第壱話 見知らぬ天井

ハルゲキニア地方特有の朗らかな西南風が吹き抜け、人々に心地良い草花の香りを届けてくれる。
それが、普段のトリステイン王国立トリステイン魔法学院の姿だ。
しかし、今日ばかりは少し様子が違う。
今、トリステイン魔法学院を包んでいるのは不快な血の香りだった。
悪臭の原因を作り出した人物の横にいる青髪の少女――タバサは顔色一つ変えずに口を開いた。

「使い魔、どれにするの?」

「どれって言われても…」

原因である桃色髪の少女は、タバサの問いに上の空のまま答えた。
今、彼女等の前には、三つの物体が転がっている。
一つは、身の丈40メイルはあろうかという巨躯。俯せのまま微動だにしない。一応、人の形を為してはいるが、頭部から角の様なものが生え、おまけに躯全体が見るからに硬そうな紫色の甲殻に覆われている。
まるで、オーガ(鬼)だ。
もう一つは、そのオーガの、人で言うなら頚椎と思われる部分から噴き出した白い円筒状の【空飛ぶ棺桶】。
【空飛ぶ】とは、比喩でもなんでもない。実際に飛んだのだから、始末が悪いのだ。蒼炎を撒き散らしながら飛行し、最終的には、行き先を見失ったかのように、地面に突き刺さった。
そして、最後の一つが、その棺桶から、血生臭い黄色い液体と共に流れ落ちた少年だ。体のラインがわかるほどのタイトな青い衣を纏い、その髪には奇妙な装飾が施されている。
まあ、息をしてないので、正確には【少年の遺体】と言うべきだろう。
騒然とした雰囲気の中、淡々と流れる時間が、桃色髪の少女――ルイズの平静を取り戻した。

「あの、コルベール先生。出来れば、召喚をやり直したいんですけど…」

サモン・サーヴァントの行く末を見守っていた教師に、ルイズはすがるように懇願した。

「ミス・ヴァリエール。サモン・サーヴァントで呼びだした使い魔とは、必ずコントラクト・サーヴァントを行わなければならない。これは伝統に裏打ちされた決まりなんだ。例外は認められない。いや、しかし、三体もいるとなると…」

コルベールと呼ばれた教師は思わず首をかしげた。
一度のサモン・サーヴァントで召喚される使い魔は、通常、一体だけのはずで、三体も同時に出現するなどと言うことは有り得ない。
彼は今日に至るまで、サモン・サーヴァントに関する文献を数え切れないほど読んできたが、こんな例外はどこにも載っていなかった。
つまり、前代未聞だ。
しかし、困ったことに、目の前には前代未聞の事柄が転がりすぎている。
まず、少年の遺体。奇抜な服装はともかく、どこからどうみても人間だ。サモン・サーヴァントで人間が召喚されたことなど、今までに一度もない。
そして、空飛ぶ棺桶。 そもそもこいつは生命体なのだろうか。
極めつけは、巨大なオーガの様なもの。おそらく亜人の一種なのだろうが、こんな存在は見たことも聞いたこともない。
だいたいコントラクト・サーヴァントを行使できる対象は一体限りである。
すぐに答えを導き出せるような状況ではないことを察知したコールベールは、今の段階で最善と思われる指示をルイズに下した。

「ミス・ヴァリエール。この三体の中から、君の使い魔とする者を選びなさい」

冗談じゃない。
死体に棺桶にオーガ。
その内のどれであろうと、キスなんかできるもんか。
コントラクト・サーヴァント--召還した使い魔との主従契約を結ぶには、主人となる自身と使い魔となる対象との間に交わされるキスが必要なのである。
だからと言って、こんな得体の知れない不気味な存在共に生涯一度きりのファースト・キスを捧げてしまったら、一生もののトラウマになるのは間違いない。
そもそも、棺桶に至っては唇に当たる部分がどこにあるかもわからないのだ。まさか、少年の遺体を吐き出したあそこではあるまいな。
全くもって建設的ではない思考をルイズが行っていると、タバサが何かに気付いたようで、はっと目を見開いた。

「あの子、生きてる」

「へ?」

ルイズの間抜けな反応を無視し、少年の遺体を指差しながら、タバサは言葉を続けた。

「ルイズ。人口呼吸」

コルベールも事態を察したようで、すぐさまルイズを促した。

「ミス・ヴァリエール、心臓マッサージと治癒魔法は私が行うから、君は人口呼吸を」

「え?私?」

「貴方の使い魔」

タバサは、事態の飲み込めないルイズを突き放すように冷たく言い放った。

往生際の悪いルイズは最後の最後まで人口呼吸を拒んだ末、最終的には捨て身の覚悟で行った。数分後、ルイズとコルベールの献身的な蘇生活動により、少年は意識こそ取り戻してはいないが、なんとか息だけは吹き返した。
結局、この事柄が決め手となり、ルイズはその少年を使い魔に選んだ。
ルイズいわく。


――もう、キスしちゃったんだから、一度も二度も変わんないわよ!!

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シンジが異世界に召喚されてから、一週間が過ぎた。
つまり、強制的にルイズの使い魔にされてから一週間が過ぎたということだ。
シンジが、トリステイン魔法学院の常識、風習、風俗にようやく順応し始めたと実感した矢先に、事件は起きた。

「すまんな、平民。僕はお前を殴らなくてはならない。殴らなくては…、気が済まないんだ…!」

金髪碧眼の少年--ギーシュは、シンジの左頬を渾身の力で殴打した後、たまらず尻餅を着いたシンジを見下すようにそう言い放った。
それは、もっともらしいと言えば非常にもっともらしい言葉だったし、理不尽と言えば非常に理不尽な言葉だった。
要するに、貴族の理屈なのだ。
この世界では、それまでシンジが生活していた環境には有り得ない常識が跋扈している。
端的に言えば、この世界には魔法使いが存在するのだ。彼等は空を飛んだり、石ころを実用的な金属に変えたりといったことを平然とやってのける。
しかし、この世界でも魔法を扱える人間は少数派のようだ。その為、メイジのほとんどが貴族階級にあり、魔法を使えない一般人は平民と位置づけられる。
魔法に裏打ちされた封建制度が成り立っているのだ。
つまり、魔法を使えないシンジはただの平民に過ぎないということになる。
残念ながら、【第三適合者】といった素養は全く役にたたない世界だった。
ギーシュはと言うと、ここトリステイン魔法学院の生徒、――つまり、魔法を扱う貴族である。

ちなみに、事件の発端をかい摘まむとこうだ。
シンジが、トリステイン魔法学院内にある【アルヴィースの食堂】の床に座り込み、いつも通りの粗末な朝食をもそもそと頂いていると、ルイズの二つ隣の席に座るギーシュのポケットから、硝子でできた小瓶が床に落ちたことに気付いた。
単なる厚意のつもりで、シンジはギーシュに言った。

「あの、何か落ちましたよ…」

しかし、ギーシュは振り向かない。気付いてないのだろうか。
仕方なく、シンジは小鬢を拾いあげ、ギーシュに差し出した。

「落とし物です」

しかし、ギーシュは苦々しげに、シンジを見つめると、その小瓶を押しやった。

「これはぼくのじゃない。君は何を言ってるんだ」

シンジは困惑した。今、彼が握っている小瓶はギーシュが落としたものに違いない。なぜ、ここまでかたくなに否定するのだろう。
ギーシュの斜め向かいに座っていた青年が、その小瓶を凝視すると、どこか嬉し気に口を開いた。

「それは、【香水のモンモランシー】の香水じゃないか。そうか、ギーシュ。君は今、モンモランシーと付き合っているんだね」

「ち、違う。君まで、妙なことを…」

ギーシュが何か言いかけた時、後ろのテーブルに座っていた少女が立ち上がった。理由はわからないが、ほろほろと涙を流している。

「ギーシュ様、やはり、ミス・モンモランシーと…」

「ケティ、違うんだ。誤解だよ」

しかし、誤解でもなんでもなかったらしく、一分後には、ケティと呼ばれた少女からは平手打ちを喰らった上、騒ぎを聞き付けた例の【香水のモンモランシー】からは、瓶に入ったワインを頭上からぶちまけられた哀れなギーシュの姿があった。
どうやら、この男、二股をかけていたようだ。
常識的に考えて、ギーシュの自業自得に過ぎないのだが、貴族である彼からすれば、【平民ごときが余計な事をしたせいで】という理屈になるわけだ。
そんなこんなで、シンジは右拳という強烈なお礼を酒臭いギーシュから頂く結果になってしまった。

「あの、すいませんでした…」

謝るシンジの姿には目もくれず、ふんっと軽く鼻をならし、ギーシュはその場から立ち去ろうとした。
一言の謝罪で事態の収拾がつき、シンジがほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、派手な音を立てながら腰を上げたルイズがギーシュを呼び止めた。

「ちょっと待ちなさいよ。人の使い魔を殴っときながら、その主人に謝罪の一言もないの?」

「何を言ってるんだい、ルイズ?悪いのは躾のなってないその平民だろ」

「たいした甲斐性もないくせに二股かけてたあんたが悪いに決まってるでしょうが!」

ルイズが核心をつくと、周りの生徒がにわかに沸き始め笑い声が飛んだ。

「そうだ、ギーシュ。君が悪いぞ」

「二股はいかんよ、二股は」

中には面白おかしく勝手な野次を飛ばす生徒もいる。
ギーシュの顔が紅潮した。

「ルイズ。あまり、僕を怒らせない方がいい」

「だったら、どうだって言うのよ。あんたが謝罪するまで一歩も引かないんだからね」

「僕だって、理不尽な謝罪をする気は全くない」

ルイズの肩が小刻みに震え始めた。まだ、一週間という短い付き合いではあるものの、シンジは、ルイズのその癖を良く知っている。ルイズは今、堪え難い怒りに襲われているのだ。

「あ、あ、あんたがそういう態度なら、こっちにだって考えがあるわ!」

「どうするんだい?」

「決闘よ!」

ギーシュは下卑た笑みを浮かべた。

「ゼロのルイズ。ついに頭の中までゼロになってしまったのかい?貴族同士の決闘は禁忌だ。そんなことは平民の子供でも知ってるよ」

「あんたばかぁ?」

ギーシュが訝しげな顔をしたのを確認した後、ルイズは勝ち誇ったように続けた。

「いつ、どこで、なんとき、私が闘うなんて言ったのよ!?あんたの相手は、このシンジよ!!」

なるほど。
事態が自分の手を離れた上、とんでもない方向に進んでることに気付き、シンジは思わず涙を零しそうになった。

「シンジは平民。あなたは貴族。貴族と平民の決闘は、誰も禁止してないわ」

どうやら、貴族という連中は理不尽な理屈が大好きなようだ。
知ったところで、どうしようもない事柄を学んだシンジはしみじみと自分の不運を呪った。
その後、ギーシュとルイズの話し合いによって、決闘は翌日の午後3時、【ヴェストリの広場】にて行われることが取り決められた。
もちろん、シンジの意思は全く尊重されなかった。

その晩、ルイズの寝室にて、決闘の対策会議が設けられたのだが、それは小田原評定としか例えられないような粗末な内容だった。

「で、あんたの特技ってなんなの?」

「えっと、しいて言うなら料理とか…」

シンジが恥ずかしげに口を開くと、ルイズの肩が震えた。

「あんたばかぁ?どうしたら、炊事が決闘の役に立つっていうのよ。ほら、ないの?剣が得意とか。槍が得意だとか」

「すいません…、使ったこともないです」

「火を吹くとか、一陣の風を巻き起こすとか、出来ないわけ?」

貴族の使役する使い魔の中には、そういう生物も確かにいた。実際、この世界に召還間されてからというもの、何度かお目にかかったことがある。例えば、サラマンダーとか、ドラゴンとかだ。
だからといって、シンジにそれを要求するのはいくらなんでも無茶である。しかし、ルイズにもそれくらいのことはわかっていた。
つまり、皮肉を言ったのだ。

「すいません…」

「呆れた。あんた、本当に何にも出来ないのね」

「すいません…」

「そうやって、すぐに謝る。あんたね、人に気を使ってりゃいいってだけの立場じゃないのよ。使い魔は、ご主人様の為に体を張って、時には命をかけて、働かなくちゃいけないの!」

ルイズはそこまで一気にまくし立てると、大きく息を吸い込み、さらに言葉を続けた。

「それなのに、なによ!あんた、何にも出来ないじゃない!みんなを見返してやろうと、頑張ってサモン・サーヴァントをやったのに、何であんたみたいな役立たずが来たのよ!!あんたのせいで私の面目、まる潰れよ!!!」

最後の言葉は、悲鳴に近かった。
気が付けば、シンジは床に正座したまま俯いている。

「…何か言いなさいよ」

「すいません…」

シンジの言葉は、不自然なまでに震えていた。涙を流す一歩手前といった雰囲気が漂っている。
感情をぶちまけて少しだけ冷静になったルイズは、ようやく自分が言い過ぎていたことに気が付いた。
シンジはルイズより、三つも年下なのだ。
まだ、14歳になったばかりの多感な少年が、家族や友達から引き離され、一人ぼっちで貴族の奉公。おまけに、右も左もわからない世界で、唯一、頼れるはずのご主人様からは、突き放されるような怒号の数々。
これはきつい。
非常にきつい。
救いようがないとは、こういう有様を指すのではなかろうか。

「ごめんなさい…、言い過ぎた。本当にごめん…」

「いいんです。何もできないのは本当のことですから」

シンジの痛々しい笑顔がルイズの心を強く握りしめ、バツの悪くなった彼女は逃げるように布団に寝転がると、気怠そうに呟いた。

「もう寝ましょ。なんか、疲れた」

「え、でも…?」

「作戦会議はもう終わり。明日は適当に戦って、適当に負けなさい」

「でも、それじゃ…」

「いーの、いーの。よくよく考えたら、潰れる程の面目、私には残ってないもの。だから、危ないと思ったら、すぐに降参するのよ、わかったわね?」

先程とはうって変わって、ルイズの口調はとても優しいものだった。
シンジは、なんとなしにルイズを見つめる。
あらためて、ルイズは美人だと実感した。
桃色がかったブロンドの髪。宝石のような鳶色の瞳。抜けるような白い肌。高貴さを感じさせる造りのいい鼻…。
通常なばら、その容姿を武器にして、クラス中の人気を博してもおかしくはない。
しかし、現実のルイズはクラスメートのほぼ全員から見下されていた。
その理由は、ルイズの実力にある。
ルイズは魔法を扱えるはずのメイジでありながら、まともに魔法を扱ったためしが全くがない。常に失敗の連続だ。
つまり、彼女の魔法成功確率は0%。
彼女の二つ名である【ゼロのルイズ】は、そこに由来するものだった。なので、蔑称と呼んだ方が正しいのかも知れない。

「明かり…、消すね…」

ルイズの言葉が、考え事に耽っていたシンジの正気を取り戻した。

「はい、おやすみなさい…」

シンジは答えながら、文字通り自分の寝床である床に寝そべった。

「おやすみ…」

ルイズが蝋燭の炎を消すと、辺りを暗闇が包んだ。
シンジは再びルイズに目を向ける。

他人からの侮蔑の視線。

嘲笑。

疎外。

それは、他の何よりも心をえぐる。
シンジはそれを良く知っていた。

たぶん、ルイズは必死なのだ。

人に認められたくて。

人に褒められたくて。

この人は、ぼくに似ているのかもしれない…。

ルイズが寝静まったのを確認した後、シンジは、彼がもっとも得意とする【魔法】の詠唱を始めた。

「逃げちゃダメだ…。逃げちゃダメだ…。逃げちゃダメだ…。逃げちゃダメだ…。逃げちゃダメだ…。逃げちゃダメだ…。逃げちゃダメだ…。逃げちゃダメだ…。逃げちゃ…、ダメだ…!」

ルイズの使い魔であることを示すルーンが刻まれた左拳を頭上に掲げ、強く握る。

今、少年の瞳に決意の光が宿った。

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決闘の場である【ヴェストリの広場】は、どこから沸いたのか、沢山の野次馬で溢れかえっていた。
どうやら、ギーシュが吹聴して回ったらしい。この男、見栄と虚栄心だけは並々ならないものを持っているようだ。
俯せに横たわる初号機が、多数の生徒によって観覧席代わりに使われているのを眺め、シンジの心境は複雑なものになった。
欠損した腕一本を修復するだけで、一兆円近い費用を要するソレは世界で最も高価な観覧席であろう。もっとも、そこに腰を下ろす生徒たちには知るよしもないのだが。

「いいわね。危険を感じたら、すぐに降参するのよ」

ギーシュと対峙するシンジの耳元で、ルイズはそっと囁く。
そんなことなら、決闘の破棄をギーシュに求めた方が話しは早い。しかしながら、ルイズの貴族としてのプライドが、それを許さなかったのだ。

「それより、それ、何?」

シンジの右手に握られている豪華な紋様が施された純銀製の燭台をルイズが指差した。
本来なら、アルヴィーズの食堂に設置されているはずのものである。

「武器の代わりです。これぐらいしか、ちょうど良いのが見当たらなくて」

シンジの答えに、ルイズは小さく溜め息をついた。

「ま、せいぜい、頑張ってね」

ルイズが少年から離れたのと同時に、3時を知らせる鐘の音色が学院内に響き渡った。

「平民。言い忘れてたな。僕の二つ名は『青銅』。『青銅のギーシュ』だ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」

ギーシュが薔薇の花を振り、花びらが七枚、宙に舞ったかと思うと、その一枚一枚が甲冑を着た女戦士の形を為した人形になった。身長は人間と同じくらいだが、硬い金属製のようだ。
この『ワルキューレ』を自在に操り、攻撃する。それが、ギーシュの魔法だ。
シンジは、昨夜の作戦会議の最中にそれを聞いていた。

今、決闘が始まる。

ルイズが決闘の行く末を見守っていると、燃えるような赤い髪と、むせるような色気を振り撒く褐色の肌を持つ少女--キュルケが近づいて来た。
ちなみに、この二人、昔から非常に仲が悪い。
なので、キュルケからルイズに声をかけるのは少し珍しいことだった。

「あんた、本気で、平民が貴族に勝てるとでも思ってるの?」

ルイズは顔をしかめると、面倒くさそうに口を開いた。

「思ってないわよ」

「じゃあ、なんで、こんな決闘を?」

「成り行きよ、成り行き」

「可哀相に…。主人の気まぐれによって、その幼い命を散らすのね…」

この言葉、もちろん、本心ではない。単純にルイズへの当て付けだ。

「うっさいわね。危なくなったら、すぐに降参するよう命令したわよ」

「じゃあ、あれは命令無視ってこと?」

「そうよ…」

二人の視線の先には、七体のワルキューレによる降り注ぐ雨の様な猛攻にさらされ、ぼろぼろになったシンジの姿があった。
しかし、それでも降参するそぶりは全く見せない。燭台を剣の様に構えたまま、ワルキューレを見据えている。
シンジの姿に感じるところがあったのか、キュルケは妖艶な微笑をその顔に浮かべると、嬉しそうに口を開いた。

「主人の名誉の為に命を賭ける…。立派な心構えじゃないの」

「駄目よ。決闘が終わったら、叱ってあげなくちゃ」

「あなた、良い保母さんになれるわよ」

「どういう意味よ?」

「メイジになるのは諦めて、転職したら?ゼロのルイズ」

ルイズの睨むような視線を気にも留めずに、キュルケは再び決闘の場に目をやった。
相変わらず、シンジは七体のワルキューレに圧倒されたままである。
しかし、それでもシンジは良く戦っている。善戦と言っても過言ではない。
ワルキューレの攻撃を何度も喰らい満身創痍ではあるものの、致命的な一撃だけは完璧にいなしていたし、一瞬の隙を見つければ、機敏な動作で攻撃に転じていた。とても、14歳の少年のものとは思えない白兵能力を披露している。
もしも、対峙するワルキューレが二、三体ならば、あるいは勝利を収めていたのではなかろうか。
もちろん、それは幾度にも及ぶ使徒との決戦、そして、連日、何度も繰り返された戦闘訓練によって、シンジにもたらされた恩恵だった。
ギーシュはというと、ワルキューレによって痛みつけられるシンジの姿が目に入る度に、背筋をぞくぞくさせる程の歪んだ快感に溺れていた。
要するに、いじめっ子の【ソレ】である。
ひょっとしたら、この男、性根が腐っているのかもしれない。
時が経つにつれ、次第にシンジの顔には疲労の色が浮かび始めた。無理もない。彼は決闘開始直後から、全力を出し切ったまま、闘っているのだ。
かたや、快感をより深めるだけのギーシュ。
勝負の行く末は誰の目にも明らかだった。
前方にいた四体のワルキューレによって繰り返される攻撃をぎりぎりのところで防いでいると、死角にいたワルキューレの持つ鉄鎚がシンジの脇腹に勢いよく向かってきた。
すんでのところでそれに気付いたシンジは、右肘でとっさにガードする、その刹那、鈍い音が響くとシンジの右腕あらぬ方向に曲がった。
シンジは思わず、顔をしかめ、呻き声を漏らした。

「お願い。もう止めて!」

ルイズの悲痛な叫び声が響き渡る。鳶色の瞳が潤んでいた。
シンジはそれに応えることなく、再び燭台を構えた。

「続けるのかい?」

ギーシュの問いにシンジは無言で頷く。

「良い心構えだ、平民。褒美にこれをやろう」

ギーシュは妖しい笑顔のまま、薔薇の花を降った。一枚の花びらが、一本の剣に変わると、ギーシュはそれをつかみ取り、シンジに向かって投げた。

「わかるか?剣だ。つまり『武器』だ。平民どもが、せめてメイジに一矢報いようと磨いた牙さ。今だ噛みつく気があるのなら、その剣を取りたまえ」

シンジがゆっくりと剣に手を伸ばす。それを見たルイズが慌てて叫んだ。

「だめ!絶対だめよ、シンジ!それを握ったら、ギーシュは容赦しないわ!」

シンジは、今にも涙を流しそうなルイズの瞳を真っすぐに見つめながら、口を開いた。

「使い魔でいいです。寝るのも、床でいいです。ご飯も床でいいです。まずくたっていいです。ルイズさんの下着だって、洗います。生きるためです。仕方ありません」

シンジはそこで言葉を切った後、左の拳を握り締めた。

「でも……」

「でも、なによ……」

「でも、だからこそ、今は逃げちゃだめなんだ…!」

右腕の激痛に顔をゆがめながら、ワルキューレ達を見据えたシンジは、剣の柄を逆手で持ち、刃を地面に突き刺した。
それを見たギーシュは怪訝な顔をする。
シンジは剣から数歩下がると、勢い良く走り出し、柄を踏み台にし跳躍した。
そして、ワルキューレの頭上を飛び越え、油断しきっていたギーシュの腹部にそのまま飛び蹴りを浴びせたのだ。
たまらず膝を落し、前屈みに悶えるギーシュ。
シンジは絶好のポジションに現れたギーシュの顔面を思い切り蹴り上げた。ギーシュの鼻血が辺りに飛び散る。

--いける!!

勝利を予感したシンジの頭部に堪え難い痛みと、衝撃が走ったのは、そのすぐ後の事だった。
ワルキューレの拳がシンジの後頭部を直撃したのだ。
それによって、シンジの意識はあっけなく暗転し、その場に倒れ込んだ。

「へ、平民風情が、高貴なこの僕の顔を…!!」

怒りを抑え切れないギーシュは、鼻血を拭いながら、ワルキューレを操作し、倒れ込んだシンジの頭を踏み付けようとした。

その時、それまで、横たわるだけだった【人型汎用決戦兵器エヴァンゲリオン初号機】の両眼が凶暴な金色の光に染まった…。

所変わって、ここは本塔の最上階にあるトリステイン魔法学院の学院長室。
その部屋のドアが勢い良く開けられ、中にコルベールが飛び込んできた。

「オールド・オスマン、大変です!」

オスマンと呼ばれた男は、ここトリステイン学院の学院長を努める老人だ。白い立派な口髭をたくわえ、その顔には、彼が過ごしてきた歴史を物語る深い皺(しわ)がきざまれている。
その御歳は百歳とも三百歳とも言われ、本当の歳が幾つなのかは誰も知らない。

「まったく。ノックもせずに何事だ」

慌てるコルベールとは対象的に、オスマンは、呑気に耳の掃除を続けながらコルベールを窘めた。

「と、とにかく、これをご覧になって下さい!」

コルベールはシンジの手に現れたルーンのスケッチを手渡した。
それを見た瞬間オスマン氏の表情が変わった。目が光って、厳しい色になった。

「詳しく教えてくれ、ミスタ・コルベール」

促されたコルベールはここぞとばかりに、泡を飛ばして、オスマンに説明をした。
春の使い魔召喚の際に、ルイズが平民の少年、巨大な亜人、空飛ぶ棺桶を呼び出してしまったこと。ルイズがその少年と『契約』した証明として現れたルーン文字、そして、亜人と空飛ぶ棺桶が気になったこと。それを調べていたら………。

「始祖ブリミルの使い魔【ガンダールブ】に行き着いた、というわけじゃね?」

「は、はい。そして、あの巨人、恐らく…」

「アダムより生まれしエヴァ……、と言うわけか…」

オスマンは呟きながら、窓の外を眺めた。
その視線の先には、晴天の空に浮かぶ二つの月があった。
その時、ドアがノックされ、オスマンは慌ててスケッチを机の引き出しに隠した。

「誰じゃ?」

扉の向こうから若い女性の声が聞こえてきた。

「ロングビルです。オールド・オスマン」

ロングビルはオスマンの秘書だ。

「何の用じゃ?」

「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようで、大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」

「まったく、暇をもてあました貴族ほど、性質の悪い生き物はおらんわい。で、だれが暴れておるんだね?」

「一人はギーシュ・ド・グラモン」

「あのグラモンとこのバカ息子か。で、相手は誰じゃ」

「…それが、メイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の少年のようです」

オスマンとコルベールが顔を見合わせた。
その時、本塔がわずかに振動を起こした。遠くからは悲鳴や怒号が聞こえる。
その発信源は、ちょうど、ヴェストリの広場がある方向だった。
嫌な予感に囚われたオスマンが杖を振ると、壁にかかった大きな鏡にヴェストリ広場の様子が映し出された。

そこには、暴走する初号機によって繰り広げられる『修羅場』があった。

当然のことなのだが、全ての『ワルキューレ』が、初号機によって破壊されるのに十秒とかからなかった。
拳を叩き付けられ粉砕されたものもあれば、胴体を引きちぎられたり、巨大な掌に握り潰されたり、あるいは強烈な蹴りをくらい、四散したものもあった。
なかには、喰われたワルキューレもあった。
しかし、初号機の口に合わなかったのか、何度か噛み砕かれた後、すぐに吐き出された。
かたや、前時代的な青銅で作り上げられた身の丈2メイル程の動く鎧。
かたや、近代技術によって、分子レベルから構成された特殊装甲にその身を護られた身の丈40メイル程の動く天使。
勝負になるわけがなかった。
初号機は粉々に砕けちったワルキューレを、それでもなお、何度も執拗に踏み続けた。
そして、ワルキューレが完全に圧壊したのを確認した後、初号機は空に向かって、雄叫びをあげた。
その瞬間、その場にいた全員の背筋が凍り付いた。聞く者全てに圧倒的な畏怖の念を抱かせたそれは、例えるならば、百獣の王ライオンの様な絶対強者のみに許される鬨の咆哮の様だった。
しかし、初号機の狂気は収まらない。
【彼女】の目的は、あくまでも、ワルキューレを使役していた張本人、--ギーシュ・ド・グラモン、その人なのだから…。
扉の向こうにいるオスマンから、突如、反応が無くなったことを、ロングビルは不信に思った。
当のオスマンは、初号機の圧倒的な戦闘力を目の当たりにし、驚愕のあまり、言葉を失っていたのだ。
仕方なく、ロングビルは言葉を続けた。

「オールド・オスマン、聞いておられますか?教師達は決闘を止める為に、『眠りの鐘』の使用許可を求めています」

ロングビルの言葉によって我に返ったオスマンは、すぐさま、指示を下した。

「許可する!すぐに使用するんじゃ!一刻も早く!!」

「かしこまりました」

ロングビルが去っていく 足音が聞こえた。
コルベールは唾を飲んで、オスマンに聞いた。

「本当に秘宝『眠りの鐘』を使うのですか?」

「今、使わなければ、何の為の秘宝だかわからんじゃろ。おそらく、称号付きメイジが何人束になっても、エヴァは止められん…」

秘宝『眠りの鐘』が、オスマンの許可をもらった教師等に使用された。
これで、全ての収拾がつくはずだった。
しかし、異質な【何か】が接近してくるのを感知した初号機は、ヴェストリの広場を囲うように【A.T.フィールド】を展開し、『眠りの鐘』の効力を掻き消したのだ。

--A.T.フィールド。

それは、絶対領域とも呼ばれる物理的、及び精神的障壁である。シンジの世界に存在するあらゆる兵器の攻撃をほぼ無効化する事が可能であり、エヴァンゲリオンが決戦兵器と称されるのは、この能力を有している為であった。
その様子を鏡越しに眺めていたコルベールが、悲鳴をあげた。

「効果がないだと!!」

オスマンは何かに気付いた様子で、忌ま忌まし気に呟いた。

「心の壁か…。やはり、アダムの眷属に間違いないな…」

自身が展開したA.T.フィールドによって、未知なる力が掻き消された事を確認した初号機の視線が再び足元へと向けられた。
恐怖に駆られた野次馬の生徒たちは、蜘蛛の子を散らすように、我先にと逃走を始める。
身の危険を感じたギーシュも慌てて、ヴェストリの広場に隣接する【火の塔】の中へと走り込んだ。
もはや、決闘のことなど、頭にない。今、彼が感じているのは、身を焦がすような戦慄と息苦しさを催す恐怖だけだ。
ギーシュの行動を捕捉した初号機は左肩部の突起部分を開口させ、その巨躯に見合うだけのサイズを誇る巨大なナイフを、そこから取り出した。
初号機の右手に納まったナイフが、鮮やかな青色の発光を始める。
それは、そのナイフの有する絶大な切断能力が開放された証でもあった。

正式名称は、【プログレッシブ・ナイフ】。

近接戦闘用兵器としてエヴァンゲリオンに標準装備されているものである。
形状こそ通常のナイフと違いはないのだが、その内容は全く異なる。
プログレッシブ・ナイフは、高振動粒子で形成された刃により、接触する物質を分子レベルで分離する事で分断するのだ。
その為、鋼鉄すらも、プログレッシブ・ナイフを用いればバターの様に切断可能である。
初号機はプログレッシブ・ナイフで火の塔の壁面の一部を、直径10メイル程の円を描くように切り裂いた。あっさりと、その内側の壁が抜け落ち、後に出来た円い穴の向こうには腰を抜かしたまま、へたりこむギーシュの姿があった。
初号機はプログレッシブ・ナイフを収納すると、恐怖に侵され身動きの出来ないギーシュを右手で握りあげた。

「くあっ…!」

ギーシュは躯を締め付ける凄まじい圧力に、たまらず、呻き声をもらした。
自分はこのまま、握り潰されてしまうのではなかろうか。
ギーシュの脳裏に恐ろしい予感が浮上したその時、初号機の頭部で烈しい爆発が起こり、彼は思わず、唯一自由の効く顔を伏せた。

「ルイズ!あんた、なにやってんのよ!!」

キュルケが悲鳴をあげる。
爆発の原因はルイズだった。彼女の魔法が炸裂したのである。ただし、彼女が詠唱したのは、極めて初歩的なファイアーボールだったので、爆発が起きたのは予想外のことだった。
しかし、それでも、初号機には全く効果がない様子だ。結局、ルイズの渾身の魔法も、この巨大な脅威の注意を自らに向けただけで終わった。

「だ、だって、止めなきゃ…。このままじゃ、ギーシュが死んじゃう…」

ルイズは恐怖に震える体から、なんとか、声を搾り出した。

初号機の空いた左手が接近し、ルイズの視界を全て埋めた。
ルイズは何も考えられず、ただ目をつぶった。
しかし、数秒経っても覚悟したことがおこらなかったので、ルイズは恐る恐る目を開ける。
そこには、不自然な恰好のまま動きを止めた初号機と、その右手の中で、鼻水と涙をだらだら流しながら、必死に嘆願するギーシュがいた。

「ぼくの負けだ…。だから、殺さないでくれ。頼むから…、殺さないでくれ…」

静寂の中、虫の鳴声とギーシュの情けない言葉だけが辺りに響いた。
こうして、ヴェストリの広場で行われた決闘は初号機の一人勝ちという、非常にうやむやな形で終幕を迎えた。



朝の光で、シンジは目を覚ました。自分の体中に包帯が巻かれていることに気付き、少し顔をしかめる。
視線を上に戻すと、無機質な白い壁紙が張られた天井が目に映った。

「また、知らない天井か…」

シンジは静かに呟いた。

「ようやく、お目覚めね…」

声の主は、ベッドのすぐ横にある椅子に腰掛けたルイズだった。
少しばかりやつれて見えるのは気のせいだろうか。

「ここは…?」

「保健室よ。あんた、ギーシュにやられて、三日三晩、ずっと寝続けてたんだから」

そうか。自分はギーシュと決闘して、そして…。

「負けちゃったんですね…。ルイズさんの言う通りですね。ほんとに何もできないや…。情けないな…」

ルイズは何かを言いかけて、口をつぐんだ。
果たして、あれはシンジの負けだったのだろうか。
それに、シンジには聞きたいことがたくさんある。
まず、あのオーガの件。以前、シンジに尋ねた際、彼は『この世界では動かせない』と明言していた。
しかし、動いた。圧倒的な破壊力を見せ付けながら…。

シンジは顔を背けたまま、それ以上何も語ろうとしない。
それに気付いたルイズは、彼女が抱える数ある疑問の中で、もっともささいな事をシンジに尋ねた。

「あんた、何ですぐに降参しなかったのよ?私の言葉を聞いてなかったわけじゃないでしょ」

「いえ。ただ…」

シンジはそれだけ言うと、再び黙り込んでしまった。仕方なく、ルイズはシンジを促す。

「ただ、なによ?」

「……もし、ぼくがギーシュさんに勝つことがあれば、みんなも少しはルイズさんのことを見直すかなって思って…。結局、意味なかったですね、負けちゃったし…」

シンジの真意を知ったルイズは顔をほんの少しだけ赤らめた。
そして、いまだ癒えきらないシンジの左頬の傷を指先で優しく撫でると、呆れたように、だけど、微笑みながら、そっと囁いた。

「ばか…。無理しちゃって…」





見  第一話


ぬ天井

おわり
最終更新:2007年09月28日 21:46
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