27-89「キョン佐々の憂鬱」

こう言ってしまってはなんだけれど、私は宇宙人や未来人や異世界人や超能力者が日常にふらりと現れることを望んでいたかもしれない。
このありきたりな日常世界に幸あれとは常日頃から思っていたけれども、
それでもやはりある日突然信じていた価値観が一変するほどの大事件に巻きこまれたい、
そんなふうに思わなかったと断言したらそれは嘘だと確信できる。

例えばこんなのはどうだろう?
実は公に出来ない政府の秘密組織が宇宙人や超能力者の存在を隠蔽しているのだ。
そして学校帰りの私は偶然にも彼らと出会ってしまい、元の生活とは別れを告げる。
もちろん私自身にそういった不思議的価値はないから自ずとサポートの方に回るんだろう。

ある日突然事故に遭って頭を打つとかはどうだろう?
今まで使われなかった脳の一部が繋がって超能力に目覚める。
そして他にも目覚めた人たちがいて私の元に集まってくる。そして世の中を正すために行動していく。
なんと漫画的アニメ的な世界のすばらしい事だろう。

それがはたして現実に起こりうるのか、と聞かれても私は根拠を持って肯定するだろう。
宇宙人、確かに人類のように知的生命体が惑星に生まれる確率は限りなく低い。
けれどもこの果てしなく広大な宇宙空間には確実にそのような惑星が存在している。
彼らが私たちより遥かに進んだテクノロジーを持っていて、
同じく知的生命体の私たちに接触を試みる可能性はゼロとは言い切れない。
未来人、フランク・ティプラーという名の物理学者が過去への時間移動が現在のテクノロジーでも可能な事を証明してみせた。
しかも予算さえ考えなければ確実に成功しうる方法でだ。
エネルギー保存則の問題はまだ残っているけれど、
未来で起こった大惨事を回避する為に過去と接触を試みる可能性だって否定できない。
そんな話を私は友人にしてみたのだけれど、このように返された。

「それがわたしたちの日常に起こるものなの?」

私は愕然としてしまった。
確かに宇宙人未来人は可能性としてはあり得る話だけれど、それを本当に目の当たりに出来るとはまた別問題だ。
それは宝くじで一等を当てるよりも低い確率なのだから。
夢と実際の可能性は別物、けれど可能性と現実もまた別物。
そんな事が起こるはずがない、けれどちょっとは起こってほしい。
それが成長した私の考えになっていった。
中学を卒業する頃には私も親友と呼べる人物に出会って日常世界にも物語的面白さがあるんだと知る事ができ、
別にそんなSFやファンタジーの要素が関係しなくてもいいやと思えるようになった。
だから私はこの平穏だけど面白い世界を精一杯生きようと思っていたところ――、


凉宮ハルヒと出会った。


私は実は県内でも有名な私立進学校の入試に受かっていた。
妙な話ではあるけれど、偏差値もそこそこの県立高校に通う事にした。
大学はともかく高校は多少良い環境にあればどこに行っても同じだと私は思う。
大学受験勉強なら教科書の内容をしっかりと把握して応用と演習を繰り返せばいい。
授業が退屈なら自分で進めればいい。
せっかく高校に通うのだから勉強以外で高校生活でしか出来ない事をしたい、そう思ったからだ。

……いや、よそう。
そんな事でごまかしたところで自分の正直な気持ちは偽れない。
私の本音は勉強になんかに存在しない。そう、私は――。

さて、そんなわけで入学式前後であたりを見渡してみると、
同じ中学から来ている人たちがかなりの数にのぼっていて、
うち何人かは昼休みに話し合った友人たちもいたから緊張する事はあまりなかった。
けれども友人たちが私を一目見るなり、
「うそ、なんでここにいるの?」
と目を見開いて指差してきたのには驚いた。
どうやら友人たちの中では私は私立校に進学していた事になっていたらしい。
そう考えるのが普通だろうけれど、いささか心外だ。
決まりきった校長先生や来賓の方々の祝辞が終わってようやく私は配属された一年五組の教室に足を運んだ。

席は出席番号順で男女交互に並んでいるらしく、所定の席に腰を落ち着けた。
「む、おまえと同じクラスだったのか」
本を読もうかと鞄の中を探っていたら、聞き慣れたどこかだるそうな、けれど明瞭な声が私の耳をくすぐった。
もちろんそれを無視する事は当然、無碍にする事もできるはずもないから、
「そうだね。これを偶然と呼ぶべきなのか必然と呼ぶべきなのか、そこはさすがに判断に迷うけれどね」
私はくっくっと笑いを浮かべながら彼の瞳を見つめる事にした。
キョン、とあだ名されている彼は私と同じ中学の出身で、塾も一緒だった友達だ。
彼は肩をすくめながら背負った鞄を私の後ろの席に置く。
どうやら彼が私の後ろらしい。
「それにしても、まさか本当におまえがこの学校に進学するとは驚いたぞ。
 おまえだったらここより上の偏差値誇ってる滑り止めだって受かっててもおかしくなかったのに」
「さすがに高校一年目から授業と予備校で息の詰まった生活を送るのはごめんだったからね。
 僕は君が思っているよりもずぼらだったらしい」
キョンと同じように肩をすくめてみせる私に対して彼はあきれたように頭を抑える。
「つまりなんだ、実は本命私立も受かってたのにそれを蹴ってここに来たって言うのか?」
「そうなるね。けれど別に不思議な事じゃないと僕は思うんだ。
 現に国木田だって同じ選択肢を選んでいるようじゃないか」
「俺にはさっぱり分からん。行けるところに行った方がいいと思うんだがな」
キョンは同じく中学をともに過ごした国木田の方をちらりと見てまた首を傾げる。
「行けるところに行ったからこそ、ここに至ったとは考えてくれないのかい?」
さらに語ろうとしたところに担任の青年教師がドアを開けて教室に入ってきたので、私は話を切り上げてそちらに集中する事にした。
彼は一通りの自己紹介とハンドボール部の宣伝を行った後、典型的な展開と言ってはなんだけれど、自己紹介をしようと発言した。
一言だけにも関わらず聴いていると実に面白い。
クラスに早く馴染もうとする者、当たり障りのない発言ですます者、高校生活に望む夢を語る者。
まさしくその人のすべてを表していると言ってもいい。
私もなるべく簡素に自分を表す言葉を述べ、暖かい拍手を送られた。
キョンもまた彼らしい台詞を述べて終了する。
次の女子が立ち上がるが、キョンは私、つまり前方を眺めたままで後ろを振り向く気はないらしい。
いくら体をよじらなくてはならないからって、それはないだろうと密かに思うけれど、
それを私が指摘するほどキョンは分からずやではない。
「東中学出身、凉宮ハルヒ」
彼女はどうして不機嫌なのかは分からないけれど、まるでクラス全員が敵のように口を固く結んで眼を鋭くしていた。
けれどもそれを補って余りあるほど彼女の容姿……いや、美貌は整っていた。
気と意志の強い女子、これなら絶対にクラスの人気者になるだろうと思わず確信していたけれど、
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」
さすがのキョンも振り向いた。
凉宮さんはクラス全員の視線を全く意にも介さずに受け止め、
ゆっくりと教室全体を見渡して、憮然としたまま着席した。
おそらく全員の頭には今の発言にどのような反応を示せばいいのか困っていたところだろう。
担任の岡部先生も例外ではない。
何人かはそれを平然と受け止めたりあきれかえったりしていたようだけど、
後から聞いた話では彼女と同じ東中学出身の生徒だったらしい。
だけど私はそれに衝撃を受けてしまった。
今、この場で、あのような発言を行った凉宮ハルヒの存在に。
彼女はどれほど自分を貫き通す固い意志を持っているのだろう。
他人から白い眼で見られようとも嘲笑されようとも、決して自分を変える事がない。
世界はそれこそ個人の意志で回っていると断言しているかのように。
それはきっと理論と常識で武装してきた私が持っていない強さ。
「よろしく、凉宮さん」
気がついたら私は彼女に拍手を送っていた。
最大限の賛辞ではなく、他の生徒の時に誰もが送っていた暖かいものだ。
それで白くなっていた時が再び刻みだしたのか、他の生徒からもまばらに拍手が送られる。
岡部先生もためらいがちに次の生徒を指名する。
凉宮さんは送られた拍手に反応を見せず、面白くなさそうに腕を組むだけだった。

再びそういった非日常的な事柄に興味を持った私は予習そっちのけで図書館に通いつめ、
必要なら本屋にも赴いて自腹をはたいた。
深く考えれば考えるほど少女時代に思いを馳せた記憶が鮮明によみがえってきて、自然と笑みがこぼれる。

数日後、ようやくある程度まとめられた私は凉宮さんと話し合おうと意気揚々と学校に赴いた。
「しょっぱなの自己紹介のアレ、どのへんまで本気だったんだ?」
そして教室に入ってくるなり視界に飛び込んできたのは、
さりげない笑みを満面に浮かべたキョンが凉宮さんとの会話を試みようとしているところだった。
「あんた、宇宙人なの?」
彼女は不機嫌のまま大まじめな顔で返事した。明らかに雲行きが怪しい。
他のクラスメイトもキョンの成り行きを固唾をのんで見守っている……ような気がする。
「……違うけどさ」
「違うけど、何なの?」
座っているのにたじろぐキョン。この展開はまずい。いつもの聡明さがキョンにはない。
「……いや、何も??」
「強い意志を持っていて立派、そんなふうに思ったのよ」
だから私も彼と凉宮さんとの会話に参加する事にした。
凉宮さんはキョンのそばに椅子を持ってくる私を凝視する。
「なによそれ?」
「だってそうでしょう?」
私は自己紹介の時に彼女から感じた印象を素直に語った。
キョンはツチノコを発見したような驚いた表情を私に見せてくるけれど、
彼女の顔には「それが何?」がありありと書かれていた。
「子供の頃誰もが思っていた、けれどほとんどの人にとっては色褪せてしまった記憶。
 自分で自分を妥協させてしまった人ばかりの中で、あなたはそれを捨てる事なく心の中で輝かせ続ける。
 とても素敵で立派な事だと思うわ」
「それで?」
「あなたに触発されて私も少し文献をあさってみたのよ。良ければ少し語り合わない?」
私はおもむろに鞄の中から数冊の本を取り出して凉宮さんの机の上に並べてみた。
それに顔をしかめたのはキョンだった。
「おまえ、こんなのばっかこの数日読んでたのか?」
「ムー大陸とか月到達NASA陰謀説とかの文明よりはよほど文明的だと思うけれど?
 心配しなくてもこれらは全部科学的根拠を伴ったものばかりだよ。
 トンデモ科学じゃない事は僕が保証する」
私が持ち出したのはいずれも物理学者や生物学者が大まじめに語っている文献ばかり。
それが現在別の学者に否定されているものでもとりあえずは持ち出してみた。
以前調べた事があるから、そこから更に掘り下げるのは意外と簡単な事だった。
さすがの凉宮さんもこれには面食らったらしく、私の方に視線を移していた。
「私の材料はこんなような知識しかない。できれば凉宮さんの考えを聞きたいと思っているの。
 よければ教えてくれないかし――」
そんなわりといい時に限って岡部先生は早くに教室に表れた。まだ予鈴もなっていのに。
本鈴がなるまでめげずに話そうと思ったけれど、既に凉宮さんの興味は削がれてしまったらしい。
私は空気を読めない担任に若干のいらだちを覚えながら、自分の席に戻る事にした。
そんな私やキョンの他にも凉宮さんと会話をしようと試みるクラスメイトは何人もいた。
まずは昨日のドラマとか無難な話題から入ろうとするけれど、たいていはそこで撃沈される。
琴線に触れない限りは彼女は意にも介さないらしい。
あからさまに不機嫌をあらわにするのだから、話した側にとってはたまらないのだろう。
次第に彼女から人は遠ざかっていった。
ただ私にとって嬉しかったのは、そっけないけれど私の話を聞いてくれるところだった。
まだ一方的に私が話しているだけで会話は出来ていない。
けれど、話題さえ選べばいつか無難な会話程度なら交わせると結論できるまでにはなっていた。
しかしいつまでも彼女だけに関わっているのが私の高校生活だと聞かれれば、そうではないと答える。
「おまえ、谷口から高評を受けてるぞ。なんでもAAらしい」
「それは光栄だね」
放課後でのキョンとの会話もその一つだ。
谷口くん、凉宮さんと同じく東中出身。席が近いからキョンや国木田と一緒に食事をとる事が多い。
一件軽そうに見えるけれど、あの手の人は芯がしっかりしていると私は思う。
「僕がAAだったなら朝倉さんはきっとSSSぐらい行ってるんだろうね」
「それは自分を卑下し過ぎだろ。朝倉さんは一つ上のAA+、ほぼおまえと差なんてないぞ」
「意外だよ、朝倉さんの一つ下なんて。僕を高くみすぎて逆に困るよ」
「なんでも凉宮ハルヒに話を合わせようとする不思議なやつ、そんな理由でランクが下がってるらしいが」
どうやら東中出身の生徒には凉宮さんの印象は芳しくないらしい。
しかし彼女と関わる事でその人物の評価まで下がるのは凉宮さんにとってこの上なく失礼だとは思うけれど、
それを正しておこうとは思わなかった。
「ところでキョン、君は部活動の仮入部期間をどのように使うつもりだい?
 ゴールデンウィークまでに決めておかないと入部の機会を逸してしまうと思うんだけれど」
「あいにく俺は万年帰宅部、高校受験からの脱却の余韻をそのままに過ごすさ」
「それは残念」
別に部活動をやるやらないは個人の自由だけれど、やった方が思い出や出会いが広がると思う。
けれど逆に自分の時間を取りたいのだったらキョンのように帰宅部を選択するのもありだろう。
「それでおまえはどうするつもりだ?」
「僕はとりあえず全部に仮入部してみるよ」
「全部……マジか?」
キョンのあきれたような口調と表情に私は少しむっと来た。
「今までの嗜好にとらわれずに新たな一面を発見できれば、と思うんだ。
 今までやった事のないものも挑戦してみるよ」
「そうか。がんばれよ」
素っ気ない言葉でキョンとの放課後の会話は終了する。
真っ先に教室から出て行った凉宮さんの行方を気にする人は既に誰もいなくなっていた。
それを少し寂しく思いながら私は鞄を持って部活巡りを始める事にした。
やはり体を動かすのは気持ちがいい。それを肌で感じる事が出来た。
バスケ、ラクロス、それから岡部先生のハンドボールにも行ってみたし、野球部にも足を運んでみた。
さすがに運動神経も抜群とは言えなかったから熱心な勧誘をしてくれた部は少なかったけれど、
それでも薦めてくれた先輩方には,
「考えさせて下さい。一応全ての部活を見て回りたいんです」
と無難に断っておいた。そこまで熱望はされていなかったけれど、後の方の部になってくると、
「まるで凉宮ハルヒだなぁ。あいつ変わってるよな」
と聞くようになっていった。驚いた事に彼女もまた全ての部活動を体験して回るつもりらしいのだ。

四月の半分もすぎたあたりでようやく体育部を終え、文化系の部に足を運ぶ事にした。
まずは私が最も興味がある文芸部に行こうとして、
「ん?」
「あら」
凉宮さんと遭遇した。
どうやらお互いに文芸部に行こうとしていたらしく、部室の前で鉢合わせになってしまったらしい。
しばらく静寂があたりを包む……そんな事はなく、凉宮さんは私をみかけなかったかのように部室の扉を開けたのだった。
「失礼します」
私も彼女の後に続いて部室の中に踏み込んで、一瞬立ち尽くしてしまった。
夕焼けに染まった橙色の光が窓辺から差し込み、
開け放たれた窓からそよぐ風がカーテンを優しく揺らす中、その少女は本を読んでいた。
絵画や写真にすれば賞すら夢ではないと確信できる一枚の映像がそこにはあった。
「ねえあなた、上級生は?」
その女子が上履きなどを確認して一年生だと判断したのだろう、
凉宮さんはあたりを見渡して上級生の鞄もない事を確認する。
「いない」
女子生徒は本から顔を上げるどころか微動だにせずに答えた。
思った以上に涼やかな声で、まるで風鈴を鳴らしたような印象を抱く。
「この部はわたし一人」
さすがにそれだけではなかったようで、付け加えるように彼女はつぶやいた。
「うそ。中学時代に調べた時にはちゃんと現三年生がいたはずよ」
凉宮さんは彼女に断りもなく棚に立てかけられた部員名簿に目を通す。
私もそれが気になったので後ろから覗き見る事にした。三年生が数人、二年生はゼロ。
どうやら状況から判断すると、三年生は夏を待たずに春で部を引退してしまったらしい。
どうりで部活紹介の時にも顔を見せなかった訳だ。部員で示し合わせて放り投げたのか。
「信じられない。なんて無責任なの」
凉宮さんは明らかに今目の前にいない上級生に向けて敵意を向けながら、
彼女は棚に立てかけてある本を一冊ずつ手に取って終わりの方を読んでいく。
「何をしているの?」
「あとがきを読んでるのよ。たいていはこれで著者が何考えて書いてたかが分かるから」
私の何気ない質問に凉宮さんはそれだけ答えて本を次々と積み重ねていく。
どんな本を文芸部の人たちが扱っていたのかをチェックしているようだ。
やがて飽きたのか見切りをつけたのか、最後まで読まずに全部棚に戻していく。
「あんた、ここって本を読むだけ? それとも批評もするの?」
「知らない」
あくまでこの女子生徒は我関せずを貫くつもりらしい。
それにそもそもやる気のない三年から彼女が部活事情を聞いているとは思えない。
しかし部活風景を推理するにはこの棚ぐらいしか材料がないのは頭が痛いところだ。
「とりあえず読書、批評、それから創作もあるみたいじゃない」
「そうね。やろうと思えばいつでも羽ばたける部みたいね」
推察が終了してパイプ椅子と折り畳みテーブルを囲む女子三人。
あまりに味気ないので私がくんだ日本茶をテーブルに並べる。
私は我ながら上手く入れる事が出来たとお茶をすすってしみじみと感じた。
正直、間が持ちません。
「で」
静寂を打ち破って口を開いたのは意外な事に凉宮さんだった。
この時間からなら他の部に行く事も出来たはずなのに、彼女はそのまま腰を落ち着かせていた。
「続き」
「続き?」
あいにく見当がつかなかった上に凉宮さんはあさっての方向に視線を向けていたので、
私は思わず聞き返してしまう。
「この前の続き。恒星間移動の技術についてよ」
ああ、宇宙人が地球にやってくる前提になっている事ね。
思わず納得した私は新たに借りてきた文献をテーブルの上に並べて、
なるべく整理して語る事にしようとして、ふと気づいた。
そういえばせっかくこの場にいるのに私は本の女子生徒の名前を聞いていない。
「長門有希」
伺ってみると彼女は平坦な声を紡ぐのみだった。

文化系部の中にはかなりの優秀な成績を収める部活も多々あって、軽音楽やコンピュータ研究には驚かされた。
この調子で行けば軽音楽は文化祭で演奏すれば一番人気になるだろうし、
コンピュータ研究のパソコンは決して安くない一台数十万規模もするハイスペックなもの。
大学の研究に使ってもおかしくないものまであった。
そうしてゴールデンウィークが終わる頃には私と凉宮さんは全ての部活を体験し終えていた。
涼宮さんと出会ったのは文芸部だけだったけれど、それでも鉢合わせできたのは私にとっても少し嬉しい事だった。
案の定凉宮さんはどこにも入部する事は無かった。
超常現象研究会を始めとした同好会を含めて彼女の興味をそそる部活動はなかったようだ。
ちなみに私は週三回の某運動部に入る事にした。
それ以上だと勉強に支障をきたすし自分の時間が取れない。
だけどそれ以下だと部活動の意味がないと思ったからだ。
唐突にではないけれど、たぶんきっかけがあったとしたら曜日によって変わる髪形についてキョンが指摘した事だろう。
涼宮さんは長くてつややかだった髪を惜しげもなく切った。そしてホームルーム前の時間でキョンと涼宮さんは会話をし始めたのだ。
ある日は部活動について、またある日は中学時代について。
一度は涼宮さんの方が積極的に答えていたところで空気が読めてない岡部先生に折られもした。
私も私で二人の会話に参加もした。けれど他の女子とも関係を築いていった。
その中には東中出身のこもいて、涼宮さんの過去話を詳しく聞く事もできた。
どうやら今までの一ヶ月近くより壮大な事をしてきたらしい。平凡を歩んできた私にはとても考えられないものばかりだった。
「俺、涼宮が人とあんなに長い間しゃべってるの初めて見るぞ。おまえ、一体何を言ったんだ?」
「驚天動地だ」
とある休み時間。谷口くんが例によって不在の涼宮さんの席を指差しながら難しい表情を浮かべてキョンに語りかけた。
それはそうと谷口くん、魔法って言い方はいささか不適格だと私は思うのだけれど。
あっさりと返答するキョンにあくまで納得しそうに無い谷口くん。その後ろから国木田がひょっこりと顔を見せてくる。
「昔からキョンは変な女が好きだからねぇ」
国木田、そのちらりとのぞいた視線は私に対するあてつけなの?
「キョンが変な女が好きでもいっこうに構わん」
猛烈に構う。嗜好は確かに人の勝手ではあるけれど、主に女子が非常に困ると思う。
本人は気がついてないようだけれど、意外にキョンは人気があるのだから。
「俺が理解しがたいのは、涼宮がキョン相手にちゃんと会話を成立させているところだ。納得がいかん」
「あたしも聞きたいな」
と、朝倉さんは朝顔のような素朴な笑顔でキョンの前にやってくる。
「あたしがいくら話しかけても、なーんも答えてくれない涼宮さんがどうしたら話すようになってくれるのか、コツでもあるの?」
「解らん」
キョン、考えるフリをして首を振っても私にも国木田にも丸判りだと思うよ。
けれどきっとキョンが熟考しても朝倉さんの望んでいる答えにはたどり着かないと確信できる。
キョンはそういったものを意識せずにさりげなく行うのだから。
「そういったもんに関してはおまえの方がうまく説明できるだろ」
「えっ? 私?」
端の方にいた私にいきなり話題を振られても困惑するばかりだ。キョン、いくらなんでもそれはひどいよ。
私の思いをよそに朝倉さんをはじめこの場にいる……いや、なんだかクラス全員の視線が私に集中している気がする。
若干引きつるけれど、すぐに気を取り直して少し考えてみる。
「そうね……。一つの事実としては、彼女にとって退屈な話は論外。社交辞令でも聞こうとしないで門前払いだとおもう。
 それから私達の方から自己主張するような会話もよほど興味をそそらない限り成立してない。
 キョンと涼宮さんとの会話を第三者の立場で聞いてみると、二人の会話で共通している点が一つ」
「涼宮さんの主張を真剣に受け止めつつ、それに答える事のできる会話を彼女は望んでいる?」
「と私は思っているけれど、どうかしら」
それでも涼宮さんはイエスマンを望んでいない。ある程度反する主張をする人物が最適だと考えられる。
そういった点でもキョンは涼宮さんにとって現時点で一番の相手だと言える。
「だからあなたと涼宮さんは会話できてるのね。あたしも見習わなくちゃ」
「そうとも言い切れない。私も会話をするとある程度しゃべってしまう方だから、タイプが涼宮さんと一緒なのよ。
 時を刻んでいけば意気投合できるかもしれないけれど、現時点ではまだおせっかいな女子その二にすぎないと思うわ」
中学時代キョンとの議論ではいつも私から話題を切り出して、それにキョンが意見をする。そんな事が結構多かった。
だから私と涼宮さんは意外と近いのかもしれない。
「ふーん。でも安心した。友達ができたのはいいことよね」
おせっかいな女子その一こと朝倉さんが自分のことのように嬉しそうに笑顔を見せた。
多分男子が真正面から拝めば半分は心惹かれるほど魅力にあふれている。
首をかしげるキョンに朝倉さんはお願い、と白くて繊細な指を絡ませて両手まで合わせた。
キョンは呆気に取られたらしく、「あー」や「うー」しか言葉にできていない。
朝倉さんはそれを肯定と受け取ったのか、ケーキを前にしたおとなしめの女の子のような笑顔で私の腕を引っ張る。
「ねえねえ、その話詳しく聞かせて」
私は女子の輪に入るなり今の話題がふられた事にはたじろぐしかなかった。
朝倉さんはともかく彼女達はあっさりと涼宮さんとのコミュニケーションをあきらめた人たちだ。
なんだか、テストの過去問を持ってる優等生にねだるみたいだ。

いつまでも出席番号順での席ではさすがになかったらしく、席替えが行われる事になった。
主に近所から輪が広がっていくものだから、クラス全体の事を考えれば月一でも私はいいと思う。
けれどもせっかくキョンと涼宮さんとの会話に参加する機会がなくなると思ったら少しさびしい気持ちを抱く。
席の近さという利点をのぞいたらキョンが涼宮さんと会話を続ける理由があまりない。
どうなるんだろう、と悩んでいたけれど、実際は杞憂だった。
窓辺の後ろから二つ目にキョンは位置し、涼宮さんはその後ろ、教室の角に位置した。
私の席が涼宮さんの隣になったのを合わせて、偶然とは恐ろしいものだと正直思う。
「あー、もう、つまんない! どうしてこの学校にはもっとマシな部活動がないの?」
そしていつものように始まる早朝の会話。
涼宮さんは本当に憂鬱そうに高度が低いのかすぐに流れていく雲を眺め、幸せが抜けるほどの深いため息を漏らした。
それを指摘しようと頭を掠めたけれど、やめておく事にした。
「ないもんはしょうがないだろ。結局のところ、人間はそこにあるもので満足しなければならないのさ。
 凡人たる我々は、人生を凡庸に過ごすのが一番であってだな」
……その理論は夢を完全に否定したきわめて現実的な、しかしとても危険な考えだと思うけれど。
確かに努力と根性だけでどうにかなる世の中だったらどれほどよかった事か。
汗と涙の結晶が無駄に終わった例は数え切れないほどのはずだ。
偉大な成果に結びつく努力をする事にすら才能が必要な世界だ。
だから私達は平穏無事に暮らすしかない。日常生活万歳。そんなところだろう。
「うるさい」
涼宮さんは気分よさそうに演説しているキョンを一方的に切り捨て、あらぬ方向へと視線を向けた。
もうキョンの話を聞く気はないらしい。
当然だろう。その99%と1%の話で言うなら、涼宮さんには1%の何かだけが足りてないのだから。
99%の努力を行った彼女からすればこんな理不尽な事はないだろう。
認めたくないはずだ。このほのぼのとした日々がこの世界の全てだと。
そのように考える事で私も憂鬱になってきたので、気分を紛わすために次の授業の予習を始める事にした。

突然だった。
涼宮さんは睡魔に襲われていたキョンの襟首をわしづかみにすると、勢いよく引っ張ったのだ。
「何しやがる!」
たまらず拳を握り締めて立ち上がるキョンに対して見せた涼宮さんの反応は
――生涯忘れられないほどの、太陽のように輝いた満面の笑みだった。
「気がついた! どうしてこんな簡単な事に気づかなかったのかしら!」
涼宮さんは英国女王が所有する特大の宝石も色褪せるほどの輝きに満ちた眼差しをキョンに向けながら大声で言葉を放つ。
「何に気付いたんだ?」
「ないんだったら作ればいいのよ!」
「何を」
「部活よ!」
青天の霹靂だ、とキョンは考えているのだろう。
全クラスメイトは半口をあけたまま注目していたし、英語の先生は今にも泣き出しそうで無関係な私ですら申し訳なく思う。
授業中だと指摘されてようやく涼宮さんはキョンを開放し、着席する。
けれどもちろん興奮が冷めるはずも無い。目をらんらんと輝かせるままにキョンの背中を凝視していた。
多分教科書は広げているけれど、授業の内容は全く頭に入ってないに違いない。
「1%のひらめき……」
私は新たな道を切り開いた涼宮さんにそんな感想しか浮かばなかった。
99%の努力をしてきた者に1%のひらめきが舞い降りたんだ。
それがどのような結末になるかはわからないけれど、
人生振り返って一番輝いていた時期にすらなるのではないか、そんな考えが頭をよぎった。
そしてその相手に選ばれたのはキョンというわけだ。至極妥当な線ではある。
キョンにとっては頭痛の種になるかもしれないし、決して壊したくないかけがえの無い存在に変わるかもしれないけれど、
きっと彼にとっても大きなものをもたらすのではないだろうか。
そう思うと少し嫉妬すらしてしまう。
「おわぁっ!」
案の定授業終了を先生が告げた途端に涼宮さんは立ち上がり、キョンのネクタイを掴むと強引に引っ張り出した。
軽く悲鳴を上げるキョンなどお構いなし、早々に二人は教室を退場し――、
「へ?」
思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。それほど意外だった。
気がついたらやっぱり半泣きの先生を眼の端に捉えながら、私まで涼宮さんに引っ張られていた。
涼宮さんは二人も引っ張っているのに廊下を全力疾走しそうな勢いで、私もキョンも倒れないように走るしかなかった。
「協力しなさい」
そうして屋上へ出る扉の前。涼宮さんはキョンのネクタイを掴んで一言目にそういった。
多分カツアゲと印象を受けたのは私だけではないはずだ。
「何を協力するんだ?」
「あたしの新クラブ作りよ。いい? 今日の放課後までに調べておいて。あたしたちもそれまでに部室を探しておくから。いいわね」
反論内容を構成するキョンを待っているほどの寛大さは今の涼宮さんの頭の中にはないらしく、
今度は私だけを引っ張ってその場を後にする。
軽妙な足取りのまま、どうやら彼女の行き先は決まっているようだった。
「昼休みになったら文芸部にいきましょう。事情を考慮すればあの広さを有効活用しない手はないわね。
 あとは有希と交渉して万事解決よ」
廊下を歩きながら彼女は自論を力説する。
いや、と言うよりは今の発言が今後の前提条件になってる気がしてならない。
十割の確率でそうだろうけれど、刹那の可能性も考慮に入れて一応聞いてみる事にする。
「その交渉は私もするの?」
「あたりまえじゃない!」
涼宮さんは急に百八十度回転して私の真正面に立ち止まった。
そして先ほどキョンに見せたのと同等な輝きに満ちた強い眼差しで私の瞳を見つめる。
「もちろん協力するわよね、佐々木さん」
多分涼宮さんの中では私がどのような返答を行ったところでその結末は変わらないだろう。
キョン風に言うならば巻き込まれた、そのへんだろうか。
それでも私には選択肢がいくつも存在する事は確かだった。断固拒否する事もできただろう。
けれど、私は全く考える事無く返事をした。いや、考える必要が全く無かった。
「もちろんよ、涼宮さん」
私もまた満面の笑みで彼女の意志に答えた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年12月31日 18:40
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。