16-499「佐々木さん、猫の目の日々2 人の目の日々の巻2 」

佐々木さん、猫の目の日々2 人の目の日々の巻2

「やあキョン、こうして言葉を交わすのは、ずいぶんと久しぶりだね」
懐かしい声に慌てて振り返ると、そこに、佐々木がいた。
いつもどおりの服装で。いつもどおりの穏やかな笑顔で。
セピア色の風景の中、その姿がやけに溶け込んでいるように、俺には思えた。


大丈夫だったのか、佐々木。いや、ここで会ったということは、お前自身はまだ昏睡状態なのか。
矢継ぎ早に質問を繰り出す俺に、いつもの微笑みで答えると、
「せっかくここで出会えたんだ。歩きながら話さないか、キョン」
佐々木はそう言って、ゆっくり歩き始めた。
「君を始め、みんなには色々と迷惑をかけたね。本当に申し訳なく思っているよ」
そんなこと気にすんな。それより、もう、元通りなんだな、佐々木。
「どうだろうね。さて、どこから説明すればいいだろうか。最初から順序を追っていくとしようか。
特別講習帰りにトラックが突っ込んでくるのを見たときは、『あ、これで僕は死ぬのか』と正直諦めたんだ。
年間の死者が1万人を割り込んだとは言え、交通事故というのは、特に若年層にとっては、ある意味一番身近な死の形態だからね。
そういえばキョン、交通事故が原因の死者数でも、24時間以内に死亡しないと、交通事故死の数には
計上されないというのを知っているかい? あれは警察の怠慢というか、数字さえあげればよしとする、
非常に官僚的な悪癖だと思うがどうだろう」
いや、交通行政の不備についての討論はいいから、その先どうなったかキチンと説明してくれ。
「ああ、すまない。で、まあ正直諦めかけたのだが、その時、君のことがふと頭に浮かんだんだ。
それで、思ったんだ。まだ死にたくないな、と。
僕はまだ、君に言いたいことがたくさんあったし、
やりたいこと、やらねばならないことが山積みだったからね」
そうだな。高校生で死んで未練が残らない奴なんてまずいないだろ。
「僕の含意する個別事例と、君が想定する一般事例の間の差異はひとまず置くとしよう。
それで、何とか必死にトラックを避けようとしたのだけれど、どうにも間に合わなくて。
そう。その時に、僕は現実を改変した、のだと思う」
ちょっと待ってくれ。それって、
「君が何度も見舞いに来てくれたのは知っているよ。その時、外傷はないと説明を受けたと思う。
でも、実際には僕はトラックを避け切れなかった。
だから、「避けきれず事故にあう」という現実を、「奇跡的に避けて外傷はない」という現実に、改変したんだ。多分ね」
……じゃあ、橘たちが言ってたことは、ありゃ与太話じゃなかったってわけか。
お前こそがハルヒの持ってる神様みたいな力の持ち主ってアレは。
「それはどうだろう。全ては僕の勘違いで妄想の産物かもしれない。確かめようのないことだよ。
或いはね、キョン。僕も、涼宮さんも、二人ともそんな力を持っている、そんなシンプルな結論なのかもしれないよ。
ユダヤ教の唯一神じゃないんだ、その力を持つものが一人きりじゃなきゃいけないわけでもないだろう」
意気込むでなく、投げやりでもなく、淡々と当たり前のことを語るような佐々木の口調は、その内容と偉くギャップがある。
「まあ、そこは君の方の長門さんなりに聞いた方がいいよ。向こうが専門家なんだろうし。
僕も、交通事故を回避しただけで神を名乗るほど身の程知らずでも、冗談が好きなわけでもないからね。
これでも一応、君と同じ平凡な常識人を自認しているんだよ。くっくっ」
佐々木が投げかけた問いに、俺が四苦八苦して答えたときに見せる、あの笑みを佐々木は浮かべた。
こうしてみると、ハルヒみたいなバカげた力があろうがなかろうが、そしてそれを自覚していようが、
佐々木はいつもの佐々木にしか見えないんだが。
「ああ、すまない。久しぶりに君と話ができたせいか、僕もやや興奮ぎみだね。
どうにも話があちこち脱線していけない。うん。僕が認識できた経過だけを語ろう」


「事故を回避できた、というのは、何となく分かったんだ。それが、現実を無理やり捻じ曲げた結果であることも。
それとね、キョン。意識がはっきりしたとき、僕は、自分が、自分以外の存在の中にいることを認識したんだよ」
公園まで歩いて、ブランコに座ると、佐々木はそういった。俺もその隣に腰掛ける。
ブランコの感触は、現実世界のそれとまったく変わりなかった。
それはそれとして、もうちょっと分かりやすく頼むぜ、佐々木。
「あの事故の瞬間、僕が意識的に願ったのは、『事故で死にたくない』ということだった。
それが叶って、僕はトラックに轢かれて若い身空で荼毘に付されることは回避できた。
でもね、それと同時に、無意識の部分で願っていたことも、どうやら叶ってしまったみたいなんだ。
僕が、僕のままでいる限り、決して近づけない場所へ行きたいという願いがあった。
誰とも分かち合うことなく、独占したいものがあった。
その願いまで、どうやら一緒になって叶ってしまったようなんだ。
僕自身の肉体を置き去りにして、精神だけが別の場所に宿ることによってね。
だからね、キョン」
佐々木はそういうと、頭を少し傾げて、とても幸せそうで、とても優しげな、そんな深い色をした瞳で俺を見た。
「今の僕は、とても幸せなんだ」
そうか。そりゃ結構なことだが、ドラえもんの最終回の都市伝説じゃないんだ。
のび太が夢の中でどれだけ幸せでも、現実は植物人間の末期状態、なんてのは俺はゴメンだからな。
現実が一番だぞ、佐々木。
「確かに僕にとっては夢のような幸せではあるが、夢を見ているわけじゃないよ。
君が三日おきに病院に見舞いに来てくれていることも知ってるし、
今の状態が両親や橘さん達を哀しませてしまっているのも、ちゃんと認識している。
僕はね、キョン。
きっと君が思っているより、ずっと君の傍にいて、ずっと見ていたんだよ。
それにしても、三日とあけずに通いつめる、という表現があるけれど、きちんと三日おきというのは、
これはその表現に該当するのだろうかね。僕としては、君に負担をかけるのは心苦しいが、
もっと足しげく通ってもらえると、それなりに舞い上がってしまいそうな気がするよ」
いや、佐々木、また話が脱線してるぞ。
「ああ、たびたびすまない。しかしキョン、やはり君と話すのは心地よいね。
このツッコミのタイミングも、君ならではのものだよ。」
それは褒められたと思っていいのか。なんか微妙だな。
「だからキョン、僕は、今の状態が多くの人に迷惑をかけていることも、
現実の肉体を置いてけぼりにしていることも、認識してはいるんだ。
普段の精神が宿っている方が、なにせ精神活動が十全とはいかないものだけに、
ちょっと深刻味は足りないようだけど」
いつぞやの阪中のルソーみたいに、妹にでも入り込んだんじゃあるまいな、佐々木よ。
「くっくっ。君の妹さんのために、それはないと断言しておくよ。ただ、惜しいところでもあると言っておこうか。
……キョン。僕はね、とても幸せで、これがいつまでも続けばいいなと、そう確かに思ったんだ。
でも、それがひと時の夢で、欺瞞であることも分かってる。
だからね、キョン。僕は、きちんと戻るよ。もうちょっと時間はかかるかもしれない。
でも、きっと戻る。だから、安心してほしい。
これ以上、学校を休んで留年して、君を「先輩」なんて呼ぶというのも、僕と君の関係ではよろしくないし、
僕のことを案じてくれている人たちを、これ以上哀しませようとも思わない。
第一、病院で点滴を受けたままというのも体に悪いしね。あまりやつれた姿を君に見られたくはないよ」
いや、そんなことは気にしないが、とにかく早く戻れるならそれが何よりだぞ、佐々木。
「そこは否定しないでくれたまえ、キョン。僕とて年頃の娘なんだからね。
……君には、ずっと伝えようと思っていたのだけれど、僕もこの能力を意識的に操れるわけでないんだ。
宿主となっている肉体が眠りこんだときに、時々この空間に現れることができるようになって、
そしてようやく、今日君を呼べたというわけさ。心配かけてごめんね、キョン」
そうだな。まあ、お前が元に戻れるってんならいいさ。
「うん。約束する。もう少ししたら戻るよ、現実に。そして、もう一つ。僕が元いた場所にも、戻るつもりだよ。
もっとも、その場所の反対側には、涼宮さんやら長門さんやら朝比奈さんがいて、
君の反対側の手を握り締めているかもしれないがね」
なんだかよくわからんぞ佐々木。
「さて、楽しい語らいの時間はそろそろおしまいにしよう。もう、目覚めかけてしまっているからね」
そうか、俺は確か机で転寝してた気がするからな。目覚めたらここからおさらばってわけか。


「いやいや、そう単純な話ではないんだよ、キョン」
何だろう。急に背筋に寒気が走った。佐々木の声が急に冷たくなったからではないのだろうが。
「これは、僕がここにいる間に、僕の意識を訪ねてきてくれた、とある女性から仄聞したことなんだが、
キョン、君は以前にも涼宮さんの閉鎖空間に入って、また出てきたそうだね」
ああ、思い出すのもこっ恥ずかしい経験だがな……ってちょっと待て。佐々木、それを誰から聞いた。
「何でも、その閉鎖空間から出るために、君はある特殊な行為を涼宮さんに行ったらしいと聞いたのだけれど、
今回ここから出るためにも、同じことをすればいいというのは、理の当然だと思わないかね」
いや、ちょっと待ちなさい佐々木さん。なぜ眼を光らせて俺ににじり寄ってくるんでしょう。
そして何故俺の肉体は、俺の脳みそからの命令を一切拒絶しているんですか。
ハルヒだってここまで閉鎖空間で好き勝手ができたわけじゃないんだぞ、ずるいと思わないか佐々木さん。
「sleepinng beauty、という言葉を彼女が教えてくれたとき、偶然というものに何らかの意味を見出す
神秘主義者たちの気持ちがちょっと理解できた気がしたんだ。
覚えているかい? 中学時代、父権社会における眠り姫は、母権社会では如何なる存在だったか、と聞いたことを。
僕はね、こう思ったんだ。結局、何も変わらないと。
眠り姫を求めて、王子様が旅立ち、苦難を乗り越えたように、
きっとはるかな昔、
眠った王子を求めて、姫や巫女は旅立ち、苦難を乗り越えたに違いないのさ。
社会がどう移り変わろうと、結局人間にとって一番大切なことは変わらないのだからね。
自分自身のためにはできないようなことでも、大切な、自分自身よりも大切な誰かのためなら、人は苦難を乗り越えることができるんだよ。
だからね、これは僕からの、涼宮さんへのメッセージ代わりとして受け取ってくれたまえ。
あなたが自らを茨で覆い、ただ一人の王子様を招きよせたように、
私は自ら目覚め、ふらふらとどこかへ行ってしまった王子様を、もう一度目覚めさせる所存です、とね」
佐々木、顔近い。顔近い。
「この力を持って始めてわかったよ。
現実を改変する神の力も、宇宙人の不思議な力も、未来を知る力も、それは舞台装置の一つでしかないんだ。
僕が競うに値するのは、現実改変能力を持った神様でも、宇宙規模の知性体の生体端末でも、未来人でもない。
素直になれない君の同級生や、無口な読書好きや、魅力的な先輩の方なのさ。そちらの方が、よっぽど重大なことだよ。
だからキョン、君の同級生には、きちんとこう伝えておいてほしい。
私が挑むのは、同じ力を持つ者としてなんかではないと。
そうではなくて、君の自転車の後ろに一番乗ったことのある者が、
今、君の自転車の後ろに座っている人と、
君の背中を見る場所を正々堂々と競い合いましょう、ということなのだとね。
よろしく頼んだよ」
そして微笑みながら瞳を閉じて、佐々木は俺の唇に、自分の唇をそっと重ねた。
言っておくが、何味とかその類の事項は一切知らん。夢の中で味覚は結構オミットされるものだ。
そーゆーことにしておいてくれ。


「……俺の意見を言わせてもらえればな、眠り姫が眠るのに飽きたら、魔女のばあさんにクラスチェンジして、好き放題暴れ回るんだよ。
そして哀れな王子様は、引っ掻き回されてストレスで禿げちまうんだ。
まったく、ハルヒといいお前といい……」
我ながら訳の分からない寝言とともに眼が覚めた。机で転寝してしまっていたらしい。
よくは覚えていないのだが、ひどい悪夢を見た気がする。
俺の肩の上で一緒に寝ていたシャミの重みのせいかもしれない。
だが、不思議と眠り込む前の、重苦しい気分はすっかりよくなっていた。
うなぁ。
俺の動きで眼を覚ましたシャミの耳を掻いてやりながら、何となく、佐々木がもうすぐ目覚めるような気がしていた。
さっきの見た夢のせいだろうか。よくわからない。ただ、佐々木はきっと目覚める。そんな確信があった。
いつまでも眠り込んでるような奴じゃないもんな、お前は。
「なあシャミ、橘に電話してやろうと思うんだ。佐々木ならきっとよくなるだろうから、心配すんなって」
なぁう。
シャミは妙に分別くさく返事をした。
以前のように、人間の言葉を分かっているかのように。

                                               おしまい。

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最終更新:2012年05月15日 20:52
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