67-586「喧嘩売ってるなら三割引で買ってやるぞ佐々木」

「憂鬱だ」
「おやキョン、キミでも憂鬱になることがあったのかい?」
 中学三年の七月も半ばを過ぎ、いつもならばハイテンションブギウギになる時期のはずだというのに溜息が漏れた。今年ばかりは例年と違うのだ、と。
 するといつものようにくつくつと笑いながら隣の席の奴が身を乗り出してくる。
 お前はホントいつも楽しそうだな。なあ

「喧嘩売ってるなら三割引で買ってやるぞ。佐々木」
「くく、口喧嘩で良ければ売って差し上げようじゃないか。キョン?」
 なら止めておくさ。お前に口で勝てるとは俺だって思わん。
 そう言ってやると見事なオーバーリアクションで肩をすくめられた。お前は欧米人か。

「生憎だがれっきとした日本人だよ。
 それより僕としてはキミが暴力に身を任せようと企んでいたことに衝撃を禁じえないね。
 キョン、物事は口、つまり交渉によって解決すべきだと僕は思うよ。西洋東洋どちらでも良い、歴史から学びたまえ。テロリズムは何も解決しないとね」
 おいおいどっちに話を飛ばしてるんだ。だが

「そうか? だがいつだって歴史書を書いてきた奴は勝利者だろう」
 その中には軍事的勝利者が多かったのは言うまでも無い。
「ほう、そうきたか」
「そうきたもこうきたも定番の台詞だろう」
 俺だって知ってるくらいだからな。

「確かにね。テロリズムは何も解決しないという言葉に負けず劣らず定番の台詞だ」
「かもな。しかしテロと暴力を一緒くたにするとどっかの偉い人に怒られないか?」
「そうかもね。だが僕に言わせれば暴力、或いは暴力を背景とする威嚇行為によって他者の意思をどうこうしようなどと言う行為であるならば
 恐怖、つまりテロによって事を為そうとする点では同じさ。これもまたテロリズムと呼ばれるべきだと思うよ」
「そう考えるとテロってのは別に新しくもないんだな」
「感情に根差す以上はね」
 相手を暴力、或いは力を誇示する事で屈させようとする。
 それは個人レベルだろうと国家レベルだろうとさして変わらんのかもしれん。同じ人間のやることだからな。

「政治に関してもそうだね。徳や善政よりも、恐怖、軍事力を背景にする方がよりシンプルだ。
 なら現代の民主主義、いわば民衆の理性によって政治を生み出そうとする意識の変化は、人類の進歩とも言えるのかもしれない。その成功の是非はおくとしてもね」
「民主主義てのは、言ってみれば信用が為政者を生む理屈だからな」
 暴力だけでなんとかしようとしていた頃よりは、まだ進歩してるのかもしれんってか。

 けどな、信用と見せかけて単なる利害関係による結束という事もある。いや、そもそも利害を越えた結束なんて、本当に果たせるのか。
 果たして俺達はどこまで他人を信用できるんだろうな? いや、信用してもいいんだろうな?
 そりゃ俺だって他人を素直に信じられる心の欠片くらいは持っているつもりだが
 その結果、誰かに騙されるなんてのは御免こうむりたいんだがね。

「くく、少なくとも僕はキミを信用、いや、信頼しているよ」
「そうかい」
 で、何の話をしていたんだったか。どうも佐々木と話すとこういう事が多くて困る。
 つまり俺は話の軌道修正を図ったつもりだったが、すると佐々木は自分の身体を抱くようにして一歩身を引いてみせる。

「そうだ。キョンが僕を暴力でどうこうしようという話だったか」
「物騒な事を言うんじゃねえ!」
 さすがにそれは人聞きが悪すぎるぞ。
 ほれ岡本がなんか楽しそうな顔してこっち見てるし! あっちじゃ中河がダンベル落っことしてえらいことになってるじゃねえか!
 おい須藤、お前もだ! 俺は別に進んでも青春してる訳でもないぞ!

「そうだった。僕がこの唇と舌でキミをどうこうしようという話だったね」
「ベクトルが違うだけでそれも十分物騒だ!」
 ほら岡本が以下略!
「くっくっく」
「訂正せんかい!」
 …………………………
 ………………
 ………


「くく、それでキョン。何か憂鬱な出来事でもあるのかな? ならば友としてキミにこの胸を貸すことも厭わないが」
 わざとらしく制服の胸元を軽くつまみ浮かせてみる佐々木に、こいつは女だったなと再確認する。
 口調や理屈っぽさもそうだが、俺の場合、どうもこいつにはいつも言い負けているせいか「か弱い」とかいうイメージがないんだよな。
 要するに女性らしさというものが感じられないのだ。
 おいこらそこんとこ解ってるのか佐々木。
 いや解ってるんだろうけどな。

 まあ今ふわりと漂った香りにはそれなりのものを感じなかったわけではないがな。
 コロンでもつけているのか、それとも佐々木の体臭なのか。

「やれやれ。キョン、そんな雄の目をされては困るな」
「同じ流れに持ってくのは勘弁しろ」
 ああくそなんか視界の端っこに遠ざかる国木田の姿も見えた気がするぞ。
 他のクラスのくせに何でこうタイミングがいいんだ。

「察するにだ、せっかくの夏休みだというのに塾の夏期講習でフルに休みを楽しめない事にメランコリックというところかな?」
「お前、就職するなら読心術がいかせる職種がいいと思うぞ。占い師なんてどうだ?」
「くっくっく、キミがそういうなら向いているのかもね。考慮しておこう」
 まったくホント楽しそうだなお前は。

「こんな日常で満足なのか?」
「エンターテイメント症候群であるキミが言うと重みがあるね?」
「ほっとけ」
 そう俺が視線をそらすと、くくっと喉奥から漏れる音がやっぱり聞こえてきた。
「そうだね、こんな他愛もない日常だろうと僕には楽しいさ。楽しくなければこんな風に過ごしてはいないよ」
「そうかい」
 そりゃ結構だ。

「けれど、そうだね。その理由がキミがメランコリックである事と共通しているというのはちょっとした皮肉かもしれないな」
 理由? と言われてようやく脳が軌道修正に成功する。
 そうそう夏期講習の話だったか。
「ホント勉強が好きだな。そんなに夏期講習に行くのが楽しいのか?」
「くく、好きだとは言いがたいが、例年とは異なる感触を覚えているのは事実だね」
 すると佐々木は「キミは解ってないなあ」という気分が七割、俺にはよく読めない表情が三割弱の笑顔でこちらを覗きこんできた。
 しかしこうしてみるとたった三ヶ月で俺の読心術もずいぶん強化された気がするね。
 こんなやりとりばかりしてきたせいか?

「そうだね。楽しみだ」
 言ってやっぱり佐々木はくつくつと楽しげに喉を鳴らす。
 喉を鳴らして、もう一度同じ言葉を重ねたてた。

「実に、実に楽しいんだよ、キョン」
「そうかい」
 そりゃ結構、俺だってボランティアでこんな日常やってる訳じゃないのさ。
 ああなんだ俺の気持ち? そりゃまあ、だから、まあなんだ、そこは各自で想像してくれ。俺からの夏休みの宿題ってとこだな。
)終わり

「ところでキョン、口喧嘩についてだがね」
「何だ、思うところでもあったか?」
「いやね? 話は変わるがキミは尻相撲という競技を知っているかい?」
「また随分あさってに飛ぶな」
 背中合わせに尻をぶつけあう勝負だったか?

「くくその通り。他にも草相撲というのもあるね?」
「草をぶつけ合うというか、ひっぱりあって先に千切れた方が負けって奴だな」
 ガキの頃は……というか田舎に行ったら親戚のガキ共に未だに挑まれることがあるのはまあ黙っておこうか。

「そこでだ、ほらキョン、あれ」
「うん?」
 すっと佐々木の指差す方向へ視線を傾けた俺の頬に、なにやら柔らかいものがえらい勢いでぶつかってきた。
 思わずズッコけそうになるがこの程度でコケるほど俺も非力ではない。
 というかそんな事は問題ではない。

「佐々木、お前」
「やれやれ、これがホントの口喧嘩って奴かな? けどキョン、キミはなかなか強いね」
 妙に首を屈めて口元を片手で覆い、真っ白いほおだけを見せるようにしている以外、まったくもっていつもの表情でくつくつと佐々木は笑う。
 だから俺は深読みをしない。してやらんぞ。

 だがそんな冗談はほどほどにしておけ。

「くく、そんな反応をしてくれるキミにしかできないさ」
「そうかい」
)終わり

「……ま、そんな反応をするキミだからこそ時々嫌いにもなるのだけどね」
「悪かったな」
 何のことやらしらんが。

「ねえササッキーササッキー」
「なあに岡本さん」
 と、そこに割り込んできたのは同じ班の岡本だ。
 佐々木の反応から解るとおり女子、それも中々の上玉である。

「キョン?」
「で、岡本よ。何か用か九日十日」
「……キョン?」
 お前、そんな冷たい目も出来たんだな佐々木。驚いたぞ。

「お二人さんイチャついてるとこ悪いけれど」
「誰がだ誰が」
「困ったものだね」
 またオーバーリアクションしやがるなこいつも。

「ねえササッキー、さっきの話だけどさ。時々嫌いになるなら、普段はどうなの?」
「へ?」
 くるくると指を回しながら言った岡本の言葉に、佐々木は珍しくぽかんとした表情で虚空を見つめた。
 かと思ったらそのままガタン、と席を立つと

「そりゃ嫌いではない、わ。ところで休み時間ももうないしちょっとお花を摘んでくるわね」
「はいはい行ってらっしゃい見てらっしゃい」
 ひらひらと手を振る二人をなんとはなしに見つめていると、俺の後頭部に誰かが投げた下敷きがヒット。
 おい須藤、俺の後頭部は的当ての的じゃねえんだぞ!

「そりゃあ悪かった」
「ああ全くだ。手を滑らしちゃいかんぞ須藤」
 うんうんと中河が頷く。なんだろうねこの空気。夏休み前だからってみんなユルんでるんじゃないか?
 どうにもメランコリックな空気になる俺の頬に「先程は悪かったね」と言いつつ、佐々木の奴がパックジュースをひやりと当ててきたのは
 それから数十秒後のことであった。
)終わり

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最終更新:2012年07月20日 09:30
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