人権侵害行為(DV・虐待・虐め・差別その他犯罪)、今いじめられている人へ、家庭内暴力への対処 

いじめに関するよくある勘違い・家庭内暴力/DVの対策

「原因」の定義が不明

「被害者側がいじめられるようなことをしたのも、いじめの原因」
「いじめの原因」と「いじめ以前に起きた別の事象の原因」とを混同している。AがBに対して悪口を言った事がBがAを虐める理由になったとしたら、悪口の原因は100%Aにあり、虐めの原因は100%Bにある。悪口は悪口。苛めは苛め。分けて考えないから原因が曖昧なまま話が進み、互いに責任の擦り付けに終始する

「原因」の定義が不明。「責任」との混同か?


無敵の論法

(前略)
悪口を言われたことが原因なら悪口を言われた全員がAを虐める筈だが、実際には虐める者ばかりではない。相手の言動を口実に己の言動を決定する側に、行為の原因がある

上記と同様「原因」の定義が不明。原因とは己の言動を決定する判断材料の事である筈だが?
実際には悪口の内容や双方の事情、周囲の状況など様々な原因が考えられるが、全ての責任は加害者にあるらしい。

「クラスの殆どから苛められるのは、苛められる側に原因がある証拠」
40人中40人が苛めていたとしたら、その40人一人一人に原因があるということである。40人が100人でも同じこと。物事の良し悪しは数の大小で決まらない

「100人中99人が同じ評価なら、尊重すべき」
10億人全員が同じ評価であっても、各人の主観であることに変わりはない


相手が苦痛を感じていないなら

「被害者が苦痛を感じていないなら、いじめではない」
された者が未知でも、それは「いじめ」である。例えば、机の上に花瓶を置いたり落書きしたり、揶揄した手紙を回し読みしたり、持ち物をゴミ箱に入れたり、靴の中に画鋲を入れたりした時点で、相手が知らなくてもこれらは「いじめ」である
既知であっても、被行為者が無頓着・鈍感・マイペース・能天気・悟りを開いている・超ポジティブ・強靭な精神力の持ち主である場合は、必ずしも苦痛を感じない。実態を見ずに定義を型通りに解釈して「いじめではない」とするのは、お役所的事勿れ主義でしかない

「動物園は動物虐待」
飼われている動物が苦痛を感じているならその通りだが、快適に暮らしているなら虐待とは言えない
(「哲学因果応報貧困人権物理学生物学、格言集」より)

被害者が快適に暮らしているなら苛めとは言えない。


感情自己責任論?

「苛められたくらいで自殺する方が悪い」
客観的には大した事ではなくても、自殺するということは少なくとも本人にとって余程の苦痛があったと見るべきで、他人が当事者の苦痛の度合いを分かるというのは思慮が足りない
この発言は「自殺したくなるほどの酷い虐めを受けた経験が無い者」や「出来事の背景にある諸事情や当事者の心境への想像力・思いやりが欠けた人生経験の浅い者」に多い

「机の上に花瓶を置くのはプレゼントかも知れない。葬式ごっこと断ずるのは尚早」
本当にプレゼントのつもりでも、置かれた側が嫌な気持ちになればそれはいじめ・嫌がらせである

「プレゼントなのに誤解するのが悪い。被害妄想」
誤解しているようなら相手の誤解を解けば良い。そもそも誤解されるようなやり方でプレゼントする方がKY

彼の持論である「感情自己責任論」はどうやら加害者にしか適用されないようだ。
「苛めが自殺するほど不快であると感じるのは被害者の主観にすぎない、被害者の責任である」とはなぜならないのか。

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最終更新:2011年07月04日 23:19
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