「少し散歩してきます」
そう言って、僕は部屋を出た。理由はないが、何となく外を歩きたかったのだ。
何となく気分がいい。酒に酔って気分が高ぶるのと似たような感覚だ。
気の合う友人達と出かけ、多いに楽しむ。久しぶりのような気がする。
海岸沿いを歩き、波の音に耳を澄ませる。人影はごくまばらだ(だいたいどんな人達か想像はつくのだが)。
結構長い距離を歩き、「貴洋亭」へ戻って来た。
「?」
暗闇から、スっと、まるで気配を感じさせない忍者のように僕の前に現れたのは・・・・・・
「やあやあ、こんばんわ古泉君」
ニコニコ顔の鶴屋さん。とても明るい笑顔で元気いっぱいと言ったような表情を見せている。
「一人で夜の散歩かい?」
「ええ。出歩きたい気分だったので。鶴屋さんも散歩ですか?」
「うんにゃ。ウォーミングアップに行くのさ。メインディシュをいただく為の事前運動さね」
一瞬、意味がわからなかったが、すぐに理解した。
「かなり国木田君に入れ込んでいるようですね。鶴屋さんがそんな行動をとるのは珍しいことです」
「そりゃそうっさ。あれだけの逸品はそうそういないよ。磨けば磨くほど光る珠だね。自分が惚れ込んだモノ
を手に入れる為には、全力を尽くさなきゃね。神様ってのはあんがいケチでしみったれなんで、神頼みだけじゃ
なかなか手には入らないんだよ」
なかなか過激な、しかし的を射たセリフではある。
「古泉くんも、いろいろやらなきゃ、欲しいものは手に入らないっさ」
「僕が欲しいもの?」
「ハルにゃんと普通の高校生活」
鶴屋さんを取り巻く空気が変わったような気がした。
「古泉君。お姉さんから一つアドバイスをしておくよ。聞きたくなければ流しといて構わないっさ。ただ、友人の
幸せを願う者の言葉として聞いてくれないかね」
「・・・・・・・・・」
無言の返答をどうとったか。
「今までのことを続けるのはもうやめにしとくんだね。お互いに不幸になるよ。君たち二人の結びつきはすごく強
い。それが愛情かそれとも憎しみなのか。両方なのかもしれないけどさ、いつまでも一緒にいることが愛でもないよ」
「・・・・・・鶴屋さん、あなたは僕らの関係をどこまで知っているんですか?」
喉の乾きを猛烈に感じる。自分の声が平静を装うとしながらも、失敗している事がわかる。
「まあ、だいたい全部。あたしは森さんの親友だよ。親友を名乗るなら、苦しみに気づくことは大事なことさ」
「僕らの本当の関係も?」
鶴屋さんは黙って頷いた。
「鶴屋さん。あなたはやはり規格外の人だ。知ってて僕らと付き合える人間なんて、そういませんよ」
「それを決めるのは世間じゃなくてあたしの意志っさ。あたしは自分の価値観で動く。そのことが巻き起こすことに
かんしては自己責任で引き受けるのだよ」
力強い意思と言葉。鶴屋さんというひとりの人物の人格を作る根底。
そんな力強いものは僕は持ってはいない。僕は弱い人間だ。
鶴屋さんと別れ、部屋に戻ると、”彼”の姿はなく、「出かけてくる」と書かれた書置きが卓の上に残されていた。
佐々木さんか長門さんの所にでも(同じ部屋だが)行ったのだろうか。
敷かれた布団に横になり、天井を見上げていると、鶴屋さんの言葉が蘇って来る。
”別れることも愛の形なんだよ、古泉君”
その言葉は僕の胸に重くのしかかっていた。
「肝試し?」
「えらくベタですね」
「ベタでもいいのよ、これこそ夏の王道よ!」
古泉が散歩に出掛けた後、佐々木達の部屋に行ったのだが、その時、ハルヒが肝試しに行こうと言い出した。
「昼間遊んでいた時、誰もいない神社を見つけたのよ。街灯すらなくてさ。このホテルからそこまでは、ちょうど
いいくらいの距離だし、しかもこのホテルの裏道からいけば、途中の道は照明も少ないし、バッチリよ!」
いつの間にかいていたのか、手製の地図まで取り出して、ハルヒは熱弁を振るう。
「面白そうだし、夏の思い出作りにいいイベントじゃないかな、キョン」
かくして、俺達は肝試しをやることになった。
とりあえず、ハルヒの言に従い、ペアを作り、一人余るので、残り一人はどこかのペアに入ってもらうことにした。
長門が作ってくれたくじを引き、ペアを決めた結果は次のとおりになった。
俺と長門。佐々木とハルヒ。古泉と阪中と橘。
少しハルヒは不満そうな表情をしていたが、くじの結果は結果である。
一番は俺たちである。
「暗闇だからって有希に変なことするんじゃないわよ!」
とんでもないことを言う奴だ。誰がするか。俺はさかりのついた猿じゃない。
「行こうか、長門」
俺の言葉に長門は頷いて、その場を出発した。
海辺のリゾート地は、ホテルが集まる地区を少し離れただけで、宵闇が深くなった。
もちろん、民家もあるのだが、照明が早くも消えた家が多い。漁師町でもあるこの辺は、眠るのも早いのだろう。
ハルヒが見つけた裏道とは、その集落の端の道で街灯も少ない,真っ暗な道である。
ただ、そのせいか、夏の夜空が妙にはっきりと見える。いわゆる光害がないのだ。
俺と長門は懐中電灯を片手に、夜空を眺めながら神社へと向かう。
「足元気をつけろよ、長門」
「大丈夫、キョン君の手を握っているから」
長門が転ばないように、俺達は手をつないで暗い道を進む。
”女の子の手は柔らかいんだな”
昼間、佐々木に日焼け止めを塗った時も思ったのだが、女性の体と男性の体は全く別のものなのだ。
”だからこそ、異性に人は惹かれるのかな”
俺は、柔らかい手に長門の温かさを感じた。
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繋いだ手に彼のぬくもりと力強さを感じる。胸の鼓動が早くなり、気持ちが高ぶる。
こんなに近くに彼を感じることができる。
”足元気をつけろよ、長門”
さりげない優しさで、私に気を使ってくれる。
”この時間が続いて欲しい”
佐々木さんと涼宮さん。彼女たちをライバルと呼ぶのは少し違うかもしれない。
彼への気持ちは、もう少しあやふやなままなところがある。
ただ、彼を近くに感じたい。彼に触れたい。そんな気持ちは私にもある。
友達としてだけでなく、異性としての気持ち。私を”女”の気持ちにさせる衝動。
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別に幽霊が出るわけでもなく、静寂の闇の中に、波の音と虫の音が聞こえる夜道を歩き、あっさりと神社についた。
「綿津見神社」と鳥居に記されている無人の神社は、潮風を防ぐ防風林に囲まれてはいるが、綺麗に整備され、地元
の人の信仰が厚いことがわかる。
「ここから折り返しだな」
とりあえず、せっかく来たことだし、俺達は参拝することにした。
少し長く、いろいろお願い事をして(神聖な神社を肝試しに使うのは失礼かもしれないので、一応わびも入れた)、
来た時と同じように、俺と長門は手をつないで、来た道を戻り始めた。
「ちょっと、あれ、雰囲気が出すぎていない?」
キョンが不平タラタラのペリカン口と評する不満げな表情を浮かべて、涼宮さんはそう言った。
綿津見神社から出てくるキョンと長門さん。闇夜の中で、長門さんが転ばないように、キョンは手をつなぎ、
長門さんはキョンに寄り添っている。
涼宮さんの言うとおり、知らない人間が見れば、二人はとても親密な関係に見える。
「早めに出てよかったわ。キョンも男だから、このままの雰囲気であんなことやこんな事になりかねないから、
有希を守るために監視しておかないといけないわね」
言い訳がましい、説得力ゼロのセリフを吐きながら、涼宮さんは二人の後をつけようとする。
「涼宮さん、一応神社に行かないと。だいたい肝だめしをやろうと言いだしたのは涼宮さんでしょう」
「・・・・・・まあ、確かに佐々木さんの言うとおりね」
「それにキョンなら大丈夫と思うの。涼宮さんが気にかけているようなことはおきないわよ」
キョンは人の信頼を裏切らない。今の長門さんがキョンに寄せている信頼を、壊すような人間ではない。
私たちが神社でお参りしている愛だ、キョンたちは更に先に進んだようだ。
涼宮さんは、少し急ぎ足で帰り道を急ぐ。
”それにしても・・・・・・”
時間は大切なのだろうか?
長門さんがキョンに寄せている信頼。安心したような表情で、キョンの手を握り、その身を寄せている。
私も涼宮さんも、キョンと知り合って、そんなに時間がたっているわけではない。それでも私達は、随分
キョンと親しくなったような気がする。
ただ、私、長門さん、涼宮さんの三人の中では、長門さんが一番キョンに近い(物理的な距離ではなく、
心理的な距離)と思うのだ。
鶴屋さんからも”この旅行でハンデを埋めなきゃだめっさ。佐々っちは綺麗なんだから、一寸は女の武器を
活かして、キョン君を掴むんだよ”とアドバイスもされている(昼間の日焼け止め作戦は少し恥ずかしかった
けど)。
ただし、人の心の距離を縮める最大の武器は、私は信頼だと思っている。そして信頼はすぐにできるもので
はない。日頃の積み重ね、お互いがともにいる時間が有り、相手の心に響く行動があり、誠意があり、そうや
って醸成されていくものなのだ。
キョンの話では、長門さんとは他校ではあるが、中学時代から接点が有り、高校では一緒のクラスになり、
一緒に行動することも多いと聞く。そのなかで、長門さんはキョンへの信頼を持つようになったのだろう。
”キョンと私の間に強い信頼関係が出来ますように。私にもキョンと過ごす時間が増えますように”
神社で神様に頼んだ、私の小さな、でも思いを込めた、強い願い。
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「よ、早かったな 」
キョンと長門さんは無事にホテルに到着していて、私と涼宮さんを出迎えてくれた。
「結構暗かったからな。佐々木もハルヒも怪我とかしてないだろうな」
「それは大丈夫。少しつまづきそうになったけど、僕等は運動神経は悪くないんでね」
「そうか、それはよかった。もうすぐ古泉達も戻ってくるだろう。あとでアイスでも食べるか。近くにス-パ-
があったよな」
「え、キョンがおごってくれるの?」
「ああ。構わないさ」
キョンは笑いながらそう言って、その横で、長門さんも楽しそうな笑顔を浮かべていた。
両脇を美人に固められれば、健全な男子としては、羽化登仙、気分は高ぶるのかもしれない。
ただ、残念ながら、僕は健全には程遠い、爛れたような、どこか破滅的な男であり、それを微笑の仮面で誤魔化
しているのだ。
”彼”が羨ましい。
”彼”は、多分平凡で、絵に書いたような学生生活を送っているのだろう。僕が昔失った、平凡だが輝いている
時を。
「女性二人に脇を固められるのは、どうも緊張しますね」
「え、でも、古泉さんは慣れているんじゃないんですか、こう言う事態は。女の子にすごく持てるし」
「いや、そんなことはありませんよ」
「でも、この前の合コンの時、女性に囲まれていましたよね?」
「あれは、話しているだけですから。女性二人に挟まれて歩く経験はないですよ」
古泉さんの右側に阪中さん、そして左には私。
涼宮さんが提案した肝だめしで、私達は三人で出発することになった。
該当は少なく、道は暗いけど、阪中さんと古泉さんが、さっきからずっと会話していて、あんまり肝だめしの雰囲気
ではない。阪中さんはすごく楽しそうな笑顔で古泉さんとしゃべっている。
古泉さんはいつもの爽やかスマイルで、その笑顔が近くで見れるというわけで、阪中さんがご機嫌になるのも無理は
ないと思う。
「古泉さんが?意外ですね。恋愛経験豊富だとばかり思っていました。この前買い物に付き合ってもらった時、すごく
慣れたような感じだったんで」
「あれはクラブの部長の森さんの買い物に付き合ううちに慣れたんです。森さんは僕の幼馴染で、姉みたいな人ですけ
ど、いろいろ女性への接し方を教えてもらいました」
私の脳裏に、森さんと古泉さんが多丸さんおお店にいたときの光景が浮かぶ。
なるほど、二人は幼馴染だったのか。でも・・・・・・
”親しげな、という印象は受けなかったわ。むしろ”
張り詰めた糸のような、緊張関係。古泉さんのいうような、単なる幼馴染じゃない、おそらく私の感は間違っていない。
「正直に言えば、僕は恋愛事が苦手なんですよ。友人関係としてはそれなりにできると思うのですが、恋人として接する
ことはダメなような気がするんです」
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森さんと出会ったのはかなり前の事。遠い思い出。何も知らない子供の時。
二つ上のお姉さん。両親の友達の娘。
最初に見たとき、少し心臓がドキドキして、暖かい気持ちになった。
初恋。
僕等はお互いの家によく遊びに行き、成長して、彼女を追いかけるように、同じ学校に通い、同じ時を過ごした。
心と体は成長していき、やがて僕等は子供から大人へと少しづつ変貌していく。
彼女とカラダと心を重ねたとき、僕等は真実を知り、それ以来、僕は恋愛をしていない。
高校に入り、僕はひとりの女の子にあった。
涼宮ハルヒ。止まっていた心が、凍りついた感情が動き出し、思いが溶け出す。
恋愛苦手な僕等が、涼宮さんと共に作った恋愛サ-クル「SOS」。
その名前は、僕と森さんの叫び声かもしれない。
”誰に助けて欲しい?何を救って欲しい?”
”彼女に、そして彼に、心を、失った未来を”
何故か目が冴えて、俺は眠ることができず、睡眠中の古泉を起こさないように、そっと部屋を出た。
フロントの当番の人に散歩に出ていく(出入りは午前2時まで可能らしい)とつげ、俺はホテルの外に出た。
ホテルの近くの砂浜はさすがに誰もいない。夜の静けさの中に、波が押し寄せる音だけが大きく聞こえる。
時折、ホテルの中にタクシ-が入っていくが、飲みにでも出た観光客が返ってきたのだろうか。
女性陣達は肝試しの後、アイスを買いに行き、各自部屋に戻っておしゃべりに興じていたが、すぐに寝たようだ。昼と夜にあれだけ
遊んでいれば、疲れもするだろう。
”そういや明日には帰るんだな”
古泉に招待され、同級生たちだけで行く旅行。一夜の夢みたいな楽しい時間。
この時間が、友人達と過ごす時間が続いて欲しいと思う。
佐々木、長門、ハルヒ、古泉、橘、阪中、一緒じゃなかったけど国木田や鶴屋さん、それに谷口、藤原――
中学からの、あるいは高校生になり出来た友人たち。
長い人生から見れば、皆と過ごす3年と言う時間はあっという間なんだろうが、おそらくかけがいのない時間となるのだろう。
”?”
人の気配を感じて後ろを振り向くと、そこには古泉の姿があった。
「寝てたんじゃなかったのか?」
「寝ていたんですが、ふと目が覚めまして、起きてみたらあなたがいない。フロントに聞いたら散歩に出られたと聞きましてね。僕も
散歩してみようかという気分になりまして。あ、これ、飲みます?」
古泉がくれたのはよく冷えた麦茶缶だった。
「ありがたくもらうよ」
古泉から受け取り、プルタブを引く。少し乾きを覚えていた喉に、麦茶を流し込んだ。
「古泉、ありがとうな。俺たちを招待してくれて」
「お礼には及びませんよ。僕が提案したわけですし、皆さんと来れて楽しかったですよ」
「俺も楽しい気分だ」
俺と古泉は笑い合う。
「正直、高校生活がこんな楽しいものになるとは、入学した当時はあんまり思っていなかったけど、お前や皆のおかげで充実してる、
て感じがするんだよな」
「そう言われるとこちらとしても嬉しい気分になるんですが、よく考えると、あなたや長門さんと知り合うきっかけになったのは、涼
宮さんのおかげとも言えるかもしれませんね。縁結びの神様になるわけですか」
谷口の頼みを渋々聞いて参加した合コン。「SOS」と言う変な名前が主催するその集まりで、俺は佐々木やハルヒ、古泉と出会った。
谷口は周防という彼女を見つけ、藤原も朝比奈さんと言う女性と仲良くなり、国木田は鶴屋さんと急速進展、大人の階段を登っている。
「恋愛サ-クル、友達サ-クルだな」
「言い得て妙ですね。涼宮さんによれば、『SOS=学生生活を多いに楽しむサ-クル』の意味だそうですが、実際、恋人関係や友人関係に
発展した参加者は多いですよ。まあ、それと個人的意見ですが、恋愛や友情と言うのは学生生活に極めて重要な要素だと思いますが」
「その意見には賛成だ。お前や佐々木、ハルヒと言う友人に知り合えたことは大きいことだと思っている。もう一つの方の恋愛は、ちょっと
、な・・・・・・」
「どう言う意味ですか?」
「俺はそんなに色恋沙汰は得意じゃないんだよ。元々女性と話すのも得意じゃない方だし。最近は佐々木たちのおかげで少しは慣れたけどな」
「あなたは佐々木さんや涼宮さんと、とても親しそうに話されていたから、ちょっと意外ですね」
「あの二人と長門は特別なんだろうな。変にかまえなくて済むんだよ」
缶に残っていた麦茶を、俺は喉に流し込んで、言葉を続ける。
「古泉、お前も恋愛事は案外苦手なんじゃないのか?」
先ほどの肝試しの時、僕は阪中さんと橘さんに、自分から「恋愛ごとは苦手だ」と告げた。
しかし、それを他人から指摘されたのは初めてのことだ。
「どうしてそう思われたのですか」
内心、僕は少し動揺していたのだが、そのことを隠しながら、彼に聞いてみた。
「お前が女子と話しているとき、すごい紳士的で人当たりがいいんだが、何か壁を作っているように思えたんだ
。そういう態度を取るのは何か理由がありそうなんで、な。お前みたいなハンサムが女性と距離を取りたがるのは
不思議な気がする」
彼には平凡な普通の男子学生という印象が強いのだが、なかなかどうして鋭い感覚の持ち主のようだ。
「昔、俺は好きな女性がいたんだ。初恋だったんだけど、結局叶わなかった。まあ、たいてい初恋は成就しない物
だって、長門に習ったけどな」
彼の言葉を聞いて、僕は複雑な気分になる。
僕の初恋は成就したと言えるのかもしれない。だけど、残酷な真実は僕等の未来を暗いものにした。
「そいつがキッカケで、俺は恋愛が苦手になってしまった。何かを、自分の思いを失うのが怖いんだよ。でも・・・・
・・」
彼はそこで一息ついで、そして言葉を続けた。
「でもな、もうそんな過去に囚われるのはやめるよ。過去は過去だ。ほろ苦い思い出でだけど、未来まで縛られる
ものじゃない」
何か夜の闇の中で、彼の横顔が晴れ晴れと輝いているように見えた。
「高校生になったら、いろいろ変わるかもしれない、なんて中学の頃思っていたんだけど、最近少しずつ実感してき
ているんだ。それは多分、長門や佐々木やハルヒやお前と知り合えた事がきっかけになるんだろうな。『サ-クルSOS』に
合コンに参加するのは乗り気じゃなかったんだが、人間、何が転機になるか、わかったもんじゃない」
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部屋に戻り、僕は暗闇の中で天井を見ていた。
海岸で彼が行った言葉が胸に残っている。
”もうそんな過去に囚われるのはやめるよ。過去は過去だ。ほろ苦い思い出でだけど、未来まで縛られるものじゃない”
ホテルに戻るとき、彼は僕に一つ問いかけをしてきた
”古泉、お前は好きな女の子いないのか?”
その問に、僕ははっきりと、こう答えた。
「ええ。実はいるんです。その人には僕は構えず喋れるんですが」
過去は変えられない。それは僕の中に思い出として残るだろう。でも、未来は自分の意志でいくらでも変えられるのだ。
自分で作っていた壁を、森さんとの狭い世界に逃げていた僕を、壊す時が来たのかもしれない。
”未来は自分の手で掴み取る”
僕は暗闇の中で、手を伸ばした。
夜中に散歩したせいかもしれないが、朝食の時間に一番遅く起きたのが、俺と古泉だった。
女性陣は早々と起きていて、ビュフェスタイルの朝食を(特にハルヒと長門は)たらふく食べていた。
「遅いわよ、あんたたち。変なエロ話でもして夜ふかししていたんじゃないでしょうね」
誰がするか、アホか、お前は。
「まあ、キョンも古泉くんも健全な男子だからしていてもおかしくはないんだけどね」
いや、佐々木よ。天地神明に誓って、そんなことはない。
「彼の言うとおりです。少し夜中に散歩に行っただけですよ」
「ふ~ん。まあ、古泉くんが言うならば信用できるわね」
「僕もキョンの言うことを信じるよ」
佐々木がフォローしてくれたので、ハルヒもそこでこの話を打ち切り、俺達は朝食を取りに行った。
佐々木の隣に俺が座り、ハルヒの隣に古泉が座り、俺達は朝食を食べ始めた。
「うん?古泉、お前も結構朝から食べるんだな」
「基本的な僕のスタイルは朝食と昼食をしっかり食べて、夕方はあんまり食べないようにしているんです。
そのほうが体にいいんですよ」
「なるほど、俺も今度からそうしてみようかな」
そんなことを話していると、このビュフェレストランの入口に、鶴屋さんと国木田が現れた。
ホテルの浴衣を来て、楽しそうにおしゃべりしながら、朝食を載せる皿を受け取っている。
国木田の顔は、何かスッキリとしたような、爽やかな表情で、隣に並んでいる鶴屋さんは、何か熱を帯びたような
表情で国木田を見ている(どこかその表情は色っぽく見えた)。
二人は俺達の席の方には来ず、離れた窓側の席に二人だけで座った。
「何であんな離れた席に座ったのかしら?ちょっと呼んでみようか?」
「やめとけ。二人だけにさせといてやれ」
ハルヒが余計なことをしでかしそうだったので、俺は即座に止めに入る
「そうよ、涼宮さん。二人の仲を邪魔しちゃダメよ」
佐々木もハルヒを止めようとする。
他の皆も俺たちに賛同するように、首を縦に降った。
”野暮な真似はしちゃいかんだろ”
俺達の説得(?)が効いたのかどうかしれないが、ハルヒは国木田と鶴屋さんの方へ向けていた頭をこちらに戻した。
楽しい時間はあっという間に過ぎるものだ。
朝食後、俺達は古泉の計らいで、チェックアウトの時間が過ぎても荷物をホテルに預かってもらえることになり、正午まで
海岸で遊んでいた。
ホテルのお風呂で汗と潮と砂を流したあと、送迎バスに乗り、昼食を食べに出かけ、その後街を散策したり、お土産を買った
りした。
思いっきりこの旅行を堪能した俺達は、家路に帰るバスの中で、少し疲れが出たのか、ほとんど皆眠っていた。
佐々木も長門も、少し座席を倒して、疲れは見えるが満足そうな表情で眠っていた。
「おい、古泉、お前、だいじょうぶか?」
ハルヒの話し相手になっていた古泉は、「眠くなった」とか言って眠ったものの、寝相があまりよろしくないハルヒにもたれ
かかられ、窮屈そうにしていた。
「まあ、何とか」
いつもの爽やかスマイルだが、少し苦笑しているように見えたのは気のせいか。
そうこうしているうちに古泉も俺も眠くなってきた。
”また皆で遊びに行きたいな”
バスの軽い走行振動を感じながら、眠る寸前、俺はそんなことを思っていた。
最終更新:2013年10月20日 17:06