”国木田君、遊ぼう”
夢の中で呼びかけられて目が覚めるなんて、変な話だけど、うとうとしていた僕は、それで意識が覚醒した。
キョンは佐々木さんと花公園を見に行くと言って出かけ、涼宮さんは古泉君をつれてキョン達を追いかけて、
鶴屋さんは朝比奈さんと長門さん、朝倉さんを連れて買い物に出かけた。
僕も誘われたけど、午前中に鶴屋さんとテニスをして、少し疲れたので別荘で休むことにしたのだ。
鶴屋さんは頭もいいけど、運動神経も抜群で、体力だってアスリ-トクラスだし、何より行動力がある。本当にすごい
人だ。
僕と鶴屋さんは小学校が一緒で、昔住んでいたのは鶴屋さんの家がある地区だった。
一つ上の鶴屋さんは、僕にとってはお姉さんのような存在で、一緒によく遊んでくれた。そのころから鶴屋さんは今の
ような感じで、自由な存在、何物にも縛られない、僕にとって憧れの人だった。
さっき見ていた夢はそのころの思い出だ。
中学に入る頃、僕は引っ越して鶴屋さんとは別の中学校に通うことになった。
だけど、時々は会うこともあったし、手紙のやり取りはしていた。
中学生になると、心身の成長は進み、それに伴う感情も変化していく。
僕の鶴屋さんに対する憧れの気持ちも少しづつ変容していった。
中学3年生の時の事だ。その頃キョンは佐々木さんとの距離を縮めて行っていた。
塾で偶然会い、それから話すようになったという二人の関係は、夏休みに入る前には、僕の目から見ても、とても親密な
ものに見えた。
一度そのことでキョンと佐々木さんに、それとなく話を振ってみたけれど、その時は佐々木さんにうまくはぐらかされた。
キョンと佐々木さんとの関係をみていると、本当に二人はよい関係だと思う。
キョンは中学時代、自分のことをどちらかと言えば卑下していて、積極性に欠けていた面があった。
だけど、高校に入学して、佐々木さんと文芸部に入り、行動を共にするようになって、キョンは変わった。
中学時代のキョンの成績は低かった(そのせいでキョンは塾に行かされたのだけど)が、今のキョンは成績上位者で、佐
々木さんや僕に追いつくのも時間の問題だ。佐々木さんと一緒に塾にも通いだして、自分の意思で勉強している。
それは間違いなく佐々木さんの影響だろう。お互いによい刺激を与え合う存在。
キョン達は否定するが、理想の恋人たちとは彼らのことを言うのだと思う。
僕は鶴屋さんに憧れている。それは尊敬できる先輩として、目標とすべき人物として、そして何より一人の女性として。
その気持ちを僕はまだ鶴屋さんに伝えるつもりはない。
僕は自分自身を成長させなければならない。すべてにおいて、まだ、鶴屋さんの存在は遠く感じる。
でも、いつか僕は鶴屋さんの隣に並ぶ。そして、キョンと佐々木さんの関係のように、お互いがよい刺激を与え合い、共に
成長できるようになったその時こそ、僕は本当の気持ちを鶴屋さんに伝えるつもりだ。
「お-い、国木田君、今帰ってきたっさ!」
別荘の玄関の方で、鶴屋さんの声が聞こえた。
別荘に戻ってきた俺達は、夕食を食べて、再び外出することになった。
「実は今日は花火大会があるっさ」
この保養地の名物である、海上大花火大会は、一万五千発の大輪の打ち上げ花火が夜空を彩る一大イベントだ。
「この別荘は、実は最大の特等席なんだな、これが」
それでいて、何故外出する羽目になったのか?
「縁日に行くわよ!」
要はSOS団長、涼宮ハルヒの提案があったからである。
全員、浴衣姿に着替え、街に出ることになった。
「お待たせ、キョン」
浴衣姿というのは、美人が着ると実に良いものではあるが、朝顔模様の薄い蒼色の浴衣をきた佐々木の姿に、俺
は見とれてしまった。
「どうだい、この浴衣。鶴屋さんが選んでくれたんだが、似合っているかい?」
ああ、すごく似合っている。とても綺麗だぞ、佐々木。
佐々木の顔が朱色に染まっていた。
「キョン君、相変わらずだねえ。しかし、お姉さんも頑張って選んだ甲斐があるというものさ」
女性陣の浴衣は、全部鶴屋さんが用意して選んでくれたものだ。長門も朝倉も、朝比奈さんや涼宮もよく似合って
いる。実に華やかで、女性陣を引き立てている。
「いい光景ですね。皆さん、実に良く似合っておられますね」
古泉も感心したように呟く。お前も涼宮の浴衣姿が見れて嬉しいだろう。
勝ち誇ったような顔をして、他の女性陣の浴衣姿を批評している涼宮の姿を、古泉は見つめていた。
「すごい人出だね」
全くだ。予想はしていたが、ここまで多いとは。
海浜公園とそれに隣接する第一道路を歩行者天国にしたお祭り会場は多くの人で賑わっていた。
「はぐれないようについてきなさい!」
涼宮はそう言ったものの、これじゃバラバラになっちまう。
無数の屋台の前で、散々足止めをされ、買いすぎだろうというくらい物を買い(古泉は例の如く涼宮の荷物持ちである
)、それでもどうにか一緒に行動していたのだが、花火が打ち上がる時間が近づき、人の往来は増え、ついにバラバラに
なってしまった。
「キョン、僕の手を離さないでくれよ」
ああ。お前こそ、しっかり握っていろ。
気づいた時には、俺は佐々木と二人だけになっていた。
人ごみの中ではぐれないように、俺と佐々木はお互いの手を握って行動することにした。
それにしても、、、、、
「すまないね、キョン。大荷物を背負わせて」
佐々木と俺で引いた当たりくじの屋台で手に入れたハロ-〇〇〇の特大ヌイグルミを背中に背負い、佐々木と手を繋いで
歩くことになるとは。まあ、佐々木が喜んでくれたからいいが。
しかし、知り合いにはあまり見られたくはないな。なんと言われるやら。
俺がそう思っていた時である。
「おーい、キョン」
聞き間違えるはずがない、今日の昼間に聞いた間抜けな声が俺を呼び止めた。
「やっぱりお前もここの会場に来ていたか」
ホテルの浴衣をきた谷口がそこにいた。
一応お前が所属しているSOS団の団員たちも一緒に来ているぞ。会わなかったのか?
「冗談じゃねえ。俺は彼女と来ているんだ。何であいつらに会う必要がある」
そういう谷口の隣には、俺たちと同じぐらいの年の女性が立っていた。
かなり長い、少し多すぎるかなと思わせる豊かな黒髪。整っていて美人と言ってもいいが、どこか眠たげな猫を思わせる
表情。ただ、その目は何か、そう、なんと言ったらいいのやら、何か不思議な感じがする。
谷口、お前の彼女ってのは、その女性か?
「ああ、そうだ。紹介するよ。光陽園の生徒で、俺たちと同じ学年の―」
「―周防九曜」
谷口の言葉を引き継ぎ、自分の名前を名乗ったその声は、表情同様、どこか眠たげに聞こえた。
「だから、昼寝しないほうがいいと言ったんだ。お前は低血圧だから、目覚めは悪いし、まだぼうっとしてるだろ」
「・・・あなたの言うとおりにすべきだった。でも、大丈夫。そろそろ―覚醒」
周防と名乗った谷口の彼女の声を眠たげだと言ったが、本当に寝ぼけていたようだ。谷口の彼女だけあって、少々
変わっているのかもしれん。
「初めまして。周防九曜です。私のことは九曜でいいです」
本人が言うように覚醒したのか、急に語彙がはっきりしてきた。表情も明るくなり、成程、谷口が自慢したくなる
のもわかるような気がする。かなりの美人だ(まあ、佐々木の方が美人だと思うが、それは言うまい)。
俺と佐々木もそれぞれに名乗り、挨拶を返した(その時、谷口が、俺のことはみんなキョンと呼んでいると九曜に
教えたのだが、要らんことは言わなくて良い)。それにしても、だ。
「谷口、よくお前、こんな美人と付き合えたな」
「私の方が声をかけたの」
・・・全くもって驚きだ。ナンパ失敗王の谷口が逆ナンされるとは。どこが気に入ったのだろうか?
「面白そうな人だったから。行きつけのハンバーガショップで知り合ったの」
ハンバーガショップ?光陽園の生徒のイメージには合わないような・・・
「周防はファーストフ-ドが大好きなんだよ。結構なお嬢様なんだけどな」
お嬢様?ますます持って、驚きだ。どこのお嬢さんだよ、一体。
「テンガイグル-プって知っている?」
「ええ、知っているわ。投資金融の大手だったわよね、最近急成長を遂げた」
答えたのは物知りの我が親友、佐々木である。
「いわば成金なわけ。だから気取るのは苦手。光陽も父が行けといったから行っているだけ」
さもおかしいというように、九曜は笑った。
「私は私の思うように行動したいの。ある程度は従うけど、本心を偽るのは馬鹿らしいわ」
「そう思わない?」
何故か、九曜は俺たちの方を、特に佐々木の方に視線を向けてそう言った。
「そうね、九曜さんの言うとおりね。人にとって、自分の本心を誤魔化すことほど疲れることもないわ。その結果が
自分にとって、惨めで後悔することになるようだったら、尚更ね」
佐々木の口元に、いつもの微笑が浮かぶ。
「流れに任せるのは、やめたほうがいいわね。自分の気持ちを尊重する。それによって手に入る幸せがあるわけだし」
その言葉を聞いて、まるで佐々木を真似るように、九曜の口元にも微笑が浮かんだ。
何故、あの時、本当のことを言わなかったのだろう。彼に余計な気を使わせたくなかったから?
それなら、最初から彼の所へ行かなければよかっただけだ。
流される人間?嘘だね。単に怖かっただけ。居心地の良い、彼といる空間を失いたくなかった。二人の間を変質
させることに怯えたのだ。
現状維持、波風立てず、平凡に。
あまり楽しくもない時も終わり、つぎの段階を迎えようとしていた時の直前、私は彼に会いに行った。
偶然を装い、何気なく、ちょっとした報告。
だけど、私は目にしてしまった。
私はその場から逃げ出した。
惨めな気持ちと、とてつもない、今まで必死になってごまかしてきた――後悔の念。
その時、私の前に”彼女”が現れた。
「それじゃ、失礼するわ、お二人さん。谷口君、行きましょう」
九曜に促され、谷口は馬鹿面に緩みっぱなしの笑顔を浮かべながら、俺たちに手を振り、この場を去った。
「面白い人たちだね」
佐々木の言葉に俺は頷いた。谷口は俺に言わせれば、自覚無きお笑い芸人であるが。
「キョン、僕らも花火を見に行こう。そろそろ始まるよ」
そうだな。みんなももう別荘に戻っているかもしれないな。
「そこじゃなくて、実は今日、君の後ろに乗っているとき、偶然目に付いたところがあって、どうやらそこは穴場
と見たんだがね。行ってみないかい?」
成程、確かに行ってみるのも悪くなさそうだ。それじゃ、二人で行くとするか。
俺と佐々木は手を繋いだまま、人ごみの中を、流れに逆らうように移動していった。
佐々木の言うとおり、確かにそこは穴場であった。花公園に近い、海に面した小高い丘なのだが、周囲に建物が
あり、まるで目立たない。それでいて、丘に昇ると周囲の景色が見渡せて、視界が確保されるのだ。
「ここからだと、花火が良く見えそうだね」
周囲には誰もおらず、俺たち二人だけだった。
佐々木の言葉と同時に、最初の花火が打ち上がり、大輪の光が夜空を明るく照らし出す。
次々と花火は打ち上げられ、その度に光と闇が交差して、夏の夜空を彩り、夢のような美しさだ。
「綺麗だね」
ああ、そうだな。本当に綺麗だ。
「キョン」
佐々木と繋いだままの俺の手に力がこもる。
「今日、僕はここに来て良かったよ。まるで夢の中にいるような気分だ」
確かに幻想的だがな。だけど、佐々木。これは現実だ。お前がいて、俺もここにいる。美しいのは夢ばかりじゃ
ない。
「そうだね。確かに君は僕の傍にいる。君とこの花火を見れて、本当に嬉しい」
闇夜に瞬く花火の光が、佐々木の顔を照らし出す。
心の底から嬉しそうな、俺が気に入っている佐々木の輝くような笑顔がそこにあった。
最終更新:2013年02月03日 16:57