「春だねキョン」
「そうだな佐々木」
大学の帰り道、キョンの自転車の荷台で揺られながら桜を見上げ、桜並木に立ち止まる。
「生憎と先日の爆弾低気圧とやらで随分散ってしまったようだが……」
「まるで雪でも降ったみたいになってるな」
「おや、誌的な表現をするじゃないか」
喉奥で笑ってみせる。……ふむ。
「ふむ。忘れめや都のたぎつ白河の名にふりつみし雪の明ぼの、だったかな」
「あー。どっかで聞いた事があるような」
「キョン。南北朝時代は知ってるね? 鎌倉幕府を倒した原動力の一つにして南朝の初代天皇、後醍醐天皇……」
「ああ後醍醐天皇の」
「その皇子、息子にあたる宗良親王の遺した歌さ」
「また随分だなそれ」
「そうかい?」
「後醍醐天皇の勢力が鎌倉幕府打倒後に分裂したのは覚えているね?」
「さすがにそのくらいは覚えてるぞ」
「それが南北朝時代だね」
大覚寺統と持明院統はまあ置いておこうか。
「その息子、宗良親王は元は僧だったんだが、父の為に還俗し、武人として漂泊の日々を送った」
「元お坊さんで天皇の息子か。そら風趣な趣味を持ってる訳だな」
「征夷大将軍に補せられたこともあるよ」
「すげえな。世が世なら将軍様か」
「武家のそれとはまた違うだろうけどね。ただ南朝側はやや劣勢だった」
「武士勢力の室町幕府と北朝、貴族勢力の南朝って図式だもんな。おおざっぱに言えば」
軍事的には劣勢と言っていい。それでも南朝は幾度か反撃・侵攻を繰り返したが、1367年頃を機に弱体化していった。
「そこでさっきの歌という訳さ」
「忘れめや都のたぎつ白河の名にふりつみし雪の明ぼの」
通釈、忘れたりするだろうか。都を奔り流れる白川の我が住まい――その名にふさわしく降り積もった雪の曙を。
「都が懐かしいなってか?」
「まあそんなとこさ。白く染まった景色を見て彼は思いを馳せたんだね。雪に染まったかつての自邸に」
「だから僕も思うのさ。この桜吹雪に、あの卒業式の想いを忘れたくないな、とね」
「……そうかい」
「いつの卒業式の話か聞かないのかい?」
「俺は鈍重な感性の持ち主だからな」
皮肉とは趣味が悪いね。
「自嘲だよ」
そうかい。
「笑うな」
やだね。
「ときにキョン、思ひきや手もふれざりし梓弓おきふし我が身なれむものとは、なら知ってるかい?」
通釈、思いもしなかった。昔は手さえ触れなかった弓矢や武具を、起きても寝てもそばに置き、
これほど我が身に馴らそうものとは。
「もう勘弁してくれ」
やだね。聞いて考えたまえ。
「元が貴族でお坊様、それが武人となり転戦を重ねて詠んだ歌だよ」
「人間の適応能力ってスゲーなってか?」
「ほう」
「昔は触る事さえなかった武具に、今はこんなに慣れ親しんでる、こんな自分になるなんてなって自嘲してんだろ」
「いい解釈だ。ではこれを僕に当てはめるとどうなるかな?」
「知るか。そろそろ脳のCPUが焼ききれそうだ」
「では空冷ファンを足さなきゃならないね」
「耳に息を吹きかけるんじゃありません!」
「そうかい?」
「いいから帰るぞ。日が暮れる」
「はいはい」
昔、僕は恋愛感情なんてノイズだと思っていた。
けれど、キョンに出会って、今はこの感情に慣れ親しんでいるどころか楽しくて嬉しくてしょうがないんだよ。
まったく。こんな自分になるなんてさ。中学二年以前の僕に伝えてあげたいね。
中学三年の時、あの雨の日に変な意地で壁を作ってしまった僕にも
中学卒業の時、意地っぱりのままキョンとの関係を断った僕にも
高校二年以降の僕にもだ。
ああ高校二年時代の僕は別かもしれないね。
好きだとも、好きだったとも、さよならとさえ伝えなかったのは、ちょっとした貪欲さだと思うから。
成就しないからと振り切るのでもなく、いつか素直になる為にとっておいたのだと。
さよならは言わない。別れなんて言わない。また、出会いたいから。
いつか自分を克服して、素直になる為にね。
諦観に沈むだけじゃなく、挑戦も必要なんだよ。
何かの為に、誰かの為に諦めるより、自分に素直に行動してみたらどうだい? きっと思いもしない自分が見えるよ。
苦しくても切なくても醜くても、そんなの蹴っ飛ばして自分に素直になってごらん。
素直になれないなら、その自分を克服して新しい自分になってごらん。
そうさ「すべてを諦める」事なんてないよってね。
僕らの青春はこれからなのだから。
自転車の荷台に乗って、彼の背中に身を預ける。
「さ、いくよキョン」
「佐々木、解ったから背中に張り付くな!」
やぁだね。
「もうここから離れる気はないよ。ここは僕の特等席なのだからね」
筆者注
佐々木さんが「思ひきや手もふれざりし……」と語る同人誌の四コマに影響されたお話です。
元ネタありとご了承下さい。なお「天勾践を空しゅうする莫れ」及び、総集編「volunteers #19 異装奇歌学」収録分です。
同サークルvolunteersでは分裂本が複数出ています。が、後発の本になるほど(ご当人も言っておられますが)
解釈がこじつけ、トンデモになり、読者を選ぶタイプとなっているようです。
最終更新:2012年04月19日 00:56