3-711「ハネウマライダー」

BGM:ポルノグラフティー「ハネウマライダー」



唐突だが俺はモーターバイクを買った。
そこ、「何で買った」とか「そんな金ないだろ」なんて突っ込むなよ。
どうせ作者の頭のネジが二三本飛んでいったんだろ。だから俺の手元に念願の普通自動二輪免許があってもおかしくないわけだ。ご都合主義に感謝。
校則違反であることは間違いないが、生粋の優等生ではないことを自覚している俺としては少しくらい若気の至りがあってもいいと思っている今日この頃。
宇宙人でも超能力者でもない、ごく一般的な高校生である俺が普通の娯楽を求めた結果に過ぎない――俺の中ではそんな正当化がなされている。

ともかく、いま俺の目の前には中古で買った普通自動二輪車が転がっている。
かなり安く仕入れたこともあって、その外見は「オンボロ」というに相応しいものだ。
エンジンなどの中身は問題ないらしいのだが、生憎俺にはさっぱりわからん。
そこは専門職の言葉を信じるとして、さすがにこの見た目だけは勘弁願いたい。
錆付いたボディはいくら俺でも気が引ける。いくら高校生とはいえこんなポンコツで走っていたら
笑い者になるだろう。つまりはそれ程ひどい有様というわけだ。
さて、どうするかね……


あれから数日、俺は暇を見つけては車体を塗り直していた。
誤魔化しがきかない箇所の錆は削り落とし、不可能ならパーツごと交換する。これは整備屋のおっちゃんに頼んでやってもらった。
このように俺が奔走出来るのも、長門のおかげで宿題を終えることができたからだ。
あいつには本当に感謝にたえないな。今度図書館にでも連れて行くか。
ちなみに我らが団長は最近連絡が無い。古泉から聞いた話だと親戚の方に遊びに言ったらしい。そのためSOS団の活動は自動的に休止となった。
あいつの自由奔走は今に始まったことじゃないが、出かけるならせめて連絡の一つでも寄越して欲しいもんだ。おかげで最初は整備しながら電話の音に気を張るという慣れない作業を強いられた。やれやれだぜ。

まぁ、そんなこんなで見事俺のジョンは、今日の青空に映えるようなメタルブルーを纏って復活した。
完成したジョンを眺めていると、"愛着"というものをしみじみ実感できる。
……そこ、「ジョン」で笑うなよ。名前なんかどうでもいいんだ。

時間を確認してみると、まだ1時を回ったばかりだった。
このまま部屋でごろごろするのもいいが、せっかくの晴れた昼下がりだ。
ジョンも走りたがってるだろうし、コイツで当てもなく走るとするか。

跨った瞬間、俺は今日何か新しい出来事に逢えるような気がした。






風になる。
そんな事を言ったやつの気持ちが痛いほどわかった。
空を裂いて進む俺の耳へ、あの風圧が奏でる轟音がヘルメット越しに鼓膜を震わせてくる。
今まで愛用していた二輪車なんかじゃ絶対に体感できないほどのスピードを、俺は直に肌で強く感じていた。
別にスピード狂になるつもりはないが、自転車を全力で漕いでも到達できない速度域に軽々と飛び込んでいくこいつに乗っていれば自然とそんな気にさせる。
目的地など決まっていない、気の向くままに走るだけだ。事故と違反、あとはレギュラーの残量に気を配ることだけは忘れないがな。せっかくの夏休みにそんな馬鹿を経験したいとは微塵も思いたくない。

ところでジョン、もう少しまともに走ってくれてもいいんじゃないか? 教習所で乗ったやつより随分勝手が違いすぎて正直つらい。
例えるなら「ハネウマ」ってやつだ。乗り手の意思なんかそっちのけで暴れ回るもんだから押さえ込むのに一際苦労する。自分の意思で止まれるだけ実際の跳ね馬よりマシなんだろうが。
そいううわけで、俺はまずコイツの特性を掴むために知っている道を軽く流していた。街中はできるだけ避けて、だ。まだ初心者マークの取れない奴がいきなり車や歩行者の込み入った中に飛び込んでいきたいとは思わないだろう。
交通量の少ない並木道。用が無ければ滅多に通ることすらない公道だ。緑の多いこの辺りは俺が住んでる所から結構な距離がある。自転車なら多くの時間を労するはずの場所に、俺はは過去最短のラップで辿り着いた。
乱暴者ではあるが、俺をこんな遠くまで運んでくれる俺の「ハネウマ」。しばらくこいつの手綱(ハンドル)は切れないな。







赤信号、ブレーキが軋む音を上げて制動を促す。慣性に従って重心が前に引っ張られるのを感じながら停止線に近付いていく。
停車と同時に俺は太陽の洗礼を受けるはめとなった。いや、まじで暑い。走っているときはそれほど感じなかったが、大気の流動が戻ると高温高湿の環境を嫌というほど認識できる。

これが日本の夏だと言えってしまえばそれまでだが、この無駄に高い温度は何か利用できないものかね。
エネルギー保存の法則があるわけだから、熱だって他のエネルギーに変換できるはずだ。
もっとも、そのプロセスで無駄に使われるから結局少ししか得られないとか。太陽発電が環境に良いと叫ばれている昨今でも普及が難しいのはその辺りにあるとかなんとか。
それでも日本中――とまでは言わないが、本州に降り注いでる太陽熱を全部集めれば結構なニュートンに値するんじゃないのか?
まぁ正確に計算したこともないし、考えた奴らも効率が悪い上にそんなことを設備するほどの金もないんだろう。
現実は難儀なものだ。

と、もう青に変わってやがる。後ろに誰もいなかったのはラッキーだ。クラクションを鳴らされるならまだしも、強引に横をすり抜けられるのは気分が良いもんじゃないからな。
それにしても、こんな小難しい事を考えるなんて俺らしくない。理屈っぽいことを思案するなんて奇天烈な事に直面した時だけでいい。
せめて普段の生活くらいは高校生らしい考えに留めておきたいものだ。
あぁ、そういえば佐々木と話すときも理屈っぽく考えてたっけ。どうやら俺もあいつに影響されちまったみたいだ。


――――ここからだと、佐々木の家に近いな。


3速へシフトアップする。再び襲ってくる空気抵抗を受けて思考が霧散した。
このドライブに目的地なんてない。俺はコイツに行き先を任せて走り続けるだけだ。

だから、ジョンが佐々木の家に向かっていても止めるつもりはない。





俺は、視界の奥に映った人物が誰なのかわからなかった。
というより、理解できるまで輪郭がはっきり捕らえた時には目の前にいた、といったほうがいい。
フルフェイスは安全性がある分視界が狭まるのが難点だな。
そいつは俺と同じ方向に歩いていたわけだが、俺が近づくと排気音に気付いたのかこちらを振り向いた。
やっぱりというか、佐々木だ。家が近いわけだしおかしくはないな。だがタイミングが良すぎるような気がしないでもない。
速度を落として徐行。見る見る佐々木との距離が縮まっていく。あいつは立ち止まったまま俺を見て固まっていた。さっきまではいつもの表情に見えたんだが、今の佐々木の瞳は大きく広がり驚愕しているように見える。
声をかけるか? というか俺だってわかってるのか?
あの様子だと気付いてる様子だが、ヘルメットを被ってる上に服装だって転倒を考えて普段と変えてきたんたぞ。ましてや俺がバイクを乗ってることなんて知らないはずだ。普通はわからないんじゃないかのか。


「やぁキョン、これはまた意表をつく事をするね」


そんな俺の推測を打ち砕くように、佐々木は俺の前に立ちはだかった。






「それにしても驚いたね、まさかキョンが自動二輪を持っているとは思わなかったよ」


「くっくっ」といつもの笑いを交えながら、佐々木は止まった俺の横に並んだ。やっぱりわかってたのか。
何で俺だってわかったんだ? 顔も隠れてた状態で遠くから見たんじゃ、いくら何でも個人を特定できるとは思えないんだが。


「それを説明するのはとても難しいね。あえて言葉にするとしたら、人の区別なんて外見だけではできない、ということかな」


つまり佐々木は俺を中身で判断しているわけか。見た目に特徴がないのは認めるが、こうもはっきり言われるのは初めてのような、そうでないような。生憎昔のことには頓着しないんでね、言われて思い出すことことがほとんどだ。


「それがまたキミの素晴らしい魅力の一つでもあるよ。人間というものは案外過去に縛られているものだからね。もっとも、経験したことを覚えなければ進化は促進されないのも事実だ。
文明とは、多くの失敗から不確かな現象を少しずつ明確にすることで完成へと近付いていく。
いわば因果律だよ。原因から繋がった結果を次の原因とし、この工程を続けていくことで現在の全ては形作られている。そしてこの流れは逆行することはない。結果から過程は生まれないということだ。
言い換えれば、結果を導き出した原因を知ることは結果の全てを知ることと同じことになるとも取れる発想だ。そしてそれは文明の発展にも当てはまることだと思う。
今目の前にある結果に満足していては次の因果は生まれない。そこから新しい原因となる不確かな何かを見つけ、時には起因した事象に遡って別のアプローチを試みることも必要になるだろう」


話が見えなくなってきたぞ。俺の価値観からなんでそこまでスケールがでかくなるんだ。
一人の人間の考えを人類全体で捕らえるのは無理がある気がするんだが。


「そうとも限らないさ。僕たちの世界は個々の集まりによって成り立っている。確かに一人一人の存在は小さいかもしれないが、社会の成り立ちは各個体で支えあっているにすぎないんだ。
だから一人の人間、一つの考えから社会全体が揺らぐ事も十分にありえんだよ。歴史上の偉人たちが成した事がその証明だ。案外世界というものは、2kgにも満たない肉塊で変わってしまうものなんだよ。
その事を前提にすると、範囲を狭めて考えれば個人を取り巻く小さな世界では常に不安定になっているといっても過言でもない。
一人の考えや行動は、たとえどんに小さくても周辺に影響を及ぼすことに繋がってしまう。

つまりだねキョン、キミが今その防護帽を被っていることは周りに少なからず変化を与えるんだよ」


すっかり忘れていた。


6

バイクから降りて、顎の下を通るベルトを外した。
久しぶりに感じる開放感を味わいながら、改めて佐々木の方に顔を向ける。その表情には俺の知っているいつもの笑みを浮かべていた。
こいつの言い回しが長いことは知っているし、こんな炎天下で顔全体を覆うメットなんぞ被っていたら周囲にとっては暑苦しく感じるかもしれない。
それをさっきの話で遠回しに言っているのはわかった。
だが、そういうのは直接言ってくれたほうが早く解決できたと思うぞ。


「くっくっくっ……いやなに、キミに会えたことが嬉しくてね。つい饒舌になっってしまったようだ。前にも言っただろう、僕はキミの前だとお喋りになるみたいなんだよ」


そういうもんなのかね。佐々木とは1年と少し一緒にいた程度だが、たまにこういう事を言っては俺を思案させる。
そして結局はわからずじまいで話が流れるのが常だ。
今回もそんな結果になるんだろうな。わからんものはわからん。


「…………はぁ」


今おれは幻覚でも見たのか。あの佐々木が溜息を漏らすなんて初めて見たぞ。
隠れて溜息をしたのならまだしも、そうやって俯かれたらいくら鈍い俺でもわかる。
どうした佐々木、何か悩みでもあるのか? 俺でよかったら相談にのるし、できる範囲でなら協力してやるぞ。
まぁ、佐々木が悩むほどの問題に俺が解決できるとは思えんがな。


「そうだね。少なくともキミが一人で解決できる問題でないことは確かだよ」


やっぱりそうか。
くそ、困っている親友すら救えない自分の無力さが恨めしい。
さっきまでこいつが悩み事を抱えているところなど想像できなかった俺の思い込みも、悔しさに拍車をかけるものにしかならなかった。
スマン佐々木、役に立てなくて。


「そうでもないさ。僕とキミが二人で挑めば、もしかしたら答えを見つけられるかもしれない。あくまで可能性があるだけの話だがね」


なるほど。一人で無理なら二人で、か。
それなら他の奴にも力を貸してもらえば確立が上がるんじゃないか? わざわざ二人だけでやる必要があるとは思えん。
そう言った瞬間、佐々木の目が細まったように見えた。断定できなかったのは、今目の前にいる佐々木は普段と何も変わっていなかったからだ。



「キミと二人で挑戦することに僕にとっての意味があるんだ。一人でも三人以上でも僕の望む形にはなりえない。
そして僕が抱えているものは、当事者である僕を除いた最後の一人が重要になってくる。
他の子は友達などにも話を聞いて貰っているようだが、個人的意見を言わせて頂くとそれは気休め程度にしかならないと考えている。
問題というものは最終的には本人の覚悟があるかどうかで解けるものであって、第3者に決めてもらうものじゃない。
だから僕は、キョン以外には話したいと思わない」


それはつまり、俺以外の奴には言いにくいという事なのか?


「端的に言ってしまえばそうともいえるが、正確にはキミに話すこと事体に意味があるんだ。
だから――――――僕の話を聞いてくるかい?」


最後の言葉は、冗談の含まれていない真剣な目と共に俺へ届いた。ここまで佐々木が表情を引き締めたことは、俺の記憶には無い。
残念ながら、佐々木が俺に何を言いたいのか皆目検討がつかない。だが、佐々木をここまで追い込んでいる何かを取り除きたくて、俺は大きく頷いてやった。
佐々木は佐々木自身であって欲しいと願ってるんだ。人は変わっていくもんだが、佐々木は自分を変えたいとは思っていなかっただろ。
だから、佐々木が自分で決めたことなら俺は何も言わない。お前自身が本当に葛藤を繰り返して悩んだ結果に変わる事を選んだとしても俺は受け入れてやるよ。だから何も恐れる必要なんてない。
俺が力になれるのなら協力する。正直俺なんかが佐々木の助けになるか疑問だが、俺にしかできないならいくらでも力になってやる。


「……信じて、いいんだね」


当たり前だ、俺を何だと思ってる。俺たちの関係を何だと思ってやがる。
親友だぞ。1年ほどの付き合いしかないが、俺はお前を親友だと思ってる。
それは今も変わらないはずだ。お前だって久しぶりに街で会ったあの時「親友」と言ってくれたじゃないか。
俺を信じろ。さっきは自信がないみたいなこと言ってたが訂正する。絶対お前の力になってやる。約束だ。





「――――――――」


佐々木は、なんというかとても言い表しにくい表情を浮かべていた。
いつもの独特な笑いもそうだが、今回のそれは群を抜いている。
色々な感情が混ざっているんだろうと当たりをつけるが、何についてどう思っているのかまではわからない。
はて、俺何かまずいことでも言っただろうか?
親友という単語を使いすぎたかな。もしかしたら佐々木はそこまで深い仲と思っていないのかもしれない。
1年も音信不通だった時期があるわけだし、昔はそうといえる関係であっても今でも通じるとは限らないしな。
スマン佐々木、お前の気持ちも考えず勝手に早とちりしちまって。


「……キョン、僕は何があろうとも今日中にキミに話すことをたった今決意したよ」


そうか、そいつはいい。
憂いなんて後に残すもんじゃないからな。早い段階に済ませておくのが一番だ。
それで、ここまで長ったらしく話していたわけだが肝心の悩みとは一体なんだ?
佐々木はしばらく腕を組んで考え込んだが、不意にこちらを見上げると


「キョン、僕を後ろに乗せてくれないか?」


俺の後ろに立たせたままのバイクを指差してそんな事を頼まれてしまった。
待て、話をするんじゃなかったのかよ。今、話す決意ができたって言ったじゃないか。


「もちろん話すとも。ただし、今すぐに話すと言った覚えは僕の脳には記憶されていない。
それに、久しぶりにキミの後ろに乗ってみたくなったんだよ。何か問題はあるかい?」


さっきまでの陰は何処へやら、佐々木は勝ち誇ったかのように話しているわけなんだが。
残念ながら実は一つだけ問題があるんだな。
お前を後ろに乗せるという事は、お前をノーヘルでバイクに乗せるということなんだ。
もちろん事故を起こすつもりなど更々ないが、万が一ということもある。そうなったら頭部の保護が無いお前がどうなるかなんて考えたくも無い事になるんだぞ。
違反ならまだマシだ。俺の免許から点数が引かれて罰金を払うだけで済む。少なくともお前は無傷でいられるからな。
どうしても乗るというのなら俺のヘルメットを被れ。それとそんな格好だと足に擦り傷なんてレベルじゃすまなくなる。せめてジーンズだけでも穿いてきてくれ。


「やっぱりそう思うかい、僕自身この服装は軽率だと感じていたよ。そうだね、キミの忠告通り着替えてくることにする。
それまで待ってもらえると嬉しいんだが」


あぁ、ちゃんと待ってやるから安心しろ。お前の話とやらを聞くまでは帰れそうにないだろうし。
俺はスタンドを上げて重たい鉄の構造物を押し歩く。駆動力の働いていないバイクは進ませるだけでも一苦労だ。
先に行っていればいいだろうに、律儀に隣を歩く佐々木はいつにも増して嬉しそうに見えた。







今更だがデニムを穿かせてきて良かったと思う。バイクにスカートで跨ると、その、アレだ、捲くれあがって布の生地が見えることになっていただろう。


「キミが一般的な健康男児の思考を持っているのは僕としても嬉しいが、常にそんな事を考えているのならキミの認識を改めなければならなくなる」


思考を読むんじゃない。お前は心の声が聞こえるのかよ。
別に超能力者や宇宙人未来人がいるくらいだからそんな力があってもおかしくはないだろうが、お前にそんなことができるなんて初耳だぞ。


「くっくっ、異能な力を有していなくても、ちょっとした洞察力をもっていればキミの考えていることは大体理解できるよ。
もっとも、キミのことを良く知っていることが大前提としてつくけどね」


何だそりゃ。その理屈でいくと俺は身近な奴にいつも考えを読み取られていることになる。とんでもない羞恥プレイだ。急に死にたくなってきたぞ。


「安心していいよ。他人のことを詳しく知るということはそんなに簡単なことじゃない。
むしろ精神に異常が齎されるほどの苦行を味わなければならないだろう。僕だってキョンの全てを知っているわけじゃないからね。
他人のプライバシーを暴くことを専門とする人に紙幣を渡すだけで簡単に手に入ることでもあるけど」


やめてくれ、俺の私生活を覗いて楽しい時間を過ごせる輩がいるとは思えん。
まさかお前もその口で知ったんじゃないだろうな? だとしたら金輪際そいつらとは縁を切れ。


「それが僕に対するキミの認識なら、あらゆる方法と手段を用いて潔白を証明させてもらうよ。
そんな陳腐で理解しがたい思念を抱く人間と関わることは無かったし、今後も決して縁(えにし)を結びたいとは思うことも無い。
未来は不確かだがこれだけは断定できる。僕は至極真っ当な人間としてキミを見続けてきてきたつもりだ。おそらくこれからもね」


それだとお前は「精神の異常」というやつを経験したことになるぞ。そんなことをしてまで俺の全部を知っても意味があるとは到底思えないな。
何が言いたいのかわからんが、そんな事を続けて辛くなるのなら今すぐやめるべきだ。


「――――――――――」


急に押し黙った変わりに、後ろから回されている腕に力が篭った気がした。それから会話が続くことも無く、しばらく無言のドライブが続く。
後ろに乗った佐々木へミラー越しに目を配った。
フルフェイスですっかり覆われた佐々木の表情を知ることはできない。ただ、そこに座っていることだけは確かに感じられた。



10

鏡面に映った佐々木と目が合った。俺は何故か反射的に視線を前方に戻してしまう。
理由は多分、今こうして寄り添っている佐々木を改めて女であることを認識したからだろう。
乗った時微かに嗅覚を刺激する香水の匂い、俺の腰を抱きしめている女性らしくも細い両腕、背中に感じる佐々木の温度。佐々木の何もかもが新鮮に感じた。


「キョン」


唐突に佐々木が口を開いて沈黙を破った。
もう一度ミラーを覗き込むと再び視線が絡み合ったが、今度は目を反らさない。
何だ佐々木、ついに悩みを話す気になったのか? 俺は運転しながらお前の話を要約できるほど器用じゃないんだ、せめて何処か休める場所で話してくれ。


「そうだね……なら、海にでも連れて行ってくれ」


海? んな所に行ってどうするんだよ。
確かに今日は絶好の海水浴日だとは思うが、水着なんて持ってきてないぞ。お前も手ぶらで来てるわけだから何もできん。
砂とアベックで体感温度が5℃は上昇するようなスポットにわざわざ行くこともないだろうが。


「駄目なのかい? 僕は別に海水と戯れるために行って欲しいんじゃない。
ただ単に、キミと一緒に海が見たい。そうすれば、きっと僕は素直になれると思うんだ」


俺は自分の耳を疑った。佐々木がロマンチストな発言をするなんてありえないことが起きたせいだ。
何だ今日は。初めて見る佐々木の新しい一面ばかりだ。佐々木の身に一体何があったんだ。
この暑さのせいか? いや、俺の知っている佐々木ならこの程度で思考回路に支障をきたすことは無いはずだ。
ということはやっぱり、さっき話してた悩みってやつか。ここまで重症になるほど根深い問題だと俺の手に余りそうだ。
―――何を言ってるんだ俺は。佐々木と約束したのは誰だと思ってる。
佐々木が俺を必要としているから、俺はこいつの力になろうと誓ったんじゃないか。今更怖気づくなんて情けないぞ俺! しっかりしろ!
俺が心の中で自分を叱責している最中、しがみ付いていた親友からくっくっという笑い声が聞こえた気がした。

11


「実にわかりやすい反応だ。だからキミは僕に心を読まれることになるんだよ。
キミはもう少し表情に出ることを抑える術を身に付けておいた方がいい」


………


「おや、気分を害したなら謝るよ。とはいえ、いくら僕でも稀に感傷的になることがあるのも事実でね。
たまにはそういった似合わないことを口にしても罰は当たらないだろう?」


海を見たいんだろ、わかった。行ってやるからもう俺をからかうなよ。正直それは結構くるもんがあるんだ。
珍しく自分を奮い立たせたっていうのに肩透かしをくらって、心配していたのが馬鹿馬鹿しくなった。
シフトダウン、海岸沿いに出るには次の道を曲がる必要がある。
右に曲がるからな、しっかり掴まってろよ。


「……」


俺の言葉に答えるように、腰に回された腕の力が強くなる。より密着する俺と佐々木の体。
動揺しなかったと言えば嘘になるが、二人乗りのターンに慣れない俺の心境はそれどころではない。
重心を傾ける。車体が旋回態勢に入り、俺たちの体に角度を与えながら右折した。
完全に真っ直ぐになったところでスロットルを開け加速。
Gを受けて一瞬佐々木の体が少し離れたが、すぐにまた密着状態に保たれる。

なぁ佐々木、もうカーブは曲がったんだから力を抜いてもいいんだぞ。

俺の声が聞こえないのか、佐々木の腕が緩まることはなかった。
まぁ、こんだけ風に吹かれたら俺の声だって流されるだろう。
俺はしばらく佐々木の体温を感じながら贅沢な風に身を任せた。



12

「こうしていると、二人でいた時の記憶が鮮明に思い浮かぶよ」


佐々木の声が懐かしむように感慨深く聞こえたので、初めて通る道を睨んでた俺の両眼がサイドミラーに向かう。
そこに映っている光景は現実と正反対の虚像でしかないのだが、確かに俺の体の後ろに佐々木がいる事を伝えていた。
シールド越しに見える佐々木の瞳が俺を捕らえていることも。
そうだな、塾に向かう時だけとはいえ昔はお前と二人乗りしてたわけだ。
そう言われると俺もあの時の思い出が脳裏によぎった。佐々木が懐かしく感じているのが嫌というほどわかる気がする。
今は乗ってる物も体勢も全然ちがうがね。お前が横向きに乗っていれば流れ去る景色も堪能できるんだろうが、速度が速度なだけにコイツでは自重してくれ。


「僕はこの体勢に十分すぎるほどの満足感を感じているし、無理な体勢で後部に座ることに危機感を感じないわけじゃない。
残念でないとは言い切れないが、こうしてキミに寄り添っているとそんな思いも霞むほどに僕の心は今とても充実しているんだよ――――ここは、僕の『特等席』だからね」


意味深くそう繋げて、佐々木は独特の笑い声をあげる。何が楽しいのやら。
だがそう言われると納得もできる。受験が待ち受ける中学3年、俺は毎日のように佐々木を自転車の後ろに乗せていた。短い時間ではあるが、今となってはもう戻れない思い出だ。
卒業式から別れて一年、俺の後ろはずっと空席のままで、佐々木以外誰も座ることがなかったわけで。
佐々木が今座っている『そこ』は、佐々木だけの特別な席といっても過言ではないかもしれない。
これから先佐々木以外の誰かを乗せることがあるかもしれないが、そんな物好きがいるとは思えん。
いや、別に佐々木が「物好きだ」って言ってるわけじゃないからな。
こいつは自転車通学時に乗せていったこともあって、そういうのが自然になっちまったという感じだ。


「そういうわけでキョン、これからもキミの後ろは僕のために空けておいてくれよ?」


そんなに俺の後ろは居心地がいいものなのかね。俺なら一人で乗っている方が気が楽でいいとおもうんだが。
まぁ佐々木がそういうのなら別に構わないが、頻繁に乗られると俺がブルーの制服を着た人に止められかねん。
簡潔に言えばノーヘルによる道路交通法違反で捕まる。


「そうか……なら僕も自分のものを買う必要性があるわけだね」


できるならそうしてくれ。無理に買うこともないと思うが。
物によっては三人以上の諭吉さんが飛んでいくほどの金額だ。
高校生がほいほいと買えるような品物でもないし、そこまでして後ろに乗るには割りが合わないだろう。


13


「キミは人の価値観を同一のものと考えているのかい? だとしたらそれは大きな偏見だ。
キミにとっては拾う値打ちもないものも、誰かにとっては―――それは何物にも代え難い、とても大切な宝物になることもある。
それがわからないのがキミの欠点でもあるがね」


何だそりゃ。俺としてはごくごく一般的な常識を持ち合わせているつもりだが。
俺は他人にとっては大事なものをいつも捨てているのか?


「キョン、キミの場合は『捨てる』というより『壊している』と表現した方が僕としては適切だと感じている。二度と使われないように、しかもその行為を見せ付けるかのように本人の目の前で行うから尚更性質が悪い」


俺ってそこまでひどいことをしていたのか。だが、そんな人間性を問われるような悪いことをした覚えは全く無い。少なくとも俺の脳から引き出せた光景にそんな場面はないぞ。


「キミがそう言うのは予想の許容範囲内だが、直接キミの口から聞くと偏頭痛にも似た痛みを覚えてしまうのは何故だろうね――――キミには後々責任を取ってもらいたいと思ってるんだが」


ちょっと待て、何でそこで俺のせいになるんだよ。というか俺は佐々木にもそんな事をしてたっていうのか? それこそありえん、お前との思い出は中学生活の中の大半どころかほとんどを占めてるがそんな記憶なんて無い。
どこにでもある有り触れた付き合いだったじゃないか。


「キミが記憶の海を底まで掬って思い出そうとしても恐らく無駄だろう。キョンに自覚が無いのだから、その場面場面が何気ない日常の一コマとしてしか捉えていない。
おまけにキミは、それが当然であると認識しているのだから違和感すら感じていないはずだ。
そんな状態で見つけることができるとは到底思えない
――――それより、キョンもまた嬉しいことを言うじゃないか。そこまで僕のことを覚えていてくれているというのは、何かしらの期待を抱いてもいいのかな?」

14


佐々木がズイッと軽く身を乗り出してきた。一体何を期待しているかわからんが、そんな体勢だと危ないだろうが。ただでさえ二輪車はバランスを崩しやすいというのに。
俺の注意を受けてお決まりのポジションに戻った佐々木だが、言葉まで止めるつもりはないらしい。


「キョン、キミは相変わらず変わることはないんだね。環境によって人間性が左右されると聞いたことがあるが、その論理をキミならあっさりと証明できるだろう」


卒業してから佐々木が随分変わった事は、この旅で嫌というほどに感じたがな。
それに俺だって何も変わらなかった訳じゃない。精神的に随分と進歩したという自負があるぞ。
主に非現実的な事柄に関してだが。おかげで変な耐性がついちまって、ある程度の事なら受け入れられるようになった。全く嬉しくない。
けどな、それが普通なんだよ。変化の訪れないものなんてないんだ。
出かける前に放しただろうが。人は簡単に変わっちまうもんなんだってな。
俺はそのことを、この一年間でまざまざと感じた。だからわかる。
俺も佐々木も、あの頃の俺たちじゃない。もう戻れないんだ。
けどそれで終わるという事には絶対にならない。俺たちがこうして生きている『今』はな、きちんと未来にまで繋がってるんだよ。
だから人は変わるんだ。未来に行くためには『今』の自分を捨てていかなければ辿り付けないんだからな。
佐々木は昔、自分が変わっていくことを望んでいなかっただろ? 俺はその考えを否定したりはしない。他でもない佐々木自身がそう望んでいたからな。
――――でもな、変わっちまえば何てことない。結局自分自身であることだけは何処までいっても不変なんだ。変わっちまうのも、悪くは無いと思うぞ。

……よくもまぁ自分の口からこんなくさい台詞が出たもんだ、素直に感心しちまうぜ。
いや、これは関心を通り越してとんでもない羞恥プレイだ。本気で穴があったら入りたくなる。
くそ、顔が熱い。佐々木に見られたら間違いなくからかわれちまう。恥ずかしさを誤魔化すように、俺は軽く前に屈んで佐々木から顔を隠した。


「――――訂正するよ、キョン。キミも変わった。あの頃より背中が大きくなった」


そんなもん改めんでいい。成長期なわけだから身長が伸びるのは当たり前だろ。
照れ隠しにぶっきらぼうで言ってやったが、俺の声が聞こえていないのか佐々木は何も答えることなく背中に身を沈めた。
二年前に感じていた佐々木の体。それを、ここまで強く女性として意識してしまう今の俺。
こうして考えると、俺はあの頃と少しは変わっているだなと再認識した。

14-2




キョン、僕は変わったと思っていた

けど、こうしてキミに触れているとそれが間違いだったことに気付いた

人というのは、自分で思い込むだけじゃ変われないんだね



――――例えるならば、それは歯車

――――噛み合わなければ、ただ一人で虚しく空回りし続ける思い

――――彼に届かなければ、決して動くことのない秒針



今、やっとキミに届いたんだ

僕の時間は、やっと刻み出したんだ

キミと触れ合うことで、漸く僕は本当の自分になれるんだよ――――


15

急に体感速度が速くなったような感覚に襲われた。いや、実際にスピードメーターが指し示している値は先程より上にある。
つまり本当に速度が上昇しているわけだ。スロットルの開閉度は変えていないにも関わらず。
おいジョン、お前が暴れ馬であることはわかってるがせめてこういう時だけは大人しくしてくれ。
後ろの佐々木が突然のGに驚いて強張ったぞ。俺を振り落とすのは構わんが佐々木だけはやめろ。落ち着けよ。
そんな心の叫びなどお構い無しにハネウマは加速を続け、今では法定速度を超過する勢いにまで達した。
周りの景色はあっという間に後方へ過ぎ去っていく。今この瞬間にいる場所は、瞬き一つで遠くまで飛ばされていく。
俺たちを運ぶ風は、ここに止まることを許さない。

「――――キョン」

後ろでしがみ付いていた佐々木の声が耳に届いた。
待ってろ、今スピードを落とすからな。

「いや、わざわざ運動エネルギーを減少させる必要はないよ。むしろ増やしてくれても一向に構わない」

お前まで煽るな。乱暴なコイツに任せてたらお前の楽しみである情景も見れたもんじゃないぞ。
だが佐々木の腕はがっちりと俺の腰をホールドし、いずれ訪れるであろう慣性に備えていた。
くそ、お前等がそこまでご所望するならちょっとだけだからな。ちゃんと掴めよ、放すんじゃないぞ。

「もちろんだとも。二度と放さないつもりで"捕"ませていただくよ」

了解した―――行くぞ。
今度こそ自分の意志でスピードを上げた。シフトアップ、一瞬途切れたエキゾーストが再び咆哮する。
打ち付けてくる大気を切り裂きながら、俺たちは"今"を走り抜けた。


16



『―――――――してるよ、キョン』


一際強い風が通り過ぎた。
乱流の作り出す轟音が佐々木の声に上塗りされ、最初に発した言葉を聞き取ることができなかった。
スマン佐々木、もう一回言ってくれるか?


「……海に着いたら話すことにするよ―――僕の、"悩み"と一緒にね」


そういえばまだ聞いてなかったな。まぁいい、どうせ到着したら佐々木と話す以外にすることがないだろうし、とことんお前の話を聞いてやる。
あとお前が日頃溜め込んでるもんも全部吐き出せ。そうすれば随分と気が楽になるぞ。
安心しろ、俺は何があっても佐々木を軽蔑したりしない。例えお前に殴られても今日は笑って許してやる。
刺されたりするのだけは勘弁願いたいが、そうするしか解決策が無いっていうのなら俺が新しい解答を導き出してやる。見つからないとは言わせないぜ。
もう一度約束する。俺は全力で佐々木の力になってやる。きちんとお前の言葉を受け止めてやる。
だから―――――もう一人で抱え込むな。


「――――――ッ」


佐々木の抱擁が強くなる。今までとは比べ物にならないほどに。
背中越しに伝わる震えが、仮面の下に押さえ込んでいた佐々木の辛さを如実に物語っていた。

俺は佐々木のことが好きなのだろうか?
正直にいえば、その事を考えたことがなかったわけじゃない。けど俺は、佐々木との『親友』という関係に十分満足できていたのも事実だった。
だからそれ以上を求めたいとも思わなかったし、佐々木自身そんな関係を望んではいなかっただろう。
ただ、好きとかそういった恋愛感情を抜きにして――――大切な人であることだけは間違いない。こればっかりはハルヒが世界を改変しても譲れない項目だ。

俺にとって、掛替えのない、大切な人。だから守る。
俺が佐々木のためにここまで奔走するのに、十分な理由だろ?



風に潮の匂いが混じり始める。海が近い。
そこで、佐々木がここまで苦しんでいる"悩み"とやらを、絶対に打開してやると誓った。



俺たちが『親友』から『恋人』という関係に変わるまでの、一時間前の話だ




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最終更新:2007年10月10日 10:58
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