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晴れ渡った青い空に、白い雲が泳ぐ。
その雲を小さな蝶が横切った。ひらひらと羽を動かして飛んでゆく様子を、その女は穏やかな瞳で見つめていた。
さっきから、何度それを繰り返しているのだろうか、この女は。
10分程前に俺が通りかかったときにも、同じような調子だった。
その10分前も、そのまた10分前も、ずっとこんな調子だった。おそらく、あいつが来るまでずっとそうなのだろう。
そう思うと、無性に腹が立ってきた。
「まだ待ってるのか」
業を煮やした俺が話しかけると、その女は――しぃは、蝶から目を離し穏やかな瞳のまま俺の方へと向く。
しぃのマリンブルーの瞳が俺の顔を捉えた。
「あら。ねえギコ君見なかった?」
『ギコ』――耳に入るだけで、何故だか腸が煮えくりかえりそうになる名前。その名前を、この女はさも愛おしそうに呼ぶ。
そいつの名前出すの止めろ。と怒鳴りそうになる喉をぐっと堪えた。
怒りの矛先が自分でも解らない訴えなど、不自然なだけだ。
「もう何時間待ってんだよ。ったくこれだから糞猫は」
「元々ルーズな人だから」
「だからって二時間は待ちすぎだからな! 」
「ま、モララー君には分かんないわよ。」
しぃは視線を俺から青い空に移した。まるで勝ち誇ったような、得意げな顔を浮かべながら。
糞猫の分際で。愛だの恋だのを知ったかぶって、まるで『愛を知らない俺』を見下すようなこの態度。
待たされているくせに、二時間も、たった一人で待たされているくせに。
気に入らない、この女の態度が。心底気に入らない。一体、何を解っているというのだ。糞猫の分際で。
「まったく失礼な糞虫だな!好きな様にしてろ!」
俺は踵を返した。
後ろからあいつの笑い声が聞こえてくるような気がしてくる。嘲笑に似た笑い声が。
腹が立つ腹が立つ腹が立つ。何が分かんないわよ、だ。腹が立つ。
もうあの女と同じ場所で空気を吸うのも腹が立つ、そんな思いに駆られ足を速めようとしたときだった。
『あ、ギコ君!』
――『ギコ』。やっと来たのかあいつ。
俺は足を止めて、耳をそばだてる。
そうして真っ先に耳に入ってきたのは若い男の――『ギコ』の、怒声だった。
『待っててやりました、みたいな顔してんじゃねえよこのクズが!!』
『あっ…』
その後にごっ、ごっと鈍い音が数発。
人体を強く殴打する際に発する、あの音そのもの。
一つ一つの力はそんなに強い物ではなさそうだが、数十発程与えれば大の男一人くらいは倒せるだろう。
それを、女のか弱い肉体がたった数発でも受け止めたら――。
『……ごめんな、さい』
『解ればいいんだよ。ほら行くぞゴラァ!』
『……はい』
涙声で女が返事を返す声ともう一つ鈍い音が聞こえた後、二人の会話は途絶えた。
「……」
俺は空を見上げた。あの女が見上げていた空と、同じ空を。
晴れ渡った青い空に、白い雲が泳ぐ。そして白い雲を遮断するように、飛行機雲が顔を出していた。
晴れ渡った青い空に、白い雲が泳ぐ。
その雲を小さな蝶が横切った。ひらひらと羽を動かして飛んでゆく様子を、その女は穏やかな瞳で見つめていた。
さっきから、何度それを繰り返しているのだろうか、この女は。
10分程前に俺が通りかかったときにも、同じような調子だった。
その10分前も、そのまた10分前も、ずっとこんな調子だった。おそらく、あいつが来るまでずっとそうなのだろう。
そう思うと、無性に腹が立ってきた。
「まだ待ってるのか」
業を煮やした俺が話しかけると、その女は――しぃは、蝶から目を離し穏やかな瞳のまま俺の方へと向く。
しぃのマリンブルーの瞳が俺の顔を捉えた。
「あら。ねえギコ君見なかった?」
『ギコ』――耳に入るだけで、何故だか腸が煮えくりかえりそうになる名前。その名前を、この女はさも愛おしそうに呼ぶ。
そいつの名前出すの止めろ。と怒鳴りそうになる喉をぐっと堪えた。
怒りの矛先が自分でも解らない訴えなど、不自然なだけだ。
「もう何時間待ってんだよ。ったくこれだから糞猫は」
「元々ルーズな人だから」
「だからって二時間は待ちすぎだからな! 」
「ま、モララー君には分かんないわよ。」
しぃは視線を俺から青い空に移した。まるで勝ち誇ったような、得意げな顔を浮かべながら。
糞猫の分際で。愛だの恋だのを知ったかぶって、まるで『愛を知らない俺』を見下すようなこの態度。
待たされているくせに、二時間も、たった一人で待たされているくせに。
気に入らない、この女の態度が。心底気に入らない。一体、何を解っているというのだ。糞猫の分際で。
「まったく失礼な糞虫だな!好きな様にしてろ!」
俺は踵を返した。
後ろからあいつの笑い声が聞こえてくるような気がしてくる。嘲笑に似た笑い声が。
腹が立つ腹が立つ腹が立つ。何が分かんないわよ、だ。腹が立つ。
もうあの女と同じ場所で空気を吸うのも腹が立つ、そんな思いに駆られ足を速めようとしたときだった。
『あ、ギコ君!』
――『ギコ』。やっと来たのかあいつ。
俺は足を止めて、耳をそばだてる。
そうして真っ先に耳に入ってきたのは若い男の――『ギコ』の、怒声だった。
『待っててやりました、みたいな顔してんじゃねえよこのクズが!!』
『あっ…』
その後にごっ、ごっと鈍い音が数発。
人体を強く殴打する際に発する、あの音そのもの。
一つ一つの力はそんなに強い物ではなさそうだが、数十発程与えれば大の男一人くらいは倒せるだろう。
それを、女のか弱い肉体がたった数発でも受け止めたら――。
『……ごめんな、さい』
『解ればいいんだよ。ほら行くぞゴラァ!』
『……はい』
涙声で女が返事を返す声ともう一つ鈍い音が聞こえた後、二人の会話は途絶えた。
「……」
俺は空を見上げた。あの女が見上げていた空と、同じ空を。
晴れ渡った青い空に、白い雲が泳ぐ。そして白い雲を遮断するように、飛行機雲が顔を出していた。