い世間話の端々に寒い寒いと言いながら10分ほど歩くと、佐々木はやおら歩みのスピードを速め、俺の前へと回りこむようにして立ち止まり、
「ココだ」
 と左手でその目的地を差し示した。視線で辿るとそこは小さなケーキ屋だった。

 少し待っていて欲しいと俺に言い残し店へと入って行く佐々木。家族の誰かが誕生日なのだろうか。
 そんなことを考えているうちに、予め注文していたのであろう、手早く店員から小箱を受け取った佐々木が店から出てくる。そして、
「はい、キョン」
 と、そのまま俺にその小箱を差し出した。事態が分からずクエスチョンマークを浮かべていると、
「今日は何月何日か言ってみたまえ」
「今日は…2月の14日。ああ、バレンタインデーか」
 佐々木は合点が行った俺の声に満足げに笑みを浮かべ、続いて小箱を顔の高さまで上げ俺の視界へと入れた。
「そういうわけだ。受け取ってくれないかな?」
 少し上目遣いの佐々木に柄にも無くドキリとさせられ思考が落ちかけた。がそれも一瞬、なんとか持ち直し、
「ありがとう」
 と差し出された小箱を受け取った。うわ、何だか無性に照れる。さらに見れば佐々木も微妙に顔が赤い。
 照れている佐々木にドキドキが加速して行く。なんだろうな。普段特に異性として気にしているわけでなく、
 下らない馬鹿話をしているような間柄なのだが、改まってこういうことされると気恥ずかしいと言うか…。

 何とも微妙な空気になったが、先に口を開いたのは佐々木だった。
「ま、まあそれは毎回自転車に乗せてもらってるお礼さ。本当は手作りで謝意を表したかったのだがね、あいにく僕らは受験生。既製品で勘弁してほしい」
 あ、ああ。お礼ね!そんな気にすることも無いのに。
「そのかわりと言っては何だが、中にクイズを忍ばせておいた」
 徐々に調子が戻ってきたのか、目を細め、くつくつと喉を鳴らせる佐々木。
「ちょっとした暗号みたいなものをね。勉強の合間にでも解いてみてくれ」
 バレンタインチョコに暗号か。佐々木らしいと言えば佐々木らしいが。
「ただ食べるよりも面白いだろう?」
 と、そんなやり取りをしているうちにいつものバス停へと着いた。折り良くバスの明かりが一つ前の信号に見える。
「それじゃあ、キョン。また明日」
「おう」
 バスが到着しドアを開ける。佐々木はステップに足をかけそのまま乗り込むと思われたが何かを思い出したように振り返り、
「そうだ。例の暗号だが解答期限は1ヶ月としよう。それと必ず一人で解くように。それでは頑張りたまえ」
 と言い残しバス内へと吸い込まれていった。
 俺はバスが走り去って行くのを見届けた後、カゴの中の鞄を入れ直し、家路を急ぐべくペダルを踏み込んだ。寒さは感じなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


『……それで、元カノとの淡いバレンタインエピソードを思い出したので自慢するために電話してきたということですか?』
 受話器から古泉の不機嫌そうな声が聞こえる。
「だからあいつとはそんな関係じゃねえ」
『はいはい。それでは続きをどうぞ』
 古泉め、分かってて言ってやがる。釈然とはしないがまあ良いだろう。

 それでだ。もらったチョコケーキにホワイトチョコで暗号が書かれてあったんだが、結局期限までに解けなかった。
 受験勉強で忙しかったし、佐々木は休憩がてらなんて言ってたが、解けない問題を考えて休まるような頭も持ち合わせてなかったからな。
 本腰入れて解いたのは最初の3日くらいだったか。学校で佐々木にヒントを求めもしたが一貫してノーヒント。
 登校日自体も減って行き、期限後佐々木と顔を合わせたのは卒業式くらいで、一応解答を求めたんだが教えてもらえずそれっきり、というわけだ。

 ここまで一息に言った俺の言葉に終始無言で聞き入ってた古泉が口を開く。
『ふむ。しかしそれでも僕に電話してきた理由は見受けられません。まだ何かあるのでしょう?』
 その通りだ。
 先日、部屋の片づけをしていたら本棚の脇のスペースから1枚のメモが出てきたのさ。
 そう、例の暗号をメモった紙がな。それで久しぶりに解読に挑戦していたんだが、やっぱり解けん。
 そこでこういうのが好きそうなお前にヘルプを頼まんとして電話したわけだ。
『なるほど。しかし佐々木さんは一人で解くようにと言ったはずでは?』
「もう時効だろ。それよりもこのままでは気持ち悪くて気が休まらん」
『………』
しばしの沈黙の後、
『…分かりました。その暗号を伺いましょう』
 よし、それじゃ言うぞ。紙とペンの用意は良いか?ケーキの表面にはこう書かれていたんだ。

【 Nirirahi in Rana 】

『………』
 またしばしの沈黙。ちゃんと伝わったよな?
『…このメッセージのほかに何か紙や文字は同封されていませんでした?』 
 いやこれだけだ。あとは変わったものは無かった。
『わかりました。こちらでも考えておきましょう。何か解ったら連絡します』
「頼んだ」
 そうしてこの日は古泉との電話を打ち切り、日付が替わるくらいまで自分でも考えていたが答えは出なかった。


 翌日。もうすっかり慣れてしまった坂を登っていると不意に横に並びかけられた。
「おはようございます」
 見ると人畜無害のスマイルを湛えた古泉が歩いている。ここで声を掛けてくるとは珍しい。
「例の暗号ですが」
「おお、もしかして解けたのか?」
「ええ。意外と簡単でした。と言うのも答えの予測がついていたからですが」
 俺が何日も悩んだヤツを簡単と言われるのは癪ではあるが気にしないでおこう。それで何て書いてあったんだ?
「……」
 古泉はしばらく俺の顔を見、それから坂の上へ視線を移動させ、
「教えません」
 …って、おい!それはないだろう。

「やはりこの暗号は佐々木さんの言う通り、あなた自身の力で解答を導き出すべきものでした。
 …少しだけ言ってしまえば書かれていたのはあなたへのメッセージでした。単純で、そしてとても真摯な、ね」
 古泉は依然として坂の上を見ている。
「なので、僕に相談したことは綺麗さっぱり忘れて、独力で解くことを推奨します」
 そうは言うがな、解けないからお前に頼んだんであって、一刻も早くこのもやもや感を解消したいのだが。
 …まあいい。今日の昼休みか放課後、長門に聞いてみるか。あいつなら一瞬で――
「やめてください」
 顔が怖いぞ、古泉。あと近い。
「ふむ。確かに長門の力を借りるのはちと卑怯な気もするか。なら不本意ながらハルヒにd」
「絶っっっ対にっ!やめてくださいっっ!!!!」
 うおう。何だそのかつてない迫力は。涙を浮かべるほどか?周りの連中が驚いてこっち見てるぞ。
「気分的には血涙を流したいほどです。…とにかく、お一人で解いてください。鶴屋さんや国木田氏ほかクラスメイトの皆さんもダメです」
 ここまで必死になる古泉も珍しい。それに免じてここは素直に頷いておくか。
「ありがとうございます」
 ようやくいつもの営業スマイルに戻る古泉。
「しかし、今までまるで見当もつかなかったものだからな。正直、お手上げ状態なのだが」
「では一つだけヒントを出しましょう。ご自宅にPCはお持ちですか?」
 首肯すると、人差し指を整った口端へと持って行き、
「ならば、そのPCの前でお考えください。あ、部室で解くのは控えてくださいね。確実に横槍が入ります」
 片目をつむりつつ言った。気持ち悪い。何だそれは。知り得る者の余裕か?
 怒気を露わにする俺に怯んだのか、額から一筋の汗を垂らしながら、
「ではご武運を祈ります。先ほど忘れろと言っておいて何ですが、解けたら感想をお聞かせください。
こちらとしても後の方針に関わりますので」
 と、意味を図りかねる言を残してさっさと早足で坂を登って行った。
 やれやれ、安い挑発に乗った気もしなくはないが…、しばらくもやもやな日々が続きそうだな。


『暗号チョコレート』

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最終更新:2013年03月03日 01:46
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