4-177「笹の葉カプリチオ(誤字修正版)」

『笹の葉カプリチオ』

 東中に比べるとさらに雑な作りの校門を構えている我が母校はその見た目通りセキュリティもおざなりであったらしい。
 南京錠すらかかってなく、閂だけというのはいかがなものか。
 まあだからこそこうして中に入れているわけなんだが……。
 「ほれ、開いたぞ」
 先に校門を乗り越えた俺が閂を外し、門をずらしてやる。
 「で、でもこんなことして大丈夫なの……?」
 2年後、4年後の姿に比べるといかにも頼りないその少女は夜中の不法侵入に戸惑いつつも、
 はっきりとは拒絶しない。
 伊達にこんな時間に学校に来ていたわけではないってことだろう。
 しかしあれだな。このオドオドした感じからはとてもじゃないが将来の様子は想像できない。
 口調も至って普通だし、ハルヒの対っていうより朝比奈さんの対って言う方がまだ分かるぜこれじゃ。
 まあそもそもハルヒと比べる時点でいろいろ間違ってはいる気がするが。
 こんな夜中に不審人物まっしぐらの人間が側にいて学校に不法侵入だ。動揺するなという方が酷だろう。
 だがそう遠くない未来には一人称は僕になり、古泉ばりの難解なトークを披露するようになるばかりか、
 異能の能力者にすら動じなくなるというのだから時間というのは残酷だね本当に。
 まだ幼さの残るそいつの顔を見ながら俺はそんなことを考えていた。
 しっかしまあ……、ハルヒの次は佐々木か。
 つくづく思うよ、俺の時間軸は古泉も真っ青なほどに捻くれているらしい。


 去年の春先もいろいろな意味でいろいろなことがあり過ぎて、
 俺の人生観は大きくアクロバティック飛行を決めてしまったわけだが、
 今年の春先は春先でいろいろなことがあり過ぎた。
 長門の親玉に敵対する出来損ないの宇宙人が現れたと思ったら、
 SOS団に敵対している連中が徒党を組んで顔見せしてくれた上、
 何故かそこには中学時代のクラスメイト――佐々木曰く俺とあいつの関係は親友だそうだ――である佐々木まで混ざっていた。
 そう、問題なのは佐々木だ。
 古泉曰くあきらめの悪い出しゃばりな超能力者である橘が言うには、あいつはハルヒに対応する存在らしい。
 ハルヒといい佐々木といい、まだ人生16かそこらの俺に2人も神様の知り合いが居るってどうなんだろうね。
 幸いにも日本は元々多神教――八百万の神々なんていうくらいだからな――の国であるからして、
 今更神様が一人増えたところでどうということはないと思うのだが、俺以外の連中はどうにもそうは思わなかったらしい。
 古泉なんかは露骨に向こうの超能力者連中を敵対視し始めたし、
 長門ですら傍目には何とも無いが春先の事件以降ずっと燻った感じを瞳に浮かべている。
 人間に置き換えればイライラしている状態なんだろうか。 
 ハルヒも普段通りと見せかけて、佐々木の方から俺やSOS団にアプローチがある度に閉鎖空間を発生させているらしい。
 「春先に比べれば頻度も減っていますし、相変わらずぼうっと立っているだけの神人ですから、
  多少は楽になりましたけどね。それでもまだまだ楽観はできないというのが機関の見解です」
 とは我らが副団長殿の弁だ。
 一人相変わらずというのは失礼だが、
 去年と変わらず愛くるしいお姿と笑顔を振りまいている聖朝比奈さんが居なければ俺だって平静を保っていられたかどうか……。
 流石はSOS団専属マスコットにしてこの世で最高の精神安定剤たる朝比奈さんだ。
 今度から足を向けて寝れんなってどちらにお住まいなのか未だに知らないんだよな。
 などと、窓の外を流れるちぎれ雲を眺めながら考えている内にHRが終了したらしい。
 帰る者や部活に出る者の喧騒で途端に騒がしくなったことで我に返った俺なのだが、
 後ろを振り向けばそこにハルヒの姿はもう無く、
 一体今度は何をする気のかと頭を振ったところで黒板を視界に捉えそして理解した。
 黒板の隅には今日の日付を示す書き込みがされていて、その数字はゾロ目のラッキーナンバー。
 そう、七夕だ。


 去年の七夕。あれはあれで俺としてはイベント盛りだくさんというか、
 盛りすぎて器から溢れているというほどに記憶に焼きつく日付なわけだが、
 何よりも3年前……いや、もう4年前になるんだな。
 過去への時間遡行を抜きに俺の七夕の思い出は語れない。
 もしや今年も過去に跳ぶ羽目になるんじゃないだろうなと、朝比奈さんの一挙手一投足を注視していたのだが、
 「それじゃキョンくん、また明日」
 と着替える都合でいつも最後に部屋を後にする朝比奈さんに見送られて、ぶらぶらと帰宅の途に着くことになった。
 ああ、今年も5者5様というか、それぞれにらしさの溢れる短冊を部室には飾ったぜ?
 ハルヒの願い事が去年よりも大分イタくない願い事だったのは大きな進歩だと褒めるべきなのかとか、
 佐々木がどうのとブツブツ言いながら俺の視線に気づいて慌てて書き直したあれはなんだったんだとか、
 長門の短冊が『敵勢撲滅』『打倒天蓋』とか物騒な内容だったりとか、
 多少の問題はあったものの全体を通してみればいつものSOS団的な活動だったと言えるだろう。
 しかも、何事もなく平和に一日が終わろうとしているのだから俺に何の文句があるというのだろう。
 だというのにこの嫌な予感というか、まだ何かあるぞという感覚は一体どうしたことか。
 「フン、あんたの顔なんて見たくも無いがこっちにも都合があるんでね。一緒に来てもらおうか」
 唐突に路地から俺の前に現れ、唐突に無茶苦茶な要求をしてきやがった未来人野郎。
 いかにも偽名だが奴曰く藤原と名乗ったそいつは俺の進路を塞ぐように塀にもたれている。
 それにしても一緒に来てもらおうだと? 一体何様のつもりだ。それ以前に俺に何の用だ。
 「あんたがどう思おうと別に構わないし関係ない。それにこれは既定事項だ」
 その既定事項とやらは誰にとってのだ?
 「……フン、少しは頭が回るじゃないか」
 じゃあやっぱり、お前達にとっての既定事項ってやつで朝比奈さん(大)達の既定事項じゃないわけだ。
 「これ以上は禁則事項だ」
 ますますもってお断りだ。周りを見渡しても他に他人の気配は無い。あいつ一人なら振り切れるか?
 「さっきも言ったがあんたがどう思おうと関係ない。別に力ずくでも構わないんだが、
  話の回りくどい女にあんたを傷つけるなと念を押されているんでね」
 誰のことだ? あの橘とかいう超能力者のことか。
 「佐々木といったか? あんたの昔のツレだよ。いつだかの喫茶店でしつこく食い下がられた」
 「佐々木だって?」
 そこでどうしてあいつの名が出てくる。まさかあいつに何かしたんじゃないだろうな。
 「別に僕は何もしやしない。するのはあんただ」
 「どういう意味だ」
 藤原は本当に憎らしいほどキザったらしい皮肉たっぷりの笑みを浮かべると、
 「ついて来れば分かる」
 ああもう、未来人てのはどうしてこうもっとストレートに言えんのか。大体どこに連れてこうってんだ。
 「4年前。あんたには過去で一仕事してもらう」
 どこって質問にいつって答えなのも未来人のお約束ネタなのかね。
 それにしてもまたか。どうやら今年の七夕も一筋縄では行かないらしい。


 件の強烈な立ち眩みにふらつきながら辺りを見渡すと、夕方だったはずの周囲には夜の帳が下りていた。
 結局、佐々木の名前を出された俺はそれこそぐぅの音も出せずに藤原に言われるがまま目を瞑り、
 こうしてまたしても時の旅人と化しているわけである。俺は未来人の使い走りじゃないんだぞ。
 「この道をまっすぐ行くとあんたの母校だ。これぐらいは覚えているだろう?」
 なんだか話のオチが読めてきたんだが。
 「そこに一人の少女が居るはずだ。話しかけて、後はあんたが適当に相手をしろ」
 おい、いくらなんでも適当すぎやしないか。それに、今からでも断ったっていいんだぜ?
 なにせこの時代には頼もしい助っ人が2人もいるからな。
 「あんたがどうしようとも勝手だが、それで困るのは僕らだけじゃない。お互い様だ」
 どういうことだ。
 「フン、この道の先に誰が居るのかはもう想像がついているんだろう?
  TPDDで跳ぶ前に既定事項だと言った筈だ」
 この先にいるのは多分佐々木だ。
 何せ俺の母校――当然佐々木や国木田の母校でもある――だし、というかそうでないと話がつながらない。
 だが、それがどうして俺まで困ることに繋がるんだ。
 「チッ、これだから過去の人間は……。何度も説明するのは面倒だから良く聞け。中学3年の時、
  そして高校2年で再開したときのあんたのツレにとってこれから起きることは既定事項だった、
  つまりはそういうわけだ」
 なんということだ。
 この一年半で経験値を積みまくった俺の脳はどうやら奴の云わんとすることを理解してしまったらしい。
 2年前、偶然同じクラスで、偶然同じ塾になった筈の俺と佐々木はその前に出会っていたということじゃないか。
 もちろん当時の俺はそんなこと露とも思わなかったし、佐々木だってまさかそんなことになっていたとは思ってないだろう。
 だが、本当にそうなのだろうか。そこが大問題だ。
 俺のほうはともかく佐々木の方が気づいていたりしたら?
 もしそうでなくても藤原の言う既定事項とやらを消化しないせいで未来に
 ――この場合は俺や佐々木にとっては過去だが――影響が出てしまうかもしれないとしたら?
 いや、それどころか俺が佐々木と出会わないなんてことになったら……?
 考えるだに恐ろしいが、そんなのは全力で願い下げだし、
 仮にも俺のことを親友と呼んだあいつに迷惑をかけたくはない。
 これでは自分自身の過去とこの時間からすれば未来の佐々木とを人質に取られたようなものだ。
 「3時間後にこの場所で待つ。さっさと行ってこい」
 もはや反論の余地の無い俺は、藤原に促されかつての母校へと足を向けた。


 しばらく歩くと校舎が見えてきた。
 照明は落とされているので夜の町並みにぽっかりと黒い四角を置いたような感じだ。
 懐かしの我が母校ではあるが、こんな時間だとまた景色も違って見えてあまり懐かしさを感じないな。
 藤原の話だとこの辺に佐々木がいるはずなんだが……っと、あれか。
 その少女は閉ざされている校門を前に呆然と立ち尽くしているように見えた。
 今よりも頭一つ分低い身長で、セミロングのその少女は校門の鉄柵を握ったまま虚空を見つめている。
 柵をよじ登ろうとしないあたり、ハルヒと違って常識人であるという証拠な気もするが、
 普通ならこんな時間に学校には来やしない。
 あの佐々木がこんな時間の学校に何の用があるのかとしばらく観察を続けた俺だったが、
 まだ幼さの残る佐々木の背中には何ともいえないアンニュイでじめっとした空気が漂っていて、
 得体の知れない不安に駆られた俺は思わず声を掛けていた。
 「おい」
 「えっ?」
 あからさまに挙動不審に振り返った佐々木の表情は周囲の暗さではっきりとはうかがいしれない。
 だがそこに浮かんでいるのは間違いなく驚きとそして不安の色だった。
 「あの、その、別にこれは何でもなくてえっと……」
 おまけに混乱の色をそこに加え始めている。
 まあ、そりゃそうだ。夜中の学校というだけでも場違いなシチュエーションな上に、
 見ず知らずの人間にいきなり声を掛けられれば誰だって驚く。
 その上、夜中に校門の前に佇んでたとくれば尚更だ。どこから見ても不審人物だからな。
 ここでもハルヒと佐々木の違いを実感しながらも、とにかく目の前のこいつを落ち着かせなければと、
 できる限り優しい声音で言った。
 「通報しようとかってわけじゃないから安心しろ」
 ……優しい声音の筈だったんだがなぁ。
 今度は目に見えて不安の色が濃くというかなんだか怖がられてないか、俺。
 いかん、今にもダッシュで逃げられそうだ。
 藤原の言っていた時間を考えるとそんなオチでは許されそうに無い。
 「校庭に落書きでもしに来たのか?」
 とっさに話しかけたまでは良かったが、我ながら他にネタはないのか。いくらなんでもこれは……。
 ああ、アドリブの聞かない自分が恨めしい。
 ん? 笑ってる……?
 下を向き俯いている佐々木の表情は分からなかったが、肩を震わせ、
 咽喉を鳴らしてくっくっというあの独特の笑い方は間違いなく佐々木のものだ。
 「へ、変なひと……お、かし……」
 そんなにつぼだったのか? 昔からイマイチ笑いのつぼが分からないやつだったが……。
 まあとにかく話はつなげそうだから結果オーライだ。
 しかしあれだね。過去に来てまで佐々木には小ばかにされる運命なのかね、俺は。


 佐々木と共に校舎に侵入した俺だが、まさかここでも校庭に落書きというわけにもいかず
 ――少なくとも俺の記憶では中学時代にそんなオモシロ事件は起きていないはずだ――
 まさしく行き当たりばったりにうろうろと校舎内をぶらつくこととなった。
 さすがに手持ち無沙汰となった俺は、後から付いてくる
 ――キョロキョロとあたりを見回すさまはほんとに朝比奈さんを思わせる――
 中1佐々木に適当な話題を振ることにした。
 「いたずらをしに来たんじゃないのなら、一体こんな時間に何してたんだ。忘れ物でもあったか?」
 唐突に話題を振られ、ビクッとしながらも俺の質問に答える佐々木。
 「えと、そ、そういうわけじゃ」
 違うらしい。じゃあ一体どういうわけだ。
 ハルヒと違って……いや、ハルヒの場合は成績は良いが遡行は悪いってやつで、
 こいつの場合はどちらも良い花丸優等生だろうに。こんな阿呆なことは谷口あたりで十分だぞ。
 「じゃあお兄さんはなんであんなところにいたの?」
 なぬ? 質問に質問で返すとは佐々木らしいと言えばらしいが……。
 「別に。ただなんとなく散歩してただけだ」
 まさか本当のことを言うわけにもいくまい。
 「じゃあ私もなんとなくです」
 ぬぅ……。やりづらいというか幼くても佐々木というか、過去でも俺は口ではこいつに勝てんのか。
 そのまましばらく無言のまま歩を進めていると、今度は佐々木の方から話しかけてきた。
 「あの、お兄さんはどうして私に声を掛けてきたんですか」
 ぐ、また答えづらい質問をしてくるなこいつは。はてさてなんと答えたもんだろうか。
 俺がこの場に居るのは元はと言えば藤原のせいだ。
 だが校門の前に佇むこいつを見たとき、なんとも言えん感じがして思わず声を掛けてしまったのだ。
 妙にアンニュイな雰囲気というかなんというかその、
 「寂しそうだったから」
 そう、それだ。中3の頃、あいつと初めて出会って以降一度も感じたことのない感覚。
 あの佐々木から一人ぼっちの空気を感じてしまったからだ。
 急に黙りこくってしまった佐々木を振り返った俺は、
 しかしさらにレアなものを拝むことになった。
 見開いた目。半開きの唇とそれを覆ったままピクリともしない両手。
 両手どころか全身が硬直してるなこりゃ。そうか、佐々木って驚くとこんな感じなのか。
 というか佐々木でもそんなに驚くことあるんだなぁ。
 本人に聞かれたら小一時間説教をくらいそうなことを考えつつ、
 新大陸を発見したコロンブスのような気持ちで佐々木の観察をしていた俺はようやく気づいた。
 中1の頃の佐々木は孤独だったのか?
 あの誰とでもそつなく打ち解ける佐々木が?
 そりゃまあ変人だなどと言われてはいたが、概ね好意的な解釈だったはずだ。
 そんなやつが寂しさを紛らわすために深夜の散歩とはなぁ……。



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最終更新:2007年10月10日 20:30
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