21-409「最愛の傷」後半


 音のない病室。眠る佐々木の頬に触れる。その温かさに俺は少しだけ安心できた。病室の隅に置いてあるパイプ椅子に腰掛ける。
 朝比奈さんや古泉の言っていたこと。俺はまだ信じられずにいた。涼宮も俺も佐々木も、一緒にそれなりに楽しい時間を過ごしてきたはずだ。そこに嘘も偽りもない。俺たちが憎しみあうことなんてないはずだ。
 だったら、なぜ?嫉妬?いったい何に?涼宮が佐々木に?
 だとしたら、涼宮は俺のことを?
 ずっと、涼宮にとって俺は使い勝手のいい雑用係程度の存在だと思っていた。でも、それは俺から見た涼宮だ。涼宮の気持ちなんて考えたこともない。あの野球大会のとき、俺と涼宮は二人で何を話していた?
 肉体的な疲れが思考を混乱させているのか、頭の中がぐちゃぐちゃで考えが全くまとまらない。俺の佐々木に対する気持ち。俺の涼宮に対する気持ち。今の、胸に穴が空いた様な喪失感はいったい誰のせいだ。
 あの事故。あれは凍った階段で、佐々木が足を滑らせてしまった。記憶の糸をたぐり寄せる。きっかけが何かあるはずだ。本当にそうなら。あの事故の直前、鞄に手を突っ込んで無表情に突っ立っていた涼宮の顔を思い出す。あの時、佐々木がマフラーを俺に持ってきてくれて、佐々木がマフラーを俺に巻いてくれて。
「くそっ!」
 わからない。俺にはわからない。知ってしまったからこそ、気付いてしまったからこそ、俺にはわからない。音のない病室に俺の声だけが、空しく響く。
 伝えなくちゃならない。俺の気持ちを。
 目を閉じてみた。赤いサイレンがちらついているのが見えた。


 ギシッ、という小さな音がした。
 床を見つめていた俺は、顔をそちらのほうへ向ける。この夜の来訪者。なぜだか、俺には最初からそれが誰だかわかっていた。きっと、あいつはここへ来るだろうと思っていたから。
「よう、来てくれたのか。」
 その来訪者は俺の隣の椅子に腰掛けて、ベッドのほうを見ていた。
「……お前、家には帰っていないのか?」
 制服と学校で使っている鞄を持ったまま、俺と目を合わせることなく、静かにそこに座っていた。鞄ともう一つ、コンビニの袋を持っているのが見える。
「まだ、佐々木さんは目覚めないの?」
 やっと口を開いたその声は、普段の涼宮から想像も出来ないほど弱弱しいものだった。


「あぁ。」
 俺は短く肯定する。
「こんな時間に見舞いに来て大丈夫なのか?」
 時刻はもう夜の十一時前だった。
「家には連絡してあるから、大丈夫よ。」
 涼宮は短く答えた。両膝の上に置かれたその手に触れる。
「ちょ、何するのよ!」
 その手は氷のように冷たかった。
「お前、まさか、あれから家に戻らずにいたんじゃ?」
「別に。」
 口を尖らせて、目線を逸らす。俺は知っている。お前がそうするときは、嘘をついている時だって。
「嘘をつくな。俺には―っと」
 俺の言葉を遮るように涼宮はコンビニの袋を突きつけてきた。
「食べなさいよ。パンとか飲み物とか買ってきたから。どうせ、何も食べていなかったりするんでしょ。」
 コンビニ袋の中にはサンドイッチと、冷え切った缶コーヒーが入っていた。
 そうやって悪態しかつけないから、お前はいつも勘違いされちまうんだよ。
「さんきゅ。」
 ただのありきたりのコンビニのサンドイッチなのに、なぜこんなに特別なもののように感じられるのだろう。自分自身の情けなさが身に染みる。
 俺にとって涼宮はなんだ?いっつも面倒ばかりをかけてくる迷惑な奴?俺はいつもこいつに振り回されてばかりだ。笑えるくらいに。いつもいつでも。
 根は優しいくせに、ひねくれてやがるから、こいつとまともに向き合おうとしなきゃ、こいつのよさはわからねえよ。もっと素直になれればいいのにな。
「あんたこそ、こんな時間まで病院にいても大丈夫なの?」
「別に。家にいたって寝れそうもないしな。なら、ここに居るほうがまだましだ。」
「そんなに佐々木さんのことが大切なんだ。」
「……あぁ。」
 自分でも信じられないくらいにあっさりと肯定した。今更、恥ずかしがっても、強がってみせても、どうしようもない。このまま佐々木が目覚めなかったら?想像しただけでまるで世界が崩壊するような気分になる。足元の世界が崩れ落ちていく気がする。
「お前こそ、なんでこんな時間に来てくれたんだ?」
「別に。なんとなく。」
 それはないだろう。どこの世の中になんとなくで、この雪の中数時間ほっつき歩く奴がいるんだ。
「なんとなく、なんとなくよ。なんとなく、あんたがここでずっとうなだれていそうな気がしたから。」
 期待にお応えしてしまってすまないな。
「心配かけてすまない。」
「……全くよ。」
 両手でスカートを握り締める涼宮の声にいつもの力は感じられなかった。
 空虚に、ただ空虚に、この時間と空間が俺の心に穴を開けていく。


「マフラー。」
「えっ?」
「マフラー、ずっとしているのね。」
 涼宮は佐々木の方を向いたまま突然口を開いた。
「え、あぁ。なんか、これを離してしまったら、佐々木が本当に遠くへ行くような気がするから。」
「嬉しかった?」
「え?」
「マフラー、嬉しかった?」
「……あぁ。」
「でしょうね。あんたほんとうに間抜けな顔して喜んでいたものね。自重しなさい。あんな間抜けな顔見れたもんじゃないわよ。」
 悪かったな、そう言い返そうと思ったとき、涼宮の様子が普段と違うことに気がついた。顔は平静を装っているが、スカートをつかむ指が、血がにじみそうなほどに食い込んでいる。
 窓の外では雪がやさしく降り積もっていっている。この雪みたいに、俺もやさしくなれたらいいのに。


「ちゃんとプレゼントは用意してたんでしょうね?」
 なんだ、また唐突に。
「悪いけど、お前に渡す分はまだ―」
「違うわよ。佐々木さんに渡すプレゼントよ。」
 少しの沈黙。俺は言い訳を探していた。
「まさか、用意してないなんて言うじゃないわよね?」
「これだよ。」
 コートのポケットから小さな紙包みを出す。華奢で、すぐ折れそうな気がした。
 髪留め。値段は大して高くないけど、俺はこれを探すのに2,3時間は街を歩き回っていた。女心なんて全くわからない俺には、何を贈っていいものか皆目見当がつかず、馬鹿みたいに同じような店を何度も行ったり来たりしていた。そんな中、ある小さな店でディスプレーされていた髪留め。ブランド物か、高級品か、なんて俺にはわからない。けど、佐々木に似合いそうな気がした。あいつがこれを付けて笑ってくれれば、とてもよく似合う気がした。
 あいつに似合えばいいなと思って買った。あいつが喜んでくれればいいなと思って買った。あいつの笑う顔が見たかった。あいつの喜ぶ顔が見たかった。
 紙包みの表面に丸い染みがぽつりぽつりと出来ていく。俺は、泣いていた。


「もうっ、情けないわね。」
「すまん。」
 涼宮のふてくされた声に引き戻された。相変わらず口は悪いが、声には温かみがある。
 服の袖で涙をこする。しかし、拭き取っても、拭き取っても、それは溢れ出てきた。本来これを持つべき人に渡せないかもしれない、この紙包みが不憫で、どうしようもなかった。そして、これを渡せないだけじゃない。俺にはもっと伝えなければならないことがあったはずだ。伝えたいことがあったはずだ。その後悔と無力感が胸を締め上げる。
「バカ。あんたハンカチくらい持っていないの?」
「……悪い。」
 涼宮はわざとらしく大きなため息をついてみせた。
「ほんっと、世話がかかるわね。」
 そして、あいつは脇においてある鞄のファスナーを開けて中に手を突っ込んだ。そこから出てきた右手には、小さなタオルが握られていた。
「あぁ、ありが―」
 そこで俺は目に入ってきたある物に息を呑んだ。
 意識的にそうしようと思ったわけではない。ただ、なんとなく涼宮の手の動きを眺めていただけだった。
 ファスナーをあけて、小さなタオルを取り出した瞬間、その開いた口の隙間から、毛糸の玉と編みかけの―マフラーが見えた。


 頭の中で、今日一日の出来事がプレイバックされる。
―涼宮さんを恨まないであげてください。思ってしまったことが現実になってしまうというのは、ある意味彼女自身にとっても不幸なことなのですから
―涼宮さんも、キョンくんとクリスマス過ごしたかったのかな
 古泉、朝比奈さんの言葉が頭に鳴り響く。
 なぜ、どうして、まさか―
 勘違いかもしれない。きっとそれは勘違いかもしれない。他のやつ、そう父親に渡すつもりだったとか―
―私も、あんたにはもったいないくらいのとびっきりのプレゼントを用意するつもりだから、あんたそれに見合ったものを選んでくることね
 その刹那、あの時、あの瞬間の涼宮の得意満面な笑顔が頭に浮かんだ。腰に両手を当てて、今にも爆発せんばかりのエネルギーを放ちながら笑っている顔。
 そして―あの時、部室から出た直後のあの時、あの時の鞄に手を突っ込んで無表情に突っ立っている涼宮の姿。俺はうずくまった、心臓をナイフで刺されたように。


 涼宮から手渡されたタオルで、俺は顔を隠して泣いていた。自分がどうしようもなく情けない。このまま消え去ってしまいたい。あの瞬間に、あいつがどれだけ傷ついているかを理解せずに、アホみたいに笑っていた自分が、許せない。
 ……歌が聞こえる。すぐ傍から。俺の隣から。
 涼宮が静かに歌っていた。それはまるで賛美歌のような、そして子守唄のような。歌詞のないハミング。俺は、子供みたいに泣き止んだ。足を投げ出して、静かに歌う涼宮の横顔。静かな夜。外ではまだ雪が降り積もり続ける。ホワイトクリスマスイブ。いつの間にか日付は24日になっていた。胸のマフラーを握り締める。
 わかっている、わかっているよ。


 俺は神様じゃない。だから、どうしたらいいかなんてわからない。
 でも、一つだけはっきりわかっているのは―
 ごめんよ、俺には失いたくないものがある。
 絶対に失いたくないものがある。
 ごめんよ―
 初めて料理を作ったときに、ためらいがちに感想を聞いてきた、あのはにかんだ顔
 俺のへたくそな感想に安堵しきったあいつの笑顔
 俺に勉強を教えるときの得意げな顔
 俺を困らせて喜ぶ悪戯っぽい笑顔
 あいつの泣いた顔、怒った顔、笑った顔
 自転車の後で感じていたあいつの体温
 あの公園―
 それら全てが、もう、ただの思い出になってしまうなんて。ただ、記憶の中で何も変わらなくなってしまうなんて。俺には耐えられない。
 恨んでくれてもかまわない、罵ってくれてもかまわない。でも、もう一度、あいつと話をさせてくれ。あいつの笑顔を俺に見せてくれ。
 傷つくことなら恐れないから。俺は自分が傷つくことなら恐れないから。その傷すらも愛おしいくらいに、恐れないから。
 だから、お願いだから、傷つかないで。悲しまないで。


「なぁ、涼宮。」
 ごめんよ。
「お前も祈ってやってくれないか。」
 ごめんよ。
「あいつが、佐々木が早く目を覚ますように。」
 沈黙。残酷な静寂。涼宮は静かに窓を見つめたままだ。
「佐々木とまた話がしたい。佐々木の笑顔をまた見たい。なぁ、涼宮。……俺、佐々木のことが好きなんだ。だから、だから―」
 俺は両手で頭を抱えるように。逃げ出したくなるくらいに残酷なことを言っているのはわかっている。でも、片足を前に出して。それからもう一つの足を前に出して。傷つけあうとわかっていても前へ。
「お前にも、あいつが早く目覚めるように祈って欲しい。」
 これ以上―
「頼む。頼むよ。」
 雪がまだ降り積もってくる。白く染めてくれたらいいのに。何もかも白く染めてくれたらいいのに。


 ずっと窓のほうを見つめている涼宮。ずっと床を見つめている俺。お互いに目を合わせることは出来ない。きっと目を合わせてしまったら、何かが壊れる。
 おかしなもんだな。なんで、誰も望みもしていないのに、お互い傷つけあってしまうんだろう。


「なんで私にそんなこと言うのよ。」
「……ごめん。」
「それは私じゃなくて、佐々木さんに言うべきことでしょ。」
「あぁ、そうだな。」
「……佐々木さんのことそんなに好きなの?」
「あぁ。……好きだ。」
「あんたねえ、なんか重大なことを告白したつもりなんでしょうけどね、ばればれなのよ。秘密なんかじゃなくて、…そんなのただの事実確認よ。」
「そうか。そうだな。」
「当たり前でしょ。日付が変わるまで付き添っているくせに。あんたにはいっつもあの子がセットみたいにくっついているくせに。それで、ばれていないって思っていたなんて、鈍感にも程があるわ。」
「そうか、そうだな。俺は、本当に、鈍いよな。情けなく、なるくらいに。」
「大体ね、あんたね、そんなことを私に言って、どうするのよ。そういうことは、佐々木さんに、直接言ってあげなさいよ、この、馬鹿。」
「―ありがとう。」
「かっこ悪いわね。泣いて、ばかりで。どうしようもなく、かっこ悪いわね。その包み、彼女への、プレゼントなんでしょ。そんなに、ぐしょぐしょに、しちゃって、どうするのよ。彼女に、渡して、あげるんだから、もっときれいにしてあげなさいよ。」
「そうか。そうだよな。俺は、これを、佐々木に、渡さなきゃ、渡さなきゃいけないもんな。」
「そうよ、ほんとに馬鹿ね。ほんとのほんとに馬鹿ね。贈る相手のいない、プレゼントなんて、どうしようもなく、悲しいだけじゃない。」
「……そうだ、まったくだな。贈る相手の、いない、プレゼント、なんて、悲し、すぎるよ、な。」
 途切れ途切れの会話。もう俺には、これ以上、声を出すことが出来ない。


「そろそろあたしも帰るわ。」
 涼宮は顔を窓に向けたまま立ち上がった。
「あぁ。」
 送っていこうか、なんて言葉は言えない。俺のほうへ顔を向けることのないまま出口へと歩いていく背中だけを見つめている。
「あんたは、ちゃんと残っておいてあげなさい。一人ぼっちがどれだけ辛いか、あんたは知らないでしょ。」
 その背中に、ありがとう、とつぶやくだけで、俺は精一杯だった。
 月明かりに照らし出された自分の影が、雪の一かけらみたいに、どうしようもなくちっぽけだった。


 まだ眠り続ける佐々木の手を握り締める。やわらかくてあたたかい。ごめんな。俺がもっとしっかりしていたらよかったのに。ごめんな。
 これからはもっとがんばるよ。勉強もまじめにするよ。お前に何か誘われてもいやな顔しないようにするよ。もっと、ちゃんと、好きって伝えるよ。だから、目を覚ましてくれよ。
「―――」
 初めて俺は佐々木を下の名前で呼んだ。
 握り締める手に、握り返される感触がする。静かに力強く。
「……キョン?」
「……佐々木。」
 佐々木が目を開けた。佐々木が、目を覚ました。
「いったい、ここは?」
 上半身をゆっくりと起こし、怪訝そうな顔で俺を見つめる。
 俺は佐々木を抱きしめていた。もう二度と倒れこむことがないように。もう二度と離してしまうことがないように。
「よかった。ほんとうに、よかった……」
 俺はひたすらに佐々木を抱きしめながら、ただ同じ言葉だけをつぶやき続けた。佐々木の体温が暖かく、どうしようもなく俺を安心させてくれた。
「おおげさだよ、キョン。そんなに強くされると、少し苦しいじゃないか。」
「悪い。こうせずにはいられなかったんだ。」
 そして、俺は佐々木から体を離し、あいつと向き合った。
 佐々木ははにかんだ苦笑いを浮かべて
「いや、謝ってくれなくてもいい。その、いやだったわけではないから。」
 そして、俺から目を逸らして、あたりを見回す。あいつの整った顔立ちの中でも、ひときわ目を引く大きな瞳が、窓の外を見つめていた。
「……いったい、今はいつだい?」
「午前1時くらいか。12月24日、クリスマスイブの。」
「そうかい。」
「お前は、その、階段から落っこちて、それで今まで眠っていたんだ。」
「それは、悪かったね。心配をかけてしまっただろう。」
「まったくだ。」
 佐々木は取り乱すこともなく、静かに現実を受け入れている。俺のよく慣れた、この居心地のいい空気。
「キミはずっと僕のそばについていてくれたのかい?」
「そうだな。」
「……ありがとう。」
「それに俺だけじゃないぜ。古泉や朝比奈さんも心配して来てくれたんだ。」
「それは光栄だね。あとで、彼らにもちゃんと御礼を言っておかなければね。」
 穏やかに佐々木は笑う。よかった、何も変わっていない。
「それに、涼宮のやつだって、お前の見舞いに来てくれたんだ。」
 涼宮の名前を出した瞬間、佐々木の表情が一瞬強張った。
「そうか、彼女も来てくれたのか。」
 佐々木は視線を自分の膝元に落とした。
「……どうかしたのか?」
「彼女は、君に対して、何か言っていなかったかい?」
「いや……」
 俺は精一杯のシラを切る。
 佐々木はそんな俺の顔を見て、少しだけ寂しそうに笑った。
「マフラー、ずっとつけていてくれるんだね。」
「え、ああ。なんとなく、願掛け、だよ。お前が早く目覚めるように。」
「そうかい。」
 佐々木の瞳は静かにまっすぐに、俺の姿をその中に捉えていた。
「本当は知っていたんだ。」
「何をだ?」
 佐々木の突然の謎の告白に、俺は少しだけ慌てる。
「だから、昨日慌ててキミに渡したんだ。彼女に遅れをとるわけにはいかないから。」
「……だから、何のことだよ。」
 佐々木の唇が少しだけ寂しそうに歪む。
「キミは相変わらず嘘をつくのが下手だね。」


「本当に、彼女と僕は考えることがよく似ている。表面上は全く違って見えるはずなのにね。」
「佐々木、それは―」
「すぐに彼女が何をしようとしているかわかったよ。だから僕は―」
「佐々木。」
 佐々木は視線を窓の外の景色へ向ける。まだ、雪の降り積もり続ける景色は、まるで秒針のように規則正しく、世界が明日へ向かっていることを示していた。
「絶対に彼女よりも早くキミに渡したかった。あの日、慌てて僕はそれを完成させて、そしてキミに渡すために走って。」
 静かな沈黙。しかし、それは長くは続かない。
「彼女を傷つけるつもりはなかった、なんていうのは嘘になるね。彼女がおそらくキミと一緒にいるということは、知っていたから。僕は、心の奥底で、彼女に見せ付けてやろうとしていたことを、否定は出来ない。」
 佐々木は小さく深呼吸する。
「……涼宮さんは、魅力的な人だよ。キミが少しずつ惹かれていっているのはわかっていた。でも、僕は彼女に、キミをとられたくなかったんだ。」
 そして、佐々木は俺を見つめた。その目に涙をためながら。
「軽蔑してしまうだろう?でも、キミが僕を嫌ったとしても、僕はキミのことが好きだよ。」
「佐々木。俺、涼宮にちゃんと言ったよ。」
 人を傷つけること、軽蔑されるようなこと。そんなことなら俺だってやってしまっている。お前を責める資格なんて俺にはない。それでも、そんな俺でも、お前に伝えたいことがある。
「涼宮にちゃんと言ったんだ。俺は佐々木のことが好きだって。」
「……キョン。」
「そしたら、あいつ、そんなことは私じゃなくて本人に言いなさいだってさ。全くその通りだよな。俺、ちゃんとお前にそう伝えたことはなかったよな。」
 佐々木の瞳をまっすぐに見つめなおす。
「佐々木。俺はお前のことが好きだ。」


「聞いたことがねえぞ、そんなこと。」
「仕方がありませんよ、みんなが揃うにはそうするしかなかったんですから。それに、ちゃんと許可は取ってあります。」
「やれやれ。」
 俺と古泉はそんな会話を繰り広げながら、荷物を運んでいた。
「そういえば佐々木さんの調子はどうですか?」
「一日様子を見るらしいから、明日退院だな。」
 両手に荷物を抱えて、自動ドアを潜り抜ける。
「キョン、遅いわよ!」
 そこには涼宮が仁王立ちで待ち構えていた。
 こんなところで大声を出すな、場所をわきまえろ、全く。
「カセットコンロじゃ、火力が心もとないけど、仕方がないわね。ガスが使えないんだし。」
「全くだ。許可が下りただけありがたく思え。」
「じゃあ、さっさと運び込んで。」
 はいはい。まったく人使いの荒い……
「あ、キョンくん。」
「こんにちは、朝比奈さん。」
 部屋にはビニール袋を持った朝比奈さんがいた。
「お待たせしちゃいました?」
「んーん、ちょうど今買出しから戻ってきたところです。」
 そうですか、と朝比奈さんの隣をみると、長門が両手にビニール袋を六個も下げている。ちっさい身体でビニール袋六個を抱えて立っている姿はなかなかに奇妙な光景だ。いったいこいつの身体はほんとどうなっているんだ。
「問題ない。」
 そんな俺の視線に気がついたのか、長門はあっさりとした答えを返した。
「ちょっと、あんたたち、無駄話している暇があったら、さっさと準備しなさい!」
 涼宮が俺たちの後から部屋に入ってきては怒鳴り散らす。はいはい。
 小さなテーブルの上にカセットコンロをセット。涼宮ら女性陣は待合室のほうにあるキッチンへと向かっていった。
「よかったですね。看病で泊り込む人のために簡単な調理施設があって。」
 古泉が能天気にカセットコンロのボンベをセッティングしながら、笑う。
「僕は手伝わなくてもいいのかな、キョン。」
「いいんじゃないのか。一応お前入院中だし。」
 佐々木はベッドの上にパジャマ姿で申し訳なさそうに座っていた。
「でも、一応念のため一日様子を見ているだけだから、普通に日常生活は送れるよ。」
「お気になさらないでください。気を使うなら、入院中の彼女をこき使うわけにはいかない、彼のほうに気を使ってあげてください。」
 古泉から余計なフォローが入る。本当にお前は余計なことばかり―
「くっくっ、じゃあお言葉に甘えさせていただこうか。」
 まぁ、佐々木の笑顔に免じて許してやる。
「あぁ、そうそう、キョン、古泉くん。」
 涼宮の奴が入り口から、ぴょこんと顔を覗かせていた。
「なんだ、まだなんか仕事があるのか。」
「違うわよ。クリスマスプレゼント交換の件だけど、今回は、その色々あって、みんな準備どころじゃなかったと思うからなしにしましょ。」
「―ええ、そうですね。今回は、それがいいですね。実は僕も用意が間に合わなくって。」
 古泉の奴が俺よりも先に返事をした。
「そうね。実は私も、プレゼント用意できていないのよ。だから、今回はなしでね。いいわね、キョン。」
「……あぁ。わかったよ。」
 じゃあ、と言って身を翻そうとした涼宮に向かって
「涼宮、ありがとうな。」
「何よ。別にお礼を言われるようなことじゃないでしょ。」
「いや、今日わざわざここでパーティーを開いてくれたことについてだ。」
 涼宮はふんっ、と鼻を鳴らすと
「あのね、私は仲間外れとかダイッキライなの!それに、せっかくだから佐々木さんの快気祝いもかねてやっちゃったほうがいいでしょ。めでたいことはちゃんと祝うのよ。」
「涼宮さん、ありがとう。」
「……佐々木さんは、病人だから安静にしてて。あぁ、そうそう、古泉くん、ちょっと私たち買い忘れたものがあって、買いに行ってくれないかしら。……あと、佐々木さん、悪いけど、私が料理している間、こいつの相手でもしてやっておいて。」
 そう言ってハルヒは出て行った。


 古泉は買出しに出て行き、コンロやらのセッティングが終わった俺は、やることもなく佐々木の隣に座った。
「ねえ、キョン。」
「なんだ?」
「窓の外を見て。ほら、俗に言うホワイトクリスマスっていうやつだ。」
「あぁ、綺麗だな。」
 そしてお互い何も言わずに窓の外の景色を見つめる。
 雪はもう止んで、あたりは白く染まっているだけだった。
「なぁ、佐々木。」
「なんだい?」
 佐々木は俺のほうへ振り向く。
「それ、似合っているぞ。」
 佐々木は照れくさそうに笑った。
 その前髪には、あの髪留めが留まっていた。

『最愛の傷』

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2008年02月05日 09:25
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。