Q5.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その1)
A5.0400時、友永大尉より「第二次攻撃ノ要アリ」と要請があった。第一次攻撃隊長が「効果不十分」
と判断したのだから、再攻撃が必要なのは当然である。
(参考)「日本海軍には、第一線下級指揮官の判断を尊重する伝統があった」
(『太平洋戦争航空史話』秦郁彦/著)上巻p54
Q6.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その2)
A6.0405時から、南雲機動部隊はミッドウェー基地航空隊の攻撃を受けている。同島航空兵力は未だ
健在であり、速やかにこれを壊滅させなければならない。
(註)「この攻撃によって、ミッドウェーに対する第二次攻撃の必要性についてのすべての疑問が解消した。
いったいこれらの飛行機はどこから飛来したのか。南雲にとっては、もはや確認する必要はなかった。
ミッドウェーから来たことは明らかだった」 (『逆転』WalterLord/著・実松譲/訳)p112
Q7.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その3)
A7.味方攻略部隊は、すでに前日からミッドウェー島の敵哨戒圏(600浬)内を進撃中である。
輸送船団に損害が生じては作戦全体に大きな支障をきたす。敵基地制圧が急務である。
(註)「聨合艦隊命令は敵艦隊撃滅を第一順位としていたが、同命令はまた機動部隊によるミッドウェー空襲を
6月5日と特に指令していた。もし我が機動部隊が計画通りミッドウェーの航空兵力を無力化しなかった場合
には、空襲の二日後に予定されている上陸作戦は猛反撃を受け、全攻略作戦は重大な支障を受けるであろう」
(第一航空艦隊先任参謀・大石保中佐)
Q8.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その4)
A8.0130時から発進した索敵機(巡航速度120節・進出距離300浬)は、2時間半あれば索敵線先端に到達する。
(最も遅い利根四号機でも0430頃)
0415の時点で報告がないということは、南雲機動部隊の半径300浬内に敵艦隊は存在しない可能性が高い。
よって、ミッドウェー島再空襲を優先すべきである。
(参考1)昭和19年6月19日マリアナ沖海戦1日目について。
「0730第一段索敵機、概ネ端末ニ達シタル時機、攻撃距離内ニ他ノ母艦群ヲ 認メザリシヲ以テ、
一航戦第一次攻撃隊ヲ発進セリ」 (『戦史叢書(12)マリアナ沖海戦』)
小沢長官もまた、索敵機が索敵線先端に到達した時点をもって、「他に敵空母群は居ない」と判断している。
南雲長官の兵装転換下令は、決して「航空戦の素人」だからではない。
(参考2)昭和17年5月8日珊瑚海海戦2日目について。
索敵機が米機動部隊発見を報告したのは、側程に入ってから約20分経過した時点に相当。
よって、南雲長官の決断は「時期尚早」という評価も成立する。