24-122「実は低血圧な佐々木さん」

ジリリリリリッ!

目覚まし時計のベルが金属質の叫びを連呼していたが、相変わらず私の娘は目を覚ます気配が全くない。
「早く起きなさい!」
私は叫ぶと布団を思いっきり引っ張ってもみたが、娘はゆっくり上半身をもたげると布団を掴み、今度は頭の上
まで布団を被り直した。
「・・もうしゅこし、夢を見させてくだしゃい」
いつもの光景がまた繰り返されていた。
ウチの娘は客観的に見て、非常によくできた娘だと胸を張って言える。
朝が弱いという一点を除けばだけどね。


娘は昔から少し変わっているなと思っていた。
生まれてからずっと私たち夫婦を愕かせる事が多かったように思う。
赤ん坊の時は本当に大丈夫かと感じるほどに泣かない子だった。
初産だった私は子育てはとても大変と思っていたけど、意外に簡単かも知れないとこの子を育てて感じた。
周りのママさん達はあれやこれやと、子育ての苦労について井戸端会議にいそしんでいたけど、私の場合はその
会話について行けなかった。
初めて私たち夫婦を呼んでくれた時は本当に嬉しかったけど、赤ちゃん言葉で話し掛けるとすこぶるご機嫌斜め
になってしまい、旦那と相談したあげく普通の子供の様に話し掛けるようにした。すると大人しくなった。
本当に変わった子だった。

やがて少し成長して絵本の読み聞かせをするようになると、最初のうちはきゃっきゃっと喜んで聞いてくれたけ
ど、何度も同じ本を読み聞かせると機嫌が悪くなるようで、あの手この手と本を変えててみたけど本代も馬鹿に
はならなくなってきたので、しだいに読み聞かせの舞台は近所の児童図書館へと移る事になった。
図書館なら飽きるほど本はあるし、私たち親子を見てか見ていないか、司書さん達が気を利かせてくれたに違い
ないと思うけど、図書館の絵本や児童書の数が増えていった。
私も昔は演劇部に在籍していた事もあったから、色んな本を朗読する事が楽しかった。

そのうちに字を憶えると(教えていないのに!)自分でどんどん本を読むようになり、娘専用の図書館カードを作
る事になった。
幼稚園にあがる頃には簡単な漢字が混じった児童書を難無く読むようになり、近所のママさんや親戚からは神童
と呼ばれるようになった。女の子なんだから神"童"はないでしょ?と言いたかった。
小学校に上がる頃には新聞も読めるようになり、時々判らない文字に出くわすと「これなぁに?」と微笑みなが
ら質問してくるようになった。
それはそれで良かったけど、その度に「いみは?ゆらいは?」と聞いてくるのには正直辟易して、辞書の使い方
を娘に教えた。

学校にあがると勉強に興味をもち、教科書を手にすると次々に読破してゆき、学習から学問へと娘の興味は移っ
ていった。
友達とは時々は遊んでくる様子だけど、娘は遊びよりも机に向かって本を手にする事が多かった。
少しは子供らしく、絵を描いたり拙くても文章を書いたりしてくれれば私たちも心配する事はなかったけど、さ
すがにこれは行き過ぎだと思い、近所の子供会の催しに積極的に参加させたりガールスカウトに入団させて人と
接する様にさせた。
娘は器用に一通りこなしたが、何と言えばいいのか、手にした知識で降り掛かる問題を解決するような機械的な
処理をしているように思えた。
小学校も高学年になって中学受験を考える時期になった。
夫婦共に娘の実力ならどんな難関校の試験も楽々に合格できると思いはしたが、公立中学に通わせようと夫婦の
意見が一致したので、受験とかはおくびにも出さず、そのまま地区の中学へ進学させた。
中学生にもなれば、少しは女の子らしく振る舞うかも知れないと思った私たち夫婦の期待は裏切られた。
娘は塾へ通いたいと言い出した。普通の親ならここは喜ぶところかも知れないけど、娘の言動を知っている私達
にとっては益々不安を煽り立てる事になった。

その様子に変化が生まれたのが中学三年になった時だった。
ある日、娘がハミングしながら家に帰ってきたので何かあったのかと聞くと、娘は嬉しそうにクラスメイトの男
の子が同じ塾に通っていて、今日は一緒に話をしたと喜々とした表情で話した。
娘は気軽にキョンと呼んでいたけど、いつしか娘はその男の子の自転車に載せられて一緒に塾へ通う仲になった。
その子とは私も何度か会ったけど、純朴で素直そうな男の子で私を安心させた。
いつしか娘の家での話はその"キョン"君の話題にばかりになり、初恋を経験した事を感じさせた。
ただ"キョン"君の事を彼氏さんと言うと、顔を真っ赤にさせて「そんなんじゃないよ!」と否定した。
その割にはキョン君の家に行ったり、呼んだりして一緒に勉強するようになった。
積極性が娘に出てきたのは好ましいが、ここはもう少し素直になればいいのにと、経験者として思ってみたり
みなかったり・・・・。

秋になったある日、娘が沈痛な面持ちで家に帰ってきた。
聞けばキョン君と娘の進路が違う事で落ち込んでいるらしい。
娘は進学校を目指していたがキョン君は北高を受験するらしく、別離の不安が娘を落ち込ませているのだろうと
思った私は、いい年なんだから自分で考えて自分で行動しなさいと言った。
娘は自分で考えて行動するのが苦手だった。その時の私は少し冷淡だったかも知れない。
それまで以上に一生懸命勉強に打ち込み、キョン君と一緒に勉強する機会も増えていった。
少しでも一緒にいる時間を増やす事で不安を紛らわそうと考えたらしい。いつもロジカルに物事を考える娘らし
からぬ、非論理的な行動だった。

やがてお互いに志望校に受かり、卒業式を迎えた。
とびっきりの有名校に進んだ娘を祝おうと、親戚が家に集まり宴を催したが、娘は途中で宴の席を辞して自室に
引き籠もった。どうしたのだろうかと部屋の扉を開くとベッドに泣き伏せている娘がいた。
出会いと別れは誰も経験する事だから、ここは何も言わずに見守ってあげよう。

高校にあがった娘はさっそく予備校に通うようになった。
その表情は中学三年の頃ともそれ以前の表情とも違っていた。大事な何かを失ってしまったようだった。
誰も彼も、何も間違ってはいなかった。


そんな表情に変化が現れたのはつい先日の事だった。
私は何も聞き出さなかった。一々聞き出すのは無粋極まりない。
まぁ、そんな事だろう。

「早く起きなさい、キョン君が来てるわよ!」
「・・・・・・!」
目をパチクリさせて飛び上がった娘は鳴りやまない時計を乱暴に止め、つまずきながら窓へ駆け寄った娘は何度
も失敗しながら窓を開け、私へと振り返った。
「お母さん、娘を騙すのは道徳的に問題があると思うよ」
諦観の境地に至った表情の娘は部屋を出て、階段を下りていった。

いつもの一日が始まった。

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最終更新:2007年11月10日 10:27
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