67-783「この、佐々木という子なんですが」

「どうか、いや、どうかしましたか?」
「この佐々木という子なんですが」
 それはある日の職員室、受験生を担任する教師が頭を抱えていた。
「どうもね。自分にもっと自信を持って欲しいのだけれど」
「ああ、例の」
 教師がひらひらと進路希望表をひらめかせると、傍らの男性教師は眉根にしわを寄せる。

「ええ」
 問題の生徒、というと語弊があるが、佐々木と書かれた進路表を前に二人はそろって腕を組む。
 問題があるといっても、周りに迷惑をかけるような類ではないからだ。
 しかし教師にとってはこれはこれで厄介なタイプである。
 強いて言うなら進路相談の上で厄介なタイプだ。

「自分に出来る事は他人にも出来るって考えるタイプなんですよね」
「自分を客観視してるつもりが、変に低く評価する結果になるってタイプ、か」
 言葉を継いで、男性教師がコーヒーを差し出す。
「おや、うん、ありがとうございます」

 進路希望表の主、佐々木は傍目からすれば成績優秀、眉目秀麗、品行方正とさえ言っていいタイプであるが
 そうしたタイプにはありがちな事というか、品行方正すぎるゆえに自制心がしっかりとしすぎており、おごるということが無い。
 むしろ抑制が効きすぎ、自己評価が低いと言ってもよい。

 少年らしく自分なら何でも出来る万能感が強すぎるのも困るが、こういう子にはもっと自分を出させてやりたい。
 せっかく能力があるのだから、教師としてはもっともっと自分に素直になってほしいのだ。
 キミはそれができる、それをしていいだけの積み重ねをしているのだから。
 その点から言えば困った子だとも言える。

「ま、思春期にはありがちなタイプだな」
 言って男性教師がコーヒーをひと啜りすると、一緒に啜りこんだ担任教師が吹き出した。コーヒーが軽く飛び散る。

「おいおい大丈夫か?」
「く、くくくく、すまない」
 男性教師からアイロンの効いたハンカチを受け取りながら、担任は丁寧に口元を拭う。
 おかげでごく薄く塗ったリップが剥げてしまったが、まあ学校内であるし気にする程のこともない。


「しかし思春期にありがちなタイプ、か。くく」
「なんだ、じゃない。なにかおかしいことを言いましたかね?」
 よほどツボに嵌ったらしく、担任の女教師は座ったまま身体をくの字にして笑っている。
 くつくつと独特な笑い声が喉奥から漏れた。

「いや。キミが言うのかと思ってね」
「佐々木先生。口調がプライベートに戻ってますよ」
「おや、これはしたり」
 佐々木女教師はカップを片手に、チャックでもするようにすっと指を唇に這わせる。
 そのままスーツ姿の足を組み替え、ニヤリと片頬を釣り上げて笑うと

「うふん。まったく。岡目八目、自分だってそうだったろうに」
 その女教師の言葉に、今度は男性教師が噴出した。彼の着たジャージの胸元にコーヒーが霧を吹く。

「なに言いやがる佐々木。お前こそそうだったろうが」
「え、なんだってキョン?」
「名前もそうだがな、成績やら平均を上回るくせにやたらと自分を低く見積もるなんてお前そっくりだぞ?」
「む。いや進学校志向だったわけだし。だいたい佐々木性というのは漢字三文字の姓として日本最多なんだぞキョン」
「中学時代からそうだったろうが。むしろ違うのは性別くらいだ」
 ひらひらと佐々木少年の進路希望表が舞う。

「だいたいキミは成績こそ悪かったが理解力は高かったし、潜在的な学力は高かったんだ。それなのに自分を低く評価してだね」
「実際に成績が良かったくせに自分を平均以下の凡人とか証したお前がいう事か佐々木」
「ええい、ああ言えばこう言うね。そういう切り返しのよさこそキミの理解力の証明なんだよ」
「そうした評価が出来るって事こそお前の理解力の証明だろうが」
「だから僕はねキョン」
 言いかけた佐々木の肩をとんとん、と皺のある指が叩く。
 二人は揃って沈黙した。

「先生方。そろそろ昼休みも終わりですので」
「は」
「はい」
 いつものように、にこにこしながら告げた教頭がくるりと踵を返すと二人は揃って胸をなでおろす。

「……まったく。昔からお前は自己評価がちぐはぐなんだよ」
「その言葉、そっくり返すよキョン」
 ジャージとスーツの肘でつつきあい、小声でやりあう二人。
 と、そこでくるりと再び教頭が首だけ向けた。

「夫婦仲がよろしいのも結構ですが、プライベートとは分けて考えてくださいね?」
「……はい」
 ぺたぺたとスリッパが遠ざかっていくのを見つめながら、

「……職場では旧姓を名乗るのと同様、ちゃんとプライベートとは分けて考えないとですね」
「まったくですね。佐々木先生」
「やれやれ」
 キョン、そして佐々木(旧姓)は二人揃って肩をすくめるのだった。
)終わり

「ねー、さっき通りがかったんだけどさ、職員室で佐々木先生が僕っ子になってたよ」
「マジで? よかったじゃん!」
 学校内では滅多に見られない佐々木先生の「僕」モード。
 見たらその日は一日幸せになれるという噂が流れているとかいないとか。
)終わり

「そういえば何で学外はカウント外なん?」
「そりゃね。あ、ほら」

「ほらキョン、そっちをちゃんと持ちたまえ」
「とか言って振り回すんじゃねえ、ちゃんと持てないだろうが」
「くっくっく、そこをうまくやってくれるのが僕の夫ってものだろう?」

「……えーと、一つのビニール袋を二人で?」
「甘甘だねっ!」
 なんとなく理由がわかった生徒Aであった。
)終わり

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最終更新:2012年09月08日 03:00
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