24-322「佐々木さんの、音楽とか、変わるものと変わらないものとか、の巻」

佐々木さんの、音楽とか、変わるものと変わらないものとか、の巻

あなたは、街角でふいに出会った懐かしいメロディに、涙を流したことがありますか。

気に入ったバンドの新譜が出たので、久しぶりにCD屋に足を伸ばした。
2枚同時というのは豪勢だが、ミニアルバムにしてくれてもいいじゃないかと思わんでもない。
まあ片方映画の主題歌だから仕方ないか。
店に入り、洋楽の前を通りすぎようとしたら、見慣れた後姿に気づいて立ち止まる。
視聴コーナーで、大き目のヘッドホンをかぶり、片手を寄せて、一心に聴いている。
全身で音楽を受け止めようとしているのが、後ろからでもひとめで見て取れた。
よう、何聴いてるんだ佐々木?
軽いつもりで肩を叩いて心底びっくりした。
ちょっ、おま、何涙を流していなさるんですか佐々木さん。
「え? キョン?」
涙を流す佐々木なんて、俺の貧弱な想像力の遥か彼方の領域だった。
そう、情報統合思念体と天蓋領域くらい遠くだ。
だから思い切りのけぞってCDの棚にぶつかって一列ひっくり返したのも、
情状酌量の余地はあるとひそやかながら主張したい。
店員さんごめんなさい。すぐ片付けますからそんな冷たい目でみないでください。

それでもお目当てのCDを買って同時購入特典までもらってしまうあたり、我ながらずぶとくなったものだ。
どうにもハルヒに影響されている気がする。いかんいかん。自戒せねば。
「どうにも、変な所を見られてしまったね」
やや気恥ずかしげに佐々木が笑う。
すまんな、お詫びにこのネコバッチを進呈しよう。どうせ俺が持って帰っても妹の餌食だ。
「では、謝意を受けたしるしとして、ありがたく頂戴しよう。くっくっ」
ようやくいつもの微笑みに戻ると、佐々木はまるで大切なものでも扱うかのように、そっと両手でバッチを包んだ。

「音楽ファン、とりわけ一部の洋楽ファンというのは、度し難いものなのかもしれないね」
近くの公園で、コーヒー缶を片手に佐々木はそんな風に話し始めた。
「自分が心底愛してしまったバンド、曲。それは決して変わらないでいてほしいと思う。
次の新しいアルバムを一日千秋の思いで待つけれど、そこに期待するのは、
「自分の好きだったあの曲と同じような、でも新しい曲」なんだ。
古来、どれほど多くのバンドが、ファンたちの期待がプレッシャーとなって解散したり、
自分たちが興味を持ち、深めた新たな方向性を、古い曲が好きなファンに口を極めて罵られ、
深い失望に沈んだものだろうか」
ああ、ポップソングって同じような展開だから、ずっとやってくのは地獄だって聞いたことあるな。
「そうだね。無論どの領域でもそうだし、敷衍すれば、どんな分野も似たような悩みはあるだろう。
でも、ポップソングや、HR/HMなどの「様式」が強い音楽をやるバンドは、そのあたりの悩みが深いように思うんだ。
考えてもごらんよキョン。たとえばクイーンの名曲、「ロック・ユー」や「ボヘミアン・ラプソディ」は、
今でも多くの人が好んで聞くけれど、発表から数十年だよ。毎回コンサートを行う度に、
20年前の曲をやってくれ、新しい曲なんていらない。僕たちはあの曲が聞きたいんだ。
などとプレッシャーを受け続けてごらんよ。たまらないだろう」
まあ、フレディがいないから、同じ曲はやれないけどな。
日本人だと、「あーんあんあやんなっちゃった」だけを日がなくり返して数十年の人もいるけど、
言われてみりゃ確かに、新しい曲だってやりたいよな。
「あの人はあれはあれで「芸」であって尊敬するけどね。
でも、とりわけクリエイターとしての感性が強い人たちは、「同じところにとどまりたくない。もっと先へ行きたい」
と思うものなんじゃないかと思うんだ。だから、好きなバンドを、好きでいられる時間というのは、
実は存外短かったりするんだよ。
特に僕が好むジャンルは、米国でグランジやオルタナがあまりにはやりすぎてしまったせいで、
そっち方面への路線変更を多くのバンドが強いられ、リスナーが誰も望まぬバンドに成り果てるか、
アルバムも出せなくなるバンドがあまりに多かったものでね。
そういう「路線変更」という事態そのものに、ファンがちょっとトラウマになっているような状態なんだ。。
だから、ちょっと路線変更すると非難轟々だし、
逆にそれをしないせいで、「本国で売れない」という理由で消えてゆくバンドもままあるんだ」
そうかそうか。ところで何で泣いてたかの理由を聞いてたと思ったんだが。
「ようやく本題に入るところだよ。
僕の琴線に非常に触れるカナダのバンドがあったんだ。でもこれもご多分にもれず、
日本で絶賛された2ndアルバムから、一転して3rdでグランジ風味の暗い曲調になってしまったり、
旧来の音楽に戻したら本国で売れなくて、バンド名を変えたりポップに方向転換したり、まあ色々あったんだ。
それで最近は消息もあまり聞かなかったんだが、実は先年ニューアルバムを出していたのを見逃していてね。
お店の人にムリを言って視聴させてもらったんだけれど、最初の一音を聴いた瞬間に、
「ああ、僕の好きだったあの音楽が、変わらないままに深化してここにある」という安心感に満たされたんだ。
最初の一フレーズでだよ、キョン。
ギター・リフのエッジの効きも、
分厚いコーラスに支えられたフックのあるメロディラインも、
「俺達の音楽の原点はここだ」と主張するように、
変わらず、豊饒にそこにある。
懐かしい声が変わらぬメロディを語り、軽快なドラムに乗せて、ギターが「歌って」いる。
彼らが変わらずそこにい続けてくれたことが、とても嬉しくてね。まるで、慣れ親しんだ家に帰り着いたような心地がして、
気づけば涙がこぼれていたんだ」
そういうと佐々木は、その購入したアルバムを愛しむように頬にあてた。
そこまで入れ込めるのはすごいな。
「こういうのは、もう個人の生まれ持った感性に由来するとしか言いようがないのかもしれないね。
僕はこのジャンルがとても好きだけど、何ゆえに好きなのか、あまり系統だてて説明しても意味がないと思っている。
音楽はある種根源的な感性に訴えかける芸術だから、「波長があった」ものについては、
もう無条件に虜になってしまうんだろう」

「でも、どうなんだろう? もしかしたら、およそ全てのことに、それは当てはまるのかもしれないね」
コーヒーを飲み干すと、佐々木はそう呟いた。
「人を好きになると、その人に、「自分が好きだったその人のままでいてほしい」、
そう思うのは、人間の自然な本性と言っていいんじゃないかな。
無論、互いに近づいて、影響しあって変わり行く、そんな関係があることは分かるし、
すばらしいことだと思うけど、根源的なところでは、人を好きになるということは、
「私の好きなあなたでいてほしい」と思うことなんじゃないか、そんな風にも思うよ」
そういって、佐々木は話を締めくくった。


紅く色づき始めた街路樹を眺めながらの帰り路、別々の方向に分かれる所で、
一度別れて数歩すすんでから、佐々木はくるりと振り返って、澄んだ声で唐突に問うた。
「ねえ、キョン。僕と一年ぶりに再会した時、君はどう感じたのか聞いていいかな?
僕を、相変わらずの僕だと思ったかい。それとも変わったと思ったかい?
変わらなかったことに安堵はあった? 変わったことに失望感はあった?
ねえ、キョン。僕が僕であることに、君はどんな感慨を抱いたんだい?」
どうしたんだ佐々木、なんでいきなりそんなこと。
「僕はね、君があいかわらずな君であることに、とてつもない安心感を抱いたよ。
それこそ、今日のこのアルバムを聴いたときの比ではないほどにね。
それを、最後につけくわえたくてね」
「ヒュ-マン・ネイチャー」という名のアルバムを手にして、佐々木はそう言って歩いていった。
                                             おしまい
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-[[34-356「佐々木さんの、音楽とか、終わるものと変わりゆくものとか、の巻」]] へ続く

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最終更新:2011年11月08日 02:55
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