kuac - 神奈川大学山岳部
八ヶ岳春山合宿宮守報告
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17日
アルバイトを終えて部室に集合、荷物を整えて富士見研修所に出発。夜遅くに到着して田中さんとも合流する。翌日からの合宿に備えて早々に眠る。
アルバイトを終えて部室に集合、荷物を整えて富士見研修所に出発。夜遅くに到着して田中さんとも合流する。翌日からの合宿に備えて早々に眠る。
18日
研修所で朝食を取り、斉藤さんとも合流して装備を整える。阿弥陀南稜登攀隊の登攀スピードを上げるため、テント等のいくつかの装備を省く。これでフォストビバークを行う場合、ツェルトでのビバークとなる。出来ればベースの行者小屋まで一気に行きたいものだと思う。装備を車に積み込み出発。立場川林道のゲートで降り、そこから出発。もう後戻りは難しい。当初予定していたよりだいぶ長いアプローチを行く事になる。うっすらと雪の残る林道を歩き、やがて川原沿いの山道へ。先行パーティーのトレースがある。そのトレースから先行パーティーの構成を予測する。いずれにしろ入山している人数は極めて少ないようだ。行動しているとけっこう暑い。旭小屋でウェアを調節し、その少し先で男女一人づつのパーティーを抜かす。トレースは狭くなったが、まだはっきりと残っている。無名峰まで到達、やはり男女一人づつのパーティーがここにテントを張っている。当初はこのあたりで野営の予定であったが、登攀ルートを突破するのに充分な時間はあると判断、続行する。この先にはもうトレースはない。交代でラッセルをしつつ進む。P1が望める稜線上でアイゼンを装着、ストックをピッケルに持ち替える。久しぶりの凍り付いた岩場の登攀に萎縮してしまい、遅々として進まない。特にP3のルンゼ登攀には時間がかかった。アイゼンの前爪を一発で蹴り込んでキメる事が出来ない。爪がしっかり利いてさえいれば滑ることは無いと理屈では分かっていても心が萎縮して体が言うことを聞いてくれない。何しろ一回足を踏み外せば奈落の底まで真っ逆さまなのだ。とはいえこれくらいのことは今まで何度もやってきたはずなのだが…その経験の蓄積が無ければ本当に危なかった。P4で初めてザイルを出して登る。出だしのトラバースが危なっかしい。ザイルがあるから安心感は格段にあるが、今度は天候と時間の心配をしなければならない。曽根さんのアイゼンにトラブルが発生。1ピッチを登り終えた後、最後の雪壁をノーザイルのトップで登る。岩場から雪渓に出る最初のポイントでほんの少し足を滑らせまたビビる。ほんの15mかそこらの雪壁が異常に長く感じる。何とか阿弥陀岳頂上に到達。日が暮れる前に降り口を捜し、日没に備えヘッドランプを装備して下る。相変わらず雪の斜面の下りは苦手だ。徐々に辺りが暗くなってくる。ヘッドランプの明かりを付ける。しかしLEDからミニチュア球に回路を切り替えた瞬間明かりが消え、戻らなくなってしまった。電池がかなり消耗していたらしい。何とか小屋まで頑張ろうとする他のメンバーについて行くため、とりあえずその場は放って置く事にする。辺りはもうすっかり暗い。ヘッドランプも付けずに行動するのはかなり不安だ。それでも何とか中岳を越え、稜線を下る。しかし何かがおかしい。何とかそこまでは辿り着きたいと思っていた文三郎道へのコルに辿り着けない。どうやらルートを見失い別な稜線へ入ってしまったようだ。中岳まで戻ろう、という事になったが自分はもう限界だった。これ以上不安を抱えて闇を手探りで進むのは御免だ。防水袋に入れておいたはずの電池だって見つからないし、疲れたし腹も減っている。ここはもうビバークにしましょうよと半分泣きながら懇願する。みっともないしカッコ悪いが自分はもうそうするしかなかった。懇願は受け入れられ、斜面に半雪洞を掘ってツェルトを張り、ビバーク体勢に入る。もう何もする気力もない。体を温めるためにスープを一杯入れる。本当は腹が減っているからもっとまともな食事をしたいのだが作る気力がない。ポケットの中も空、乱雑な雪洞の中でレーションを探す気にもならない。ツェルトの隙間から雪が吹き込むが塞ごうとしてもままならない。もういい、面倒臭い。ザックとマットの上でうずくまってシュラフカバーを被る。寒い。震えが止まらない。何でもいいから熱源が欲しい。でもロウソクはもうどこに行っちゃったのか分からない。ヤッケのポケットに前回の合宿で結局使わなかった使い捨てカイロでも入っていないかと探ってみたが空しかった。時々時間の報告がある。そのたびまだそんな時間なのかとうんざりする。ここから無事帰れるんなら、俺はもう煙草やめたっていい。そう思った。
研修所で朝食を取り、斉藤さんとも合流して装備を整える。阿弥陀南稜登攀隊の登攀スピードを上げるため、テント等のいくつかの装備を省く。これでフォストビバークを行う場合、ツェルトでのビバークとなる。出来ればベースの行者小屋まで一気に行きたいものだと思う。装備を車に積み込み出発。立場川林道のゲートで降り、そこから出発。もう後戻りは難しい。当初予定していたよりだいぶ長いアプローチを行く事になる。うっすらと雪の残る林道を歩き、やがて川原沿いの山道へ。先行パーティーのトレースがある。そのトレースから先行パーティーの構成を予測する。いずれにしろ入山している人数は極めて少ないようだ。行動しているとけっこう暑い。旭小屋でウェアを調節し、その少し先で男女一人づつのパーティーを抜かす。トレースは狭くなったが、まだはっきりと残っている。無名峰まで到達、やはり男女一人づつのパーティーがここにテントを張っている。当初はこのあたりで野営の予定であったが、登攀ルートを突破するのに充分な時間はあると判断、続行する。この先にはもうトレースはない。交代でラッセルをしつつ進む。P1が望める稜線上でアイゼンを装着、ストックをピッケルに持ち替える。久しぶりの凍り付いた岩場の登攀に萎縮してしまい、遅々として進まない。特にP3のルンゼ登攀には時間がかかった。アイゼンの前爪を一発で蹴り込んでキメる事が出来ない。爪がしっかり利いてさえいれば滑ることは無いと理屈では分かっていても心が萎縮して体が言うことを聞いてくれない。何しろ一回足を踏み外せば奈落の底まで真っ逆さまなのだ。とはいえこれくらいのことは今まで何度もやってきたはずなのだが…その経験の蓄積が無ければ本当に危なかった。P4で初めてザイルを出して登る。出だしのトラバースが危なっかしい。ザイルがあるから安心感は格段にあるが、今度は天候と時間の心配をしなければならない。曽根さんのアイゼンにトラブルが発生。1ピッチを登り終えた後、最後の雪壁をノーザイルのトップで登る。岩場から雪渓に出る最初のポイントでほんの少し足を滑らせまたビビる。ほんの15mかそこらの雪壁が異常に長く感じる。何とか阿弥陀岳頂上に到達。日が暮れる前に降り口を捜し、日没に備えヘッドランプを装備して下る。相変わらず雪の斜面の下りは苦手だ。徐々に辺りが暗くなってくる。ヘッドランプの明かりを付ける。しかしLEDからミニチュア球に回路を切り替えた瞬間明かりが消え、戻らなくなってしまった。電池がかなり消耗していたらしい。何とか小屋まで頑張ろうとする他のメンバーについて行くため、とりあえずその場は放って置く事にする。辺りはもうすっかり暗い。ヘッドランプも付けずに行動するのはかなり不安だ。それでも何とか中岳を越え、稜線を下る。しかし何かがおかしい。何とかそこまでは辿り着きたいと思っていた文三郎道へのコルに辿り着けない。どうやらルートを見失い別な稜線へ入ってしまったようだ。中岳まで戻ろう、という事になったが自分はもう限界だった。これ以上不安を抱えて闇を手探りで進むのは御免だ。防水袋に入れておいたはずの電池だって見つからないし、疲れたし腹も減っている。ここはもうビバークにしましょうよと半分泣きながら懇願する。みっともないしカッコ悪いが自分はもうそうするしかなかった。懇願は受け入れられ、斜面に半雪洞を掘ってツェルトを張り、ビバーク体勢に入る。もう何もする気力もない。体を温めるためにスープを一杯入れる。本当は腹が減っているからもっとまともな食事をしたいのだが作る気力がない。ポケットの中も空、乱雑な雪洞の中でレーションを探す気にもならない。ツェルトの隙間から雪が吹き込むが塞ごうとしてもままならない。もういい、面倒臭い。ザックとマットの上でうずくまってシュラフカバーを被る。寒い。震えが止まらない。何でもいいから熱源が欲しい。でもロウソクはもうどこに行っちゃったのか分からない。ヤッケのポケットに前回の合宿で結局使わなかった使い捨てカイロでも入っていないかと探ってみたが空しかった。時々時間の報告がある。そのたびまだそんな時間なのかとうんざりする。ここから無事帰れるんなら、俺はもう煙草やめたっていい。そう思った。
19日
陰惨な一夜を乗り切り、辺りが明るくなってきた。用意しておいたα米の雑炊を炊き、ガスが晴れるのを待って装備を整え出発。中岳頂上まで戻りルートを探すが辺りはまたガスに包まれている。それでも田中さんが鎖場のワイヤーを見つけてくれたので、ルートのおおまかな予想は立った。再びツェルトを被ってガスが晴れるのを待つ。1パーティー上がってきたので、そのトレースを頼りに出発、無事文三郎道に辿り着き、そこで斉藤さん、菊池さん、渡辺君らに遭遇する。頑張れよと声をかける。無事にテントに辿り着く。中で立川さんがテントキーパーをしていた。参加は難しいと言っていた落合さんと米内山君も上がってきたことを知る。これでわが山岳部のパーティーは9人になった。しかしテントを一つ省いてしまったからテントは6人用一つしかないのだ。当初から誰かがツェルトで寝る事になるのは分かっていたが、どうやら本格的に大きな雪洞を掘らなければならないらしい。とにかく今は疲れていたので体を休め、渡辺君らが戻ってきてから雪洞掘りにとりかかる。安定した天候の中余裕を持って行う雪洞掘りは楽しい。自分の寝床を一から作るというのは面白いものだ。四人が余裕を持って横になれる、天井も高い雪洞が完成した。食事作りは先輩達に任せ、雪洞の中で火をたいて凍ったシュラフを溶かす。我々らしい豪華な夕食を摂って雪洞に戻り濡れたシュラフに身を包む。化繊のシュラフだから濡れていてもいくらか暖かいが、凍ったザックに突っ込んだ足元は冷たいし下着までびっしょり濡れていて気持ちが悪い。うとうととはしても深い眠りが得られず困った。そういえば今回は一度もテントで寝ないんだなということに気付き、闇の中で一人小さく声を立てて笑った。
陰惨な一夜を乗り切り、辺りが明るくなってきた。用意しておいたα米の雑炊を炊き、ガスが晴れるのを待って装備を整え出発。中岳頂上まで戻りルートを探すが辺りはまたガスに包まれている。それでも田中さんが鎖場のワイヤーを見つけてくれたので、ルートのおおまかな予想は立った。再びツェルトを被ってガスが晴れるのを待つ。1パーティー上がってきたので、そのトレースを頼りに出発、無事文三郎道に辿り着き、そこで斉藤さん、菊池さん、渡辺君らに遭遇する。頑張れよと声をかける。無事にテントに辿り着く。中で立川さんがテントキーパーをしていた。参加は難しいと言っていた落合さんと米内山君も上がってきたことを知る。これでわが山岳部のパーティーは9人になった。しかしテントを一つ省いてしまったからテントは6人用一つしかないのだ。当初から誰かがツェルトで寝る事になるのは分かっていたが、どうやら本格的に大きな雪洞を掘らなければならないらしい。とにかく今は疲れていたので体を休め、渡辺君らが戻ってきてから雪洞掘りにとりかかる。安定した天候の中余裕を持って行う雪洞掘りは楽しい。自分の寝床を一から作るというのは面白いものだ。四人が余裕を持って横になれる、天井も高い雪洞が完成した。食事作りは先輩達に任せ、雪洞の中で火をたいて凍ったシュラフを溶かす。我々らしい豪華な夕食を摂って雪洞に戻り濡れたシュラフに身を包む。化繊のシュラフだから濡れていてもいくらか暖かいが、凍ったザックに突っ込んだ足元は冷たいし下着までびっしょり濡れていて気持ちが悪い。うとうととはしても深い眠りが得られず困った。そういえば今回は一度もテントで寝ないんだなということに気付き、闇の中で一人小さく声を立てて笑った。
20日
朝食時本日の行動予定発表。自分と田中さん、曽根さん、米内山君は赤岳主稜登攀に決定。阿弥陀南稜と赤岳主稜の八ヶ岳を代表する二大ロングバリエーションルートを一度に行うなんて、今回はなんて充実した合宿なんだろう、とこの時は思った。体のほうはまだだいぶ疲れを残しており、食事もあまり食べられなかった。それでも装備を整え、雪洞を片付けて出発。よく晴れたいい日だが、やたらとヘリが飛び回っていてうるさい。しかしその意味を知るのはもっと後になってからの事である。おっかなびっくり雪渓をトラバースしてルートに取り付く。米内山君が登って行った後で、まずは自分がトップで登る。待っている間寒かったが、動いても体があまり暖まらない。食事をあまり摂らなかったせいかなと反省する。二本目のランニングを取る所で米内山君が苦戦していたのでムーブの指示を出す。自分もランニングを取り、岩稜に抜けた。異変はその直後に起こった。ザイルが異常に重い。人間を一人引きずっているような気分だ。いくらいつもより長い60mザイルを使っているからといってここまで重くはないだろう。ランニングの取り方をしくじったか。このまま登るのはヤバイ。しかしそこまでクライムダウンで戻るのも危険だ。この失敗は致命的だ。とにかくビレイポイントまでたどりつかねば。このままじっとしているのはまずい。そう思って3,4歩思い切って斜面を駆け登ったが、逆にザイルに引き倒され転倒してしまった。右手の崖に転落する前に反射的にピッケルストップを行い滑落を止める。ザイルはピンと張っていて今にも切れそうだ。この異変にビレイしている曽根さんは気付いているのだろうか。それを考えるとなぜか不安になる。下に向かってザイルを出してくれと何度か叫ぶが反応が無い。四つん這いになって匍匐前進をするようにザイルの張力に抗しながら登る。もしかしてもうザイルが一杯なのか。ヘリの音のせいでコールが通らないのではないか。様々な不安が頭をよぎる。何とかビレイポイントに辿り着いた時にはすっかり消耗していた。ずっと踏ん張っていたせいか指先と爪先が冷たい。アンカーを作りコールを送るが聞こえているのかいないのか。しかししばらくするとザイルから登って来る手ごたえが感じられた。重いが、ザイルを引き上げることもできる。とりあえずは大丈夫だが、疲労感が強く、不安を感じる。まだまだ先は長い。少し休みたい。そうは思うがなかなか言い出せず、結局なし崩し的に曽根さんにトップを代わってもらう。今思えばこの時点で、既に心は折れていたように思う。結局、ザイルが重かった原因も分からないままだ。とにかく2ピッチ目の雪稜を抜け、再び岩稜。一度登っているルートなのに、ここでルートが分からなくなってしまった。田中さんがこっちはあんまりしょっぱいから来ない方が良いとこちらに伝えてきた。すると正規のルートはこっち側か。しかし田仲さん達の登っているジェードルは確かに見覚えがある。あそこまで行けばいいのだが、この時自分のいる地点からそこまでのトラバースは危険を極める。何度か試登してみたものの、ランニングのピトンはおろかスタンスさえ見つけられない。一番登り易いのはこのまま真上に抜けることだが、もしルートを外れ戻れなくなったら…そうこうしているうちに体力もどんどん消耗する。もう上まで抜ける自信が無くなった。誰が何と言おうと、俺はもう降りる。そう決めてしまった。一度リードで登っているルートで敗退するなど情けないことこの上ないが、もし死んでしまったら後悔もできない。何でもいいから無事に山を降りてうまいもの食って熱い風呂に入っていい女に会いたい。そう思った。最早ヒステリーを起こしている自分を見て曽根さんももうこいつは駄目だと思ったのだろう。降りることに同意してくれた。しかしそこからの脱出も困難だった。60mザイル一本では一度に30mしか下れない。何度も何度も懸垂を繰り返し、無事に縦走路に辿り着いたときにはすっかり足が萎えていた。テント場では田中さんと米内山君が待っており、他の皆はもう山を降りていた。安堵の気持ちと情けない気持ちとで頭が一杯だった。しばらく何も考えたくないような気分だったが、とにかく降りなければならない。米内山君がカロリーメイトを投げ渡してくれた。あれのおかげでどれだけ助かったことか。ザックに適当に荷物を投げ込み出発。途中何度か転ぶ。それでも何とか下山する。ピックアップしてもらった落合さんの車の中で阿弥陀での遭難事故、三人が死亡した事を知る。あのうるさいヘリはそのために飛んでいたのだ。暖房で暖められた爪先が融けてゆくような感じがする。じんじんと痛む。やはり凍傷になっていたらしい。とにかく、自分は無事で良かったが、何とも後味が悪かった。研修所で荷物をまとめ、望みどおりうまい飯を食い熱い風呂に入って泥の様に眠った。
朝食時本日の行動予定発表。自分と田中さん、曽根さん、米内山君は赤岳主稜登攀に決定。阿弥陀南稜と赤岳主稜の八ヶ岳を代表する二大ロングバリエーションルートを一度に行うなんて、今回はなんて充実した合宿なんだろう、とこの時は思った。体のほうはまだだいぶ疲れを残しており、食事もあまり食べられなかった。それでも装備を整え、雪洞を片付けて出発。よく晴れたいい日だが、やたらとヘリが飛び回っていてうるさい。しかしその意味を知るのはもっと後になってからの事である。おっかなびっくり雪渓をトラバースしてルートに取り付く。米内山君が登って行った後で、まずは自分がトップで登る。待っている間寒かったが、動いても体があまり暖まらない。食事をあまり摂らなかったせいかなと反省する。二本目のランニングを取る所で米内山君が苦戦していたのでムーブの指示を出す。自分もランニングを取り、岩稜に抜けた。異変はその直後に起こった。ザイルが異常に重い。人間を一人引きずっているような気分だ。いくらいつもより長い60mザイルを使っているからといってここまで重くはないだろう。ランニングの取り方をしくじったか。このまま登るのはヤバイ。しかしそこまでクライムダウンで戻るのも危険だ。この失敗は致命的だ。とにかくビレイポイントまでたどりつかねば。このままじっとしているのはまずい。そう思って3,4歩思い切って斜面を駆け登ったが、逆にザイルに引き倒され転倒してしまった。右手の崖に転落する前に反射的にピッケルストップを行い滑落を止める。ザイルはピンと張っていて今にも切れそうだ。この異変にビレイしている曽根さんは気付いているのだろうか。それを考えるとなぜか不安になる。下に向かってザイルを出してくれと何度か叫ぶが反応が無い。四つん這いになって匍匐前進をするようにザイルの張力に抗しながら登る。もしかしてもうザイルが一杯なのか。ヘリの音のせいでコールが通らないのではないか。様々な不安が頭をよぎる。何とかビレイポイントに辿り着いた時にはすっかり消耗していた。ずっと踏ん張っていたせいか指先と爪先が冷たい。アンカーを作りコールを送るが聞こえているのかいないのか。しかししばらくするとザイルから登って来る手ごたえが感じられた。重いが、ザイルを引き上げることもできる。とりあえずは大丈夫だが、疲労感が強く、不安を感じる。まだまだ先は長い。少し休みたい。そうは思うがなかなか言い出せず、結局なし崩し的に曽根さんにトップを代わってもらう。今思えばこの時点で、既に心は折れていたように思う。結局、ザイルが重かった原因も分からないままだ。とにかく2ピッチ目の雪稜を抜け、再び岩稜。一度登っているルートなのに、ここでルートが分からなくなってしまった。田中さんがこっちはあんまりしょっぱいから来ない方が良いとこちらに伝えてきた。すると正規のルートはこっち側か。しかし田仲さん達の登っているジェードルは確かに見覚えがある。あそこまで行けばいいのだが、この時自分のいる地点からそこまでのトラバースは危険を極める。何度か試登してみたものの、ランニングのピトンはおろかスタンスさえ見つけられない。一番登り易いのはこのまま真上に抜けることだが、もしルートを外れ戻れなくなったら…そうこうしているうちに体力もどんどん消耗する。もう上まで抜ける自信が無くなった。誰が何と言おうと、俺はもう降りる。そう決めてしまった。一度リードで登っているルートで敗退するなど情けないことこの上ないが、もし死んでしまったら後悔もできない。何でもいいから無事に山を降りてうまいもの食って熱い風呂に入っていい女に会いたい。そう思った。最早ヒステリーを起こしている自分を見て曽根さんももうこいつは駄目だと思ったのだろう。降りることに同意してくれた。しかしそこからの脱出も困難だった。60mザイル一本では一度に30mしか下れない。何度も何度も懸垂を繰り返し、無事に縦走路に辿り着いたときにはすっかり足が萎えていた。テント場では田中さんと米内山君が待っており、他の皆はもう山を降りていた。安堵の気持ちと情けない気持ちとで頭が一杯だった。しばらく何も考えたくないような気分だったが、とにかく降りなければならない。米内山君がカロリーメイトを投げ渡してくれた。あれのおかげでどれだけ助かったことか。ザックに適当に荷物を投げ込み出発。途中何度か転ぶ。それでも何とか下山する。ピックアップしてもらった落合さんの車の中で阿弥陀での遭難事故、三人が死亡した事を知る。あのうるさいヘリはそのために飛んでいたのだ。暖房で暖められた爪先が融けてゆくような感じがする。じんじんと痛む。やはり凍傷になっていたらしい。とにかく、自分は無事で良かったが、何とも後味が悪かった。研修所で荷物をまとめ、望みどおりうまい飯を食い熱い風呂に入って泥の様に眠った。