即時発進3

司令部の危機感について

1.0530頃、第一航空艦隊の置かれた状況

「敵空母は搭載機の攻撃可能の距離にある。一刻も早く攻撃隊を出さなければならない。
しかし敵機の来襲はなお続いており、防空戦闘のため、艦上には攻撃隊につけてやる艦戦は
一機の残っていない。

また兵装復旧作業も二航戦の艦爆(大部を陸用爆弾から通常爆弾に)のほか終わっていない。
さらにミッドウェー攻撃隊(友永隊)は空母の上空に帰っている。燃料や被弾を考えると急いで
これを収容してやる必要がある。

南雲長官にとっては苦しい情勢となったのである。
時あたかも敵機の来襲は近く終わろうとしていた。

一刻を争う戦況と判断した山口二航戦司令官は、すぐに発進準備のできる二航戦の 艦爆隊を
発進させるよう、南雲長官に意見具申した。

しかし同長官は、まずミッドウェー攻撃隊などを収容して、十分な護衛戦闘機を付けた 強力な
攻撃隊を準備し、一挙に敵空母部隊を撃破する方針を採り、その準備ができる 間、部隊を北上
させることとした。

同長官が北上して敵空母までの間合いを詰めようとしたのは、攻撃準備がすぐ完成し、攻撃隊を
発進させることができると判断したためである」
                                (『戦史叢書(43)ミッドウェー海戦』)p289
 

 

2.草鹿龍之介少将(参謀長)

「艦爆隊だけならすぐに発進させることができた。しかし、いままでの来襲状況をみると、
敵は戦闘機を伴っていなかったので面白いように撃墜され、全く攻撃効果をあげていない。
これを目前に見ていたので、どうしても裸で(艦戦隊を付けないで)艦爆隊を出す決心が
つかなかった。

当時各空母に残っていた艦戦は、防空戦闘のため全部発艦していたので、攻撃隊に
つけてやる艦戦の手持ちはなかった」                    (公刊戦史p290)
 

「しかしこの際、山口少将が意見具申してきたとおり、あらゆることを放棄して、即ち護衛
戦闘機もつけられるだけ、爆弾も陸用爆弾で、かつ一切の人情を放棄して直ちに第二次
攻撃隊を発進させることを決断しなければならないところであった。

ところが戦闘機の護衛のない爆撃隊が、つぎつぎ食われていく状態を今目前に見たばかり                            である。 それから陸用爆弾では心もとないという観念と、今までの状況から米軍の腕前も                        大したことはないという考えも手伝って、至急また艦船攻撃に変更し、帰ったばかりの戦闘機                                      をつけてゆくことに決心して命令した」              (『聨合艦隊』草鹿龍之介/著)
 

(註1)草鹿参謀長はのちに「珊瑚海海戦の例もあるので」と述べている。                                     テンプレ「即時発進1」Q10の(参考1)を参照のこと。

(註2)米航空隊(ミッドウェー基地)の伎倆は、拙劣とみなされていた。 
「雷撃隊も急降下爆撃隊も、奇怪に思えるほど技術が下手糞であった。 SBDはむしろ
”低空下爆撃隊”とでも呼ぶ方が適切なのではるまいか、と錯覚されるほどであった。
雷撃隊が魚雷を投下する距離は遠く、高度も高かったため、日本空母の回避運動は
実に容易に行われた。そして、彼らは上空で待ち構えていた零戦に、無残なくらい手軽に
端から 落されていった」                   (『ミッドウェー戦記』亀井宏/著)

「それにしても、このあたりの零戦の性能と乗員のはたらきぶりは、ただ見事というしか
なかった。 藤田怡与蔵氏の証言によれば、『撃墜した米機は20機くらいまでは数えて
いたが、あとは面倒くさくなってやめた』」                         (同)

「海上を高速で疾駆しながら逃げ回る空母の甲板にいる日本将兵たちは、先ほどからの                          味方戦闘機のはたらきぶりに見惚れていた。 ”たぶんこのままゆけば、予想していた通り                         勝てるに違いない” 誰彼の胸に、そのような安堵感がしのび寄ったのはこの頃のことで
あったろう」                                            (同)http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/army/1218288706/169-171

「淵田中佐は、どうして米国の飛行機がこんな方法で攻撃したのか理解できなかった。
飛行機の急降下に移る高度は低すぎ、魚雷発射の高度は高すぎた。長い時間をかけた                             緩徐な降下は、零戦の好餌となった」                         (『逆転』)
 

「また救助された搭乗員の士気は低下よりも、むしろ向上の傾向がみられた。 それは
来襲した米航空部隊の低劣な伎倆を目の当たりに見ていたので、今回の損害は全くの                               不運であったと判断し、また飛龍の少数機の攻撃が戦果を挙げたので、この次には                             我々が仇を討つのだと意気込んだためである」                                  (公刊戦史p598)
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1253350314/220

 

3.源田実中佐(航空甲参謀)

「ミッドウェー攻撃隊(友永隊)の収容をあきらめて、これを海上に不時着させ、艦上にある                             攻撃隊の準備を急いで、これを発進させるのが良いか、全機を収容して陣容を整えた有力な                                  攻撃隊を編成し、一挙に敵を撃滅するのが有利か、その判断に苦しんだ。

検討の結果、敵機の来襲までにはまだ時間的余裕があると判断して、後者を採ったのである。                              敵から一時離脱して攻撃準備を完成させようとは全く考えなかった」   (公刊戦史p290)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1304943480/333

 

「当時入手していた敵空母の位置は、味方からまだ約210浬離れている。従って敵の艦爆や                        艦攻は味方まで届くだろうが、艦戦は航続力不足で付いて来られないであろう。敵が艦戦を                         伴わないで来襲すれば、我が上空警戒機で十分に防禦できる。

敵空母の攻撃隊が戦闘機を付けて来るとすれば、もっと距離を詰める必要があろう。その場合は                        敵機の来襲は遅れることとなる。すなわち敵空母機の来襲までには、まだ時間的余裕がある

一方ミッドウェーの航空兵力は、今までの来襲機数からみて、所在の全攻撃兵力が 攻撃してきた
と判断される。従って再度の来襲までには相当の時間がかかるはずで ある。
(なお再度来襲機数は激減するものと判断)

これから見ても、利根四号機が大きく敵空母の位置を誤り、また一航艦・八戦隊の司令部や利根が、                    これに気付かなかったことは、南雲長官の戦闘指導に重大な影響を与えたいえる」   (同)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1304943480/334
 

(註3)米空母機の航続距離
F4F(艦戦)  175浬
SBD(艦爆)  250浬
TBD(艦攻)  150浬             (『日本海軍空母VS米海軍空母』マーク・スティル/著)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1304943480/335

 

4.吉岡忠一少佐(航空乙参謀)

「今までの防空戦闘の成果からみて、敵機の来襲は艦戦で防禦できると漠然と判断していた。
また敵空母までの距離はまだ遠いので、次の来襲はミッドウェーの航空兵力であろうが、それには                       まだ相当の時間的余裕があると判断した。

さらに攻撃は大兵力を集中して行う方が、戦果も大きく損害も少ないので、若干攻撃隊の発進を                       遅らせても、大兵力が整うのを待つ方が有利であると考えた。
この決定は司令部内では、問題もなく簡単に決まったと記憶している」      (公刊戦史p291)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/army/1218288706/194

 

「草鹿龍之介氏はすでに亡くなられ、当時赤城の艦橋にいた人で近畿に住んでおられる方と
いえば、吉岡忠一氏くらいしか心当たりがない。

”敵らしきもの、とはなんだ”と各人が口ばしり、狼狽その極みに達していた、とする方が
なんとなく劇的であるし、書きやすい。が、その劇画風の筆者の期待は、あっけなく打ち砕かれ
ねばならなかった。

”・・・いや、そんなに狼狽もしていなかったですよ”
”そりゃまた、どういう・・・”
浅薄な期待を裏切られて、思わず筆者は間の抜けた声を出していた。

”どうって、ワイワイ騒ぐぐらいならまだいいんですよ。相手をなめ切っとりましたからな”
”長官の南雲さんや草鹿さんの態度、顔色はいかがだったんですか”
どうも物書きというのは性が卑しくできていて、そんな方にばかり好奇心が向いてゆく。

”べつだん顔色も変わっとりませんでしたよ”
期待に反することおびただしいではないか。

吉岡氏は、ただ平静であったと繰り返し言われるのみであった。
考えてみると、機動部隊の司令部がことに当たって逆上しないのは、なんの話題性も持たないほどの
当たり前のことなのかも知れない。

敵空母発見という索敵機の報告が入ったとき、多くの戦記に書かれているほどは動揺していなかった、
と同氏は断言された。
吉岡氏の真意はこういうことであろう。もろもろの戦記や映画に書かれている当時の赤城艦橋の極度の
狼狽ぶりは、この海戦が惨敗に終わってから逆算して描き出されたものであると」
                                           (『ミッドウェー戦記』亀井宏/著)

 

5.考察

それを児島襄氏は、『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』のあとがきの中で、                                     「勝者は眠り、敗者は目覚める」と端的に示しています。

「日本軍の誰もが、この時となってもまさか負けるとは予想すらしていなかったのである。                               事実、敗れるその寸前まで、南雲部隊は”勝ち”つづけていたし、その負けはほとんど偶然                                 という方がふさわしい程の、ほんのわずかの間隙を衝かれた結果であったのである」                                   (『ミッドウェー戦記』)

吉岡氏が「この決定は司令部内では、問題もなく簡単に決まった」と回想している通り、                                   赤城の艦橋を支配していたこの「漠然とした空気」を変えるには、指揮官の不動の意志と、                             強固な実行力が不可欠です。

仮にあの時、別の提督が指揮していたとして、この「空気」を変えることは出来たのでしょうか。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/army/1218288706/196

 

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最終更新:2011年10月25日 21:41
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