「ねぇ、お母さん」
「どうしたの? 眠れないの?」
「うん。だから、お歌歌ってくれる?」
「もちろんよ。何がいい?」
「白と黒のやつ」
「あら、またそれ? 本当に好きね」
「うん。すっごく」
「そっか。そんなに好きなんだ。あんまり子供っぽくない歌なのにね」
「でも好きなの! だから早く歌って!」
「ハイハイ。しょうがないわね……」
『 白い翼を持つ者と
黒い翼を持つ者と
出会うはずのなかった2人
白い翼は闇を纏って
黒い翼は光を纏って
白い翼は奪うため
黒い翼は守るため
白黒二人は戦った
時を越えて争った 』
第1章
「あと一歩だ……」
とうとうここまで来た。
達成感、喜び、未来への期待、さまざまな感情が全身を駆け巡り、思わず微笑む。
これが完成すれば、僕は……神になるんだ。
振り向いて、自分の背にある白い羽を眺める。
馬鹿共め……空を自由に飛べるのも今のうちだからな……
僕がこの腐りきった世界を変えるんだ。
首に下がるペンダントを握り締める。
ヒヤリと冷たい感触が手に心地良い。
あいつらめ。復讐してやる。
父さんの仇だ。
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ……
階段を下りてくる足音が聞こえる。
ラボの扉が音も無く開いた。
「遅くなりました、モララーさん」
少し重たげな足取りで二人が中へ入ってくる。
「随分遅かったな。ぼるじょあ、山崎」
僕はデスクに座ったまま、顔を上げずに答えた。
「集会に連れ込まれそうになったんだYO。撒くのに時間がかかっちゃってSA」
「そうか。今日が月例集会か。てことは明日が満月か。いきなりだけど、明日出発になるな」
「モララーさん、何のことですか?」
伏せていた顔を上げて、二人の顔を見ながら言う。
「ついに、研究が最終段階まで来たぞ」
「ついにですね! モララーさん!」
「すごいYO! やったNE」
二人は満面の笑みで――といっても山崎はいつもどおりだけど――言った。
「待て、まだ終わったわけじゃないからな」
そう、大事な作業がまだ残ってる。
これがなければ研究は完成しない。
「そういえば、何をなさるんですか? さっき出発とかおっしゃってましたけど」
山崎が首をかしげながら聞いた。
「あぁ。僕はこれから過去に行く」
僕の言葉にぼるじょあは驚きを隠せないようだった。
「え? でも、なんで? 何をしに? 過去なんかに行って何……」
「サンプル、ですか?」
ぼるじょあの言葉を遮って山崎が言った。
僕は何も言わずに、ただ微笑みながらうなずいた。
「サンプル? よくわからないYO」
ぼるじょあがわからないのも無理はない。
「おまえには外での仕事を多く頼んできたからな。山崎、おまえならいつもここにいたんだし、少しはわかってるだろ? 」
僕の問いかけに山崎は肩をすくめる。
「いえ、本当に少ししかわかりませんが……羽を持たない者がサンプルとして必要なのでしょう?」
一言だけだが、要点がしっかり絞られている。流石だ。
「簡単に言うとそうだな。今回過去に行く目的はそれだ」
「よくわからないけど、詳しく話してもらえるのかNA?」
ぼるじょあが尋ねた。
「もちろん。おまえ達には僕がいない間にやっといてもらうことが山ほどあるからな」
あと一歩、あと少しだ……
第2章
「ここ……どこだ?」
なんだ、ここは、俺、どうしてこんな所に、いや、なんで、ちょっと、おかしいだろ……
いや、ちょっと待て、落ち着け俺。今までの行動を思い出せ。
えっと……朝飯を食べ終えて…そのあとに部屋に戻って……
9時になったから今日の授業が始まるんで、モニターつけて……
そうだ、つけようとしたところだ。
そういえば、何か一瞬不思議な光が見えた気がした。
あくまで気だから確かじゃないけど。
……で、なんでこうなるんだ?
どうして俺はこんな見知らぬ場所にいるんだ!?
「どこなんだよ!? ここは!!」
俺の力一杯の叫びは、空に吸い込まれていった。
俺は落ち着こうと、ゆっくり深呼吸をした。
訳がわからないけどとりあえず辺りを見回してみる。
今俺がいるのは、小高い丘の上だ。
見たこともない植物ばかり生えているが、不思議と不気味ではない。
普通こういう場所はもっと整備されていて、人がいるはずなのに、ここは荒れてるとまではいかないがこれといって手が加えられた様子もなく、人も俺しかいない。
あまり広さはないが、特に何もないので狭さは感じない。
そう、気づいたら俺は、ここにいたんだ。
眼下に広がるのは広い街。
ここからだとかなり遠くのほうまで良く見える。
だけど、建物がやけに低いし、なんで車が一台も飛んでないんだ?
ド田舎なのか? いや、田舎町には見えないな。
いや待て、さっきまで部屋の中にいたのに、どうしていきなり山の上なんだ?
あぁっ、くそっ、わからねぇ!
「ココハドーコ? ワターシハダレ?」
声に出して言ってみた。
直後、後悔する。
――ダメだ。シャレにならねぇ。
ココハドコ? ――ここがどこだかも、なんでいきなりこんな所にいるのかも、サッパリわからない。
ワタシハダレ? ――お、これならわかる。
「俺は……ギコだ」
そう、俺は俺。ギコだ。
これが、今の俺でもわかっている、数少ないことのひとつ。
逆に言えば、はっきり自信を持ってわかっていることなんて、このくらいかもしれない。
しばらく慌てたせいか、だいぶ落ち着いた。
「にしても、どーしたもんかなぁ……」
俺は、少し雲の多い、そして何も飛んでいない空を見上げて、ため息混じりに呟く。
何か言ったところでどうにもならないことはわかってる。
言ってなんとかなるのなら、声が嗄れるまでだって叫んでやってもいい。
しかし、現状はそんな簡単にいかない。
夢かもしれないとも思って、さっきほっぺたをつねってみたけど、痛かった。
強くつねりすぎたみたいで、さっきからなんだかヒリヒリする。
自分でやっててかなり虚しい。
周りに誰か知っている人でもいれば話は変わるのかもしれないが。
「どうなってんだろうな……もし俺が消えたとしたら兄貴慌てるだろうな……」
さっきまでの俺なんて目じゃないくらいに慌てる兄貴の様子を想像したら、少し気が楽になった。
「悩んでてもしょーがないし、降りてってみるぞ、ゴルァ」
俺は翼を広げた。
闇より深い漆黒の翼を。
第3章
「父さんが……処刑された?」
嘘だろう? そんなわけあるはずがないだろう?
「そうだYO この前捕まった人たちはみんな……羽をむしりとられて……火あぶりにされたっTE」
いつものぼるじょあからは、想像もつかないくらい、暗く、沈んだ声。
今言ったことが本当だという証拠だ。
「嘘だ……そんなわけ……父さんが……」
「酷いYO あんなにいい人が殺されていいわけがないYO」
そうだ。父さんが悪いわけない。
「間違ってるのは……この世界だ」
父さんを消したこの世界なんて、もういらない。
「この世界を、僕が変えてやる」
僕の世界を創ってやる……
今のは……夢か。
僕は目を覚ました。
夢をみた。僕がこの計画を始めるきっかけとなった日のことだった。
僕は胸のペンダントを掌に乗せる。
銀でできた、羽のモチーフのペンダント。
ギュッと握り締め、立ち上がった。
「今日は満月だ。周りの奴らは、お祈りとやらと、聖水を飲むためにセントラルパークに集まる。だから、過去に行くのは今夜だ。人は少ないほうが都合がいいからな」
僕は目の前にいる山崎とぼるじょあに、これからの内容を説明していく。
「『僕がいない間にやってもらうことが……』って昨日おっしゃってましたけど、1人で行かれるんですか?」
「あぁ。正直、もっと大人数で行きたいんだけど、こっちでやらなきゃいけないこともまだかなり残ってるからな」
「やっぱり、3人はちょっと辛いよNE」
「でも、人数は多ければ多いほど裏切られる可能性がでてくるからな。それに、3人で進めた計画だ。3人で成功させたいからな」
「そうだNE!」
「必ず成功させましょう」
運動神経がよく、身軽で動きがすばやいし、抜け目ないので、情報や材料の収集が得意なぼるじょあ。
手先が器用で、頭の回転も速く、些細な一言もしっかり記憶し、こちらの言いたいことを的確に、すばやく理解できる山崎。
そして、僕だ。
僕たちなら必ず、この計画を成功させることができるだろう。
「で、僕のいない間にやってもらうことだけど……山崎」
「なんですか?」
「おまえには、サンプルを連れ帰ったときのためのカプセルの用意を頼む。それと、各種武器の用意。特に爆薬系を多く準備しろ。それから機械のテストと微調整などだ。機械の資料はまとめておいた。これだ」
僕は山崎に資料の入ったディスクを渡した。
「わかりました」
「ぼるじょあ、おまえはこれからしばらく、セントラルパークに通い続けろ。常連になって、周りの奴に怪しまれないようになれ。それともう一つ、なるべく多くの建物の進入経路を探っておけ」
「了解だYO!」
「僕は、過去へ行って、翼を持っていない奴をサンプルとして連れてくる。今言った仕事を、僕が帰ってくるまでに終わらせておけよ。じゃ、僕の出発の準備を手伝ってくれないか?」
「OK!」
ぼるじょあは軽やかに倉庫の方へ駆けていった。
「私のほうはともかく、ぼるじょあに頼んだことは、いろいろとわからないことが多いですね」
残った山崎が言った。
「フフフ……おまえでもわからないか」
「はい。モララーさんがいない間に、じっくり考えさせてもらいます」
「がんばれよ。おまえなら、当てそうな気がするな」
「ありがとうございます。それでは」
山崎もぼるじょあの所へ、倉庫の方へ歩いていった。
僕は二人の背を、しばらく眺めていた。
第4章
「なんなんだ……? あれ」
街の上空まで飛んできた俺は驚いた。
車が――なんか不恰好だけど多分車だ――全部地面の上を走っている。
「どうなってんだよ、まったく」
すっかりわけがわからない。
「とりあえず、誰か話が聞けそうな奴でも探すか」
俺は街に降り立った。
「どうなってるんだ……?」
地面に降りた俺はさらに驚いた。
上から見たとおり、車らしきものは地面を走っている。
周りには、なにかわからない、変な太い柱があちこちから生えているし、地面にはわけのわからない白い模様があちこちに描いてある。
他にも見たこともないようなものがいっぱいある。
そして、それよりもビックリなのは……
「なんで、誰も羽が生えてねーんだよ……」
道を歩く人の中に、誰一人として、翼を持つ人がいなかった。
「あ、あの! ちょっといいですか?」
「なんだ?」
突然、後ろから声をかけられた。
振り向くと、俺より少し年上くらいの女が3人いた。
「あの、何かの撮影なんですか?」
「は?」
撮影? 何のことだ?
「その羽って作り物ですか?」
「少し触ってみていいですか?」
「え? 作り物? 触っ?何?」
あわてる俺をよそに、こいつらは俺の羽に触りだした。
「すっごーい。本物みたーい」
「フワフワ~気持ちい~」
「良くできてるよね。キレーイ」
「お、おい、誰もいいなんて言ってねーぞ、ゴルァ」
人の話も聞かずにこいつらは、触るのをやめようとしない。
気づけば、他にも周りに人が集まりだしていた。
俺は、呆気に取られて、立ち尽くしていた。
プツッ。
「あ」
突然、背中に鋭い痛みが走った。
「痛ェ!」
「す、すみません!」
さっきの3人のうちの1人が、謝った。
手に黒い羽を一本持って。
「痛いじゃねえかよ、何すんだ!? つーかおまえらさっきから人の羽にベタベタ触りやがって何なんだ? 俺らにとって羽一本がどんなに大切かわかってんのか!? いい加減にしろよ!」
「ご、ごめんなさ……」
「だいたいどこなんだよ、ココは!? 知ってる風景と全然違うし、羽生えてるの俺だけだし!」
謝るのも無視しておれは叫んだ。
「あ、あの、何を……」
「ついでに周りのギャラリー共! 見せ物じゃねーんだよ! 帰れ、ゴルァ!」
なんだか無性に腹が立ってしまった俺は、とにかく周りに怒鳴り散らした。
今までなんとか保っていた理性の糸がきれいにきれてしまったわけだ。
俺が一通り怒鳴り終えると、急に場の雰囲気は静かになる。
うつむく奴、呆気に取られる奴、しらばっくれる奴、こそこそ離れていく奴、でも誰一人何も言わない。
ポタ。
「ん?」
上を見上げる。冷たいものが頭に降ってきた。
ポタ、ポタ、ポタ、ポタ……
「あ、降ってきた」
「かさ持ってねー」
「早く、行こう」
ザワザワと周りが動き出した。
かなりいたギャラリー共が、これ幸いとばかりに、あっという間に帰っていった。
「す、すみませんでした!」
さっき俺の羽を抜いた奴も、謝って走っていった。
抜かれてしまった羽が足元に落ちた。
なんとなく、俺は拾い上げる。
「はぁ。どうすればいいんだよ……」
雨はかなり大降りになってきた。
おかげで頭は冷えたけど、このままだとびしょ濡れだ。
俺は、どこへ行くとも無く歩き始めた。
第5章
普段は静か過ぎるくらい静かなラボが、今は声や音に溢れている。
聞こえはいいけれど、実際は慌しいだけだ。
「モララーさん、携帯食料はどのくらい必要ですか?」
「とりあえず、一週間分くらい頼む」
「撮影機はどれにするNO?」
「小型で画質が高いやつ。メモリーチップ多めに用意してくれ」
「武器はどれをどのくらい持っていきますか?」
「A-3の棚の……」
旅支度などしたことも無いので手間取ることも多かったが、僕らは無事に支度を終え、今は山崎と二人で倉庫前の床に座って休憩している。
「いやー、なかなか大変でしたね。あまりに急でしたから」
「善は急げ、だからな」
とは言いつつ僕も、来月にしとけばよかったと軽く後悔したのだけど。
ふと、ふわりとした甘い香りが鼻をくすぐった。
「お茶が入ったYO♪」
見ると、円テーブルの横にぼるじょあが立っている。
テーブルの上には、湯気の立つティーポットと、甘い香りの元である焼き菓子が乗っていた。
「今日は砂糖を多めに入れておいたYO」
3人で円テーブルを囲み、雑談をしながら菓子をほおばる。
「今日のもおいしいですね」
山崎の言うとおり、ぼるじょあの入れるお茶は昔からおいしい。
同じ入れ方をしても山崎に入れさせたものとでは、格段に味が違う。
「パパさん直伝の味だからNE♪ おいしいに決まってるYO」
「そうですね。私も直々に教えて頂きたかったですね。全く、もっと早くここに来ていればと何度思ったことか」
「うん、そうだよNE やっぱ山崎が来てくれた日はうれしかったYO」
山崎が来た日、か……
あの日は、天気の悪い日だった。
前日までの晴天が嘘のように、朝から雨が降り続いていた。
今と同じ、お茶の時間に彼はやってきた。
父さんが扉を開けると、そこにはにこやかな笑顔が印象的な二人組がいた。
一人は、父さんより少し年上くらいで、いつか見せてもらった父さんの学生時代の写真の中にいた人だった。
多分父さんの先輩か何かだろう。
もう一人は父親そっくりの顔をしていて、僕と同じくらいの年齢の子供だった。
「山崎さん! よくいらしてくださいましたね。お久しぶりですね。どうぞ入ってください」
「ありがとうございます。突然来てしまってすみません」
「お茶の途中だったんです。ちょうどいいから皆で飲みましょう」
父さんは家の奥に入って行き、僕らも後に続いた。
その後、父さんたち二人は、父さんの研究仲間と一緒に話していた。
残された僕と山崎さんの子供は、自然と会話を始めた。
「君、名前は何?」
「山崎 渉です。あなたは?」
「僕はモララー。よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
彼は、父さんと似た口調で話す人だった。
後から知ったのだが、父さんと山崎さんは思ったとおり学校の先輩後輩で、父さんの口調は彼によるものらしい。
僕らはこの後、いろんな話をした。
山崎は、僕にとってぼるじょあ以外で初めての同年代の子供だった。
しかも、ぼるじょあと違い、難しい話をしても、そのほとんどを理解してくれた。
彼との初めての会話は、とても楽しかった。
「あ、ぼるじょあ!」
山崎と話し出してから30分後くらいに、ぼるじょあが来た。
「パパさんから連絡があったYO。そっちの人がパパさんが言ってたお客さんかNA? 僕はぼるじょあだYO」
「初めまして。山崎 渉です」
ぼるじょあもすぐに彼になじんだ。
彼の父さんの様な話し方を、ぼるじょあも面白がっていた。
3人でいろんな話をした。
「ぼるじょあさんは、いつどうやってモララーさんと会ったんですか?」
「僕はパパさんに拾われたんだYO」
「え? どういうことですか?」
「捨て子……って言うのかNA? 気づいたら僕は一人だったんDA。それからしばらくして僕はパパさんに会ったんだYO。で、モララーと同じくらいの年だし、かわいそうに思ったパパさんは、僕を家に連れて帰ったんDA」
「こうして僕たちは出会ったってわけ。5年位前になるかな」
「そうですか……」
彼は神妙な顔で頷いた。
「だから、僕達はそれからずっと一緒ってわけ」
「うん。モララーは凄いし、パパさんは優しいし、楽しいYO」
「そういうのもいいですね」
時計の針が3回転するまで、僕らは一緒にいた。
気付けば雨はやんでいた。
その翌日に彼ら親子は帰っていった。
「では、いつかまたお会いしましょう」
「うん。また会おうな」
「元気でNE♪」
僕らが見送る中二人は、昨日とは打って変わって晴れ渡った空の下を帰っていった。
とても楽しい日だった。
それからまた7年後、前と同じような雨の日に僕らは山崎と再会した。
山崎の父親が病気で亡くなり一人になった山崎は、いろいろと考えた末、僕らのところに来ようと考えたらしい。
僕の父さんも山崎の父親ももういなかったけれど、あの日と同じ景色が見えた気がした。
こうして僕達3人は一緒に暮らすことになった。
――そして、今がある。
「……懐かしいな」
温かい紅茶を見つめながら、僕は呟いた。
「どうしたんですか、モララーさん」
隣を見れば、あの時と同じ二人がいる。
「なんでもない」
しばらく離れることになるけど、ここには僕の仲間がいる。
僕は、父さんと僕自身と、二人のためにも、計画は成功させなければならない。
第6章
寒い、冷たい、寒い、冷たい、寒い……
凍りそうに冷たいのに、頭だけが酷く熱っぽい。
何故こんなに寒いのだろう。何故こんなに冷たいんだろう。
寒い、冷たい、寒い、冷たい、寒い……
頭から出てくるのはこの二つの単語だけ。
毛布が欲しい。温もりが欲しい。
あれ? なんだか少し暖かくなってきた気がする。
なんだか、とても、気持ちいい……
俺は目を覚ました。
白い天井が目に映った。
「眠ぃ、もう一眠りしよ……」
俺は布団を肩まで引っ張った。
「……ってちょっと待てゴルァ!!」
え? なんで俺寝てるんだ?
ここどこだ? 俺の部屋じゃねぇよな?
あれ? そういえば俺、どっか見知らぬ場所にいたんじゃなかったっけ?
俺は勢いよく起き上がった。
途端、頭に鈍い痛みが走る。
「痛たたた……」
思わず頭に手をやると、冷たいものが手に当たった。
多分、額に冷たい布か何かがが貼り付けられているらしい。
そうか、今まで熱を出してたんだ。
そうだ、もしかしたら今までのは熱のせいで見た夢で、俺はここで寝てたんじゃないか?
てことは、もしかしてあれ全部夢だったのか?
うん、そうだ。そうだったんだ。
俺は一人で納得した。
部屋の外から足音が聞こえてきた。
ガチャ。
部屋に一人の少女が入ってきた。
彼女の背中に羽は無い。
全て夢だったんじゃないかという俺の希望は儚くも打ち砕かれた。
「あ、起きたのね。大丈夫?」
「えっと……だ、誰?」
決して小さくはないショックの中、俺はやっとのことで声を発した。
彼女は苦笑しながら言った。
「そうね、まず自己紹介ね。私はしぃ。初めまして」
そして、にっこりと笑った。
「お、俺はギコだ。えっと、ここはどこなんだ? どうして俺はここにいるんだ?」
「ここは私の家。私の友達が雨の中倒れていたあなたを見つけて、とりあえず近くにある私の家に運んできたの」
「え?」
倒れてた? 記憶に無い。
「そしたらあなた、凄い熱だったから、私がしばらく看病してたの。3日間も寝込んでたのよ」
「3日間も!?」
そんなに寝込んでいたなんて……
「……ありがとう」
「どういたしまして」
彼女の笑顔は、何だか温かかった。
「ところで、何故あんなところに倒れていたの? それに……その翼は?」
聞かれて当然の事だ。
しかし、この質問に答えるには、俺にもわからないことが多すぎる。
だけど彼女は、見ず知らずの俺を助けてくれた恩人だ。
答えられる限りのことを、できるだけ正直に答えたい。
「倒れてたのは、行く場所がないから雨の中さまよってたせいだと思う。この翼は俺の翼だ。生まれたときからあったもので、俺の一部。俺がいた場所では、翼が生えてるのがあたりまえだった。でもここは違うらしい。ここはどこなんだ?」
結局最後にたどり着くのは同じ問い。
『ここはどこなのか』
「……もしかしたらって思ったけど、本当にそうだったみたい。びっくりね」
彼女が呟いた。
「え?」
俺には意味がわからない。
「なんて言ったらいいんだろう……? 多分、私じゃあなたの質問に答えきれないと思う。だから、あなたに会ってもらいたい人たちがいるの。その人たちがいればきっと、私からの質問にも、あなたからの質問にも、とても答えやすくなるはず。会って、くれる?」
考える必要は特に無いと思う。
「そいつらがいれば知りたいことがわかるなら、俺はそいつらに会いたい。会って話をしたい」
「わかった。それまで、あなたの質問にも答えられないけど、私からもあなたについての質問はしないことにするね。彼らに会ったときにまとめてしましょう」
まるで、当分そいつらに会わないかのような言い方が気にかかった。
「今すぐ会うんじゃないのか?」
すると、彼女は少し呆れながら言った。
「だって、3日間も寝込んでて、今起きたばかりじゃない。もう少し寝てなきゃ」
そういえば、まだかなりだるいし、頭も痛い。
仕方ない。とりあえずここがどこで、俺が何故ここにいるのかがわかるなら、待ってもいいか。
突然、空腹が襲ってきた。
当たり前だろう、3日も何も食べていないらしいのだから。
が、3日間も看病してもらった身として、ここで食べ物を催促するのは随分図々しくないだろうか?
俺は悶々と悩みだしたが、頭よりも体が先に判断したらしい。
つまり、あれだ。ぐうぎゅるる、だ。
顔を赤くする俺を笑うことなどせず彼女は、今何か持ってくる、と部屋を出て行った。
10分ぐらいたったころ、彼女は手に湯気の上がるお椀を持って帰ってきた。
目の前に出された白い食べ物。
「これ……何?」
下手をすれば相当無神経ともとれる質問。
しかし彼女は機嫌を損ねることなく答えてくれた。
「そっか。知らないのね。これはおかゆ。風邪引いたときの食べ物の代名詞」
俺は一口食べてみた。
やわらかい。とにかくやわらかく、食べやすい。
風邪を引いたときには本当にありがたい食べ物だ。
「どう?」
「……おいしい」
適度な甘さとしょっぱさが食欲をそそる。
今までに食べたことのないものだったが、すぐに舌になじんだ。
幸い、のどは痛くなかったので、俺はしばらく彼女と話をした。
「さっき言ってた、俺が会うやつらってどんなやつなんだ?」
「う~ん……結構変わり者かしら? うん、個性的な人達」
「達ってことは数人なんだろ? 何人くらいだ?」
「とりあえず5人。その全員と話すわけじゃないけど。明後日あたりには会いにいけるかな?」
「会いに行く? 来てもらうのはダメなのか?」
「多分ダメね。そう簡単に外には出てこないでしょ」
どういうことなのか気になったが、深く詮索しないことにした。
ともかく、明後日には謎が解けるらしい。
「どうしたの? 眠れないの?」
「うん。だから、お歌歌ってくれる?」
「もちろんよ。何がいい?」
「白と黒のやつ」
「あら、またそれ? 本当に好きね」
「うん。すっごく」
「そっか。そんなに好きなんだ。あんまり子供っぽくない歌なのにね」
「でも好きなの! だから早く歌って!」
「ハイハイ。しょうがないわね……」
『 白い翼を持つ者と
黒い翼を持つ者と
出会うはずのなかった2人
白い翼は闇を纏って
黒い翼は光を纏って
白い翼は奪うため
黒い翼は守るため
白黒二人は戦った
時を越えて争った 』
第1章
「あと一歩だ……」
とうとうここまで来た。
達成感、喜び、未来への期待、さまざまな感情が全身を駆け巡り、思わず微笑む。
これが完成すれば、僕は……神になるんだ。
振り向いて、自分の背にある白い羽を眺める。
馬鹿共め……空を自由に飛べるのも今のうちだからな……
僕がこの腐りきった世界を変えるんだ。
首に下がるペンダントを握り締める。
ヒヤリと冷たい感触が手に心地良い。
あいつらめ。復讐してやる。
父さんの仇だ。
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ……
階段を下りてくる足音が聞こえる。
ラボの扉が音も無く開いた。
「遅くなりました、モララーさん」
少し重たげな足取りで二人が中へ入ってくる。
「随分遅かったな。ぼるじょあ、山崎」
僕はデスクに座ったまま、顔を上げずに答えた。
「集会に連れ込まれそうになったんだYO。撒くのに時間がかかっちゃってSA」
「そうか。今日が月例集会か。てことは明日が満月か。いきなりだけど、明日出発になるな」
「モララーさん、何のことですか?」
伏せていた顔を上げて、二人の顔を見ながら言う。
「ついに、研究が最終段階まで来たぞ」
「ついにですね! モララーさん!」
「すごいYO! やったNE」
二人は満面の笑みで――といっても山崎はいつもどおりだけど――言った。
「待て、まだ終わったわけじゃないからな」
そう、大事な作業がまだ残ってる。
これがなければ研究は完成しない。
「そういえば、何をなさるんですか? さっき出発とかおっしゃってましたけど」
山崎が首をかしげながら聞いた。
「あぁ。僕はこれから過去に行く」
僕の言葉にぼるじょあは驚きを隠せないようだった。
「え? でも、なんで? 何をしに? 過去なんかに行って何……」
「サンプル、ですか?」
ぼるじょあの言葉を遮って山崎が言った。
僕は何も言わずに、ただ微笑みながらうなずいた。
「サンプル? よくわからないYO」
ぼるじょあがわからないのも無理はない。
「おまえには外での仕事を多く頼んできたからな。山崎、おまえならいつもここにいたんだし、少しはわかってるだろ? 」
僕の問いかけに山崎は肩をすくめる。
「いえ、本当に少ししかわかりませんが……羽を持たない者がサンプルとして必要なのでしょう?」
一言だけだが、要点がしっかり絞られている。流石だ。
「簡単に言うとそうだな。今回過去に行く目的はそれだ」
「よくわからないけど、詳しく話してもらえるのかNA?」
ぼるじょあが尋ねた。
「もちろん。おまえ達には僕がいない間にやっといてもらうことが山ほどあるからな」
あと一歩、あと少しだ……
第2章
「ここ……どこだ?」
なんだ、ここは、俺、どうしてこんな所に、いや、なんで、ちょっと、おかしいだろ……
いや、ちょっと待て、落ち着け俺。今までの行動を思い出せ。
えっと……朝飯を食べ終えて…そのあとに部屋に戻って……
9時になったから今日の授業が始まるんで、モニターつけて……
そうだ、つけようとしたところだ。
そういえば、何か一瞬不思議な光が見えた気がした。
あくまで気だから確かじゃないけど。
……で、なんでこうなるんだ?
どうして俺はこんな見知らぬ場所にいるんだ!?
「どこなんだよ!? ここは!!」
俺の力一杯の叫びは、空に吸い込まれていった。
俺は落ち着こうと、ゆっくり深呼吸をした。
訳がわからないけどとりあえず辺りを見回してみる。
今俺がいるのは、小高い丘の上だ。
見たこともない植物ばかり生えているが、不思議と不気味ではない。
普通こういう場所はもっと整備されていて、人がいるはずなのに、ここは荒れてるとまではいかないがこれといって手が加えられた様子もなく、人も俺しかいない。
あまり広さはないが、特に何もないので狭さは感じない。
そう、気づいたら俺は、ここにいたんだ。
眼下に広がるのは広い街。
ここからだとかなり遠くのほうまで良く見える。
だけど、建物がやけに低いし、なんで車が一台も飛んでないんだ?
ド田舎なのか? いや、田舎町には見えないな。
いや待て、さっきまで部屋の中にいたのに、どうしていきなり山の上なんだ?
あぁっ、くそっ、わからねぇ!
「ココハドーコ? ワターシハダレ?」
声に出して言ってみた。
直後、後悔する。
――ダメだ。シャレにならねぇ。
ココハドコ? ――ここがどこだかも、なんでいきなりこんな所にいるのかも、サッパリわからない。
ワタシハダレ? ――お、これならわかる。
「俺は……ギコだ」
そう、俺は俺。ギコだ。
これが、今の俺でもわかっている、数少ないことのひとつ。
逆に言えば、はっきり自信を持ってわかっていることなんて、このくらいかもしれない。
しばらく慌てたせいか、だいぶ落ち着いた。
「にしても、どーしたもんかなぁ……」
俺は、少し雲の多い、そして何も飛んでいない空を見上げて、ため息混じりに呟く。
何か言ったところでどうにもならないことはわかってる。
言ってなんとかなるのなら、声が嗄れるまでだって叫んでやってもいい。
しかし、現状はそんな簡単にいかない。
夢かもしれないとも思って、さっきほっぺたをつねってみたけど、痛かった。
強くつねりすぎたみたいで、さっきからなんだかヒリヒリする。
自分でやっててかなり虚しい。
周りに誰か知っている人でもいれば話は変わるのかもしれないが。
「どうなってんだろうな……もし俺が消えたとしたら兄貴慌てるだろうな……」
さっきまでの俺なんて目じゃないくらいに慌てる兄貴の様子を想像したら、少し気が楽になった。
「悩んでてもしょーがないし、降りてってみるぞ、ゴルァ」
俺は翼を広げた。
闇より深い漆黒の翼を。
第3章
「父さんが……処刑された?」
嘘だろう? そんなわけあるはずがないだろう?
「そうだYO この前捕まった人たちはみんな……羽をむしりとられて……火あぶりにされたっTE」
いつものぼるじょあからは、想像もつかないくらい、暗く、沈んだ声。
今言ったことが本当だという証拠だ。
「嘘だ……そんなわけ……父さんが……」
「酷いYO あんなにいい人が殺されていいわけがないYO」
そうだ。父さんが悪いわけない。
「間違ってるのは……この世界だ」
父さんを消したこの世界なんて、もういらない。
「この世界を、僕が変えてやる」
僕の世界を創ってやる……
今のは……夢か。
僕は目を覚ました。
夢をみた。僕がこの計画を始めるきっかけとなった日のことだった。
僕は胸のペンダントを掌に乗せる。
銀でできた、羽のモチーフのペンダント。
ギュッと握り締め、立ち上がった。
「今日は満月だ。周りの奴らは、お祈りとやらと、聖水を飲むためにセントラルパークに集まる。だから、過去に行くのは今夜だ。人は少ないほうが都合がいいからな」
僕は目の前にいる山崎とぼるじょあに、これからの内容を説明していく。
「『僕がいない間にやってもらうことが……』って昨日おっしゃってましたけど、1人で行かれるんですか?」
「あぁ。正直、もっと大人数で行きたいんだけど、こっちでやらなきゃいけないこともまだかなり残ってるからな」
「やっぱり、3人はちょっと辛いよNE」
「でも、人数は多ければ多いほど裏切られる可能性がでてくるからな。それに、3人で進めた計画だ。3人で成功させたいからな」
「そうだNE!」
「必ず成功させましょう」
運動神経がよく、身軽で動きがすばやいし、抜け目ないので、情報や材料の収集が得意なぼるじょあ。
手先が器用で、頭の回転も速く、些細な一言もしっかり記憶し、こちらの言いたいことを的確に、すばやく理解できる山崎。
そして、僕だ。
僕たちなら必ず、この計画を成功させることができるだろう。
「で、僕のいない間にやってもらうことだけど……山崎」
「なんですか?」
「おまえには、サンプルを連れ帰ったときのためのカプセルの用意を頼む。それと、各種武器の用意。特に爆薬系を多く準備しろ。それから機械のテストと微調整などだ。機械の資料はまとめておいた。これだ」
僕は山崎に資料の入ったディスクを渡した。
「わかりました」
「ぼるじょあ、おまえはこれからしばらく、セントラルパークに通い続けろ。常連になって、周りの奴に怪しまれないようになれ。それともう一つ、なるべく多くの建物の進入経路を探っておけ」
「了解だYO!」
「僕は、過去へ行って、翼を持っていない奴をサンプルとして連れてくる。今言った仕事を、僕が帰ってくるまでに終わらせておけよ。じゃ、僕の出発の準備を手伝ってくれないか?」
「OK!」
ぼるじょあは軽やかに倉庫の方へ駆けていった。
「私のほうはともかく、ぼるじょあに頼んだことは、いろいろとわからないことが多いですね」
残った山崎が言った。
「フフフ……おまえでもわからないか」
「はい。モララーさんがいない間に、じっくり考えさせてもらいます」
「がんばれよ。おまえなら、当てそうな気がするな」
「ありがとうございます。それでは」
山崎もぼるじょあの所へ、倉庫の方へ歩いていった。
僕は二人の背を、しばらく眺めていた。
第4章
「なんなんだ……? あれ」
街の上空まで飛んできた俺は驚いた。
車が――なんか不恰好だけど多分車だ――全部地面の上を走っている。
「どうなってんだよ、まったく」
すっかりわけがわからない。
「とりあえず、誰か話が聞けそうな奴でも探すか」
俺は街に降り立った。
「どうなってるんだ……?」
地面に降りた俺はさらに驚いた。
上から見たとおり、車らしきものは地面を走っている。
周りには、なにかわからない、変な太い柱があちこちから生えているし、地面にはわけのわからない白い模様があちこちに描いてある。
他にも見たこともないようなものがいっぱいある。
そして、それよりもビックリなのは……
「なんで、誰も羽が生えてねーんだよ……」
道を歩く人の中に、誰一人として、翼を持つ人がいなかった。
「あ、あの! ちょっといいですか?」
「なんだ?」
突然、後ろから声をかけられた。
振り向くと、俺より少し年上くらいの女が3人いた。
「あの、何かの撮影なんですか?」
「は?」
撮影? 何のことだ?
「その羽って作り物ですか?」
「少し触ってみていいですか?」
「え? 作り物? 触っ?何?」
あわてる俺をよそに、こいつらは俺の羽に触りだした。
「すっごーい。本物みたーい」
「フワフワ~気持ちい~」
「良くできてるよね。キレーイ」
「お、おい、誰もいいなんて言ってねーぞ、ゴルァ」
人の話も聞かずにこいつらは、触るのをやめようとしない。
気づけば、他にも周りに人が集まりだしていた。
俺は、呆気に取られて、立ち尽くしていた。
プツッ。
「あ」
突然、背中に鋭い痛みが走った。
「痛ェ!」
「す、すみません!」
さっきの3人のうちの1人が、謝った。
手に黒い羽を一本持って。
「痛いじゃねえかよ、何すんだ!? つーかおまえらさっきから人の羽にベタベタ触りやがって何なんだ? 俺らにとって羽一本がどんなに大切かわかってんのか!? いい加減にしろよ!」
「ご、ごめんなさ……」
「だいたいどこなんだよ、ココは!? 知ってる風景と全然違うし、羽生えてるの俺だけだし!」
謝るのも無視しておれは叫んだ。
「あ、あの、何を……」
「ついでに周りのギャラリー共! 見せ物じゃねーんだよ! 帰れ、ゴルァ!」
なんだか無性に腹が立ってしまった俺は、とにかく周りに怒鳴り散らした。
今までなんとか保っていた理性の糸がきれいにきれてしまったわけだ。
俺が一通り怒鳴り終えると、急に場の雰囲気は静かになる。
うつむく奴、呆気に取られる奴、しらばっくれる奴、こそこそ離れていく奴、でも誰一人何も言わない。
ポタ。
「ん?」
上を見上げる。冷たいものが頭に降ってきた。
ポタ、ポタ、ポタ、ポタ……
「あ、降ってきた」
「かさ持ってねー」
「早く、行こう」
ザワザワと周りが動き出した。
かなりいたギャラリー共が、これ幸いとばかりに、あっという間に帰っていった。
「す、すみませんでした!」
さっき俺の羽を抜いた奴も、謝って走っていった。
抜かれてしまった羽が足元に落ちた。
なんとなく、俺は拾い上げる。
「はぁ。どうすればいいんだよ……」
雨はかなり大降りになってきた。
おかげで頭は冷えたけど、このままだとびしょ濡れだ。
俺は、どこへ行くとも無く歩き始めた。
第5章
普段は静か過ぎるくらい静かなラボが、今は声や音に溢れている。
聞こえはいいけれど、実際は慌しいだけだ。
「モララーさん、携帯食料はどのくらい必要ですか?」
「とりあえず、一週間分くらい頼む」
「撮影機はどれにするNO?」
「小型で画質が高いやつ。メモリーチップ多めに用意してくれ」
「武器はどれをどのくらい持っていきますか?」
「A-3の棚の……」
旅支度などしたことも無いので手間取ることも多かったが、僕らは無事に支度を終え、今は山崎と二人で倉庫前の床に座って休憩している。
「いやー、なかなか大変でしたね。あまりに急でしたから」
「善は急げ、だからな」
とは言いつつ僕も、来月にしとけばよかったと軽く後悔したのだけど。
ふと、ふわりとした甘い香りが鼻をくすぐった。
「お茶が入ったYO♪」
見ると、円テーブルの横にぼるじょあが立っている。
テーブルの上には、湯気の立つティーポットと、甘い香りの元である焼き菓子が乗っていた。
「今日は砂糖を多めに入れておいたYO」
3人で円テーブルを囲み、雑談をしながら菓子をほおばる。
「今日のもおいしいですね」
山崎の言うとおり、ぼるじょあの入れるお茶は昔からおいしい。
同じ入れ方をしても山崎に入れさせたものとでは、格段に味が違う。
「パパさん直伝の味だからNE♪ おいしいに決まってるYO」
「そうですね。私も直々に教えて頂きたかったですね。全く、もっと早くここに来ていればと何度思ったことか」
「うん、そうだよNE やっぱ山崎が来てくれた日はうれしかったYO」
山崎が来た日、か……
あの日は、天気の悪い日だった。
前日までの晴天が嘘のように、朝から雨が降り続いていた。
今と同じ、お茶の時間に彼はやってきた。
父さんが扉を開けると、そこにはにこやかな笑顔が印象的な二人組がいた。
一人は、父さんより少し年上くらいで、いつか見せてもらった父さんの学生時代の写真の中にいた人だった。
多分父さんの先輩か何かだろう。
もう一人は父親そっくりの顔をしていて、僕と同じくらいの年齢の子供だった。
「山崎さん! よくいらしてくださいましたね。お久しぶりですね。どうぞ入ってください」
「ありがとうございます。突然来てしまってすみません」
「お茶の途中だったんです。ちょうどいいから皆で飲みましょう」
父さんは家の奥に入って行き、僕らも後に続いた。
その後、父さんたち二人は、父さんの研究仲間と一緒に話していた。
残された僕と山崎さんの子供は、自然と会話を始めた。
「君、名前は何?」
「山崎 渉です。あなたは?」
「僕はモララー。よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
彼は、父さんと似た口調で話す人だった。
後から知ったのだが、父さんと山崎さんは思ったとおり学校の先輩後輩で、父さんの口調は彼によるものらしい。
僕らはこの後、いろんな話をした。
山崎は、僕にとってぼるじょあ以外で初めての同年代の子供だった。
しかも、ぼるじょあと違い、難しい話をしても、そのほとんどを理解してくれた。
彼との初めての会話は、とても楽しかった。
「あ、ぼるじょあ!」
山崎と話し出してから30分後くらいに、ぼるじょあが来た。
「パパさんから連絡があったYO。そっちの人がパパさんが言ってたお客さんかNA? 僕はぼるじょあだYO」
「初めまして。山崎 渉です」
ぼるじょあもすぐに彼になじんだ。
彼の父さんの様な話し方を、ぼるじょあも面白がっていた。
3人でいろんな話をした。
「ぼるじょあさんは、いつどうやってモララーさんと会ったんですか?」
「僕はパパさんに拾われたんだYO」
「え? どういうことですか?」
「捨て子……って言うのかNA? 気づいたら僕は一人だったんDA。それからしばらくして僕はパパさんに会ったんだYO。で、モララーと同じくらいの年だし、かわいそうに思ったパパさんは、僕を家に連れて帰ったんDA」
「こうして僕たちは出会ったってわけ。5年位前になるかな」
「そうですか……」
彼は神妙な顔で頷いた。
「だから、僕達はそれからずっと一緒ってわけ」
「うん。モララーは凄いし、パパさんは優しいし、楽しいYO」
「そういうのもいいですね」
時計の針が3回転するまで、僕らは一緒にいた。
気付けば雨はやんでいた。
その翌日に彼ら親子は帰っていった。
「では、いつかまたお会いしましょう」
「うん。また会おうな」
「元気でNE♪」
僕らが見送る中二人は、昨日とは打って変わって晴れ渡った空の下を帰っていった。
とても楽しい日だった。
それからまた7年後、前と同じような雨の日に僕らは山崎と再会した。
山崎の父親が病気で亡くなり一人になった山崎は、いろいろと考えた末、僕らのところに来ようと考えたらしい。
僕の父さんも山崎の父親ももういなかったけれど、あの日と同じ景色が見えた気がした。
こうして僕達3人は一緒に暮らすことになった。
――そして、今がある。
「……懐かしいな」
温かい紅茶を見つめながら、僕は呟いた。
「どうしたんですか、モララーさん」
隣を見れば、あの時と同じ二人がいる。
「なんでもない」
しばらく離れることになるけど、ここには僕の仲間がいる。
僕は、父さんと僕自身と、二人のためにも、計画は成功させなければならない。
第6章
寒い、冷たい、寒い、冷たい、寒い……
凍りそうに冷たいのに、頭だけが酷く熱っぽい。
何故こんなに寒いのだろう。何故こんなに冷たいんだろう。
寒い、冷たい、寒い、冷たい、寒い……
頭から出てくるのはこの二つの単語だけ。
毛布が欲しい。温もりが欲しい。
あれ? なんだか少し暖かくなってきた気がする。
なんだか、とても、気持ちいい……
俺は目を覚ました。
白い天井が目に映った。
「眠ぃ、もう一眠りしよ……」
俺は布団を肩まで引っ張った。
「……ってちょっと待てゴルァ!!」
え? なんで俺寝てるんだ?
ここどこだ? 俺の部屋じゃねぇよな?
あれ? そういえば俺、どっか見知らぬ場所にいたんじゃなかったっけ?
俺は勢いよく起き上がった。
途端、頭に鈍い痛みが走る。
「痛たたた……」
思わず頭に手をやると、冷たいものが手に当たった。
多分、額に冷たい布か何かがが貼り付けられているらしい。
そうか、今まで熱を出してたんだ。
そうだ、もしかしたら今までのは熱のせいで見た夢で、俺はここで寝てたんじゃないか?
てことは、もしかしてあれ全部夢だったのか?
うん、そうだ。そうだったんだ。
俺は一人で納得した。
部屋の外から足音が聞こえてきた。
ガチャ。
部屋に一人の少女が入ってきた。
彼女の背中に羽は無い。
全て夢だったんじゃないかという俺の希望は儚くも打ち砕かれた。
「あ、起きたのね。大丈夫?」
「えっと……だ、誰?」
決して小さくはないショックの中、俺はやっとのことで声を発した。
彼女は苦笑しながら言った。
「そうね、まず自己紹介ね。私はしぃ。初めまして」
そして、にっこりと笑った。
「お、俺はギコだ。えっと、ここはどこなんだ? どうして俺はここにいるんだ?」
「ここは私の家。私の友達が雨の中倒れていたあなたを見つけて、とりあえず近くにある私の家に運んできたの」
「え?」
倒れてた? 記憶に無い。
「そしたらあなた、凄い熱だったから、私がしばらく看病してたの。3日間も寝込んでたのよ」
「3日間も!?」
そんなに寝込んでいたなんて……
「……ありがとう」
「どういたしまして」
彼女の笑顔は、何だか温かかった。
「ところで、何故あんなところに倒れていたの? それに……その翼は?」
聞かれて当然の事だ。
しかし、この質問に答えるには、俺にもわからないことが多すぎる。
だけど彼女は、見ず知らずの俺を助けてくれた恩人だ。
答えられる限りのことを、できるだけ正直に答えたい。
「倒れてたのは、行く場所がないから雨の中さまよってたせいだと思う。この翼は俺の翼だ。生まれたときからあったもので、俺の一部。俺がいた場所では、翼が生えてるのがあたりまえだった。でもここは違うらしい。ここはどこなんだ?」
結局最後にたどり着くのは同じ問い。
『ここはどこなのか』
「……もしかしたらって思ったけど、本当にそうだったみたい。びっくりね」
彼女が呟いた。
「え?」
俺には意味がわからない。
「なんて言ったらいいんだろう……? 多分、私じゃあなたの質問に答えきれないと思う。だから、あなたに会ってもらいたい人たちがいるの。その人たちがいればきっと、私からの質問にも、あなたからの質問にも、とても答えやすくなるはず。会って、くれる?」
考える必要は特に無いと思う。
「そいつらがいれば知りたいことがわかるなら、俺はそいつらに会いたい。会って話をしたい」
「わかった。それまで、あなたの質問にも答えられないけど、私からもあなたについての質問はしないことにするね。彼らに会ったときにまとめてしましょう」
まるで、当分そいつらに会わないかのような言い方が気にかかった。
「今すぐ会うんじゃないのか?」
すると、彼女は少し呆れながら言った。
「だって、3日間も寝込んでて、今起きたばかりじゃない。もう少し寝てなきゃ」
そういえば、まだかなりだるいし、頭も痛い。
仕方ない。とりあえずここがどこで、俺が何故ここにいるのかがわかるなら、待ってもいいか。
突然、空腹が襲ってきた。
当たり前だろう、3日も何も食べていないらしいのだから。
が、3日間も看病してもらった身として、ここで食べ物を催促するのは随分図々しくないだろうか?
俺は悶々と悩みだしたが、頭よりも体が先に判断したらしい。
つまり、あれだ。ぐうぎゅるる、だ。
顔を赤くする俺を笑うことなどせず彼女は、今何か持ってくる、と部屋を出て行った。
10分ぐらいたったころ、彼女は手に湯気の上がるお椀を持って帰ってきた。
目の前に出された白い食べ物。
「これ……何?」
下手をすれば相当無神経ともとれる質問。
しかし彼女は機嫌を損ねることなく答えてくれた。
「そっか。知らないのね。これはおかゆ。風邪引いたときの食べ物の代名詞」
俺は一口食べてみた。
やわらかい。とにかくやわらかく、食べやすい。
風邪を引いたときには本当にありがたい食べ物だ。
「どう?」
「……おいしい」
適度な甘さとしょっぱさが食欲をそそる。
今までに食べたことのないものだったが、すぐに舌になじんだ。
幸い、のどは痛くなかったので、俺はしばらく彼女と話をした。
「さっき言ってた、俺が会うやつらってどんなやつなんだ?」
「う~ん……結構変わり者かしら? うん、個性的な人達」
「達ってことは数人なんだろ? 何人くらいだ?」
「とりあえず5人。その全員と話すわけじゃないけど。明後日あたりには会いにいけるかな?」
「会いに行く? 来てもらうのはダメなのか?」
「多分ダメね。そう簡単に外には出てこないでしょ」
どういうことなのか気になったが、深く詮索しないことにした。
ともかく、明後日には謎が解けるらしい。