4-881「夜の学校」

「夜の学校」

 あれは、第一回裏SOS団とのミーティングというか宣戦布告というかが行なわれた日
の夕刻のこと。ちなみに裏SOS団というのは、極私的な体内空間、すなわち俺にのみ
有効な彼らの名称である。橘たちは適切な名称を俺に告げなかったし、とりあえずそう
呼ぶことにした。長門ではないが、命名することで見えることも、見えなくなるものもあ
るだろうが、敵性団体にはまず呼称が必要だからな。

 夕食を終え、風呂も済まし、あとは明日、月曜日の平日強制ハイキングに備え、睡眠と
いきたいところなのだが、いかんせん、久々の非現実空間への移動によって、頭の中の
回線が変な繋がり方でもしてしまったのか、目が冴えて一向に眠くはならなかった。
まいったね、まったく。
 枕元に置かれた携帯電話兼目覚まし時計が、コール音を鳴らしたのはそんな時だ。
古泉や長門から連絡があるかもしれないと思い、携帯への注意を怠らなかった俺は、
半コールで電話を取った。取った瞬間、見慣れない11桁の番号がディスプレイされていた
ことに気がついたが、通話ボタンはすでに押していた。

「夜分に申し訳ないね……もしもし?」
 佐々木だった。お前にこの番号を教えた記憶はないんだがな。
「挨拶もそこそこに連れないことを言うね、キミは」
 こんばんは。思い出したとばかりに返した挨拶に佐々木は、くつくつといつもの笑みを漏らす。
「ちなみに、番号はキミに連絡を取る関係で、橘さんが教えてくれたよ。昨日は自宅に
連絡したのは、そのことを伝えるのがいやだったからだ」
 俺の頭の上に浮かんだ疑問符を見ていたかのように、佐々木は疑念を解いていく。
「携帯の番号を伝えた記憶のない昔の女から、突然に電話が掛かってきたら、キミは警戒
するだろう。それに、自分の携帯に番号を登録していない人間からの電話には出ないように
している人も多いと聞く。そして問題は内容だ。留守番電話に吹き込んだのでは無視され
かねない誘いであったからね。直接、話したかったんだ……キミと」
 否応なく佐々木との関係が変化していることに俺は気がつかざるを得なかった。俺は
佐々木を敵として認識しているのだろうか、旧友が連絡を寄越してくれたことに、まった
く喜びを感じられないってのは……結構、来る物だな。佐々木を土俵に上げてしまった
橘一党に対して、昏い気持ちが浮かぶのは避けられなかった。
「……それで、一体何の用だ? お互い、明日は学校だろう。夜更かしは身体に毒だぜ」
 だから、言葉には刺が潜んだ。自分の情けなさに涙が出そうになる。佐々木は巻き込ま
れただけじゃないか、被害者だ。お前には責任はない、ないはずだ。
 その時、こつんと窓に何かが当たった音がした。携帯を右手に窓の外を見下ろす。
そこには、昼にあった時と同じ格好の佐々木が立っていた。
「これから、出てこれらないか、話がしたいんだ。ふたりだけで」
 わかった。短くそう告げて、あわただしく寝間着を脱ぐ。脱ぎ捨てていた服を身につける。
なんだよ、なんなんだよ、一体。なぁ佐々木、なんでお前はそんな今にも泣きそうな顔を
しているんだ。足音を忍ばせて、階段を下り、慎重に玄関を空け、俺は夜気の中に出た。
 春とはいえ、夜は少し冷えるな。


「すまないね、こんな時間に、親御さんには見つからなかったかい」
 俺の姿を確認した佐々木は、小走りにやってきた。頭を振って、応える。
「で、佐々木、話って?」
 そう尋ねる。佐々木は俺から視線を外すと、
「少し歩かないか、久しぶりに」
とつぶやいた。
 こんな佐々木は見たことがないように思えた。我がSOS団の団長サマと違って、
コイツはいつだって、論理的で冷静な判断と行動を常としていた。友人として、佐々木の
そういう所は嫌いではなかった。だが、昼間のこともある。佐々木だって、迷ったり戸惑う
ことだってあるはずだ。
 ほう、とひとつため息をつき、駅方面に進路を取る。こんな時間でもやっている喫茶店
には何軒か心当たりがあった。一年にわたる不思議探索と称したフィールドワークの
数少ない成果だ。
「いや、キョン、そっちじゃない。こっちにいかないか」
 佐々木が指示したのは、かつて一年と少し前まで毎朝、移動していたコース。つまり、
俺の出身中学校への通学路だった。
「こっちには、なんにも店なんかないぜ、知ってるだろ」
 そんな俺の声を無視して、佐々木はさっさと歩き出した。ふう、どうして俺の知っている
神様はこう人の話を聞かないかね。まぁ、いいさ、佐々木には佐々木の目的、考えがある
のだろう。アイツの計画に乗ってやろうじゃないか。
「この道を歩くのも一年以上ぶりだな。キミはどうなんだい、キョン」
 俺も同じようなもんさ、一日が判で押したように決まり切ったスケジュールで行動する人間
は関係ない場所にはなかなか足を向けない物だ。俺たちと、あの学校との縁は切れてしまっ
たんだ。「そうだね、卒業するということはそういうことだ。いつだって、来ることができる、そう
思っていたのだけれどね」
 仕方のないことさ。日常の日々の忙しさの中に、思い出は勝手に埋没してしまう。
 それが生きるってことだろう。
「ああ、その通りさ。月日は百代の過客にして、光陰は矢のごとしさ」
 命短し、恋せよ乙女ってか。
 茶化した俺に合わせるように、佐々木はククッといつもの微笑みを浮かべた。
「まったくだ。まったくだよ、キョン。さぁ、ついた」
 そう言って、佐々木は振り返った。
住宅街を抜けると、視界は突然に開ける。そこには、俺たちの通った中学校があった。
 中空には春の朧月。
 青い月光に照らされた佐々木は、なぜだが、現実感がなかった。


 それでだな、佐々木よ。お前はここまで俺を連れ出して、何をしたかったのだ。
 と学校の外壁に沿って一面ほど移動した後に佐々木の背中に問いかけた。
「いやぁ、やはり物事というのは物語のようにうまくは行かない物だね。フェンスに入れ
そうな破れ目のひとつもあるかと思っていたのだが」
 ん? なんだよ、学校に入りたかったのか? そんなら早くそう言えっての。
 俺は佐々木と連れだって、裏門を目指した。裏門の横の所には代々受け継がれた男子
生徒御用達の抜け道があるのだ。
 スカート引っかけないように気を付けてな。
 後ろを行く佐々木に声を掛けながら、校舎裏に降り立った。
「ちょ、ちょっと高いな」
 躊躇する佐々木の声が聞こえる。
そうか、女の子にはちょっと厳しかったかな、そう思い振り返る。
「あっ、ちょっ……振り返っては行けないぞ、キョン」
 慌てて、回れ右、マイクロミニの女の子を下から見上げてはイケナイ。とりあえず、
佐々木の両手で隠されたシークレットエリアは見えなかった、ことにしておこう。
 ほら夜だしな。
 そうはいっても、ここまで来た以上、降りられないというわけにもいくまい。スカートを
ちゃんと押さえておくように伝えた俺は、両手を壁について、中腰の姿勢を取る。
「ほら、俺の肩を踏んで飛び降りろ」
 こうすれば、1m弱、女の子でも、飛び降りられない高さじゃない。
「すまないね、靴を脱ぐから、少し、目をつむっていてくれたまえ」
 俺の伏せた頭の斜め上で、ごそごそと動く気配がする。
 別に、そのまま踏んで貰っても一向に構わんがね。
「そうなのかい。キミにそのような特殊な性癖があるとは思いもよらなかった」
 こらこら、何を言っているんだ。俺を勝手に……。
「こら、頭を上げるなよ、恥ずかしいじゃないか」
 ぎゅむっと、俺の肩に佐々木の右足が置かれたのが分かる。一応言っておくが、
体重を掛けずに、軽く飛んでくれ。
「ああ、了解だ」
 ぎゅっと一瞬、肩に体重が掛かり、気配で、佐々木が飛んだのがわかる。
「きゃ」
 そして、続く悲鳴は佐々木が転んだことを俺に知らせてくれた。
 おいおい、大丈夫か?
「自身の運動不足を感じてしまったよ、体育の授業だけでは不足なようだ」
 差し出した手に掴まって立ち上がりながら、佐々木はそんなことを言っていた。
 やれやれ、まったくだぜ、足をひねったりしていないか?
「うむ、大丈夫なようだ。少し腕を貸してくれ、靴を履くから」
 あいよ、お安いご用だ。俺に掴まったまま佐々木は片足立ちで靴を履く。
「さ、体育館の方に回ろう、そこが目的地さ」


 体育館までは特に話はしなかった。考えてみれば、夜の学校に不法侵入なんて、在学中
にはしたことはなかったな。夜の人気のない建築物は、昼間には見せない顔を見せる。明日
の朝には、後輩たちがやって来て、ここも騒がしくなるだろうに、今の校舎は廃墟、あるいは
巨大な生物の死体を思わせた。
「やっとついたね、思わぬ大冒険だ」
 俺たちふたりはカマボコ型の体育館を見上げていた。しかし、どうして学校の体育館と
いうのはそろってこんな形をしているのかね。
「その構造上、体育館には柱が作れないからね。構造力学的にはドーム型の屋根を持つの
は理に適っているよ。そしてバスケットボールにしろバレーボールにしろ、球技の多くは長方形
のコートを使用するからね。自然体育館は長方形でドーム型の屋根を持つ建築物となる。
有り体に言えば、カマボコ型だ」
 お前の講釈を聞くのも、久方ぶりだ。聞き慣れない感じがするのは、今の俺にも講釈好き
の友人がいるからだろうか。
「例の古泉さん、かい。橘さんと同じく自称超能力者の」
 ああ、お前と話が合うような物知りだぜ。
「ふふ、あの春物のジャケットがよく似合っていた二枚目だね。ただ、話が合うかは分か
らないな。僕がこういう話をするのは、キミに対して、だけ、だから」
 ん、そうだったか? 記憶を探るが該当するものは思い至らなかった。
「女子の友人相手にこんな話をする機会もその気もないよ、それくらい想像するまでもな
いだろう。そして、男子には僕は微妙に敬遠されていたからね、まぁ嫌われてはいなかっ
たが、こういう話をする相手でもなかったということさ」
 そういうもんかね、適当な相づちを俺は打っていた。
「そういうものさ。キミは得難い聞き手だったよ、この一年で、それはよくわかった。
キミはキミ自身を平々凡々たる人類の代表のように思っているかもしれないが、僕にとって
はそうではなかった。それを理解できただけでも、この一年は意味があったのかもしれない」
 なんだか、気恥ずかしくなるな。俺はそんな風に評価されるのは苦手なんだよ。
こちとら、保証書付きの一般人なんだ。
「そのキミがカギなのだと、聞いたよ。涼宮さんの、そして世界の」
 そんなことまで話していたのか、だけど、世界ってのは大げさすぎるぜ。
「涼宮さんが世界の創造者なのかもしれない、それは本来では僕の役割であった、とそう聞かされた」
 信じるのか、そんな戯言にもなっていないような言葉を。
「さてね、判断するには材料が足らなすぎるよ。ただ、今日わかったことがある。キミだ、
キミはその話を聞いても、笑うことはなかった。それどころか、怒っていた、ねぇキョン、
それはなぜなんだろう。ああ、答える必要はない、もうわかっている。キミが信じている
のだ、涼宮さんの力はあるのだろう、ん、これは正確ではないな。現代の物理法則を
越えた出来事をキミは体験している、だから橘さんの言葉を無碍にできなかったのだ。
そして涼宮さんの軽んじる彼女の発言に怒りを覚えていたのだ」
 ぐうの音も出ないというのはこういうことだろうか。
 佐々木は相変わらず、確かな観察眼を持っていた。
 そこまで言い切られちゃな、弁解も言い訳も無駄なことなのだろう。
 だから、俺は沈黙した。
「キョン、キミの意見を聞かせてくれ。僕は僕のものだというその力をどうすべきなのだろうね」
 こうなった以上、これはお前の問題だよ、佐々木。そして、その質問には昼間に答えて
いるはずだ。
「そう、だね。うん、実のところ、僕にはそんな力はいらない。僕は目立たず、ひっそり
と生きて生活できればそれで十分だ。ただ……」
 ただ? ただ、何だって言うんだ。

「ただ……、そこにはキミがいなんだ、キョン。キミがいない。去年、卒業式の後、
キミとここで別れた。半年間は気がつかなかった、日々の忙しさにかまけているフリを
して、そのことから目をそらして、気がつかないフリをしてた。残りの半年間は、あきら
めようとした。仕方のないことだから、と。自分からキミに連絡を取ることはできなかった。
 何を言っていいかわからなかったから、寂しいと伝えてそれが何になるのか、わからな
かった。春先にキミの噂を聞いた、何か変人と一緒に連んでいると、それがとても可愛い
女の子だって、僕とキミはもう終わってしまったのかって、終わるも何も始まってもいな
かったんだ。だけど、そんなのはただの言い訳だ。恋愛感情なんて意味のない物だと
思っていた。中学の頃の僕は十分に満たされていた、そう、キミがいたからだ。僕らには
恋は必要なかった。僕にはキミがいて、キミには僕がいた。それで十分だった。
 そうだろう、キョン。ああ、キミは優しい人なんだな、恥ずかしがる必要はないよ。
それは美徳なのだから、まぁもっともそれを悪徳と見る哲学もあるけどね。
 ああ、すまない。話がそれたね。ついつい逃げそうになるよ、僕はいつもより饒舌だろう」
 佐々木の告白を前に俺は圧倒されていた。そして、申し訳なさが胸に染みた。すまない、
佐々木。俺は、自分の不思議ライフに一所懸命で、お前のことを思い出すことすらほとん
どなかったのだ。
「いいんだ、キョン。これは僕の感情だ。いま、僕は本来の僕のポリシーとは180度、
違うことをしている。こんなのは僕じゃあない。だけど、聞いていて」
 佐々木は寂しげで、その上でとてもそう艶やかな笑顔を見せた。こんな風にも笑うのだな。
俺はそんなことを思いながら、佐々木の告白をただ聞いていた。
「……夏休みにキミの姿をみた。涼宮さんたちと楽しげに街を歩くキミを、キミの横で
涼宮さんはとても綺麗な笑みを浮かべていた。青春を謳歌するとはこういうことなのだろう。
素直にそう思った。そして、どうして僕はキミの横にいないのか、そう思ったんだ。
 今思うと、僕が僕の感情の正体に気がついたのはその時だった。ああ、あの夏の日は
ずいぶん遠く感じるよ。何十年も何百年も前のような気すらする」
 お前が俺たちを見たのが、何回目かは知らないが、実際に何百年も前のことだったの
かもしれないな。去年の夏は特別に長かったんだ。
「秋に北高の文化祭に行こうかとも思った。だけど、キミに会って、話すことなど何も
なかった。キミの心がわからない。キミになんというか、古い友達のように扱われる
ことが怖かった。勇気がでなかったんだ」
 その前と後はともかくとして、文化祭の最中は極めて暇だったんだがな。
 まぁ、今年はどうなるかはさっぱりだが。招待状は送るとしよう。
「ありがとう。必ずよらせてもらうよ、日程が分かったら、教えてくれ。きっちり予定に入れておくから」
 そんな大層な物じゃないぜ。
「映画を撮ったと聞いたよ、ちなみに僕の趣味のひとつは映画鑑賞なのだ、特に低予算の
娯楽映画が大好きだ。もっとも自主製作映画まで守備範囲にしているわけではないが、
知っている人間がメガホンを取っているというなら話は別さ……おっと、また話がずれて
いるね。ふふ、やはりキミは聞き上手だ」
 お前が何を話したいかはわからなくもないが、やっぱり、その恥ずかしいな。
 身が持たないとはこういう気持ちをいうのかね。
「恥ずかしいのは僕も一緒だ。ただ、それ以上に一年分、キミに告げたい言葉は貯まって
いるのさ。もうすぐ終わるから、おしまいまで黙って聞きたまえ」
 はいはい、仰せのままに。佐々木に続きをうながす。


「……正月に年賀状をくれたね、ありがとう。ちなみに切手シートが当たったので、
キミへの手紙にはそれを使わせてもらうよ。僕は忘れられたわけじゃない、そのことが
とても嬉しかった。こう言っては何だが、僕は平静を装うのが、その得意でね。僕には
深い絶望はいらない、だから高い歓喜もいらない。そう思っていたのだが、人生ままなら
ないものだ。特定個人からの私信がこれほど嬉しく感じられる物なのかと、とても驚いた。
 二月のね、バレンタインの時も、さんざん迷ったんだ。僕は意気地なしだ。結局、渡す
こともできず、自分で食べた。あんなにしょっぱいチョコレートは味わったことがなかったな。
そう思えば、キミに渡さなかったのは正解なのかもしれない。しかしだね、キミも悪いのだぜ、
バレンタインの近辺はほとんど家にいなかったじゃないか」
 ああ、あの一週間も記録的に忙しかったな、そんなことを思い出していた。
「きっと、涼宮さんは素敵なチョコを渡してくれたのだろうね、ああ、いい。そんな
のろけ話を聞かせないでくれたまえ。そんな言葉を聞いたら、どうにかなってし
まいそうだ。そうそう、橘さんたちと出会ったのはそんな頃だった」
 そうか、あの一週間、そして誘拐未遂事件は、さまざまな意味で転機だったのだな。
俺の知らない所でさまざまな事象が動いているのだ。
「最初は、なんというか、戸惑った。だけど、キミのことを聞いた。キミが唯一、涼宮ハルヒ
に選ばれた人間なのだ、と。一般人、どこにでもいるようなキミという個人が涼宮ハルヒ
に選ばれたのがわからない、と聞いた」
 そう、その謎は今だってわからない。この世で何が分からないって、その事が、
俺がなぜ選ばれたのか、それが一番の謎なのだ。
「僕にはわかる、キミがなぜ涼宮ハルヒに選ばれたのか。涼宮さんも同じなんだ、僕と。
共に同じ目線で、世界を見てくれる人がいるなら、世界は輝かしい物になる、丁度一年前の
僕にとって、世界がそうであったように。そして、現在の僕の世界が色あせているのが
その証拠だ。世界の変容とは価値観の、物の見方によるものだ、そうキミに告げたね。
三月の終わり頃に」
 あの日の佐々木から、そんな言葉を聞いていたような気もするが、正直、確かにといえ
るほど覚えてはいなかった。
「自分だけじゃダメなんだ。ひとりの世界では、人間は生きては行けないんだ。キョン、
聞いてくれ。僕にとって、キミはそういう存在だ。こんな気持ちになるなんて、こんな感情
があるなんて、僕は知らなかった、知りたくもなかった。でも、知ってしまった。僕の世界
は変わってしまった。そう、キミがいないからだ。キミは僕の世界にとって欠かざる一片、
マスターピースだった」
 泣き叫ぶように、雨のように、佐々木はそう俺に、言葉を投げかけた。俺は石になって
しまったかのように、固まっていた。なんて、言ったらいい、こんな姿の佐々木なんて知
りたくなかった。こんな言葉は聞きたくなかった。だけど、すがりつくような佐々木の瞳は、
中坊の頃によく見た輝きに満ちていた。そうだ、佐々木はいつだって、瞳を輝かせていた。
受験勉強だって、日々の生活だって、楽しそうだった。
 それは俺といたからなのか、お前の世界に、俺は必要な物だったのか。
「キョン、聞いてくれ。僕はキミと共にいたい。この気持ちが恋だと言うなら、僕はキミに
恋している、この気持ちが愛だというのなら、僕はキミを愛しているのだ。僕はキミと共
にいたい、キミと同じ目線で、同じ物を見て、同じ言葉を聞きたい。だから、僕は……
キミと僕の間にある障害はすべてクリアする。そのために力が必要なら、手に入れてみせる」
 一体、お前は俺に何を望んでいるんだ。俺はお前に何をしてやれるのだろう。
「別にして欲しいことなどない。だって、僕の望みは、キミと共に在ることなのだから。
敢えて言うなら、そうだね、差し当たって、僕の気持ちがキミにとって、嫌悪の対象では
ないのなら、僕を抱きしめて欲しい、安心させて欲しいんだ、僕がひとりではないことを……」
 その言葉が終わる前に俺は思わず、佐々木を抱きしめていた。腕の中にある佐々木の
両肩は、小鳥のように震えていた。そうか、怖かったんだな。
 佐々木の心臓の音を感じる。なぜだか、そうしているのがとても自然だった。
「人間というのは強欲なものなのだなぁ。まったく救いがたいというものだ」
 いきなり、なんだよ。


「欲求と幸福には限界がないということさ。そうだね、第一段階をクリアしたら、即座に
さまざまな欲望と希望と願望がポップアップしてきた、だからね、キョン、メアドを交換
しよう。キミに対する言葉を僕に溜め込んでしまう前に解消するのに、それはとても便利
な機械となるはずなのだ」
 俺の腕の中で、佐々木はそういって微笑んだ。見えてなかったが、その位はよくわかる
のさ、俺のような鈍感な人間にもな。


 その後のことは、特に記すことでもない。俺が寝不足になったのと、携帯電話の会社に
プラン変更を依頼したくらいだ。
 ほら、月曜、それからその後も、いろいろあったからさ。こういうことを伝えるような
状況じゃなかったろ。
「まぁ、言い訳はその程度でいいでしょう。僕はこのことについて、あなたに対して、
怒りをぶつけても構わない立場である。そう認識していますが、その辺りをあなたは
どうお考えですか?」
 涼しい顔をして、意味不明な抗議をする二枚目フェイスに俺は言ってやった。
 なんで、お前に俺の恋愛関係に文句を言われなきゃならんのだ。お前は馬に蹴られたい
のか、ってね。
 そんな訳で、その日、高校に入って俺は初めてマジな殴り合いのケンカをした。
 結果は俺判定で俺の判定勝ちという所だ。
 ただ、ご丁寧にナース服を着て、おろおろと、傷の手当てをする朝比奈さんに対しては、
申し訳ない気持ちで一杯になった。ケンカ両成敗だし、お互いにその理由については何も
言わなかったからな。
 長門は、俺の顔を一瞥した後、読んでいた文庫本にそのまま視線を落とした。
 長門にしては珍しくそれはティーン向けの小説、いわゆるライトノベルだった。
 ちなみに、ハルヒは「バッカじゃない」と一言で俺たちを切って捨て、窓の外を見ていた。
その日は、結局俺と目を合わそうとはしなかったな。
 やれやれ、いいさ。
 俺は俺の世界を盛り上げるために戦い続けるだけの話だ。まぁ、どんな時にも、一緒に
いてくれるヤツがいるってのは心強いもんだね。
 あ、メールが来てるな。

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最終更新:2013年03月03日 01:26
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