17-795「小旅行2+1」

「旅立ち」

夏休みも後半に入り、残された日数と詰まれたままの宿題の量を比較検討する意欲すら無くなる8月中旬の早朝、
俺は着替えその他が入ったバッグを肩に掛けて家を出た。
幸いにもバッグの中身がいつの間にか妹に化けていることもなく、電車に乗り込んだ俺は何度も目を通した便箋を
もう一度ポケットから取り出した。
旅支度と言えば長期休暇恒例のSOS団の合宿が定番となっているが、それならば『思い立ったが吉日』を座右の
銘とし、『急がば回れ』『急いてはことを仕損じる』などと言った思考を持たない我が団長様の号令の下、夏休み
初日スタートで盛大に開催されたところだ。
「さすがにミステリツアーもマンネリね。いいわ、今回はあたしがなにか考えるから。あ、冒険ツアーはどう?」
と言う一言で準備に頭を悩ませないで済むと喜んだ古泉も、これなら自分で準備した方がマシだったと言い出すほど
すばらしい企画付きで、な。
そのメインイベントは『道なき道を進み最果ての岬に立って海に向かいバカヤローと叫ぶ』と言うもので、もしも
長門がいなかったら俺達は仲良く熊の胃袋に納まっていたであろうすばらしくスリリングなものだった。
まあそれ以外は鶴屋家提供の豪華別荘に北海道の海の幸と言う高校生の合宿にはあるまじき素晴らしさだったが。

それなら今度はなんなのかと言うと・・・俺にもさっぱりわからなかった。

先週、ハルヒが家族で帰省すると言う理由でSOS団の活動も2週間ほど休みにすると宣告した定例会議と言う名の
お喋り会が終わり、帰宅した俺が郵便受けを覗くと一通の茶封筒が入っていた。
その事務用の封筒には我が家の住所と俺の名以外、差出人の名前すら書かれていなかった。
部屋に戻った俺はその封筒をしげしげと眺めた。差出人不明の手紙には碌な思い出がない。夏休み中だから放課後の
教室にクラスメイトが俺を刺殺すべく呼び出したりするような内容ではないだろうが。
とりあえず封を切ると一枚の便箋とともに旅行会社の名前が印刷された袋が入っていた。その中にはJRの乗車券と
新幹線の特急券。
はて、こんなものを注文した覚えはないのだが。そう思いつつ便箋に目をやると、封筒に書かれていたのと同じ字で
集合場所と集合時間、そして「楽しみに待っているよ」と言う一言だけが書かれていた。
手の込んだハルヒのいたずら、にしてはやり方が下手な気もするし、かと言って他にこんなものを送ってくるような
心当たりも無い。
しかし、その封筒と便箋の字はなにか懐かしさを感じさせた。そしてそれは俺の心の奥深くになぜか安心感を与える
ような気がした。
で、今回も俺は好奇心に負けて早朝の電車で新幹線の駅に向かっているわけだ。そのうちこの好奇心は俺の身を滅ぼす
だろうね。そう思っているうち、電車は途中の接続待ちで5分ばかり遅れて駅に着いた。
集合場所の目印となっている看板のある柱の近くでそっと様子を窺う。
柱に寄りかかるように、一人の少女が立っていた。淡いエメラルドグリーンのワンピースを着た少女、それは俺の親友、
佐々木に間違いなかった。
その姿を見たとき、俺の頭の片隅に冷凍保存されていた記憶が一気に解凍された。そうだ、あれは佐々木の字だ。中学
時代、さんざん写させてもらった佐々木のノートの、丁寧で几帳面な字に間違いない。
「おはようキョン、遅かったじゃないか。寝坊したのかと思って心配していたよ」
俺の姿を見つけた佐々木が軽く右手を上げて近寄ってきた。挨拶をした後、早速疑問に思っていたことを聞いてみる。
「なんだってこんな、差出人も書かない手紙で呼び出したんだ?」
俺が便箋を見せると佐々木はそれを手にしてしばらく眺めていたが、
「いや、これは失礼した。僕は何をやってるんだろうね。肝心なことを書き忘れるなんて」
と苦笑いした後、俺に聞いてきた。
「しかし、こんな正体不明の手紙でよく来てくれたね。おかしいとは思わなかったのかい?」
そりゃ思ったさ。ただ、その便箋の字を見てたらなんだか信用してもいいような気がしてきたんだ。特にその「楽しみに
待っているよ」って部分を見ると、行かないといけない気がしてきたのさ。そう告げると佐々木は
「そうかい」
とだけ言ってやけに嬉しそうな表情をした。
その時、背後から聞き覚えのある声がした。
「あーっ!キョンさん遅刻なのです!」
振り返ると、駅構内のコンビニの袋を手に提げた橘京子が立っていた。Tシャツにショートパンツ、リュックサックを
背負ったその姿はどう見ても妹の同級生としか思えない。ん、待てよ。こいつがいるってことは・・・。
「今度は何を企んでるのか知らんが、もう二人はどうした」
そう問いかけると橘は一瞬きょとんとした顔をした後で
「あ、今日は私達だけです」
と言った。よく聞けば、佐々木たちのグループの融和を図ろうと小旅行を企画したのだが藤原は例によって現地民との
馴れ合いを拒否し、九曜は九曜で融和だの親睦だのと言う概念が無いのか話に乗ってこなかったそうだ。
「それで、せっかく企画したんだしキョンさんを誘ってみようってことになったのです。あ、費用はあたしたちの組織
持ちなのでご心配なく」
ふむ、こいつの組織とやらに世話になるのは癪に障るが、誘拐騒ぎの時に車を捨てたくらいだから金はあるんだろうし、
乗りかかった船ってやつか。佐々木が、今にも俺が帰るんじゃないかって顔で見てるのも気になるしな。
「まあそれはいいけど、なんで俺なんだ?」
それくらいは聞いておいた方がいいだろうと思い、橘に質問する。
「あたしは二人でもいいかなって思ったんですけど、佐々木さんがどうしてもキョンさんを」
「あっ、ほら、橘さん!そろそろ列車が来るしホームに行かないと!」
橘の話を遮るように佐々木が口を挟むと、橘の手を引いて改札の方へ引っ張るように歩いて行った。なんだかずいぶん
慌てた感じだったな。なんでなのか知らんが佐々木が慌てるとは珍しいこともあるもんだ。

「ちょっと待ってくれ。俺もなにか弁当でも買ってくる。朝メシも食べてないんだ」
前を行く二人にそう声を掛けると、橘が答えた。
「あれ?佐々木さんがキョンさんの分のお弁当作ってくるって言ってたんですよー?昨日、旅行の支度するのに一緒に
買い物に行ったときにそう言って色々買って」
「ほら!ええと、き、君のことだから発車時間ギリギリに来て買い物する余裕もないんじゃないかと思ってね。それに
こちらから招待しておいて空腹のまま付き合わせるのも悪いし」
佐々木はそう言うと、左手に提げていた紙袋を俺に渡した。礼を言ってそれを受け取る。
それにしても、今日の佐々木はなんか様子がおかしいよな。まあ、慌てまくる佐々木ってのもなんか新鮮で悪くはない
がね。そう思いながら俺は二人の後をホームへと向かった。


「青い空青い海」
俺たちの乗る列車はもうホームに入線していた。3人掛けの窓側に橘、中央に佐々木、そして通路側に
俺が座り、程なくして列車は動き出した。
早速前の座席の背もたれからテーブルを倒し、佐々木が作ってくれた弁当の包みを開ける。
肉、魚、野菜、そして小ぶりなおにぎりが数個。見た目の派手さはないが栄養のバランスもちゃんと
考えてあるらしい、なんと言うか佐々木らしい弁当だった。
気がつけば、一品一品摘まみあげては口に運ぶ俺の様子を佐々木はなんとなく不安げに見つめていた。
「佐々木」
卵焼きを飲み込んだ俺がそう呼びかけると佐々木はピクッと体を動かし、おずおずと俺の顔に視線を
向けた。さっきからなんかいつもの佐々木とは違った感じがしてどうも俺まで調子が狂うね。
そう思いつつもこんな佐々木も新鮮で悪くはないなとも思いながら
「おまえ、料理も上手いんだな。知らなかったよ」
と言うと佐々木は嬉しそうな顔をして
「そうかい?君の口に合わなかったら逆に悪いことをしたかなと思ってたんだよ」
と言った。いや、お世辞でもなんでもなく佐々木の弁当は美味かった。下味もしっかりついていて、
恐らく結構な時間がかかったのではないだろうか。そう答えると佐々木は一層嬉しそうな笑顔を
見せた。
ん?俺はその時、佐々木の指先に貼られたバンドエイドに気がついた。どうしたんだ?
「ああ、これかい?ちょっと刃物を使いながら考え事をしてしまってね」
バツの悪そうな表情で答える佐々木と目の前の弁当を見て、なんとなく何があったか察した俺はそれ
以上の追求を止め、佐々木の努力に感謝しつつ残りを平らげた。
ああ、卵焼きの中に一かけらだけ卵の殻が混ざっていたのは黙っておこう。

その後、あれこれ話をしたりトランプゲームで橘が古泉も真っ青な大連敗を喫したりしているうちに、
列車は下車予定の駅に滑り込んだ。
冷房の効いた列車を降りた途端、体全体に熱気が貼りつき汗が噴出す。俺たちは暑さから逃げるように
駅前に停まる路線バスに乗り込んだ。
ブルン、と車体を震わせてバスは動き出した。商店街を抜け国道に出る。平凡な田舎町、冷房の効いた
車内、単調なリズムの揺れ。それは俺たちを眠りに誘うには十分すぎるシチュエーションだった。

「わあ!」
前の席に座る橘の声で目が覚めた。俺たちの方を振り返った橘はフロントガラスを指差し、
「ほら、すごいきれいな海!」
と満面の笑みで話しかけてきた。
「わ・・・」
俺の隣に座る佐々木も思わず声を漏らしていた。
たしかに、それは絶景だった。いつしか峠を越えて小高い山の山頂から今度は海岸へ向けて急な坂道を
下ろうとしているバス。その大きなフロントガラス越しに見えるのは、文字通りスカイブルーの空とマリン
ブルーの海、そしてその間を分ける真っ白な雲。そう、一言で言えば「夏」としか言いようのない景色だ。
バスはタイヤを軋ませて海沿いの停留所に停まった。真っ先にバスを降りた橘は俺たちに手を振りながら
ホテルへ向かう道をぴょんぴょんと跳ねるように走って行く。
「橘さん、ちょっと待って」
そう呼びかける佐々木に
「早く早く~」
と答える橘を見ていて俺は妹を田舎に連れて行くときのことを思い出していた。
やれやれ。あいつはミヨキチあたりと一緒にいたらどっちが年上だかわからないだろうね。
佐々木と二人顔を見合わせ、ちょっと苦笑いした後俺たちは小走りに橘を追いかけた。
ホテルの部屋はいわゆるオーシャンビューの和室で、三人で使うにはもったいない広さだった。普通に
高校生が泊まれる値段とは思えないし、ここは素直に橘に礼を言っておこう。
「最初は藤原さん用に一人部屋も取ってあったんですよー」
と橘は張りようのない胸を張って言った。女性三人がこの部屋で藤原が一人、か。そう言えばこいつらの
グループは男は一人だけなんだよな。俺はほんのちょっとだけ古泉の存在に感謝した。数秒後には忘れる
程度の感謝だけどな。
「あたしはこの部屋をキャンセルして二人部屋と一人部屋にと思ったんですけど佐々木さんがキョンさんと
同じ部屋・・・」
「あ、キ、キョン。先に行ってフロントでパラソルとか借りといてくれないかい?せっかく来たんだし
早く泳ぎにいこうじゃないか」
橘の口を塞ぐようにして佐々木が口を挟んできた。そりゃいいが、なんか今日の佐々木の慌てぶりはいったい
なんなんだろうね。

ホテルの前の道路を渡り、階段を下りるとそこはもう砂浜だ。傍らの海の家の更衣室で着替えを済ませ、
適当な場所にビーチマットを広げパラソルを立てる。潮風が心地よい。
「おまたせですー」
橘の声に振り返った俺は、次の瞬間そのままの姿勢で固まった。ス、スクール水着ですか、橘さん?
「えー、なんかおかしいですか?これ泳ぎやすいんですよ」
いや、そうじゃなく、今時小学生だって授業以外じゃ着ないぞそんなもん。
…しかしまあ似合ってるな。ある種の属性持ちにはたまらないだろうね。そんな事を考えていると
「待たせたね」
と言って佐々木がやってきた。その姿を見て俺は再度フリーズした。セパレートタイプの新緑のような
グリーンの水着姿の佐々木は、今まで俺が意識したことのなかった『女の子』に見えた。
「どうしたんだい、キョン?僕の水着姿がそんなに珍しいかい」
佐々木はそんな俺の視線に気がついたのかそう言ったあと橘をチラと見て
「ああ、橘さんのようなスクール水着の方がお好みだったかな?それとも」
今度はちょっと離れた波打ち際で遊ぶ女子大生っぽいグループに視線をやると
「ああいうまるで紐のような水着にすればよかったかな?」
と聞いてきた。一瞬佐々木の紐水着姿を想像した俺は慌てて脳内からその想像を消去すると
「いや、まあ、なんだ。似合ってると思うぞ、それ」
と言うのが精一杯だった。佐々木はそんな俺の困惑振りが面白かったのかくっくっといつものように笑い
俺の腕を取って
「さあ、泳ごうじゃないか」
と水辺へ引っ張っていった。
泳いで、ビーチボールで遊んで、疲れたら砂浜で甲羅干し。俺たちは夏の一日を存分に楽しんだ。
「二人ともまた休んでるんですかぁ?日が暮れちゃいますよー」
おまえのその元気はどこから出て来るんだよ。そう思いながらも波打ち際で浮き輪を振り回す橘に呼ばれ
俺たちは海に入った。遠浅の海岸、俺と並んで歩いていた佐々木は波に砂が削られた部分に足を取られ
「きゃっ」
と声を上げて転びそうになった。俺は咄嗟に手を伸ばしその体を抱きとめた。
「大丈夫か、佐々木」
そう聞いた俺を佐々木は上目遣いに見ると
「うん。・・・ありがとう」
と言って視線を逸らした。
「それにしても、佐々木も案外かわいらしい声出すんだな」
さっきの悲鳴を思い出して、俺がからかうつもりでそう言うと佐々木はもう一度俺の顔を見て、そのまま
黙っていた。その顔がだんだん赤くなってくる。
なんかしら理詰めの反論が来るものだと思っていた俺は拍子抜けしたが、次の瞬間、自分が佐々木を抱き
止めた格好のままでいることに気がついた。今度は俺の顔が赤くなる番だ。
いきなり手を離すのも白々しいし、かと言ってこのままでいるのも気まずい。どうしたものかと固まった
ままの俺の頭部に
「ポコッ」
と言う音を立てて何かが当たった。見ればすぐ脇の水面にプカプカとビーチボールが浮かんでいる。
「へっへーん。油断大敵なのです」
ちょっと離れた位置から橘が得意げに笑っていた。俺は佐々木から手を離すとそのボールを拾い上げて
橘に投げ返した。空気の読めない奴だが今回は助かった・・・のか?
ふと横を見ると、佐々木がその様子を苦笑いしながら見つめていた。なんだかちょっと残念そうな表情を
していたのは、まあ気のせいだろう。


「星空の下」
散々遊び倒した後、俺たちはホテルの部屋に戻った。日に焼けてヒリヒリする肌にクーラーの
風が心地よい。
しばし睡魔にとらわれているうちに早くも夕食の時間になった。海辺のホテルだけあって、
夕食には新鮮な海の幸がふんだんに使われ、SOS団夏合宿の鶴屋家別荘のそれにはさすがに
一歩譲るものの、十分過ぎる豪華さだった。
夕食の後、日が暮れるのを待って再度海岸へ出た。波打ち際で三人、近所で買ってきた花火を
楽しむ。花火の明るさに照らし出される佐々木の横顔。それは中学時代から今まで、意識して
見ることのなかった『少女』としての佐々木のそれだった。
と、考えていて俺はなんとも言えない気分になった。なまじ今まで意識していなかっただけに、
佐々木を性別に関係ない親友でなく、一人の女の子として見ている自分に気がついたからだ。
そう言えば古泉が言ってたな。「10人いれば8人は振り返る魅力的な人です」と。
まあその気持ちはとりあえず仕舞っておこう。あくまで佐々木は俺の親友であって、変に意識
すると逆にギクシャクしちまうからな。

部屋に戻ってからはカードゲームやそれぞれの学校での失敗談やらなんやらの話で盛り上がり、
布団に入ったのはもう日付が変わる頃だった。佐々木と橘は早々と寝息を立てているが、俺は
なかなか寝付けなかった。正直に言えば、隣の布団で眠っている佐々木を妙に意識して眠気が
醒めてしまったのだ。
普段は気にもしない、時計の秒針の音が妙に耳に付く。俺は二人を起こさないようにそっと
部屋を出た。
エレベーターで最上階に上がり屋上露天風呂に体を沈める。満天の星空、下の方から聞こえる
波の音。昼間の疲れが湯に溶け込んで抜け落ちていくような気がした。
そのまま30分も浸かっていただろうか。風呂から出た俺は汗を引かせるため展望デッキへと
足を向けた。
月明かりの展望デッキ。そこには、佐々木が佇んでいた。
「やあキョン。たぶん来るだろうと思っていたよ。目が覚めたら君がいなくなってたんでね」
佐々木はそう言うと傍らのベンチに腰を下ろした。俺もその隣に座る。
「きれいな星空だね」
佐々木がポツリと言った。ああ、全くだ。
「キョン。君は『運命的な出会い』ってものを信じるかい?」
佐々木は星空を見上げたまま言葉を続けた。
「人それぞれ、色々な出会いの形を『運命的な出会い』と言うけどそれはたいていが劇的な
シチュエーションが多いよね」
佐々木が何を言い出したのか真意を掴めない俺は黙ってその話に耳を傾けた。
「でもね、そんな劇的じゃない、ありふれた出会いでも十分運命的だと僕は思うんだ。だって、
この宇宙には、銀河系だけで二千億個以上の星があると言う。その中の一つの星、地球にも
200近い国があって、さらにその一国に過ぎない日本にも47の都道府県と一億二千万の
人間がいるんだよ。そして、長い宇宙の歴史の中ではほんの一瞬に過ぎない同じ時代に同じ
場所に存在する確率、それを考えたら、例えば家が近所だとかたまたま同じクラスになったとか、
そんな出会いも運命的と言って構わないと思うんだけどね」
佐々木はそう言って俺のほうを向いて微笑んだ。
「運命的、か。そうなると、俺とおまえが出会ったのも運命的ってことになるな」
俺がそう言うと佐々木は軽く頷いて
「少なくとも僕はそう思ってるんだけどね」
と言った。そうか。言われて見ればそんな気もするな。
なんと返事をしたものかと俺が考えていると佐々木は急に表情を変えて言った。
「キョン。僕は君に謝らないといけない事があるんだ」
突然そう言われても思い当たる節がない俺が不思議そうにしていると佐々木は言葉を続けた。
「君に送った手紙のこと」
ああ、差出人の名前を書き忘れたことか。よくあることさ、気にするなよ。
「そうじゃないんだ。僕は、君を試すつもりでわざと名前を書かずに送ったんだ」
どう言う事かと訝しげな俺に説明するように佐々木は話を続けた。
「中学時代、あれは君と二人で勉強会をやった最後の時だった。休憩している時に、君は僕に
こう言ったんだ。『ずっと参考にさせてもらってたけど、おまえのノートは本当に読み易いな。
丁寧でしっかりとした字で、おまえの性格そのものだな』ってね。そして君は『もし俺が何か
事故にでも遭って記憶を無くしておまえのことも忘れたとしても、この字を見れば少なくとも
おまえが俺にとって信用できて安心感をくれる人間だって事はすぐに理解するさ』って言った」
そう言えばそんな事を言った気もする。言った俺はなんとなく言った一言。でも佐々木はその
言葉をずっと覚えていたわけか。
「でも僕は不安だったんだ。高校生活で涼宮さんやいろんな人と出会って変わっていく生活の
中で、君は僕のことも、僕の字のことも忘れてしまうんじゃないかってね。それで、君に送る
手紙に、わざと名前を書かなかったんだ」
佐々木はそう言うと俺の目を見つめて
「でも君は来てくれた。そして言ってくれたんだ。『便箋の字を見てたらなんだか信用しても
いいような気がしてきた』ってね。・・・キョン。一時でも親友のことを疑った僕を許して
くれるかい?」
と聞いてきた。
もちろんさ。むしろ謝るのは俺のほうだ。何気なく言った一言でおまえの事をそんなに不安に
させたんだからな。
俺がそう言うと佐々木は微笑んで
「ありがとう」
とだけ言った。
しばしの沈黙の後、俺たちはまたいろんな話をした。頭上に広がる星たちに関する佐々木の
薀蓄は面白く、ずいぶん長い間満天の星の下で語り合った。
言葉が途切れ、ふと気がつくと佐々木が俺の肩にもたれるようにして寝息を立てていた。
時計を見ればもう午前2時を回っていた。気持ちよさそうに眠る佐々木を起こすのも忍びなく、
どうやって部屋に連れて行こうかと俺は思案した。
もう寝ているのを背中におんぶするのは難しく、結局ちょっと躊躇したもののこんな時間なら
誰かに見られることもないだろうと俺は佐々木をいわゆるお姫様抱っこの形で部屋に運んだ。
思った以上に軽く、柔らかい体。それは再び俺に『女』を意識させ、つい浴衣の胸元に視線が
行くのを俺は懸命に堪え、視線を逸らした。いかん、寝ている親友に俺は何を考えてるんだ。
その時、佐々木が
「・・・キョン」
と俺の名を呼んだ。一瞬ドキッとしてその顔を見ると、どうやらそれは寝言らしかった。
「・・・キョン。私、君を・・・」
ん?今、佐々木は『私』って言ったよな。こいつは、俺と話す時には絶対に自分のことを私と
言わず僕と言っていた。そうやって俺と話す佐々木の様子を、仮面を被ってるんだと評した
やつもいたな。自分を女だと意識させないための仮面だと。
すると、今の佐々木は夢の中で仮面を脱いで、一人の女の子として俺に話しかけているのか?
その先、佐々木が何を言おうとしているのかが気になったが、寝言はそれで終わり、あとは
スヤスヤと寝息を立てるだけだった。まあいいや。いつかちゃんと起きてる時にゆっくりと
聞かせてもらおう。

部屋に戻った俺は、開いた口が塞がらないと言う心境で立ち尽くしていた。橘が掛け布団を
蹴っ飛ばした上、自分と佐々木二人分の布団を占領するように大の字になって眠っていた。
本当にこいつはミヨキチと、いや、比較対象にしてはミヨキチに失礼か。むしろウチの妹と
互角の勝負ができるかも知れん。
「やれやれ」
俺はそう呟くと自分の布団に佐々木を寝かせ、自分は座布団を並べて部屋の隅で寝ることに
した。


「延長戦」
目が覚めると、目の前15センチの位置に佐々木の顔があった。
「あ、お、おはよう、キョン。よく眠っていたので起こすべきか迷っていたところだったよ」
おはよう。・・・おまえ、なんかまた顔赤くなってないか?
「いや、そんなことはないよ。うん、たぶん気のせいだよ、うん」
どうもこの旅行中、ずっとこんな調子なんだよな。ま、いいか。旅に出てる時って誰でも気分が
ハイテンションになるからな。佐々木だってそうなんだろう。そう思いながら佐々木の顔を眺めて
いて、ふと昨日の寝言を思い出した。
「おまえ、昨夜はなんか夢見たか?」
佐々木はちょっと戸惑った顔をしたあと、笑顔に戻って言った。
「うん、とてもいい夢を見たんだ。目が覚めるのがもったいないくらいのね」
そして口元を歪め、ちょっとニヤリとすると今度は俺に聞いてきた。
「僕は昨日屋上で眠ってしまったようなんだが、キョンが部屋まで運んできてくれたのかい?」
俺が頷くと、畳み掛けるように
「どうやって運んできてくれたのか、ちょっと興味があるんだが」
と言いやがった。「寝てるところをお姫様抱っこで」とはとても言えず、俺は
「どうだったかな」
と、とぼけて視線を天井に向けた。佐々木はそんな俺の様子を見てくっくっと笑うと
「まあいいや。それで部屋に戻ったらこの状態だったんで僕を君の布団に寝かせて自分は畳の
上で寝てたってわけだね」
いまだに二人分の布団を占領して大の字になって熟睡中の橘を眺めつつ楽しそうに言った。
「なんなら一緒の布団で寝ても構わなかったんだけどね」
いや、それは俺が構う。そう言うと佐々木はまた笑いながら俺の顔を見つめた。

朝食の後は近所の水族館や美術館を見物し、駅のある街に戻ってからも昼食と済ませ市内散策、
そして土産物の購入と盛り沢山なスケジュールを消化し、帰りの新幹線に乗り込んだ時には
さすがにクタクタだった。気がつくと佐々木と橘はすやすやと寝息を立てていた。俺もシートを
倒して眠りの中に吸い込まれていった。
車内放送の音で目を覚ますと、もう降りる駅が間近だった。ふと脇を見ると佐々木が俺の顔を
じっと見つめていて、俺が目を覚ましたことに気づくと急に視線を逸らした。
「ああ、もう着くのか。旅行って終わってみるとあっという間だよな」
俺が背中を伸ばしあくびをしながらそう言うと、佐々木はちょっと寂しそうな顔で
「これでまたしばらく君とはお別れだね」
と言った。なんでそんな寂しそうな顔をするんだよ。暇な時にでも電話してくれればいくらだって
付き合うぜ。ああ、俺の方から誘ってもいいか?
「いいのかい?涼宮さんたちとSOS団の活動するのも忙しいだろうし」
ああ、そんな事を気にしてたのか。いいんだよ、あいつらもおまえも大切な友人に変わりはないさ。
そう答えると佐々木はちょっと複雑そうな笑顔を見せて
「大切な友人、か」
と一旦言葉を区切った後
「ありがとう。それなら遠慮なく誘わせていただくことにするよ」
と言って笑った。
なあ佐々木、おまえ、時々俺に寂しそうな顔を見せるけど、笑顔の方がずっと似合ってるぞ。
さすがに言葉にはできなくて、俺は心の中でそう呟いた。
列車を降り、改札口へ向かう階段を下りようとしたとき、佐々木が
「あっ」
と声を上げた。どうした?忘れ物でもしたか?
「橘さん!」
そう言われて俺も気がついた。後ろを振り返っても橘の姿はなかった。まさか、まだ寝たままか?
慌てて引き返そうとした瞬間、ドアを閉じた列車はゆっくりと動き始めていた。
「あいつもガキっぽいとは言え高校生だ。自分で車掌に切符見せて相談くらいするだろ」
俺がそう言うと佐々木は軽く首を振りながら言った。
「忘れたのかい。帰りの切符は三人分とも僕が預かっているんだよ」
そうだった。列車に乗る時改札を入った後、袋が1枚しかないしポケットに入れて曲げてしまうと
自動改札を通れないからと、佐々木がまとめて袋に入れていたのを思い出した。
急いで携帯を取り出し電話を掛けていた佐々木はしばらくするとまた首を振りながら電話を切った。
「どうも音量を下げているのか鞄に入れたままなのか、いくらコールしても出ないんだ」
さて、どうしたものか。ホームの柱にもたれかかって考えている時、ふとさっきの佐々木の表情が
目に浮かんだ。「これでまたしばらくお別れだね」と言った時の寂しそうな表情が。
「なあ佐々木。おまえ、このあと何か予定あるか?」
急な質問に一瞬不意を突かれた表情を見せた佐々木はすぐにいつもの顔に戻ると答えた。
「いや、特にないよ。予備校の夏季講習も今週いっぱい休みだし」
「よし。それじゃ橘にメールしてくれ。内容は『目が覚めたら次に停まった駅で降りて駅名を連絡
しろ。ホームで待ってれば拾いに行ってやる』で」
どういう意味かと問いたげな佐々木に俺は言葉を続けた。
「ここであいつが引き返してくるの待ってるより迎えに行っちゃおう。まあ、なんだ。延長戦って
とこかな、今回の旅行の」
佐々木はしばらく俺の顔を見つめると、急に笑顔になって返事をした。
「うん、そうだね。そうしよう」
ちょうど入ってきた列車には、ちょうど二人がけの席が空いていた。そこに座り俺は思わず言った。
「それにしても橘の奴、ウチの妹より手がかかるな」
それを聞いた佐々木はくっくっと笑ってから
「その先は僕に言わせてくれるかい。君はこう言いたいんだろう」
そう言って一瞬間を置くと俺の口調を真似て
「『やれやれ』ってね」
ご名答だ。そう言って二人顔を見合わせて笑った。
ホームを離れ加速していく列車の中、俺は思っていた。
橘よ。どうせなら終点まで眠っててもいいぞ。そうすればその間、佐々木の笑顔を見ていられるからな。

                               小旅行2+1 END

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最終更新:2007年08月20日 10:11
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