真実
御門龍水の
異能である『
先見、未来視』の本質。
彼女の
「幸福でありたい」「思う通りになればいい」という
渇望を具現化した異能及び
太極。発現は
求道型。
発現した能力は
「願った未来を手繰り寄せる」こと。
端的に言えば「祈れば叶う異能」で、因果を補正し、運命や不幸すら幸福な姿に捻じ曲げる。「渇望」というものの根源にして最も純粋な姿であり、発現した異能も「願いを叶える」という太極の性質をそのまま形にしたような能力である。
それ故にか非常に万能性が高く、一つの渇望から多彩な枝が生まれている。
この渇望・異能は元来
覇道型の典型であるが、龍水は全世界をどうこうするのではなく、あくまで個人的な幸せのためにこの異能を行使しているため求道になっている。
彼女はこの力を当初から使用していたが、自身の力を理解しておらず、無意識的に行使している。
最初の内は自分に関わる事象の最適化をすることで、
夜行がそうであったように、自分の周りに好ましい要素を配置するという力であり、
周囲の人物さえこの異能によって引き寄せていた。さらには
自己の理想像の存在そのものを形成するに至る。
作中ではこの力で死んだ
御門龍明の魂を2回ほど自分の元に呼び戻している。
一度目の無間蝦夷では龍明が死んだことを受け入れられず、御門龍明を創り出そうと強く念じたが、当の龍明本人に止められた。龍明曰く「ある意味咲耶以上の爆弾」。
二度目は東征後、龍明と会うことを願った龍水が呼び、龍明は龍水に特異点や自滅因子など重要な言葉と秘密伝えた。
東征以前までの彼女は一度も嫌な目というのに合っていなかったという。自分が好ましいと思う人生を幸運にも歩んできた。また精神潜航で偶然
波旬と高次元で接触した際も、幸運にも彼と我を曖昧にした状態であったため認識されずに済んでいる。
御門龍水にとって己を取り巻く世界とは己の描いた物語に他ならず、身近な人々は己の描いた物語の登場人物のようなものである。
一見利他的・他者愛的に見える彼女の言動も、「自分の描いた登場人物は素晴らしい」と自画自賛しているに過ぎず、
天狗道の住民らしい歪んだ自己愛に他ならない。
竜胆の
御前試合での行動や
不和之関での夜行の敗北など、彼女の常識を揺るがす出来事は幾度かあったものの、その自己愛を崩すことはなかったほど強固。
彼女からすれば世界とは己が願う未来を訪れさせるもの。自らが幸福であることに一切の疑問を抱かず、自分の未来は明るいと根拠もなく盲信し続ける。都合のいい未来しか考えず、幸福に好かれすぎており、しかし自分の思い通りにいかない事態にはひどく脆い。
この自己愛を真の愛に昇華し、己の愛した人々は都合の良い虚像ではないと証明するためには、愛した人々にふさわしい人間であろうとする努力が肝要となる。
大事なのは、他人を玩具──自己の装飾品にしないこと。都合のいい妄想に逃げないこと。頑張るという意思が重要。元々そうした根性があったからこそ、初期から夜行も驚く自己潜航が出来ていた。
東征を経ていく中で、彼女は多くの不自由と理不尽に遭い続けたことで「このままではいけないのでは」と疑問を感じ始める。
終盤の彼女の精神的成長に伴い
「愛した人々に相応しい自分であれるよう、自分を高める」という方向にシフトしていった。そのため発現は変わらず
求道型となっている。
作中では波旬に敗れた夜行が死んでいく姿を見て、忘我の極致の中、私が追いかけたいと思ったからこそ夜行が死ぬことなど有り得ないと神の域で願い、「己が足を止めれば隣で歩く人を陥れることになる、そんなことは嫌だ」「大切だからこそ立ち止まりたくない」「他者の付属物になるのではなく他者に恥じない自分になりたい」という渇望で太極に到達し、夜行を蘇生させた。
備考
元ネタは思金神。神道における知恵の神。
14歳神曰く「その思想は万象を兼ねる」とのこと。