それは過去の話? 未来? それとも今?
分からない。
それは何処にあるの? 此処から近いの? それとも遠いの?
分からない。
そもそもそれは本当に存在しているの?
分からない。
遠くか近くに在る街の、過去か未来か今の話。
その街は至って普通の街。
けれど其処に住む人は必ず幸せになるという。
それは時に綺麗に、そしてとても醜く。
貴方は知っているでしょうか?
“幸街”という街を。
1st しぃ
「大丈夫ダカラ! 奴ハソンナノ気ニスルタイプジャネェカラ! 」
彼女の親友であるつーは彼女に自信を持って彼を薦めた。
彼女は誰もが感激する程、では無いが、綺麗な顔付きで、性格も良かった。
なのに彼女に今恋人が居ないのは彼女の身体には大きな欠陥があったからだ。
「は、初めまして。ギ、ギ、ギ…」
「オイ、何緊張シテンダ? ラシクネェナ。アヒャヒャ! 」
「ギ、ギコッ…と申します、ですゴルァ」
「ヒャヒャヒャヒャヒャー! 」
それが彼女、しぃと彼、ギコの出会いだった。
「あれからもう一年かあ」
しぃはテーブルに置いてある写真たてを眺める。
つーが真ん中で今も変わらない無邪気な笑みを浮かべていて、右には無理矢理笑った所為で奇妙な顔になっているギコ、左には苦笑いを浮かべているしぃの顔があった。
「フフ。こんな写真、今じゃ考えられないわ」
「んはー…。しぃ、もう起きてたのか? 」
間抜けな顔をしたギコが部屋のドアの近くに立っていた。
同棲を始めて三ヶ月。こんなギコの姿にはしぃも慣れていた。この同棲で慣れていないのをあえて言うとしたら、初めてのアパートでの暮らしぐらいだった。
「もうって、今何時だと思ってるの? いくら休日だからって十一時まで寝ちゃうなんて」
しぃはクスクス笑いながら、台所に置いてあったギコの朝食を電子レンジで温め始める。
「あ、そうそう。今日つーが遊びに来るからね」
「んー」
寝癖の付いた頭をボリボリ掻きながら、ギコはしぃが先程座っていた椅子の隣に座る。
「後、つーが夕食、家で食べたいって言ってたんだけど、何が良いかな? ギコ君は何が食べたい? 」
「カレーかハンバーグ」
語尾が欠伸と混ざり、聞き取り難かったが、しぃには十分伝わった。
「じゃあカレーはこの前食べたから、ハンバーグね。じゃあ材料今から買ってくるから」
「んー、別に今じゃ無くても良いじゃねぇか、ゴルァ! 」
「でも、後に回す必要もないわよ? 」
「んー」
「じゃあ行って来るね」
しぃは財布が入っている鞄を持って外へと出て行った。
―――苦しくて苦しくて何もかもが嫌になったり
悲しくて悲しくて全部放り出したくなったり
辛くて辛くて死にたくなったり
それでも僕は生きている
今一握りの勇気を持って 少し手を伸ばそう
君の手と触れ合えたら 強く強く手を握ろう
耳を澄ませば聞こえてくる
僕の鼓動 君の鼓動
今まで怖くて耳を塞いで逃げていた
でも今なら聞けるよ 君が居るから
君じゃないと駄目なんだよ―――
鼻歌交じりでしぃはスーパーへと向かう。
この歌は先日つーに誘われて行ったライブハウスであるバンドが歌っていた曲だ。
MCによるとボーカル・ギターの男の子の為にギターの女の子が作った曲らしい。
ボーカル・ギターの彼が少し恥ずかしそうに、そして嬉しそうに語っていた。
つーによると彼は最近調子が悪かったみたいだけどこの曲が出来た途端元気になった、そうだ。
「私もギコ君に何か作ってみようかなあ…」
考えたものの、何も浮かばなかった。
しぃには特別苦手な物も無いが、特別得意な物も無かった。
それならギコが好きな物をあげれば良い、そんな結論に辿り着いた。
しかしギコが欲しがっていただいたいの物は以前にしぃがプレゼントしていた。
「どうしよう…かな…」
足を進めながら、必死に考える。
反対側からやってきた若夫婦のような男女の会話が耳に入る。
「ねぇ、子供は何人ぐらい欲しい? 」
「やっぱり二人とか三人は。…、もしかして僕とレモナで―――」
「あったりまえじゃないw 他に誰と作るのよ? 」
「いや、居ないけど、うあ…」
「ちょっと、モナー君? 」
ぎゅっ、と胸が締め付けられるような感覚。
しぃは立ち止まった。
(子供…、やっぱり欲しいよね…)
しぃは涙を堪えながらアスファルトを睨む。
彼女の身体の欠陥は子供が産めない事だった。
小さい頃にあった事故が原因だ。
子供の頃は別に不便では無かった。しかし大人になると事情は変わって来る。
やはり子供が産めないというのは大きなハンデだった。
今までの彼氏はそれを知った途端しぃの前から消えていった。
(子供は産めない。でも、ギコ君を幸せにすることならきっと…! )
ぎゅっと手を握ってしぃはスーパーへと駆けていった。
「チワー」
予想以上に早くつーはやってきた。
「――!! 」
ギコは急いで身形を整えようとする。いつもつーはだらしない格好のギコを見ると爆笑するからだ。
しかしつーはだらしない格好のギコを見ても笑いもしなかった。
「ギコ…、コンチハ」
何かが可笑しいとギコは思った。
少し勇気を持って言葉にしてみる。
「お前…、何かあったのか? 」
「フラレタ。フサニ、フラレタ」
彼女はいつもの無邪気な笑いとは違う、何かを諦めたように笑った。
(少し買いすぎたかなあ…? )
すっかり重くなった鞄を両手で持ちながらアパートに辿り着く。
体を少し揺らしながら階段を上り、部屋の前に行き、ドアを開ける。
「ただいまー」
返事は無かった。
もしかしたらまた寝始めたのかも、などと予想しながら廊下を進む。
「ギコ…、俺…、モウ駄目ダ…」
「何言ってんだよ! 大丈夫だから! 」
つーがもう来ているようだ。
何となく入りづらかったのでしぃはドアを少し開けて部屋の様子を伺う。
つーが床に倒れている。ギコは彼女に馬乗りになっている。嗚咽の音も聞こえた。
どさり。
鞄が手からすり抜けて、床に落ちた。
「……、しぃ? 」
ギコの声。
気が付いたらしぃは走っていた。
いつの間にかしぃはアパートの屋上に来ていた。
大家の好みで作られた屋上だ。
柵の外に出る。
風が心地良かった。
下を見る。
以外と低かった。けれど高い事に変わらないし、頭から落ちれば十分だろう。
「しぃっ! 」
声で振り返る。ギコが居た。
「あ…、ギコ…、ごめんね。私…」
「違う! お前、さっきの勘違いしてるんだろ? 」
「いいの。もういいの。私は…幸せだったから…」
「違うって! あれは、つーが柄にも無く、弱気な事言って、それで…」
ギコが俯く。
しぃは手を伸ばす。柵越しにギコにしぃの指触れた。
ギコが顔を上げる。
しぃは幸せそうに笑っていた。
「そっか。うん。分かった。…でも、私はやっぱり駄目よ」
「っ!? 」
「子供産めないんじゃ…ねぇ」
「ちょっと、し―――」
「有難う。さようなら。幸せだった。後、貴方の為に死ねるのも幸せ」
しぃは笑顔のまま、頭から地面に吸い込まれて行った。
どれぐらいの時間が経っただろうか。
いつのまにかギコの隣につーが居た。
ギコは勇気を持って下を眺めた。
吐き気がした。
そして吐き気なんて感じていられる自分に激しく嫌悪した。
「イヤアァァアァァァアアァァアアァアアッ!!! 」
一緒に眺めたつーが叫ぶ。
ギコは何も出来なかった。
2nd タカラ
街の一角にあるまだ開店前のバーにて。
水色の青年が手際良くグラスを磨いている。
客席には傷だらけの少女が居て、その様子を楽しそうに眺めていた。
「タカラサン、チョット聞イテ良イデスカ? 」
「はい、何ですか? 」
青年は手を止めずに答える。
少女は少し躊躇ってから、
「タカラサンハ東ニ楽園ハアルト思イマスカ? 」
「えっ? 」
予想外の質問に青年の手は止まった。
彼は自身の目に少女を映す。
俯いていて表情が分からない所為で彼は余計不安になった。
「また、東の楽園を目指して旅に出るんですか? 」
声が震えない様に気をつけながら彼女に問う。
「イイエ。私ハモウ行キマセンヨ。モウ楽園ヲ見ツケラレタノダカラ」
「ええっ? 」
自分でもこればかりだ、と呆れながら青年は声を上げた。
少女は俯いた顔を上げて、笑顔で、
「私ハ東ヲ目指シテ、貴方ニ会ウ事ガ出来マシタ。キット此処ガ私ノ居場所、私ノ楽園ナンデス」
それだけ言うとまた恥ずかしくなったのか少女はまた俯く。
青年はあまりにも予想外の言葉で呆然としている。
カチカチ、と時計だけが音を立てて。
「ア、アノー、タカラサン」
「は、はは、はい! な、何でしょう…か? 」
何を思っているのか、青年の声は上擦っていた。
「トテモ言イ難インデスガ…」
「は、はあ…」
「モウ開店十分前デスヨ? 大丈夫デスカ? 」
またもや予想外の言葉。
彼は少し落胆してから、急いで仕事に戻った。
そんな様子を少女はまた楽しそうに眺めながら、自分にする聞こえないぐらいの小さい声で呟く。
「タカラサン、今私ハ幸セデスヨ」
そして彼女は心底幸せそうに笑った。
彼はそんな事も知らずに焦りながら仕事をする。
直ぐ傍の少女の幸せを願いながら。
3rd レモナ
モナーは何故か子供の頃から小さい子に好かれていた。
近所の小さい女の子達に結婚を迫られるのも度々あった。
また彼は小さい子がとても好きだった。
「モナー君、モナー君」
金髪に赤い髪飾りを付けた少女が彼に話しかける。
「私が大きくなったら、モナー君と結婚してあげるからね」
「んー。期待してるね」
彼は笑顔で答えた。
「で、結局彼は十八歳なのに飲酒してしまったんですよ」
「へぇー」
公園の中、モナーは彼の親友であるウラーの話に楽しそうに耳を傾ける。
話によると先日ウラーが所属しているバンドの少年がノリで飲酒をしたらしい。
「それでその子どうなったの? 」
「彼のお兄さんが来ちゃいまして、その後大乱闘。二人ともそういう柄じゃないのに以外と強いし、泣き出す子も居るし本当に大変だった」
「ハハハ。お疲れ様」
モナーはウラーの肩を叩きながら笑う。
ダッダッダッダッダッ。
室前後から地面を削るような音。
二人を同時に音の方に振り返る。
すると、
「モナァくうぅぅん! 」
モナーに金髪の少女が抱き付いた。
勢いでモナーは地面に押し倒される。
「モナー君、今日こそ結婚しましょ」
「結婚って…。レモナ、お前まだそんな歳じゃないし、僕了解してないし―――」
「フフフ。照れちゃって。私達、小さい頃から愛を育みあってきたじゃない」
「はあ? 」
モナーの意見を無視してレモナはモナーの胸に顔を埋める。
しばらく呆気にとられていたウラーだったが、少し考えて、
「モナー、おめでとう。彼女居たんだ。知らなか―――」
「いや、全然違うって! 助けて! 」
「いやいや、助けて、と言われても…」
ウラーは二人を眺めながら腕を組み、考える。
「コイツを何処かにやってくれれば良いから」
「もう、これアレね。ツンデレってやつね。モナー君ってたら~」
「うわあぁああぁ! やめろって、おい」
「モナーくうぅ~ん♪ 」
「いいかげんにしろ! 」
彼は吐き捨てる様に言うと、モナーはレモナを振り払って立ち上がった。
「モ、モナー君…? 」
「人を好くのはその人の勝手だ。君が僕を好きで居る事は構わない。でもね、表現は肯定出来ない。妙な勘違いもしてるみたいだし」
「ちょ、モナー」
ウラーがモナーに話しかける。
恐らく言い過ぎだとだと言いたいのだろう。
しかしモナーはそれを振り切る。
「つまり…、正直お前、迷惑なんだよ! 」
「…め、“迷惑”!? 」
レモナが復唱する。
ウラーは見ていられない、とでも言うように顔を伏せた。
「そっか…、うん、分かった…。ごめ、ごめんね。モナー君。ご、ごめ…、ごめ…」
グスリ、と音を立て、レモナは何処かへと走っていった。
「…、言い過ぎ」
顔を伏せたままウラーが呟く。
「大丈夫だよ、アイツは。明日にはこんな事忘れて追ってくるだろうし」
小さなため息を吐いて、モナーは笑って、
「それよりさっきの話の続き。その後飲酒した子とお兄さんは仲直りしたの? 」
あれから一時間は経った。
しかしレモナの涙は一向に止まる気配を見せなかった。
正直お前、迷惑なんだよ!
さっきのモナーの言葉だけが彼女の頭の中を支配する。
「あれ? レモナちゃん? 」
聞き覚えのある声にレモナは顔を上げた。
モナーの妹であり、レモナの親友でもあるガナーが居た。
「ガ、ガナーちゃん…」
「何か悲しい事でもあったの? 私で良かったら話聞くよ? 」
彼そっくりの柔らかい笑顔でガナーはレモナの手を取る。
「家にお出でよ。今日はお父さんもお母さんも居ないから平気だよ」
「んー」
涙を我慢して、レモナはゆっくり立ち上がった。
日がもう傾き始めている。
白い体に夕日の色を受けながら、モナーは彼女の事を考える。
ウラーには最後まで大丈夫、と主張し続けたものの、彼も不安だった。
明日には忘れている、というのも確証が無い事だ。
それに彼女が泣かせたのは彼にとって初めての事だった。
ハァ。
またため息を吐く。
いつの間にか家の前に来ていた。
ガナーに相談してみるのも良いかな、と思いながら徐にドアを開けた。
「ただいま」
返事は無い。
気にせずにリビングに行くとソファに二人分の影があった。
今日両親は帰りが遅いので片方はガナーだろう。
もう片方の持ち主は検討が付かなかった。
少し自分の中に好奇心が湧いてくるのをモナーは感じた。
音をなるべく立てずにリビングへのドアを開け、二人に近づく。
予想以上に上手く出来、彼は彼女達の直ぐ傍に近寄る事が出来た。
しかし此処で彼はある事に気付く。
それはもう一人の顔を確認するには彼も顔を晒さないといけなくなる事だ。
まあいいや、と一人思い、彼はバッと顔を上げた。
最悪の事態に陥った。
もう一人はレモナで、顔を上げた瞬間、二人の目が合った。
「う…あ……、レモナ……」
意味も無く漏れた言葉にレモナがビクッ、と反応する。
「お、お兄ちゃん…! 」
ガナーの声を掻き消すようにレモナが音を立て、立ち上がる。
そのまま彼女は何も言わずにモナーの横を通り外へと走っていった。
「……」
口をぽかんと空け、モナーはレモナが居た場所を眺めたまま動かない。
「馬鹿! お兄ちゃんの馬鹿! 馬鹿、馬鹿、馬鹿! 」
モナーの空っぽになった頭の中にガナーの声が響いた。
「どうしてレモナちゃんにあんな酷い事したの! 確かにレモナちゃんは周りが見えなくなっちゃったりする事あるかもしれないけど、お兄ちゃんはレモナちゃんの事、どうも思ってないのかもしれないけど、あんな言い方…、あんな言い方しなくて良いじゃない! 」
「うん、ごめん」
「なんで私に謝るのよ! レモナちゃんに謝らなきゃ! ほら、早く追う! お兄ちゃんなら今からでも間に合うから! 」
「…、でも」
「もう、そんなんじゃ駄目でしょ! 女の子を泣かせた罪は重いんだから! はい、追う! 早く! 」
レモナに急かされモナーは渋々外に出る。
出た途端、モナーは先程までの態度が嘘の様に全力で走り出した。
「全く、二人とも世話が焼けるんだから」
窓からモナーの様子を見ていたガナーはクスリ、と笑った。
走り始めて数分、全力で走ったにも関わらず、モナーの息は何時も通りだった。
それは彼が学生時代、陸上に全てを捧げるような生活をしていたお陰だろう。
彼は辺りを見回しながら彼女を探す。
案外簡単に見つかった。
河原に小さな背中がある。
三度目のため息を吐き、レモナの背中を叩こうとして腕を伸ばした。
しかし届く寸前で手が止まった。
ガナーの言葉を思い出したからだ。
女の子を泣かせた罪は重いんだから!
償え、という事だろうか?
モナーは考える。
またため息を吐いて、震えている背中を眺める。
少し躊躇ってから、モナーは背中に抱き付いた。
「!? 誰…? 」
「僕」
それだけ答えると、モナーは重心を後に掛けて、レモナを自分の胸に抱き、無理矢理目を合わせた。
「レモナも泣くんだね」
「……」
レモナは何も言わず、無理矢理モナーから目を逸らす。
モナーはまたため息を吐く。いい加減自分でも呆れてくる。
「レモナ、ガナーが女の子を泣かせた罪は重いんだから、って。罪は償うのが普通だよな」
「え? 」
モナーはゆっくり自分の顔をレモナの顔に近づけた。
「一つ注意しとく。別にお前が好きな訳では無い」
其の侭彼は自分の顔を彼女の顔に付けた。
「で、また懲りずに飲酒した訳ですよ、彼」
ウラーがもう呆れた様に言う。
モナーはケタケタと笑いながら彼の話に耳を傾ける。
「そして何時かの様にお兄さんと大乱闘。本当にいい加減にして欲しいよ」
「ハハハ。お疲れ様」
モナーはウラーの肩を叩きながら笑う。
「うわ、またこのパターンですか。また飲酒するのかなあ…」
ダッダッダッダッダッ。
突然後から地面を削るような音。
二人を同時に音の方に振り返る。
すると、
「モナァくうぅぅん! 」
モナーに金髪の少女が抱き付いた。
勢いでモナーは地面に押し倒される。
「モナー君、今日こそ結婚しましょ」
「結婚って…。レモナ、お前まだそんな歳じゃないし、僕了解してないし―――」
「フフフ。照れちゃって。私達、小さい頃から愛を育みあってきたじゃない」
「はあ? 」
モナーの意見を無視してレモナはモナーの胸に顔を埋める。
しばらく呆気にとられていたウラーだったが、少し考えて、
「モナー、おめでとう。彼女居たんだ。知らなか―――」
「いや、全然違うって! 助けて! 」
「いやいや、助けて、と言われても…」
ウラーは二人を眺めながら腕を組み、考える。
「コイツを何処かにやってくれれば良いから」
「もう、これアレね。ツンデレってやつね。モナー君ってたら~」
「うわあぁああぁ! やめろって、おい」
「モナーくうぅ~ん♪ 」
「いいかげんにしろ! 」
彼は吐き捨てる様に言う、するとレモナはニヤリと笑う。
「そんな事言わないでよ。この前の事、皆に言うよ? 」
「なっ!? 」
モナーは顔を赤らめる。
「え、何? 何かあったの? 」
ウラーは楽しそうにレモナに聞く。
「良いよ、教えてあげる。この前ね、私、モナー君に―――」
「うわあぁあぁぁあ! 言うな、言うな! 」
モナーが手足を滅茶苦茶に動かしながらレモナを静止しようとする。
それを無視して、レモナは笑いながら、
「この前ね、私、モナー君に幸せにして貰ったの。今度は私が幸せにしてあげないとね! 」
4th モララー
「美味しい。でも君のお父さんには劣る」
「えっ!? た、確かにそうかもしれませんけど、普通其処はお世辞使うでしょう? 」
タカラの予想通りの反応にモララーは声を殺して笑う。
彼が声を殺して笑った理由は隣の席でぐっすり眠っているでぃにある。
「まあ、頑張りたまえ、タカラ君」
調子に乗ったモララーがタカラの肩をバシバシと叩いた。
タカラは何か言いたそうな表情をしながら叩かれるがままに叩かれた。
「最近来なかったから不安だったんですけど、なんだか元気有り余ってるですね」
「そんな事ないよ。結構仕事で忙しかったんだけど」
何処か楽しそうな目をして答えるモララーにカクテルを差し出しながらタカラは、
「仕事…、プロのピアニストでしたっけ?」
タカラが正解を導き出せた事に満足しているのかモララーは嬉しそうに頷きながらカクテルを口へと運ぶ。
「お陰様で今度コンサートが出来る事になりました。…脇役だけど」
最後の方は本当に悔しかったのか妙に早口だった。
タカラはメモ用紙に何かを書きながら笑って、
「でも出来るんでしょう? 良かったじゃないですか。応援してますよ」
アハハハ、と笑いながらタカラはモララーにメモ用紙を渡す。
それを受け取り、読んだモララーの顔色が一変した。
「本気? 」
「勿論。今は僕がマスターですから。この前やめてと言ったのに、仕事中に名前で呼ぶなんて酷いですよ。お代は二倍で宜しくお願いします」
ブツブツと文句を言いながらモララーは項垂れる。
それが可笑しかったのか、タカラは心底楽しそうに笑った。
「あ、そうそう。前から聞きたかったんですけど、モララーは何で弟さんと一緒に住んでるんですか? 」
突然思いがけない質問をぶつけられたからか、モララーは怪訝そうな顔をして、
「突然何を。何かアイツ変なことでもした? 」
「別に。本当に個人的に思っただけです」
「ちょっと訳ありでね。まあ楽しいから良いんだけど」
モララーの何時もより素っ気無い様な態度からタカラはあまり首を突っ込んで欲しく無いのだと感じ取る。
しかし、
「物心ついた時には両親離婚してた。僕達は母親に育てられてきたんだけど、どうもアイツ、父親に良く似てるらしくて、それだけを理由に軽い虐待みたいなのを。それで僕がこっちに来る時に一緒に来た」
一気に話してため息を吐く。
呆気に取られていたタカラはふ、と我に戻って何とか言おうとするが言葉が見つからない。
「あー、序にちょっと愚痴良い? アイツ未だに彼女居ないんだよね。兄としては早く甥か姪か知らないけど顔を見させて欲しいんだけど」
「それはモララーも一緒でしょう」
痛い所をつかれてしまったのか、苦い表情をして、
「僕は良いよ。一生独身でも問題無い」
「負け惜しみですか」
「そういうタカラは? 」
その言葉を聞いたタカラがニヤリと笑う。
「まあ、僕も居ないんですけど…、今、僕の事なんて呼びました? 」
「え? タカ…、あ…」
タカラの思惑を読み取ったモララーは彼に頭を下げる。
「ちょ、勘弁して。四倍はキツイ。二倍でもキツイけど」
「じゃあ、今度のコンサートのチケット、二枚で」
「うわ、それもキツイって! 」
叫ぶモララーにタカラは止めを刺した。
「五月蝿いです。でぃさん起きちゃうじゃないですか。十倍」
「うわあぁあ! 分かった分かった。明日持ってくるから! ああ、もう帰らなくちゃ、じゃあね! 」
ひとりぎゃあぎゃあ騒ぎながらモララーはタカラのバーを後にする。
家路の途中、モララーはタカラが何故あんな大胆な行動に出たかを理解する。
少し新鮮で懐かしい気持ちで少し頬を赤く染めながら彼は帰っていった。
分からない。
それは何処にあるの? 此処から近いの? それとも遠いの?
分からない。
そもそもそれは本当に存在しているの?
分からない。
遠くか近くに在る街の、過去か未来か今の話。
その街は至って普通の街。
けれど其処に住む人は必ず幸せになるという。
それは時に綺麗に、そしてとても醜く。
貴方は知っているでしょうか?
“幸街”という街を。
1st しぃ
「大丈夫ダカラ! 奴ハソンナノ気ニスルタイプジャネェカラ! 」
彼女の親友であるつーは彼女に自信を持って彼を薦めた。
彼女は誰もが感激する程、では無いが、綺麗な顔付きで、性格も良かった。
なのに彼女に今恋人が居ないのは彼女の身体には大きな欠陥があったからだ。
「は、初めまして。ギ、ギ、ギ…」
「オイ、何緊張シテンダ? ラシクネェナ。アヒャヒャ! 」
「ギ、ギコッ…と申します、ですゴルァ」
「ヒャヒャヒャヒャヒャー! 」
それが彼女、しぃと彼、ギコの出会いだった。
「あれからもう一年かあ」
しぃはテーブルに置いてある写真たてを眺める。
つーが真ん中で今も変わらない無邪気な笑みを浮かべていて、右には無理矢理笑った所為で奇妙な顔になっているギコ、左には苦笑いを浮かべているしぃの顔があった。
「フフ。こんな写真、今じゃ考えられないわ」
「んはー…。しぃ、もう起きてたのか? 」
間抜けな顔をしたギコが部屋のドアの近くに立っていた。
同棲を始めて三ヶ月。こんなギコの姿にはしぃも慣れていた。この同棲で慣れていないのをあえて言うとしたら、初めてのアパートでの暮らしぐらいだった。
「もうって、今何時だと思ってるの? いくら休日だからって十一時まで寝ちゃうなんて」
しぃはクスクス笑いながら、台所に置いてあったギコの朝食を電子レンジで温め始める。
「あ、そうそう。今日つーが遊びに来るからね」
「んー」
寝癖の付いた頭をボリボリ掻きながら、ギコはしぃが先程座っていた椅子の隣に座る。
「後、つーが夕食、家で食べたいって言ってたんだけど、何が良いかな? ギコ君は何が食べたい? 」
「カレーかハンバーグ」
語尾が欠伸と混ざり、聞き取り難かったが、しぃには十分伝わった。
「じゃあカレーはこの前食べたから、ハンバーグね。じゃあ材料今から買ってくるから」
「んー、別に今じゃ無くても良いじゃねぇか、ゴルァ! 」
「でも、後に回す必要もないわよ? 」
「んー」
「じゃあ行って来るね」
しぃは財布が入っている鞄を持って外へと出て行った。
―――苦しくて苦しくて何もかもが嫌になったり
悲しくて悲しくて全部放り出したくなったり
辛くて辛くて死にたくなったり
それでも僕は生きている
今一握りの勇気を持って 少し手を伸ばそう
君の手と触れ合えたら 強く強く手を握ろう
耳を澄ませば聞こえてくる
僕の鼓動 君の鼓動
今まで怖くて耳を塞いで逃げていた
でも今なら聞けるよ 君が居るから
君じゃないと駄目なんだよ―――
鼻歌交じりでしぃはスーパーへと向かう。
この歌は先日つーに誘われて行ったライブハウスであるバンドが歌っていた曲だ。
MCによるとボーカル・ギターの男の子の為にギターの女の子が作った曲らしい。
ボーカル・ギターの彼が少し恥ずかしそうに、そして嬉しそうに語っていた。
つーによると彼は最近調子が悪かったみたいだけどこの曲が出来た途端元気になった、そうだ。
「私もギコ君に何か作ってみようかなあ…」
考えたものの、何も浮かばなかった。
しぃには特別苦手な物も無いが、特別得意な物も無かった。
それならギコが好きな物をあげれば良い、そんな結論に辿り着いた。
しかしギコが欲しがっていただいたいの物は以前にしぃがプレゼントしていた。
「どうしよう…かな…」
足を進めながら、必死に考える。
反対側からやってきた若夫婦のような男女の会話が耳に入る。
「ねぇ、子供は何人ぐらい欲しい? 」
「やっぱり二人とか三人は。…、もしかして僕とレモナで―――」
「あったりまえじゃないw 他に誰と作るのよ? 」
「いや、居ないけど、うあ…」
「ちょっと、モナー君? 」
ぎゅっ、と胸が締め付けられるような感覚。
しぃは立ち止まった。
(子供…、やっぱり欲しいよね…)
しぃは涙を堪えながらアスファルトを睨む。
彼女の身体の欠陥は子供が産めない事だった。
小さい頃にあった事故が原因だ。
子供の頃は別に不便では無かった。しかし大人になると事情は変わって来る。
やはり子供が産めないというのは大きなハンデだった。
今までの彼氏はそれを知った途端しぃの前から消えていった。
(子供は産めない。でも、ギコ君を幸せにすることならきっと…! )
ぎゅっと手を握ってしぃはスーパーへと駆けていった。
「チワー」
予想以上に早くつーはやってきた。
「――!! 」
ギコは急いで身形を整えようとする。いつもつーはだらしない格好のギコを見ると爆笑するからだ。
しかしつーはだらしない格好のギコを見ても笑いもしなかった。
「ギコ…、コンチハ」
何かが可笑しいとギコは思った。
少し勇気を持って言葉にしてみる。
「お前…、何かあったのか? 」
「フラレタ。フサニ、フラレタ」
彼女はいつもの無邪気な笑いとは違う、何かを諦めたように笑った。
(少し買いすぎたかなあ…? )
すっかり重くなった鞄を両手で持ちながらアパートに辿り着く。
体を少し揺らしながら階段を上り、部屋の前に行き、ドアを開ける。
「ただいまー」
返事は無かった。
もしかしたらまた寝始めたのかも、などと予想しながら廊下を進む。
「ギコ…、俺…、モウ駄目ダ…」
「何言ってんだよ! 大丈夫だから! 」
つーがもう来ているようだ。
何となく入りづらかったのでしぃはドアを少し開けて部屋の様子を伺う。
つーが床に倒れている。ギコは彼女に馬乗りになっている。嗚咽の音も聞こえた。
どさり。
鞄が手からすり抜けて、床に落ちた。
「……、しぃ? 」
ギコの声。
気が付いたらしぃは走っていた。
いつの間にかしぃはアパートの屋上に来ていた。
大家の好みで作られた屋上だ。
柵の外に出る。
風が心地良かった。
下を見る。
以外と低かった。けれど高い事に変わらないし、頭から落ちれば十分だろう。
「しぃっ! 」
声で振り返る。ギコが居た。
「あ…、ギコ…、ごめんね。私…」
「違う! お前、さっきの勘違いしてるんだろ? 」
「いいの。もういいの。私は…幸せだったから…」
「違うって! あれは、つーが柄にも無く、弱気な事言って、それで…」
ギコが俯く。
しぃは手を伸ばす。柵越しにギコにしぃの指触れた。
ギコが顔を上げる。
しぃは幸せそうに笑っていた。
「そっか。うん。分かった。…でも、私はやっぱり駄目よ」
「っ!? 」
「子供産めないんじゃ…ねぇ」
「ちょっと、し―――」
「有難う。さようなら。幸せだった。後、貴方の為に死ねるのも幸せ」
しぃは笑顔のまま、頭から地面に吸い込まれて行った。
どれぐらいの時間が経っただろうか。
いつのまにかギコの隣につーが居た。
ギコは勇気を持って下を眺めた。
吐き気がした。
そして吐き気なんて感じていられる自分に激しく嫌悪した。
「イヤアァァアァァァアアァァアアァアアッ!!! 」
一緒に眺めたつーが叫ぶ。
ギコは何も出来なかった。
2nd タカラ
街の一角にあるまだ開店前のバーにて。
水色の青年が手際良くグラスを磨いている。
客席には傷だらけの少女が居て、その様子を楽しそうに眺めていた。
「タカラサン、チョット聞イテ良イデスカ? 」
「はい、何ですか? 」
青年は手を止めずに答える。
少女は少し躊躇ってから、
「タカラサンハ東ニ楽園ハアルト思イマスカ? 」
「えっ? 」
予想外の質問に青年の手は止まった。
彼は自身の目に少女を映す。
俯いていて表情が分からない所為で彼は余計不安になった。
「また、東の楽園を目指して旅に出るんですか? 」
声が震えない様に気をつけながら彼女に問う。
「イイエ。私ハモウ行キマセンヨ。モウ楽園ヲ見ツケラレタノダカラ」
「ええっ? 」
自分でもこればかりだ、と呆れながら青年は声を上げた。
少女は俯いた顔を上げて、笑顔で、
「私ハ東ヲ目指シテ、貴方ニ会ウ事ガ出来マシタ。キット此処ガ私ノ居場所、私ノ楽園ナンデス」
それだけ言うとまた恥ずかしくなったのか少女はまた俯く。
青年はあまりにも予想外の言葉で呆然としている。
カチカチ、と時計だけが音を立てて。
「ア、アノー、タカラサン」
「は、はは、はい! な、何でしょう…か? 」
何を思っているのか、青年の声は上擦っていた。
「トテモ言イ難インデスガ…」
「は、はあ…」
「モウ開店十分前デスヨ? 大丈夫デスカ? 」
またもや予想外の言葉。
彼は少し落胆してから、急いで仕事に戻った。
そんな様子を少女はまた楽しそうに眺めながら、自分にする聞こえないぐらいの小さい声で呟く。
「タカラサン、今私ハ幸セデスヨ」
そして彼女は心底幸せそうに笑った。
彼はそんな事も知らずに焦りながら仕事をする。
直ぐ傍の少女の幸せを願いながら。
3rd レモナ
モナーは何故か子供の頃から小さい子に好かれていた。
近所の小さい女の子達に結婚を迫られるのも度々あった。
また彼は小さい子がとても好きだった。
「モナー君、モナー君」
金髪に赤い髪飾りを付けた少女が彼に話しかける。
「私が大きくなったら、モナー君と結婚してあげるからね」
「んー。期待してるね」
彼は笑顔で答えた。
「で、結局彼は十八歳なのに飲酒してしまったんですよ」
「へぇー」
公園の中、モナーは彼の親友であるウラーの話に楽しそうに耳を傾ける。
話によると先日ウラーが所属しているバンドの少年がノリで飲酒をしたらしい。
「それでその子どうなったの? 」
「彼のお兄さんが来ちゃいまして、その後大乱闘。二人ともそういう柄じゃないのに以外と強いし、泣き出す子も居るし本当に大変だった」
「ハハハ。お疲れ様」
モナーはウラーの肩を叩きながら笑う。
ダッダッダッダッダッ。
室前後から地面を削るような音。
二人を同時に音の方に振り返る。
すると、
「モナァくうぅぅん! 」
モナーに金髪の少女が抱き付いた。
勢いでモナーは地面に押し倒される。
「モナー君、今日こそ結婚しましょ」
「結婚って…。レモナ、お前まだそんな歳じゃないし、僕了解してないし―――」
「フフフ。照れちゃって。私達、小さい頃から愛を育みあってきたじゃない」
「はあ? 」
モナーの意見を無視してレモナはモナーの胸に顔を埋める。
しばらく呆気にとられていたウラーだったが、少し考えて、
「モナー、おめでとう。彼女居たんだ。知らなか―――」
「いや、全然違うって! 助けて! 」
「いやいや、助けて、と言われても…」
ウラーは二人を眺めながら腕を組み、考える。
「コイツを何処かにやってくれれば良いから」
「もう、これアレね。ツンデレってやつね。モナー君ってたら~」
「うわあぁああぁ! やめろって、おい」
「モナーくうぅ~ん♪ 」
「いいかげんにしろ! 」
彼は吐き捨てる様に言うと、モナーはレモナを振り払って立ち上がった。
「モ、モナー君…? 」
「人を好くのはその人の勝手だ。君が僕を好きで居る事は構わない。でもね、表現は肯定出来ない。妙な勘違いもしてるみたいだし」
「ちょ、モナー」
ウラーがモナーに話しかける。
恐らく言い過ぎだとだと言いたいのだろう。
しかしモナーはそれを振り切る。
「つまり…、正直お前、迷惑なんだよ! 」
「…め、“迷惑”!? 」
レモナが復唱する。
ウラーは見ていられない、とでも言うように顔を伏せた。
「そっか…、うん、分かった…。ごめ、ごめんね。モナー君。ご、ごめ…、ごめ…」
グスリ、と音を立て、レモナは何処かへと走っていった。
「…、言い過ぎ」
顔を伏せたままウラーが呟く。
「大丈夫だよ、アイツは。明日にはこんな事忘れて追ってくるだろうし」
小さなため息を吐いて、モナーは笑って、
「それよりさっきの話の続き。その後飲酒した子とお兄さんは仲直りしたの? 」
あれから一時間は経った。
しかしレモナの涙は一向に止まる気配を見せなかった。
正直お前、迷惑なんだよ!
さっきのモナーの言葉だけが彼女の頭の中を支配する。
「あれ? レモナちゃん? 」
聞き覚えのある声にレモナは顔を上げた。
モナーの妹であり、レモナの親友でもあるガナーが居た。
「ガ、ガナーちゃん…」
「何か悲しい事でもあったの? 私で良かったら話聞くよ? 」
彼そっくりの柔らかい笑顔でガナーはレモナの手を取る。
「家にお出でよ。今日はお父さんもお母さんも居ないから平気だよ」
「んー」
涙を我慢して、レモナはゆっくり立ち上がった。
日がもう傾き始めている。
白い体に夕日の色を受けながら、モナーは彼女の事を考える。
ウラーには最後まで大丈夫、と主張し続けたものの、彼も不安だった。
明日には忘れている、というのも確証が無い事だ。
それに彼女が泣かせたのは彼にとって初めての事だった。
ハァ。
またため息を吐く。
いつの間にか家の前に来ていた。
ガナーに相談してみるのも良いかな、と思いながら徐にドアを開けた。
「ただいま」
返事は無い。
気にせずにリビングに行くとソファに二人分の影があった。
今日両親は帰りが遅いので片方はガナーだろう。
もう片方の持ち主は検討が付かなかった。
少し自分の中に好奇心が湧いてくるのをモナーは感じた。
音をなるべく立てずにリビングへのドアを開け、二人に近づく。
予想以上に上手く出来、彼は彼女達の直ぐ傍に近寄る事が出来た。
しかし此処で彼はある事に気付く。
それはもう一人の顔を確認するには彼も顔を晒さないといけなくなる事だ。
まあいいや、と一人思い、彼はバッと顔を上げた。
最悪の事態に陥った。
もう一人はレモナで、顔を上げた瞬間、二人の目が合った。
「う…あ……、レモナ……」
意味も無く漏れた言葉にレモナがビクッ、と反応する。
「お、お兄ちゃん…! 」
ガナーの声を掻き消すようにレモナが音を立て、立ち上がる。
そのまま彼女は何も言わずにモナーの横を通り外へと走っていった。
「……」
口をぽかんと空け、モナーはレモナが居た場所を眺めたまま動かない。
「馬鹿! お兄ちゃんの馬鹿! 馬鹿、馬鹿、馬鹿! 」
モナーの空っぽになった頭の中にガナーの声が響いた。
「どうしてレモナちゃんにあんな酷い事したの! 確かにレモナちゃんは周りが見えなくなっちゃったりする事あるかもしれないけど、お兄ちゃんはレモナちゃんの事、どうも思ってないのかもしれないけど、あんな言い方…、あんな言い方しなくて良いじゃない! 」
「うん、ごめん」
「なんで私に謝るのよ! レモナちゃんに謝らなきゃ! ほら、早く追う! お兄ちゃんなら今からでも間に合うから! 」
「…、でも」
「もう、そんなんじゃ駄目でしょ! 女の子を泣かせた罪は重いんだから! はい、追う! 早く! 」
レモナに急かされモナーは渋々外に出る。
出た途端、モナーは先程までの態度が嘘の様に全力で走り出した。
「全く、二人とも世話が焼けるんだから」
窓からモナーの様子を見ていたガナーはクスリ、と笑った。
走り始めて数分、全力で走ったにも関わらず、モナーの息は何時も通りだった。
それは彼が学生時代、陸上に全てを捧げるような生活をしていたお陰だろう。
彼は辺りを見回しながら彼女を探す。
案外簡単に見つかった。
河原に小さな背中がある。
三度目のため息を吐き、レモナの背中を叩こうとして腕を伸ばした。
しかし届く寸前で手が止まった。
ガナーの言葉を思い出したからだ。
女の子を泣かせた罪は重いんだから!
償え、という事だろうか?
モナーは考える。
またため息を吐いて、震えている背中を眺める。
少し躊躇ってから、モナーは背中に抱き付いた。
「!? 誰…? 」
「僕」
それだけ答えると、モナーは重心を後に掛けて、レモナを自分の胸に抱き、無理矢理目を合わせた。
「レモナも泣くんだね」
「……」
レモナは何も言わず、無理矢理モナーから目を逸らす。
モナーはまたため息を吐く。いい加減自分でも呆れてくる。
「レモナ、ガナーが女の子を泣かせた罪は重いんだから、って。罪は償うのが普通だよな」
「え? 」
モナーはゆっくり自分の顔をレモナの顔に近づけた。
「一つ注意しとく。別にお前が好きな訳では無い」
其の侭彼は自分の顔を彼女の顔に付けた。
「で、また懲りずに飲酒した訳ですよ、彼」
ウラーがもう呆れた様に言う。
モナーはケタケタと笑いながら彼の話に耳を傾ける。
「そして何時かの様にお兄さんと大乱闘。本当にいい加減にして欲しいよ」
「ハハハ。お疲れ様」
モナーはウラーの肩を叩きながら笑う。
「うわ、またこのパターンですか。また飲酒するのかなあ…」
ダッダッダッダッダッ。
突然後から地面を削るような音。
二人を同時に音の方に振り返る。
すると、
「モナァくうぅぅん! 」
モナーに金髪の少女が抱き付いた。
勢いでモナーは地面に押し倒される。
「モナー君、今日こそ結婚しましょ」
「結婚って…。レモナ、お前まだそんな歳じゃないし、僕了解してないし―――」
「フフフ。照れちゃって。私達、小さい頃から愛を育みあってきたじゃない」
「はあ? 」
モナーの意見を無視してレモナはモナーの胸に顔を埋める。
しばらく呆気にとられていたウラーだったが、少し考えて、
「モナー、おめでとう。彼女居たんだ。知らなか―――」
「いや、全然違うって! 助けて! 」
「いやいや、助けて、と言われても…」
ウラーは二人を眺めながら腕を組み、考える。
「コイツを何処かにやってくれれば良いから」
「もう、これアレね。ツンデレってやつね。モナー君ってたら~」
「うわあぁああぁ! やめろって、おい」
「モナーくうぅ~ん♪ 」
「いいかげんにしろ! 」
彼は吐き捨てる様に言う、するとレモナはニヤリと笑う。
「そんな事言わないでよ。この前の事、皆に言うよ? 」
「なっ!? 」
モナーは顔を赤らめる。
「え、何? 何かあったの? 」
ウラーは楽しそうにレモナに聞く。
「良いよ、教えてあげる。この前ね、私、モナー君に―――」
「うわあぁあぁぁあ! 言うな、言うな! 」
モナーが手足を滅茶苦茶に動かしながらレモナを静止しようとする。
それを無視して、レモナは笑いながら、
「この前ね、私、モナー君に幸せにして貰ったの。今度は私が幸せにしてあげないとね! 」
4th モララー
「美味しい。でも君のお父さんには劣る」
「えっ!? た、確かにそうかもしれませんけど、普通其処はお世辞使うでしょう? 」
タカラの予想通りの反応にモララーは声を殺して笑う。
彼が声を殺して笑った理由は隣の席でぐっすり眠っているでぃにある。
「まあ、頑張りたまえ、タカラ君」
調子に乗ったモララーがタカラの肩をバシバシと叩いた。
タカラは何か言いたそうな表情をしながら叩かれるがままに叩かれた。
「最近来なかったから不安だったんですけど、なんだか元気有り余ってるですね」
「そんな事ないよ。結構仕事で忙しかったんだけど」
何処か楽しそうな目をして答えるモララーにカクテルを差し出しながらタカラは、
「仕事…、プロのピアニストでしたっけ?」
タカラが正解を導き出せた事に満足しているのかモララーは嬉しそうに頷きながらカクテルを口へと運ぶ。
「お陰様で今度コンサートが出来る事になりました。…脇役だけど」
最後の方は本当に悔しかったのか妙に早口だった。
タカラはメモ用紙に何かを書きながら笑って、
「でも出来るんでしょう? 良かったじゃないですか。応援してますよ」
アハハハ、と笑いながらタカラはモララーにメモ用紙を渡す。
それを受け取り、読んだモララーの顔色が一変した。
「本気? 」
「勿論。今は僕がマスターですから。この前やめてと言ったのに、仕事中に名前で呼ぶなんて酷いですよ。お代は二倍で宜しくお願いします」
ブツブツと文句を言いながらモララーは項垂れる。
それが可笑しかったのか、タカラは心底楽しそうに笑った。
「あ、そうそう。前から聞きたかったんですけど、モララーは何で弟さんと一緒に住んでるんですか? 」
突然思いがけない質問をぶつけられたからか、モララーは怪訝そうな顔をして、
「突然何を。何かアイツ変なことでもした? 」
「別に。本当に個人的に思っただけです」
「ちょっと訳ありでね。まあ楽しいから良いんだけど」
モララーの何時もより素っ気無い様な態度からタカラはあまり首を突っ込んで欲しく無いのだと感じ取る。
しかし、
「物心ついた時には両親離婚してた。僕達は母親に育てられてきたんだけど、どうもアイツ、父親に良く似てるらしくて、それだけを理由に軽い虐待みたいなのを。それで僕がこっちに来る時に一緒に来た」
一気に話してため息を吐く。
呆気に取られていたタカラはふ、と我に戻って何とか言おうとするが言葉が見つからない。
「あー、序にちょっと愚痴良い? アイツ未だに彼女居ないんだよね。兄としては早く甥か姪か知らないけど顔を見させて欲しいんだけど」
「それはモララーも一緒でしょう」
痛い所をつかれてしまったのか、苦い表情をして、
「僕は良いよ。一生独身でも問題無い」
「負け惜しみですか」
「そういうタカラは? 」
その言葉を聞いたタカラがニヤリと笑う。
「まあ、僕も居ないんですけど…、今、僕の事なんて呼びました? 」
「え? タカ…、あ…」
タカラの思惑を読み取ったモララーは彼に頭を下げる。
「ちょ、勘弁して。四倍はキツイ。二倍でもキツイけど」
「じゃあ、今度のコンサートのチケット、二枚で」
「うわ、それもキツイって! 」
叫ぶモララーにタカラは止めを刺した。
「五月蝿いです。でぃさん起きちゃうじゃないですか。十倍」
「うわあぁあ! 分かった分かった。明日持ってくるから! ああ、もう帰らなくちゃ、じゃあね! 」
ひとりぎゃあぎゃあ騒ぎながらモララーはタカラのバーを後にする。
家路の途中、モララーはタカラが何故あんな大胆な行動に出たかを理解する。
少し新鮮で懐かしい気持ちで少し頬を赤く染めながら彼は帰っていった。