52-249「手間賃」

「さて、今年もこの時期がやってきたな、キョンよ」
「随分唐突になんだ、中河」

なんだ、とは言ったもののクラスメイトが何について
話題を振ってきたのかが分からないほど世情に疎い訳ではない。

「バレンタインだね」
「また今年もお前の一人勝ちだろうけどな」

そう、既に2年連続で知人中ナンバーワンのチョコ獲得数に輝くのがこの国木田だ。
去年など後輩先輩同級生から圧倒的な支持を集め周囲を驚かせていた。

「だな。中河にはアテがあるのか?」
「あろうはずもない。そういうキョン、お前こそどうなんだ」

ないに決まっている。あるとすればオフクロと妹くらいのものだ。

「お袋さんと妹さんだけ、ねぇ」

中河は何やらニヤけている。いるが、俺には何の事かサッパリ分からない。
いぶかしんで視線を国木田へと泳がすと、あぁ、と言った感じで視線を女子の一集団へ転じた。
国木田の視線の先を見て俺もようやく合点がいった。

俺たちと同じく昼休みの歓談に興じる佐々木の姿がそこにはあった。
全く、相変わらずコイツらは誤解をしているらしい。

佐々木とは、親の勧め――半ば無理矢理だが――で通う学習塾の同じクラスだった為、
塾、その行き帰り、そして学校でも話すようになっていた。

この事実は友人たちの格好のからかい道具になった訳だ。

「だから何度も言っているがなぁ・・・」
「佐々木さんとは付き合ってない、でしょ?」
「分かってるなら言うな」

でもなぁ、と中河はまだその話題で俺を話のネタにしたいらしい。が、そんなのはお断りだ。

「だがな、キョン。今回で中学最後のバレンタインだぞ?
 3年間家族以外誰からもと言うのは、いささかつまらんではないか」

お前が言うな、と言いたいところではあるが、コイツは去年一昨年と
部活の女子マネージャーから義理チョコをもらったという実績を作っている。
大変不幸な事に、俺の所属していた部活ではそのような存在はいなかった為に
この3人の中では唯一、後塵を拝する事になってしまったのだ。

「佐々木、ねぇ・・・」
「ボクはもらえるんじゃないかなって思うけど」
「いや、アイツはこういうイベントは回避するタイプだろう」

何事についても論理的に考えるし、企業に踊らされるようには思えない。
それこそ、国木田や中河より会話の絶対量が多い分、佐々木の事を理解しているつもりだ。
ハッキリ言おう、アイツはひねくれている。

「くっくっ、君も多分にもれず一般的な男子中学生だったという事だね」

その表情と少しの沈黙に俺は開始2秒ともたずにこの話題を振った事を早くも後悔していた。

「僕にその話題を振る、というのはキョン。戸籍上、生物学上、そして遺伝子学上、
 女性であるところの僕に対し何かしらの要求を遠まわしにされていると勘繰られても
 一向に構わない、と言う事かな?」

ほれみろ。あぁできる事なら時間を1分ほど巻き戻したい。我ながらヘマをやらかしたもんだ。
そんなつもりでそんな単語を口にした訳じゃない。と俺は今日の昼休みにした友人との
話を軽くかいつまんで聞かせた。もちろん例の誤解については端折って、だ。

「なるほど。確かに国木田君には驚かされた。一昨年の事はあまり知らないが昨年の事は
 同級の女子の間で語り草になっているほどだ」

ほう、そうなのか。

「チョコがカバンに入りきらずに手さげに入れて帰る、などと言うのはテレビの向こうか
 紙の世界の中でしか起き得ないと思っていた。それがよもやまさかだよ。
 これほど身近でそれを目の当たりにするのは、もはや刺激的ですらある」

確かに。毎年、男性アイドルグループが多数所属する某芸能事務所などでは
恒例ともなっている感があるが、逆に言えばそれ以外でお目にかかる事はほぼない。

「だろう?まぁ、4tトラック何台分、というのは些か誇張に過ぎるとは思うがね」
「そうだな。専用の配達車でも手配してるのかって感じだ」
「それで」

ん?

「実際のところ、どうなんだい、キョン?欲しいのかい?」
「お前までニヤけながら言うか・・・」

そりゃ欲しくない、と言えば嘘になる。が、口が裂けても自分から欲しいとは言えん。

「君らしいよ」

喉を鳴らせて笑う佐々木は続けた。

「そも中河がもらったというマネージャーからのチョコは十把一絡げも良いところだろう?
 果たしてそれをもらって嬉しいのかい?」
「・・・ゼロよりは良いんじゃないか」

ふむ、と顎に手を当てて少し考えるような素振りを見せて、佐々木はこう言った。

「女性の購買意欲喚起のために始まったこの一大イベントも、今や男性の自尊心を
 守る役割を果たすようになった訳か。なかなか興味深いな」

さて2月も半分が過ぎるこの日、いわゆるバレンタインデーがやってきた。
前日から、いや、週の始めから、街の浮ついた空気は学校を確実にピンク色に染め上げている。
男子も女子もどこかソワソワし、逆に独身の女性教師はピリピリしていた。

「キョンくん、ことしはもらえるといいね!」
「うるさいわ」

どうしてこういう事は女子の方が早くから興味を持つのかね。少女漫画の影響か?
最近では、少年漫画では自主規制されるような表現も平気でまかり通るらしい。
世知辛い世の中になったもんだ。

などとマフラーの口元を弄っていると校門前で後ろから声をかけられた。

「やぁ、キョン。おはよう」
「よお、国木田。おはようさん」

本日本校のメインイベンターの登場だ。

「手さげは用意してきたのか?」
「まぁ、一応。去年みたいな事はないと思うんだけど、万が一、持って帰れなかったら悪いしね」

なるほど。自惚れじゃなくそんな台詞を大真面目に吐けるのはコイツくらいのものだ。
そんな話をしていると早速だ。下駄箱。定番である。

「・・・今年も大変そうだな」

国木田は苦笑を浮かべつつ、溢れそうなチョコを1つ1つ丁寧に手さげの中へとしまっていた。


結果から言えば今年も国木田の一人勝ちだった。いや俺や中河と比べて、ではない。
学校中での話しである。それでも去年より数が少なめに落ち着きそうなのだが
それはライバルが多すぎて不戦敗を喫した女子がいるのであろう事は予想に難くない。

そんな話をしていた昼休みの事であった。

「ちょっとトイレ行ってくるわ」
「うん、いってらっしゃい」

弁当を食い終わり、午後の授業も前に用を足してトイレから出てきたところだった。

「やぁ、ちょっと良いかい?」

佐々木だった。

人目のつかない場所に来ると佐々木は綺麗に包装された何かをポケットから取り出した。
コイツ、あれだけバレンタインを悪し様に言っておいて・・・。

「すまないがキョン。これは君のではないんだ」
「は?」
「国木田君にね、渡してほしい。下駄箱や机、果てはロッカーまで既に一杯でね」

・・・一瞬期待した自分が恨めしい。そりゃそうだ。俺か国木田かと聞かれれば
誰だって成績優秀・眉目秀麗・温厚柔和な国木田に軍配が上がるだろう。
それは佐々木だって例外じゃない。

「了解。渡しておく。とりあえず事情を知らないヤツらにおかしな誤解を与えては困るがな」

苦笑しきりだ。主に自分に対して。

「ありがたい。感謝するよ、キョン」
「なに、気にするな。じゃあ教室に戻ろうぜ」
「ああ。だがその前に・・・」

そう言って佐々木は先ほどとは反対のポケットから、極々シンプルな包みを取り出した。

「?」
「手間賃、と言っては聞こえが悪いかもしれないな。だがタダでチョコを渡してもらうのも
 やや気が引けるのさ」

やれやれ、変なところで義理堅いヤツだ。

「そうかい。ま、ありがたく頂戴するさ。中学3年唯一の家族以外からもらうチョコだしな」

くつくつと佐々木が喉を鳴らせて笑う。俺もつられて笑う。
予鈴のチャイムが俺たちを包むように鳴り始めていた。


昼休みは教室に戻ると同時に終わったため、俺は5限が終わった後の休み時間に
佐々木の依頼を遂行すえく国木田のところへと向かった。

「やぁキョン。昼休みは結局ギリギリに戻ってきたんだね、佐々木さんと」

まぁな。

「えらく余裕だな、キョン。さてはもしかして・・・」
「ええいニヤけるな、中河。いっとくが誤解だ。ほら、国木田」

えっ?という表情で2人は俺の顔と、国木田の手に載せられた綺麗な包みを交互に見ていた。

「佐々木はな、国木田にそれを渡して欲しいと頼んできたのさ」
「なん・・・だと・・・」
「ま、そういう事だ。国木田、受け取ってやってくれ」

あぁ、うん・・・と国木田にしては珍しいくらい歯切れの悪そうな調子でそれを手さげへと
しまい込むのを確認すると、俺は6限の準備をすべく自分の席へ戻った。

「・・・佐々木さんが・・・ボクに?」
「うーむ・・・」

今日は塾もなく、帰宅して勉強だと家に着いた俺を迎えた妹の第一声は

「キョンくん、げんきだしてね」

であった。この妹、どうしてくれよう、と思ったがとりあえずスルーしてやった。
こういう手合いは相手をしてやる方が相手を喜ばせるのだ。

「勉強があるから静かにしてろ」

こういう時、受験生というのはありがたい肩書きだ。母親命令でそれ以上俺に
食い下がれなくなった妹は渋々居間へと歩いていった。ふっ、勝利。

「さて、問題集の続きから始めるか・・・」

目前に迫った試験である。さすがに中学生浪人は避けるべきだろう。
着替え終わった俺は机に向かい、黙々とペンを走らせた。


「ただいまー」

今日も学校が終わり、帰宅した。誰もいないのはいつもの事。
いつもと違ったのはボクの荷物くらいだろう。

バレンタインのチョコ。去年は何ヶ月かけて食べたか覚えていない。
というか思い出したくない、というのが本音。実は甘いものはそんなに得意じゃない。

「それにしても・・・」

今日もらった中に1つだけ疑問符が付属するチョコがある。

「なんで佐々木さん?」

不可解極まりないとはこの事だと思う。
日ごろ、からかい半分ではあったけど、キョンと佐々木さんはそれなりにお似合いだと思う。
キョンも佐々木さんと話してると楽しそうだし、その逆もまた然りなのだ。

そしてボクは佐々木さんと話した事などない。いや、クラスメイトなのだから
全くない訳ではないけれど、キョンに比べれば微々たるものだと思う。

彼女は少々変わっている。なんて言ったら失礼かもしれない。でもちょっと変わっている。
まずこういうイベントには参加しなさそうなタイプだ。
いつぞやのキョンの反論は残念ながらその通りだと思う。

その彼女が、なぜボクに?手さげの中から、キョンに手渡された包みを持ち上げる。

もしかして何かメッセージカードや手紙が入っているんじゃないか。
興にかられ、ボクは今年最初のチョコを封切った。

「佐々木さん、またねー」
「うん、また明日」

友人と別れて一人、帰路につく。2分少々。一人きりの通学路。
静かになってため息がこぼれた。何といっても今日は疲れた。それも当たり前だ。
人生で初めて、バレンタインに参加してしまったのだから。

あのチョコ、口にあうだろうか。失敗はしていないと思うんだけどな。

それにしても、チョコ1つ渡すのに、あんなに勇気がいるとは思わなかった。
まぁ、正確には2つだったのだけれど。
顔に出さずにいつも通りでいられたかな。おかしなところはなかったかな。
そんな事を考えながら、玄関の扉を閉めた。

「ただいま」
「おかえりなさい」

母親に迎えられ、私は靴を脱いだ。今日は塾がなく、学校から真っ直ぐの帰宅。

「ふふっ、ちゃんと渡せた?」
「うん・・・多分・・・」
「良かったわねぇ」

母には初めてのチョコ作りを手伝ってもらった。
料理はするけどお菓子作りは経験がなかったから昨晩の台所はちょっとした戦場だった。
作るのも疲れたけど、片付けも疲れた。他の女子たちはすごいなと改めて思った。

「先にお風呂に入ってきちゃいなさい。お茶を淹れておいてあげるから」
「うん、サッパリしちゃうね」

それにしてもあの友人、顔色1つ変えなかった。
日頃からそうなるように接していたとはいえ、少し残念だったり寂しかったり、悔しかったりする。

「鈍感・・・」

そうやって私は湯船に顔を沈めることにした。

夕飯を食べ終わり、またひたすらペンを走らせている。塾に入ったおかげだろう。
俺の成績はやや右肩上がりでなんとかそこそこの高校が安全圏として捉えられつつある。
が、元はかなり前途多難だった事もまた事実であり、その俺があの国木田や佐々木を
さしおいて気を抜く、などというのは言語道断の極みですらあった。

「ふー・・・っと、もう22時、か」

一息ついて俺は何となしに視線を制服へ向けた。
おもむろに立ち上がり、薄く膨らんだポケットに手を突っ込むとそこには
あの友人が手間賃がわりに恵んでくれた包みが入っていた。

「手間賃、ね」

大方、俺の話を聞いて哀れんだのだろう。まさかわざわざチョコをくれるとは思わなかった。
佐々木らしい、シンプルな包みを開けると、いわゆる生チョコってヤツがいくつか入っていた。

「・・・もしかして、お手製か?」

という事は国木田にあげたのは成功品でこっちは失敗作か?
いや、あの佐々木がそんな真似をするようには到底思えない。
それに、だ。成功でも失敗でも俺にとっては何の問題もなかった。

1つ手にとって口に放り込んだ。うまい。うまいが。

「ちょっと苦くないか?」

大人な味ってヤツだろうか。だが俺には丁度良い味加減だ。
もう1つ口に運んで俺は机に向き直り、勉強に精を出すことにした。

「おはよう、キョン」
「よう、国木田。おはようさん」

国木田はもう教室にいた。朝から教室で参考書とは優等生の鑑みたいなヤツだ。

「そういや佐々木のチョコ食ってみたか?手作りらしいがビターでなかなか美味かったぞ」
「え?」
「なんだ、まだ開けてないのか。いや、そうだよな。よくよく考えなくても
 あれだけもらってれば、当日に全部開封するだけで一苦労だもんな」

正確な個数こそ知らないし、去年より少ないという自己申告だったが
朝と帰りではその荷物の体積に明瞭な差がある事は一目瞭然であった。

「ていうかキョン、佐々木さんからチョコもらったの?」
「ああ。まぁな。手間賃替わりだってよ」
「手間賃・・・?」


キョンの言葉の端々にボクは違和感を覚えた。

「佐々木さん、おはよー」
「おはよう」

ふと、教室に佐々木さんが入ってくる。思わずボクは彼女の顔をじっと見てしまった。
すると彼女は微笑んで、唇に人差し指を当てた。

瞬間、ボクは理解した。理解して返事のかわりに人差し指を唇に当てた。
すると彼女はニヤリと笑って女子たちの輪に入っていった。

奇妙な友人との奇妙な秘密。さて、ボクの目の前で怪訝な表情をしている友人に、
ボクがもらったのは市販のチョコだった事を内緒にするのにどれだけの労力を裂こうか。

「国木田?どうかしたのか?」
「ううん、なんでもないよ、キョン―――」

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最終更新:2013年03月03日 01:47
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