この日記を書き終わったとき、僕はもうこの世にいないだろう。
というのはですね。はい。まあそれはおいといて。
高校時代、専門用語の羅列で出来た本を読んで、こんな専門家にはなりたくないと強く反発した。
そんなの衒学だ。本当に頭がいい人は誰でもわかる安易な言葉で説明するのだと。
だが、今は専門用語は使われて然るべきものだと感じている。
というのも、少なくとも専門家内では言葉の定義に齟齬が生じないからだ。
これは大学で学んだことのひとつである。
医師が患者を他の医師に任せる際、勘違いや思い違いがあってはならない。
素早く端的に正確に情報をやり取りするために、専門用語は必要不可欠なのだ。
上の文章を難し目な言葉を使わずに書いてみよう。
高校ん時、わけわかんねー文字がヤバイ本読んで、こんな大人になりたくないとマジ反抗期。
んなのハッタリ。やべー頭いー人はやべーわかりやすく教えてくれるし。
けど今はそれもいーかなって思ってる。
つーのは、分かる人はわかるっしょ?
なんとなくニュアンスは伝わる気がするが、人によってヤバイの定義が違うからまじやばい。
さて、本論はこんなとこではなくて、人の考えってものはコロコロ変わるってこと。
そして問題なのは、前の考え方を忘れて、なかったものにしてしまいがちな点。
自転車に乗れなかった頃のように自転車を漕げるだろうか。多分、無理。
携帯をもたずに一ヶ月生活できるだろうか。絶対、無理。
同じように、中学生時代の価値観に戻れはしない。
あのときは若かった・・・とかいって無かったことにしようとしてしまう。
誰しも当時は本気で悩んだり怒ったりしていたはずだ。
それなのに、いつしかその頃を忘れて「わかってくれない大人」になってしまう。
もしくは「わかってあげてるつもりの大人」か。
そう考えると教師って酷な仕事かも。
過去の自分の気持ちを引っ張りだして向き合わないといけないから。
知らなかった頃には戻れない。
なにかを知る度、それを知らなかった自分は消える。
過去の自分を殺して、今の自分が生きている。
このテーマはたまに歌にされてますね。ボカロだけでもいくつか思いつく。
歌って人の心に響いてるようで実はなんにも響かないんだよなぁ・・・
世界に一つだけの花がミリオンになるナンバーワン主義な社会。
「この日記を書き終わったとき、僕はもうこの世にいないだろう。」
とのことですが、書き始めたときの僕と書き終わった時の僕は違うんだよねってことです。
なんでこんな文章書いたんだろ。
割ガチ深刻な悩み。
医学学んで常識が変化してるから一般の知識レベルを想像するのがムズい。
最終更新:2012年12月10日 17:03