67-175 切り取られた空の下で

 塾を終え、電車から降り立つと既に夜中だ。
 夏服に替えたばかりで夜は少し肌寒い。そんな季節。
 なんとはなしに夜空を見上げて、僕は少しばかり見入ってしまった。
 夜空が小さくなっていたのに気付いたから。

 駅前、中学時代に彼と一緒に歩いた道。
 けれど夜空は二年前よりも小さい。古い住宅、古い商店、古いビルが取り壊され、新しい大きなマンションが立ち並んでいたからだ。
 ビルは空を阻むようにそびえ、いつかはそこから見えていたはずの星空は、ずっと小さくなっていた。
 同じ場所でも同じ景色なんてもう見れない。
 変わらないものなんて、ない。

『話が出来て、嬉しかったよ』
 あの春の事件から、あの別れからしばらく。
 適当な理由で同窓会を、携帯電話をやりすごして、そうやってまた歩いていく。
 キミとはこれでお別れだよってイメージだけを投げかけて、僕は一人、夜空の下を歩いていく。

 ねえ、キミに届いているかい?
 キミがくれた親友って呼び名も、交わそうとしてくれた同窓会での再会の約束も、嬉しかった。
 けれど、僕には必要ないんだよって。あの最後の呼びかけに、返事を返さなかった僕に、キミは何かを思ってくれた?
『じゃあな親友、同窓会で会おうぜ!』って言葉に無言を返した僕に、何かを思ってくれたかい?

 僕にとってあの春の事件はあの一言に尽きたから。
 話が出来て、嬉しかった。とてもとても、嬉しかった。僕にはそれで十分だったから。
 だってそうだろ? 僕からもキミからも、卒業後は関係を続けようとせず、中学時代で関係を終えたはずだったのだから。
 あの事件は僕にとっては余禄だった、とても嬉しい余禄だった。


「嬉しかった。それで十分なのさ」
「そうかい?」
「そうだよ」
 自転車を引き出しがてらの呟きに返事が返る。
 予期しなかったのにあまりにも自然な返答だったから、僕は何気なく会話を続けてしまった。
 違法駐輪の自転車に寄りかかり、片手を上げる長身の姿。
 見間違えるはずもない。

「よう、親友」
「やあ、親友」
 昨日別れたみたいに笑みを返す。

「高校の塾ってのは終わりが遅いんだな」
 キョンは柄にもなく分厚い文庫本にしおりを挟みながら言う。しおりは大分後ろだった。
「もしかして待たせてしまったかな?」
「まあ、ここで待ってるほうが確実だからな」

「くっくっく。キョン、世の中には携帯電話と呼ばれる文明の利器があるのだがね」
「文明の利器には通話料という壁があるからな」
 特にお前との会話ならな。そう言って肩をすくめる。
「お前の駐輪場みたいなのなら話はまた違うんだろうがな」
『ああ、ご心配なく。僕は毎朝止めているので有料駐輪場と月極で契約してるんだ。それがどこかというと』
 いつかの言葉を頭の中で反芻しながら、僕は自転車の施錠を外す。
『ここだ』

「なるほどね」
 だからここで待っていたという訳かい。
「それで、こんなローカル私鉄駅に何の用かなキョン?」
「なあに、俺だってたまには夜空の下で読書でもしたくなるのさ」
 キョンも施錠を外し、自転車を押し出す。

「敢えて言うなら精神的エアロビクスってとこだ。気晴らしが必要な気分なんでな」
「ほう、面白いとさえ言える日々を送っているんじゃなかったのかい?」
「まあな」
 ニヤリと笑みを返されると、少しだけどこかが痛んだ。
「幸い楽しいツレが揃ってくれたからな。俺は楽しい高校生活をつつがなく送らせてもらっているさ」
「それは重畳」
「その楽しいツレの一人なんだが、最近付き合い悪くてな」
 大げさな身振りをしながらキョンは言う。
「ほう? それで精神的エアロビクスって訳かい」
 先んじて返す。

「察しがよくて助かるぜ」
「こちらこそお褒め頂き恐縮するよ」
 いつかキョンが自転車を押す後ろをついて歩いていた道を、今日は二人、自転車を押して歩く。
「けれどキョン、察するにだが」

「キョン、そのツレとやらが何でそんな態度をとっているのかくらいは察しているのだろう?」
「まあ、な」
 俺だって石から生まれた猿の神様って訳でも木の股から生まれた訳でもねえ、だって?
 ふくく、自覚くらいはあったのかな?
「なら尊重するのも一つの判断だ。それも理解しているのだろう?」
「そうかもしれんな」

「それでもキミが望むのは何故だい?」
「決まってるだろ」
 見覚えのある顔でキョンが苦笑を浮かべていた。
 あれは、そう、いつか「世界が不思議じゃない」と嘆いた時の顔。自分がバカを言ってるのだと理解している、そんな顔だったかな。
「俺が寂しいのさ、ダチと本気になってバカをやる楽しさを知っちまったんでな」

「なあ、佐々木。俺の周りは結構凄い奴ら揃いなんだ。無意識であっても、全力で楽しもうとしたり、俺達全員を守ろうとする団長様や
 どこまでも舞台演技もどきを続けていられる似非笑顔の超能力者、難儀だろうに俺たちにすげえ歩み寄ろうとしてくれてる宇宙人、
 とんでもなく愛らしくて悪意がカケラも無い未来人の天使、スペックも懐も底が見えない人生愉しみまくりお嬢様に
 そのお嬢様に近付こうとして、どっかの神話みたいに高く高く飛ぼうとしてる自称秀才、
 素直じゃねえくせに本能に忠実ぶろうとしてバカやってるバカ野郎とかな」

「どいつも俺なんかより、……ああいや谷口のバカはともかくとして、いやそうでもねえか。
 どいつもこいつも、今をホントに楽しんでんだよ。いつかお前も言ったろ、俺達はボーイズアンドガールズだってな」
「そうだね。僕達はボーイズアンドガールズ、まだまだ子供だってね」
 そう、僕らは確かにそうだった。
「けれどキョン」

「あの頃の僕らは確かにボーイズアンドガールズだった。けれど、もう義務教育は終わっているんだよ?」
「かもしれんな。けど大学に入ったら思い切り楽しんでやるって言ったのもお前だろ」
 歩調を合わせながら、キョンは言う。
 長身の、長いコンパスを、僕に合わせて歩きながらキョンは言う。
「なあ佐々木、中学時代は楽しかったよな」
「そうだねキョン」
「佐々木、お前は『今』は楽しんじゃダメなのか?」
「さてどうだろうね?」

「なあ佐々木、改めて相談だ」
「どうぞ?」
「さっき話した俺のツレなんだがな、そう、中学時代のっつうか、めちゃくちゃ…………」
 キョンは言い淀み、急に左手でガシガシと頭をかきはじめた。
「ああくそ、やっぱ俺には判じ物なんざ向いてねえ。なあ佐々木」
 なんだい? 落ち着きたまえよ。

「佐々木、なんでお前、同窓会に来なかったんだよ?」
「言ったろ、ちょっと都合が合わなくてね」
「お前、あの春の事件で『楽しい』って言ってたろ? ならなんで不思議事件の相談してもいっつも流すんだよ」
「すまないね。僕は経験が足りないから力になれそうにないんだ」
「なあ佐々木」
「なんだい」
 困ったような目で見られても、僕は困るよ。
 それは解ってるんだろ? キョン。

「俺は友達甲斐がない奴か?」
「そうだね。少なくとも、丸一年ロクに連絡もせず放っておくような人は普通は友達甲斐があるとは言わないのじゃないかな」
「お前だって連絡してこなかったろ」
「くく、その通りだ」
 そのくせ親友と呼んでしまったね。まったく、ズルい奴だと思うよ、僕はね。
「なあ佐々木」
「なんだい」

「俺達は、そうやって中学三年で分かれたときの俺達のまんまか?」

「……それは違うね。良くも悪くも」
「そうだな、良くも悪くも。なら『今の俺』は、親友がつまらなそうな顔してるのを放っておくような奴か?」
「僕は、そんな顔なんかしたつもりはないよ」
「いいや」
 食い下がる。
「これでも俺は一年お前と一緒に居たし、二週間、すげえ濃い二週間を過ごした。だから解るつもりだぞ」

「お前は、あの別れの時のお前は、俺が知ってるお前じゃなかった。いつでも演じきってきたお前が綻びてたことくらい解るぞ」
「キョン、僕を困らせないでくれないか」
 軽く溜息をついてみせる。
「僕がそうなっていた理由くらい、察してくれていたんだろう?」
「……まあな」
 言葉を溜めて、けれどまっすぐにこちらを見て言う。
 意思は変わっていない、そう言いたげな目。そうとも、そうだとも。
 あの春の別れ、僕はキョンが「選んだ」事を知っていた、あれで全部終わりだって思った。……それくらいの感情は許してくれよ。

「けどそうあるように、俺の選択を歪めようとしなかったのはお前だ」
 感謝を込められても困るよ。
 僕は、困る。

「そのお前にあんな顔させたままにしたくない。それくらいの友達甲斐はあるつもりだぞ」

「……なんだ、キョン。キミの中で答えは出ているんじゃないか」
 なら僕にわざわざ聞かないでいいだろ。
「キョン、僕だって何でも知っている訳じゃないよ」
「それくらい解っとるわ。けどな」
 街路を歩きながら、どこか恥ずかしげに言う。
「お前はいつだって正しい事を言ってきたろ。少なくとも俺はそうだと思ってるぞ」

「だから俺はお前の言葉にいつも煙に巻かれてきたんだよ。お前はそう、いつだって正しかった」 
「くっくっく」
 お褒め頂き感謝するよ。ならその「正しい人」として言わせて貰おう。
「キョン、実際キミは僕を放置して、その後も楽しんでいたんだろう?」
「佐々木、あんな別れ際を見せたお前に言われる筋はねえよ」
 あの春の別れの日のことかい?
「そうだ。最後の最後、お前は『詮索しないから』『あるがままでいられるから』俺とは付き合いやすいって言ってたろ。
 詮索するな、これでお別れだと言わんばかりに吹っ切って行こうとしてたろ?」

「俺はお前の邪魔はしたくなかった」
「なら何で今、邪魔をするんだい?」
「言ったろ」
 眉根をしかめる。
「それでも俺は約束したはずだぞ。また同窓会に会おうってな」
 キョンの背中に見えていた塀が途切れる。

「俺はお前の邪魔はしない。けどお前との関係まで放棄したつもりはないぞ、親友」

 いつしか街路の塀が途切れていた。
 そう、ここもいつかキョンと一緒に自転車で走った道。土手の沿道。
 空を遮るものがない川沿いの道を、いつかとちっとも変わらない広い星空の下を、僕らは歩いていた。
 あの時より少し伸びた身長、少し違う関係で。

「キョン、僕は新しい環境には新しい関係があるべきだと思っている」
「まったく同感だ」
「だから古い関係を引き摺るのは」
「新しい関係を阻害するだけ、かもしれんな」
 僕の言葉をキョンが継ぐ。

「けどな佐々木。俺はSOS団にとっぷり浸かる事を選んだ」
「そうだねキョン。キミ達は既に一蓮托生という奴だ。そして僕は……」
 言い淀む僕にキョンは言葉を継ぐ。
「佐々木、だからな」

「俺だって、お前に新しい関係に行け、中学時代の俺たちを引き摺るな、なんて言えないのさ」
 言ってニカッと笑ってみせる。
「俺だって同類なんだぜ?」
「くっくっく」
 淀みが消える。笑いが戻る。
 頬が、ゆるむ。

「お前にとって俺がそうであるなら、俺は一向に構わん」
「キョン、僕がそれを望むと思っているのかい?」
「望んでないとは言わさん」
 言い切った。

「それにな」
 コツン、と僕の頭を硬いもので軽くはたく。
「今は文明の利器がある。そうだろ?」
 携帯電話をひらめかせて笑う。

「お前がどう思っているのか、俺には完全には解らん。あくまで俺は俺が知るものしか知らんし、そこからしか想像も出来ん」
 キョンは力強く断言する。
「だから話せ。話すの好きだったろ?」
「そう、だね」
 話す事で意思を伝え合えるのは。
「そう、人間普遍の能力なんだろ?」
「くっくっく」

「その通りさ」
 思い切りシニカルに、キョンが知っている「佐々木」の笑顔で笑ってやる。
 キョンの苦笑が返ってくるのが心地良かった。

 翌日、二人揃って携帯電話の料金プランを変更し、僕は以前よりも携帯電話の着信音が楽しみになった。
 たわいもない話だけれど、それでも僕にとっては貴重な時間。
 けれど苦労していることもある。

「それでね、キョン」
『佐々木、お前も案外抜けてるな』
 電話の向うで彼が笑う。
『ビルが邪魔して空が見えなくなったなら、どっかのビルの上から空を見ればいいだけの話じゃねえか』
「ふ、くく」
『なんだどうした』
「いや、その通りだね」
 笑みが止まらない。

 彼の前ではどうしても素直になりたくなってしまう。
 それが今の悩みの種さ。
)終わり

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最終更新:2012年06月09日 09:27
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