6-82「スクウェア・ラブ」


「キョン、あんた今度の土曜日、佐々木さんを誘いなさい。彼女の証人喚問をするから。
会場はキョンの家で良いわ」


先日のハルヒが発端で起こった騒動にまたしても俺は巻き込まれ、ハルヒの命令により図
らずも当事者となってしまった佐々木を誘い出し、ハルヒの前に連れてこなければならな
いことになった。
やれやれ、明日は待望の休日なんだぜ。たまには日がな一日自分の部屋でゴロゴロとして
いたいし、ゲームで一日を費やすってのも悪かない。
アホの谷口や国木田と街に繰り出すのだってありだろう。

そういった何でもない休日を俺は望んでいるんだ。非日常的な出来事など、俺が退屈し
きった頃にやって来るってのがちょうど良いってもんだ。でないと俺の精神衛生上よろし
くない。
しかしこの団長様は、自分を中心に世界が回っていると信じて疑わないアレな女だからな。
結局何が言いたいかというと、上官の命令は絶対だということだ。あいつが大将なら俺は
二等兵で、その命令を履行しなければ、考えるだに恐ろしい懲罰の対象となってしまうの
だ。

いや、これ以上考えるのはよそう。これでは、世の中がいかに理不尽なものであるかを新
卒社員にこんこんと居酒屋で説教している、先輩風を秒速25メートルでビュンビュンと
吹かせる中堅社員のようだ。


俺はベッドから体を起こし、机の上で静かに眠っているケータイを掴みあげると、軽快に
操作してディスプレイに佐々木の電話番号を表示させた。
ああ、俺の携帯が佐々木の番号を律儀に記憶しているのは、先日佐々木に会ったとき、
佐々木が俺に番号とアドレスを書いた紙を手渡してきたんだ。これからは再び友誼をはか
りたいと言ってな。

ディスプレイの表示が消えないうちに通話のボタンを押して佐々木のケータイへの接続を
待つ。
2コールの後、電話に出た佐々木の声が受話器を通して俺の耳に浸み入った。
『やあ、キョンじゃないか。キミから電話を受けるとは光栄至極の限りだよ。それで、
いったい用件は何かな? これから1時間ほど語り合いたいというならやぶさかではない
が』

明朗ながらも難解なしゃべり方というのが佐々木の特徴だな。俺に取っちゃ懐かしいし、
普段も古泉で慣れているから、聞いていることは別段苦にもならないが。
「それは次の機会にで取っておこう。今日お前に電話を掛けたのは他でもない。明日は暇
か? もし用事がなければ俺の家に来てもらえると有り難い。だが無理ならそれはそれで
口実になるからいいのだが」
『キョン、キミが何を言いたいのかいまいちわからないな。僕に来て欲しいのかい? そ
れとも来て欲しくないのかい?』

佐々木はやや非難めいた口調で俺にそう問い返した。無理もないことだが。
「いや、すまん。こちらにも色々とあってな、お前が無理ならそれで良いんだ。ハルヒの
やつにもそう言っておくさ」
『キョン、涼宮さんも来るのかい? キミはさっきそれを言わなかったね。……だから僕
はてっきり……いや、何でもない、忘れてくれたまえ』
てっきり何だろう? 俺は佐々木の心情を察すことに長けているわけではないので、まる
でわからなかった。
長門の表情を読み取ることなら右に出るものはいないんだがな。
佐々木はそれから2秒ほど沈黙した後、
『……明日、キミの住まいに伺おう。特別何処かへ出向くといった予定は、幸い僕のスケ
ジュールにはないのでね。ところで、涼宮さんは何の用なのかキミは知っているのかい?
 もしや僕に関わることではないだろうね?』
妙に鋭い。しかし、答えづらい質問だ。
以前佐々木が妹のイタズラで、毒リンゴを食わされた姫君のようにやすらかに眠っている
俺にキスをしてしまったことをハルヒは聞き出すつもりなんだろうが、今ここで言うのは
何やら気恥ずかしい。

だから俺は、それは直接ハルヒに聞いてくれと逃げの一手を打ち、翌日の時間を取り決め
て電話を切った。佐々木はもう少し話をしたそうではあったが。
いよいよ明日―――か、俺は無事でいられるだろうか。疑問だね。
朝比奈さんにでも聞いてみれば、明日俺の命が終えるのは既定事項だなんて言われちまう
かもしれないな。
さて、明日に備えて寝るとするか。



翌日、時計の針が一時を指す15分ほど前、約束通りにまずハルヒが訪れ、間をおかずに
佐々木が徒歩でやってきた。
ハルヒは佐々木と顔を合わせると、粉末を入れすぎた抹茶を飲み干してしまった後に無理
矢理浮かべたような、表現し難い笑顔で佐々木に当たり障りのない挨拶を行い、だが佐々
木はそれを感じているのかいないのか、ハルヒ対して軽く会釈をし、にこやかな笑顔を返
した。
俺はハルヒと佐々木の間に滞っている微妙な空気を感じ取りつつ、玄関に現れた俺の母親
に二人が挨拶をしている様を見つめていた。
母親は約1年ぶりの佐々木の訪問を受けて、懐かしそうにして佐々木と軽く言葉を交わし
た。

その時、母親が俺とハルヒに対して意味深な視線を向けたことが引っかかったんだが、な
んのつもりだろうな。
そういや、俺の母親は以前俺が佐々木と一緒の大学に行くものだと勝手に思いこんでい
たっけな。
俺の母親も国木田や中河と一緒で、俺と佐々木が付き合っているという勘違い組か?
やれやれ、そんな勘違いをハルヒの前でおくびにも出さないでくれよ。後が恐ろしいぜ。

これ以上母親と話していて、俺にとって都合の悪いことをしゃべられると精神上よろしく
ないと判断した俺は、二人を促し、俺の部屋へと案内した。
だが部屋にはいると、ハルヒは妹も佐々木の証人喚問に同席させるようにと俺に命令し、
それを受けてやむなく俺は妹と、ついでに遊びに来ていたミヨキチも俺の部屋へ招き入れ
た。
ミヨキチは自分が注目されていることにはにかみながら、俺に勧められておずおずと座布
団に腰掛けた。
そのミヨキチの姿を見たハルヒと佐々木は、一様に驚嘆の表情を見せ、
「へえ、これがミヨキチって子なのね。な、中々きれいな子じゃないの。確かにあんたが
書いてたとおり、とても小学生には見えないわね」

と、ハルヒはどう見ても友好的でない表情で俺を睨み付けた。
「なるほど、妹さんの友人の子かい。どうやら彼女は栄養とホルモンの状態がよほど良い
んだろうね。とみに彼女の一部の肉体的数値が、現在の僕のそれを上回る可能性がありそ
うなことには、恐懼の念を抱かざるを得ないよ」
佐々木はそう言って、視線を自分の体へと落とした。俺には佐々木がやや肩を落としたよ
うに見えた。
なんのことだろうな。見たところ、ミヨキチは佐々木に比べれば背が低いと思うんだが。

そんな二人の俺との会話を耳にしてミヨキチは、何やら顔を赤らめて恥ずかしそうに俺た
ちのやりとりを見守っていた。
それから10分あまりのやりとりの後、ハルヒはそろそろ時間だとばかりにベッドに立ち
上がって開口一番、ここに佐々木を対象とする第二回証人喚問の開催を宣言したのである。
「ではこれから第二回証人喚問を行うわ。証人は佐々木さんよ」
なお証人に妹、オブザーバーとして特別ゲストのミヨキチが出席している。
なおハルヒは宣言し終えると、そのままベッドにあぐらをかきどっかと座り直した。

ハルヒのその言葉聞いて、佐々木は不審気な顔つきで俺をまじまじと見つめ、
「どういうことだい、キョン? 僕はそんな話は聞いていないのだが、これから何をする
つもりなのかい?」
「ちょっとキョン、あんた佐々木さんに言わなかったの? 職務怠慢ね。このことはマイ
ナスポイントとして、あんたに罰ゲームをさせるときに考慮しておくから覚悟しておきな
さい」
こうして二人から責められ、俺は上司と部下から板挟みにされる中間管理職のような惨め
な気分を、この年にして味わう羽目になった。

つうか、言えるわけないだろう。俺が佐々木からキスをされたことをハルヒの前で証言し
て欲しい、などと当事者の俺が言えるかよ。
ハルヒ、お前はもうちょっとデリカシーってもんを標準装備した方が良い。オプション扱
いは勘弁してくれ。
ハルヒは佐々木に体を向き直ると、鬼瓦のような表情から閉店間際のスーパーのように険
しさ4割引の表情へとメタモルフォーゼさせ、

「佐々木さん、そこにいるアホキョンがあなたにちゃんと説明しなかったのは謝るわ。で
も、あたしはどうしてもあなたに聞きたいことがあるの。だから、あたしの質問に答えて
もらえるかしら?」
有無を言わせぬハルヒのその表情に妙な迫力を感じたのか、さしもの佐々木も首肯せざる
を得なかった。
ハルヒはそれを確認するとおもむろに口を開き、

「佐々木さん、あなた以前そこにいる妹ちゃんのイタズラでキョンとキスしちゃったって
のは本当なのかしら?」
2時間ドラマのクライマックスで、犯人はあなたですと指し示す刑事のような表情で佐々
木に対し質問を行った。
俺はこれから起こるであろう荒れ狂う嵐に思いを馳せ、戦々恐々とする思いで成り行きを
見守った。

その言葉を聞いて、妹はコクっと頷いた後にやりと笑い、ミヨキチは驚きを隠せない表情
を浮かべた。
そして佐々木は一瞬冷え切ったガラスのように固化したが、表情も変えずにすかさず、

「涼宮さん、キミは何が言いたいんだい? そうとも、あれはキョンの妹君がちょっとぶ
つかってしまってね、それで僕はキョンと粘膜同士の接触を図らずもしてしまったわけだ
よ。それは確かに否定しようのない事実さ」

さすが佐々木だ。こんな状況でも実に冷静に……って、あれ? 何かが……。

「キョン、というわけだからあなたは気にしないで欲しいの。だって不可抗力だもの。
ね?」

おかしい……。
佐々木ってこんな口調だっけか? いや、男女で口調を使い分けているってのは分かって
いるんだ。しかし、なんだこの違和感は?

「どうしたんだい、キョン? 惚けた表情をして。キミは僕とキスしてしまったのがそん
なにショックなことだったかい? それだったら謝罪の言葉を述べたいと思うが、僕とし
てもそれは複雑な気分だね」
いや、いつもの佐々木だな。だが何だったんだ、さっきの違和感は……?
俺の錯覚だろうか。それとも俺の方が動揺していたのか。

「佐々木さん、あなたがキョンにキスしたのは不可抗力だったって言いたい訳よね? で
もね、そもそもあなた、どうして寝ているキョンをのぞき込んでいたりしたの?」
ハルヒは傷口をえぐるように、さらに核心に迫った。
しかし佐々木はそれには動じずに、
「何も問題はないでしょ。わたしはキョンの寝ている姿に純粋に興味を覚えたの。いつも
難しい顔をしているキョンが、考えられないような無邪気で無防備な顔で眠っているんだ
もの。見つめてしまうのもしょうがないことでしょ?」
何か恥ずかしいぞ。それにいつもの佐々木らしくない、ストレートな物言いに思えるのは
俺の気のせいだろうか?

しかし佐々木といい妹といい、俺をいったい何だと思っているんだ。俺の寝顔はそんなに
ガキっぽいというのか?
って、ミヨキチまでコクコク頷いているじゃないか。いつの間に俺の寝顔を見たんだ。

「じゃあ涼宮さん、今度は私から尋ねさせてもらうけど、あなたはどうしてそんなにキョ
ンにこだわるの? キョンが誰とキスしていたって、あなたには関係ないはずでしょ?」
思いも掛けない佐々木の逆襲に、あっという間に守勢に立たされたハルヒは『ぐっ』と詰
まり、しばらくの間答えられなかった。
「しょ、しょうがないじゃない。あたしはSOS団の団長で、キョンは団員その1なんだか
ら。団員の風紀の乱れを気に掛けるのは団長のつとめでしょ!?」
やっと紡ぎ出した言葉だが、無理があった。と言うより無茶苦茶な屁理屈だ。

しばらくの間、2人の間で鉄を切断したかのような火花がバチバチと飛び交ったような気
がした。
「涼宮さん。あなた、詭弁という言葉を知っているかしら? 今のあなたの言葉がまさに
それよね」
佐々木はじっとハルヒを見据えてそう非難した。
耐え難い空気だ。神々の戦いといおうか、このまま世界が滅亡してしまうんじゃないかと
思えるほどだ。
ええと、俺この部屋を出て行っても良いかな? そろそろ胃がキリキリと痛み出してきた
んだが。

しかしそれだけに止まらず、佐々木はガゼルの首筋に噛み付くリカオンのように、トドメ
だとばかりにハルヒに禁断の言葉を突きつけた。
「涼宮さん。あなた、キョンのことどう思っているの? 聞かせてもらえないかしら?」
俺の体中から、何か嫌なものが吹き出してきて、ガマの油として売り出せそうな勢いなん
だが、いったいこれはどうした事だ。
だがハルヒは意外にも押し黙り、
「あ、あたしはキョンの事なんて……どうとも……思って……いないわ」
ハルヒはたどたどしくそう答えるのが精一杯だった。いつもの勢いがないのはどう言った
ことだろう?

だがそこまで答えたハルヒは、最後の抵抗とも言える質問を佐々木に投げつけた。
「佐々木さん、じゃあ聞くけど、あなたこそキョンのことどう思っているわけ? あ、親
友なんてのはなしだから、正直に答えてね」
ハルヒはそんなことを言っているが、佐々木には『親友』それ以外の答えがあるのか?
あいつは恋なんて精神病の一種だと言い切った女だぜ。お前と一緒でな。
しかし佐々木は、俺がこれまでに見たことのないような逡巡と、動揺ともとれる表情の変
化を見せ、仄かに頬に朱が差して見えたのだ。

「わたし、わたしは……キョンのこと……」
そこまで言いかけたとき、今まで静観していたミヨキチが突然口を開いた。
「あ……あの!!」
一瞬で静まりかえるハルヒと佐々木。そして唖然としながらここにいる全員がミヨキチに
注目した。
「ミヨキチちゃんなあに?」
「わ、わたしもあります!」
なにが?

「わたしもお兄さんとキスしたことがあります!!」

「ええーー!?」

見事にハモる俺たちの驚愕の声。いったい何度目だ?
焼けつくような非難の視線を重機関銃のように俺に乱れ打ちするハルヒと佐々木。
そのロリコンを見るような眼はやめてくれ。俺はノーマルだから。

ミヨキチはこれ以上ないという赤くした頬をしながら、
「あの、わたしもお兄さんの寝顔を見ていたら、押されて……」
押されてって、妹にか?
おとなしくうなずくミヨキチ。

佐々木だけでなくミヨキチまでとは、妹のやつ……。

―――常習犯かよ!!

だが衝撃の事実に口もきけない俺達。
それにどうしてこのタイミングにミヨキチが突如として告白したのか、その意図が掴みか
ねた。
だがハルヒは石化が解けたようにゆっくりと口を開き、
「あんた、いったいどういことよ。このロリキョン!」
「キョン、僕は人の趣味についてとやかく言うつもりはないが、犯罪はよしたほうがいい
よ」

さっきまでいがみ合っていた二人とは思えないほどの見事な連携攻撃。
「いや、だから不可抗力だと言っているだろ?」
そんな二人の前に立ちはだかるようにミヨキチが俺の前で、
「お兄さんを責めないでください。わたしはその、気にしてないと言ったら嘘になるかも
しれませんけど、不可抗力ですし、それに決して嫌だなんて思っていません。むしろ……
いえ、なんでもありません!」

ミヨキチは真っ赤になったまま、妹とともに部屋の外に出て行ってしまった。
ハルヒと佐々木はミヨキチのそういった様子を見つめていたが、不意に俺を睨みつけた。
なんだ、俺を責めるようなその視線は?
だがハルヒは緊急停止した原子炉のように急速に熱が冷めた表情になり、
「ふう、なんだか白けちゃったわね。もういいわ。キョン、罰ゲームは貸しにしといてあ
げるわ。この辺でお開きにしましょうか?

何だかわからないが救われた気分だ。
ミヨキチには感謝してもしきれないな。今度お詫びを兼ねて何か御馳走してやろう。

だが、もしあのまま二人のいさかいが続いていたとしたら、佐々木はなんて答えたんだろ
うな。



10分後、俺は撤退する敵軍を物見に立った斥候のようにハルヒを見送った。
そして俺は佐々木を家まで送るため自転車の荷台に彼女を乗せた。
そして陽が傾きつつある中、ママチャリを漕ぎゆく。

「キョン、今日のことでひとつ思ったんだが、君は実に女性に振り回される人間だな」
そうだな。俺もそう思うよ。やれやれ、厄介なことだがな。
「そこでだ、キョン。僕は思うに、君のような人間には僕のような参謀役が必要だな。特
に涼宮さんのような人が相手では……」
「そうだな、できればずっと付いていてくれると助かるよ」

「キョン……それは……?」

「ああ、何しろお前は『親友』だものな」

「……キョン、自転車を止めてくれないか?」
俺が何か気に障ることを言ってしまったのか、佐々木はムッとしたような表情で、突然俺
に停車を命じ、さっさと降りた。
そして……、
「キョン、キミには責任を取ってもらわなければならないな」
責任? 何のだ?

「しらばっくれてもらっては困る。もちろん、僕の唇を奪った責任だ。それを取って欲し
い」
「ちょっと待て佐々木、お前もあの時、不可抗力といっていたじゃないか。それを今に
なってなぜ?」
「しかし、僕の唇を奪った事には変わりないだろう?」
唇を奪われたのは俺の方だと言いたかったが、佐々木の迫力に負けて言い出せなかった。
そしてやむなく佐々木に責任を取ると約束した。

「それではキョン、こういったのはどうだい?」

佐々木から提案された責任の取り方を聞いて、俺は大いに血の気が引いた。

再び俺の目の前に暗雲がたれ込めた事を感じつつ、頷くしかなかった。


終わり

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最終更新:2007年10月10日 20:48
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