24-310「白い狂気」

 喫茶店につくと、すでに彼がいつもの席に座っていた。
「よ。悪いな、呼び出したりして」
「いや、構わないさ。それで、話ってなんだい?」
「ちょっと聴きたいことがあってな。あのさ、」
 少しだけ声を抑えて、彼は言った。
「橘のやつ、藤原のことが好きだったりするのか?」
 友人に、橘京子という人物がいる。
 一年前に知り合ったばかりであるが、同姓である自分の目から見ても、彼女は魅力的な
女性だと思う。よく喋りよく動き、いつも楽しそうに話しかけてくる。
 そんな彼女に我が親友であり悪友でもある目の前に座る彼、通称キョンは、惚れたよう
だった。
「……君の好みがああいう人だとは知らなかったな」
 少しだけ含みを入れて言葉を返す。
「いや、別に好みではない。ないんだが……なんでだろうな」
 気づいたら好きになっていた、と彼は言う。どこでもお構いなしに私に話しかけてくる
橘さんの、すぐ横にキョンはいたのだ。
 いつものメンバーの、下らない会話と、笑い声。
 惚れた腫れたの種なんて、どこに育つか分らないものだ。
 本人すら気付かぬ間に育っていてそれが、今頃になって、開花したのだろう。
「……で。どうなんだ?」
「そうだね。橘さんが好きなのは藤原くんではない。
 ただ、彼女には好きな人がいる、って事は親友のよしみで教えておく。
 これ以上は本人に聞いて欲しいね」
 キョンは、実に複雑な顔をした。藤原でなくて良かったという安心と、橘さんに好きな
人がいるという驚きと、そいつは一体どんな男だろう、という疑問が実によく混じり合っ
ている。
 目の前でコーヒーを啜っている男だ、と言えばその疑問と不安は解消されるのだろうけれど。
 なんだかそれは、とても面白くなくて、黙っていることにする。
 沈黙。私がふと、浮かんだ疑問を口にする。
「第二ボタンでも渡すのかい?」
「冗談。そんな柄じゃねえよ」
 コーヒーを飲んで、はぁ、とため息。
「あいつ、意外と頭良かったんだな」
 そんな愚痴にいつものように笑い返し、
「君がダメなだけじゃないか」
「いいや違うね。お前らが頭が良すぎるんだ」
 断言しているが、キョンは自分の学力の無さを憂いているようだった。
「そんな進学校とは思わなかったぜ。違う学校ってのは聞いてんだが」
「キョンは……県立高校だったね」
「おう。そうか佐々木も一緒か。もしかして、あの二人も同じか?」
「ああ。我ら佐々木団で一人無難な場所を選択したのはキョンだけだよ」
 まいったな、と言いたげな表情。それでも寂しいという感情は読み取れない。
「もう、12月だもんな」
「そうだね。みんな卒業、か」
 なんだかんだで楽しい中学時代だったと思う。それぞれの道、なんて言い方をするには
、まだ若いだろうけれど。
「ああ、でもな。佐々木」
 彼は視線を上げて、笑い、
「ありがとうな、佐々木。おかげで楽しい毎日だった。来年もよろしく」
 その顔にドキリとした。心臓の鼓動の音を誤魔化すように少しだけ声を上げ、
「やれやれ。遊びすぎに注意しないといけないようだ」
 そんな言葉を口にする。
 それはいつもの会話だった。

 外は、雪が降っていた。
 じゃあな、と言って彼は去って行った。
 放課後お遊びメンバー。通称佐々木団。
 この活動は別の高校に入っても続くだろう。
 そうなるだろうと思う。
 そうなってほしいと願う。
 そうすれば。
 また、キョンに会えるだろうから。
 ざわめく商店街を、一人歩く。
 まいったわね。
 ため息は白かった。
 心臓の鼓動。普段とは考えられない思考。
 認めるしかあるまい。
 自分は病気に掛かったことを。性質の悪い、精神病だと決めつけた―ー
「恋煩い、か」
 やっかいな物だ、と佐々木は思った。

 ふと、商店街を振りかえり、思う。
 橘京子は、自分のことを神と言う。
 彼女は打算無しで、本当にそう思っている。
 それは、確かだ。
 そこに隙があるのも、確かだ。
 もしも、と思う。
 ありえない、普段なら考えない愚劣な思考、自分には似ても似つかぬ考えだが、
 もしも。
 キョンから身を引けを言えば、彼女はキョンを諦めるだろうか。
「あは」
 白い息。
 白く染まる商店街を、ひとり歩く。
 頭の片隅に残ったそんな考えが、泥のように纏わりついて離れない。
 ダメだ。キョンが、彼女を諦めない。

 考えを変えればいい。
 適当な男を見つくろい、そいつと付き合えと言えばいい。
 キョンの目の前でキスして見せろと言えばいい。
 キョンに、嫌われろと、言えばいいのだ。

 なんだ、簡単じゃないか。
 笑いがこみ上げてくる。自分の歯車が、ガリガリと音を立てて外れていく。
 こんなことは初めてだ。思考が止まらない。自分で自分のコントロールが効かない。
 それなのに、なぜか心地よい感触に捕らわれる。
 空想する。
 唇を重ねる橘と男、茫然をするキョン、体を震わしながら、使命感を持って、彼女はそ
の行為に耐えるだろう。キョンが詰め寄る、橘が遮る。
 目を合わせず、震える声で、こう、言うだろう。
 私の彼氏です、と。
 勘違いされては困ますから、近寄らないで、気安く話しかけないで。

 素敵だ、と佐々木は思う。
 その時のキョンの顔を、是非見てみたい。その後ろには私がいて、彼を慰める。
 そうして、彼は私を求めるのだ。
「ああ、」
 素晴らしい、と。
 白い息を吐きながら、佐々木は思った。
 実行するべきだ、と佐々木は思った。
 静かに携帯を取り出して、慣れた番号を呼び出す。
 歪む口元から、声が漏れる。
「ねえ、橘さん。頼みがあるのだけど――」

 白く染まる商店街。
 白に染まった狂気の言葉が、ジングルベルの音にかき消されていく。
                                       おわり。

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最終更新:2007年11月08日 11:35
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