27-124「風邪」

 何もこんな時までしなくてもいいのにと思う事は無かろうか?
中学の頃、佐々木と一緒の塾に通っていた俺は、大晦日から元旦にかけて行われる特別冬期講習でそれを思った。
大晦日は家族と一緒に年越し蕎麦を食って、母親のお節料理の手伝いをしつつ(田作作りには自信あるぞ)、テレビの既得権を妹と争奪
戦を繰り広げつつ過ごしたりするのが普通じゃなかろうか?
 普段は勉強しない時間帯に勉強しても絶対身が入らないって!と佐々木に言ってみたら、君が思っている様な煩悩を断ちきる為の、
これは一種の儀式なんだよと、いつもの声を抑えた低い笑い声をあげた。

 俺が行っていた塾はニュースの1シーンに出てくる様な、生徒や講師がハチマキを締めて雄叫びを上げるスパルタじみた風景とは無
縁なところで、生徒は勉強に関して最善の方法を自らで探し出し、講師は生徒の質問に答えて生徒の弱点を指摘する、ある意味では昔
ながらの寺子屋みたいな感じの塾だった。だから自分自身を上手くコントロールしなければ学習効果はまるで上がらないのだ。
 幸いな事ながら俺には講師がもう一人、隣に居る佐々木がよく面倒をみてくれるから、その点は問題が起こる事は無かった。

 さすがにこの時期になると受験の内容もほとんど把握しており、問題集を前のページから順に挑んでいき終わったら回答を参照し、
正答率が低い部分を明らかにして、その部分を補強してゆく地道な行為を繰り返しつつ、春までの期限限定だからと脳味噌に頼み込み、
短期記憶の強要を行っていた時だった。
 紙と黒鉛が奏でる協奏曲の一部が欠けてるぞと思って隣を見遣れば、なんと佐々木の手が止まっているではないか。
こいつでも問題で考え込む事もあるんだなとその光景を見ていると、頭が前後左右に不自然に動いていた。

 ・・・おい、佐々木どうかしたのか?
俺の呼び掛けにワンテンポ遅れた感じで顔を上げて「何でもないよ」と微笑み返してきたが、顔が紅いし声がかすれているぞ。
「これくらいは大丈夫だから、君は気にせず勉強に打ち込んでくれ」とは言っているが、ちっとも大丈夫に見えない。
俺は前髪を手でたくし上げて額を佐々木のそれへと押し当てた。これ位しなければ意地になったアイツは動かないのは勉強済みだ。
 ・・・俺の額は冷たいだろ?逆にお前は熱燗みたいにアツアツだぜ。

 佐々木が言葉に窮している間に二人の勉強道具を手早く鞄に仕舞い込み、講師に佐々木の不調を伝え、手を引いて塾を後にした。
風が強くて寒い夜だった。俺は着ていたセーターとトレンチコートを無造作に佐々木に着せ、いつもの様に自転車の荷台に乗せた。
 昔の事を思い出す。今でも小さい妹がもっと小さかった頃の事だ。
今でこそミニ台風の様な奴だが小学校に上がる前後までは虚弱体質だった妹は、よく風邪になって医者のお世話になっていた。
その頃は恥ずかしい話だがウチの家計は苦しくて両親共に帰りが遅かったので、病気になった妹を負ぶったり担いだりして夜の病院へ
連れて行った事がある。その頃はアイツは「お兄ちゃん、ありがと」と言っていたな。
 俺は二人乗り以外の交通法規を遵守しつつ、当時の記憶にある休急診療をしている病院へと二本の足へ全力を強いて向かった。

 結局、俺の正月は佐々木の看病と自習勉強に明け暮れる事になり、例年以上の忙しさを味わう事になった。

 正月休みが明けてから学校で佐々木に話し掛けられた。
「休みの間は君には随分世話になった。僕なりにお礼がしたいんだけど何かリクエストはあるかい?」
 ・・・お前と一緒に寝て正月を過ごしたかった。それだけだ。

 おいそこ、何を笑ってやがる。
看病と勉強の二本立ては結構大変なんだぞ。

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最終更新:2007年12月31日 23:21
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