第四話 ワルド来訪

私の心は煤けた掛け時計なんだと思う。
時を刻む事を止めてしまってから、もう長い時間が経つ。私の心はあの時あの場所であっさりと壊れてしまった。
私は原因を探った。
長い時間をかけてようやく答えに行き着いた。ゼンマイが一つ足りないみたいだ。なぜ、外れてしまったのだろう。
私は足りないゼンマイを探した。いろんな所にいった。いろんな人と話した。
それでも、ゼンマイは見つからなかった。
疲れたから、諦めた。
私はゼンマイの代替品を探すことに決めた。
希少な宝石。ヴィンテージワイン。壮大な絵画。上品なドレス。そして、魔法の宿った世界に一つしかない不思議な道具。
あたりをつけたものは、全部盗んだ。
だけど、どれもゼンマイの代わりにはならなかった。
私はやっぱり欠けたゼンマイが欲しい。
心が悲鳴をあげた。
そして、私は目覚める。

トリステイン学院の保健室に、私はいた。





学院長室の扉がノックされた。

「オールド・オスマン。よろしいでしょうか?」

「入りたまえ、ミス・ロングビル」

上司の許可を得たロングビルは、入室するとオスマンに一礼をした。

「勝手なお休みを二日も頂いてしまい、申し訳ございませんでした。私の健康管理が至らなかったばかりに…」

「なに、気にすることはない。今回は相手が悪すぎたよ。のう、土くれのフーケ?」

ロングビルの眉間にシワがよった。

「何をおっしゃっているんですか?」

「そうか。この二つ名は、いまだに馴染みがないのか。では、こう呼ぼう。マルチダ・オブ・サウスゴータ君」

ロングビルの顔が蒼白になった。それはかつて捨てた、いや、捨てざるを得なかった彼女の貴族としての名だった。その名を知るものは、もうこの世にはいないはずだ。
この老人はどこまで知っているのだろたう?
ロングビルの表情が代わる。もはや、従順な秘書の姿を偽る意味はない。

「あなた、知ってたの?私が、土くれのフーケだって事を。秘書として雇う前から」

「いいや、知ったのは最近のことじゃよ。君と町の居酒屋で出会ったのは本当にただの偶然だ。君を雇うと決めた事にも、それは関係ない。君が優秀な人間に見えたからじゃ。
ただ、トリステイン学院は歴史の古い由緒正しい学院じゃ。素性の分からない者を雇うわけにはいかないじゃろ?だから、勝手に調べさせてもらった。それで分かったのじゃ、君の正体がな」

「で、どうするつもり?私の身柄を王室に引き渡すの?あなたが欲しいのは名誉?それとも、私に懸かった報奨金?」

「こんな年寄りが、今更、金や名誉で動くと思うかね?」

「じゃあ、何が狙いよ?私の体?あんた、まだ枯れてなかったんだ」

オスマンは首を横にふる。

「ワシは君の本当の笑顔が見たい。希代の盗賊と知りながらも、君を雇い続けたのは、それが理由じゃ。あの日…、そう、初めて君と出会った日、酒に酔った君はころころとよく笑っとった。じゃが、ワシには寂しい笑顔にしか見えなかった」

「何を言ってるの?とうとうボケが始まっちゃったわけ?」

土くれのフーケが嘲笑う。しかし、それは自嘲を含む笑顔だった。
オスマンは席を立ち、ロングビルの側によると、いつの間にか涙を浮かべていた彼女の両肩を握った。

「君が本当の名を捨てた理由はよくわかる。そして、その後、君が盗賊としての道を歩まざるを得なかった理由もな。君は寂しかったんじゃ。だからこそ、わしはその偽りの笑顔を無くしたい…」

「……何が言いたいのよ?」

「これからも、私の秘書として働いてくれるね?」

「は……?あんた、頭の中身、温まってるんじゃない?」

反抗的な言葉を吐きながらも、ロングビルの瞳からは涙が零れ続けた。

「焦る必要など、どこにもない。君はまだまだ若いんじゃ。『居場所』などすぐに見つかるよ。もしかしたら、この学院こそが君の居場所かもな。仕事に取り組む様は、君によく似合っているよ」

長年、かすりもしなかった。必死に探したのに。
だけど、ひょっとしたら見つかるのかも知れない。
ゼンマイの手懸かりを見つけたロングビルが鳴咽を漏らす。

「これからも、よろしくお願いします…。オールド・……オスマン」

彼女が学院の保健室で寝ていた間、この老人は魔法を用いて、せっせとロングビルの心を揺らし続けた。人間ならば成長の過程で必ず備わる精神の障壁、それがロングビルの心から完全に取り除かれるまで、それは執拗に行われた。
ロングビルの心は彼女の知らぬ間に、生まれたての小鳥のような状態に陥っていたのだ。
そんな無垢な心にインプリンティングがなされた。
全ては老人の思惑通りである。
涙を流し続けるロングビルは、老人の瞳が怪しく光るのを、歪んだ視界の為に見逃してしまった。

「オールド・オスマン。ですけど……、いい加減、セクハラはご遠慮下さいね……」

確かにオスマンはセクハラまがいのことをよく行っていた。
しかし、それも仮の姿に過ぎない。
ピエロを演じていれば、まわりの人間は面白いくらいに騙されていく。
長い人生経験から、オスマンはそれを良く知っていた。




ガンダールヴによる初号機とのシンクロに致命的な欠陥が潜んでいたことに気付いたのは、フーケ事件から間もない頃だった。
ある日、トリステイン学院から歩いて三十分程の場所に広がる平原で、シンジが初号機の戦闘訓練を行っていたところ、なんの前触れもなくルーンの輝きが失せた。そして、初号機の両肩が不自然な形で沈み込むと、それを最後に、その巨体は完全に沈黙してしまったのだ。
いくら意識を集中しようとも、ルーンが光を取り戻すことはなく、シンジは慌てて学院に戻るとオスマンに相談を持ちかけた。
だが、彼も頭を傾けるだけで、これといった答えは出なかった。
しかしながら、オスマンと共に初号機の擱座する場所まで戻ると、ルーンは何事もなかった様に発光を始め、あっさりと初号機とのシンクロが確立されたのだ。

「どういうことなんでしょうか?」

「ふむ…」

オスマンはしばし逡巡した様子を見せると、何かに閃いたようで、口を開いた。

「明日の夕方、わしの前で、オーガとの同調を試してくれんか?」

「原因が掴めたんですか?」

「どうじゃろな。明日には、はっきりするかも知れん」

翌日、約束の時間に現れたオスマンの前で、シンジは初号機の起動を試みた。しかし、またもや、ルーンの反応がなく失敗に終わった。

「ふむ、やはりな…」

「なにか分かりましたか?」

オスマンが夕焼けに染まった月を指差した。

「神々の黄昏が起きている。おそらく、それが原因じゃな」

シンジが困った様な顔をした。

「月とエヴァに何の関係があるんですか?」

「この世界にも、この世界なりの事情というものがあるんじゃよ。ま、なんにしても、一日に三時間はオーガの使役を封じられるということじゃ。それと、このことは胸の内に秘めときなさい。誰にも話すんじゃないよ」

シンジにもその理由は良く分かった。
もし、再びフーケの様な存在が現れ、この弱点を悟られた場合、敵がその隙をついてくるのは間違いない。

「そうですね。後、剣の練習も始めてみます。せっかく、マゴロクソードを頂いたことですし」

オスマンが頭をぼりぼりと掻く。

「君は呆れるくらいに真面目じゃな」

「ルイズさんが言ってました。ご主人様を守ることが、使い魔に課せられた最も重要な仕事だって。だから、やれることはなんでもやっておきたいんです」

「君はミス・ヴァリエールの事が好きなのかね?」

「もちろんです。色々と良くしてくれますし。ぼくは一人っ子ですから、なんか、優しい姉が出来たような感じで…、素直に嬉しいんです」

オスマンの意図した質問の内容から考えれば、シンジの言葉はまるで見当はずれだった。
オスマンは恋愛感情の有無について尋ねたのである。

「そうか。ならば、精進を怠らないようにな」

シンジが微笑む。

「はい!」

三日経って、オスマンの憶測が事実に違いないと証明された。
何度試しても、神々の黄昏時には初号機とのシンクロが確立されなかったのだ。
ちなみに、この世界の一日の周期は地球と同じ二十四時間である。そして、神々の黄昏はそれよりも短く十九時間おきに発生する現象だ。
その為、一日毎に神々の黄昏の発生期間は微妙にずれていくことになる。
非常に対策の立てづらい欠点だった。
シンジは重なり合う月に向かって、ルーンをかざした。
ガンダールヴ、そして、空に浮かぶ二つの月。
異世界であるはずのハルゲキニアで、エヴァに干渉する事柄がいかなる理由で二つも存在するのであろうか。

「ぼくがこの世界に召還されたのは、本当にただの偶然なのか……?」





トリステイン国の姫殿下――アンリエッタが、ゲルマニア国訪問の帰りに、トリステイン魔法学院を行幸することになったらしく、学院内が騒然とした空気に包まれた。
あちらこちらで、慌しく歓迎式典の準備が行われている。
どうやら、本当に急な話だったらしい。
学院の生徒たちは、少しでも姫殿下の御覚えが良くなる様にと、必死に自分の杖を磨いていた。
シンジはというと、特に興味がわくことも無かったので、学院の隅に見つけた人気の無い静かな場所でマゴロクソードの素振りを行っていた。
先日、ガンダールヴの更なる能力に気づいたシンジは、暇を見つければ、剣の練習に勤しんでいるのだ。
剣を握るだけで、ルーンが輝きだし、シンジの身体能力が飛躍的に上昇する。
空を舞う小鳥の羽根の動きがスローモーションの様にくっきりと見え、身体は今にも飛べそうなくらいに軽くなり、両手に握った双剣マゴロークソードが、まるで自分の身体の延長にあるような一体感を覚えた。
全ての武器を使いこなした伝説のガンダールヴ、おそらく、彼もこの能力を開花させた人間だったのだろう。

正門の方から、斉唱と歓声が聞こえた。
例の姫殿下一行が到着したに違いない。

「行かなくていいんですか?」

シンジは、芝生にぺたんと座り込み本を広げているタバサに尋ねた。

「興味ない」

タバサは貴族なのだから、王室から領地を安堵されている立場のはずだ。常識的に考えて、歓迎式典に参列しないのはまずいのではなかろうか。
しかし、彼女はそれを全く意に介さない様子だった。

「他の人たちはすごい楽しみにしてましたよ」

「そう」

タバサの瞳は本のページに向けられたままだ。

「本、好きなんですか?」

「うん。碇君は?」

「好きなほうだと思いますよ」

タバサは自分のポケットから文庫本を取り出すと、シンジに差し出した。

「おススメ」

「貸してくれるんですか?」

タバサは小さく頷く。
シンジは礼を言って、本を受け取るとそれをぱらぱら開いた。

「なんだ、これ?」

ページには、今まで見た事も無い意味不明な記号の羅列が記載されているだけだったのだ。

「これなんですか?」

「本」

「あ、じゃなくて、この記号のことなんですけど…」

シンジはページを指差しながら、腰を下ろすタバサによく見える様、本を差し向けた。

「ハルケギニア語」

「はい?」

「今、私達が話してる言葉」

「日本語ですよね」

自分自身の口から出た言葉で、はたと気付くものがあった。
文化も風習も文明の源も違うハルケギニアの公用語が日本語などということがありえるのだろうか。いや、まず、ない。
では、自分がハルケギニア語を話しているのかといえば、そん感覚は微塵もなかった。
自分が口に出す言葉を、何度反芻しても、やはり、日本語に間違いない。
今、自分に起きている不可解な事態をタバサにも理解してもらえる様に、シンジは出来るかぎり丁寧に説明した。
しばしの間、青い瞳が虚空を泳いだ後、タバサはシンジの左手に刻まれたルーンを指差す。

「ルーンの特殊能力」

シンジはまじまじとガンダールヴのルーンを見つめた。

「なるほど…。このルーンにかかれば、なんでもありなんだな」

しかし、ガンダールヴの力も文字の理解にまでは及ばないようだった。

「勉強」

「しろってことですか?」

シンジの言葉を受け、タバサは小さく頷いて応えた。

「いや、大丈夫ですよ」

「駄目」

「でも、全く不便を感じてないですし…」

「いずれ、困る」

確かにタバサの言うことは正論だった。
電話もパソコンも無線機もないハルケギニアの通信手段と言えば、早馬と手紙になる。
シンジは早馬を使用できるような身分ではないので、手紙が唯一の通信手段だ。つまり、遠くの誰かと意思疎通を計る為には文字の読み書きが必須条件である。

「そうですね。勉強やってみます」

タバサが、彼女には珍しくまだ幼さの残るその顔に微笑みを浮かべた。

「頑張って」

「ハルケギニア語を覚えたら、また、改めて貸してください」

シンジは借りたばかりの文庫本をタバサに返した。
しかし、二週間後、シンジはこの文庫本を再び借りることになってしまった。
その短い期間にハルケギニア語を全てマスターしたからである。取っ掛かりを掴んだ後は、単語、文法、慣用句などを乾いたスポンジの様に吸収するシンジの姿があった。
原因は、またもやガンダールヴにある。語学勉強に励むシンジに呼応したガンダールヴの進化システムが、シンジの頭蓋骨に納まる大脳のブローカ野を作り変えたのだ。
目に見えない変化が自分の体に起きていることを、この事をきっかけにして、シンジはようやく実感し始めた。

悲劇は、近い。

その日の夜、シンジは寝具の上に座り込んで、ルイズを見つめていた。なんだか、ルイズは激しく落ち着きがなかった。

「なにか、あったんですか?」

「ううん、なんでもないの」

ルイズの目が泳いでいる。歓迎式典の最中に何かがあったのは間違いなさそうだ。
そのとき、ドアがノックされた。

「誰ですかね?」

ルイズの顔がはっとした。思い当たる人物がいるようで、彼女は慌しくドアを開く。
ドアの向こうには、真っ黒な頭巾をすっぽりと被る少女が立っていた。
辺りをうかがうように首を回すと、そそくさと部屋に入ってきて、後ろ手に扉を閉めた。

「貴方は……?」

ルイズは驚いたような声を上げた。
頭巾を被った少女はしっと言わんばかりに、口元に人差し指を立てた。
それから、頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から、魔法の杖を取り出すと軽く振った。同時に短く魔法を詠唱すと、光の粉が部屋に舞う。

「……探知魔法?」

ルイズが尋ねると、頭巾の少女が頷く。

「どこに耳が、目が光っているか分かりませんからね」

魔法による盗聴や盗撮の心配がない事を確認した少女が頭巾を脱いだ。
現れたのは神々しいばかりの高貴さを放つ少女だった。すらりとした気品のある顔立ちに、薄いブルーの瞳、高い鼻が目を引く瑞々しい美貌を持っていた。

「姫殿下!」

ルイズが慌てて膝をつく。
シンジは、寝具にあぐらをかきながら、ぼけっとその様子をみつめていた。
アンリエッタは涼しげな心地よい声で言った。

「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」

「姫殿下!いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」

ルイズはかしこまった声で言った。

「ルイズ、そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい!あなたとわたくしはお友達じゃないの」

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

ルイズは緊張した声で言った。

「やめて、ここには枢機卿も、母上も、あの友達面して、寄ってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ!
ああ、もう、わたくしには心をゆるせるおともだちはいないのかしら。幼馴染の懐かしいルイズ。あなたにまで、そんなよそよそしい態度をとられたら、わたくし死んでしまいますわ」

「姫殿下……」

ルイズは顔を上げた。

「幼い頃、一緒になって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの!泥だらけになって!」

はにかんだ顔で、ルイズが応えた。

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ポルト様に叱られました」

「それだけじゃないわ。クリーム菓子を取り合ってつかみ合いのケンカをしたこともあったわね」

ルイズが笑い声を漏らした。

「でも、感激です。姫様が、そんな昔のことを覚えて下さっているなんて」

アンリエッタは深いため息をつくと、ベッドに腰掛けた。

「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。なんにも悩みなんかなくって」

深い、憂いを含んだ声だった。

「姫さま?」

ルイズは心配になって、アンリエッタの顔を覗き込んだ。

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね、ルイズ」

「なにをおっしゃいます。あなたは姫さまじゃない」

「王国に生まれた姫なんて、籠に飼われた鳥も同然。自由なんてどこにもないわ」

アンリエッタは、窓の外の月を眺めて、寂しそうに言った。それから、ルイズの手を取って、にっこりと笑って言った。

「結婚するのよ。わたくし」

「……おめでとうございます」

アンリエッタの声の調子に、なんだか悲しいものを感じたルイズは、沈んだ声で言った。
そこで、アンリエッタは寝具の上に座ったシンジに気づいた。

「あら、ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら」

「お邪魔、どうして?」

「だって、そこの彼、あなたの恋人なのでしょう?随分、幼いようだけど、ルイズは年下が趣味だったのかしら?」

「いやだわ、姫様。彼は、私の使い魔です」

「使い魔?」

アンリエッタはきょとんとした面持ちでシンジを見つめた。

「人にしか見えませんが……」

話題に上ったシンジが立ち上がる。軽く会釈をしてから、口を開いた。

「はじめまして。ルイズさんの使い魔で碇シンジと言います。あと、ぼく、人間です」

アンリエッタはシンジに微笑みかけた。

「こちらこそ、よろしくね。だけど、ルイズ。まさか、人を召喚するだなんて……」

「この子、こう見えても、結構、頼りになるんです。姫様も学院の外に安置されているオーガを御覧になられたんじゃないですか?」

「オーガ?あの紫色の悪趣味な銅像のことかしら?」

「あれは銅像ではございません。この子が使役する使い魔です。おそらく、この子はハルケギニア最強の使い魔ですわ」

ルイズが胸をはる。
ご主人様から賞賛の言葉を戴いたシンジは顔をほころばせていた。

「動くのですか……?あれが?」

アンリエッタがため息をつく。

「あなたって昔からどこか変わっていたけど、相変わらずみたいね」

「お褒めの言葉として頂戴いたしますわ」

ルイズは砕けた微笑を浮かべた。

「そういえば、姫様とご結婚される幸運な殿方はどなたで?」

「……ゲルマニアの皇帝です」

「ゲルマニアですって!」

ゲルマニア嫌いのルイズが驚嘆した。

「あんな野蛮な成り上がりどもの国に!」

ルイズの口から差別的な言葉が出てきたことに、シンジは軽いショックを受けた。
なぜなら、あのキュルケもゲルマニアの貴族だったからだ。
知り合いまで一緒くたに卑下された気分になり、シンジは例えようのない居心地の悪さを感じていた。

「そうよ。でも、仕方がないの。ゲルマニアと同盟を結ぶためなのですから」

つまりは政略結婚だ。
先日、アルビオン内において有力貴族達が反乱を起こし、今にも王室は倒れそうであった。反乱軍が勝利を収めたら、【新生アルビオン】がトリステインに進攻するのは間違いない。
反乱軍が『ハルケギニア統一』、そして『聖地奪回』を旗印にしている為だ。
聖地とは始祖ブリミルに由縁する由緒ある土地なのだが、今では亜人種である【エルフ族】に占有を許してしまっている。
エルフは強力な民族で、今までにも各国が聖地奪回の為、散発的な進攻を度々行ってきたが、全て敗退に終わっている。
アルビオンの反乱軍首脳部は、聖地奪回の為にハルケギニア統一が必須事項と考えていた。しかし、ハルケギニアの国々は全くもって手を取り合おうとはしない。
その為、武力による統一を図ったのだ。

「そうだったんですか……」

ルイズは淋しそうに呟いた。アンリエッタが、その結婚を望んでいないのが、彼女の態度から明白だった。

「いいのよ、ルイズ。好きな相手と結婚するなんて、物心ついた時から諦めていますわ…」

「姫様……」

「礼儀知らずのアルビオン反乱軍は、トリステインとゲルマニアの同盟を望んではいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら容易に折れますからね」

アンリエッタが俯く。

「したがって、わたくしの婚姻を妨げる為の材料を、血眼になって探しています」

ルイズが息を飲む。

「姫様には、材料になりうる存在の心当たりがあるんですね……?」

アンリエッタが後ろめたそうに頷いた。

「それは…?」

ルイズが尋ねると、両手で顔を覆いアンリエッタが苦しそうに呟いた。

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」

「手紙?」

「そうです。それがアルビオンの反乱軍に渡ったら……、彼らはすぐにゲルマニアの皇室にそれを届けるでしょう」

「手紙の内容は?」

「……それは言えません。でも、それを読んだらゲルマニアの皇室は、このわたくしを赦さないでしょう。婚姻の話は潰れ、ゲルマニアとの同盟は反故。となると、トリステインは一国にてあの強力なアルビオンに立ち向かわらなければならないでしょうね」

ルイズがアンリエッタの手を取った。

「畏れながら、申し上げます。わたくしめが必ずその手紙を奪還して見せますので、御詳細を…」

「……アルビオンにあります」

ルイズが口元に手を寄せた。

「では、すでに敵の手中に?」

「いえ、手紙を持っているのは、アルビオンの反乱軍ではありません。反乱軍と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子が……」

「わかりました。私が必ずその手紙を受け取ってきましょう」

ルイズは真顔になり、きっぱりと言った。

「無理です、ルイズ!今、アルビオンでは苛烈な戦争が行われているのよ。そんな所に赴くのは危険過ぎます!」

しかし、ルイズは微笑む。

「トリステインの危機を放ってはおけません。それに姫様の御為とあらば何処なりとも向かいますわ」

アンリエッタに予感めいたものが浮かんだ。
この少女と少年ならば、あるいはやり遂げるのではなかろうか。
もちろん、何の根拠もありはしなかった。しかし、アンリエッタの中に巣くっていた不安の糸が断ち切られ、ふっと力の抜けた彼女がその場にくずれ落ちた。

「ありがとう……。…わたくしの親友なるルイズ」

その時、ドアが乱暴に開かれ、金髪の少年が飛び込んできた。
もちろん、ギーシュである。

「姫殿下!その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せつけますよう」

アンリエッタに向かい恭しく膝を落とすギーシュに、ルイズが怒鳴った。

「あんた、盗み聞きしてたのね!」

「グラモン?ひょっとして、グラモン元帥の……?」

アンリエッタがきょとんとギーシュを見つめた。
そして、ギーシュが頷く。

「息子でございます」

「あなたも、わたくしの力になってくれるというの?」

「何をおっしゃいます。忠誠を誓うべき主は、貴女以外に見当たりません。貴女が仰せられるのであれば、例え怨嗟轟く戦場でも赴きましょう」

熱っぽいギーシュの口調に、アンリエッタは微笑んだ。

「貴方のお父様も勇敢な貴族ですが、貴方もその猛き血を受け継いでいるようですね。では、お願い致します。この不幸な姫をお助け下さい」

「この杖に賭けて…!」

ギーシュの様子を眺めていたルイズがため息をつきつつ、アンリエッタに言った。

「では、明日の朝、アルビオンに向かって出発いたします」

「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族たちは、あなた方の目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害するでしょう」

アンリエッタは机に座ると、ルイズの羽ペンと羊皮紙を使って、さらさらと手紙をしたためた。
アンリエッタは、自身の書いた手紙を見つめるうちに、悲しげに俯いた。

「姫様?」

怪訝に思ったルイズが声をかける。

「……なんでも、ありません」

アンリエッタは手紙を巻くと、杖を振る。すると、どこから、現れたものか、巻いた手紙に封蝋と花押がなされた。
その手紙をルイズに手渡す。

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

それから、アンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、ルイズに手渡した。

「母君から頂いた【水のルビー】です。この指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなた方を守りますように…」

朝もやの中、オールド・オスマンの助力を得たシンジとルイズとギーシュは、コルベールと共に初号機の改造に取り組んでいた。風石を装甲板に取り付けているのだ。
風石とは風系統の魔力が込められたものである。
先日、シンジがシエスタと共に城下町へと出かけた時、彼は主人から受け取った全財産をはたいて、【風石】を買えるだけ買っておいたのだ。
その時、シンジには見慣れない羽帽子をかぶった長身の男が現れた。
その姿に気付いたルイズが立ち上がる。

「ワルド様……」





ワ 第四話

ド、来訪


終わり


男 第伍話

戦い


へ続く
最終更新:2007年09月28日 22:39
ツールボックス

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