果てしない世界…。
その上に乗って、様々な出来事を巻き起こす。それが人間である。
人間の住んでいる世界は一つ……。そう、思っていないだろうか。
それは違う。世界は一つではない。
世界は、無限大にある。数え切れない程に。
それは人々の気持ち…………。
その中には、人それぞれの世界がある。
楽しい気持ち…、その中には楽しい世界が生まれる。
怒りの気持ち…、その中には怒りの世界が生まれる。
そう、人の感情によって世界は限りなく増えるのだ。
世界の中には、その人が思っている人間が現れる。
その中にいる人間も、限りない。
そのかわり、その世界に人間は入り込めない。
なぜなら世界は、その気持ちを思う人間自体だからだ。
しかし、何かの切欠で、その世界に入り込んでしまう人もいる。
では、その中から一人、ある少年の話で考えてみよう。
これで、貴方も自分の世界を考える機会が…出来ただろう。
~Feeling World~
第一章 「突然の電話」
トゥルルルルルッ……トゥルルルルルッ……
始まりは一つの電話からだった。
ある家に響くわたる着信音。そして、ドタドタと床を揺らす足音。少し後に、元気な声が聞こえた。
「はい、ギコハニャーンです」
学生服を着こなす少年が電話に出ている。手には、先程まで勉強をしていたのか、鉛筆が握られていた。
“あっ、君がギコ君かい…?”
少年、ギコにとっては聞きなれない声だった。しかし、自分の名前が呼ばれたので、返さなければならない。
「そうですけど…」
少し動揺しているのか声のボリュームが下がる。手にはまだ鉛筆が握られていた。
だが。
コトンッ……
握られていたはずの鉛筆が落ちた。その衝撃で、黒く光る芯も先端が折れてしまう。
そして、先程までとは違う、驚愕の声が響いた。
「か、母さんが!!?」
額には冷や汗が流れ始めていた。
ギコは自転車を走らせている。学校へ向かうときとは正反対の、西へ。県道には思ったより車が多い。
ギコの向かっている所、それは。
(急げ、急げ! 急げぇ!! 母さん!!!)
いつもよりペダルは強くこぐ。早くしないと間に合わないかもしれないからだ。
先程の電話。それは、病院からだった。
母がトラックに撥ねられた…、そう言っていた。母は、元々夕方担当のパー
トに行っている。そろそろ帰ってくる時刻だったから、帰りの道のりで撥ねられたのだろう。
そんなことはどうでも良い。今は、ただ母に会いたいだけだ。
学生服のまま、ギコは自転車で駆けた。大通りに出た今でも、スピードは緩めない。とにかく、早く病院に着きたかった。
それから五分後。二丁目の『2ちゃんねる病院』に着く。自転車置き場まで行ったのは良いものの、乗っている自転車を適当に乗り捨ててしまった。後から、苦情が来るかもしれない。
そんなことはお構いなしにギコは走る。入り口の自動ドアも一度ぶつかってしまった。
中に入り、ギコは受付の前に飛び込む。周りは骨折した人や、車椅子に乗っている人で、いっぱいだった。
「おい!! 外科はどこだ!!?」
いきなり現れたギコに受付の女性は驚きを隠せない。ぽかん、とした状態で彼女は答えた。
「に、二階ですけど…?」
最後までギコは聞かずに走り出す。受付の女性は走り去るギコをまたぽか
ん、とした表情で見ていた。
(二階か…!)
エレベーター乗り場に向かったがすぐに動ける状態ではなかった。しかし、ギコは手際良く、右の階段を登り始めた。
(待ってろよ…!!)
三段跳びで登るギコは拳を握り締めた。
二階に着いたギコも、足を止めることはない。廊下も全力で走り抜けた。周りの患者も驚きの表情で見つめている。
(ギコハニャーン…。どこだ!?)
辺りを見渡すギコ。すると、左の方に見慣れた文字が見えた。
『204号室 ギコハニャーン様』
(ここか!?)
判別のする時間もない。ギコはノックもせずに部屋の扉を開けた。
ガチャ!
開けた瞬間、ギコは扉に手をつけ、息を荒くする。どうやら、一人用の病室
のようだ。奥行きも少ない。はぁはぁ、と息を荒くするギコだが、視界に入った人物を見てギコはゆっくりと歩き出した。
「か、母さん……?」
まだ、息は荒いままだ。しかし、そんなことより今は、母の姿に驚くだけだった。顔に白い布をかぶせられ、ベッドに横たわる母の姿に。
「ギコ君か…?」
どこかで聞いたことのある声。彼は、母のベッドの横にいる。声を聞いて分かったが、彼は先程電話をもらった医者だった。
「あの…、母さんは…?」
恐る恐る聞く。医者は少し顔を下に向け、首を振った。
横に。
「最善は尽くした…。けれど、間に合わなかった…」
ギコは、目の前が真っ白になる。何かの冗談なら良かった。全て、夢なら良かった。だが、現実だった。
「う、嘘だろ…?」
ベッドに近づく。そして、白い布をゆっくりと持ち上げた。そこには、紛れもない母の顔が、目を瞑った母の顔があった。
鉛筆を落としたように、白い布も床に落ちる。そして、ギコの目から、透き通る液体が流れ出した。
「か、母さん……!」
呟いたのも一瞬で、ギコの目からは滝のように涙が零れ出した。温かい雫だった。
「うわぁぁぁあああ!!!」
ベッドに縋り付く。医者も、目を逸らすことしか出来なかった。
少年は泣く。
悲しみに襲われて。
今、彼の世界には悲しみの世界が出来ているだろう。
悲しみの世界は、その他の世界より恐ろしく、なかなか消えない。
彼の悲しみはとても深いものだった……。
第一章 完
◆ ◆ ◆
第二章 「謎の世界」
ギコは歩く。自転車には乗らず、ゆっくりと、歩いている。
もう日は暮れ、西の空には橙の夕焼け浮かび、町を照らしている。彼の瞳
も、橙に。
しかし、ギコの瞳は暗く、尚且つ悲しい光を帯びていた。目の下の腫れから泣いた様子も良く分かる。母を失った悲しみ…。それは、どんな人でも重く圧し掛かる。
だが、人間にはその悲しみを断ち切ることが可能だ。誰かを愛し、誰かを信じることで、悲しみを開放させることが出来る。ところが、一転して悲しみをずっと心の奥にしまい込み、それを一生引き摺っていってしまう人も多い。大半はそのままだが、エスカレートすると自殺に追い込んでしまうこともある。
ギコも、そうなってしまった。
(もう…、生きている意味なんてない…)
元々、ギコは勉強が苦手だ。特に、英語や数学は担当の教師に怒られることも度々。スポーツでは野球のみ得意だが、その野球でも最近はうまくいかない。監督に怒られる毎日だった。
しかも、それを励ましてくれた母がもういない。もう、ギコは生きる希望を完全に見失ってしまったのだ。
また、父にはもう十年前に先立たれている。もう、身寄りも少なかった。
(死のう………)
ギコは近くの公園に入った。そこには、深めの池がある。そこで、自殺をしようというのだ。夕方になり、子供の姿は少ない。
(絶好のチャンス、って訳か……)
死が近づいているのにギコの口元には微笑が浮かぶ。適当に自転車を放り捨て、ギコは池に近づいた。
少し濁った池。水草も浮かび、少ないが魚の姿も見られる。
「母さん……。今行くからな…」
ギコは淵に立つ。なぜか恐怖は感じない。それどころか、母に会えると思うと嬉しくなってしまう。
「よし…」
短い決意の言葉。その少し経った後、ギコの体が傾く。
水音が、響いた。
深く、濃いまどろみの中。ギコは浮かんでいるのか立っているのか分からない。しかし、水の中に飛び込んだこともあり、死んだということは容易に想像
が出来た。
―――あぁ…、俺、死んだんだなぁ…
目もしっかり開けられないまま、ギコは心で呟く。
―――もう一度…、母さんに…
少し笑いかけた瞬間、ギコの頭に声が響いた。
『それは…、まだおあずけだ』
―――!?
どこかで、聞いたことのある声だった。ギコは思い出そうとする。しかし、
何にも思い出せなかった。
『お前には、安心して死んでもらわれないと困るんだよ』
そのまま声は続ける。まだ、全然思い出せない。ただ、とても懐かしい声で
あることだけは、思い出せた。
―――お前、誰だ?
仕方なく、ギコは聞くことにする。誰かも分からない声に聞くのも、何か変な気がしたが。
『私か? ……まだ、時間が足りない』
―――え?
訳が分からないので、ギコは間の抜けた声を出してしまう。時間…、意味が分からなかった。
『お前は、解放しなければならないのだ。私の名はお前が帰るときに言おう』
目を開けてはいないが、目の前が明るくなる。どうやら、外の世界が光り輝いているようだ。そんなことはどうでも良い。声の言っていることを考えていた。
―――分かった。じゃあ、またいつか会えるんだな?
本当は何も分かっていない。しかし、声は信用できそうだった。
『あぁ。じゃあ、解放して来い』
光がより密度を増し、ギコの意識が飛んだ。
微かに当たる、冷たい空気でギコは目を覚ました。少し、寒気がして小さなくしゃみをした。
何回か、瞬きをし、ギコは身を起こす。自分は死んだはずだった。しかし、
周りに見えるのは暗い空。そして、辺りを囲む、沢山の木々達だった。
「ここは……?」
人の姿は無く、とにかく周りに見えるのが沢山の木々。どうやら、森の中のようだが、生き物の姿は見えない。
唐突に、ギコの頭を奔る激痛。それを右手で撫でた。
手を下げても何にもなかったが、それより驚いたのは、自分の手の状態だっ
た。
「なぁ!? 手が…!? 猫ぉ!!?」
手にいつもの五本指はなかった。猫の手のような形をしている。もしやと思い、体を見ると体全体が猫のような姿をしていた。先程から起こる異変にギコは動揺を隠せない。
「どうなってんだぁ…!? 体は猫になるし…」
「正確にはAAだ、ギコ」
突然、声が聞こえた。びくっ、と驚きギコは後ろを振り向いた。
そこに立っていたのは自分にそっくりの猫。毛が多めに生えている。ただ、自分より背は高く、腰には見慣れない長剣を掲げていた。
「誰だぁ!?」
「俺か? 俺はフサギコ。簡単にフサで良い」
ギコの剣幕に彼、フサは微笑をもらす。
「何で、俺の名前を…?」
フサは、微笑をもらす口元に変化を出さぬまま、ギコの質問に答えた。周りの木々も、風でざわつく。
「そりゃあお前、知ってるに決まってるじゃないか。俺は、お前に作り出されたAAなんだから」
「…!?」
ギコは驚愕の表情で、一歩後退りする。初めて会った人――もしくはAA―
―を自分が作り出したというのだ。
「何言ってるんだ…? 俺、そんなことやった覚えはないぞ」
「それはな。実際の人間は気づかない。…しかし、ギコも世界に入り込んでしまうとはなぁ」
後半の方はもう聞く耳も持たなかった。ギコは腕組して考える。自分は死んだはずだった。ということは、ここは天国か地獄なのだろうか。
「おい、此処はどこなんだ?」
ギコの質問にフサは鼻で笑う。やっぱりか、と呟くと、フサはギコの目の前で言った。
「此処は、悲しみの世界。お前の気持ち、悲しみで出来た世界だよ」
第二章 完
◆ ◆ ◆
第三章 「魔物の襲撃」
「…はぁ? 意味がわからねぇんだけど…」
ギコが子供のような声を出す。今度は困った表情になり、フサは眉を細める。
「やっぱり、お前にはまだ早いみたいだな。…しょうがない、奴らのところに
行こう」
「奴ら?」
ギコは首を傾げる。しかし、一方的に歩き出すフサに、慌てて着いて行こうとした。その時。
『シャァァァァアアアア』
いきなり、不気味な叫び声が響いた。どこからか分からないが、木々の上、そこまでは理解できる。しかし、ギコは肩を竦め、フサは顔を顰める。そして、剣の柄に手をかけた。
「…来るぞ!」
フサが叫んだかと思うと、真後ろの木から何かが飛び降りてきた。ギコが振り向くがそれより早く、何かの爪がギコの左肩を引っ掻いた。
「うわぁ! 痛ってぇ!」
微量に血が出る。右手でその傷口を押さえた。大した怪我ではないが、いきなりの攻撃にギコは怯える。
フサとの距離は二メートル弱ある。その間にいたのは、蝙蝠だった。
『キシャァァァァアアアア』
再びの咆哮。ただの蝙蝠ではない。自分達より少し大きめ。そして、何より違うのが腕が生えていることだった。右腕の先端には鋭い爪があり、そこにギコの血が滴っている。
「大丈夫か!?」
「あぁ…。大丈夫だ」
曖昧な返事で、ギコは答える。右手を離すと血が吹き出るので、手を離すことは出来なかったが。
「どうするんだ…」
もう頼れるのはフサしかいなかった。弱音のような声でフサに聞くが、フサはもう、長剣を握り締めていた。
「大丈夫だ。俺に任せな」
ギコに白い歯を見せてから、フサは気合の声と共に走り出す。近づいたかと思うと素早く、長剣を振り下ろした。
ザクッ!
嫌な音が響く。いつの間にか、森のざわめきは消えていた。
直後に、蝙蝠の叫び声が響いた。
『ギシャァァァァアアアア!!?』
口から、傷からと鮮血が迸る。ギコの怪我よりは数段上の痛手だろう。蝙蝠も顔を顰めている。
「やったか!?」
ギコの口には思わず微笑が表れる。しかし、蝙蝠は倒れることはなかった。それどころか、そのままフサに襲い掛かった。
『シャァァァァアアアア!!!』
鋭い爪で襲い掛かる。
「フサァ!!」
ギコが叫ぶ。フサも嫌な顔をしているが、すぐに表情を改めた。
「本当は、使いたくないがな…!」
そういったかと思った途端、フサは目を閉じ、手を前に出す。魔物が襲いかかろうとしている時なのに、これでは自殺行為である。しかし、それは違った。
フサは目を見開いた。
『炎の術、ヘルバーニングッ!』
そして、叫ぶ。その瞬間、目の前が光に包まれた。その光は、熱く熱を帯び
ている。ギコも、目を開けられない程だった。
『ギシャアアアアアアアア!!!』
薄く開いた目に飛び込んできたのは、炎に包まれ、踊るようにのた打ち回る蝙蝠。そして、耳に入ったのは、胸の痛くなるような絶叫――所謂、断末魔――だった。
「うわぁ…!」
驚きのあまり言葉を出しにくい。ただただ、呆然とするだけだった。
煙が消え、蝙蝠がいたところを見ると跡形もなく、微量の煤が空気中を浮かんでいるだけだった。凄まじい力である。
「ふぅ、とりあえずOKだな」
その力を出したフサは、何事もなかったように額の汗を拭う。力を出した手も、反動は見て取れなかった。
「お、お前…! 何、それ…!」
「ん? 俺の力だよ。炎の。この世界じゃ、別に普通のことだぜ」
曖昧な質問に、フサはにっ、と笑いながら答える。この世界にはこんな奴がいるのか、とギコは内心、困り果てた。
しかし、それは一気に吹っ飛ぶ。
「ふぅん、バットデビルを意図も簡単に倒すとは…。なかなかやるみたいだね」
先程、蝙蝠の叫びが聞こえた所ぐらいからの声。男性のようだが、姿は見て取れない。二人は辺りを見渡した。
「けど所詮、ただのAA。僕が直々に殺してあげるよ」
この言葉が終わるより早く、声の主は木から飛び降りた。木は四メートルほどあるが、難なく地上に着地する。二人は一歩後退りをした。
「僕の名前はモララー。ソロウ様の命令でこの世界を悲しみに沈ませてやろう。さぁ、歯向かうなら歯向かえ。無駄なことだがな!」
自己紹介、のようなことを言い声の主、モララーは襲い掛かってきた。手に
はフサと同じような剣を持っている。そして、何より目を惹くのが、左手に宿る群青の光だった。
「ちっ、新手か。…それに、コイツは何か違うようだな…」
フサは微笑をもらすが、本心はまずい、と思っていた。呟いた言葉と同様、彼は同じAA。しかし、自分達と何かが違う。そんなオーラが漂っている。
そして気になるのが、モララーの口にしたソロウ、と言われる者だった。様
付けをしているところを見ると、どうやら彼らより上の立場に立つものらしい。
そんなことを考えているうちに、モララーは攻め込んでくる。フサもしまいかけた長剣を握りなおした。
「ふん!」
短い気合の直後、モララーは剣で斬りかかる。フサはギリギリで止めたが、彼の攻撃は疾く、重い。何度もうけれるものではなかった。
「くっ、強ぇなお前…」
こんな時でも、フサは微笑を隠さない。お互いが剣で対峙している中、ギコ
は見守ることしか出来なかった。
(糞! 俺にも何か出来ることは…)
唇を噛み、フサの背中を見守る中、ギコは不意に思い出す。先程、フサの言っていた言葉。
(此処は俺の世界…!)
自分の世界なのに――まだ確信はないが――、その本人が何も出来ないなん
ておかしい。自分が、彼を助けなければ。
そう思い、拳を握り締める。その時、ギコは驚いた。
「……!!?」
自分の手が光っているのだ。右手が橙に。それは、まるであの時見た夕日のようだった。
「これは…!?」
ギコが呆然と呟いた。背中を向けているフサも彼の異変に気づく。しかし、期待はしていない。まだ、この世界に慣れていないAAだ。戦いに参戦できるはずがない。しかし、次の彼の言葉に、フサは驚愕することになるだろう。
(力が漲る……!)
拳は握り締めたままだが、彼らの向けて突き出す。そして、ゆっくりと目を瞑った。まるで、先程のフサの様だった。
そして、静かに彼は囁く。
『光の術、マナスティス』
彼の手が、光り輝いた。
第三章 完
◆ ◆ ◆
第四章 「悲しみの世界」
彼の手から発せられた光は一直線に二人の元へ伸びる。明るく、闇をも全部照らしそうな光。邪悪な光も聖なる光も全て混ざっているようだ。
「なっ…!」
フサの目の前を横切り、光はモララーの腹部に直撃した。
「ぐはぁあああぁ!!」
衝撃のあまり、光は少し密度を増す。そのまま、モララーは吹っ飛ぶ。光に押され、木々の中で一番巨大な大木に激突した。
「ば、馬鹿なぁ…! その光は…」
モララーは苦悶の声を上げる。その直後、口から鮮血を噴出し、その場に蹲った。
フサは長剣を握り締めたまま、唖然とした表情でモララー、そしてギコを見る。ギコは、息を荒くしながら立っていた。
「何だ、この力は…。これが、お前の力……」
呟いた直後、ギコの体力が底を尽きたのか、彼は急にしゃがみ込んだ。息は荒いままだ。咽込む気配もある。
「はぁはぁ…! どうなってんだ…!?」
ギコ本人も、自分の使った力に困惑している。ただ、ギコの力は凄まじいということは確かのようだった。
「すっげぇよ、お前! 意図も簡単に倒しやがった! さすがこの世界の張本人だな!」
フサがギコの元へ走り出し、喜びの声を上げる。そして、続けた。
「よし、このことをモナー達にも知らせなくちゃな」
息がまだ荒く咽込んでる中、ギコは出しにくい声を絞り出し、ゆっくりと言った――呟いた。
「モナー、達って…?」
「俺の仲間だ。早く村に戻るぞ」
そう言ってフサが振り返った時だ。いきなりフサの表情が硬くなる。どうしたのか、とギコがフサの背中から覗いた。
「!?」
モララーが巨木を支えに立ち上がっていた。ギコ同様、息は荒い。口元には、先程の鮮血が滴っていた。しかし、顔には邪悪な笑みを浮かべ、こちらを見た。
「フフッ…。フハハハハハハハハハハハ!!」
そして、喉も涸れよと哄笑を上げる。その笑いには、少し恐怖も感じられ、二人は少し後退る。
「はぁはぁ…! 分かったぞ…! お前がこの世界を作り出した奴か…! この悲しみの世界を…! 僕に勝ったとでも思ったか! 僕はソロウ様の片腕とも言える存在だ! お前なんかに殺されねぇよ!」
モララーは笑みを濃くする。そこには、死神のような――それ以上かもしれない――瘴気が感じられる。
しかし、モララーは再び膝をつき、鮮血を吐いた。生々しい、赤色だ。
「そうは言っても…、少し効いたな…。だが、僕達に歯向かったことをいつか後悔するだろうさ! じゃあな、この世界の、悲しみの世界を作り出した本人さんよぉ!」
その後、再びモララーは哄笑を響かせる。それは、この森全体に響き渡っただろう。森の木々達も怯える。
そして、群青の光と共に彼は消えていった。死んだのではなく、瞬間移動したと予想がつく。
一瞬のうちに静寂に包まれた森。二人も一瞬、静かに佇んでいた。
「こりぁ、モナー達に話すことが増えちまったな…。…行くか、奴らも待っているしな」
静寂を破ったのは、フサの呟き。そのまま、彼が走り出したので、ギコも少し慌ててついて行く。
「待てよー! こっちは病人だぞゴルァ!」
言っていることとは反対に彼も元気に走り出す。
森は、先程までの静寂に包まれ、見え始めた夕日に染められていた。
森は思ったより深く、出るだけでも十分はかかった。これでは、病人ではなくてもかなり疲れてしまうだろう。案の定、ギコは息を荒く走っていたが、フサは平気に走っていた。
森を抜けると、すぐに小さな村が……。村と言えるのかどうか分からない程荒んだ、所が見えた。
入り口に立つと、小さな村が一望できる。最も数が多いのは、人間でも、家でもなかった。目を惹くのは軽く二百は超える、墓だった。
十字に組まれた墓。その十字は、腐りかけた木で出来ている。これでは、死んだ者も報われないだろう。
「此処に…、そのモナー達って奴が…?」
確認のため、フサがいる方向――いた方向を向く。そこにフサの姿はなく、あれ? 、と呟いた後彼の声が聞こえた。
「おぉーい、早く来いよ!」
彼はとっくに、村の中に入っている。ギコは慌てて彼の所へ走り出した。
「早ぇよ! 何回も言うけどこっちは病人だぞ!」
ギコが非難した時、二人とは違う、別の声が耳に入った。
「フサさん、どうでしたか?」
フサの影にいて、ギコには姿を見ることは出来ないが、どうやら女性らしい。フサの彼女か? 、と少し右に寄ったら彼女の姿が見えた。
「おぉ、どうも。森で一体倒しましたよ。特に異変は無しです」
フサが白い歯を見せて話していたのは、幼児を連れた母親だった。彼女は不安そうな表情で聞いていたが、この言葉を聞いて、安心したようだ。
「そうですか、良かった…。ほら、お前もお礼を言いな。いつも有難う御座いますってね」
「ありがとおございます!!!」
可愛らしく、幼児はお礼を言う。フサはにっ、と笑いながら、右手でガッツポーズをした。
しかし、彼女達に言ったのは嘘だ。本当は、今までに無いことが起こった。この悲しみの根源とも言える、彼奴等との接触を果たしたのだ。だが、フサはこのことを言わない。彼女達や村の者に不安をかけたくないからであろう。
「では、お仕事頑張ってください」
簡単に彼女は会釈をして、二人と別れた。
「へぇー、お前って結構有名人ってかぁ?」
ギコが、フサを肘で突付く。フサがやめろよ、と苦笑いで言う。そのまま、優しい笑みを浮かべ、彼は呟いた。
「どんなに、悲しみが襲っても…。皆は絶望に立ち向かっている。皆で力をあわせて戦う…。この村が俺は好きだ」
ギコも優しい笑みを浮かべる。
「だから俺は戦う。この村に、もう一度笑顔を取り戻したいから…。悲しみは、笑顔には勝てないんだ」
フサは言い放つ。この村も夕日に包まれていった。
第四章 完
◆ ◆ ◆
その上に乗って、様々な出来事を巻き起こす。それが人間である。
人間の住んでいる世界は一つ……。そう、思っていないだろうか。
それは違う。世界は一つではない。
世界は、無限大にある。数え切れない程に。
それは人々の気持ち…………。
その中には、人それぞれの世界がある。
楽しい気持ち…、その中には楽しい世界が生まれる。
怒りの気持ち…、その中には怒りの世界が生まれる。
そう、人の感情によって世界は限りなく増えるのだ。
世界の中には、その人が思っている人間が現れる。
その中にいる人間も、限りない。
そのかわり、その世界に人間は入り込めない。
なぜなら世界は、その気持ちを思う人間自体だからだ。
しかし、何かの切欠で、その世界に入り込んでしまう人もいる。
では、その中から一人、ある少年の話で考えてみよう。
これで、貴方も自分の世界を考える機会が…出来ただろう。
~Feeling World~
第一章 「突然の電話」
トゥルルルルルッ……トゥルルルルルッ……
始まりは一つの電話からだった。
ある家に響くわたる着信音。そして、ドタドタと床を揺らす足音。少し後に、元気な声が聞こえた。
「はい、ギコハニャーンです」
学生服を着こなす少年が電話に出ている。手には、先程まで勉強をしていたのか、鉛筆が握られていた。
“あっ、君がギコ君かい…?”
少年、ギコにとっては聞きなれない声だった。しかし、自分の名前が呼ばれたので、返さなければならない。
「そうですけど…」
少し動揺しているのか声のボリュームが下がる。手にはまだ鉛筆が握られていた。
だが。
コトンッ……
握られていたはずの鉛筆が落ちた。その衝撃で、黒く光る芯も先端が折れてしまう。
そして、先程までとは違う、驚愕の声が響いた。
「か、母さんが!!?」
額には冷や汗が流れ始めていた。
ギコは自転車を走らせている。学校へ向かうときとは正反対の、西へ。県道には思ったより車が多い。
ギコの向かっている所、それは。
(急げ、急げ! 急げぇ!! 母さん!!!)
いつもよりペダルは強くこぐ。早くしないと間に合わないかもしれないからだ。
先程の電話。それは、病院からだった。
母がトラックに撥ねられた…、そう言っていた。母は、元々夕方担当のパー
トに行っている。そろそろ帰ってくる時刻だったから、帰りの道のりで撥ねられたのだろう。
そんなことはどうでも良い。今は、ただ母に会いたいだけだ。
学生服のまま、ギコは自転車で駆けた。大通りに出た今でも、スピードは緩めない。とにかく、早く病院に着きたかった。
それから五分後。二丁目の『2ちゃんねる病院』に着く。自転車置き場まで行ったのは良いものの、乗っている自転車を適当に乗り捨ててしまった。後から、苦情が来るかもしれない。
そんなことはお構いなしにギコは走る。入り口の自動ドアも一度ぶつかってしまった。
中に入り、ギコは受付の前に飛び込む。周りは骨折した人や、車椅子に乗っている人で、いっぱいだった。
「おい!! 外科はどこだ!!?」
いきなり現れたギコに受付の女性は驚きを隠せない。ぽかん、とした状態で彼女は答えた。
「に、二階ですけど…?」
最後までギコは聞かずに走り出す。受付の女性は走り去るギコをまたぽか
ん、とした表情で見ていた。
(二階か…!)
エレベーター乗り場に向かったがすぐに動ける状態ではなかった。しかし、ギコは手際良く、右の階段を登り始めた。
(待ってろよ…!!)
三段跳びで登るギコは拳を握り締めた。
二階に着いたギコも、足を止めることはない。廊下も全力で走り抜けた。周りの患者も驚きの表情で見つめている。
(ギコハニャーン…。どこだ!?)
辺りを見渡すギコ。すると、左の方に見慣れた文字が見えた。
『204号室 ギコハニャーン様』
(ここか!?)
判別のする時間もない。ギコはノックもせずに部屋の扉を開けた。
ガチャ!
開けた瞬間、ギコは扉に手をつけ、息を荒くする。どうやら、一人用の病室
のようだ。奥行きも少ない。はぁはぁ、と息を荒くするギコだが、視界に入った人物を見てギコはゆっくりと歩き出した。
「か、母さん……?」
まだ、息は荒いままだ。しかし、そんなことより今は、母の姿に驚くだけだった。顔に白い布をかぶせられ、ベッドに横たわる母の姿に。
「ギコ君か…?」
どこかで聞いたことのある声。彼は、母のベッドの横にいる。声を聞いて分かったが、彼は先程電話をもらった医者だった。
「あの…、母さんは…?」
恐る恐る聞く。医者は少し顔を下に向け、首を振った。
横に。
「最善は尽くした…。けれど、間に合わなかった…」
ギコは、目の前が真っ白になる。何かの冗談なら良かった。全て、夢なら良かった。だが、現実だった。
「う、嘘だろ…?」
ベッドに近づく。そして、白い布をゆっくりと持ち上げた。そこには、紛れもない母の顔が、目を瞑った母の顔があった。
鉛筆を落としたように、白い布も床に落ちる。そして、ギコの目から、透き通る液体が流れ出した。
「か、母さん……!」
呟いたのも一瞬で、ギコの目からは滝のように涙が零れ出した。温かい雫だった。
「うわぁぁぁあああ!!!」
ベッドに縋り付く。医者も、目を逸らすことしか出来なかった。
少年は泣く。
悲しみに襲われて。
今、彼の世界には悲しみの世界が出来ているだろう。
悲しみの世界は、その他の世界より恐ろしく、なかなか消えない。
彼の悲しみはとても深いものだった……。
第一章 完
◆ ◆ ◆
第二章 「謎の世界」
ギコは歩く。自転車には乗らず、ゆっくりと、歩いている。
もう日は暮れ、西の空には橙の夕焼け浮かび、町を照らしている。彼の瞳
も、橙に。
しかし、ギコの瞳は暗く、尚且つ悲しい光を帯びていた。目の下の腫れから泣いた様子も良く分かる。母を失った悲しみ…。それは、どんな人でも重く圧し掛かる。
だが、人間にはその悲しみを断ち切ることが可能だ。誰かを愛し、誰かを信じることで、悲しみを開放させることが出来る。ところが、一転して悲しみをずっと心の奥にしまい込み、それを一生引き摺っていってしまう人も多い。大半はそのままだが、エスカレートすると自殺に追い込んでしまうこともある。
ギコも、そうなってしまった。
(もう…、生きている意味なんてない…)
元々、ギコは勉強が苦手だ。特に、英語や数学は担当の教師に怒られることも度々。スポーツでは野球のみ得意だが、その野球でも最近はうまくいかない。監督に怒られる毎日だった。
しかも、それを励ましてくれた母がもういない。もう、ギコは生きる希望を完全に見失ってしまったのだ。
また、父にはもう十年前に先立たれている。もう、身寄りも少なかった。
(死のう………)
ギコは近くの公園に入った。そこには、深めの池がある。そこで、自殺をしようというのだ。夕方になり、子供の姿は少ない。
(絶好のチャンス、って訳か……)
死が近づいているのにギコの口元には微笑が浮かぶ。適当に自転車を放り捨て、ギコは池に近づいた。
少し濁った池。水草も浮かび、少ないが魚の姿も見られる。
「母さん……。今行くからな…」
ギコは淵に立つ。なぜか恐怖は感じない。それどころか、母に会えると思うと嬉しくなってしまう。
「よし…」
短い決意の言葉。その少し経った後、ギコの体が傾く。
水音が、響いた。
深く、濃いまどろみの中。ギコは浮かんでいるのか立っているのか分からない。しかし、水の中に飛び込んだこともあり、死んだということは容易に想像
が出来た。
―――あぁ…、俺、死んだんだなぁ…
目もしっかり開けられないまま、ギコは心で呟く。
―――もう一度…、母さんに…
少し笑いかけた瞬間、ギコの頭に声が響いた。
『それは…、まだおあずけだ』
―――!?
どこかで、聞いたことのある声だった。ギコは思い出そうとする。しかし、
何にも思い出せなかった。
『お前には、安心して死んでもらわれないと困るんだよ』
そのまま声は続ける。まだ、全然思い出せない。ただ、とても懐かしい声で
あることだけは、思い出せた。
―――お前、誰だ?
仕方なく、ギコは聞くことにする。誰かも分からない声に聞くのも、何か変な気がしたが。
『私か? ……まだ、時間が足りない』
―――え?
訳が分からないので、ギコは間の抜けた声を出してしまう。時間…、意味が分からなかった。
『お前は、解放しなければならないのだ。私の名はお前が帰るときに言おう』
目を開けてはいないが、目の前が明るくなる。どうやら、外の世界が光り輝いているようだ。そんなことはどうでも良い。声の言っていることを考えていた。
―――分かった。じゃあ、またいつか会えるんだな?
本当は何も分かっていない。しかし、声は信用できそうだった。
『あぁ。じゃあ、解放して来い』
光がより密度を増し、ギコの意識が飛んだ。
微かに当たる、冷たい空気でギコは目を覚ました。少し、寒気がして小さなくしゃみをした。
何回か、瞬きをし、ギコは身を起こす。自分は死んだはずだった。しかし、
周りに見えるのは暗い空。そして、辺りを囲む、沢山の木々達だった。
「ここは……?」
人の姿は無く、とにかく周りに見えるのが沢山の木々。どうやら、森の中のようだが、生き物の姿は見えない。
唐突に、ギコの頭を奔る激痛。それを右手で撫でた。
手を下げても何にもなかったが、それより驚いたのは、自分の手の状態だっ
た。
「なぁ!? 手が…!? 猫ぉ!!?」
手にいつもの五本指はなかった。猫の手のような形をしている。もしやと思い、体を見ると体全体が猫のような姿をしていた。先程から起こる異変にギコは動揺を隠せない。
「どうなってんだぁ…!? 体は猫になるし…」
「正確にはAAだ、ギコ」
突然、声が聞こえた。びくっ、と驚きギコは後ろを振り向いた。
そこに立っていたのは自分にそっくりの猫。毛が多めに生えている。ただ、自分より背は高く、腰には見慣れない長剣を掲げていた。
「誰だぁ!?」
「俺か? 俺はフサギコ。簡単にフサで良い」
ギコの剣幕に彼、フサは微笑をもらす。
「何で、俺の名前を…?」
フサは、微笑をもらす口元に変化を出さぬまま、ギコの質問に答えた。周りの木々も、風でざわつく。
「そりゃあお前、知ってるに決まってるじゃないか。俺は、お前に作り出されたAAなんだから」
「…!?」
ギコは驚愕の表情で、一歩後退りする。初めて会った人――もしくはAA―
―を自分が作り出したというのだ。
「何言ってるんだ…? 俺、そんなことやった覚えはないぞ」
「それはな。実際の人間は気づかない。…しかし、ギコも世界に入り込んでしまうとはなぁ」
後半の方はもう聞く耳も持たなかった。ギコは腕組して考える。自分は死んだはずだった。ということは、ここは天国か地獄なのだろうか。
「おい、此処はどこなんだ?」
ギコの質問にフサは鼻で笑う。やっぱりか、と呟くと、フサはギコの目の前で言った。
「此処は、悲しみの世界。お前の気持ち、悲しみで出来た世界だよ」
第二章 完
◆ ◆ ◆
第三章 「魔物の襲撃」
「…はぁ? 意味がわからねぇんだけど…」
ギコが子供のような声を出す。今度は困った表情になり、フサは眉を細める。
「やっぱり、お前にはまだ早いみたいだな。…しょうがない、奴らのところに
行こう」
「奴ら?」
ギコは首を傾げる。しかし、一方的に歩き出すフサに、慌てて着いて行こうとした。その時。
『シャァァァァアアアア』
いきなり、不気味な叫び声が響いた。どこからか分からないが、木々の上、そこまでは理解できる。しかし、ギコは肩を竦め、フサは顔を顰める。そして、剣の柄に手をかけた。
「…来るぞ!」
フサが叫んだかと思うと、真後ろの木から何かが飛び降りてきた。ギコが振り向くがそれより早く、何かの爪がギコの左肩を引っ掻いた。
「うわぁ! 痛ってぇ!」
微量に血が出る。右手でその傷口を押さえた。大した怪我ではないが、いきなりの攻撃にギコは怯える。
フサとの距離は二メートル弱ある。その間にいたのは、蝙蝠だった。
『キシャァァァァアアアア』
再びの咆哮。ただの蝙蝠ではない。自分達より少し大きめ。そして、何より違うのが腕が生えていることだった。右腕の先端には鋭い爪があり、そこにギコの血が滴っている。
「大丈夫か!?」
「あぁ…。大丈夫だ」
曖昧な返事で、ギコは答える。右手を離すと血が吹き出るので、手を離すことは出来なかったが。
「どうするんだ…」
もう頼れるのはフサしかいなかった。弱音のような声でフサに聞くが、フサはもう、長剣を握り締めていた。
「大丈夫だ。俺に任せな」
ギコに白い歯を見せてから、フサは気合の声と共に走り出す。近づいたかと思うと素早く、長剣を振り下ろした。
ザクッ!
嫌な音が響く。いつの間にか、森のざわめきは消えていた。
直後に、蝙蝠の叫び声が響いた。
『ギシャァァァァアアアア!!?』
口から、傷からと鮮血が迸る。ギコの怪我よりは数段上の痛手だろう。蝙蝠も顔を顰めている。
「やったか!?」
ギコの口には思わず微笑が表れる。しかし、蝙蝠は倒れることはなかった。それどころか、そのままフサに襲い掛かった。
『シャァァァァアアアア!!!』
鋭い爪で襲い掛かる。
「フサァ!!」
ギコが叫ぶ。フサも嫌な顔をしているが、すぐに表情を改めた。
「本当は、使いたくないがな…!」
そういったかと思った途端、フサは目を閉じ、手を前に出す。魔物が襲いかかろうとしている時なのに、これでは自殺行為である。しかし、それは違った。
フサは目を見開いた。
『炎の術、ヘルバーニングッ!』
そして、叫ぶ。その瞬間、目の前が光に包まれた。その光は、熱く熱を帯び
ている。ギコも、目を開けられない程だった。
『ギシャアアアアアアアア!!!』
薄く開いた目に飛び込んできたのは、炎に包まれ、踊るようにのた打ち回る蝙蝠。そして、耳に入ったのは、胸の痛くなるような絶叫――所謂、断末魔――だった。
「うわぁ…!」
驚きのあまり言葉を出しにくい。ただただ、呆然とするだけだった。
煙が消え、蝙蝠がいたところを見ると跡形もなく、微量の煤が空気中を浮かんでいるだけだった。凄まじい力である。
「ふぅ、とりあえずOKだな」
その力を出したフサは、何事もなかったように額の汗を拭う。力を出した手も、反動は見て取れなかった。
「お、お前…! 何、それ…!」
「ん? 俺の力だよ。炎の。この世界じゃ、別に普通のことだぜ」
曖昧な質問に、フサはにっ、と笑いながら答える。この世界にはこんな奴がいるのか、とギコは内心、困り果てた。
しかし、それは一気に吹っ飛ぶ。
「ふぅん、バットデビルを意図も簡単に倒すとは…。なかなかやるみたいだね」
先程、蝙蝠の叫びが聞こえた所ぐらいからの声。男性のようだが、姿は見て取れない。二人は辺りを見渡した。
「けど所詮、ただのAA。僕が直々に殺してあげるよ」
この言葉が終わるより早く、声の主は木から飛び降りた。木は四メートルほどあるが、難なく地上に着地する。二人は一歩後退りをした。
「僕の名前はモララー。ソロウ様の命令でこの世界を悲しみに沈ませてやろう。さぁ、歯向かうなら歯向かえ。無駄なことだがな!」
自己紹介、のようなことを言い声の主、モララーは襲い掛かってきた。手に
はフサと同じような剣を持っている。そして、何より目を惹くのが、左手に宿る群青の光だった。
「ちっ、新手か。…それに、コイツは何か違うようだな…」
フサは微笑をもらすが、本心はまずい、と思っていた。呟いた言葉と同様、彼は同じAA。しかし、自分達と何かが違う。そんなオーラが漂っている。
そして気になるのが、モララーの口にしたソロウ、と言われる者だった。様
付けをしているところを見ると、どうやら彼らより上の立場に立つものらしい。
そんなことを考えているうちに、モララーは攻め込んでくる。フサもしまいかけた長剣を握りなおした。
「ふん!」
短い気合の直後、モララーは剣で斬りかかる。フサはギリギリで止めたが、彼の攻撃は疾く、重い。何度もうけれるものではなかった。
「くっ、強ぇなお前…」
こんな時でも、フサは微笑を隠さない。お互いが剣で対峙している中、ギコ
は見守ることしか出来なかった。
(糞! 俺にも何か出来ることは…)
唇を噛み、フサの背中を見守る中、ギコは不意に思い出す。先程、フサの言っていた言葉。
(此処は俺の世界…!)
自分の世界なのに――まだ確信はないが――、その本人が何も出来ないなん
ておかしい。自分が、彼を助けなければ。
そう思い、拳を握り締める。その時、ギコは驚いた。
「……!!?」
自分の手が光っているのだ。右手が橙に。それは、まるであの時見た夕日のようだった。
「これは…!?」
ギコが呆然と呟いた。背中を向けているフサも彼の異変に気づく。しかし、期待はしていない。まだ、この世界に慣れていないAAだ。戦いに参戦できるはずがない。しかし、次の彼の言葉に、フサは驚愕することになるだろう。
(力が漲る……!)
拳は握り締めたままだが、彼らの向けて突き出す。そして、ゆっくりと目を瞑った。まるで、先程のフサの様だった。
そして、静かに彼は囁く。
『光の術、マナスティス』
彼の手が、光り輝いた。
第三章 完
◆ ◆ ◆
第四章 「悲しみの世界」
彼の手から発せられた光は一直線に二人の元へ伸びる。明るく、闇をも全部照らしそうな光。邪悪な光も聖なる光も全て混ざっているようだ。
「なっ…!」
フサの目の前を横切り、光はモララーの腹部に直撃した。
「ぐはぁあああぁ!!」
衝撃のあまり、光は少し密度を増す。そのまま、モララーは吹っ飛ぶ。光に押され、木々の中で一番巨大な大木に激突した。
「ば、馬鹿なぁ…! その光は…」
モララーは苦悶の声を上げる。その直後、口から鮮血を噴出し、その場に蹲った。
フサは長剣を握り締めたまま、唖然とした表情でモララー、そしてギコを見る。ギコは、息を荒くしながら立っていた。
「何だ、この力は…。これが、お前の力……」
呟いた直後、ギコの体力が底を尽きたのか、彼は急にしゃがみ込んだ。息は荒いままだ。咽込む気配もある。
「はぁはぁ…! どうなってんだ…!?」
ギコ本人も、自分の使った力に困惑している。ただ、ギコの力は凄まじいということは確かのようだった。
「すっげぇよ、お前! 意図も簡単に倒しやがった! さすがこの世界の張本人だな!」
フサがギコの元へ走り出し、喜びの声を上げる。そして、続けた。
「よし、このことをモナー達にも知らせなくちゃな」
息がまだ荒く咽込んでる中、ギコは出しにくい声を絞り出し、ゆっくりと言った――呟いた。
「モナー、達って…?」
「俺の仲間だ。早く村に戻るぞ」
そう言ってフサが振り返った時だ。いきなりフサの表情が硬くなる。どうしたのか、とギコがフサの背中から覗いた。
「!?」
モララーが巨木を支えに立ち上がっていた。ギコ同様、息は荒い。口元には、先程の鮮血が滴っていた。しかし、顔には邪悪な笑みを浮かべ、こちらを見た。
「フフッ…。フハハハハハハハハハハハ!!」
そして、喉も涸れよと哄笑を上げる。その笑いには、少し恐怖も感じられ、二人は少し後退る。
「はぁはぁ…! 分かったぞ…! お前がこの世界を作り出した奴か…! この悲しみの世界を…! 僕に勝ったとでも思ったか! 僕はソロウ様の片腕とも言える存在だ! お前なんかに殺されねぇよ!」
モララーは笑みを濃くする。そこには、死神のような――それ以上かもしれない――瘴気が感じられる。
しかし、モララーは再び膝をつき、鮮血を吐いた。生々しい、赤色だ。
「そうは言っても…、少し効いたな…。だが、僕達に歯向かったことをいつか後悔するだろうさ! じゃあな、この世界の、悲しみの世界を作り出した本人さんよぉ!」
その後、再びモララーは哄笑を響かせる。それは、この森全体に響き渡っただろう。森の木々達も怯える。
そして、群青の光と共に彼は消えていった。死んだのではなく、瞬間移動したと予想がつく。
一瞬のうちに静寂に包まれた森。二人も一瞬、静かに佇んでいた。
「こりぁ、モナー達に話すことが増えちまったな…。…行くか、奴らも待っているしな」
静寂を破ったのは、フサの呟き。そのまま、彼が走り出したので、ギコも少し慌ててついて行く。
「待てよー! こっちは病人だぞゴルァ!」
言っていることとは反対に彼も元気に走り出す。
森は、先程までの静寂に包まれ、見え始めた夕日に染められていた。
森は思ったより深く、出るだけでも十分はかかった。これでは、病人ではなくてもかなり疲れてしまうだろう。案の定、ギコは息を荒く走っていたが、フサは平気に走っていた。
森を抜けると、すぐに小さな村が……。村と言えるのかどうか分からない程荒んだ、所が見えた。
入り口に立つと、小さな村が一望できる。最も数が多いのは、人間でも、家でもなかった。目を惹くのは軽く二百は超える、墓だった。
十字に組まれた墓。その十字は、腐りかけた木で出来ている。これでは、死んだ者も報われないだろう。
「此処に…、そのモナー達って奴が…?」
確認のため、フサがいる方向――いた方向を向く。そこにフサの姿はなく、あれ? 、と呟いた後彼の声が聞こえた。
「おぉーい、早く来いよ!」
彼はとっくに、村の中に入っている。ギコは慌てて彼の所へ走り出した。
「早ぇよ! 何回も言うけどこっちは病人だぞ!」
ギコが非難した時、二人とは違う、別の声が耳に入った。
「フサさん、どうでしたか?」
フサの影にいて、ギコには姿を見ることは出来ないが、どうやら女性らしい。フサの彼女か? 、と少し右に寄ったら彼女の姿が見えた。
「おぉ、どうも。森で一体倒しましたよ。特に異変は無しです」
フサが白い歯を見せて話していたのは、幼児を連れた母親だった。彼女は不安そうな表情で聞いていたが、この言葉を聞いて、安心したようだ。
「そうですか、良かった…。ほら、お前もお礼を言いな。いつも有難う御座いますってね」
「ありがとおございます!!!」
可愛らしく、幼児はお礼を言う。フサはにっ、と笑いながら、右手でガッツポーズをした。
しかし、彼女達に言ったのは嘘だ。本当は、今までに無いことが起こった。この悲しみの根源とも言える、彼奴等との接触を果たしたのだ。だが、フサはこのことを言わない。彼女達や村の者に不安をかけたくないからであろう。
「では、お仕事頑張ってください」
簡単に彼女は会釈をして、二人と別れた。
「へぇー、お前って結構有名人ってかぁ?」
ギコが、フサを肘で突付く。フサがやめろよ、と苦笑いで言う。そのまま、優しい笑みを浮かべ、彼は呟いた。
「どんなに、悲しみが襲っても…。皆は絶望に立ち向かっている。皆で力をあわせて戦う…。この村が俺は好きだ」
ギコも優しい笑みを浮かべる。
「だから俺は戦う。この村に、もう一度笑顔を取り戻したいから…。悲しみは、笑顔には勝てないんだ」
フサは言い放つ。この村も夕日に包まれていった。
第四章 完
◆ ◆ ◆