kuac - 神奈川大学山岳部
唐松岳宮守報告
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北アルプス後立山連峰
唐松岳雪上訓練合宿報告書
マッキンリー遠征準備合宿
ホワイトアウトに翻弄され、烈風の洗礼に肝冷やし、力量不足を痛感する
唐松岳雪上訓練合宿報告書
マッキンリー遠征準備合宿
ホワイトアウトに翻弄され、烈風の洗礼に肝冷やし、力量不足を痛感する
宮 守 健 太
(理学部生物学科四年)
(理学部生物学科四年)
車内泊の後、朝一番のゴンドラに乗り込むべく8時半頃にゴンドラ乗り場へ向かったが、強風のため動き出したのは9時、リフトを二回乗り継いで八方山荘前へ。しかしガスのため視界が極めて悪く、小屋の裏手に回るのに左右どちらから行ったら良いものかも分からないような状態であった。小屋の右手から裏の広場に回るが相変わらず地形がさっぱり分からない。春に谷川岳でホワイトアウトの中雪庇を踏み抜いて以来、こうした状況には言い知れぬ恐怖を感じる。これでは動けない。時折ガスが風に流され稜線が見えるものの、このまま行動するには状況が悪すぎると判断、前進を諦める。朝一番での行動も無駄になった。
冗談半分で渡辺君を小屋とケルンが目に入らない位置に立たせ訪ねてみる。
「どうだ、この状況で動く勇気があるか?」
「いや、無理です。」
「そうだな。冬山ってこんなもんさ。」
図らずも冬山の危険、厳しさを初っぱなから教え込む事になった。
しかし実際にはもっと悪い状況なんていくらでもある。気温が高くて風がないだけまだマシだと思っていたが、夜になってこの油断は一瞬にして恐怖に変わる事になる。
とりあえず荷物を下ろしキャンプ候補地に赤旗を立て雪上訓練を行う。アイゼン歩行を一通りやった後、小屋にテントを張る由伝えに行ったが断られてしまった。まぁ予想はしていたが。張るならもっと上でやってくれと言われたが、それができないから頼んでんじゃない…しかしゲレンデのすぐ脇にテント張らせろというのも確かに非常識な話だ。戻り際に宿泊料金も聞いておく。素泊まりで六千円。いざという時にはそれも仕方ない。とりあえず全員にその旨を報告し、テント場を探す。雪上訓練の際に立てた赤旗を頼りに稜線上に上がり、およそ三〇m毎に赤旗を立てながら進む。その程度しか視界が利かないのだ。途中一本だけ雪面から突き出ていた枝にも赤布を巻き付けておく。それからしばらく後に稜線が狭くなってきた。テントを張る事はおろか、前進する事も難しくなってしまった。
仕方ないので引き返す。それまでしんがりについていた自分が先頭に立ち、赤旗とトレースを頼りに戻るが、すぐにトレースが消え、ルートを見失ってしまった。マズい。谷川岳で転落した時と全く同じ状況ではないか。背筋に冷たいものが走ったが、すぐに冷静さを取り戻した。一度そういう体験をしていると、同じような危険に対しては強くなる。以前と違い今回は赤旗を立てている。それを探せば良いのだが、見つからない。後方にその旨を伝えたら、菊池さんが先頭に立ってルートを探してくれた。その姿を見失わないように厳重に見張る。すぐにルートは見つかり事なきを得た。気まぐれに枝に結び付けておいた赤布が役に立ってくれた。雪上訓練の際に立てた赤旗の近くにテントを張る事にする。ゲレンデからいくらも離れていないがこの際仕方無い。足場を平らに整地して踏み固め、テントを張り張り綱もしっかり張る。一段落ついた所で視界が開けて来た。ふざけた話だがまぁよくある事だ。
もうしょうがないのでキャンプ設営を続行する。皆が張り綱を整備する中、一人水作り用のブロックを切り出し始める。あまり大きな声では言えないが(言ってもいいけど)自分はこのブロックを切り出す作業が好きなのだ。ただどうしてこの時、切り出したブロックで防風壁を作る事を思いつかなかったのか、今でも悔やまれる。
テントを張り終えて一息つき、まだ明るいが四時頃から夕食の準備に取り掛かる。今回初めてゴアテックスのテントを使ったが、お湯を沸かしてもテントの内側が全く結露しない事に皆して感動した。十数万の価格とちょっと重めの重量の分だけの価値はあると言う結論に満場一致で達した。しかしこのテントがその真価を発揮したのは夜になってからであった。寝袋に入りようやく深い眠りを得られた頃、菊池さんに叩き起こされた。どうも様子が只事ではない。見るとテントが強風で大きく歪んでいるではないか。おおっ!マズい!!新品のテントをいきなりぶち壊したら落合さんに怒られるではないか。いやそれよりテントごと吹き飛ばされたらコトだ。半身を寝袋に突っ込んだままテントの隅に突撃する。手でグランドシートを抑え、頭でポールを支持している間、いつでも脱出できるよう交代で荷物をまとめる。
しかし幸いにして小屋がすぐ近くにあるとはいうものの、実際テントを放棄しなければならない程の強風の中でどれだけ行動できるものであるか不安であった。何とかしてテントを守りたい。自分の番が来て速攻で荷物をまとめ、再びテントの隅に飛び付く。風がグランドシートの下に回り込んだら最後だ。こんな状況がもしかしたら一晩中、いやもっと続くのかと考えるとゾッとした。それでも風は一時間ほどで止み、静けさを取り戻した。テントに損傷ななく、張り綱もしっかりしていた。大した耐風性である。防風壁を作ってやればかなりの風にも耐えられるだろう。ほっと一息ついたところで、菊池さんが日本酒を燗し始める。それを一口飲んだらぐっすり眠れた。
遠くで立川さんが6時起床にしようよ、と呟く、もう六時半なんですけど、のろのろと起き出して朝食を摂り出発の準備をする。多少風があるものの雲一つ無い快晴。絶好の冬山日和、とこの時は思った。
そうこうしているうちに後続の落合さんが着いてしまった。随分とのんびりしてるじゃぁないですか、と軽くたしなめられる。何と西田さんも一緒だった。スキーで元気に登って来る。落合さんの差し入れ、ステーキ肉とキムチをテント前室の雪の中に埋め、西田さん差し入れのパンとチョコレートをザックに詰めて出発。
昨日あれだけ手こずった道も視界さえ開けていれば何でもない。しんがりについてのんびり進む。シャッターの下りた公衆トイレを通過し、ケルンに着いた頃からまた風が強くなり始める。ケルンの影で防風装備を施し再び前進。強風、雪上下での行動に慣れていない渡辺君が遅れ始める。風に煽られて風下に曲がって行ってしまうのを引き戻し、突風の折には昨日復習した耐風姿勢を取るよう念を押しておく。文句一つ言わず黙々とついてきてはいるが体力的にも精神的にも結構きついようだ。気合いを入れようと部歌など歌ってみたが聞こえちゃいない。
先輩方も休んでいるであろう次のケルンまで行きたかったが仕方無い。そのちょっと下にバケツを掘って休憩する。何か口に入れてお湯を飲むだけでも少しは元気が出るだろう。五分休んで出発。先輩方の姿はもう遠い、と思っていたがしばらくして追い付いた。風が強くなり凍傷になる危険も出てきたのでもう下りようかと検討していた。正直自分は少々不満であった。対マッキンリーを想定としては理想的な天気ではないか。この位の天気なら行動できなきゃ登頂は遠くなる。しかし実際この先稜線は狭くなるし風もあるし、渡辺君が不安であった。軽い凍傷ならともかく今怪我でもしたらシャレにならない。それも仕方ないだろう。落合さんと西田さんは頂上を目指すつもりらしい。少し迷ったが、自分も行く事にした。前夜発のメンバーが誰も登らなかったんじゃあまりにも情けないではないか。そんなこんなで別れて出発、雪もだいぶクラストしてて固い。左手に五竜岳が間近に見える。
続行を決意したのはあの山での撤退という苦い思い出もあったからだ。しばらくして西田さんが手を大きく交差させ、下を指差している。強風下ではちょっと離れればお互いの声も聞こえず、コミュニケーションはボディーランゲージに頼る事になる。西田さんはもう下りるつもりらしい。先頭をゆく落合さんのもとに駆け寄り、その旨を伝え先に進もうとすると、西田さんが慌てて再び手を大きく交差させ、下を何度も指差している。どうやらもうやめておけと伝えたかったらしい。ボディーランゲージではこうした行き違いが起きてしまうから怖い。とりあえずその場で昼食にパンをかじりつつ座談会。
結局落合さんと自分だけ頂上を目指す事にする。頂上は見えるが、まだずいぶん遠くに感じる。落合さんはもうそんなに遠くないと言うがそんなもんだろうか。斜面がクラストしてて怖い。時折、その堅い雪面を踏み抜いて膝あたりまで潜る。そのたびに肝を冷やす。何しろひとたび滑ったなら麓まで止まれそうにない堅くて急な斜面なのだ。そんな事を考えていたら両足で雪面を踏み抜いた。そのまま無理やりラッセルするようにして進んでいたらついに腰まで潜る。雪上に足をかけるもそのまま滑り出して行きそうで怖い。動けない。泣きたくなって来た。その脇を落合さんが何事も無いようにさくさく進んでゆく。どうしてこの状況でそうも軽々と動けるのだろう。自分は結局引き返して所々岩の突き出ている稜線の上を進む。
ついに主稜線に合流。ずっと我々に先行していたスキーヤーをここで抜かして山頂一番乗りを果たす。景色がとにかく美しい。風もだいぶ弱まっていた。それでもじっとしているとかなり寒いが。前方に全身くまなく白い雪化粧を施した剣岳が大きくそびえている。五月にはあそこに登るのかと考えるとゾクゾクする。一年生の五月、別山乗越からあの山を眺めた事が山にのめり込むきっかけになったのだ。しかしそれ以前に無事に帰る事を考えねばならないのだが。あまりじっとしていると寒いので何枚か写真を撮って帰路につく。
やっぱり下りの方が怖い。先に行く落合さんとの差がどんどん開いてゆく。自分ももっと雪上での訓練を積まなければならないようだ。第三ケルンへの下りの所に急な斜面がある。そこを落合さんが尻セードで行こうかと提案した。しかし実際には斜面はかなり堅く、尻セードにはちょっと危険なようだった。結局落合さんは歩いて下まで下り、自分はそのころ斜面の中腹あたりにいた。このままではどんどん差が付くばかりだ。ここからなら仮に滑落しても大きな事故にはならないだろうと判断し、ピッケルに持ち替えて尻セードの姿勢に入る。これが間違いだった。滑り始めて二秒でもう制動不可能なスピードが付いた。「やっぱ無理!」そう思ってももう遅い。何とか石突きを雪面に刺そうとするが誤ってアイゼンの爪を引っ掛けてしまい、そのまま縦に一回転する。ピッケルを放してしまい、何とか腕で制動をかけようとするが利かない。左手でピッケルバンドを手繰り寄せ、右手でピッケルを掴みピックを力任せに叩き込む。ザックに差し込んでおいたストックが吹っ飛んで行ったが生きるか死ぬかの瀬戸際だ。そんな事にかまっちゃいられない。スピードが弱くなった所でアイゼンの爪を無理やり雪面に刺してやっと止まった。稜線の一〇メートル位下まで滑落していた。痛みをこらえて立ち上がり登り返す。見上げるとさらに一〇メートルほど上にストックが引っ掛かっている。うっちゃっても良かったが、こんな事で修理に出したばかりのストックを無くしてしまったら泣くに泣けない。痛む足を引き摺って取りに行く。ヤッケのズボンが大きく裂けている。そこから風が吹き込んでケツがスースーする。結局新しく装備を買い直さなければならないようだ。ストックを回収して下りると腹の虫が鳴り、猛烈に腹が減っている事に気付いた。足が痛い上に腹も減っているんじゃやれんな、と一人呟いて休める所を捜す。あらかじめ目星をつけておいた大きな窪みの所まで来たが、そこにはもう誰かが小便の黄色い穴を開けていた。落胆しつつその先にあった小さな窪みにザックを下ろしその上に座り、ヤッケの内ポしケットからエネルギーバーを取り出す。キャラメルに良く似た板状の食品で六〇グラム二百キロカロリー、一枚二百円。高所での栄養補給手段としてはかなり有効だと思う。ただし寒気で硬くなってしまうのが玉にキズで、この時もかなり硬くなっていた。ヤッケの内ポケットにカイロといっしょに入れておくのが良いかもしれない。齧り取ったバーをお湯で喉に流し込む。顎が疲れたが足の痛みもだいぶ引いてきたので出発。第三ケルンの所で落合さんが待っているのが見えたので急いでそちらへ向かう。さっきまですぐ後ろにいたのに姿が見えなくなったのですごく心配していた。見通しの利く稜線上でいきなり姿が見えなくなったと言うことは滑落して怪我で動けなくなっているか、下手をすれば死んでいると言うことを意味する。そんな心配をかけているときに本人は呑気に飯を食っていたと言うのだからひどい話だ。今回も色々あったけどとにかく無事にキャンプまで辿り着いた。
西田さんはもう帰ってしまっていたが皆でビールを回し飲みして乾杯。のんびりと辺りの景色を楽しむ。夕食は、先ずたっぷりと水造りに時間を費やす。そして海鮮サラダ、乾燥食品を使ったカレー、まずまずの出来栄えで、これに差し入れのステーキを焼き、キムチをつついて落合さんの誕生日を祝いささやかな宴を開き、食事をする。
翌朝、日が昇ってから起床。今日も絶好の天気である。カニ雑炊を食べてからテントを撤収する。竹ペグを回収する際、その利き方に改めて感心する。テントもあの強風の中でしっかり守ってくれたし、水の供給をすべて雪に頼る食料計画体制もとりあえず上手く行った。風は強かったが凍傷にもなる事無く、現在どの程度まで動けるかを知る良い機会にもなった。ただ余裕を持たせていたせいもあるが燃料はだいぶ余った。遠征においては燃料計算を慎重に行う必要がありそうだ。スコップが一丁壊れた。硬い雪面にも対応できる強力な奴がほしい。現地で借りることができればそれがベターだが。赤旗は風ですぐに取れてしまった。結び方に工夫が必要である。視認性も考えてもっと大きなものを作っておくべきだろう。反省点も多くあるが、対マッキンリー対策の合宿として実りの大きなものになったと思う。様々に反省の思いを巡らしつつ荷物をまとめ帰路に着く。温泉に入り、途中拾ったフリースのネックウォーマーを解凍する。ヤッケを破いた損失についてはこれでチャラにしようと思ったがネックウォーマーはとりあえずもう持っているので渡辺君にあげた。
冗談半分で渡辺君を小屋とケルンが目に入らない位置に立たせ訪ねてみる。
「どうだ、この状況で動く勇気があるか?」
「いや、無理です。」
「そうだな。冬山ってこんなもんさ。」
図らずも冬山の危険、厳しさを初っぱなから教え込む事になった。
しかし実際にはもっと悪い状況なんていくらでもある。気温が高くて風がないだけまだマシだと思っていたが、夜になってこの油断は一瞬にして恐怖に変わる事になる。
とりあえず荷物を下ろしキャンプ候補地に赤旗を立て雪上訓練を行う。アイゼン歩行を一通りやった後、小屋にテントを張る由伝えに行ったが断られてしまった。まぁ予想はしていたが。張るならもっと上でやってくれと言われたが、それができないから頼んでんじゃない…しかしゲレンデのすぐ脇にテント張らせろというのも確かに非常識な話だ。戻り際に宿泊料金も聞いておく。素泊まりで六千円。いざという時にはそれも仕方ない。とりあえず全員にその旨を報告し、テント場を探す。雪上訓練の際に立てた赤旗を頼りに稜線上に上がり、およそ三〇m毎に赤旗を立てながら進む。その程度しか視界が利かないのだ。途中一本だけ雪面から突き出ていた枝にも赤布を巻き付けておく。それからしばらく後に稜線が狭くなってきた。テントを張る事はおろか、前進する事も難しくなってしまった。
仕方ないので引き返す。それまでしんがりについていた自分が先頭に立ち、赤旗とトレースを頼りに戻るが、すぐにトレースが消え、ルートを見失ってしまった。マズい。谷川岳で転落した時と全く同じ状況ではないか。背筋に冷たいものが走ったが、すぐに冷静さを取り戻した。一度そういう体験をしていると、同じような危険に対しては強くなる。以前と違い今回は赤旗を立てている。それを探せば良いのだが、見つからない。後方にその旨を伝えたら、菊池さんが先頭に立ってルートを探してくれた。その姿を見失わないように厳重に見張る。すぐにルートは見つかり事なきを得た。気まぐれに枝に結び付けておいた赤布が役に立ってくれた。雪上訓練の際に立てた赤旗の近くにテントを張る事にする。ゲレンデからいくらも離れていないがこの際仕方無い。足場を平らに整地して踏み固め、テントを張り張り綱もしっかり張る。一段落ついた所で視界が開けて来た。ふざけた話だがまぁよくある事だ。
もうしょうがないのでキャンプ設営を続行する。皆が張り綱を整備する中、一人水作り用のブロックを切り出し始める。あまり大きな声では言えないが(言ってもいいけど)自分はこのブロックを切り出す作業が好きなのだ。ただどうしてこの時、切り出したブロックで防風壁を作る事を思いつかなかったのか、今でも悔やまれる。
テントを張り終えて一息つき、まだ明るいが四時頃から夕食の準備に取り掛かる。今回初めてゴアテックスのテントを使ったが、お湯を沸かしてもテントの内側が全く結露しない事に皆して感動した。十数万の価格とちょっと重めの重量の分だけの価値はあると言う結論に満場一致で達した。しかしこのテントがその真価を発揮したのは夜になってからであった。寝袋に入りようやく深い眠りを得られた頃、菊池さんに叩き起こされた。どうも様子が只事ではない。見るとテントが強風で大きく歪んでいるではないか。おおっ!マズい!!新品のテントをいきなりぶち壊したら落合さんに怒られるではないか。いやそれよりテントごと吹き飛ばされたらコトだ。半身を寝袋に突っ込んだままテントの隅に突撃する。手でグランドシートを抑え、頭でポールを支持している間、いつでも脱出できるよう交代で荷物をまとめる。
しかし幸いにして小屋がすぐ近くにあるとはいうものの、実際テントを放棄しなければならない程の強風の中でどれだけ行動できるものであるか不安であった。何とかしてテントを守りたい。自分の番が来て速攻で荷物をまとめ、再びテントの隅に飛び付く。風がグランドシートの下に回り込んだら最後だ。こんな状況がもしかしたら一晩中、いやもっと続くのかと考えるとゾッとした。それでも風は一時間ほどで止み、静けさを取り戻した。テントに損傷ななく、張り綱もしっかりしていた。大した耐風性である。防風壁を作ってやればかなりの風にも耐えられるだろう。ほっと一息ついたところで、菊池さんが日本酒を燗し始める。それを一口飲んだらぐっすり眠れた。
遠くで立川さんが6時起床にしようよ、と呟く、もう六時半なんですけど、のろのろと起き出して朝食を摂り出発の準備をする。多少風があるものの雲一つ無い快晴。絶好の冬山日和、とこの時は思った。
そうこうしているうちに後続の落合さんが着いてしまった。随分とのんびりしてるじゃぁないですか、と軽くたしなめられる。何と西田さんも一緒だった。スキーで元気に登って来る。落合さんの差し入れ、ステーキ肉とキムチをテント前室の雪の中に埋め、西田さん差し入れのパンとチョコレートをザックに詰めて出発。
昨日あれだけ手こずった道も視界さえ開けていれば何でもない。しんがりについてのんびり進む。シャッターの下りた公衆トイレを通過し、ケルンに着いた頃からまた風が強くなり始める。ケルンの影で防風装備を施し再び前進。強風、雪上下での行動に慣れていない渡辺君が遅れ始める。風に煽られて風下に曲がって行ってしまうのを引き戻し、突風の折には昨日復習した耐風姿勢を取るよう念を押しておく。文句一つ言わず黙々とついてきてはいるが体力的にも精神的にも結構きついようだ。気合いを入れようと部歌など歌ってみたが聞こえちゃいない。
先輩方も休んでいるであろう次のケルンまで行きたかったが仕方無い。そのちょっと下にバケツを掘って休憩する。何か口に入れてお湯を飲むだけでも少しは元気が出るだろう。五分休んで出発。先輩方の姿はもう遠い、と思っていたがしばらくして追い付いた。風が強くなり凍傷になる危険も出てきたのでもう下りようかと検討していた。正直自分は少々不満であった。対マッキンリーを想定としては理想的な天気ではないか。この位の天気なら行動できなきゃ登頂は遠くなる。しかし実際この先稜線は狭くなるし風もあるし、渡辺君が不安であった。軽い凍傷ならともかく今怪我でもしたらシャレにならない。それも仕方ないだろう。落合さんと西田さんは頂上を目指すつもりらしい。少し迷ったが、自分も行く事にした。前夜発のメンバーが誰も登らなかったんじゃあまりにも情けないではないか。そんなこんなで別れて出発、雪もだいぶクラストしてて固い。左手に五竜岳が間近に見える。
続行を決意したのはあの山での撤退という苦い思い出もあったからだ。しばらくして西田さんが手を大きく交差させ、下を指差している。強風下ではちょっと離れればお互いの声も聞こえず、コミュニケーションはボディーランゲージに頼る事になる。西田さんはもう下りるつもりらしい。先頭をゆく落合さんのもとに駆け寄り、その旨を伝え先に進もうとすると、西田さんが慌てて再び手を大きく交差させ、下を何度も指差している。どうやらもうやめておけと伝えたかったらしい。ボディーランゲージではこうした行き違いが起きてしまうから怖い。とりあえずその場で昼食にパンをかじりつつ座談会。
結局落合さんと自分だけ頂上を目指す事にする。頂上は見えるが、まだずいぶん遠くに感じる。落合さんはもうそんなに遠くないと言うがそんなもんだろうか。斜面がクラストしてて怖い。時折、その堅い雪面を踏み抜いて膝あたりまで潜る。そのたびに肝を冷やす。何しろひとたび滑ったなら麓まで止まれそうにない堅くて急な斜面なのだ。そんな事を考えていたら両足で雪面を踏み抜いた。そのまま無理やりラッセルするようにして進んでいたらついに腰まで潜る。雪上に足をかけるもそのまま滑り出して行きそうで怖い。動けない。泣きたくなって来た。その脇を落合さんが何事も無いようにさくさく進んでゆく。どうしてこの状況でそうも軽々と動けるのだろう。自分は結局引き返して所々岩の突き出ている稜線の上を進む。
ついに主稜線に合流。ずっと我々に先行していたスキーヤーをここで抜かして山頂一番乗りを果たす。景色がとにかく美しい。風もだいぶ弱まっていた。それでもじっとしているとかなり寒いが。前方に全身くまなく白い雪化粧を施した剣岳が大きくそびえている。五月にはあそこに登るのかと考えるとゾクゾクする。一年生の五月、別山乗越からあの山を眺めた事が山にのめり込むきっかけになったのだ。しかしそれ以前に無事に帰る事を考えねばならないのだが。あまりじっとしていると寒いので何枚か写真を撮って帰路につく。
やっぱり下りの方が怖い。先に行く落合さんとの差がどんどん開いてゆく。自分ももっと雪上での訓練を積まなければならないようだ。第三ケルンへの下りの所に急な斜面がある。そこを落合さんが尻セードで行こうかと提案した。しかし実際には斜面はかなり堅く、尻セードにはちょっと危険なようだった。結局落合さんは歩いて下まで下り、自分はそのころ斜面の中腹あたりにいた。このままではどんどん差が付くばかりだ。ここからなら仮に滑落しても大きな事故にはならないだろうと判断し、ピッケルに持ち替えて尻セードの姿勢に入る。これが間違いだった。滑り始めて二秒でもう制動不可能なスピードが付いた。「やっぱ無理!」そう思ってももう遅い。何とか石突きを雪面に刺そうとするが誤ってアイゼンの爪を引っ掛けてしまい、そのまま縦に一回転する。ピッケルを放してしまい、何とか腕で制動をかけようとするが利かない。左手でピッケルバンドを手繰り寄せ、右手でピッケルを掴みピックを力任せに叩き込む。ザックに差し込んでおいたストックが吹っ飛んで行ったが生きるか死ぬかの瀬戸際だ。そんな事にかまっちゃいられない。スピードが弱くなった所でアイゼンの爪を無理やり雪面に刺してやっと止まった。稜線の一〇メートル位下まで滑落していた。痛みをこらえて立ち上がり登り返す。見上げるとさらに一〇メートルほど上にストックが引っ掛かっている。うっちゃっても良かったが、こんな事で修理に出したばかりのストックを無くしてしまったら泣くに泣けない。痛む足を引き摺って取りに行く。ヤッケのズボンが大きく裂けている。そこから風が吹き込んでケツがスースーする。結局新しく装備を買い直さなければならないようだ。ストックを回収して下りると腹の虫が鳴り、猛烈に腹が減っている事に気付いた。足が痛い上に腹も減っているんじゃやれんな、と一人呟いて休める所を捜す。あらかじめ目星をつけておいた大きな窪みの所まで来たが、そこにはもう誰かが小便の黄色い穴を開けていた。落胆しつつその先にあった小さな窪みにザックを下ろしその上に座り、ヤッケの内ポしケットからエネルギーバーを取り出す。キャラメルに良く似た板状の食品で六〇グラム二百キロカロリー、一枚二百円。高所での栄養補給手段としてはかなり有効だと思う。ただし寒気で硬くなってしまうのが玉にキズで、この時もかなり硬くなっていた。ヤッケの内ポケットにカイロといっしょに入れておくのが良いかもしれない。齧り取ったバーをお湯で喉に流し込む。顎が疲れたが足の痛みもだいぶ引いてきたので出発。第三ケルンの所で落合さんが待っているのが見えたので急いでそちらへ向かう。さっきまですぐ後ろにいたのに姿が見えなくなったのですごく心配していた。見通しの利く稜線上でいきなり姿が見えなくなったと言うことは滑落して怪我で動けなくなっているか、下手をすれば死んでいると言うことを意味する。そんな心配をかけているときに本人は呑気に飯を食っていたと言うのだからひどい話だ。今回も色々あったけどとにかく無事にキャンプまで辿り着いた。
西田さんはもう帰ってしまっていたが皆でビールを回し飲みして乾杯。のんびりと辺りの景色を楽しむ。夕食は、先ずたっぷりと水造りに時間を費やす。そして海鮮サラダ、乾燥食品を使ったカレー、まずまずの出来栄えで、これに差し入れのステーキを焼き、キムチをつついて落合さんの誕生日を祝いささやかな宴を開き、食事をする。
翌朝、日が昇ってから起床。今日も絶好の天気である。カニ雑炊を食べてからテントを撤収する。竹ペグを回収する際、その利き方に改めて感心する。テントもあの強風の中でしっかり守ってくれたし、水の供給をすべて雪に頼る食料計画体制もとりあえず上手く行った。風は強かったが凍傷にもなる事無く、現在どの程度まで動けるかを知る良い機会にもなった。ただ余裕を持たせていたせいもあるが燃料はだいぶ余った。遠征においては燃料計算を慎重に行う必要がありそうだ。スコップが一丁壊れた。硬い雪面にも対応できる強力な奴がほしい。現地で借りることができればそれがベターだが。赤旗は風ですぐに取れてしまった。結び方に工夫が必要である。視認性も考えてもっと大きなものを作っておくべきだろう。反省点も多くあるが、対マッキンリー対策の合宿として実りの大きなものになったと思う。様々に反省の思いを巡らしつつ荷物をまとめ帰路に着く。温泉に入り、途中拾ったフリースのネックウォーマーを解凍する。ヤッケを破いた損失についてはこれでチャラにしようと思ったがネックウォーマーはとりあえずもう持っているので渡辺君にあげた。