雪が降る寒々とした街に一人の青年が歩く。
晴れた空のように青い眼を持つモララー種の青年だ。
空から零れる雪を楽しみながら歩くその姿はどうみても普通の青年だった。
しかし彼には少し他と違う所があった。
―――うわ、ゴミが降ってる。
(ゴミなんて言うなよ。綺麗じゃないか)
―――え?何処が?
(何処がって言われても…。ウララーは綺麗とか思わないの)
―――邪魔、だと思う
(うわ、コイツ言った! )
―――え?俺なんか変な事言ったか?
(自覚も無いんだ。それ末期だよ、末期! )
―――末期? 何が? おい、教えろ、モララー!
(自分で答え見つけてよ。すぐに人に頼ってたら成長しないよ? )
彼、モララーは表情を隠す為にマフラーを動かして口を隠した。
モララーの中には物心ついた頃には“ウララー”という別の人格が存在していた。「病気だろうか? 」と悩んだ頃もあったが、それとは少し違うらしい。モララーとウララーは入れ替わる事が出来た。どうしてそんな事が出来るのか不思議だが、モララーにとっては既にそんな事はどうでも良くなっていた。理由はどうあれ、自分の中にはウララーという人格が存在しているのだ、と結論とも呼べぬ結論を出したからだ。
―――あ
(何? 答え分かった? )
―――違う違う。ちょっと今通りかかった路地裏に行って
ウララーに言われるがままにモララーは路地裏に入った。
汚いダンボールが置いてあった。中に何かが居るのか、ガサガサと動いている。
(これ? )
―――ああ。とりあえず開けて
ダンボールをあけると方耳の無い傷だらけの猫がダンボールから顔を出した。
(猫だ。それにしても酷い傷だなぁ)
―――虐待、かな?
(うん。多分そうだと思う)
モララーは猫を抱き上げた。猫は“キィ”、と弱弱しく鳴いた。
―――死ぬな。このままほっといたら
(……)
―――どうする? ほっとくならあんまり関わらない方が良いと思うぞ? 愛着が付くと辛くなるだけだ
(……、いや、連れて帰る。一匹ぐらいなら僕でも多分面倒見れるだろうし)
―――…、お前らしいな
(え?そう? )
モララーは着ていたコートを脱いで猫を優しく包んだ。
「おいで。大した物は無いけど、きっと此処よりはマシだから」
モララーは優しく猫に語り掛け、猫を大事そうに抱きながら家路についた。
* * *
(……、今、ちょっと後悔してる事があるんだ…)
―――ん? 猫拾ったことか?
(違う)
―――家にまっすぐ帰ってきた事か?
(違う)
―――じゃあ―――
「違う! お前に猫は何を食べるか聞いた事だよ、馬鹿。コーヒーって何だよ、コーヒーって。殺すつもりだろ、お前」
「キイィ? 」
モララーの声に反応してか、猫がひょこひょこと歩いてモララーに擦り寄ってきた。その姿は相変わらず痛々しい傷は目立つが、先程よりはいくらかマシになっていて、首には赤いリボンが丁寧に結ばれていた。
―――それにしても、赤いリボンなんて少女趣味だな。以外以外
「元気になって良かったよ、でぃ」
「キイ」
“でぃ”という名前を与えられた猫は、まるで返事でもしているように鳴いた。
―――俺無視かよ
「それにしてもお腹一杯になっただけでこんなに元気になるなんて、何処かの誰かさんみたいだな」
「キイ? 」
―――おい、いくらなんでもそこまで無視しなくても…!
モララーはでぃを抱き上げ、ソファまで歩いていった。そこででぃをひとまず降ろし、“誰かさん”が散らかしたテーブルをある程度整理してから、その中から見つけたリモコンでテレビをつける。適当な番組を探し、でぃをまた抱き上げて一息ついてから、なるべく冷く、
(何? )
―――ちょ、何、何つーかさあ、あの、―――
(用無いなら呼ぶな。テレビ見たいし)
モララーはそれだけ言い放つとテレビに集中し始める。でぃはモララーの膝の上で気持ち良さそうに寝始める。
―――で、俺に何をしろと…
返答はもちろん無い。
―――モララー
(……)
―――モララー君
(……)
―――モララーさん
(……)
―――モララー様
(……)
―――偉大なるモララー様、どうか愚かな私の話を―――
(はいはい、分かった分かった。何? )
―――違う番組が見たい
(……)
モララーは渋々リモコンを手に取る。
ニュース番組からバラエティ番組に変え、すぐにニュース番組に戻した。
(見たよね。一瞬だけど。何なら別のニュース番組にでも変えますが、と)
―――…、お前絶対碌な大人にならないな
(残念だが、僕ももう大人だから)
クスクスとモララーは笑う。ウララーはやはり不満そうだった。
―――ぐれるよ?
(放置するよ? )
―――…、……よ?
(ん? )
―――乗っ取るぞ、お前の体ー!
「ッ!! 」
突然鋭い頭痛がモララーを襲う。膝の上でまだ寝ているでぃに気を使っているのか、なるべく動かないようにぎゅっと目を瞑って痛みに耐えている。
「だか…ら、ノリで…やるなって前か…言ってる……アアッ! 」
突然モララーの両耳に赤い線状の模様が浮き上がる。
「…、……」
「…、モララー、生きてますかー? 」
―――物凄く痛かったけど生きてますよ、この馬鹿!
瞑っていた目を明ける。そこに空のように青い眼は無かった。変わりに鮮やかな赤色をした眼があった。
―――たく、“入れ替わる”時、凄く頭痛いんだって何回言えば良いんだよ。なるべくしないでって言ってるじゃないか
(大丈夫。俺は痛くないし)
―――いや、お前はどうかって聞いてるんじゃなくて…
体の支配権が入れ替わる事を、彼らは“入れ替わり”と呼んでいる。入れ替わる時、どっちからどっちに移ってもモララーは頭痛がし、一方ウララーはピンピンしていた。
「さて、飲みますか」
―――え?
ウララーは慎重にでぃを抱き上げ、ソファの上に寝かせた。そして実に楽しそうに冷蔵庫へと向かった。モララーはウララーが何をするかだいたい検討がついたが、微かな希望を託し、
―――何するつもりだよ、ウララー
「もちろん、酒を飲む」
無意味だった。普通に考えれば別に大した事じゃないかもしれない。が、モララーにとっては大きな問題だった。彼の体は本当に酒に弱かった。飲んだ次の日は全く動けないのは確定的だった。
―――やめろ、本当にやめろ! 頼むから! ほら、でぃも居るし、またモナーとかギコに迷惑掛けちゃうし、それに、ってうわあぁああぁああぁああぁぁああぁっ!!!
手遅れになった。実際にそんな事は無いが、モララーは酷い寒気を感じた。
ギコは確かしぃちゃんとデートだったからモナーかな、ごめんモナー。と頭の中で友人に謝る事をモララーはひたすら続けた。
* * *
いつからだろう、モララーからの空メールは緊急事態を知らすメールになってしまったのは。
そんな事を考えながら、モナーはモララーの家へと急いでいた。
昨日降った雪は積もらなかったらしい。雪はアスファルトに染みになって残っている。しかし、それも明日には無くなってしまうのだろう。
「全く。ウララーは気儘モナ」
モナーは数少ないモララーの事を本当に理解している友人の一人だった。その為こういう困った時には良く呼ばれている。これは友人として頼りにされているという事なので、喜ばしい事だと彼は思うのだが、やはり今日みたいに寒い日は少し迷惑な気もする。
「まあ、仕方無い事だしなあ。モナもモララーにお世話になってるし」
それからもしばらく独り言を溢しながら歩いてゆくと、モララーの家の前に着いた。
ピンポーン
何処か間の抜けたチャイムを鳴らす。しばらくするとガタガタと物音がドアのすぐ向こうで鳴った。
「モララー、入るモナー」
モナーはゆっくりドアを開けた。驚いた。
別にモララーが玄関で死体の様に転がっているのに驚いた訳では無い。いつもの事だからだ。モナーが驚かせたのは、
「猫モナ! 可愛いモナー! 」
モナーはモララーの上にちょこんと座っていた猫―――でぃを抱き上げた。
「キィ」
「モナ!? もしかしてモナーを歓迎してくれてるモナ!? 」
モナーは実に自己中心的な解釈をした。そしてその後にでぃがまた鳴いてしまったのが災いした。調子にのったモナーは本来の目的を忘れてしまった。家に入ろうと一歩踏み出したとき、
「ぐへぇ」
モナーがモララーを踏みつけてしまったのは言うまでも無い。
「ごめん、本当にごめん。ごめん! 」
モナーは必死になってモララーに謝ったが、モララーから反応は無かった。
「ごめん…モナ…モララー」
モナーの鼻がグスッと音をたてた。流石にこれにはモララーも反応した。
「ごめん…ね…。もう二度とこんな事…こんな事しないモナ……だから、死なないで…、死なないでモララー! 」
またグスッと音がなる。先程より僅かだが、確実に音が大きくなっている。
これは不味い、と判断したモララーはだるい体を何とか持ち上げて声を発した。
「大丈夫…これぐら…、死ぬとしたら酔いだろうし…多分死なな…いし。それよりさあ、悪いんだけ…ど、ちょっと中まで運んでくれない…かな?」
それだけ言うと、なるべく楽になるようにと、モララーは力を抜いた。それも不味かった。
「モララァァァァ―――――――ッ! 死んじゃ駄目モナァァァァ―――――――ッ!!! 」
モナーの叫び声が静かな住宅街にこれでもか、というぐらいに響いた。
後にモララーは、近所に住んでいるAAに聞かれる事になる。「モララーさん誰かに殺されかけたりしたんですか? 」と。
―――あはははは! やっぱりモナーはボケボケだなあ!
「ちょ、ウララー! 」
「え? 何かウララーが変な事でも言ってるモナ? 」
「いや、違、…うへぇ」
先程モナーから薬を貰って多少楽になったが、まだだるい事には変わりなかった。
「ねぇ、本当に薬置いといちゃ駄目? 」
「駄目! またいつかみたいな事になったら、モナは、モナはぁ……」
先程のが影響しているのか、モナーの鼻がまたグスッと鳴った。
「あ、ごめ。別にそんな…」
―――あー、モララーがモナーを泣かしたー。
(うるさい! 元はといえばウララーの所為じゃないか! )
モララーがこんなに酒に弱いのに、薬が置いてないのには理由があった。
数年前、当たり前の様に薬は置いてあった。だが、今回の様に二日酔いで倒れたモララーが何を思ったか用量以上、正確に言えば置いてあった分全てを服用して、病状を悪化させた。それからモナー達に説得され、薬の変わりにモナー達が家に看病しにくる事になっていた。
「でさあ、あの子なんて名前モナ? 凄く可愛いモナ」
モナーはそう言ってでぃを指差す。
「ああ。でぃって言うんだ。昨日道端で拾ってきたんだ」
「あ、やっぱりそうだったんだ。やっぱり虐待でもされてたのかな? 」
自分の話をされているのが分かったのか何なのか、でぃはモララーに擦り寄ってくる。モララーはでぃを抱き上げて、
「さあ。でも凄く懐いてるんだよね。モナーも怖がってないみたいだし」
「んー…。不思議モナ」
「本当。何があったんだろ」
「でも、良かったモナ。でぃちゃんはきっと今幸せモナ! 」
「ハハッ。そうだと良いな」
二人が笑いあうのを見て、でぃは首を傾げるような動きをした。首のリボンが微かに揺れた。
* * *
何も無い、真っ白な空間。
傷だらけの少女が一人佇んでいた。
「良かった。良かったなあ。ごめんね。有難う」
彼女は心底安堵したような声で呟いた。そんなに大きな声では無いが、他の音が一切無かったので、とても大きく聞こえた。
「でも、時間は迫っている。確実に。もう彼らに時間は無い。もう、その兆しが……」
彼女はそれだけ言うと目を閉じ、耳を澄ませた。
彼女が聞くのは始まりの音と終わりの音。
名前の無かった筈の彼女は彼らに名前を呼ばれた。
彼女は答えようと小さく“鳴いた”。
* * *
「じゃあ、また明日。忘れたら承知しないモナ! 」
「分かった分かった。モナーこそ忘れないでよ」
「了解で御座いますですモナ」
「…不安だ」
「酷い! 絶対明日覚えててやるモナ! 」
フンッ、と少し荒く鼻息を吐いて、モナーは自宅へと帰っていった。
「あー、今日はなんか大変だったなあ…」
「キイィィ」
「ああ、そうだね。でぃが一番疲れたね」
モララーは優しくでぃを抱き上げた。
でぃの毛並みはモナーが滅茶苦茶に撫で回した所為でボサボサだった。
「でもあれがモナーなんだ。許してあげてね」
「キィ? 」
「ハハハ」
暫くして、でぃはモララーの腕の中で眠りに落ちた。
モララーはソファにでぃを寝かせてから冷蔵庫に向かった。
―――お、酒に挑戦するのか?
(違うよ、馬鹿)
モララーは迷うこと無く冷蔵庫から麦茶を取り出した。
―――真冬に麦茶ですか
(悪い? )
―――別に。俺は悪いとはまだ言ってな―――
(言うつもりだったんじゃないか…)
―――んー、そうかも
(かも? )
―――…、です
(宜しい)
モララーは麦茶を左手に持ち替え、右手でお惣菜を取り出す。モナーが買ってきた物だ。
―――コロッケだね
(うん)
―――モナーが好きなのは?
(コロッケ。一緒に食べるつもりだったのかな? )
―――とっとくの?
(いや、でぃをあんなにしたからこれぐらいは…)
―――でぃにやるのか?
(まさか)
モララーは鼻歌を歌いながらコロッケを電子レンジに入れて暖め始めた。
(この冷蔵庫は僕の物。だから中身も僕の物)
―――…、でぃ関係無くね?
(情をかける必要は無い、という感じで)
モララーは笑いながら皿やコップを用意する。
―――残酷
(そう? )
チン。
用意が終わった頃にタイミング良くコロッケが暖め終わったようだ。
(さて、食べようかな? )
―――俺のは?
(だから、冷蔵庫は僕の物、冷蔵庫の中身は僕の物)
―――言ってる意味が良く―――
(僕の物だから)
―――…、なあ、俺達って二人で一人みたいな物だよなあ?
(まさか)
―――え、ちょ、酷!
「アハハハハ」
コロッケを皿に移して、でぃが眠るソファへと向かう。向かいのテーブルに置いてある麦茶のすぐ隣に置き、
「さて。頂きます」
わざわざ声にまで出して言った。
「うはw美味しいwモナーはこういうの選ぶの得意だからなあ」
―――な、何わざわざそんなに美味そうに!
「アハハハハ」
―――おーいー!
この時二人は気づいていなかった。モララーのコロッケを狙っているのはウララーだけでは無かった事に。
モララーが麦茶を飲もうと、コロッケから目を離した瞬間だった。
太ももに何かが乗る感触。すぐにそれは消え失せて、テーブルがガタリと鳴った。
「ッ!? え?」
―――おー!
でぃが実に美味しそうにコロッケを頬張っていた。
「ちょっと、でぃ、でぃ! 」
「キィィィィィィィィィイ! 」
モララーがテーブルからでぃを離そうと必死になったぐいぐい引っ張ったが、でぃは食べ終わるまだ必死に粘った。
「あー、そういえば、今日、朝しかご飯あげてなかったなあ…」
空になった皿を寂しそうに眺めながらモララーは言葉を溢した。
―――よしよし。でぃ、良くやったぞ!
でぃは誇らしげにキィと鳴いた。
* * *
さく、さく、さく。
雪を踏みしめながらモララーは思う。
(何で僕が外出する日は雪が降ってるんだよ! もしかして、モナーはこれ知ってて約束した!? )
ありえないと知りながらも、モララーはモナーを疑った。
昨日の夜から降ったのと、妙に量が多いのが理由でもう積もっていた雪を軽く蹴る。
―――まあまあ。綺麗なんでしょ? 好きなんでしょ?
(…、お前、いつまでそれ引き摺ってるんだよ…)
―――まあまあまあまあ。美しいですねぇ、雪は。邪魔なんてありえないねぇ
(五月蝿い)
さく、さく、さく。
雪が止む気配は無い。むしろ量はどんどん増えていっていた。
モララーはため息を溢しながら胸の辺りにある妙なでっぱりをコート越しに撫でた。
(こんな日に、しかもこんなふうに外出なんて、絶対間違ってるよね)
―――だから?
(ウララーなんか一晩外に居て凍死でもなんでもしちゃえ)
―――おーおー、何時に無く不機嫌ですな、モラ坊ちゃん。それにそれは自分も死ぬという事ですよ?
(お前は何時に無く楽しそうだな。しかも喧しい)
―――何時に無く言葉に棘があると思うのですが、と
(はいはい。悪かった悪かった。何しろ僕は天気如きで機嫌を損ねるような愚者ですから)
―――……、怖い。俺今日は何もしてないのに…
(いっつも散々してるじゃないか…! )
―――なあ、真面目にさあ、なんつーか、怖いよ、お前。よ、極悪人、って感じ。それ、俺に向けるのはまだ良いよ? 嫌だけど。でも、それ、でぃとかモナーとかに向けるつもりか?
「……! 」
モララーは言葉を失った。
小走りに適当なショーウィンドウを探して、そこに移る自分の顔を眺めた。けれどすぐに顔を背けた。
(……)
―――どうよ?
(…ごめん。確かに…)
―――んー。それより頭に雪積もってるよ。
「うふぇ!? 」
勢い良く顔をまたショーウィンドウに向ける。
その勢いで頭に積もった雪が“でっぱり”の所為で開いたコートに落ちていった。
「うひやあぁぁぁぁぁああぁぁああぁぁああぁ!!! 」
「キイィィイイィィイイィィィイィィイ!!! 」
叫び声が二つ重なった。
―――顔凄い、顔凄いw
「笑い事じゃない! 冷たい!冷たい!うあ、でぃ動くな!」
「キイィィイイィィイイィィィイィィイィィイィィイィィイィィィイイ!!! 」
「ちょ、やめ、ヴああぁぁぁぁぁぁあぁぁあ!!! 引っ掻くなあっ! 」
―――ハハハハハ!
「ウーラーラーッ! 」
―――ハハハハハハハハハ!!
「遅いモナ! 」
モナーが時刻を確認する為に開いた携帯を、わざと音を発するように勢い良く畳んだ。
「仕方無いよ。でぃちゃんも連れてくるように、って言ったんでしょ? 」
「それにまだ二日酔いが残ってるかもしれねーしな」
「ギコ、しぃちゃん…、でも…」
モナーは不満そうに声を漏らす。
ギコとしぃもモララーの“理解者”だった。
「ああ、遅い遅い! 寒いモナッ! 」
「フフフ。モナー君、寒がりだったんだっけ。だからこんなに遅い遅い、言ってるの? 」
「ああぁぁぁ、寒いモナあぁぁぁ! 」
「そんなに言うなら、こんな所で待ち合わせしなきゃ良いだろうが。それにこれぐらい、男だったらどうって事ねぇだろ! ゴルァ! 」
しぃが視線をモナーからギコに向ける。
「あら? そうなの? じゃあギコ君も人の事言えないんじゃないの? 」
「な、なんでだよ! 」
「カイロ十個」
「なっ……! 」
ギコの顔がみるみる赤くなっていった。
「えー、十個モナ? モナでも八個なのに…」
「なっ、あっ、八個も十個も大差ねぇだろ! それに何でカイロつけてる事知ってんだよ! 」
「アハハハハ! 十個、十個! 」
「もう、ギコ君ったらー。フフフ」
「ッ! るせえぇぇぇ! 黙れ! ゴォルアァァァァァ!!! 」
「うひやあぁぁぁぁぁああぁぁああぁぁああぁ!!! 」
「キイィィイイィィイイィィィイィィイ!!! 」
変な叫び声が重なった。
三人は一斉に声のした方を向いた。
「……モララー? 」
「何してるのかしら? 」
「何って…、悶えてる」
「プッ」
三人は同時に笑い出した。
「何やって…アレ…! ああ、可笑しいモナ! 」
「フフフフ。皆何やってるのよおっ! 」
「ギコハハハ! 俺よりもひでぇ奴が居た! 」
「あ、自分が変だって認めたモナ」
「本当だ」
「っ! るせぇ! 」
「笑い事じゃない! 冷たい!冷たい!うあ、でぃ動くな!」
「キイィィイイィィイイィィィイィィイィィイィィイィィイィィィイイ!!! 」
「ちょ、やめ、ヴああぁぁぁぁぁぁあぁぁあ!!! 引っ掻くなあっ! 」
「アハハハハハハ」
「フフフフフフフ」
「ギコハハハハハ」
「ウーラーラーッ! 」
しかし、次の瞬間には、笑えなくなる。
モララーが雪に吸い込まれる様に倒れた。
「アハハハ…え? 」
「モララー…君…? 」
「―――ッ! 行くぞ、しぃ、モナー! 」
ギコとしぃとモナーの腕を掴んでモララーの元へと急いだ。
―――おい、どうしたんだよ、モララー!
(……)
モララーからの返事は無かった。
「キイィィィ? 」
―――モララー! お前、冗談抜きに死ぬぞ! おい、立て! モララー!
ウララーがいくら叫べどモララーからの返事は無かった。
これが自身の所為だという事をウララーはまだ知らなかった。
* * *
移ろう世界はいつも黒。
覚める世界はいつも白。
でも、私は何処に移ろい、何処に覚める?
「一人は寂しいよ」
呟いてみる。
「誰か此処に来て」
叫んでみる。
「でも、やっぱり良いや」
溢してみる。
「此処に存在するのは、私だけで十分。だから私は導く」
―――でぃ…、でぃ……―――
温もり、思い出す。
涙、零れた、一滴。
―――この温もりは失いたく無い。だから私は導く。きっと、そうなんだ。あの温もりも…、きっと―――
* * *
「えっと、有難う。きっとモララーも感謝してる」
モララーの代わりにウララーが述べた。
其処はモララーが倒れた現場から一番近かったしぃの家だった。
モララーに何度呼びかけても反応が無かったので、とりあえず一番近かったしぃの家に連れてきたらしい。
彼女は両親と暮らしているので、彼女の部屋だった。
「でも、普通は病院に連れてくもんじゃねぇのか? 」
「助けて貰ってなんだ、その口の利き方は。ゴルァ! 」
「まあまあ。ギコ君、落ち着いて…」
「此処まで出来ただけでもモナ達にしては上出来って思ってほしいモナ」
「“モナ達”って何だよ! “モナ”だけだろ! 」
「ギコ君…」
「そんな事無いモナ。モナやしぃちゃんの意見聞かずにモララーを負ぶって走ったのはギコモナ! 」
「何もしなかったお前が何を! 」
「ギコ君! モナー君も! あ、ウララー君、モララー君はどう? 」
しぃはギコとモナーの気を逸らそうとウララーに話を振るが、ウララーはどうって言われても、とボソッと呟いただけで、何の意味も成さなかった。
「モーナーたーちーモーナー! 」
「何だ、その言い方は! 馬鹿にしてんのか? ゴルァ! 」
「伸ばさなけりゃ良いモナね。モナ達モナ! 」
「違う! この阿呆モナ! 」
「モナ!? 馬鹿ギコ! 」
「俺は馬鹿じゃねぇっ! 」
「キィ? 」
突然でぃが二人の間に飛び出してくる。
「あ、でぃちゃん! 可愛いモナ! 」
「だから俺は馬鹿じゃ…はい? 」
「可愛いモナー! 」
「……。しぃ、俺って一体何だ? 」
答えようの無いしぃはギコに苦笑いを見せた。
「あー、モララー起きた」
「え? 」
「ん? 」
「モナ? 」
ウララーがまるで先程の事を気にしたような声色じゃなかったので、三人も案外普段通りのトーンの声を出した。
「とりあえず今俺が体使ってるよ。これはしゃーないだろ? 」
―――んー…、今回だけ…ね
「で、どうした? 体には問題無いぞ? 俺が知らない間に心が病んだか? 」
―――まさか…。何か…良く分からない…けど、眩暈が、して…
「体が悪い訳でも無いのに眩暈がしたんだったとさ」
ウララーはモララーの言葉をそのまま三人に伝えた。
「はあ? 何だそれ? 」
「んー、何だろう…? 」
「でぃちゃん可愛いモナー! 」
「お前、何時まで言ってるんだよ…」
「やっぱりお前、変みたいだぞ? どーすんの? 」
―――いや、そんな事…聞かれても…
「そんな事聞かれても、って」
やはりそのまま伝えた。
その後すぐにいつの間にか一人陣取ったしぃのベッドから立ち上がる。
モナーに抱き付かれているでぃを簡単に奪い取ると、ドアノブに手をかけた。
「じゃあ、帰るわ」
「はあ? 帰るってまだ何も解決してねぇじゃねーか! 」
「せめてでぃちゃんは…! 」
「だからしつこいって…」
「あー、でも、それが良いのかも」
「なんで! 」
ギコに詰め寄られて、しぃは動揺したが、なんとか答える。
「だって、あの、自分の家に居た方が落ち着くかな、って。一人で居たい時もあるだろうし、えっと…」
「ごめん。もう良い、分かった。それより、ちょっと言い過ぎた。悪かった」
「あ…うん。大丈夫」
「…、帰るよ? 」
「分かった」
「うん」
「でぃちゃんは―――」
ボカン。
ギコは遠慮無くモナーの後頭部を殴った。
「じゃあ、何かあったら遠慮無く連絡しろよ」
「んー。だってさ、モララー」
少し滅茶苦茶な返事をしてウララーはしぃの部屋を出て行った。
「…とは言ったものの、大丈夫かなあ…? 」
不安そうなしぃを元気付けるようにギコは笑った。
「大丈夫だよ、きっと。あいつらはいつだって一人じゃねぇんだ! それよりも…」
ギコが床に伏っしているモナーを指差す。
「このでぃフェチをどうするか…だ」
* * *
ウララーは家に帰ってからすぐに冷蔵庫に向かって、何かを取り出す。珍しい事にそれは酒類じゃなく麦茶だった。
―――…、なんかごめんね。ウララー
(別に体調悪くなるのは仕方無い事じゃねえか。気にするなよ)
―――んー
ウララーはコートの中ゴソゴソと動くでぃを床に降ろしてから麦茶を飲み始める。
(真冬に麦茶も捨てたもんじゃないかも)
―――そう?
(そう? って一番最初に飲んでたのはモララーじゃねえか)
―――うん。そうだね
ウララーは麦茶をコップ一杯飲み干すと、玄関まで戻り少し古ぼけた箪笥を開けて漁る。その音に誘われてかでぃもやってきた。
「キイィィ」
「分かった分かった。ちょっと待ってろ」
一分弱漁り続けてやっと目当ての物をウララーは見つけた。でぃの餌だった。
リビングに行き、餌を入れる容器を見つける。その中に缶詰になっている餌の蓋を開けて容器に移す。
「さあ、食…おい」
でぃはウララーの事など無視をして、容器に餌が移された次の瞬間には容器に飛びついていた。
「まあ…良いけど…、寂しい」
時計の短針が十を、長針が六を指した頃だった。
テレビの中では若手芸人がぎゃあぎゃあ騒ぎながら馬鹿らしい事をしていた。
いつもならケタケタ楽しそうに笑っているウララーは、笑い声の代わりに妙に落ち着いた声で、
「…、寝るか」
―――え?
流石にこれにはモララーも声を上げた。
―――下手すりゃ寝ないウララーがこんな時間に寝るって?
(寝るよ)
―――小学生でもこんな時間に寝る子は少ないと思うけど? 寝るの?
(寝る)
―――ちょ、大丈夫? 熱でもあるんじゃ―――
「寝る! 」
モララーがぴたりと停止した、様にウララーは思えた。
(やっぱり心配だよ、お前が)
―――……、ウララー…
「よし! 明日の朝には体返すから」
ウララーはテレビの電源を消すと、鼻歌交じりに寝室へと向かった。
* * *
「何処に居るの? あたし」
でぃは真っ白な空間の中に居た。
「結構…、早かったわね」
傷だらけの少女が空間から浮かびあがる。
「まあね。でもあたしとしては遅かったわ。餓死する前にあんたに馬鹿みたいにペコペコ頭下げて餌でも恵んでもらう事になると思ってた」
でぃは挑戦的な笑みを浮かべる。
少女は悲しそうに俯いた。
「ごめんなさい。私は駄目なの。どうしても、タカラさんを…」
「まあ良いわ。こんな所に馬鹿みたいに引きこもってるのよりマシだったし、モララーさんとウララーさんが助けてくれたし。それよりも―――」
「分かってる。きっと私はどちらか片方しか救えない。だから―――」
「そう。あたしにどっちか選べっていうのね」
でぃは明後日の方向を見つめる。
フワリ。
赤いリボンが揺れる。
鋭い表情を携えて、でぃをまた少女を睨んだ。
「ふざけないでよ! あたしはあんたじゃない! あたしにとっては二人とも掛け替えの無い人! どっちか選べなんて無理よ! 」
「でも―――」
「なら、あたしを殺してよ! 私を犠牲にして頂戴! そしたら救えるんでしょ? 」
少女の目から涙が溢れた。
それでもでぃは態度を変えない。
「ごめんなさい…、ごめんなさい…」
「とにかく、あたしは嫌だから。あんたと同じになるつもりは無い。あんた片方じゃなくて、両方失ってるし」
でぃは嘲笑しながら少女に背を向けた。
少女の泣き声がでぃの耳に入ったが、気にする素振りも見せずに今の“居場所”へと戻っていった。
* * *
それは彼女が一つだった頃。
暗い路地裏、しゃがみ込む、冷たいアスファルト。
差し伸べられた手、温かさ、始まり。
与えられた名前、居場所、世界。
彼女は変わっていた。心が読めたし何かを操る事も出来た。だから忌み嫌われ、避けずまれ、虐げられ、捨てられた。
また彼も変わっていた。一つの体に宿る二つの心。理解される事などない。彼も理解されず、罵られ、笑われ、裏切られた。
彼女も彼も悪気は無かった。悪い事を何もしていない。けれどそうなった。
それでも生きていた。
お互い喪失した物があったからか、いつしか救われた者、救った者から恋人へと。
二人は幸せだった。
けれどそれは簡単に壊れてしまった。
彼の体には二つの心が宿っている。
体が耐えられる筈無かった。
彼女は彼を救いたかった。
だから彼女は彼を救った。
…彼女が恋をした方の彼だけを。
彼女は悲しかった。
もう片方の彼も大切な存在だった。
けれど彼はもっと悲しかった。
自分の半分を失ってしまった。
彼は悲しんだ。苦しんだ。嘆いた。
それは大きすぎてとても彼の手では収まりきらないものだった。
けれど彼は笑った。
彼女に有難う、と言った。
それでも“それ”はまだ彼の中に残っていた。どんどん大きく膨れ上がっていった。
そして運命の日が来る。
横断歩道、赤信号、繋いだ手。
彼の手、彼女の手、離れた。
車道、吸い込まれる、自ら進む。
手を伸ばす、届かない、叫ぶ。
「タカラァ―――――――ッ! 」
届かない、声、どんどん遠くなる。
まだ行き交う車、相変わらずの赤信号、聞こえた言葉。
「同じ所…行けるかな? 」
何かがぶつかる音、倒れる彼、広がるアカ。
「いやあぁぁぁあぁぁああぁああぁぁあっ! 」
彼はその日死んだ。
突発的な自殺だった。
「仕方無い…仕方無かったんだよね…? 」
―――何が仕方無い、だ。お前が殺したんだ
声が彼女を責めた。
それは自分の声で、犠牲になった彼の声で、自殺した彼の声だった。
彼女は生と死の狭間にただ白いだけの世界を作った。
そして其処に閉じこもった。何年も。
しかし彼女は知ってしまっていた。
人肌の温かさ、愛する事、愛される事…。
だから彼女はもう一つ、自分を作った。
自分に似ていて似ていない自分を、彼女は生の世界に送った。
そして―――、
「おいで。大した物は無いけど、きっと此処よりはマシだから」
* * *
気が付けば白い空間に浮かんでいた。
ウララーはしばらく呆けた顔で周りを眺めていたが、やがて立ち上がって歩き出す。
もちろん過去に此処に来た事がある訳では無いし、行く宛てがある訳でも無い。
ただ導かれる様に歩いていた。
しばらくすると、視界に一人の傷だらけの少女が入った。
何となく少女に近づく。不思議と警戒しなくて済んだ。
「……、でぃ? 」
あまりにその姿が似ていた。だから違うと分かっていながらも溢した。
「そう。でも私は貴方達が知っている“でぃ”では無い」
少女とウララーの目が合う。少女の頬には涙が流れた跡があった。
「私は導く者、そして奪い、失う者」
訳が分からない、筈だった。
なのにウララーには何となくそれの意味する事が分かった。
そして、少女が自分に何を告げようとしているかも。
「モララーの事か? 」
少女は何も言わずに首を縦に振った。
少し躊躇った後に口を開く。
「聞いたら後悔するかもしれない。それでも聞く? 」
ウララーは即答する。
「聞く」
「そう…。分かったわ。貴方がそう言うなら。まず貴方達が普通とは変わっている事は分かっているわよね」
「んー…、一つの体にモララーと俺が存在している事か? 」
「そう。じゃあ入れ替わる時、モララーさんが頭痛に襲われた理由は? 」
「分からない」
「そう…」
彼女はそれ切り黙り込んでしまう。
しかしウララーは粘り強く彼女が話し出すのを待った。
そして、
「はっきり言わせて貰うわ。このままだと、きっとウララーさんもモララーさんも…、死ぬ。救う事は出来る。でも、片方だけ」
少女はそれだけ何とか告げると、顔を伏せてしまった。
途切れ途切れに押し殺した嗚咽の音が聞こえる。
ウララーは…、驚いた事に冷静だった。
自分でも何故こんなにも平常心を保って居られるのか分からなかった。
「どうにかして、救う事は出来ないかな? 」
「ウララーさんを、ですか? 」
彼が迷う必要は無かった。
「何言ってるんだよ。アイツを、だ」
少女は驚いて涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
ウララーは少し悲しそうに笑っていた。
彼は泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でた。
「もしも俺にモララーを救う方法があるなら、教えてくれないか? 」
少女は嗚咽に邪魔されながらもなんとか答える。
「ある…。方法は、ある。…一つの体に二つ…心がある事が駄目…なの…ふた…んになるから…。だから…ウララーさ…が、消滅…すれば…」
「そうか。有難う」
ウララーは少し涙目で、それでも笑った。
「でも、一日だけ、待ってくれ無いか? 消滅するとなると、やらないといけない事があるんだ」
* * *
「あー、自分が嫌だ。情けない…」
ベッドの上から窓の外を眺める。
陽はもう傾いていた。
「うん、大丈夫。いや、だからそれは…」
昨日の事を心配して三人の内ギコが代表して何回も電話をしていたらしい。
“本当は大丈夫じゃないんだろ。病院にでも行ってたのか? ”
「いや、あ、それは…」
今まで寝てました、と言える筈も無く、モララーは言葉を濁して答える。
(ウララーどうしよう)
―――正直に言ってやれば?
(情けなくて言えないよ! )
―――じゃあ、んー…、死にかけてました
「ふざけるなっ! 」
モララーは慌てて口を手で塞いだが、そんな事でその言葉が無効になるなんて事は無い。
“…何か俺、変な事言ったか? ”
「あ、違。あの、ウララー」
“ああ。ウララーか。で、どうなんだよ、何で連絡よこさなかった? ”
「えっと、それは―――ったあっ! 」
また頭痛がモララーを襲う。
「ウラ、ラー…痛! ああっ、あぁあぁぁ! 」
頭痛は前よりも酷くなっているらしい。
ウララーは記憶を辿る。子供の頃はやはりモララーは頭痛で悩まされていなかった、とそれは物語る。
「はい、代わりました。ウララーです」
“…ん? あ、ウララーか”
「モララーはさっきまで実に幸せそうに寝てましたとさ。以上」
ギコの返事も聞かずに電話を切る。
―――次から会わせる顔が無いんですけど…
「大丈夫だ。俺がなんとかしといてやる」
ウララーは笑った。何もしらないように。
* * *
「あたしを…犠牲にするんじゃ無かったの!? 」
でぃは傷だらけの少女を物凄い形相で睨んだ。
少女は下を向いていて表情が読めない。
「また同じ事を繰り返すの? 嫌だったんじゃないの? 」
「でも…私には……」
「あんたのその行動でとれだけの人が傷つくか分かってる? 」
少女は伏せていた顔をやっと上げる。
自分の行動の所為でどれだけの人が傷つくかは少女自身が良く知っていた。
「私…気付いたの。変わらなくちゃ…、私、変わらなくちゃいけない」
最初はか細かった声も段々力を持ってくる。
「ウララーさんに触れて気付いたの。私は誰かを傷つけずに何かをする事が出来ない。でもしなきゃいけない事があって、それをなるべく人を傷つけないように、その時の全力を傾けてやらなきゃいけないんだって」
少女は何とかでぃと目を合わせる。
少女はどんなでぃの言葉も受け止めるつもりのようだ。
でぃが返した言葉は少女が予想もしていない言葉だった。
「なんだ。やれば出来るじゃない」
「へ? 」
「やっと自分に自身持てるようになったのね。いや、まだみたいだけどある程度は。やっとあたし、あんたの分身って事に自信持てるのね。あー、良かった良かった」
でぃは満足そうに頷いて、二人が居る場所に帰ろうとする。
「ま、待って! 」
「ん? 何? 」
「あ、あの…」
「大丈夫よ。分かってたの。片方しか救えない事。あんたの事考えないで両方なんて言ってただけ」
でぃは寂しそうに微笑んで、
「だから、片方はちゃんと救ってよね。そうしないと、あたし、あんたを許さないから」
「でぃ…」
「ちょっと、あたしの事、ただ単にでぃって呼んだら、どっちか分からなくなるじゃない。偶然なのか運命なのか知らないけど、あたし達は同じでぃの名前を持ってて、でも全く違うでぃなんだから」
でぃの微笑みに、少女の決意は固まった。
* * *
身体に掛かっていた負担は、一回爆発するともう延々と流れ続けるのだろうか。
夕方に起きたというのに、十二時頃にはモララーはもう寝ていた。
寝ている間にウララーは最後の入れ替わりを使って最後の使命を果たす。
“もしもし、ギコだ、ゴルァ! ”
電話を掛けるとギコはすぐに出た。
「俺俺。ウララーだ」
“俺俺、って、俺俺詐欺かよ。こんな真夜中に何の様だ? ”
「伝えなきゃいけない事があるんだ。モナーとしぃにも伝えて欲しい」
ウララーの珍しく真面目な態度に驚いたのか、返事に少し間が入った。
“何だ? ”
「昨日、モララーが倒れた理由が分かった。俺の所為だった」
“……、ハァ? ”
「入れ替わりにはやっぱり犠牲が必要だったみたいで、その負担が爆発した結果らしい。で、此の侭だと死ぬと」
“…し、死ぬ? 死ぬってあの、逝ってよし! の死ぬか? ”
「その例え、妙だな。ああ、それだ。で、救うには、俺が消滅しないとならないらしい」
“しょ、消滅? 消滅ってあの、逝って(ry”
「消滅と逝ってよし! は違う気もするけど、まあ」
“お前、犠牲になるつもりか? ”
「言い方悪いよ。まあそうだけど」
“それでアイツが喜ぶと思うか? ”
「知らねえ。でも此の侭だと両方死ぬらしいし、俺はやりたいんだ。今まで俺はあいつに滅茶苦茶世話になってきた。でも俺はあいつの為に何も出来なかった。最後にこれぐらい、してやりたいんだ」
“分かった。お前の気持ちは。でも、俺は泣く。お前を後悔させるぐらい泣くぞ。きっと他の奴らもそうだ”
ギコはもう泣いているのか涙声だった。
「何言いたいのか分かんねぇよ」
“なあ、お前の本当の気持ち、聞かせてくれないか? ”
「…、死にたくねぇ。もっと生きていたい。もっと此の侭過ごしていたい」
ウララーも涙目になっている。それを振り払うように、乱暴に電話を切った。
ベッドの中に戻って入れ替わる。
何もしらないモララーは心地良さそうに眠っていた。
ウララーは白い空間に向かう。
少女を見つけると、なんの躊躇いも無く少女の方へと走っていった。
「するのね」
「するさ」
ウララーは微笑む。
「なあ、人間楽しい事と悲しい事を全部足していくと、同じ数値になるって本当かな? 」
「さあ。私は知らないわ。でも貴方が思うのなら、そうなのかも知れない」
「そっか。だとしたらこの結末が一番良いのかもな。俺は勝ち逃げ、あいつは俺というお荷物を降ろして幸せになってくって」
少女は何も言わなでウララーの手を握る。
握った手が光る。そして何かが抜けていく感覚。
ウララーには何が起こっているのか何となく分かった。
最後に口を開く。
「ああ、死にたくないな、やっぱり。皆、大好きだ。有難う。さようなら―――」
そう言い残すとウララーは消えてなくなった。
少女は繋がれていた手を胸に当てて、涙をまた一滴流した。
* * *
モナーとしぃ、手を強く握って歩く。
周りからみたら普通のカップルにでも見えるのだろう。けれど本当は違った。
「大丈夫…よね…」
「きっと大丈夫モナ…」
お互い元気付ける。
二人の目的地は―――
「着いたモナ…」
「大丈夫よね、ギコ君も、後から来るって言ってたし」
「うん、きっと…モララーは、モララーは…」
モララーの家だった。
モナーが震える手でドアノブを握り、開け放す。
「モララー…、お邪魔します…モナ」
「モララー君…居る…? 」
手を握ったまま廊下をゆっくり歩く。
明かりが点いている部屋を見つけると、先程よりも慎重に開けた。
モララーは掃除機を掛けていた。
しばらく二人に気付かずに一人黙々と掃除していたが、気付くと掃除機の電源を切って、
「ちょっと、困るよ。連絡も無しに突然来られると。お茶どころか掃除すらまともにやってないよ? 」
予想外の反応に二人はたじろぐ。
「とりあえず掃除終わるまで其処で待っててくれる? 」
モララーはでぃが寝ているソファを指差す。
「あっ、えっと…お構いなく…」
しぃが代表して返事をして、二人はそそくさとソファに座る。
モララーは相変わらず鼻歌交じりに掃除機を掛けている。
「もしかして、気付いてないのかな? 」
「それはそれでやだなあ。やっぱりモナが言わないといけなくなるだろうし…」
二人の小さな話し声は掃除機の音でモララーには伝わらなかった。
しかしでぃは不安そうな顔をして二人を見上げた。誰も気付かなかったが。
あれから十数分。掃除が終わったらしい。
麦茶とコップ三つ、適当なお菓子を器用に持って二人の向かい側の一人用のソファに座った。
また鼻歌交じりにコップに麦茶を注ぎ、二人に出した。
「ごめんね。遅くなって。で、何? 」
ビクッと二人は反応する。
「何って、あの…その…モナァ…」
「モ、モララー君、調子、どう? 」
言葉がブツブツに切れていたが、彼は気にする素振りも見せずに答える。
「あー、昨日はだるかったけど、今日はもう快調。もう気味悪いぐらい」
可笑しそうにモララーは笑う。
二人も合わせて笑うがどうもぎこちなかった。
「…、でもね、何か変なんだよね」
二人の顔が強張る。
しかしモララーは相変わらず笑っている。
「何が変なのかって、朝から考えてたんだ。気付いたよ。本当は最初から知ってて、気付かない振りしてただけなのかもしれないけど」
悪意も何も感じ取れない笑いが逆に不気味だった。
「ねぇ、もしかして二人はこの事で此処に来たんでしょ? 」
突然モララーが立ち上がる。
顔にはやはり不気味な笑いが張り付いている。
「ウララー、どうしたのか知ってる? 」
しぃはぎゅっとでぃを抱きしめる。
モナーも膝の上で手を握る。
「知ってるんでしょ? 何、僕に言えないような事なの? 」
不気味な笑いは崩れない。
しぃの瞳からはもう涙が溢れかけていた。
それを横目に見ていたモナーは意を決してその質問の答えを口にした。
「消滅…したらしいモナ。モナも詳しい事はしらないけど、此の侭だとモララーもウララーも死んじゃうらしくて、でも片方消滅すれば逃れられたらしくて、それで、その事を知った、ウララーは…、ウララー…は……」
「…、つまりウララーは僕の為に死んだんだね? 」
妙に明るかったその声に、二人は顔を上げる。
モララーは泣き崩れる所か、まだニコニコと笑っていた。
「そっか。そうだったんだ。ウララーらしい最後だね。あいつ、何だかんだいって、こういう時にはすぐに犠牲になりたがるんだよね。まあ、それがウララーらしさの一つなんだろうけど」
モララーは二人を無視して台所の方へとゆっくり歩いて行く。
その後姿はいつもの彼と何ら変わり無かった。
「後、ウララーはいっつも僕が困った時に助けてくれた。慰めてくれたりもしたんだ。道を踏み外しそうになったら、ちゃんとした道に導いてもくれた」
崩れるように座り込む。
「ウラ…ラぁ…」
痛いぐらいのか細い声。
でも彼はそれを振り払い、すぐに立ち上がって二人に顔を向けた。
相変わらずの笑み。右手には座り込んだ時に取り出したであろう包丁。
包丁の切っ先を自分の首に向ける。
「死んでやる。きっとウララーが来る、だから…、死んでやる」
モララーがそう言い終わると、突然モナーはケタケタと笑い出した。
モララーが理解したかは分からないが、しぃには分かった。彼は無理矢理笑っている。
「ちょ、ちょっとモララー、どんな冗談モナ? それ。凄い、なんか体張った冗談? テレビに出てる人でもそんなのやらないし、凄いモナ! ハハハハ―――」
「冗談? ウララーが死んだのが冗談なら、これも冗談になるんだろうね。でも、ウララーは死んじゃったんでしょ? 僕の所為で」
「違う…、違うわ! それは―――」
「五月蝿いよ、しぃちゃん」
モララーの棘のある言葉にしぃは黙り込んでしまう。
モナーはなんとかモララーから視線を外さずに立っていた。
「本気モナ…? どうして…。痛いよ、きっと、死ぬのは。それでも…」
「痛いだろうね。本来動く物を無理矢理止めるんだから。でもウララーはそれをやってのけたよ? 」
「ウララーは…、モララーの為に、その痛みも―――」
「なら、僕だって耐えれるよ? 耐えてみせるさ」
異常な程に自信に満ちた声だった。
モナーは何とかしようと必死になって言葉を探る。
「そ、それにさ、モララー死んでも、ウララーはきっと帰ってこないモナよ? 」
「それでも義務はある。僕の所為でウララーは死んだ、つまり僕がウララーを殺したんだ。だからそれに相当する罪を償う必要が僕にはある。ウララーが帰ってきたら僕の罪は無い。でも帰ってこないんだろ? 死んだんだから。だから、僕は…、死ぬ」
「それは大層矛盾だらけの平等な罪だ事で」
三人は一斉に声の主の方を向く。
ギコだった。
走ってきたのだろうか、息の音が微かに聞こえた。
「死ぬんならさっさと死ねば良いじゃねぇか」
「ギッ、ギコ!? 何言ってるモ―――」
「ほら、死ぬんだろ? 其の侭突き刺せば死ねると思うぜ」
ギコは表情を変えずに一歩ずつモララーに近づく。
モララーは笑みを崩しながら後退りするが、すぐに壁にぶつかった。
モララーの傍まで来ると、ギコはゆっくりとしゃがむ。
ギコは息が掛かるほど顔を近づけて無理矢理彼と目を合わせた。
「じゃ、邪魔しないで…くれるッ!? 」
明らかに動揺している声。
しぃとモナーも二人の許に行こうとしたが、行けなかった。
いつもの穏やかな生活とは全く違う場面に遭遇した所為だろうか。足が竦んで動かない。
「ほら、やるなら、やれ。俺に返り血が付く事は気にしなくて良い」
ギコの言葉にモララーは黙る。
いつの間にかギコの息は落ち着きを取り戻し、逆にモララーが焦っているのか、息が荒くなっていた。
「やれよ」
「っ!! あぁっ、あ、うわあぁぁあぁぁあぁああぁぁああぁぁあぁぁあっ!!! 」
突然モララーが持っていた包丁を振り回す。
ギコはその行為に驚きながらも何とか対応した。
「き、きゃあぁぁああぁぁぁぁあぁぁ! 」
しぃが叫ぶ。
いつの間にかギコの頬には血が滲んでいた。
「ギコ、危ないモナ! ギコ、ギコッ! 」
モナーが震える腕で何とか這って進もうとした、が、
「うるせぇ! 黙ってろ! 危ねぇのはモララーだ! それよりさっさとしぃを落ち着かせて来い! 」
ギコの言葉でやっと気付いたモナーはしぃの方へ振り返る。
首をブルブルと左右に振って、でぃを抱きしめながら泣いていた。
彼は彼女を抱きかかえながら廊下へと出て行った。
「あぁぁああぁっぁああぁぁぁあ、あぁぁあああぁぁあぁぁぁああっぁぁ!!! 」
「畜生!いい加減にしろ、ゴルアァァァァァァアアァァァアァァァッ!!! 」
ギコは叫びと共に素早く左手でモララーの腕を、右手で包丁の柄を掴んで放した。
何とか包丁が彼の右手の中に納まる。
勢いで両脚と左腕を駆使してモララーの四肢の自由を奪った。
それと同時に叫び声が止む。
二人分の荒い息だけが部屋を支配する。
モララーの顔に浮かんでいたのは明らかに恐怖だった。
それでもギコは怯まずに包丁を彼の首に突きつけた。
「お前、自分で、出来ない、なら、俺が、やってやる」
途切れ途切れの言葉。
モララーはギコを見上げるだけだった。
ギコは包丁の切っ先をゆっくりモララーに近づける。
彼は体を震わしながら、強く目を瞑った。
「……」
「……」
「…、何だよ。やっぱり無理してたんじゃねぇか」
呆れた様な顔を携えて、ギコはゆっくり立ち上がる。
包丁を台所に仕舞ってやっと頬に付いた血を拭った。
モララーは下を向いていた。ギコには表情を直接見る事は出来なかったが、時間が経つ程広がる二つの服の染みで、だいたいどんな表情をしているかは分かった。
「ウララーはお前を救った。自分の命を犠牲にして。ウララーが言ってた。生きたい生きたい、って。それでも救ったんだ。それほどウララーはお前に生きて欲しかった。どれだけ自分が思われてたか、分かるか? 」
反応は無かった。
それでもギコは構わなかった。
「やはりお前には罪を償う必要があると俺は思う。でも死ぬのは償う事にはならない。逆に更に重い罪を重ねる事になる」
「……」
「生きろ。それが唯一お前に残された罪を償う方法だ。二人分生きて、二人分幸せになれ」
それだけ言い残すとギコはさっさと廊下に出て行った。
「ギコ! 」
「ギコ君…! 」
外で待っていた二人が何かを言おうとした。
ギコは二人の方を向くと、ニカッ、と笑った。
「大丈夫。あいつはきっと生きる。いや、絶対だな」
* * *
雪が降る寒々とした街に一人の青年が歩く。
晴れた空のように青い眼を持つモララー種の青年だ。
空から零れる雪を楽しみながら歩くその姿はどうみても普通の青年だった。
しかし彼には少し他と違う所があった。
「寒いね。でぃ」
彼―――モララーはコートの中で蹲っているでぃに話掛ける。
「キイィ」
でぃは答えるように鳴いて、またコートの中へと潜って行った。
(あの日そっくりだなあ…)
モララーは自分の中に話掛ける。
しかし返事は無かった。
当たり前だ。彼の中に居たもう一人の彼―――ウララーは丁度一年前に消滅してしまったのだから。
(嗚呼、こんな日もやっぱり―――)
彼はゆっくり空を仰ぐ。
(飲み物は麦茶。うん)
彼は笑った。
その笑顔はとても幸せそうだった。
まるで“二人分の幸せ”を感じている様だった。
晴れた空のように青い眼を持つモララー種の青年だ。
空から零れる雪を楽しみながら歩くその姿はどうみても普通の青年だった。
しかし彼には少し他と違う所があった。
―――うわ、ゴミが降ってる。
(ゴミなんて言うなよ。綺麗じゃないか)
―――え?何処が?
(何処がって言われても…。ウララーは綺麗とか思わないの)
―――邪魔、だと思う
(うわ、コイツ言った! )
―――え?俺なんか変な事言ったか?
(自覚も無いんだ。それ末期だよ、末期! )
―――末期? 何が? おい、教えろ、モララー!
(自分で答え見つけてよ。すぐに人に頼ってたら成長しないよ? )
彼、モララーは表情を隠す為にマフラーを動かして口を隠した。
モララーの中には物心ついた頃には“ウララー”という別の人格が存在していた。「病気だろうか? 」と悩んだ頃もあったが、それとは少し違うらしい。モララーとウララーは入れ替わる事が出来た。どうしてそんな事が出来るのか不思議だが、モララーにとっては既にそんな事はどうでも良くなっていた。理由はどうあれ、自分の中にはウララーという人格が存在しているのだ、と結論とも呼べぬ結論を出したからだ。
―――あ
(何? 答え分かった? )
―――違う違う。ちょっと今通りかかった路地裏に行って
ウララーに言われるがままにモララーは路地裏に入った。
汚いダンボールが置いてあった。中に何かが居るのか、ガサガサと動いている。
(これ? )
―――ああ。とりあえず開けて
ダンボールをあけると方耳の無い傷だらけの猫がダンボールから顔を出した。
(猫だ。それにしても酷い傷だなぁ)
―――虐待、かな?
(うん。多分そうだと思う)
モララーは猫を抱き上げた。猫は“キィ”、と弱弱しく鳴いた。
―――死ぬな。このままほっといたら
(……)
―――どうする? ほっとくならあんまり関わらない方が良いと思うぞ? 愛着が付くと辛くなるだけだ
(……、いや、連れて帰る。一匹ぐらいなら僕でも多分面倒見れるだろうし)
―――…、お前らしいな
(え?そう? )
モララーは着ていたコートを脱いで猫を優しく包んだ。
「おいで。大した物は無いけど、きっと此処よりはマシだから」
モララーは優しく猫に語り掛け、猫を大事そうに抱きながら家路についた。
* * *
(……、今、ちょっと後悔してる事があるんだ…)
―――ん? 猫拾ったことか?
(違う)
―――家にまっすぐ帰ってきた事か?
(違う)
―――じゃあ―――
「違う! お前に猫は何を食べるか聞いた事だよ、馬鹿。コーヒーって何だよ、コーヒーって。殺すつもりだろ、お前」
「キイィ? 」
モララーの声に反応してか、猫がひょこひょこと歩いてモララーに擦り寄ってきた。その姿は相変わらず痛々しい傷は目立つが、先程よりはいくらかマシになっていて、首には赤いリボンが丁寧に結ばれていた。
―――それにしても、赤いリボンなんて少女趣味だな。以外以外
「元気になって良かったよ、でぃ」
「キイ」
“でぃ”という名前を与えられた猫は、まるで返事でもしているように鳴いた。
―――俺無視かよ
「それにしてもお腹一杯になっただけでこんなに元気になるなんて、何処かの誰かさんみたいだな」
「キイ? 」
―――おい、いくらなんでもそこまで無視しなくても…!
モララーはでぃを抱き上げ、ソファまで歩いていった。そこででぃをひとまず降ろし、“誰かさん”が散らかしたテーブルをある程度整理してから、その中から見つけたリモコンでテレビをつける。適当な番組を探し、でぃをまた抱き上げて一息ついてから、なるべく冷く、
(何? )
―――ちょ、何、何つーかさあ、あの、―――
(用無いなら呼ぶな。テレビ見たいし)
モララーはそれだけ言い放つとテレビに集中し始める。でぃはモララーの膝の上で気持ち良さそうに寝始める。
―――で、俺に何をしろと…
返答はもちろん無い。
―――モララー
(……)
―――モララー君
(……)
―――モララーさん
(……)
―――モララー様
(……)
―――偉大なるモララー様、どうか愚かな私の話を―――
(はいはい、分かった分かった。何? )
―――違う番組が見たい
(……)
モララーは渋々リモコンを手に取る。
ニュース番組からバラエティ番組に変え、すぐにニュース番組に戻した。
(見たよね。一瞬だけど。何なら別のニュース番組にでも変えますが、と)
―――…、お前絶対碌な大人にならないな
(残念だが、僕ももう大人だから)
クスクスとモララーは笑う。ウララーはやはり不満そうだった。
―――ぐれるよ?
(放置するよ? )
―――…、……よ?
(ん? )
―――乗っ取るぞ、お前の体ー!
「ッ!! 」
突然鋭い頭痛がモララーを襲う。膝の上でまだ寝ているでぃに気を使っているのか、なるべく動かないようにぎゅっと目を瞑って痛みに耐えている。
「だか…ら、ノリで…やるなって前か…言ってる……アアッ! 」
突然モララーの両耳に赤い線状の模様が浮き上がる。
「…、……」
「…、モララー、生きてますかー? 」
―――物凄く痛かったけど生きてますよ、この馬鹿!
瞑っていた目を明ける。そこに空のように青い眼は無かった。変わりに鮮やかな赤色をした眼があった。
―――たく、“入れ替わる”時、凄く頭痛いんだって何回言えば良いんだよ。なるべくしないでって言ってるじゃないか
(大丈夫。俺は痛くないし)
―――いや、お前はどうかって聞いてるんじゃなくて…
体の支配権が入れ替わる事を、彼らは“入れ替わり”と呼んでいる。入れ替わる時、どっちからどっちに移ってもモララーは頭痛がし、一方ウララーはピンピンしていた。
「さて、飲みますか」
―――え?
ウララーは慎重にでぃを抱き上げ、ソファの上に寝かせた。そして実に楽しそうに冷蔵庫へと向かった。モララーはウララーが何をするかだいたい検討がついたが、微かな希望を託し、
―――何するつもりだよ、ウララー
「もちろん、酒を飲む」
無意味だった。普通に考えれば別に大した事じゃないかもしれない。が、モララーにとっては大きな問題だった。彼の体は本当に酒に弱かった。飲んだ次の日は全く動けないのは確定的だった。
―――やめろ、本当にやめろ! 頼むから! ほら、でぃも居るし、またモナーとかギコに迷惑掛けちゃうし、それに、ってうわあぁああぁああぁああぁぁああぁっ!!!
手遅れになった。実際にそんな事は無いが、モララーは酷い寒気を感じた。
ギコは確かしぃちゃんとデートだったからモナーかな、ごめんモナー。と頭の中で友人に謝る事をモララーはひたすら続けた。
* * *
いつからだろう、モララーからの空メールは緊急事態を知らすメールになってしまったのは。
そんな事を考えながら、モナーはモララーの家へと急いでいた。
昨日降った雪は積もらなかったらしい。雪はアスファルトに染みになって残っている。しかし、それも明日には無くなってしまうのだろう。
「全く。ウララーは気儘モナ」
モナーは数少ないモララーの事を本当に理解している友人の一人だった。その為こういう困った時には良く呼ばれている。これは友人として頼りにされているという事なので、喜ばしい事だと彼は思うのだが、やはり今日みたいに寒い日は少し迷惑な気もする。
「まあ、仕方無い事だしなあ。モナもモララーにお世話になってるし」
それからもしばらく独り言を溢しながら歩いてゆくと、モララーの家の前に着いた。
ピンポーン
何処か間の抜けたチャイムを鳴らす。しばらくするとガタガタと物音がドアのすぐ向こうで鳴った。
「モララー、入るモナー」
モナーはゆっくりドアを開けた。驚いた。
別にモララーが玄関で死体の様に転がっているのに驚いた訳では無い。いつもの事だからだ。モナーが驚かせたのは、
「猫モナ! 可愛いモナー! 」
モナーはモララーの上にちょこんと座っていた猫―――でぃを抱き上げた。
「キィ」
「モナ!? もしかしてモナーを歓迎してくれてるモナ!? 」
モナーは実に自己中心的な解釈をした。そしてその後にでぃがまた鳴いてしまったのが災いした。調子にのったモナーは本来の目的を忘れてしまった。家に入ろうと一歩踏み出したとき、
「ぐへぇ」
モナーがモララーを踏みつけてしまったのは言うまでも無い。
「ごめん、本当にごめん。ごめん! 」
モナーは必死になってモララーに謝ったが、モララーから反応は無かった。
「ごめん…モナ…モララー」
モナーの鼻がグスッと音をたてた。流石にこれにはモララーも反応した。
「ごめん…ね…。もう二度とこんな事…こんな事しないモナ……だから、死なないで…、死なないでモララー! 」
またグスッと音がなる。先程より僅かだが、確実に音が大きくなっている。
これは不味い、と判断したモララーはだるい体を何とか持ち上げて声を発した。
「大丈夫…これぐら…、死ぬとしたら酔いだろうし…多分死なな…いし。それよりさあ、悪いんだけ…ど、ちょっと中まで運んでくれない…かな?」
それだけ言うと、なるべく楽になるようにと、モララーは力を抜いた。それも不味かった。
「モララァァァァ―――――――ッ! 死んじゃ駄目モナァァァァ―――――――ッ!!! 」
モナーの叫び声が静かな住宅街にこれでもか、というぐらいに響いた。
後にモララーは、近所に住んでいるAAに聞かれる事になる。「モララーさん誰かに殺されかけたりしたんですか? 」と。
―――あはははは! やっぱりモナーはボケボケだなあ!
「ちょ、ウララー! 」
「え? 何かウララーが変な事でも言ってるモナ? 」
「いや、違、…うへぇ」
先程モナーから薬を貰って多少楽になったが、まだだるい事には変わりなかった。
「ねぇ、本当に薬置いといちゃ駄目? 」
「駄目! またいつかみたいな事になったら、モナは、モナはぁ……」
先程のが影響しているのか、モナーの鼻がまたグスッと鳴った。
「あ、ごめ。別にそんな…」
―――あー、モララーがモナーを泣かしたー。
(うるさい! 元はといえばウララーの所為じゃないか! )
モララーがこんなに酒に弱いのに、薬が置いてないのには理由があった。
数年前、当たり前の様に薬は置いてあった。だが、今回の様に二日酔いで倒れたモララーが何を思ったか用量以上、正確に言えば置いてあった分全てを服用して、病状を悪化させた。それからモナー達に説得され、薬の変わりにモナー達が家に看病しにくる事になっていた。
「でさあ、あの子なんて名前モナ? 凄く可愛いモナ」
モナーはそう言ってでぃを指差す。
「ああ。でぃって言うんだ。昨日道端で拾ってきたんだ」
「あ、やっぱりそうだったんだ。やっぱり虐待でもされてたのかな? 」
自分の話をされているのが分かったのか何なのか、でぃはモララーに擦り寄ってくる。モララーはでぃを抱き上げて、
「さあ。でも凄く懐いてるんだよね。モナーも怖がってないみたいだし」
「んー…。不思議モナ」
「本当。何があったんだろ」
「でも、良かったモナ。でぃちゃんはきっと今幸せモナ! 」
「ハハッ。そうだと良いな」
二人が笑いあうのを見て、でぃは首を傾げるような動きをした。首のリボンが微かに揺れた。
* * *
何も無い、真っ白な空間。
傷だらけの少女が一人佇んでいた。
「良かった。良かったなあ。ごめんね。有難う」
彼女は心底安堵したような声で呟いた。そんなに大きな声では無いが、他の音が一切無かったので、とても大きく聞こえた。
「でも、時間は迫っている。確実に。もう彼らに時間は無い。もう、その兆しが……」
彼女はそれだけ言うと目を閉じ、耳を澄ませた。
彼女が聞くのは始まりの音と終わりの音。
名前の無かった筈の彼女は彼らに名前を呼ばれた。
彼女は答えようと小さく“鳴いた”。
* * *
「じゃあ、また明日。忘れたら承知しないモナ! 」
「分かった分かった。モナーこそ忘れないでよ」
「了解で御座いますですモナ」
「…不安だ」
「酷い! 絶対明日覚えててやるモナ! 」
フンッ、と少し荒く鼻息を吐いて、モナーは自宅へと帰っていった。
「あー、今日はなんか大変だったなあ…」
「キイィィ」
「ああ、そうだね。でぃが一番疲れたね」
モララーは優しくでぃを抱き上げた。
でぃの毛並みはモナーが滅茶苦茶に撫で回した所為でボサボサだった。
「でもあれがモナーなんだ。許してあげてね」
「キィ? 」
「ハハハ」
暫くして、でぃはモララーの腕の中で眠りに落ちた。
モララーはソファにでぃを寝かせてから冷蔵庫に向かった。
―――お、酒に挑戦するのか?
(違うよ、馬鹿)
モララーは迷うこと無く冷蔵庫から麦茶を取り出した。
―――真冬に麦茶ですか
(悪い? )
―――別に。俺は悪いとはまだ言ってな―――
(言うつもりだったんじゃないか…)
―――んー、そうかも
(かも? )
―――…、です
(宜しい)
モララーは麦茶を左手に持ち替え、右手でお惣菜を取り出す。モナーが買ってきた物だ。
―――コロッケだね
(うん)
―――モナーが好きなのは?
(コロッケ。一緒に食べるつもりだったのかな? )
―――とっとくの?
(いや、でぃをあんなにしたからこれぐらいは…)
―――でぃにやるのか?
(まさか)
モララーは鼻歌を歌いながらコロッケを電子レンジに入れて暖め始めた。
(この冷蔵庫は僕の物。だから中身も僕の物)
―――…、でぃ関係無くね?
(情をかける必要は無い、という感じで)
モララーは笑いながら皿やコップを用意する。
―――残酷
(そう? )
チン。
用意が終わった頃にタイミング良くコロッケが暖め終わったようだ。
(さて、食べようかな? )
―――俺のは?
(だから、冷蔵庫は僕の物、冷蔵庫の中身は僕の物)
―――言ってる意味が良く―――
(僕の物だから)
―――…、なあ、俺達って二人で一人みたいな物だよなあ?
(まさか)
―――え、ちょ、酷!
「アハハハハ」
コロッケを皿に移して、でぃが眠るソファへと向かう。向かいのテーブルに置いてある麦茶のすぐ隣に置き、
「さて。頂きます」
わざわざ声にまで出して言った。
「うはw美味しいwモナーはこういうの選ぶの得意だからなあ」
―――な、何わざわざそんなに美味そうに!
「アハハハハ」
―――おーいー!
この時二人は気づいていなかった。モララーのコロッケを狙っているのはウララーだけでは無かった事に。
モララーが麦茶を飲もうと、コロッケから目を離した瞬間だった。
太ももに何かが乗る感触。すぐにそれは消え失せて、テーブルがガタリと鳴った。
「ッ!? え?」
―――おー!
でぃが実に美味しそうにコロッケを頬張っていた。
「ちょっと、でぃ、でぃ! 」
「キィィィィィィィィィイ! 」
モララーがテーブルからでぃを離そうと必死になったぐいぐい引っ張ったが、でぃは食べ終わるまだ必死に粘った。
「あー、そういえば、今日、朝しかご飯あげてなかったなあ…」
空になった皿を寂しそうに眺めながらモララーは言葉を溢した。
―――よしよし。でぃ、良くやったぞ!
でぃは誇らしげにキィと鳴いた。
* * *
さく、さく、さく。
雪を踏みしめながらモララーは思う。
(何で僕が外出する日は雪が降ってるんだよ! もしかして、モナーはこれ知ってて約束した!? )
ありえないと知りながらも、モララーはモナーを疑った。
昨日の夜から降ったのと、妙に量が多いのが理由でもう積もっていた雪を軽く蹴る。
―――まあまあ。綺麗なんでしょ? 好きなんでしょ?
(…、お前、いつまでそれ引き摺ってるんだよ…)
―――まあまあまあまあ。美しいですねぇ、雪は。邪魔なんてありえないねぇ
(五月蝿い)
さく、さく、さく。
雪が止む気配は無い。むしろ量はどんどん増えていっていた。
モララーはため息を溢しながら胸の辺りにある妙なでっぱりをコート越しに撫でた。
(こんな日に、しかもこんなふうに外出なんて、絶対間違ってるよね)
―――だから?
(ウララーなんか一晩外に居て凍死でもなんでもしちゃえ)
―――おーおー、何時に無く不機嫌ですな、モラ坊ちゃん。それにそれは自分も死ぬという事ですよ?
(お前は何時に無く楽しそうだな。しかも喧しい)
―――何時に無く言葉に棘があると思うのですが、と
(はいはい。悪かった悪かった。何しろ僕は天気如きで機嫌を損ねるような愚者ですから)
―――……、怖い。俺今日は何もしてないのに…
(いっつも散々してるじゃないか…! )
―――なあ、真面目にさあ、なんつーか、怖いよ、お前。よ、極悪人、って感じ。それ、俺に向けるのはまだ良いよ? 嫌だけど。でも、それ、でぃとかモナーとかに向けるつもりか?
「……! 」
モララーは言葉を失った。
小走りに適当なショーウィンドウを探して、そこに移る自分の顔を眺めた。けれどすぐに顔を背けた。
(……)
―――どうよ?
(…ごめん。確かに…)
―――んー。それより頭に雪積もってるよ。
「うふぇ!? 」
勢い良く顔をまたショーウィンドウに向ける。
その勢いで頭に積もった雪が“でっぱり”の所為で開いたコートに落ちていった。
「うひやあぁぁぁぁぁああぁぁああぁぁああぁ!!! 」
「キイィィイイィィイイィィィイィィイ!!! 」
叫び声が二つ重なった。
―――顔凄い、顔凄いw
「笑い事じゃない! 冷たい!冷たい!うあ、でぃ動くな!」
「キイィィイイィィイイィィィイィィイィィイィィイィィイィィィイイ!!! 」
「ちょ、やめ、ヴああぁぁぁぁぁぁあぁぁあ!!! 引っ掻くなあっ! 」
―――ハハハハハ!
「ウーラーラーッ! 」
―――ハハハハハハハハハ!!
「遅いモナ! 」
モナーが時刻を確認する為に開いた携帯を、わざと音を発するように勢い良く畳んだ。
「仕方無いよ。でぃちゃんも連れてくるように、って言ったんでしょ? 」
「それにまだ二日酔いが残ってるかもしれねーしな」
「ギコ、しぃちゃん…、でも…」
モナーは不満そうに声を漏らす。
ギコとしぃもモララーの“理解者”だった。
「ああ、遅い遅い! 寒いモナッ! 」
「フフフ。モナー君、寒がりだったんだっけ。だからこんなに遅い遅い、言ってるの? 」
「ああぁぁぁ、寒いモナあぁぁぁ! 」
「そんなに言うなら、こんな所で待ち合わせしなきゃ良いだろうが。それにこれぐらい、男だったらどうって事ねぇだろ! ゴルァ! 」
しぃが視線をモナーからギコに向ける。
「あら? そうなの? じゃあギコ君も人の事言えないんじゃないの? 」
「な、なんでだよ! 」
「カイロ十個」
「なっ……! 」
ギコの顔がみるみる赤くなっていった。
「えー、十個モナ? モナでも八個なのに…」
「なっ、あっ、八個も十個も大差ねぇだろ! それに何でカイロつけてる事知ってんだよ! 」
「アハハハハ! 十個、十個! 」
「もう、ギコ君ったらー。フフフ」
「ッ! るせえぇぇぇ! 黙れ! ゴォルアァァァァァ!!! 」
「うひやあぁぁぁぁぁああぁぁああぁぁああぁ!!! 」
「キイィィイイィィイイィィィイィィイ!!! 」
変な叫び声が重なった。
三人は一斉に声のした方を向いた。
「……モララー? 」
「何してるのかしら? 」
「何って…、悶えてる」
「プッ」
三人は同時に笑い出した。
「何やって…アレ…! ああ、可笑しいモナ! 」
「フフフフ。皆何やってるのよおっ! 」
「ギコハハハ! 俺よりもひでぇ奴が居た! 」
「あ、自分が変だって認めたモナ」
「本当だ」
「っ! るせぇ! 」
「笑い事じゃない! 冷たい!冷たい!うあ、でぃ動くな!」
「キイィィイイィィイイィィィイィィイィィイィィイィィイィィィイイ!!! 」
「ちょ、やめ、ヴああぁぁぁぁぁぁあぁぁあ!!! 引っ掻くなあっ! 」
「アハハハハハハ」
「フフフフフフフ」
「ギコハハハハハ」
「ウーラーラーッ! 」
しかし、次の瞬間には、笑えなくなる。
モララーが雪に吸い込まれる様に倒れた。
「アハハハ…え? 」
「モララー…君…? 」
「―――ッ! 行くぞ、しぃ、モナー! 」
ギコとしぃとモナーの腕を掴んでモララーの元へと急いだ。
―――おい、どうしたんだよ、モララー!
(……)
モララーからの返事は無かった。
「キイィィィ? 」
―――モララー! お前、冗談抜きに死ぬぞ! おい、立て! モララー!
ウララーがいくら叫べどモララーからの返事は無かった。
これが自身の所為だという事をウララーはまだ知らなかった。
* * *
移ろう世界はいつも黒。
覚める世界はいつも白。
でも、私は何処に移ろい、何処に覚める?
「一人は寂しいよ」
呟いてみる。
「誰か此処に来て」
叫んでみる。
「でも、やっぱり良いや」
溢してみる。
「此処に存在するのは、私だけで十分。だから私は導く」
―――でぃ…、でぃ……―――
温もり、思い出す。
涙、零れた、一滴。
―――この温もりは失いたく無い。だから私は導く。きっと、そうなんだ。あの温もりも…、きっと―――
* * *
「えっと、有難う。きっとモララーも感謝してる」
モララーの代わりにウララーが述べた。
其処はモララーが倒れた現場から一番近かったしぃの家だった。
モララーに何度呼びかけても反応が無かったので、とりあえず一番近かったしぃの家に連れてきたらしい。
彼女は両親と暮らしているので、彼女の部屋だった。
「でも、普通は病院に連れてくもんじゃねぇのか? 」
「助けて貰ってなんだ、その口の利き方は。ゴルァ! 」
「まあまあ。ギコ君、落ち着いて…」
「此処まで出来ただけでもモナ達にしては上出来って思ってほしいモナ」
「“モナ達”って何だよ! “モナ”だけだろ! 」
「ギコ君…」
「そんな事無いモナ。モナやしぃちゃんの意見聞かずにモララーを負ぶって走ったのはギコモナ! 」
「何もしなかったお前が何を! 」
「ギコ君! モナー君も! あ、ウララー君、モララー君はどう? 」
しぃはギコとモナーの気を逸らそうとウララーに話を振るが、ウララーはどうって言われても、とボソッと呟いただけで、何の意味も成さなかった。
「モーナーたーちーモーナー! 」
「何だ、その言い方は! 馬鹿にしてんのか? ゴルァ! 」
「伸ばさなけりゃ良いモナね。モナ達モナ! 」
「違う! この阿呆モナ! 」
「モナ!? 馬鹿ギコ! 」
「俺は馬鹿じゃねぇっ! 」
「キィ? 」
突然でぃが二人の間に飛び出してくる。
「あ、でぃちゃん! 可愛いモナ! 」
「だから俺は馬鹿じゃ…はい? 」
「可愛いモナー! 」
「……。しぃ、俺って一体何だ? 」
答えようの無いしぃはギコに苦笑いを見せた。
「あー、モララー起きた」
「え? 」
「ん? 」
「モナ? 」
ウララーがまるで先程の事を気にしたような声色じゃなかったので、三人も案外普段通りのトーンの声を出した。
「とりあえず今俺が体使ってるよ。これはしゃーないだろ? 」
―――んー…、今回だけ…ね
「で、どうした? 体には問題無いぞ? 俺が知らない間に心が病んだか? 」
―――まさか…。何か…良く分からない…けど、眩暈が、して…
「体が悪い訳でも無いのに眩暈がしたんだったとさ」
ウララーはモララーの言葉をそのまま三人に伝えた。
「はあ? 何だそれ? 」
「んー、何だろう…? 」
「でぃちゃん可愛いモナー! 」
「お前、何時まで言ってるんだよ…」
「やっぱりお前、変みたいだぞ? どーすんの? 」
―――いや、そんな事…聞かれても…
「そんな事聞かれても、って」
やはりそのまま伝えた。
その後すぐにいつの間にか一人陣取ったしぃのベッドから立ち上がる。
モナーに抱き付かれているでぃを簡単に奪い取ると、ドアノブに手をかけた。
「じゃあ、帰るわ」
「はあ? 帰るってまだ何も解決してねぇじゃねーか! 」
「せめてでぃちゃんは…! 」
「だからしつこいって…」
「あー、でも、それが良いのかも」
「なんで! 」
ギコに詰め寄られて、しぃは動揺したが、なんとか答える。
「だって、あの、自分の家に居た方が落ち着くかな、って。一人で居たい時もあるだろうし、えっと…」
「ごめん。もう良い、分かった。それより、ちょっと言い過ぎた。悪かった」
「あ…うん。大丈夫」
「…、帰るよ? 」
「分かった」
「うん」
「でぃちゃんは―――」
ボカン。
ギコは遠慮無くモナーの後頭部を殴った。
「じゃあ、何かあったら遠慮無く連絡しろよ」
「んー。だってさ、モララー」
少し滅茶苦茶な返事をしてウララーはしぃの部屋を出て行った。
「…とは言ったものの、大丈夫かなあ…? 」
不安そうなしぃを元気付けるようにギコは笑った。
「大丈夫だよ、きっと。あいつらはいつだって一人じゃねぇんだ! それよりも…」
ギコが床に伏っしているモナーを指差す。
「このでぃフェチをどうするか…だ」
* * *
ウララーは家に帰ってからすぐに冷蔵庫に向かって、何かを取り出す。珍しい事にそれは酒類じゃなく麦茶だった。
―――…、なんかごめんね。ウララー
(別に体調悪くなるのは仕方無い事じゃねえか。気にするなよ)
―――んー
ウララーはコートの中ゴソゴソと動くでぃを床に降ろしてから麦茶を飲み始める。
(真冬に麦茶も捨てたもんじゃないかも)
―――そう?
(そう? って一番最初に飲んでたのはモララーじゃねえか)
―――うん。そうだね
ウララーは麦茶をコップ一杯飲み干すと、玄関まで戻り少し古ぼけた箪笥を開けて漁る。その音に誘われてかでぃもやってきた。
「キイィィ」
「分かった分かった。ちょっと待ってろ」
一分弱漁り続けてやっと目当ての物をウララーは見つけた。でぃの餌だった。
リビングに行き、餌を入れる容器を見つける。その中に缶詰になっている餌の蓋を開けて容器に移す。
「さあ、食…おい」
でぃはウララーの事など無視をして、容器に餌が移された次の瞬間には容器に飛びついていた。
「まあ…良いけど…、寂しい」
時計の短針が十を、長針が六を指した頃だった。
テレビの中では若手芸人がぎゃあぎゃあ騒ぎながら馬鹿らしい事をしていた。
いつもならケタケタ楽しそうに笑っているウララーは、笑い声の代わりに妙に落ち着いた声で、
「…、寝るか」
―――え?
流石にこれにはモララーも声を上げた。
―――下手すりゃ寝ないウララーがこんな時間に寝るって?
(寝るよ)
―――小学生でもこんな時間に寝る子は少ないと思うけど? 寝るの?
(寝る)
―――ちょ、大丈夫? 熱でもあるんじゃ―――
「寝る! 」
モララーがぴたりと停止した、様にウララーは思えた。
(やっぱり心配だよ、お前が)
―――……、ウララー…
「よし! 明日の朝には体返すから」
ウララーはテレビの電源を消すと、鼻歌交じりに寝室へと向かった。
* * *
「何処に居るの? あたし」
でぃは真っ白な空間の中に居た。
「結構…、早かったわね」
傷だらけの少女が空間から浮かびあがる。
「まあね。でもあたしとしては遅かったわ。餓死する前にあんたに馬鹿みたいにペコペコ頭下げて餌でも恵んでもらう事になると思ってた」
でぃは挑戦的な笑みを浮かべる。
少女は悲しそうに俯いた。
「ごめんなさい。私は駄目なの。どうしても、タカラさんを…」
「まあ良いわ。こんな所に馬鹿みたいに引きこもってるのよりマシだったし、モララーさんとウララーさんが助けてくれたし。それよりも―――」
「分かってる。きっと私はどちらか片方しか救えない。だから―――」
「そう。あたしにどっちか選べっていうのね」
でぃは明後日の方向を見つめる。
フワリ。
赤いリボンが揺れる。
鋭い表情を携えて、でぃをまた少女を睨んだ。
「ふざけないでよ! あたしはあんたじゃない! あたしにとっては二人とも掛け替えの無い人! どっちか選べなんて無理よ! 」
「でも―――」
「なら、あたしを殺してよ! 私を犠牲にして頂戴! そしたら救えるんでしょ? 」
少女の目から涙が溢れた。
それでもでぃは態度を変えない。
「ごめんなさい…、ごめんなさい…」
「とにかく、あたしは嫌だから。あんたと同じになるつもりは無い。あんた片方じゃなくて、両方失ってるし」
でぃは嘲笑しながら少女に背を向けた。
少女の泣き声がでぃの耳に入ったが、気にする素振りも見せずに今の“居場所”へと戻っていった。
* * *
それは彼女が一つだった頃。
暗い路地裏、しゃがみ込む、冷たいアスファルト。
差し伸べられた手、温かさ、始まり。
与えられた名前、居場所、世界。
彼女は変わっていた。心が読めたし何かを操る事も出来た。だから忌み嫌われ、避けずまれ、虐げられ、捨てられた。
また彼も変わっていた。一つの体に宿る二つの心。理解される事などない。彼も理解されず、罵られ、笑われ、裏切られた。
彼女も彼も悪気は無かった。悪い事を何もしていない。けれどそうなった。
それでも生きていた。
お互い喪失した物があったからか、いつしか救われた者、救った者から恋人へと。
二人は幸せだった。
けれどそれは簡単に壊れてしまった。
彼の体には二つの心が宿っている。
体が耐えられる筈無かった。
彼女は彼を救いたかった。
だから彼女は彼を救った。
…彼女が恋をした方の彼だけを。
彼女は悲しかった。
もう片方の彼も大切な存在だった。
けれど彼はもっと悲しかった。
自分の半分を失ってしまった。
彼は悲しんだ。苦しんだ。嘆いた。
それは大きすぎてとても彼の手では収まりきらないものだった。
けれど彼は笑った。
彼女に有難う、と言った。
それでも“それ”はまだ彼の中に残っていた。どんどん大きく膨れ上がっていった。
そして運命の日が来る。
横断歩道、赤信号、繋いだ手。
彼の手、彼女の手、離れた。
車道、吸い込まれる、自ら進む。
手を伸ばす、届かない、叫ぶ。
「タカラァ―――――――ッ! 」
届かない、声、どんどん遠くなる。
まだ行き交う車、相変わらずの赤信号、聞こえた言葉。
「同じ所…行けるかな? 」
何かがぶつかる音、倒れる彼、広がるアカ。
「いやあぁぁぁあぁぁああぁああぁぁあっ! 」
彼はその日死んだ。
突発的な自殺だった。
「仕方無い…仕方無かったんだよね…? 」
―――何が仕方無い、だ。お前が殺したんだ
声が彼女を責めた。
それは自分の声で、犠牲になった彼の声で、自殺した彼の声だった。
彼女は生と死の狭間にただ白いだけの世界を作った。
そして其処に閉じこもった。何年も。
しかし彼女は知ってしまっていた。
人肌の温かさ、愛する事、愛される事…。
だから彼女はもう一つ、自分を作った。
自分に似ていて似ていない自分を、彼女は生の世界に送った。
そして―――、
「おいで。大した物は無いけど、きっと此処よりはマシだから」
* * *
気が付けば白い空間に浮かんでいた。
ウララーはしばらく呆けた顔で周りを眺めていたが、やがて立ち上がって歩き出す。
もちろん過去に此処に来た事がある訳では無いし、行く宛てがある訳でも無い。
ただ導かれる様に歩いていた。
しばらくすると、視界に一人の傷だらけの少女が入った。
何となく少女に近づく。不思議と警戒しなくて済んだ。
「……、でぃ? 」
あまりにその姿が似ていた。だから違うと分かっていながらも溢した。
「そう。でも私は貴方達が知っている“でぃ”では無い」
少女とウララーの目が合う。少女の頬には涙が流れた跡があった。
「私は導く者、そして奪い、失う者」
訳が分からない、筈だった。
なのにウララーには何となくそれの意味する事が分かった。
そして、少女が自分に何を告げようとしているかも。
「モララーの事か? 」
少女は何も言わずに首を縦に振った。
少し躊躇った後に口を開く。
「聞いたら後悔するかもしれない。それでも聞く? 」
ウララーは即答する。
「聞く」
「そう…。分かったわ。貴方がそう言うなら。まず貴方達が普通とは変わっている事は分かっているわよね」
「んー…、一つの体にモララーと俺が存在している事か? 」
「そう。じゃあ入れ替わる時、モララーさんが頭痛に襲われた理由は? 」
「分からない」
「そう…」
彼女はそれ切り黙り込んでしまう。
しかしウララーは粘り強く彼女が話し出すのを待った。
そして、
「はっきり言わせて貰うわ。このままだと、きっとウララーさんもモララーさんも…、死ぬ。救う事は出来る。でも、片方だけ」
少女はそれだけ何とか告げると、顔を伏せてしまった。
途切れ途切れに押し殺した嗚咽の音が聞こえる。
ウララーは…、驚いた事に冷静だった。
自分でも何故こんなにも平常心を保って居られるのか分からなかった。
「どうにかして、救う事は出来ないかな? 」
「ウララーさんを、ですか? 」
彼が迷う必要は無かった。
「何言ってるんだよ。アイツを、だ」
少女は驚いて涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
ウララーは少し悲しそうに笑っていた。
彼は泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でた。
「もしも俺にモララーを救う方法があるなら、教えてくれないか? 」
少女は嗚咽に邪魔されながらもなんとか答える。
「ある…。方法は、ある。…一つの体に二つ…心がある事が駄目…なの…ふた…んになるから…。だから…ウララーさ…が、消滅…すれば…」
「そうか。有難う」
ウララーは少し涙目で、それでも笑った。
「でも、一日だけ、待ってくれ無いか? 消滅するとなると、やらないといけない事があるんだ」
* * *
「あー、自分が嫌だ。情けない…」
ベッドの上から窓の外を眺める。
陽はもう傾いていた。
「うん、大丈夫。いや、だからそれは…」
昨日の事を心配して三人の内ギコが代表して何回も電話をしていたらしい。
“本当は大丈夫じゃないんだろ。病院にでも行ってたのか? ”
「いや、あ、それは…」
今まで寝てました、と言える筈も無く、モララーは言葉を濁して答える。
(ウララーどうしよう)
―――正直に言ってやれば?
(情けなくて言えないよ! )
―――じゃあ、んー…、死にかけてました
「ふざけるなっ! 」
モララーは慌てて口を手で塞いだが、そんな事でその言葉が無効になるなんて事は無い。
“…何か俺、変な事言ったか? ”
「あ、違。あの、ウララー」
“ああ。ウララーか。で、どうなんだよ、何で連絡よこさなかった? ”
「えっと、それは―――ったあっ! 」
また頭痛がモララーを襲う。
「ウラ、ラー…痛! ああっ、あぁあぁぁ! 」
頭痛は前よりも酷くなっているらしい。
ウララーは記憶を辿る。子供の頃はやはりモララーは頭痛で悩まされていなかった、とそれは物語る。
「はい、代わりました。ウララーです」
“…ん? あ、ウララーか”
「モララーはさっきまで実に幸せそうに寝てましたとさ。以上」
ギコの返事も聞かずに電話を切る。
―――次から会わせる顔が無いんですけど…
「大丈夫だ。俺がなんとかしといてやる」
ウララーは笑った。何もしらないように。
* * *
「あたしを…犠牲にするんじゃ無かったの!? 」
でぃは傷だらけの少女を物凄い形相で睨んだ。
少女は下を向いていて表情が読めない。
「また同じ事を繰り返すの? 嫌だったんじゃないの? 」
「でも…私には……」
「あんたのその行動でとれだけの人が傷つくか分かってる? 」
少女は伏せていた顔をやっと上げる。
自分の行動の所為でどれだけの人が傷つくかは少女自身が良く知っていた。
「私…気付いたの。変わらなくちゃ…、私、変わらなくちゃいけない」
最初はか細かった声も段々力を持ってくる。
「ウララーさんに触れて気付いたの。私は誰かを傷つけずに何かをする事が出来ない。でもしなきゃいけない事があって、それをなるべく人を傷つけないように、その時の全力を傾けてやらなきゃいけないんだって」
少女は何とかでぃと目を合わせる。
少女はどんなでぃの言葉も受け止めるつもりのようだ。
でぃが返した言葉は少女が予想もしていない言葉だった。
「なんだ。やれば出来るじゃない」
「へ? 」
「やっと自分に自身持てるようになったのね。いや、まだみたいだけどある程度は。やっとあたし、あんたの分身って事に自信持てるのね。あー、良かった良かった」
でぃは満足そうに頷いて、二人が居る場所に帰ろうとする。
「ま、待って! 」
「ん? 何? 」
「あ、あの…」
「大丈夫よ。分かってたの。片方しか救えない事。あんたの事考えないで両方なんて言ってただけ」
でぃは寂しそうに微笑んで、
「だから、片方はちゃんと救ってよね。そうしないと、あたし、あんたを許さないから」
「でぃ…」
「ちょっと、あたしの事、ただ単にでぃって呼んだら、どっちか分からなくなるじゃない。偶然なのか運命なのか知らないけど、あたし達は同じでぃの名前を持ってて、でも全く違うでぃなんだから」
でぃの微笑みに、少女の決意は固まった。
* * *
身体に掛かっていた負担は、一回爆発するともう延々と流れ続けるのだろうか。
夕方に起きたというのに、十二時頃にはモララーはもう寝ていた。
寝ている間にウララーは最後の入れ替わりを使って最後の使命を果たす。
“もしもし、ギコだ、ゴルァ! ”
電話を掛けるとギコはすぐに出た。
「俺俺。ウララーだ」
“俺俺、って、俺俺詐欺かよ。こんな真夜中に何の様だ? ”
「伝えなきゃいけない事があるんだ。モナーとしぃにも伝えて欲しい」
ウララーの珍しく真面目な態度に驚いたのか、返事に少し間が入った。
“何だ? ”
「昨日、モララーが倒れた理由が分かった。俺の所為だった」
“……、ハァ? ”
「入れ替わりにはやっぱり犠牲が必要だったみたいで、その負担が爆発した結果らしい。で、此の侭だと死ぬと」
“…し、死ぬ? 死ぬってあの、逝ってよし! の死ぬか? ”
「その例え、妙だな。ああ、それだ。で、救うには、俺が消滅しないとならないらしい」
“しょ、消滅? 消滅ってあの、逝って(ry”
「消滅と逝ってよし! は違う気もするけど、まあ」
“お前、犠牲になるつもりか? ”
「言い方悪いよ。まあそうだけど」
“それでアイツが喜ぶと思うか? ”
「知らねえ。でも此の侭だと両方死ぬらしいし、俺はやりたいんだ。今まで俺はあいつに滅茶苦茶世話になってきた。でも俺はあいつの為に何も出来なかった。最後にこれぐらい、してやりたいんだ」
“分かった。お前の気持ちは。でも、俺は泣く。お前を後悔させるぐらい泣くぞ。きっと他の奴らもそうだ”
ギコはもう泣いているのか涙声だった。
「何言いたいのか分かんねぇよ」
“なあ、お前の本当の気持ち、聞かせてくれないか? ”
「…、死にたくねぇ。もっと生きていたい。もっと此の侭過ごしていたい」
ウララーも涙目になっている。それを振り払うように、乱暴に電話を切った。
ベッドの中に戻って入れ替わる。
何もしらないモララーは心地良さそうに眠っていた。
ウララーは白い空間に向かう。
少女を見つけると、なんの躊躇いも無く少女の方へと走っていった。
「するのね」
「するさ」
ウララーは微笑む。
「なあ、人間楽しい事と悲しい事を全部足していくと、同じ数値になるって本当かな? 」
「さあ。私は知らないわ。でも貴方が思うのなら、そうなのかも知れない」
「そっか。だとしたらこの結末が一番良いのかもな。俺は勝ち逃げ、あいつは俺というお荷物を降ろして幸せになってくって」
少女は何も言わなでウララーの手を握る。
握った手が光る。そして何かが抜けていく感覚。
ウララーには何が起こっているのか何となく分かった。
最後に口を開く。
「ああ、死にたくないな、やっぱり。皆、大好きだ。有難う。さようなら―――」
そう言い残すとウララーは消えてなくなった。
少女は繋がれていた手を胸に当てて、涙をまた一滴流した。
* * *
モナーとしぃ、手を強く握って歩く。
周りからみたら普通のカップルにでも見えるのだろう。けれど本当は違った。
「大丈夫…よね…」
「きっと大丈夫モナ…」
お互い元気付ける。
二人の目的地は―――
「着いたモナ…」
「大丈夫よね、ギコ君も、後から来るって言ってたし」
「うん、きっと…モララーは、モララーは…」
モララーの家だった。
モナーが震える手でドアノブを握り、開け放す。
「モララー…、お邪魔します…モナ」
「モララー君…居る…? 」
手を握ったまま廊下をゆっくり歩く。
明かりが点いている部屋を見つけると、先程よりも慎重に開けた。
モララーは掃除機を掛けていた。
しばらく二人に気付かずに一人黙々と掃除していたが、気付くと掃除機の電源を切って、
「ちょっと、困るよ。連絡も無しに突然来られると。お茶どころか掃除すらまともにやってないよ? 」
予想外の反応に二人はたじろぐ。
「とりあえず掃除終わるまで其処で待っててくれる? 」
モララーはでぃが寝ているソファを指差す。
「あっ、えっと…お構いなく…」
しぃが代表して返事をして、二人はそそくさとソファに座る。
モララーは相変わらず鼻歌交じりに掃除機を掛けている。
「もしかして、気付いてないのかな? 」
「それはそれでやだなあ。やっぱりモナが言わないといけなくなるだろうし…」
二人の小さな話し声は掃除機の音でモララーには伝わらなかった。
しかしでぃは不安そうな顔をして二人を見上げた。誰も気付かなかったが。
あれから十数分。掃除が終わったらしい。
麦茶とコップ三つ、適当なお菓子を器用に持って二人の向かい側の一人用のソファに座った。
また鼻歌交じりにコップに麦茶を注ぎ、二人に出した。
「ごめんね。遅くなって。で、何? 」
ビクッと二人は反応する。
「何って、あの…その…モナァ…」
「モ、モララー君、調子、どう? 」
言葉がブツブツに切れていたが、彼は気にする素振りも見せずに答える。
「あー、昨日はだるかったけど、今日はもう快調。もう気味悪いぐらい」
可笑しそうにモララーは笑う。
二人も合わせて笑うがどうもぎこちなかった。
「…、でもね、何か変なんだよね」
二人の顔が強張る。
しかしモララーは相変わらず笑っている。
「何が変なのかって、朝から考えてたんだ。気付いたよ。本当は最初から知ってて、気付かない振りしてただけなのかもしれないけど」
悪意も何も感じ取れない笑いが逆に不気味だった。
「ねぇ、もしかして二人はこの事で此処に来たんでしょ? 」
突然モララーが立ち上がる。
顔にはやはり不気味な笑いが張り付いている。
「ウララー、どうしたのか知ってる? 」
しぃはぎゅっとでぃを抱きしめる。
モナーも膝の上で手を握る。
「知ってるんでしょ? 何、僕に言えないような事なの? 」
不気味な笑いは崩れない。
しぃの瞳からはもう涙が溢れかけていた。
それを横目に見ていたモナーは意を決してその質問の答えを口にした。
「消滅…したらしいモナ。モナも詳しい事はしらないけど、此の侭だとモララーもウララーも死んじゃうらしくて、でも片方消滅すれば逃れられたらしくて、それで、その事を知った、ウララーは…、ウララー…は……」
「…、つまりウララーは僕の為に死んだんだね? 」
妙に明るかったその声に、二人は顔を上げる。
モララーは泣き崩れる所か、まだニコニコと笑っていた。
「そっか。そうだったんだ。ウララーらしい最後だね。あいつ、何だかんだいって、こういう時にはすぐに犠牲になりたがるんだよね。まあ、それがウララーらしさの一つなんだろうけど」
モララーは二人を無視して台所の方へとゆっくり歩いて行く。
その後姿はいつもの彼と何ら変わり無かった。
「後、ウララーはいっつも僕が困った時に助けてくれた。慰めてくれたりもしたんだ。道を踏み外しそうになったら、ちゃんとした道に導いてもくれた」
崩れるように座り込む。
「ウラ…ラぁ…」
痛いぐらいのか細い声。
でも彼はそれを振り払い、すぐに立ち上がって二人に顔を向けた。
相変わらずの笑み。右手には座り込んだ時に取り出したであろう包丁。
包丁の切っ先を自分の首に向ける。
「死んでやる。きっとウララーが来る、だから…、死んでやる」
モララーがそう言い終わると、突然モナーはケタケタと笑い出した。
モララーが理解したかは分からないが、しぃには分かった。彼は無理矢理笑っている。
「ちょ、ちょっとモララー、どんな冗談モナ? それ。凄い、なんか体張った冗談? テレビに出てる人でもそんなのやらないし、凄いモナ! ハハハハ―――」
「冗談? ウララーが死んだのが冗談なら、これも冗談になるんだろうね。でも、ウララーは死んじゃったんでしょ? 僕の所為で」
「違う…、違うわ! それは―――」
「五月蝿いよ、しぃちゃん」
モララーの棘のある言葉にしぃは黙り込んでしまう。
モナーはなんとかモララーから視線を外さずに立っていた。
「本気モナ…? どうして…。痛いよ、きっと、死ぬのは。それでも…」
「痛いだろうね。本来動く物を無理矢理止めるんだから。でもウララーはそれをやってのけたよ? 」
「ウララーは…、モララーの為に、その痛みも―――」
「なら、僕だって耐えれるよ? 耐えてみせるさ」
異常な程に自信に満ちた声だった。
モナーは何とかしようと必死になって言葉を探る。
「そ、それにさ、モララー死んでも、ウララーはきっと帰ってこないモナよ? 」
「それでも義務はある。僕の所為でウララーは死んだ、つまり僕がウララーを殺したんだ。だからそれに相当する罪を償う必要が僕にはある。ウララーが帰ってきたら僕の罪は無い。でも帰ってこないんだろ? 死んだんだから。だから、僕は…、死ぬ」
「それは大層矛盾だらけの平等な罪だ事で」
三人は一斉に声の主の方を向く。
ギコだった。
走ってきたのだろうか、息の音が微かに聞こえた。
「死ぬんならさっさと死ねば良いじゃねぇか」
「ギッ、ギコ!? 何言ってるモ―――」
「ほら、死ぬんだろ? 其の侭突き刺せば死ねると思うぜ」
ギコは表情を変えずに一歩ずつモララーに近づく。
モララーは笑みを崩しながら後退りするが、すぐに壁にぶつかった。
モララーの傍まで来ると、ギコはゆっくりとしゃがむ。
ギコは息が掛かるほど顔を近づけて無理矢理彼と目を合わせた。
「じゃ、邪魔しないで…くれるッ!? 」
明らかに動揺している声。
しぃとモナーも二人の許に行こうとしたが、行けなかった。
いつもの穏やかな生活とは全く違う場面に遭遇した所為だろうか。足が竦んで動かない。
「ほら、やるなら、やれ。俺に返り血が付く事は気にしなくて良い」
ギコの言葉にモララーは黙る。
いつの間にかギコの息は落ち着きを取り戻し、逆にモララーが焦っているのか、息が荒くなっていた。
「やれよ」
「っ!! あぁっ、あ、うわあぁぁあぁぁあぁああぁぁああぁぁあぁぁあっ!!! 」
突然モララーが持っていた包丁を振り回す。
ギコはその行為に驚きながらも何とか対応した。
「き、きゃあぁぁああぁぁぁぁあぁぁ! 」
しぃが叫ぶ。
いつの間にかギコの頬には血が滲んでいた。
「ギコ、危ないモナ! ギコ、ギコッ! 」
モナーが震える腕で何とか這って進もうとした、が、
「うるせぇ! 黙ってろ! 危ねぇのはモララーだ! それよりさっさとしぃを落ち着かせて来い! 」
ギコの言葉でやっと気付いたモナーはしぃの方へ振り返る。
首をブルブルと左右に振って、でぃを抱きしめながら泣いていた。
彼は彼女を抱きかかえながら廊下へと出て行った。
「あぁぁああぁっぁああぁぁぁあ、あぁぁあああぁぁあぁぁぁああっぁぁ!!! 」
「畜生!いい加減にしろ、ゴルアァァァァァァアアァァァアァァァッ!!! 」
ギコは叫びと共に素早く左手でモララーの腕を、右手で包丁の柄を掴んで放した。
何とか包丁が彼の右手の中に納まる。
勢いで両脚と左腕を駆使してモララーの四肢の自由を奪った。
それと同時に叫び声が止む。
二人分の荒い息だけが部屋を支配する。
モララーの顔に浮かんでいたのは明らかに恐怖だった。
それでもギコは怯まずに包丁を彼の首に突きつけた。
「お前、自分で、出来ない、なら、俺が、やってやる」
途切れ途切れの言葉。
モララーはギコを見上げるだけだった。
ギコは包丁の切っ先をゆっくりモララーに近づける。
彼は体を震わしながら、強く目を瞑った。
「……」
「……」
「…、何だよ。やっぱり無理してたんじゃねぇか」
呆れた様な顔を携えて、ギコはゆっくり立ち上がる。
包丁を台所に仕舞ってやっと頬に付いた血を拭った。
モララーは下を向いていた。ギコには表情を直接見る事は出来なかったが、時間が経つ程広がる二つの服の染みで、だいたいどんな表情をしているかは分かった。
「ウララーはお前を救った。自分の命を犠牲にして。ウララーが言ってた。生きたい生きたい、って。それでも救ったんだ。それほどウララーはお前に生きて欲しかった。どれだけ自分が思われてたか、分かるか? 」
反応は無かった。
それでもギコは構わなかった。
「やはりお前には罪を償う必要があると俺は思う。でも死ぬのは償う事にはならない。逆に更に重い罪を重ねる事になる」
「……」
「生きろ。それが唯一お前に残された罪を償う方法だ。二人分生きて、二人分幸せになれ」
それだけ言い残すとギコはさっさと廊下に出て行った。
「ギコ! 」
「ギコ君…! 」
外で待っていた二人が何かを言おうとした。
ギコは二人の方を向くと、ニカッ、と笑った。
「大丈夫。あいつはきっと生きる。いや、絶対だな」
* * *
雪が降る寒々とした街に一人の青年が歩く。
晴れた空のように青い眼を持つモララー種の青年だ。
空から零れる雪を楽しみながら歩くその姿はどうみても普通の青年だった。
しかし彼には少し他と違う所があった。
「寒いね。でぃ」
彼―――モララーはコートの中で蹲っているでぃに話掛ける。
「キイィ」
でぃは答えるように鳴いて、またコートの中へと潜って行った。
(あの日そっくりだなあ…)
モララーは自分の中に話掛ける。
しかし返事は無かった。
当たり前だ。彼の中に居たもう一人の彼―――ウララーは丁度一年前に消滅してしまったのだから。
(嗚呼、こんな日もやっぱり―――)
彼はゆっくり空を仰ぐ。
(飲み物は麦茶。うん)
彼は笑った。
その笑顔はとても幸せそうだった。
まるで“二人分の幸せ”を感じている様だった。