最終更新日:2014年05月11日 (日) 09時52分41秒

目次


2014年

八千代工業にS660生産委託 /三重

本田技研工業鈴鹿製作所(鈴鹿市平田町)の中谷昌功所長(53)は15日、記者会見し、来年発売予定の軽スポーツタイプの新型車「S660」の生産を、関連会社の八千代工業四日市製作所(四日市市)に委託すると発表した。
ホンダの軽スポーツタイプの新型車は、1991年から96年にかけて、同じ八千代工業四日市製作所で約3万4000台が生産された「ビート」以来。販売時期や台数は未定という。中谷所長は「(八千代工業の)従業員のモチベーションが上がることを期待している」と話した。
また「Nシリーズ」について、年内に新型車を発売することも明らかにした。【加藤新市】
〔毎日新聞三重版2014.04.16〕


2013年

殺人未遂:「本田技研に恨み」 男性社員刺され重傷 鈴鹿

26日午後2時ごろ、三重県鈴鹿市大池3の歩道を歩いていた本田技研鈴鹿製作所の男性社員(59)が、後ろから来た男に刃物で背中や右腕を刺された。男性は同社警備員に助けを求め、病院に搬送された。重傷という。駆けつけた県警鈴鹿署員が、同県松阪市本町のパート店員、植村光裕容疑者(40)を殺人未遂の疑いで緊急逮捕した。
同署によると、植村容疑者のそばに刃渡り12センチのナイフが落ちていた。「本田技研に恨みがあった。会社の人間なら誰でもよかった」と供述しているという
男性は同社の作業服姿だった。襲われて製作所正門横の守衛室に駆け込んだ。植村容疑者は後を追って守衛室に入り、警察官が来るまで警備員3人の前に立っていたという。【加藤新市】
(中日新聞2013.8.26)

ホンダが期間工募集!残業0週休2月給28万急げ

●2013年3月26日(火)、28日(木) 鈴鹿開催
時間 10:00~ / 14:00~
会場 本田技研工業(株)鈴鹿製作所外 クラブハウス

開催日 ●2013年4月2日(火)、4日(木) 鈴鹿開催
時間 10:00~ / 14:00~
会場 本田技研工業(株)鈴鹿製作所外 クラブハウス
※入社日は2013年5月初旬以降の弊社指定日となります


2012年

ひき逃げ、飲酒容疑 逮捕

四日市南署は12日、鈴鹿市平野町、会社員森本和也容疑者(28)を自動車運転過失傷害と道交法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)の疑いで逮捕した。発表によると、森本容疑者は8日午前5時40分頃、四日市市滝川町の国道1号交差点で酒を飲んで乗用車を運転し、同市内の新聞配達員男性(44)が乗った原付きバイクと衝突、そのまま逃走した疑い。男性は頭を打つなどの軽傷。
(読売新聞2012.07.13)(ホンダ鈴鹿製作所社員)

工場火災で操業停止 ホンダ鈴鹿製作所

三重県鈴鹿市平田町のホンダ鈴鹿製作所(山根庸史(ようし)所長)で24日夜起きた工場火災で、同県警鈴鹿署は25日、実況見分を行い、車のバンパーを合成樹脂で塗装する「Cライン」の約150平方メートルが焼け、塗装装置やロボット8台などの機械類を焼失したと発表した。
同製作所などによると、遅番勤務者が食事休憩後、ラインを始動させた直後に出火した。同製作所は復旧作業のため25日の操業を停止した。週明けの28日にも再開する。
(読売新聞2012.05.26)

鈴鹿では工場火災 けが人なし 中部朝刊

24日午後7時50分頃、三重県鈴鹿市平田町のホンダ鈴鹿製作所(山根庸史(ようし)所長)にある工場から出火し、一時、内部が煙で充満した。スプリンクラーが作動し、同10時10分頃に消し止められた。けが人はなかった。
県警鈴鹿署の発表によると、出火したのは「合成樹脂モジュール 合成樹脂塗装Cライン」と呼ばれる工場で、バンパーの塗装をしているという。
(読売新聞2012.05.25)


2011年

[新たな課題・大震災6か月](上)トヨタ大増産 活況戻る(連載)

◆設備投資は回復鈍く
東日本大震災が起きた3月11日から間もなく半年。回復途上にある東海経済だが、超円高で製造業は空洞化懸念が強まり、東海地震への備えも見直しを迫られている。震災後の半年で浮き彫りになってきた新たな課題を探る。
(中略)
先行き不透明感は期間従業員の採用にも影を落としている。鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)を持つホンダは全国で約3000人を採用する計画だが「自前では集めきれない」(広報)ことから、初めて人材派遣会社に募集の代行を依頼した。
7月中旬から最大4000人の募集を全国で開始したトヨタは「採用は順調」(広報担当者)だが、1か月勤務すれば10万円の特別手当を支給することで人数を確保している。トヨタ車体も5万円の特別手当を用意した。
愛知労働局は「リーマン・ショック後、労働者は雇用が不安定な期間従業員を敬遠する傾向が強まった」と指摘する。トヨタの期間従業員の雇用期間は初回契約で3か月。2年半の勤務歴がある男性(49)は「6か月以上務めれば雇用保険を受給できるが、この円高の中、いつ契約更新してもらえなくなるか分からない」と考え、今回は応募を見送ったという。
増産の活況が本物となるには、自動車産業が「円高でも戦える体制」(トヨタの新美篤志副社長)を早期に確立することが不可欠だ。

土日操業「節電のためなら」 「家族との時間減るが」 ホンダ鈴鹿

「土日操業」の初日を迎えた三重県鈴鹿市のホンダ鈴鹿製作所では2日、従業員が朝から自家用車で次々と出勤し、生産ラインの業務などに従事した。〈本文記事1面〉
勤務を終えた男性従業員(45)は、「取引先のほとんどが休みなので、いつもより電話が少なかった。木金が休みなので、月曜から水曜に仕事が集中し、忙しくなりそうだ」と事務所の様子を語った。
50歳代の男性従業員は「小さい子どもがいる社員は、触れ合う時間が少なくなるのでかわいそう」と話した。一方、別の50歳代の男性従業員は「電力不足に陥らないよう協力したいので文句は言えない。代わりに平日割引でゴルフができるのはうれしいが、ゴルフ仲間との休みが合わないのが残念」と複雑な表情。
約80人の園児を預かる鈴鹿市加佐登の私立白鳩保育園は、普段から土曜は開園しているため、この日は園児数は変わらなかったという。日曜は休園日だったが、自動車関連会社に勤める保護者からの要望で開園することにした。16人が日曜保育を申請、3日は保育士5人が出勤するという。
清水啓子園長(58)は「保育園に預けられないなら、仕事を辞めることも考えなければならないという保護者もいた。アレルギーがある子もおり、慣れた園で預かってあげたい」と話した。
(読売新聞2011.07.03)

鈴鹿の保育園が休日保育を拡充 自動車関連業日曜操業で

鈴鹿市は、日本自動車工業会が夏季の電力不足対策として土、日曜日操業を決めたことに伴い、市内の保育園10か所で新たに日曜日と祝日の休日保育を行うことを決めた。
実施するのは、公立1か所、私立9か所。期間は7月3日から9月25日までで土曜日は通常保育で対応する。同市内の休日保育はすでに実施している私立保育園2か所を加え、12か所になる。
市では、市内にホンダ鈴鹿製作所をはじめ自動車製造の関連企業が多数あり、休日保育の希望をアンケート調査した。この結果、50人を超す保護者が休日保育を希望した。
申し込みは、現在入所している保育園に提出し、休日保育を実施する保育園に振り分ける。問い合わせは、市子育て支援課(059・382・7606)。
(読売新聞2011.06.29)

ホンダ、週休4日見直し 7月4工場 休業は木・金だけに

ホンダは6日、東日本大震災の影響で減産中の鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)など国内4工場について、7月に予定していた木、金、土、日曜日を休業日とする「週休4日体制」を見直す方針を明らかにした。
対象となるのは、鈴鹿のほか、栃木(栃木県真岡市)、埼玉(埼玉県狭山市)両製作所と、浜松製作所(浜松市)の一部。
ホンダは、部品不足に陥っていることから、当初計画に対し、生産が5割程度に落ち込んでいた。このため、生産体制の軸足を部品調達が正常化する下期に移行し、7月は月?水曜日の週3日の稼働で、生産をまかなえると見込んでいた。
その後、「部品供給の状況が改善された」(広報部)ため、7?9月は、トヨタ自動車など同業他社と足並みをそろえ、木、金曜日だけを休業日とし、土、日曜日は稼働することになった。
(読売新聞2011.06.07)

ホンダ2工場11日生産再開 マツダは4日か

ホンダは31日、4月11日から埼玉製作所(埼玉県狭山市)と鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)の自動車組み立て工場で生産を再開すると発表した。
マツダも4日から広島県の自動車組み立て工場で生産を再開する。
東日本巨大地震の発生後、軒並み生産を停止していた自動車業界で生産再開の動きが本格化してきた。
ただ、部品の調達が不安定なため、ホンダは生産台数を通常の半分程度に抑え、マツダも生産台数を限定する。
(読売新聞2011.04.01)

東日本巨大地震 生産停止、品薄…東海の企業打撃 支援の輪も

東日本巨大地震の発生に伴い、東北や関東地方の生産・営業拠点が被災したことで、東海地方に本社を置く企業の活動にも影響が広がってきた。各企業は、被害状況や従業員の安否確認などを急ぐ一方で、応援要員の派遣や義援金の拠出などで、被災地を支援する動きも活発化してきた。
(中略)
ホンダの鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)、三菱自動車の名古屋製作所(愛知県岡崎市)とパジェロ製造(岐阜県坂祝町)の2工場も生産を停止した。トヨタは16日まで、ホンダは20日まで生産停止を延長することを決めた。三菱は、部品が確保できたため、16日は操業を再開し、17日以降は再度判断する。ただ、「地震被害の全体像はまだ把握できていない」(トヨタ幹部)ため、今後、生産停止期間が長期化する可能性もある。
(後略)
(読売新聞2011.03.15)


2009年

ホンダ2工場で休日出勤

ホンダは15日、鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)と埼玉製作所(埼玉県狭山市)の2工場で7月から休日出勤を再開したことを明らかにした。ホンダは昨年11月以降、大幅減産の影響で残業や休日出勤をやめていたが、ハイブリッド車(HV)「インサイト」など一部車種の販売が堅調で、再開を決めた。
(読売新聞2009.07.16)

鈴鹿で2輪男性死亡

13日午前1時40分頃、鈴鹿市野辺町の県道交差点で、近くのホンダ鈴鹿製作所社員坂元要さん(37)のオートバイと同市高岡台、とび職松田典之さん(22)の乗用車が衝突、坂元さんが頭などを強く打って死亡した。現場は田園地帯で、信号はないが、見通しのいい交差点。坂元さんが市道から県道を横切ろうとして衝突した。坂元さんは夜勤を終えて帰宅途中だった。(鈴鹿署発表)
(読売新聞2009.05.14)

労災事故未報告でホンダを書類送検

津労働基準監督署は10日、ホンダ(東京)と、同社鈴鹿製作所の元所長(56)、元マネジャー(49)を、労働安全衛生法違反の疑いで津地検に書類送検した。
発表によると、元マネジャーは、同製作所の自動車エンジン部品製造工場で昨年5月23日、男性社員(49)がフォークリフトと接触し、左足に重傷を負う労災事故があったにもかかわらず、8月まで同署長に報告をせず隠した疑い。元所長は、事故発生の危険性があったにもかかわらず、誘導者を配置するなど必要な安全対策を怠った疑い。7月に内部告発で発覚した。
この事故の半年前にも労災事故が起きており、元マネジャーは「現場の管理が強化されると思い、報告しなかった」と話しているという。
(読売新聞2009.04.11)

ホンダ期間工切りの非情(1) 2カ月刻み契約の果て

「まさかホンダが大量クビ切りをやるとは思わんかった」「みんなこれからどうするんやろか」

ホンダ鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)の寮内にある談話室。薄明かりのなか、三十代、四十代、五十代の期間工三人が語り合っていました。4月末までに自動車、バイクメーカー大手のホンダ(本社・東京都港区)は四千三百人の期間工を削減して四月末までにゼロにします(表)。鈴鹿製作所でも一月十六日、期間工全員にクビを通告しました。

「許したら、いつまでたっても使い捨ての労働はなくならんぞ」普段は物静かな四十代男性が声を荒らげました。この男性の契約期間はたった二カ月。契約更新を繰り返して約三年間働いてきました。「みんな正社員と同じ仕事を一生懸命やってきた。それを二カ月契約だからと使い捨てにしていいんか」と憤ります。

ホンダ本社によると期間工はすべて一―二カ月という短期契約です。増産で人員が必要なときは契約更新で何年間も働かせる一方、減産になればすぐに契約期間満了を理由にクビ切りできる体制です。ホンダのような短期契約の反復更新について、舛添要一厚生労働相は労働契約法一七条二項(別項)に照らして「基本的には必要以上に短い期間にならないように配慮をすべき」(一月二十一日、参院予算委員会)と国会で答弁しています。

「生活あるんや」鈴鹿の寮内談話室で、三十代男性は「二カ月契約といっても、みんなそれぞれ生活があるんや」と語ります。実家に住む母親への月六万円の仕送りができなくなります。「かあちゃんがショックを受けるから」と打ち明けることができず、悩んでいます。五十代男性は「ずっと働けると思ってきたが、わしら二カ月の命だったということや」とつぶやきました。男性の妻と三人の娘が京都府内の自宅で暮らしています。クビになれば、高校二年の長女には進学をあきらめてもらうしかありません。月十五万円の住宅ローン返済、生活費、教育費―、焦りはつのります。「最近、新聞配達のかけもちを始めてな…。睡眠時間は四時間や。体にこたえるでぇ。そこまでせな、生きていけんのや」

日本自動車工業会の会長企業であるホンダ。エコカー開発など地球環境を考えるクリーンイメージを宣伝する同社は、一方で違法な短期契約の反復更新を利用して「期間工切り」をすすめています。使い捨て雇用の実態を追いました。(本田祐典)(つづく)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-19/2009022501_19_0.html
ホンダ期間工切りの非情(2) 「空白期間」で判例逃れ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-20/2009022501_20_0.html
ホンダ期間工切りの非情(3) どこいった「人間尊重」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-21/2009022501_21_0.html
ホンダ期間工切りの非情(4) 正社員登用を期待させ…
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-23/2009022501_23_0.html

「こんなに早く切られるとは」「心配かけたくないので親に言っていない」 年の瀬もハローワークへ

年の瀬ぎりぎりまで続く職や住居探し。全国の主要な公共職業安定所(ハローワーク)は三十日まで相談窓口を開いた。「年末なんて言ってられない」「車で生活するしかない」。窮状を訴える職を失った非正規労働者ら。来年へささやかな希望を求め、次々に窓口を訪れた。

東京キャリアアップハローワーク(東京都新宿区)を訪れた北海道名寄市出身の元期間従業員の男性(23)は、二件の住宅を紹介され、少しほっとした表情を見せた。
ホンダのオートバイや自動車にあこがれ、昨年から三重県鈴鹿市などの同社工場で、自動車製造のラインに入ったが、二十一日に解雇された。「不安定な立場と覚悟していたが、こんなに早く切られるとは思わなかった」と振り返る。
「次の仕事より、まずは住まいをどうにかしないと」。来月中旬には寮から出なければならず、切羽詰まっていた。心配をかけたくないと、親にも失職を伝えていない。「正月はインターネットで職探し。高望みはしない。安定していればいい」とつぶやいた。
「派遣会社のアパートに住めるのは来月初めまで。その後は自分の軽乗用車で生活する」と言うのは、愛知県豊川市の男性(52)。同県豊橋市のハローワークで、国から住宅敷金などの融資を受ける制度の説明を受けたが、見通しは立っていない。
派遣会社の紹介で働いていた豊川市の鋳物工場は今月いっぱいで解雇を告げられた。既に名古屋市でホームレス生活を始めた元同僚もいるという。
残業が少なくなり、十一月の給与は前月から約十二万円も減って二万四千円。九月まで二人の娘に仕送りしてきたため貯金もほとんどない。「心配した次女が電話してきたが、何とか頑張るとうそをついた」とうつろな表情で話した。

契約解除の撤回をホンダに申し入れ 三重一般労組

ホンダが4月末までに満了となる期間従業員の契約を更新しない方針を決めたことに対し、三重一般労働組合(津市)は10日、鈴鹿製作所の期間従業員約1760人の人員整理を白紙撤回することなどを求める文書を同製作所に提出した。
県庁で記者会見した同労組と期間従業員の男性(40)は、「鈴鹿製作所は期間従業員と2か月間の契約を結んで更新を繰り返しており、反復更新をしないよう定めた労働契約法に違反する」とし、契約更新を前提にしている限り、期間満了ではなく整理解雇にあたるなどと主張した。
同製作所は「市場の需要に伴い、生産量は1か月ごとに決まる。それに応じて期間従業員を雇用しており、契約更新が前提ではない」としている。
(読売新聞2009.02.11)

ホンダ鈴鹿、期間従業員雇い止め 「早急に対応検討したい」

◆自治体、地元経済界に衝撃
鈴鹿市の中心的企業であるホンダ鈴鹿製作所で働く期間従業員の全員が、4月末まで順次、契約期間満了とともに雇い止めになることが16日、製作所から発表され、経済対策を進める自治体や地元経済界に大きな衝撃を与えた。
製作所の岩田秀信所長は、記者会見に先立ち、鈴鹿市役所に川岸光男市長を訪ねて生産・要員対応についての概要を報告し、雇用対策の協力を要請した。発表では、雇い止めの期間従業員約1760人には、在籍期間に応じて5万円から160万円(平均1年間で60万円)の慰労金が支払われ、退職後1か月間、寮費(食費・光熱費を含む)無料で残ることができるという。
同社が雇用の仲介をすることはなく、各自で就職活動をすることになる。1760人のうち580人が市内や周辺部の自宅から通勤、それ以外の1180人は、社員寮にいて新しい雇用先を探すことが出来るという。
今回の発表を地元では予想外の出来事と受け止めている。川岸市長は「鈴鹿での生産車の販売は比較的良く、他所に比べ元気があるものと頼もしく感じていただけに非常に残念」と、ショックを隠しきれない様子。鈴鹿商工会議所の大泉源之会頭は「大変厳しい現実はあるが、技術力と独創性で大きな波を乗り越えてほしい」とコメントした。
同市産業振興部の今井正昭部長は「小型車フィットの売れ行きが好調だと聞いていただけに、こんなに早く生産調整がされるとは予想もしていなかった。早速、緊急経済対策会議を開き、行政として、どのように対応すべきか検討したい」と困惑した表情で話していた。
(読売新聞2009.01.17)

ホンダ、期間従業員の契約更新せず 鈴鹿では1760人

ホンダが2月から実施する追加減産に伴い、4月末までに契約満了を迎える期間従業員の契約を更新しないと発表したことで、鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)で契約を更新されない期間従業員は約1760人に達する見込みだ。〈本文記事2面〉
鈴鹿製作所の追加減産幅は約2万6000台だ。これに伴い、2月末で140人、3月末で820人、4月末で800人の契約を更新しない。代わりに、他の事業所で余剰となった正規社員のうち、埼玉製作所(埼玉県狭山市)から約140人、浜松製作所(静岡県浜松市)から約50人を3月から応援要員として受け入れる。
(読売新聞2009.01.17)


2008年

作業中、社員やけど ホンダと責任者2人を書類送検 津労基署

津労働基準監督署は24日、ホンダ(東京)と同社鈴鹿製作所(鈴鹿市)のアルミ鋳造のマネジャー男性(48)と、溶解ユニットリーダー男性(44)を労働安全衛生法違反の疑いで、津地検に書類送検した。
発表によると、2人は昨年11月9日、現場責任者を務めていた同製作所の自動車エンジン部品製造工場で、炉に入った溶けたアルミの酸化膜の除去作業をさせる際、転落防止などの危険防止措置を怠った疑い。作業をしていた男性社員(48)がバランスを崩して足から炉に転落し、両足に重いやけどを負った。
同社は事故後、柵を設置し、転落防止策を講じたとしている。
(読売新聞2008.06.25)

ホンダ鈴鹿、肥料生産中止 再利用汚泥「メラミン」効果認められず

鈴鹿市のホンダ鈴鹿製作所が、国の「エコタウン事業」の一環として、国と県、市から計約2700万円の補助金を受けて実施していた肥料生産事業を中止していたことがわかった。
事業は、産廃として処分していた自動車の塗装汚泥を再利用し、市内の小学校から出る残飯などを加えて堆肥(たいひ)化するもので、県と市が「鈴鹿エコタウンプラン」として2004年に経済産業、環境省に申請し、承認された。同製作所では、敷地内にプラントを設け、05年から計約240トンの肥料を生産していた。
しかし、塗装汚泥に含まれる化学物質「メラミン」について、農林水産省が昨年12月、北米でメラミンが検出されたペットフードを食べた犬や猫が急死した問題を受け、ペットの飼料は肥料に転用可能なことから、注意を促すため各都道府県に「肥料効果が認められない異物」と連絡。肥料取締法で、品質を低下させるような異物を混入してはならないと定められており、事業中止を決めた。
生産した肥料は、鈴鹿市が市内の農家に使用を打診したが、「塗装を使った肥料はイメージが悪い」との声があがり、流通はしなかったという。
経産省によると、エコタウン事業のうち自動車の塗装汚泥を使ったプランは全国でも鈴鹿市だけだった。肥料は製作所内で使用し、倉庫には24トンが保管されている。ホンダ広報部は「毒性はなく、土壌から撤去する予定はない。在庫の処分については、県や市と協議したい」と話し、補助金をどうするかも検討中という。同省では「せっかくのリサイクル事業なので続けてほしい」としている。
(読売新聞2008.04.08)


2007年

ホンダ、一部操業を休止 部品会社の地震被災で

ホンダは19日、新潟県中越沖地震の影響で、小型車「フィット」などを生産する鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)の20、21日の操業を休止すると発表した。新潟県柏崎市にある部品メーカー「リケン」(東京都千代田区)の工場が被災し、供給を受けられなくなったためだ。主要自動車メーカーでマツダを除く7社が生産停止を迫られた形となった。トラックメーカーでも、日野自動車が19、20日、三菱ふそうトラック・バスが20、21日、日産ディーゼル工業が21日に、生産の一部を休止する。
(読売新聞2007.07.19)

濁水で水道料金1トン分を減免 ホンダの漏水で鈴鹿市

鈴鹿市のホンダ鈴鹿製作所内で先月27日、給水管が作業中のパワーショベルで破損され、周辺地区の水道管に濁り水が流れた問題で、同市は13日、被害を受けた各世帯に対し、一律1トン分(約160円)の水道料金を減免すると発表した。
同市によると、事故の影響を受けたのは国府、庄野、牧田、飯野、井田川地区の約8800世帯(約2万人)で、水道管の鉄さびなどが流れ出た。
同市では該当世帯への減免分を含め、事故に伴い発生した損害はすべて同製作所に支払いを求める方針で、請求額は数百万円に上る見通しだ。一方、濁り水を使って汚れた洗濯物や浄水器、ボイラーなどの清掃費、製造業や営業などの補償については公平性が確保できないとして見送る。
(読売新聞2007.02.14)

9300世帯に濁り水 ホンダ鈴鹿で給水管破損

27日午前9時半ごろ、鈴鹿市平田町のホンダ鈴鹿製作所内で給水管が破損し、市内の国府、庄野、牧田、井田川地区に配水する国府配水池給水エリア(9千3百世帯、2万3千人)に、水道管の鉄さびなどの濁り水が流れ出た。
市水道局の調べによると、同製作所では熱処理工場の建設に伴い、古い建物を解体しており、地下に埋設された直径30センチの給水管をパワーショベルで破損させたらしく、約1000トンの水道水が流出した。
連絡を受けた同水道局ではすぐに破損部分の応急措置を行い、応急給水施設(平野送水場)を設置する一方、広報車2台が巡回して「飲まないよう」「洗濯に使わないよう」と市民に注意を促した。濁り水は、午後2時までに幹線の水道管が正常に戻り、支線の地区でも夜までに戻った。
(読売新聞2007.01.28)


2004年

ホンダ、自動車の一部生産休止 新潟地震で部品納入遅れ

ホンダは五日、新潟県中越地震で被災した自動車用計器大手の日本精機(新潟県長岡市)から、メーター類などの部品供給が滞っているため、八日、九日の二日間、自動車の生産を休止すると発表した。地震の影響で自動車の生産に支障が出たのはホンダが初めて。
休止するのは埼玉製作所(埼玉県狭山市)、鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)、軽自動車の生産を委託している八千代工業の四日市製作所(三重県四日市市)の三工場と、熊本製作所(熊本県大津町)の自動車エンジン生産部門だ。
今回の休止で一万二百台の生産に影響が出るが、十二月中に休日稼働してカバーするため、生産計画全体に影響はないとしている。
(読売新聞2004.11.06)


2003年

自動車生産、綱渡り 取引先で相次ぐトラブル 新日鉄爆発、ブリヂストン火災

◆トヨタ「週内残業休止」 「予断許さぬ状況」 ホンダ鈴鹿 三菱自岡崎
トヨタ自動車など自動車メーカー各社は、新日本製鉄名古屋製鉄所(愛知県東海市)の爆発事故、ブリヂストン栃木工場(栃木県黒磯市)の火災と、取引先の相次ぐトラブルに見舞われ、原材料の仕入れや生産に影響が広がらないか、確認や検討に追われている。国内経済をけん引している自動車業界で減産などの動きが拡大すれば、景気全体への悪影響も懸念される。〈関連記事1面〉

(中略)

ホンダ鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)でも、流通段階にある在庫などを精査した結果、「十二日までの生産は見通しがついた」としている。ただ、両社とも来週の操業については、「事態の推移を見守り決める」としており、依然として予断を許さない状況だ。 また、新日鉄名古屋製鉄所から燃料のコークス炉ガス(COG)の供給が止まったため、大半の製鋼、圧延設備が停止した愛知製鋼では、液化天然ガス(LNG)への切り替えを開始し、八日午後から休止していた設備を順次稼働させているという。

(後略)
(読売新聞2003.09.09)

ホンダ工場で火災 塗料調合室、ライン停止

三日午後八時三十五分ごろ、三重県鈴鹿市平田町の本田技研工業鈴鹿製作所内の塗料調合室(約三百五十平方メートル)から出火した。約十五分後に作業員が手動で消火用のハロンガスを注入し、室内にあったシンナーの入った缶などを焼いただけで、間もなく鎮火した。 県警鈴鹿署で、出火原因などを調べている。同製作所は二十四時間操業で、人気車種の「フィット」などに塗装を施している。この火事で隣接の生産二ラインを一時停止させており、約五百台の生産に遅れが出そうだという。
(読売新聞2003.03.04)


2002年

鈴鹿の工場敷地内で重体事故

10日午後2時50分ごろ、鈴鹿市平田町の本田技研工業鈴鹿製作所構内通路で、歩行者用のゼブラ地帯を歩いていた従業員の四日市市諏訪町、西郡勝さん(50)は、同従業員の鈴鹿市西条三丁目、馬場栄一さん(59)の乗用車にはねられ、病院に運ばれたが、頭を強く打ち意識不明の重体。
馬場さんが完成車を約100メートル離れた新車置き場に移動させる際、交代勤務に向かうため歩いていた西郡さんを誤ってはねたらしい。(鈴鹿署調べ)
(読売新聞2002.07.11)


2001年

ホンダ工場内で作業死亡事故 鈴鹿市

28日午前5時5分ごろ、鈴鹿市平田町、本田技研工業鈴鹿製作所で、岐阜県大垣市林町、会社員木村誉士彦さん(34)が大型トラックのエンジンをかけたところ、いきなり後方に動きだした。トラックのすぐ後ろにいた同僚の浅井義明さん(32)(鈴鹿市住吉)が壁とトラックの間にはさまれ、骨盤骨折などによる出血性ショックで死亡した。木村さんらは、自動車部品の積み降ろし作業中で、空になったトラックの入れ替え作業をしていた。木村さんがギアをニュートラルにしてエンジンをかけたため、緩い傾斜がある積み降ろし場で後退したらしい。(鈴鹿署調べ)
(読売新聞2001.04.29)


1999年

本田技研が北米に工場新設、100万台体制に 国内は1ライン閉鎖へ

本田技研工業は七日、北米第三工場の新設などを柱とする生産体制の再編成を発表した。販売の好調なアメリカでの生産を強化する一方、設備過剰が顕著となっている国内では鈴鹿製作所(三重県)の三つのラインのうちの一つを三年後をめどに閉鎖するなどして、生産の効率化を目指す。
アラバマ州に新設する乗用車生産工場は、二〇〇三年春から年産十二万台のフル稼働に移行する予定だ。これにより、本田は北米で年産百十三万台体制を確立する。セダンタイプの乗用車に比べて商品展開が遅れていたRV分野を強化することで、初めてアメリカで百万台を販売した九八年実績を安定して上回る体制を築くのが本田の目標だ。
一方、国内では年間百二十五万台の生産は維持するとしているが、現在、RV「ステップワゴン」などを作っている鈴鹿製作所の一ラインを、三年後をめどに閉鎖する。ライン閉鎖に伴う余剰人員は、鈴鹿製作所の他のラインに移すなどして約八千六百人の雇用は保つとしている。
本田はそれまでの三年間に約三百六十億円を投じて、鈴鹿製作所と狭山工場(埼玉県)の生産ラインに改良を加え、ラインでさまざまな車種をより柔軟に、しかも効率的に生産できるようにする。国内では需要の伸びが期待できず、輸出も先細り傾向にあるため、生産の効率化を図る。
(読売新聞1999.05.08)


1996年

ホンダ、鈴鹿で期間工採用

本田技研工業は23日、新型RV(レジャー用多目的車)などを生産している鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)で、4月から3か月間、期間工約200人を採用することを明らかにした。鈴鹿製作所は、乗用車「シビック」の欧州向け輸出や、昨秋発売の新型RV「CR―V」の受注が好調なうえ、3月1日から発売する新型ステーションワゴン「オルティア」も生産している。2月と3月は、3つの生産ラインで、2日から3日の休日操業で増産しており、1日当たりの生産台数が、昨年8月の1850台から、現在は2100台に回復している。本田の期間工採用は、93年5月以来。
(読売新聞1996.02.24)


1995年

歳末白魔、東海“足かせ" 身縮む、四日市積雪53センチ 台所に影響

今冬一番の寒気にすっぽりと覆われた東海地方は、二十六日朝になっても、雪の影響で名神高速、東名阪自動車道の通行止めが続き、交通の大動脈は終日マヒ状態となった。四日市では、一九六六年の測候所開設以来最高の積雪五十三センチ(午後三時現在)を記録、生鮮食品の入荷が一部ストップするなど、市民生活にも影響が出た。この寒波も、きょう二十七日には緩み始めるという。日本気象協会東海本部によると、上空に一級の寒気が居座ったことが、大雪の原因。さらに雪雲が、びわ湖上空から南東方向に風に乗って流れたため、四日市や伊良湖などいつもは雪には縁遠い地域でも、積雪を記録することになった。
(中略)
三重県鈴鹿市の本田技研鈴鹿製作所(笠井要所長)では、道路渋滞で関連会社約三百社からの部品供給が出来ず、一部生産停止に追い込まれた。同製作所によると、部品運搬のトラックが軒並み遅れ、さらに従業員の出勤時間も乱れて生産ラインは混乱した。この影響で、日産千九百五十台の生産台数は半数以下に落ち込んだ。きょう二十七日も雪の影響が続くと見て、稼働ラインは一部だけと決めた。
(後略)
(読売新聞1995.12.27)

兵庫県南部地震 車、軒並み減産 トヨタ2万台、本田7000台

兵庫県南部地震による自動車メーカー各社の減産規模と今後の操業計画が十八日、まとまった。
(中略)
また、本田技研工業は熊本製作所(熊本県大津町)での二輪車の生産を、十九日から二日間休止する。関西地方からの部品調達が難しくなったためで、減産規模は約七千台になる。操業再開は二十三日からになる見込みだ。
一方、十八日までの減産規模は、池田工場(大阪府池田市)、京都工場(京都府大山崎町)の操業を全面的に中止したダイハツ工業が一千六百台程度に上ったほか、操業時間を繰り下げた本田の鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)が四百三十六台、日産自動車の関連会社である日産車体の京都工場(京都府宇治市)が百三十台の減産となった。
(読売新聞1995.01.19)


1994年

本田の鈴鹿工場、減産を強化へ 一部を昼夜交代から昼のみ勤務体制に

本田技研工業は三日、主力工場である鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)の三本ある生産ラインのうち一本を、四月から昼夜交代(二直)勤務から昼勤務だけの一直体制にすることを正式に決めた。九四年度の国内生産計画台数を、九四年の百七万台(前年実績比七・〇%減)からさらに百五万台程度にまで絞り込むことに対応した措置で、減産を強化するため、同製作所の九四年度上期(四―九月)の稼働日を、四日程度下期に振り替えることも決めた。
(読売新聞1994.03.04)


1993年

本田・鈴鹿工場4日間休止 有給休暇を一斉取得

本田技研工業は六日、十二月から三月に計四日間、主力工場の一つである鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)の生産を休止することを明らかにした。国内販売の低迷と輸出の不振から減産を強化するためで、一時帰休ではなく、有給休暇の一斉取得という形で対応する。
休止の対象となるのは、三本ある生産ラインすべてで、販売が伸び悩んでいる「シビック」「インテグラ」など、約一万台を減産する。本田は「有給休暇の一斉取得は強制しない」としているが、生産部門の従業員約四千人が、一斉に有給休暇を消化するのは確実だ。
賃金カットを伴う一時帰休ではなく、有給休暇とすることで、従業員側には、休暇を消化しなければならない代わりに賃金が目減りしないメリットがある。
(読売新聞1993.11.07)

500人を鈴鹿工場から販売部門へ 本田技研が配転計画

本田技研工業は三十日、主力工場の一つである鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)の従業員五百人を、系列の自動車ディーラーなどの販売部門に出向させる方向で検討を始めたことを明らかにした。来月にも労働組合に提示する。
来年四月から、三本ある生産ラインのうちの第一ラインを昼夜勤務(二直)から昼勤務(一直)だけに切り替えることに伴う措置。販売台数の減少に悩む自動車メーカー各社は、間接部門から販売部門への出向を行っているが、生産部門の余剰人員対策として販売部門へ出向させるのはこれが初めて。これまで車を作っていた従業員が、作業服をスーツに着替え、営業の第一線で、車を販売することになる。
生産台数の減少で、生産現場での人員の余剰感が急速に高まっており、各社とも今後、再配置に苦慮しそうだ。

鈴鹿製作所の第一ラインは、約千五百人の生産要員が二直体制で、小型乗用車「シビック」「ドマーニ」などを月二万台規模で生産する能力がある。
一直体制にすると、月一万台減産できる。人員は、七百人程度が余ることになり、二百人程度は鈴鹿の部品部門などで吸収できるが、残る五百人は「一台でも、二台でも多く売ることが必要」(本田首脳)なことから、販売部門へ派遣される見込み。
今月から第二ラインを一直体制に切り替えた際には、他工場への出張や関連企業への出向で対応したが、国内需要の低迷が長期化し、“受け皿"側の能力が限界に達したことから、異例の販売部門への出向に踏み切る方針を固めた。
自動車メーカーでは、減産を強化するため、日産自動車とマツダが、十一月に二日間の一時帰休を実施するなど、生産体制を見直す動きが相次いでいる。
(読売新聞1993.10.31)


1991年

ホンダの鈴鹿進出 「渋茶一杯の接待」で即断 故本田宗一郎さんの足跡

自動車製造と自動車レースに情熱を傾けた本田宗一郎さんは、昭和三十五年四月に鈴鹿市に鈴鹿製作所を建設、三十七年に鈴鹿サーキットをオープンさせるなど、東海地方にも大きな足跡を残した。
同製作所は、現在、従業員一万一千人。鈴鹿市を県下の第二の都市に発展させる原動力となった。また、鈴鹿サーキットは、鈴鹿八時間耐久レースやF1グランプリなどが開催され、多くのファンを集め、「スズカ」の名を世界に広めた。

三重県では、昭和五十九年に本田さんの偉業をたたえ、県民功労者として表彰し、鈴鹿市でも市制施行四十五周年の同六十二年十二月、特別功労者として表彰。昨年十二月に、名誉市民の称号を贈った。
ホンダの鈴鹿進出に際し、当時、各地の自治体が激しい誘致合戦を繰り広げた。各地が接待に躍起になっている中、当時の鈴鹿市長、杉本龍造さん(78)(鈴鹿市神戸)は渋茶一杯で熱心に説得を続けた。苦労人の本田さんはその誠意に打たれて、進出をその場で決断したという。
(読売新聞1991.08.06)


1988年

ニューヨークで遊覧ヘリ墜落 日本人1人死亡、1人けが

【ニューヨーク一日=中園特派員】一日朝(日本時間同日夜)、ニューヨーク・マンハッタン島の東側を流れるイースト川に、市内遊覧ヘリコプターが墜落、日本人乗客二人のうち一人が死亡、一人が負傷した。

同日午前十時二十五分(同午後十一時二十五分)ごろ、乗客四人とパイロット一人を乗せたアイランド・ヘリコプター社のベル206B型機が、マンハッタン島を一周して、マンハッタン東三十四丁目のイースト川に面したヘリポートに戻る途中、操縦不能に陥り、同川に墜落、機体は水没した。

ニューヨーク港湾警察の救助隊が出動し、約十分後に日本人乗客の本田技研鈴鹿製作所第二工務課鈴木雄一郎さん(30)(鈴鹿市江島町二四八五)ら乗客三人とパイロットの計四人を救助した。しかし、もう一人の日本人乗客、本田技研狭山工場車体品質課、小山孝志さん(29)(東京都田無市芝久保町四の二六の一六)は、後部座席に座っていたため脱出できず、水深約十一メートルの水底に沈んだ機内に閉じ込められた。潜水チームが出動し、約一時間半後に仮死状態の小山さんを引き揚げ、人工呼吸をほどこした結果、小山さんはいったん奇跡的に息をふき返し、マンハッタンのベルビュー病院で集中治療を受けたが、同日午後九時五分、心肺機能停止のため死亡した。一方、鈴木さんは左手に軽いけがを負っただけで、他の乗客ら三人とともに軽傷だった。

墜落した地点は、ヘリポートまであと約千五百メートル上流のクイーンズ区寄りで、小山さんらはドイツとオーストラリア人の男性観光客とともに、高度約三百メートルの上空から十五―二十分かけてマンハッタン見物を楽しんだ後、ヘリポートに戻るところだった。

同ヘリコプター会社のジョージ・デンプスター会長によると、同機のパイロットは、着陸待ちをしているうち、操縦困難に陥ったため、緊急用のフロートを出して水面着陸を図ったが、フロートが機体からはずれ成功しなかったという。
救助隊によると、鈴木さんら四人は墜落直後に脱出し、フロート部分などにつかまっていたためでき死を免れたという。


本田技研によると、死亡した小山さんは独身で、埼玉製作所狭山工場車体品質課勤務の技術者。四月八日から七月二十九日までの予定で米国出張中で、目的はオハイオ州コロンバス市郊外の現地工場での部品購入に当たり、品質管理の技術指導をするためだった。また、鈴木さんも技術者で、二月十日から五月二十日までの予定で同じ目的のため米国に出張中。二人は週末を利用して観光のため、先月三十日からニューヨークに行っていたという。

川崎市にある鈴木さんの実家の母親、素乃子さん(58)によると、鈴木さんは二日朝、ニューヨークの日本総領事館から国際電話を直接かけてきたという。鈴木さんはこの時、「墜落と同時に安全ベルトがはずれて、自分は脱出できた。左手に軽い切り傷を負っただけで、ぼくは大丈夫。ただ、大事をとってこれから入院する」といっていたという。
(読売新聞1988.05.02)

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最終更新:2014年05月11日 09:52