20-448「佐々木さん、八月の終わりにの巻」

              1
ちょっと一休みのつもりが、あまりの心地よさついウトウトとしてしまい、
そのまま熟睡まで一気に転がり落ちてしまった。
ぼんやりと意識が覚醒しかけると、やけに柔らかい感触と、
クーラーではない、柔らかな風の快適さが身に沁みる。
「……やあ、キョン。ようやくお目覚めかい」
いつもよりも小さい、ささやくような佐々木の声。
まるで眠っていた子供をやさしく見守るような目で、佐々木がくすりと微笑んだ。
膝枕してくれてた上に、団扇で扇いでいてくれたのか、すまんな。
そこらへんに転がしておいてくれてもよかったのに。
「そうもいかないさ。で、僕のひざの上での寝心地はどうだったかな。疲れが取れたのならいいのだけれど」
ああ、ずいぶんリフレッシュしたよ。おかげでずいぶん長く眠り込んじまった。
お前も疲れたろうに。悪いことしたな。
「そう思うなら、もうひと踏ん張りで終わる宿題を、きっちり片付けてくれたまえ。
 僕の分は、君が寝ている間に終わらせたからね。後は君が終わるのを見届けるだけさ」
へいへい。特等席で眠らせてもらったからな。せいぜいがんばるよ。
そう応えると、あいつはいつものように、「くっくっ」と喉を鳴らして微笑んだ。


              2
夏休み最後の日、二人で宿題を片付ける。
といっても、僕の分はほぼ終わっているので、残りを整理しつつ、キョンの宿題を見てあげるという形だけれど。
彼は決して自分で言うほど勉強が苦手なわけではない。その証拠に、詰まっている所も、
僕が1つ、2つヒントを与えれば、すぐに自分で解法を見出している。
多分、教科書とか授業の時間とかとの相性が悪く、いくつかの暗記すべき所で躓いているだけで、
その気になれば僕や国木田くんと同じレベルにまで達するのに時間はかからないと思う。
いや、これはちょっと贔屓目が過ぎるかな。何しろキョンのことだけは、客観的に見られる自信がないから。

ご家庭の人のご厚意で昼食を頂いていから、ようやくキョンも集中しだしたらしく、
しばらく会話もなく、互いに自分の問題を片付けていた。
充実した時間が過ぎ、自分の宿題を完遂して両手を伸ばすと、時計は午後3時を回っている。
「どうだねキョン、進み具合は……」
ふと見ると、彼は平机に突っ伏して沈没していた。
やれやれ。
まあ昨日も徹夜でようやく目処が立つ所まで来たみたいだから、そろそろガス欠になってもおかしくないかな。
不自由な姿勢で寝ていると、却って疲れてしまうし、ヨダレでせっかくの宿題を汚してもまずかろうと思い、
そっとキョンを床に伏せさせる。それでも目が覚めないのだから、本格的に疲れているのかな。
ノートの様子からみるにあとちょっと。頑張ったねキョン。
効きの悪いクーラーを止め、彼の部屋の窓を開け放つ。
途端にセミの声と熱気が襲ってくるが、もう盛夏の勢いはない。
暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものだ。先人の知恵は偉大だね。
机から団扇を一つ取り、彼の頭をそっと持ち上げて、横すわりした僕の太ももの上に横たえる。
わずかに秋の気配を含んだ風を、そっと団扇であおぐと、少し汗の浮いた彼の寝顔が、心なし和んだように見えた。
「……ねえキョン、夏が過ぎ行くよ。受験生の宿命とは言え、思い出に残る夏とは行かなかったじゃないかね。
 おまけに君は、僕とは違う学校に行くというし、いったい僕はどうすればいいんだい」
ささやくように呟いても、キョンは目覚めない。もちろん、目覚めないように小さな声で呟いているのだけれど。
「僕が君に合わせて志望校を変えたとしても、多分君は喜ばないだろうね。
 君は僕のような変人を、そのまま許容してくれたけれど、
 その一方で、僕が変わることを無意識のうちに禁じてしまってもいるんだね。
 僕が突然君に一途に尽くす、クラスの誰かさんみたいな一女子生徒になったら、君は絶句するだろうなあ。
 でも僕とて年頃の娘なのだよ。三年先の大学受験や何かより、「好きな人と一緒の学校に行きたい」
 なんて、やや子供っぽい理由で志望校を選んでも、そんなに不思議じゃないんだ。
 しかし、君にとっての僕は、そういう人間ではありえないんだろう。
 なんでも見透かしたような顔をして、衒学の諸事に現をぬかし、年相応の問題で悩む姿なんて、
 君には想像できない変な女。いや、そもそも君は、僕を「女」と認識しているのかね。
 あまり真剣に検討したくはないな。結果を受け止めきれる自信がない」
夏が終わり行くせいだろうか。いつも胸の奥にしまってある言葉が、ぽろぽろとこぼれてしまう。
「キョンくーん! おやつ……」
ノックなしで、アイスを手に持った妹さんが飛び込んで来たが、眠っている彼の様子を見て、
途中で静かになった。
僕が唇に人差し指を当て、にっこり微笑むと、妹さんもわかってくれたらしく、
「にひひ」と擬音がつきそうな満面の笑みを浮かべると、無言で僕にだけアイスバーを手渡して
そっと部屋から出て行った。
「……あいにくと僕も、こんな僕自身を気に入っているし、なかなか持って生まれた性質は変わらないから、
 多分君ともずっとこのままでいくしかないのだろうね。
 でも、学校が変わっても、君は僕のことを覚えていてくれるかな。
 いつかまた、こんな風に、君を膝枕して扇いであげる機会がもてるのかな。
 ねえキョン。
 私のこと、忘れないでいてね」

セミの声にまぎれるようにして、眠る彼の頬に、そっとそんな言葉をのせた。
眠り続ける彼の頬は、うっすらと汗の味がした。

              3
ちょっと一休みのつもりが、あまりの心地よさついウトウトとしてしまい、
そのまま熟睡まで一気に転がり落ちてしまった。
ぼんやりと意識が覚醒しかけると、やけに柔らかい感触と、
クーラーではない、柔らかな風の快適さが身に沁みる。
「……やあ、キョン。ようやくお目覚めかい」
いつもよりも小さい、ささやくような佐々木の声。
眠っていた子供をやさしく見守る目で、佐々木がくすりと微笑んだ。
膝枕してくれてた上に、俺たちを団扇で扇いでいてくれたのか、すまんな。
俺だけなら、そこらへんに転がしておいてくれてもよかったのに。
「そうもいかないさ。ただ、僕の膝の上は、もう君専用ではないからね」
俺の隣で同じように眠る、俺たちの幼子のあどけない寝顔。
二人ぶんじゃ重かったろう。
「そうでもないさ。いつか思った疑問の答えも出せたしね」
よくわからんことを言うと、俺の細君は、二人の話声で目を覚ましてぐずりだした子を、
やさしく抱き上げてあやし始めた。
しかしまあ、学生時分はよかったね。あの長い夏休みが懐かしいよ。
「君の場合、いつも最後まで宿題を残して大騒ぎだったじゃないかね。
 忘れたとは言わせないよ」
まあ、そのたびにおまえには迷惑をおかけしました。たいへんカンシャしております。
「ま、君ももう若くないし、この時期は体調を崩しやすいからね。
 君一人の体じゃないんだから、油断しないで頑張ってくれたまえ」
へいへい。特等席で眠らせてもらったからな。せいぜいお前さんたち二人のためにがんばるよ。
そう応えると、あいつはいつものように、「くっくっ」と喉を鳴らして微笑んだ。

                                  おしまい

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最終更新:2013年02月03日 15:33
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