66-164 火曜日と自転車の荷台

 目覚ましのベルが鳴るより早く、僕は床を抜け出す。
 さて、今日は火曜日だ。

「いってきます!」
 暖かく輝く空の下、らしくないくらい足が軽い。いつもより薀蓄が冴える。
 それは火曜日の特徴だ。

「そうかい? 嘘は言っていないつもりだよ?」
「まったくキミという奴は」

 中学校。いつものように隣の机に肘をつき、乗り出すように覗き込む。
 キミの表情はいつも通りの困り顔さ。

 休み時間を楽しく過ごし、机を合わせて給食を食べる。
 食事中に喋るだなんてはしたない? くっく。そんな事を言うなら一度彼と話して見るべきさ。
 きっと誰でもこんな気分になるのだろうと僕は確信しているね。
 これは僕にとって何より貴重な時間なんだ。

 でも、火曜と木曜は特別だよ。
 下校時間があるからね。

 二人で彼の家まで歩き、それから自転車に二人乗り。彼の荷台が僕の席。
 さて、どんな話をしよう。どんな顔をしてくれるかな?

「安心することだねキョン。キミの考えはきっと正しいさ」
「くっく。キミが思うならそれでいいよ」

 自転車だから顔は見えない。
 けれど、くく、きっと困った顔をしているのだろう。
 なんとなく額を預けてみる。体温が上がってゆく。そうだね。きっと困った顔だろう。

「くくっ」
 なんて素敵な空間だろう。
 そうとも、ここは僕の場所だ。僕の居場所なんだ。誰でもない僕の場所なんだ。

 限りある今を満喫するのは子供の特権だ。
 だから、僕は今、この心地良い空間をたっぷり楽しむべきなんだ。
 たった十数分の道のりだけど、十秒を、十分のように感じたい。もっともっと、あらゆる知覚を動員して。
 今を、もっと感じたい。

『佐々木さんらしいね』

 ふと思い出す。
 いつか国木田くんが僕をこう評した事を。
 旧交を温め、想い出を語る僕に向かって「佐々木さんらしいね」と。

 そうかもしれない。
 何故なら僕は「中立」だから。
 女には女の、男には男の言葉と思考で、常に「対等」にあろうとした。
 それは僕の主義であるとも言えた。それは思考のノイズを抑え、思考に適した状態を僕に生み出してくれるからだ。
 だがそれは、深い関わり合いを放棄するという事でもある。
 何故なら僕は「中立」だから。

 おかげで思索にたっぷり浸れる。
 代わりに深い友誼や思い出というものがイマイチ少ない。
 だから僕は、いくつかの楽しい思い出を、繰り返し楽しむことの方が多いのかもしれない。
 まるで、大きなパンに、ほんの小さなクリームを精一杯に広げて塗るように。

 オックスフォードホワイト。クリーム色をとことん希釈させたような、セピア調の明るいこの空間のように……。

『佐々木!』
「どうしたんだいキョン? 後ろを向いちゃ危ないよ?」

 あれ? なんでキョンに顔があるの?
 あれ? 何故? キョンはこんな顔だったかな?

「キョン。急がなくちゃ塾に遅れてしまうよ? それとも僕ともっと話したいとでも言うのかな?」
『冗談言ってる場合か! 一緒に戻るぞ!』
「戻る? 家にかい?」

『違う! 現実にだ!』

 急速に認識する。急速に理解する。
 あの日、彼の自室に押しかけた僕がした事。してしまった事。
 キョンの信頼を逆手にとって、口先三寸で丸め込み、理屈詰めで「強奪」して成り上がった「神様の力」の事……。
 彼女から奪いとった「願望を実現する能力」の事を。

『同意しろ現地人』

 強奪条件は僕とキョンの同意。
 彼らはキョンを「脅迫」して同意を迫った。
 だって彼は同意しないから。彼はエンターテイメント症候群であり「非日常」を愛する人なのだから。

 僕だって同意しなかった。
 なのに藤原くんは僕を「脅迫」なんてしなかった。思えばそれは、僕の本心が「同意」していたからだったんだ。
 僕の本心には心から「望むもの」があり「神様」になりたがっていたのだから。

 キョンは同意しなかった。
 結局、僕は彼を騙した。彼を「同意」させ、願望実現の能力を奪ってしまった。
 僕は欲しかったんだ。欲求が希薄な僕が、はじめて心から欲しいと思った、最高の「ご馳走」を。

 ああ、なんて解り易いトリックスター。
 神や自然界の掟を破り、誰かを騙し、物語をひっかきまわす道化者。トリックスター。

 ああ、なんてズルい仕掛けだろう。
 一度奪ってしまえば、意外と「逆」は難しいのだ。
 だって涼宮さんは、まだ「自覚」に至っていないのだから。
 彼女に「同意を得る」という事は、彼女に「神様になりたい」と強く自覚させなければならないのだから。

「キョン。何を言っているのかな? 塾に遅れてしまうよ」
『佐々木!』
 ああ、何を言っているんだ。

「それは確か北高の制服だろう? そんなもの着て、いったいどういうつもりだい? キョン? キミは何を」
『佐々木!』

 ああ、何を言っているんだ…………キミは。

 僕と塾に行くのだろう?
 さあ自転車の荷台に乗せてくれ。一緒に行こう。
 もう、私から先に降りたりなんかしないから、だから荷台から降ろさないでおくれ。

 キミと二人乗りするバランスを崩すのを、怖がったりなんかしないから。

 ……彼を捕らえているのは、カチューシャをつけた女神様。
 ……そうだよ、私が憧れたあなたなら、居場所なんて作れるでしょう?
 あなたは「仮面」なんて付けなくても友達がいるのでしょう?
 そうよ、彼の隣じゃなくても良いでしょう?
 お願いだから返してください。
 勝手だけど返してください。

 だから、キョン、私を憎まないで。キョン、キミだけでいい。身勝手だけど信じてください。
 お願いだから――――お願いだから、信じてください。
 お願いだから――

『……ああ。そうだな。一緒に行こうぜ」」
「うん。急がないと時間がないよ」
「おう。急ぐぞ佐々木!」

「しかしそんな制服、どこで手に入れたんだい?」

 ブツリ、と何かが千切れた気がした。
 私たちを包む大きな何かが、もっともっと大きな何かから、切り離された気がした。
 誰かの声がする。とてもとても聞き覚えのある声

『キョン、世界を変えるのは別にいいさ。
 ところがね、使い勝手が悪いのは、世界を変えてしまえば、自分自身も変わってしまうって事なんだよ。
 そして自分自身の変化に僕は気付けないんだ。僕は世界の要素のひとつである故に、世界が変われば僕自身も変わってしまう。
 世界を変化させた事に自身が気付けないジレンマ、力を持っても、決して認識に至ることはないのさ――――』

 とても大事な事の気がした。

 でも、そんな事はどうでもいい。
 キョンが傍に居るのだから。これは僕とキミとの物語なのだから……。

)終わり……?

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最終更新:2012年03月23日 18:30
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