65-459 ディナーへようこそ!

1.おやつの後はゲームでも

 中学時代の、ある日曜日のことだ。
「……ふう」
 週末に出された宿題に対して消極的サボタージュを実施していた所、塾帰りの四方山話の中で佐々木にあっさりと看破されてしまった。
 それでも俺は俺の寄って立つ道理による熱弁を奮ったのだが、まぁ佐々木の言わんとする、世間的、学校的、家庭的価値観に対して俺の孤立状況はいかんともしがたく、結局の所、あいつの部分的支援策を受け入れることによる全面的妥協に至ったというわけだ。
 そんな訳で俺ん家で今、二人で宿題を片付けている。
 
「……ん、さすがに根を詰めすぎてしまったかな」
 佐々木の眼が、長い睫毛越しに俺を見た。
 俺は手元のノートを指し示し、
「いや、でもお陰でそろそろ終わりそうだ。ありがとな、佐々木」
 お礼を言う。
「どういたしまして、だ。……それにしてもキョン、キミはやればできるのにどうして勉強を忌避するんだい?
 こんなのは単純な努力の単調な積み重ねだよ?」
 口元を綻ばせる佐々木の表情は、説教のそれとはほど遠い。
 俺は喜んでその話題に飛びついた。

「単純で単調なのはつまらんからだ。むしろ飽きずにやれる方が信じられん」
「努力した軌跡がそのまま結果に繋がるんだ。面白いと思うけどね」
「見解の相違だな」
「だけどね、キョン……」
 佐々木が笑みを深めたタイミングで、
 ノックもせずに、いきなり部屋の扉が開いた。
「キョンくん、おやつだよ~~」
 ノックをしなさい、といつもの如く叱り付けるのだが、やはりいつもの如く、妹の笑みに翳り一つ生むことが出来ない。……まぁ、無駄と分かっていてもやらなきゃいけないことがあるのさ。馬の耳よりはマシだろ?

「やれやれ、じゃあ休憩ってことでいいか?」
 目を向けると、
「ああ」
 佐々木が笑った。


 リビングへ入ると、すでに女の子が1人座っていた。
「おぉ、キミも来てたのか」
 慌ててその子が立ち上がる。
「おじゃましてます、お兄さん。あ……」
「おや、初めまして。キョン、誰だい? この愛らしいお嬢さんは」
 そうか。初対面になるんだな、この2人。
「ミヨキチ……あー、妹の友達の吉村さんだ。吉村さん、コイツは……」

「こんにちは。佐々木です。どうぞ宜しく」
「……あ、こちらこそ……」
 戸惑いながらも差し出された手を握るミヨキチ。
 しかし佐々木、握手とはまたずいぶん洋風な挨拶だな。なんかの冗談かと思ったぜ。
 そんな俺の思いをよそに、佐々木が目を針のようにして微笑んだ。……針?
「学校では見かけないけど、2年生でいいのかな? それとも1年生? ふふ、大人びて綺麗ね。だからちょっと見当もつかないな。もしかして私立?」
「……えっと……」
 手を握ったままこちらを見るミヨキチ。
 なんとなく庇護欲的義侠心に駆られて、俺は半歩踏み出した。
「佐々木、吉村さんは……」

「ミヨちゃんはあたしのクラスメイトだよ!」
“ミヨちゃん”に抱きついて、妹がニカッと笑う。
「あ……」
「えー……、そう、そうなんだ。ごめんね、吉村さん。大人びて見えたから見えたから勘違いしてしまったの。でも、いくらなんでも間違えすぎよね。ごめんなさい」
「いいんです。慣れてますから」
 妹を両手で抱き返しながら、柔らかく微笑むミヨキチ。
「ミヨちゃん、今日はミニシューだよ! 1人3個だって! 一緒に食べよっ?」
「うん」
 2人がミニシューの入った箱をリビングの机に持っていく。
(キョン?)
 俺も続こうとしたけれど、佐々木の目に射止められた。

(そんな顔するな。ホントに妹の同級生なんだって)
(そうなのかい?)
 まだ納得できないような、教科書を前にした時は決して見せないような顔つきを佐々木はしている。
(しかし……発育の早い子は早いんだね)
(ああ。とても妹と同い年には見えん。5年後にはどうなってしまうのやら)
 俺は万感の思いを込めて呟く。例えば身長、例えば肩のライン、その同位置エネルギーやや下の曲線、くびれから太ももに至る柔らかな道のりやその足首と指の細さときたら……。

(キョン、鼻が膨らんでる)
 佐々木が眼を眇めて俺を見上げた。
 何か言いたいようだが俺は美術的芸術品を拝見する心持ちでいただけだぞ。
 だからそんな顔をされても何ら疚しくはならないんだ。本当だぞ。ちょっと怖いがな。
「キョンくんササにゃん食べないのぉ? いらないなら4コめ、いただいちゃうよぉ?」
 おっと、油断も隙も……って、こらこら全く、どこに乗ってハシャいどるんだお前は。
「意地汚い真似はやめなさい。机の上から降りなさい!」
「はーい」
 お袋も居るんならちゃんと躾けて欲しいぜ。俺がコイツくらいの時よりずっと甘やかしてないか?

「「ふふっ」」

 何がおかしいんだか、ミヨキチと佐々木が笑った。
「ん?」
 佐々木がそれに気付き、
「……」
 ミヨキチは俯く。
 ……なんなんだろうね、この空気は。

 おやつを食べ終えて。
 そしたら妹が俺の後へやってきて、肩に手を付きホッピングしながら唄うように笑った。
「キョンくん、いっしょにゲームやろ?」
 ゲームやるって、それはつまり俺の部屋に来るということか? 俺が勉強中だっていまいち解ってないみたいだな。
 俺は再び説教しようと口を開いたが、
「あ、わたしも……ゴイッショシタイデス」
 ミヨキチにまで言われては仕方がない。
「おお、まぁ少しくらいなら……」

「キョン」
「……と思ったが、やっぱり受験生なんでな。まぁまた今度だ」
「えーっ!」
「……ソウデスカ」
「受験終わったらたっぷり遊んでやるから。だからそんな顔するな。ほら、ミヨキチも」
 なでり、なでり。
「……えへへ、キョンくん手ぇおおきいね」
「……アタタカイデス」
 二人がソワソワと喜んでくれるもんだから、俺の眦が下がっても不思議はないだろう?
「キョン」
 なのに佐々木ときたら、検事の答弁に異議を申し立てる弁護士のような目付きをした。
「っと。……ああ、分かってるよ佐々木」
 塾の課題や予習もある、時間はないって言うんだろ? 解ってるから睨むなよ。怖いから。
「じゃあ悪いなお前ら。お兄ちゃん達これから勉強だから。静かに遊ぶんだぞ」
「はーい!」
「はい、お兄さん」

 リビングを後にした俺達は、階段を上っていた。
「若い娘に大人気だね、キョン。羨ましい限りだよ」
「変な言い方すんなよ。親戚にガキが多いから慣れてるだけさ。お前だって笑いながら一緒に遊んでやればすぐに仲良くなれるぞ。簡単なもんさ」
「……そうだね。検討しておく」

 ~ その頃リビングでは ~

「心配ないよミヨちゃん。ササにゃんはいつもあんな感じだし、恋人なんてことぜんぜんないんだから」
「そっかな……」
「応援するからさ。がんばろ? ササにゃんのマの手からキョンくんを救い出して、いっしょに遊ぶんだ!」
「オオッ……」
「声がちいさい!」
「……おお……!」


2.遊びタイムはごいっしょに(1/13)

 また別の日。
「キョンくん今日も遊べない~?」
「……だから扉を開ける前にノックをしなさい。マナーを身に付けないと大人になってから困るぞ」
「はぁい」
 そして、コン、コン、とドアを叩く。
「……これでいい?」
「開けたドアにノックしても意味がないんだがな」
 やれやれと溜息ひとつ。
「まぁいい。それで何だ、遊ぶだと?」
「うん、ミヨちゃんもいっしょだよ?」
「……あの、お邪魔してます。お兄さん」
 髪を一つに結い上げたミヨキチがそこにいた。
 赤いスウェットのパーカーに、デニムのスカート。胸元にはレースの刺繍が覗いている。
 そしてさらに、ミヨキチはポニーテールであった。

「……なるほど。今日は塾もないし、たまにはいいか。よし遊ぶぞ!」
「わぁい!」
「あは、うれしいです」
 歓声を上げる二人の小学生。
 こんなに喜んでくれると俺まで嬉しくなってくるじゃないか。
「よし、じゃあ『ムジュラの仮面』の続きをやるからお前たちは攻略本を解読してくれ。
 俺が詰まったら質問するから速やかに答えるんだぞ」
「わかりました、お兄さん」
 笑顔で頷くミヨキチ。
 なのに妹ときたら仏頂面になりやがった。
「えーー!!キョンくんまだそのゲームやってたのー?」
※(『涼宮ハルヒの憂鬱』初版が2003年発行なので、中三時、2002年を想定してます)

「うむ独りだと中々やる気が出なくてな。こういう機会に少しでも進めておきたいと――」
 俺の懇切丁寧な説明を、妹が遮った。
「見てるだけなんてやだー! スマブラやろスマブラっ!」
「だがこの描写の芸術的美しさを鑑賞する事で感受性がだな」
「やだ! スマブラっ!」
「……く、仕方ない。次は手伝えよ?」
「うんっ!」
「返事はいいんだよな全く」
「クスクス」


「――なるほど。それで宿題を忘れたという訳かい?」
 笑顔のまま嘆息するという器用な真似をして、佐々木は俺を見た。
「まぁ、なんだ。途中まではやったんだぞ」
「で、足りない分は写させてほしい。……そう言うんだね?」
 円弧を描く眼差しのまま、俺を覗き込んでくる。
「……うむ。まぁ概ねその通りだ」
 なんとか頷く俺。
「構わないよ」
 あっさりと応えて席へ向き直り、
「ただしココとココの証明文は表現を変えてくれよ」
 佐々木はノートを取り出して、俺の机に広げた。
「わかってるって! サンキュー佐々木っ!」
 早速自分のノートを取り出し、俺は模写に取り掛かった。

「それでだ、キョン」
「お、なんだ?」
 残された時間は少ない。
 眼と手はノートへ走らせたまま、口と耳だけで会話に応じる。
「その、吉村さんは、そんなに遅くまで君の家にいたのかい? 宿題に手がつかなくなるほど?」
 変なこと訊くんだな?

「いいや、すぐ帰ったぞ。実はそん時『ムジュラの仮面』をやれなかったのが引っ掛かってな。晩飯の後ちょっとやり始めて――」
「ああ、そう」
「――気付いたら11時でな。それほど夢中になったのはやはり――」
「ノートを写さなくていいのかい? 放課の時間は有限だよ」
 心持ち、声の温度が低下したようだ。やれやれ佐々木、お前もか。あの面白さをどうして理解できないのだ?
「……お前も妹と一緒で冷たいな。俺の味方はミヨキチだけだ」
「そうか。僕がキミの敵になっていたとは知らなかった。幸い数学は4時間目だし塩を送るほどの窮状でもなさそうだね。ノートは返してもらうとしよう」
「待って佐々木大明神!」
 遠ざかるノートを押さえ込む。

「僕を横浜所属のフォークボールピッチャーみたいに呼ばないでくれ」
 佐々木が眉根を寄せる。
「なに言ってんだ。俺にとってはそんな面識もない大魔神より目の前の美しい女神さまの方がずっとありがたい存在だぞ。もう何度でも拝伏したいくらいだ。だからノート見せて」
「……全く、キミというやつは。ほら」
 嘆願の成果が俺の目の前に戻ってきた。
「ありがとう、ありがとう」
 さてさて、また何の拍子で怒るか解らん。早めに終わらせなければな。
 俺の目も手も複写を終わらせる事を焦眉と見定め加速する。

「……キミが、そんなにゲーム好きとは知らなかったな」
 ポツリと零れた言葉が聞こえた。
「いや中毒ってほどじゃないぞ。でもほら、たまにやると止まらなくなるんだ。それが面白いゲームなら尚更な」
 その素晴らしさへの共感が得られないのが、かなりもどかしい。
「なるほどね」
「ちなみに面白いといってもやはり“至高の名作”ともいえる『時のオカリナ』には及ばないがな。なんといっても自由を感じる広がりというか――」
「キョン、手が止まってる」
「おっと。じゃあ詳しい話はまた後でな」
「……やれやれ、だよ」


 ~帰り道、小学校から~
「キョンくんミヨちゃんには優しいよね」
「そっ……かな」
「だからさ、きっとおねだりすればイヤっていわないと思うんだ」
「な、なにをおねだりするの?」
「それはほら、一日デートとかさ」
「えぇえええっ?」


 ~帰り道、中学校から~
「……というわけでゲーデルの不完全性定理は数多く誤用されているというわけさ」
「いやはや。お前そんな難しい本まで読んでるのか」
「内容の難しさと、それを理解し活用できた時の喜びは得てして比例するものだからね。つい手を出してしまう。だけどキミは、どうやら違う見解のようだね」
「まぁな。必要なものは手の届く範囲、まぁ少しくらいは手を伸ばして届く範囲にあるくらいでいい。脂汗流してまで高い所にある物に手は伸ばさんよ」
「だけどソレは、踏み台を活用するだけで届く物かもしれないし、一年後には背が伸びて、容易に取れる物かもしれないよ?」
「なるほど。ゼルダでも届かない場所に見えるハートの欠片が、フックを手に入れた後では難なく辿り着けるってのがよくあるからな。まあフックを手に入れた時に、その場所を思い出せるかどうかが鍵になるが」

「キミは本当に、そのゲームが好きなんだねぇ」
 そう嘆息する佐々木に、だけど非難の色は感じられない。今度は自分が聞き役と思っているのかもな。
 じゃあと意気込みかけて、ふと思いつく。
「佐々木、お前ゲームってやった事あるのか?」
「TVゲームに限定するなら、うん、ないね」
「なるほど、それで名作たるゼルダを知らんのか。しかし今どき珍しいやつだな」
「そうかい?」
 俺は心底驚いたというのに、佐々木は平然としたものだ。
「まぁ環境の違いというやつだろうさ。『TVゲーム』なんて、普通は男子が熱中するものだろう?」
 いやでも、うちの妹は結構はまってるぞ。
「僕にも男兄弟がいたならそうなっていたかもね。だからさっきも言った通り、『環境の違い』という訳さ」
 なるほどな。

「で、興味はあるのか?」
「キミがそれほど熱中するものに、無関心でいるのは難しいね」
「そうだろーそうだろう」
「嬉しそうだね。別に僕を無理に誘わなくても、一緒にゲームをやる友達くらい他にいるだろう?」
「ゼルダは一人用のゲームだからな。対戦格闘とかと違って不評なんだ」
「“タイセン格闘”?」
「ああ。今を去ること1991年に出回ったストⅡに始まるゲームの流れでな……」
 ニコニコ笑って、佐々木が俺の話しを聞いている。

 そうして、週末に勉強がてら『お勧めゲームをプレイ』するという約束をして、俺たちは二人乗りで塾へと向かった。
 でも何でこんなに必死だったんだろうね? 我ながらよう解らん心境だ。


 ~一方その頃~
「……あーやって火曜と木曜は『二人乗り』で塾へいくんだよ。学校が休みの土曜日はぁ、違うみたいだけど」
「そ、そうなんだ……」
「でも時間の問題かも」
「え、ど、どうゆうこと?」
「仲良くなったら土曜日でも待ち合わせ。それどころか『塾へ』なんて理由も必要なくなって――」
「な、なくなっちゃうの? なくなっちゃったらどうなっちゃうの?」

「デートするんだよミヨちゃん! デートして、キスとかして遊ぶんだよ!」
「で、デート? き、き、キス? あ、あああ、遊ぶ?」
「そうなったらキョンくんの空いた時間全部、ササにゃんにとられちゃう! ミヨちゃんそれでもいいの?」
「よくない!」
「なら作戦決行だよ、ミヨちゃん……!」
「わ、わかった……」


 んでもって土曜日。
 学校が休みのために塾も午前から始まり、そして午後には終わっていた。
 つまり時間が出来たわけで、そして俺は約束を覚えていた。佐々木はどうかな?
「さて、行こうか」
 隣に立つ佐々木が俺に笑顔を向けてくる。俺は小さく「ああ」なんて答えてから、どうして土曜日は連れ立って帰らないのかを思い出していた。つまるところ塾の終わる時間は同じなのだから火曜や木曜みたいに自転車を押しながら、お喋りをして帰っても構わないはずなのだ。なのに何故それをしないのか?
 答えが知りたければ、周囲を見渡してみればいい。
 
 佐々木の肩を叩き「じゃね!」なんて去っていった女子は俺にも見覚えがある、すなわち同じ学校の女生徒だった。
 その声、態度、表情、佐々木の返事を総合して鑑みるに、おそらく友達なのだろう。そして俺は振り向かなかったけど、彼女から送られる視線を頬だったり首筋だったりに感じていた。俺になんか笑みを向けなかったか? 何かを含めて寄越すような目つきで。
 そして恐ろしい事に、この塾で同じ学校の生徒は他にもいる。
 そして尚さらに恐ろしい事に、あちこちそちこちからの視線を感じるのだ。
  気のせいか? 気のせいだと良いのだが。

「どうしたんだい? キョン」
 並んで歩き出してから、佐々木が俺を見上げた。
「別にどうもしないさ」
 とりあえず強がってみる。
 平日の夕闇の中なら『ただ帰る方向が同じだけ』と装えるが、この時間のこれはまさに『今から一緒に遊びます』といった体で、そしてそんな2人を俺たち自身は『友達』と思っていても周りの目や言葉が明らかに違う何かを指すのなら俺は何か反論すべきなのか?
 ただモヤモヤとそんな思考が渦巻く俺に、
「……キミはキミだし、僕は僕だ。そうだろう?」
 佐々木が囁いた。
「自分たちの事は自分たちが一番よく解ってるのだから、周りが誤解する可能性を気に病む必要はないんじゃないかな。疑心が暗鬼を生むだけだよ」
 俺の煩悶は、どうやら顔に出ていたようだ。頬を撫でて佐々木の言を考える。

「そうだな」
 佐々木の言う事は正しい。周りがどう思おうと、俺たちは俺たちじゃないか。
 だけどまだ沸騰しきらないヤカンから漏れるような、吐息が一つ空に零れた。
「受験が近い。誰もが神経過敏になる時期さ。だからこそ、今日の気分転換じゃないか」
 肩の辺りをポンと叩かれる。
「キミが教えてくれるゲーム、名作だって言ってただろう? ジャンル種別を問わず、名作という存在は心を打ち震わせてくれるものだ」
 いつか見た夏の星空みたいな眼差しで、
「僕はすごく楽しみにしてるよ、キョン」
 佐々木は笑った。


「きたよきたよ帰ってきたよ! ミヨちゃん準備はいい?」
「ほ、ほんとにやるの?」
「作戦はかんぺき! 迷うことないよ、ミヨちゃん!」
「う、う~……ん」

「ただいまぁ」
「おじゃまします」

「おかえりキョンくん!」
「お、おかえりなさいお兄さん、その、お、おじゃましてます」
「あれ、ミヨキチ来てたのか」
 おお、しかもポニーテールじゃないか。人形みたいに白い顔立ちのミヨキチにとても良く似合うなぁ。
「は、はい。お兄さんお久しぶりです」
 なんて眺めていたら、みるみるミヨキチの顔が赤らんでいく。
 恐縮したように頭を下げるミヨキチ。テールがぴょこんと垂れ下がり、起き上がった。

「お久しぶりね吉村さん。――と、私もキョンに倣ってミヨキチちゃんと呼んでいいかしら?」
 ニッコリ微笑んだ佐々木が、剣道家のような静けさで進み出る。
「あ、え」
 小さく単語をもらすミヨキチ。
 そんなの勢いで言っちまえばいいのに。変に礼儀正しいのも場合によりけりだぞ佐々木。ミヨキチが戸惑ってるじゃないか。
 まぁいい。フォローしとこう。
「構わないだろ。なぁミヨキチ」
「あ、はい。どうぞお好きなように……」
 そう答えるミヨキチの目は、俺を見たり佐々木を見たり俯いたりと忙しない。何だ?
「良かった。じゃあこれからもよろしくね、ミヨキチちゃん」
「は、はい。よろしくお願いします」
 佐々木が差し出した手を握り、二人が握手をする。

「で」
 俺はジロリと妹を見て、頭を掴む。
「こんな所でお出迎えなんて、用でもあるのか?」
「んふふ~」
 ふにゃふにゃと笑った後ビシっと俺を指差し、
「キョンくん勝負!」
 と叫んだ。

「は?」
 なに言ってんだバカ顔洗って眼ぇ覚ませというニュアンスを込めた単音節の返事を投げ返す。が、妹は全く動じない。
「キョンくんが負けたら明日は一緒に遊ぶからね! というか勝った人と2人きりで!」
 妹よ、お前が何を言ってるのかお兄ちゃん解らないよ。
「でキョンくんが勝ったらぁ、あたし、キョンくんのこと『お兄ちゃん』って呼んでー、毎朝やさしく起こしてあげる」
「それは等価の条件になっているのかい?」
 くつくつと笑いながら、佐々木が俺を見る。
 む、確かに寸毫心が動いたが甘く見るなよ佐々木。こんな安い挑発に、俺が乗ると思うのか?

「お、お兄さん。私からもお願いします」
 ミヨキチが頭を下げてポニーテールがピョコンと垂れた。そして垂れ下がった髪に隠れていた項がキラリと白い輝きを放ち、俺の目に鮮烈な感動を焼き付ける。瞬きしてる間に姿勢を正したミヨキチの項は隠れてしまったけれど、俺が受けた衝撃は余韻を残すに充分なわけで――
「キョン」
 脇腹に佐々木が指を刺してきた。驚きと痛みが脳天へと駆け上る。
 何をすると振り向いた俺の視線は、2ミリに細まった佐々木の眼光に打ち返されて戻ってきた。
 若干後退って動悸息切れを抑え込み、今一度左右首振りで状況を確認。

「……悪いな、二人とも。今日は、いや今日も佐々木と約束してるんだ。うん。だからその勝負を受けることは出来ないのさ」
 非常に心苦しいが、佐々木とは事前の約束であり、妹やミヨキチとはそれがない。だから論理的に考えて妥当な結論を、謝罪会見を開く社長のような面持ちで二人に告げる。
「そうなんだ」
 妹は満面の笑みでそれを受け止める。何故だ?
「じゃあ今日もお勉強なんだね」
 嘘をつくべきか、刹那思考する。
 その俺の顔を妹はジッと覗きこんでいた。
「実はね、今日はキョンと2人で遊ぶ約束をしていたのよ。何をするのかは、まだ聞いてないのだけれど」
 思わぬところからフォローが入った。佐々木だ。でもあれ? 『何をするか』は言ったよな?
「受験の合間にも息抜きが必要だと、誘われるままにここへ来てしまったの。キョン、そこで提案なんだけど」
 ニコリと微笑み、佐々木が言った。

「どうせだから、その勝負とやらを受けようじゃないか」
「え?」
 意外すぎる申し出に、俺はビックリして硬直する。
「せっかくの申し出だしね。これまでなんだかんだとキミの妹と顔を合わせることはあっても、一緒に遊んだことはなかった。それにミヨキチちゃんまでいるしね。きっと皆で遊んでも楽しくなると思う。それに」
 弦月型に唇を曲げて、
「“勝負”という響きには抗いがたい魅力を感じるんだよ、キョン」
 佐々木はそんなことを言った。細めた瞳からは真意を読み取ることが出来ない。
「……まぁ、お前がいいって言うんなら……」
「お、キョンくんノリ気になったね!? じゃあさっそく部屋にイドウだよ!!」
 俺が断言する前に妹はミヨキチの手を取って走り出した。
「あ」とか「わ」などの単音節を残しつつ、ポニーテールの美少女が階上へと駆けてゆく。うむ、何かこう微笑ましいというか是非うちの妹になって欲しい――

「キョンっ」
 耳元の声に驚き仰け反ると、満面の笑みなのに目が笑っていないという不可思議な表情で佐々木が俺を見ていた。
「上がらないのかい? もう彼女達はやる気満々のようだよ」
「あ、ああ。もちろん上がるさ」
 おっかなびっくりで俺は靴を脱ぎ、廊下に上る。
 佐々木も後に続き、振り向きしゃがんで靴をたたきに揃えていた。何となく座りが悪いので俺も同じようにしゃがんで靴を並べる。隣で佐々木が笑みを浮かべたようだったが、俺は気付かない振りをした。
 ……さて。
 何を思いつきやがったんだ? あいつは。

 俺たちが部屋に入った途端、
「では第一回、キョンくん杯スマブラ大会を始めます!!」
 妹がそんな宣言をした。
 俺はその頭を掴み、
「なぁ、何をおっぱじめる気だ?」
 と優しく語り掛けて左右に揺さぶる。
「うぁー、うぁー」
 意味のない声を上げて笑顔で揺さぶられる妹。

「あのねあのね、キョンくん最近遊んでくれないからね? 色々考えたのあたし」
「下手な考え休むに似たりって言葉を知ってるか? 知らなかったら――」
「そんなに切って捨てることないじゃないかキョン」
 軽く背中を叩かれる。
「それで? どんなルールで決着を付けるの?」
「スマブラはねぇ~~なんと! 4人対戦ができるんだよっ!? だからいっせーのでゲームして、勝った人が明日キョンくんとデートするの!」
「ちょ、ちょっとデートなんて……」
 あっけらかんと言い放つ妹。そして慌ててその肩を引くミヨキチ。

「あっそうか。ゴメンね言い間違い! 『2人でお出かけ』なんだよキョンくん!」
「その言い直しに意味はあるのかオイ」
 無粋を承知でツッコミを入れる俺。そして動揺著しいミヨキチに焦点を合わせる。
 ……ビックリするほど赤面していた。
「モテモテだね? キョン」
「うるせ」
 肩口から掛かる笑い含みの声に、俺は短く言い返す。
 そりゃまぁ確かに? ミヨキチは大人の香り漂わせる美少女だし並んで出歩いたら注目の的となり妬視の矢が集まることだろう。だけど彼女は妹の同級生であり、まだ小学生なのだ。

「……まぁ、お出かけ、ね」
「可愛らしい思い付きじゃないか、キョン」
 そう言ってまた満面の笑みを浮かべる佐々木。
「だけど私はそのゲームをやったことがないの。勝負の前に少しだけ、練習させてもらえないかな?」
「うん、いいよ!」
 そのまま妹に話しかけ、幼い発案者が大きく首肯する。
「十回くらい練習したら勝負はじめよ? そだなー、本番は五回くらいで!」
 なんともアバウトな大会規定だなオイ。
 とかなんとか呆れつつも、購入者である俺がこのゲームを嫌いなはずもない訳で。やれやれと肩を竦めると佐々木の横に腰を下ろした。

「お兄さんは見学です」
「え? なんで?」
「持ち主だから、『練習なしでいきなり本番』というハンデです」
「え、……まぁ、いいけど」
「それでもし宜しければ、私のプレイを見て改善点などをアドバイスしてください」
「おお? ミヨちゃん積極的~!」
「それはそれでハンデのような気がするわミヨキチちゃん。キョン、僕にもアドバイスをくれよ? なにせ正真正銘の初心者なんだからね」
「解ってるよ。平等になるようにすればいいんだろ?」
「おお! 『ビョウドウにマンゾクさせれば3人いっしょに相手できる』ということですなキョンくん?」
「……お前は何を言ってるんだ」
 そんなことを言いながら、練習が始まった。
 意外だったのは佐々木のゲーム適性が高かったことだ。緒戦はむろん惨敗だったが表情一つ変えず、にこやかな笑顔のまま説明書を速読し、一戦ごとに飛躍的な上達を見せていた。いや、ほんと驚くほどに。

『勝った人が明日キョンくんとデートするの!』
 妹の宣言がふと脳裏を過る。

 もし、相手が佐々木になったら?
 それでもし今日の塾の帰りみたいに、知り合いの誰かにそれを見られたら?
 土日連続で『2人で遊ぶ』俺たちをどう見て、どんな噂が立つことだろう。
 気が付けばミヨキチもみるみる腕を上げている。俺のアドバイスを瞬時に咀嚼し、反映させる理解―実行力は相当なものだった。
 それでも、佐々木の上達の方が速い。どんどん2人の実力は拮抗してゆく。

 もしミヨキチが勝ったら?
 いや別に出かけるのは嫌ではない。男どもが発する羨望の眼差しも心地よく感じられるかもしれん。
 でもなんだろう、友人の誰かにもし出会った時、それがひどく厄介な何かを誘発する危い予感がするのは? 紹介してくれ? 別に構わんさ。
 馴れ馴れしく触ろうとしたら? そこは颯爽と庇ってやるだけの事。でもなぁ、なんか指摘されたくない何かを笑いながら言われそうな……。
 あ、妹? 笑いながら負けてるようじゃ話にならんね。

 そうしてアドバイスを飛ばしながらも色々考えを巡らせて、しかし結論は降りても湧き出しても来てくれないままに。
 俺も参加しての、本番勝負が始まった。


3.一日デートは誰のもの?(1/10)


 まあ俺が勝ったわけだが。
 そもそも持ち主であり最もプレイ時間の長い俺が勝つのは自然な流れであり展開であり、合理的でもある。
 にも拘らず、対戦相手の女3人は姦しく俺に抗議を申し立ててきた。
 ……なるほど、『姦しい』という文字の通り、女3人が集結したことによる自然発火みたいなものか。
「また変なことを考えて妄想に入り込もうとしているね?」
 佐々木にしては的外れな指摘だな。俺はこの上なく現状を把握しているぞ。
「なるほど耳には届いているようだ。ならばより公平な手段による再勝負という提案には賛同してもらえるね?」
「そうだよ! なんかズルいよキョンくん!」
「私も……もう一度チャンスがほしいです」
 何か趣旨が変わってないか? というツッコミは言うだけ無駄なのだろう。

 そうは言ってもなぁ……。考える事しばし。
「……なあ、元々は勝負に勝った人物と俺が一日お出かけする、という条件なんだよな」
「そうです」
 今日はアグレッシブだなミヨキチ。顔が近いぞ。
「だから、つまりだ……」
 言いたくないなぁ。
「なになにキョンくん?」
 お前はただ遊びたいだけだろ妹よ。
「……勝者である俺が、この中から誰かを誘えばいいんだろ?」

「「「!」」」

 いそいそと佐々木が髪を撫で付け、妹が上目遣いにニヤリと笑い、ミヨキチが手を腿に挟んで親指を交差させ始める。
「キミが……そうしたいなら是非もない」
「それなら、うん。恨みっこなしだね!」
「はい。……あの、わたしもそれで構いません……」
 まあそういう訳であるのなら、だ。
 俺は微笑んで、その名前を告げた。


「なあ……キョン」
「なんだ佐々木?」
 俺は手を引かれながら佐々木を見やる。
「キミの決断は尊重する。……うん。その気持ちに偽りはない。元々そういう条件の勝負だった訳だしね」
「おお、そうか?」
 俺が口で勝てないのは佐々木だからな。お前が同意してくれるならそれだけで一安心だ。
「ただね」
 佐々木は握った手を見下ろす。
「……あまりにも予想外だったよ」

 佐々木も俺も妹に手を引かれている。
 両手を使って俺たちを牽引する妹はまるで機関車だ。そして大井川鉄道的な蒸気音を擬声しながら先を行くこいつは、きっと古式ゆかしい黒光りする煙突を生やした牽引車の気分なのだろう。
 その息が白く凝結して、空へと上り消えてゆく。
「おい、今からそんなに走ってどうする。水族館は逃げやしないぞ」
「へへー、ふふー。走りたい気分なんだよー!」
 振り向いた妹の顔は満面の笑みだった。
 まぁ、それ自体は悪い事ではないのだが。

「ミヨキチだっているんだ。もうちょっとペース落とせ」
「ミヨちゃんあたしより足はやいんだよ。平気だよ!」
「あれ、そうなの?」
 俺は振り向いて、もう片方の手が握る先を見た。
「は、はいぃ?」
 ミヨキチは顔を真っ赤にして足をもつれさせ、いかにも精一杯といった風情である。
「だ、大丈夫かミヨキチ!?」
 俺は慌ててスピードを落とした。自然、残り3人の足も止まる。
「は、はい……ご心配なく……」
「ほんとに――」
「ええもう、ホントに何ともないですからっ」
 俺が手を解いて額に触れようとすると、ミヨキチは早口で返事をして俺の手を遮った。
 どうやら元気ではあるらしい。……となれば……。

「……妹よ、嘘をつくなんてお兄ちゃん悲しいぞ」
「えー、ウソじゃないよぉ~~。……あ」
 何を思いついたのかエヘヘと妹は笑い出し、
「じゃあさ、ミヨちゃんは佐々にゃんと二人でゆっくり歩いてくればいんだよ!
 んで、キョンくんはぁ、あたしと駅まで二ニン三キャクっ!」
 とびっきりのイタズラ笑顔で振り向いた。
 やれやれ、何を言い出すかと思えば――

「ダメです!」
「それは話が違う!」

 吃驚した。俺以外の二人が猛然と反論したのだ。
「えー、でもー。ミヨちゃんは走りにくそうだし佐々にゃんはゆっくり歩きたそうだし。
 これが公平だと思うなー。そう、コウセイムシな大岡さばきだよ!」
 あのなー……。

「「嘘だっ!」」
 またもや俺の反論は先んじら――

「公正無私というのなら僕こそが次はキョンと手を繋ぐべきだ! 僕だけが彼と手を繋げていない今の状況は決して公平とはいえないっ。むしろ悪意ある思惑を感じるくらいだっ! キョン、キミもそう思うだろうっ?」
 え? 俺?
「いいえ、お兄さんはペースを落とせと仰いました『わたしのために』!
 ですからわたしと2人で手を繋いでゆっくり歩くというのがお兄さんの意思、本音なんです!」
 どうしたんだミヨキチ、いつもはもっとおしとや……。
「よく言ったものねミヨキチちゃん。お顔が真っ赤よ?
 大方興奮しすぎて熱でも出したんじゃないかしら。お家に帰って安静にするべきね」
 佐々木、それは心配しての――
「大きなお世話です! 佐々木さんこそブツブツ文句ばっかり言って! 嫌ならどうぞお帰りください!」
 おいミヨ……。
「私は帰らないわ。体調も万全だしね。
 でも“子供”はちょっとした事で発熱したりするものよ。家へ帰って静養する事を勧めるわ」
「わたしだって平気のへっちゃらです! 佐々木さんこそ帰っていいですよ!」
「あなたこそ……!」
「そっちこそ……!」

「あー、そこまでだ2人とも」
 俺は繋いでいた両手を放して、
「あっ……?」
「えっ……」
「キョン……?」
 言い争っていた2人の手を取った。

「『佐々木、ミヨキチと妹も含めて4人みんなで』ってのが俺の指定だった。お前らの条件である『手を繋いで』ってのにも従った」
 まぁ『遊びに行く』という条件だけを守り、『2人で』という項目を無視した訳だが。
「でも喧嘩ばかりして仲良く出来ないってんなら、ここで終わりにするぞ」
「「それは……」」
 2人は顔を見合わせて、うつむいた。
 もう一押しかな。
「出来るのか、出来ないのか?」
 俺が問い詰めると、
「し、しょうがない……」
「し、仕方ないです……」
 しぶしぶといった感じで頷いた。
 そんな2人に握手をさせて、
「じゃ、しばらくは2人で手繋ぎだな」
「うう……」
「むぅ……」
 ミヨキチが呻き、佐々木が息をついて、二人は手を繋いだ。
 さて、俺は誰と手を繋ぐか……。
 と見回せば、妹がニコニコして俺を見上げている。
「お前はミヨキチとだ」
「えー」
「えーじゃありません。ほら」
 押しやって、手を繋がせる。まぁあの顔を見た脊髄反射的な判断だったが……。
 あれ?
 さて、こうなると……。

「佐々木、手、いいか?」
 まぁ、こうなっちまうよな。
「え、あ、うん」
 チョコレートと間違えて碁石を口に入れたような顔をして、佐々木が小さく頷く。
 まぁ……なんだ。こういうのは躊躇すると余計恥ずかしくなるからな。
「そ、そうだね」
 俺は佐々木の手を握った。
 さて、人は歩く時その方角へと視線を向けるのが当然であり、そして俺はわざわざそれに背くほど天邪鬼な人間ではない。だから俺は自然と前方に目を向けて、しかるべくしてその景色以外の情景は目に入らなかった。妙に無口になった3人娘がどんな顔をしていたのかは、つまり俺の知るところではないわけで、まぁ知りたくないと言えば嘘にならなくもないが、しかし『見る』ということはすなわち『見られる』ということであり、つまり俺はそんな事態を避けたかったらしい。
 そして避けたいといえばもう一つ。

「ちょ、ちょっと急ごうか」
「う、うん」
「……はい」
「あ、走る? 走るの?」
 俺たちは小走りに駅へと向かった。
 知り合いに見られるのだけは、なんとしても避けないとな。


 そんな一日が終わり、夕暮れの帰り道にて。
 佐々木が喉を鳴らすように笑った。
「中々、うん。定番の……コースというのも悪くないものだね。
 むしろ定番足り得るのは、それだけの根拠があるということをしみじみと実感したよ。キョン、キミはどうだい?」
「ああ、楽しかったよ」
 お前がはしゃぐ声なんてのも聞けたしな。
「そ、それは言わないでくれたまえよ。僕も少々忘我が過ぎたと反省してるんだ」
 なんでだ。可愛かったぞ。
「な、な」
 小っちゃい子みたいで。
「……キョン、キミは少し女性の遇し方というものを知るべきだと思う」
 冗談だ。そんなに怒るなよ。

「……キョンくん」
 なんだ起きてたのか? じゃあそろそろ降りてくれ。お前を背負いながら二人と手を繋ぐってのも結構大変なんだ。
「……えへへ、キョンく~ん……」
 なんだ、寝言か? ったく。これじゃもうしばらくこの過重労働を続けるしかないじゃないか。
「ふふっ」
 お、どうしたミヨキチ。
「いえ。お兄さん、やっぱり優しいなぁって思って」
 そうか? だけど君や佐々木に背負わせるわけにもいかんだろ。
「そうじゃないです。ふふっ」
 なんだ? 思わせぶりだな。
「いえ。……その、お兄さんさえ良ければ、またこうしてお出かけしたいです」
「そうだね。こうしてみんなで遊びに行くのも悪くはない。いい息抜きになるよ」
 そうだな。佐々木の言う通りだ。
 また時間の都合がつけば、この4人で出掛けるか。
「そうですね」
「楽しみだよ」
 出掛けの険悪さはどこへやら。すっかり打ち解けた雰囲気で二人が笑っている。

「キョンくん……ニブちん……」
 だというのにこの妹ときたら。
「すっかり甘えてますね」
 くすくす笑うミヨキチ。
「頼りきった寝顔だよ、キョン。お兄ちゃん冥利に尽きるじゃないか」
 そんな風に呼んでくれないけどな。ここ3、4年。
「恥ずかしがってるんですよ」
「捻た事をしたがる年頃なのさ」
 ホントかね? 今度妹に聞いてみるとしよう。
「優しく聞いてあげてくださいよ?」
「一人の女性として、尊重してね?」
 はいはい解りましたよ。って、もうこんな時間か。
 どうせだ。うちで夕飯も食ってくだろ?
「お兄さんさえ宜しければ」
「ああ。キミが構わないなら」
 ついでだ。『優しく』『尊重した』事情の聞き方とやらも教えてくれ。食事をしながらゆっくりとな。

「「ふふっ」」

「いいですよ。お兄さん」
 そう言ってミヨキチが笑った。夕日の照り返しで輝く雲のような、綺麗な笑顔で。
「では骨を折るとしようか」
 夕日を隠した雲のように、輪郭が強い光芒を放って、佐々木が笑みを浮かべている。
「ああ」
 俺は答えて、帰り着いた我が家の扉を開けた。
「ではディナーへようこそ! お嬢さま方」
 慇懃なお辞儀を交えてね。


オマケ)自転車を止めて小銭を払い、中学時代の四方山話(『分裂』のp.69)

 喉の奥を響かせるような音。
「なんだよ急に笑ったりして」
「思い出し笑いさ。キョン、妹さんは元気かい?」
「ああ、ウンザリするくらいにな。時々耳栓がほしくなる」
「甘えたい盛りなのさ。どんと構えて、受け入れて上げなよ。それが兄たる者の矜持ってものじゃないのかい?」
「言うは易く、行うは難しさ。実際まともに付き合ってたら次の日寝込んじまうに決まってる。
 精根尽き果てたミイラになっちまうわ」
「それは大げさというものだろう? キョン。
 以前一緒に水族館へ行ったときは、帰り道に彼女を背負って帰るくらい余力があったじゃないか」
「あん時よりはでかくなってるよチンチクリンなりにな。今なら引っ叩いてでも起こして、自分で歩かせるね。
 帰り道ずっと背負い続けるなんてとてもとても……なんだよ佐々木」
「くっくっく、出来もしない冗談では誰も騙せやしないよ?」
「そうか?」
「そうさ。キミの順法精神は先刻、自転車置き場で充分に拝見させてもらったからね」
「やれやれ。とっとと声を掛けてくれればいいものを」

「少し見とれてしまってね」
「……は?」
「キミがあまりに変わっていないから」
「……少しは身長が伸びたんだがな」
「そうかい? でもそれは僕も同じだから、きっと身長差は変わっていないんじゃないかな。
 ……くっく、あの時は手を繋いでいたから、歩幅を合わせるのも大変だったけどね」
「ん? ……ああ、まぁ手繋ぎってのはなぁ」
「キミも僕も妹さんも、それに……吉村さんだっけ? みんな見事にコンパスがバラバラだったからね」
「そうだな。あー、ミヨキチといえば、あの子ますます背が伸びてな。今や高校生でも通じそうなくらいだ。
 きっと見たら佐々木もビックリするぞ」
「そうかな」
「そうさ。もう雑誌に掲載されても違和感ないくらいの美少女に成長してるからな。
 きっと同じクラスの男子連中は全員ヤキモキさせられてるに違いないぜ」

「……今でも、会ったりするのかい?」
「ん? ああ、まぁたまにな。遊びに来て、帰りに送ってやったり」
「夕飯を食べたりも?」
「する時もあるが……。それがどうかしたのか?」
「いや、なんだか懐かしくてね。水族館の後お邪魔したとき、賑やかに食べる夕食は格別の味だったから」
「なんか誤解がある気もするが、いつもがいつもあんなんじゃねーぞ?
 あん時はゲストが2人も居たからお袋が張り切っちまっただけだ」
「そうかい?」
「そうさ」
「なら今晩にでも僕がお邪魔すれば、またあの格別な晩餐を味わえるというわけだね?」
「……まぁ、そうなる、かな?」
「くっくっく、冗談だよキョン。いくらなんでも再会したその日の夜に押しかけるほど僕は厚かましくない」
「ならいいんだが」

「それよりショックだね」
「なにが?」
「キミが一瞬にしろ、僕が『再会してすぐ家まで押しかける厚かましい人間』だと疑わなかったことさ。そんな風に思われていたとは、ね」
「やー、すまんな。最近その手の厚かましい人間ばかり相手にしてるから、疑問の余地なく信じちまった。
 佐々木は良識と常識を兼ね備えた人間だというのにな」
 そう言葉を伝えると。
 喉を鳴らす、独特の音がする。

「……でも、そうだな」
「ん?」
「厚かましくなるつもりはないけれど、それでも、あんなに楽しい時間を期待するのに否やはない。
 もしキミが構わなければ……そんな機会を、もう一度設けてはもらえないかな」
「晩飯を食いに来たいってことか? 別に構わんが。
 ……そうだな、妹やミヨキチの予定も訊いて、時間が合いそうな時にまた集まるか。きっとミヨキチも喜びそうだ」
「……そうだね」
「なら早速。佐々木の電話番号、教えてもらってもいいか?」
「え? あ、……うん」
 チョコレートと間違えて碁石を口に入れたような、素っ頓狂な声がした。


オシマイ)

※作者注『驚愕』発売前にプロットを考えたため、キョン妹が佐々木を呼ぶとき『佐々木お姉さん』
 ではありません。パロディという事で大目に見てやってください。
 というか『お姉さん』って、ちょっと他人行儀すぎますよね?

作者さん:ken ◆AEiPDPXrnI
pixiv掲載作品 ttp://www.pixiv.net/novel/show.php?id=272953

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最終更新:2012年03月11日 03:24
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