70-x『どうかしたか佐々木?』

 それは、しばらく続いた初夏のような奇妙な暖かさが、唐突に寒気に換気され摩り替わったような
 五月の頭のある日の事だったか。

「どうかしたか佐々木?」
「ん? ああ」
 何気なく。
 ふと、本当に何気ない仕草で佐々木が頷いたような気がしたから飛び出した一言だったが
 どうやらそれは正解だったようだ。

 佐々木は少しだけ表情を緩めると、手にした文庫本をぱたりとコタツの上に置き、細い指をくるりと回す。
 何となく身構え、俺もコタツに入れた足を緊張させたが、次の言葉は緊張感のかけらもない
 なんとも旨そうな一言だった。

「キョン。今夜は一つ、土鍋でトリとキノコの炊き込みご飯なんてどうだい?」
 くくっと喉奥を震わせ、我がルームシェアメイトは笑う。

「保温力抜群の土鍋をだ、二人よそい合おうじゃないか。親友」
「ほう。そいつはいいな」
 今日はちと肌寒いし丁度良いな。
「そうかい」
 俺が何気なく返した一言に、いつものように佐々木が喉奥を震わせた。
 いつものように、楽しげに佐々木が笑う。

「そうかそうか。正解だったね」
「何がだ?」
 俺が条件反射で返した問いに、条件反射の笑顔が返ってくる。
 ニヤリと口端を軽く持ち上げた佐々木独特の微笑み。

「いやね。ここ最近ご無沙汰だったくせに、今日のキミは随分コタツと仲良しだなあと思ってね…」
「言ってろ」
 言われて気付いた。
 暑けりゃフローリングの床の上、寒けりゃコタツ布団に足を入れ、シャミセンか俺は。
 そんな寒暖が安定しない五月のある日の出来事。
)終わり


「噛み締めるとジューシィなシイタケ、プリプリした歯ごたえのエリンギがだね」
「キノコから染み出たダシに鶏肉がコクを加えてだな」
「それを醤油ダシが香ばしくまとめる訳だよキョン」
「染み渡った飯粒も忘れるなよ」
「おこげもだ」

「「・・・・たまらんな(ね)」」
 二人で顔を見合わせ、いそいそと身支度をする。
 エリンギが足りんからな。

「待たせてしまったね」
「おい、そんな薄着で大丈夫か?」
 コートを羽織り一足先に自転車にまたがっていた俺に、小走りに寄ってきた佐々木は
 ここ数日の暖かさに対応した服装としか言いようのない格好だった。
 が。

「くっくっく。心配ないさ」
「おい」
 耳元にほのかに甘い吐息を届けつつ、背中いっぱいに広がる柔らかい感触。

「僕にはとっておき人間カイロがあるからね」
「左様か」
 ごまかすようにペダルを蹴ると、また一層強く背中に佐々木が密着する。
 いつか中学時代のような、手を添えるだけの体勢ではない
 紙の一枚も通らないような密着した体勢。
 密着した背中に視線を感じる。

 あいつの視線を感じて、視線の意味を探して
 見られて、見られている事を感じて、そうやっていつしか変わった二人の関係。
 友達、親友、一歩一歩近付いてゆく当たり前のプロセスを経て
 当たり前に重なった関係。

「佐々木」
「ん」
 お前は俺の背中にハンコでも押したいのか、と思えるくらいにまっすぐに押し付けていた顔を
 佐々木は一旦引き剥がすと、ぺたりと頬を寄せ直す。
 寄せ直したのだ、ということくらい俺にも解る。
 そのくらいの感性は俺にもあるのさ。

「さ、行こうよキョン」
「おうとも」
 突発的に湧いた非日常の果てにたどり着いたにしてはいささか平凡すぎる日常かもしれないが
 思えば佐々木とはいつだってそうだったし、俺はそんな日々も嫌いじゃあなかった。

 だから、平凡な日々だってコイツと一緒なら悪くない。
 ああ、まったく悪くないね。

 そんなことを考えながら、俺はペダルを踏み切った。
 背中でくつくつと笑う声を引き連れて、な。
)終わり
Part70-x「どうかしたか佐々木?」』

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最終更新:2013年05月11日 02:20
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