66-236 佐々木さんの踏ん切り


 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
 少年老い易く学成り難し。

 僕は勉強の為に勉強に励む。
 これは学生の本分だし、そも打ち込む何かがあるのは幸せな事なのだと僕は思う。
 無為に時間を過ごすよりも、何かに打ち込み、成長すべきなのだ、とね。

 ただ、勉強の為の勉強が日常を単純化し、思考にまどろみを起こさせ、ノイズを発生させ易くしているのも事実だ。
 まあぶっちゃけると、僕は「中学三年の頃くらいが、僕には一番丁度よかったな」と思えていたのだ。
 そうやって時にセピアの想い出に浸る。

 さて、想い出に浸る僕に、つい最近だが多分に学生的な事件が起きた。
 勉強漬けで疲れた思考に、それは些か不意打ちだったし、僕はその事件に対する価値観の揺らぎを感じていた。
 僕はあの中学三年の雨の日、その「揺らぎ」と決別したつもりだった。
 だが高校になってもそれは付いて回っていた。
 もっと別の、もっとしつこい形で。

 僕はコペルニクス的転回な発想転換を願った。
 その「鍵」はきっと彼だ。そうだ。あの僕を揺るがした価値観の揺らぎともう一度向き合ってみよう。
 そう、思った。

「やぁ、キョン」
「それ、誰?」
「ああ、こいつは俺の・・・・「親友」」

 僕はもっと混乱した。
 涼宮さんという、僕の憧れだった人が「とんでもない美人」となってキョンの隣に居た事に。
 あの誰でも引き付ける太陽がキミの隣にいた事に。
 僕の感情は噴出した。

 僕の中の「女」が叫ぶ。
「僕がキミに抱いている気持ちは、ただの友達なんかじゃない!」と。
 でも言い出せなかった。だから、形にした言葉は少々歪だった。
 キョンすら戸惑う歪な言葉。

『キョン、キミは僕の親友だ』

 そんな僕に、また一つの転機があった。

「初めまして。私は橘京子といいます。・・・・・・・・佐々木さん、実は、あなたは神様なのです」
 秘密めかして打ち明けられた、到底信じられない話。

「信じてくださいとしか言えません。証拠なんてありません。でも、証人なら用意する事ができます」
「誰です?」
 橘さんは品良く笑う。

「キョンさん、って言えば解りますよね?」

 自称藤原くんという未来人と出会い、九曜さんという他称宇宙人と出会う。
 キョン、超能力者。未来人、宇宙人。なんだか解らない。でも、うん。これはまるで、そう、涼宮さんみたいじゃないか?
 唐突に訪れた非日常。ワクワクしてしまった事は否定しない。

 キョン、キミの持病、非日常を求める「エンターテイメント症候群」はどうしている?
 くく、彼らはキミに会いたいという。ならばセッティングをしてあげよう。
 僕はちょっとしたドッキリを仕掛けたつもりになった。

「佐々木、そんな奴と付き合うのはやめろ。そいつは・・・・・」
「でも、僕の敵ではないみたいなのさ」
 一年間近で過ごしたのだ。僕はキョンの内心ならある程度読める自信がある。
 明らかだった。初めて見る目線。
 それは「異物」への目線。

「でもキミの反応で解ったよ。彼女たちは本物なんだね」

 キョンの反応は今までにないもの。
 それは彼女達が「本物」であると端的に告げていた。
 橘さんの言葉は本気だった? キョンから初めて「異物」「信用ならないもの」としての視線を浴びた。
 くすくす笑いを顔に張り付け、終いには爆笑して見せた。
 そうだろう? 冗談なんだろう?
 これは、冗談なんだろう?

 僕は笑う。
 キミが笑わない。
 これは冗談ではなかった。

 僕は動揺した。

 それから電話、会談、幾度かの折衝を経た。
 要は「神様の力」「願望を実現する能力」が欲しくはないか? 僕への問いかけだった。
 そして「不安定な非日常でなく、安定した日常が欲しくはないのか?」これが彼への問いかけだった。
 僕ら二人が同意をすれば、その「力」は僕のものになるという。

 それは確かに。
 僕は彼の日常に騒動を起こしはしないし、困らせもしないだろう。
 でも彼を喜ばせるような突発的なイレギュラー、非日常もまた持てないだろう。
 それくらいは解った。

「佐々木、お前こんな話を信じたのか」
 キョン、残念だがキミのその反応が全てを肯定しているよ。

 僕もキョンもひたすらに否定した。
 特にキョンは、きっぱりと否定していた。
 彼は、今の絆を強く信じている。それだけは強く伝わった。
 だから、彼は焦った。

『連中につないでくれ。俺は奴らと話をしたい。俺は奴らに殴りこみたい。俺の仲間が傷付けられた』

 やがて彼の仲間が傷付けられた。彼の居場所が傷付けられた。彼らしくもない激情100%の電話。
 彼が必死なのは僕にでもわかった。
 彼らはキョンの敵なのだ。

 だけど僕は・・・・身勝手にも、この奇妙な冒険を、ちょっとだけ楽しいと思ってしまっていた。
 何より、彼が「僕はそんな力なんて欲しがらない」と信じてくれているのが、ちょっとだけ嬉しかった。
 僕はそんなに「凄い奴」なんだろうか。

 再び会談を取り持った。韜晦しつつも「力なんて要らない」ときっぱり言い渡す。
 僕の価値観がそれを否定していたからだ。
 まず結論が出て、理屈が後を追った。

 僕らはちょっとした冒険をする。
 ふてぶてしい未来人、理解不能な宇宙人、・・・・おたおたしている超能力者はまあともかく。
 僕らは「三悪人」と対峙する。思考ゲームでもするように。
 強大な力を持つらしいが、常に僕らに選択を強いる。
 だから、これはゲームなのだ。

 キョンと二人なら負けはしないさ。
 僕ら二人の価値観は負けない。

 ただ、不思議なのは、こうやって「宇宙人達とは言葉で分かり合える」と彼が信じているらしい点だった。
 僕らが対峙している宇宙人、九曜さんはどう考えても「理解」するには難しい存在なのに
 彼は「話せば解る」と信じている。

 ならきっと、彼の傍らにはそういう異邦者たちがいるのだろう。
 彼は、まさにエンターテイメントの中に居るのだろう。

 とはいえ、そろそろ佳境だ。
 藤原くん達は僕の意思などどうでもいいらしい。
 僕の意思がどうなるか解らないなら、最後に相談しておきたいと思った。
 そうとも、そもそも僕は「多分に学生的な事件」を追っていた。僕は「女」であるべきなのかを。
 それをどうしても確かめたかったのだ。

 でも、彼は彼の友達の事を心配し続けている。
 当たり前だ。切迫した事態だ。ならまずはそちらから片付けるべきだ。
 実行犯は「周防九曜」。その行動理念をつらつらと考え、レポートとして脳内にアップする。うん。大丈夫。
 何より大事なのは思考する事。それが僕の存在意義。

 でも彼の家に飛び込んで、彼の妹さんに引っ張られて、彼の自室で彼の匂いに浸っていると、色々吹き飛んだ気がした。
 やがて彼が帰ってくる。驚いた顔を楽しみながら、僕の口は楽しげに滑った。
 どうでもいいような、とても大切なような事を。
 誰かに例えた自分の事も。

 いやダメだ。
 僕はキョンの心配事への可能な限りのアドバイスと、それにかこつけ、自分の相談をしに来たんじゃなかったのか。
 何を言ってるんだ僕は。なんだこれは。止まらないぞ。
 ブレーキだブレーキ。

「猫というものは、どうして新鮮な水よりも風呂に入った後の残り湯のようなものを飲みたがるんだろう」
「何の話だ」
 本当に何の話をしているんだと思ったが、それが丁度ブレーキになった。
 まったく。僕の「思考」は何をしている?

 それからつらつらと語り合った。
 やっぱり彼との議論、と定義すると彼から反論があるかもしれないが……は刺激的だった。
 また舌が滑り出すのを感じる。大丈夫だ。今度は滑らない。本音なんか滑らしてない。これは藤原くん達の話のはずだ。
 だけど気付いた。

「なんだ? 美顔効果でもあるのか?」

 私の笑みが、どうやったって止まらないという事に。
 今は深刻な話をするときだ。深刻な顔の仮面は何処だ? 私の仮面は何をしている?
 我知らず両手で顔を、ぐりぐりと頬を捻っていた。
 ダメだ。私は、笑ってる。

 そこで唐突に気付いた。
 あの雨の日、僕は「キョンに女と見てもらいたがっている自分」に気付いた。
 でも僕は「誰も好きになってはいけない」と思った。それは僕の思考にノイズを与える、動物的な思考だからだ。
 もう、決して好意を振舞うまいと決め「女」としての自分を否定した。
 だから彼と別の学校を選んだ。

 でも、そうだよ、それまでの日々だって、それからの日々だって、僕は楽しかった。
 キミと共に居る事が何よりも嬉しくて、何よりも楽しかった。
 今、何よりも楽しくて堪らないのだ。

 キミと居る時、僕はいつだって笑っていたんだ。

 僕だの女だの関係ない。
 ずっと「笑顔」だった。そうだ。ずっと、私は笑っていたんだ。
 キミと語り合っていた時も、キミと給食を食べていた時も、自転車の荷台から背中を見ていたあの時も。
 私はずっと、笑っていたんだ。

 僕は常に考えていた。
 僕は思考したい。だけど情緒的感情はノイズになる。本能はノイズになる。だから性別なんて超越すべきなのだと。

 でも見たまえ、僕は今、この上ない程に思考が走っている。
 そうさ、性別を超越しようとして、僕は誰よりも性別というものに振り回されてきたのだ。
 僕は誰よりも「理性」と「本能」に振り回されて
 思考を止めてしまっていたのだ。

 僕は「性別を超越した僕」を演じようとし過ぎて、僕自身を見失っていたんだ。

 それがキミを失った原因で、そして僕がこの一年で疲れてしまった原因だったんだ。
 僕は演技なんか出来なかったんだよ。
 なんで解らなかったんだろう。

 そうさ、あの雨の日にもっと素直になっていればよかったんだよ。
 ああ、なんてバカだったんだろうね。
 キョン?

 それからの事は、実は「認識」しつつも「理解」していなかった。
 続くキミの言葉は正直言って予測外だったしね。ついつい喋りすぎた言葉に、キミがぱっくり食いついてきた。
 認識する前に即答。それは年頃の男女が二人きりで話すには、いささか刺激的な言葉だったが
 彼はあっさりと聞き流し、矢継ぎ早に質問を投げる。

「そうだね。僕の存在意義は思考すること。そして思考し続けることさ。
 考える事を止めるのは僕が死んだ時だけであり、逆説的に、考えるのを止めたら死んだも同然と言える。
 僕と言う個は消え、ただ動物的な生が残るだけだろう」

 ちょっと待ちたまえキョン。ちょっとは締まれ私の顔よ。
 自然と早口になる。自然と本音が出る。ちょっと待て思考。留まれ思考。仕事をするんだ。しすぎるな!

「僕自身は矮小だけれど、僕の思考をとば口にして、全く新しい概念が生まれないとも限らない。
 いや、正直言うと僕が産み出し、育てた何かを残したい。DNA以外でね」
「壮大な野望だな」

 虎は死して皮を留め、人は死して名を残す。

 有名な故事だが、僕の結論はまさにこれだった。
 例えば僕は本が好きだから、様々な本を読んだものだ。そしてその本は「生きている」。
 作者はとうに亡くなっていても、作者が遺した本は、読む者が居る限り、新たな感動を生み出し続ける。
 人の心に中に「生き続ける」のだ。

 人は忘れ去られた時が本当の死だとも言う。
 ならば、永遠に読まれ続ける本は、ある意味で永遠の生を持っている。
 それは僕一人の生命を遥かに超えた存在だ。

        『僕はここにいた』と、言い残すことが出来るのだ。

 だから僕は野望を抱いた。
 個体数を増やす為という動物的な生ではなく、なんらかの「形」を残せる生き方をしてみたいと。
 僕の中から生まれた、僕だけのオリジナルの言葉や概念を残したいと。
 キミにさえずっと話せなかった、この僕の夢なのだ。

 僕の小恥ずかしい希望。現在進行形の夢。
 くっくっく。そうだね。まさに「壮大な野望」だよキョン。恥ずかしくて誰にも言えなかった、僕自身の野望さ。
 思えばキミとはたくさん話したが、こんなに腹を割って話したのは初めてだ。
 それを察したのか、彼は疑問を投げかけてきた。

「佐々木。もしお前がハルヒのような力を自在に操れるようになれば、望みが叶うかもしれないんだぞ」

 くっく。まるで蛇の誘惑だね。
 でもね、エンターテイメント症候群のキミは、今を何よりも楽しんでいるだろう?
 なら、それは涼宮さんが持っておくべきなのさ。

 だけど、キミ達がエンターテイメントな非日常から帰る時はきっと来る。
 今の事件が、関係者である僕とキミと涼宮さんが「もう嫌だ」と思ったから収束しつつあるように
 キミ達が「非日常よりも、日常が良い」と心から望む日が来れば良いのさ。
 涼宮さんの無意識が、日常が楽しい、と心から望めば良いのさ。
 だから、それは涼宮さんの無意識に任せてくれたまえ。

 僕の心はそんなに綺麗じゃないんだ。
 ついこのあいだも、誰かさんに「死んじゃわないかな」だなんて思ったくらいにね。
 無意識ならまだしも自覚ありはハードルが高いね。
 蛇の誘惑は止めておくれ。

 だから私はすっとぼける。だから私は韜晦する。
 おやキョン、あからさまに「何かはぐらかされている気がするな」という顔をしているね。
 くく、中学時代を思い出すよ。そうさ、キミのその表情。

 ずっとずっと、大好きだった。

 もう「女」を閉じ込める必要なんてない。そうさ、思考を止める必要なんて無い。
 そうさ、僕はキミが好きだ。
 大好きだ。

 ああ、いつかも思ったが、これはまさに精神病だ。
 僕はキミに「神様」として選ばれるべきじゃない、なのに「私を選んで」というノイズを与えたくて仕方がないんだ。
 神様としてではない、でも「選んで欲しい」と言うノイズを与えたくて堪らないんだ。

「涼宮さんは神のような存在らしい。そしてどうやら、僕もそう思われているようだ。彼女と僕、神モドキな二人に好意を寄せられているキミに、何も出来ないなんてことはない。そう、するとしたらキミがするんだよ。物語の幕を引き、次のステージの幕を上げるのはキミの役割だ。いい加減に自覚したまえ、キョン。扉を開ける鍵はキミ自身なんだ。キミが全てのマスターキーなんだよ」

 長広舌、大げさな身振りで冗談交じりのように言い切る。
 ああ、僕も随分ヤキが回ったようだ。だって、キミは僕と涼宮さんの「神様」の選択を強いられている。
 そこに「僕の好意」を告げるだなんて、キミにノイズを与えるだけじゃないか。だから、これはフェアじゃない。
 冗談で済ますべきなんだろうね。

 でも、これくらいなら許されるだろう?

「僕は全幅の信頼をキミに抱いている。なぜなら、キョン。キミは僕のたった一人の愛すべき親友なのだからね」

 くるりと彼の部屋を見回す。
 おぼえているかい? あの雨の日にキミの妹さんと約束した、家に遊びにいく約束。
 ようやく果たせたね、キョン。

「おいとまするよ」
 じっと彼に微笑みかける。
 できればこの「間」の意味を、彼が憶えていてくれたらいいけれど。

『また、来てもいいかい?』

「実はね、キョン。僕が今日来たのは」
 おっと・・・・忘れるところだった。僕も「相談」があった。恋愛相談と言う奴がね。
 思い出したら反射的に口に出た。

 が、そのまま口をつぐむ事にする。

 だってそれを彼に相談するなんて、あまりに身勝手じゃないか。
 あの雨の日、僕は一度「彼を思う自分」を否定した。その彼に恋愛相談を持ちかけるだなんて虫のいい話だ。

 第一彼は混乱している。僕が矢継ぎ早に投げかけた本音に、とっくの昔にエラーを起こしている真っ最中だろう。
 何より、この相談に「いつかの言葉」を言われたらきっと僕は立ち直れない。
 言葉はタイミング次第、受け取る側次第で意味を変えるからね。
 彼も、僕も、いま少しの時間が必要なのさ。

「でも。キミに会えて、話が出来てよかった。踏ん切りがついたよ」

 それだけ言って、とっておきのポーズで背を向ける。
 さあ「キミの知る佐々木」のまま退去しよう。

 そうとも僕は佐々木だ。
 ほかの誰でもない、佐々木なんだ。

 なのに役者になろうとした。
 性別を超越し、変人を気取って「僕」を演じた。
 だからキミを失ってしまったし、その無理がこの一年の僕を疲れさせてしまったんだ。

 僕は好きにやればいい。全ては僕が決めれば良い。僕が本当に好きになれたのならそれで良かったのだ。

 無理して「僕」を演じる事などなかったんだ。
 周囲に「女」と言われたら、「そりゃ女さ」と笑えばいい。
 周囲に「好きだ」と言われれば、「キョン以上に僕は心を動かされたか?」と心で自分を問い詰めれば良い。
 今、僕は「基準点」を得ることが出来たのだ。

 そうさ。「わたしはわたし」。それでいいのさ。

 だけど今は「僕」を演じて立ち去ろう。
 キミの選択に、僕の好意というノイズを与えてしまわないように。

 終わり、或いは「涼宮ハルヒの驚愕(下)」に続く。

 66-178 佐々木さんのRainy Noise(驚愕(前)、Rainy day、中学時代)。
 66-209 佐々木さんの戸惑い(分裂)
 66-236 佐々木さんの踏ん切り(分裂~驚愕(前))。
 67-9xx 佐々木さんと「じゃあね、親友」(驚愕(後)時間軸)。
 67-9xx 佐々木さんと「やあ、親友」「そして」(驚愕(後)時間軸)、完結。

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最終更新:2013年03月09日 00:33
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