第参話 フーケ、侵入

シエスタと一緒に城下町へと出かけた日の夜、夕食が済むと、シンジはロングビルと名乗るオスマンの秘書に声をかけられ、学院長室まで案内されることになった。
その理由が気になったルイズはロングビルに同行を求めたのだが、丁重に断られた。
ルイズはシンジの袖をひっぱると耳元で囁いた。

「あんた、何かやったの…?」

しかし、シンジには心当たりがない。

「いえ、特には何も…」

だから、そうとしか言えなかった。
ロングビルの後を追いながら、色々と考えてはみたものの、やはり何も思い当たらない。
学院長室前に着くと、その扉をロングビルがノックした。

「オールド・オスマン。ミス・ヴァリエールの使い魔を連れて参りました」

「入りたまえ」

扉の向こうから、老人のものと思われる声が聞こえた。

ロングビルは扉を開くと、シンジに入室を促した。

「どうぞ、お入り下さい」

扉をくぐると、一匹の鼠と戯れる老人の姿があった。

「ミス・ロングビル。君は下がりたまえ」

「かしこまりました」

扉が静かに閉められる。
オスマンは鼠の喉元を指先で撫でながら言った。

「急に呼び出してすまんね、碇くん。さ、その椅子に座りなさい」

どうやら、このオスマンという老人、ルイズよりは、よっぽど人格者のようだ。【椅子】という単語が口から飛び出ただけでシンジはそう決め付けていた。

指示通り椅子に腰掛けると、シンジは口を開いた。

「あの、ぼく何かやりましたか?」

「何かやったのかね?」

「いえ、ただルイズさんが心配してたので…」

オスマンが微笑みを浮かべた。この老人は、笑うとシワだらけの顔にさらにシワが増す。
その様子が可笑しくて、シンジも微笑んだ。

「今日、君を呼出しのはいくつか君に聞きたいことがあったからじゃ」

「ぼくにですか?」

「さよう。あのオーガのことなんじゃが…」

「…オーガ?エヴァ…、のことですか?」

オスマンの眉がかすかに動いた。

「きみはアレをエヴァと呼ぶのかね?」

「ええ。正式にはエヴァンゲリオンと呼ばれてますけど」

「エヴァンゲリオン…、なるほど。あれの出生をきみは知っているのかね?」

「詳しくはわかりません。ただ、人から聞いた話しだと、15年の歳月をかけて造られたとか」

「造られた…!?誰に?」

「科学者の人達ですけど」

「カガクシャ?」

「あぁ、この世界で言うなら、メイジの様な人です」

鼠を撫でていたオスマンの指先が止まった。

「人?人がアレを造り出したのかね?」

「ええ」

「何の為に?」

「使徒に対抗する為です」

「シト?」

「僕が住んでた世界で、人類の天敵とされていたものです。ぼくの知人は、使徒を滅ぼさなくては人類に未来はない、と言ってました」

オスマンの目が見開かれた。

「もしや…、そのシトとは、【アダムより生まれし者】ではないかね…?」

オスマンの言葉を聞いたシンジは呆けた顔をした。

「なんで、知ってるんですか?」

「いや、なに。たまたまじゃよ」

それは、実に苦しい言い訳だった。しかし、シンジがそれ以上追求することはなかった。単純に、不自然な会話の流れに気付いていなかったのだ。

「大丈夫ですか?汗、すごいですよ?」

「もう歳でな、いつものことじゃ。それよりも、きみにお礼をしなくては」

「はい?」

「有意義な時間を過ごせたお礼じゃよ」

「ぼく、5分もいないですよ」

「十分じゃよ。そうだ、きみに良いことを教えよう。きみの左手に刻まれたルーンのことなんじゃが…」

オスマンはシンジの左手を指差すと、言葉を続けた。

「それはこの世界で伝説となっている【ガンダールヴ】のルーンなんじゃ。【ガンダールヴ】は我等の世界で絶対とされる【始祖ブリミル】の使い魔であった。その上、ありとあらゆる武器を使いこなし、千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持っていたそうじゃ」

しかし、シンジは、はぁ、と気の抜けた返事をするだけだった。

「お驚かんのかね?」

「ぼく、この世界の武器なんてろくに使えませんよ」

「そうか、きみは何も知らなかったんじゃな。使い魔は、主人となる人物と契約する際に特殊能力を得ることがあるんじゃよ」

「特殊能力?」

「そうじゃ。例えば何にも変哲のない黒猫を召喚したとするじゃろ。そうすると、人の言葉をしゃべれるようになったりするんじゃ」

「ぼく、猫じゃないですよ」

オスマンが再び微笑んだ。

「きみは純真無垢な子じゃな。まぁ、とどのつまり、人間を使い魔にした例なんて古今東西どこにもないんじゃ。つまり、きみの体に何が起きてもおかしくはないということじゃ、わかるね?」

「まぁ、なんとなくは…」

「よろしい。それとじゃな、碇くん、今の会話については、他言をしてはいけない」

「なぜです?ルイズさんにもですか?」

「さっきも言った通り、きみのルーンは伝説の【ガンダールヴ】と同一のものなんじゃ。それが露呈したら、王室のマッドメイジ共はまず間違いなく、きみの体をいじくりまわすじゃろう。手足を切断されたりするかもな」

「な、なるほど…」

ようするに、マッドサイエンティストということか。

「今夜は貴重な時間をありがとう。ミス・ヴァリエールの元に帰りなさい」

「はい、失礼します」

シンジが部屋から去ると、オスマンは窓の外に浮かぶ二つの月を睨んだ。

「第一始祖民族め…。どこの星でも同じ事をさせているのか。苛烈な生存競争の先に、一体、何があると言うんじゃ…?」

シンジが退室してから程なくして、学院長室にオスマンのお認め印が必要な重要書類の束を抱えたロングビルが訪れた。

「何もこんな遅くにやることもなかろう…」

オスマンは目の前に置かれた大量の書類にうんざりしてぼやいた。

「明日にでも、王室へ発送しないと間に合わないのです。オールド・オスマンが日頃から熱心に業務を執り行っていたら、こんなことにはなりません」

秘書の手痛い厭味に顔をしかめたオスマンは引き出しから印鑑を取り出すと、いかにも気が進まないといった様子で、書類にそれを押し始めた。
書類の内容に目を走らせてる様子は全くない。
だからといって、ロングビルはそれを咎めることをしなかった。お認めさえ貰えれば、後の事はどうにでもなるということだろう。
オスマンは印鑑を押す行為にもすぐに飽きた様で、前触れもなく突飛なことをロングビルに聞いた。

「きみはアダムとリリスがその関係に終止符を打った理由を知ってるかね?」

この老人は、たまに妙なことを口走る。日頃の付き合いから、ロングビルはそのこと知っていた。

「いえ。存じ上げませんが」

「アダムとリリスは神に遣わされた最初の人間だ。アダムは最初の男で、リリスは最初の女、そして二人は最初の夫婦でもあった」

「で、離縁した理由はなんですの?」

「セックスじゃよ」

ロングビルは露骨に眉をひそめた。

「セクハラが目的のお話でしたら、お断りします」

「いや、真面目な話しだよ。アダムは正常位を望み、しかし、リリスはそれを拒んだ。彼女は騎乗位の方が自然だと考えたんじゃよ。例え快楽に酔いしれる為の一時でも、相手より下の位地にはありたくない。
つまり、お互いに自分こそが上位に立つべき人間だと思い込んでいたんじゃ。人の傲慢な心というのは、そんな昔から、すでに芽生えていたんじゃよ」

オスマンの表情が変わった。いつになく真剣な目である。

「それが我々現代の人類にも脈々と受け継がれている。戦争が絶えないのも、当たり前だ。おまけに神様気取りの人間まで現れる始末じゃ。いやはや、世も末だよ。そうは思わんかね?」

「どうでしょう。でも、とても興味深い話しですわ」

ロングビルがこの部屋に来てから、初めて微笑んだ。

「どうじゃ、これから一杯ひっかけんかい?話しの続きをしようじゃないか。それに、以前、きみと呑んだ旨い酒の味が忘れらんのじゃよ」

「あら。でしたら、早く書類を処理なさらないと…」

オスマンの印鑑を押すスピードがあがった。
この女、なかなかの悪女である。

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初号機に宿る【彼女】の魂は日を追うごとにコアの深部へと沈んでいった。
【彼女】の目的は、あくまでも、【サードインパクト】の阻止。つまり、使徒の殲滅にある。
この世界において、【彼女】のレゾンデートル(存在理由)はどこにもないのだ。
その為、【彼女】の魂は閉塞された。

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トリステインに召喚されてから、一ヶ月。
シンジの一日を紹介すると、こんな感じである。
まず、世の中のほとんどの生物がそうであるように、朝起きる。寝床は相変わらず床ではあったが、ルイズの計らいで、今では寝具一式が用意されていた。つまり、畳の上に敷いた布団と思えば、何の不満もないのだ。
ちなみに早起きのシンジはルイズを起こさなくてはならない。
ルイズは起きるとまず着がえを始める。彼女は下着だけは自分で付けるが、制服はシンジに着させるのだ。最初こそは気恥ずかしい作業であったが、慣れてしまえばどうということもない。
そして、共に朝食をとると二人は別れる。
ルイズは学院の授業に赴き、シンジは掃除、洗濯にはげむ。
それが終わるとヴェストリの広場に擱座する初号機の点検が待っている。もちろん、この点検は整備を前提としたものではない。
最近になって、初号機に悪戯書きをする生徒が急激に増えているのだ。
その理由は学院に広まった性質(たち)の悪い都市伝説にある。

【勇気をもって、あのオーガに想い人の名前を書き記すと、その想い人とは必ず結ばれる】

その為、初号機には、生徒たちの実名が溢れ始め、シンジが仕方なくそれを雑巾で拭うのであった。
それを終えると、厨房に向かいシエスタを含むトリステインの使用人達と雑談をする。
夕暮れになって、ルイズと合流し、夕飯を頂き、しばらくは彼女の遊び相手になり、寝る。
それが、シンジのサイクルだ。
しかし、ある日を境にちょっとした変化が訪れた。
初号機の側に寄ると、彼の左手に刻まれたルーンが発光するようになったのだ。




「大変です!」

学院長室の扉が勢いよく開けられ、コルベールが躍り込んだ。

「きみは、いつまで経ってもノックを覚えないんじゃな」

「そんな場合ではありません!エ、エヴァが活動しています!!」

しかし、オスマンはその言葉に全く動ることなく、ふむ、とだけ呟くと、杖を降り例の鏡でヴェストリの広場の様子を覗きこんだ。
そこには緩慢な動作で歩行をする初号機と、その足元で驚愕の表情を浮かべるシンジの姿があった。

「ようやく、そこまで至ってくれたか…。全く、やきもきさせおって」

コルベールが怪訝そうな顔をした。

「まさか、予見していたのですか…?」

「予見?違うよ。このワシが促したんじゃ、こうなるようにな」

実のところ、あの都市伝説が学院中に広まるよう仕向けたのはこの老人であった。
その結果、シンジと初号機のコンタクト回数が飛躍的に伸びるのは目に見えている。
さすれば、シンジがガンダールヴの秘めたる力をもって、エヴァを使役するのに必要な時間が、かなり短縮されるであろう、そう目論んだのだ。

「オールドオスマン…。あの少年はアダム族なのでしょうか…?」

「いや、恐らくリリンじゃろうな。もし、彼がアダムの眷属ならば、ギーシュ・ド・グラモンとの決闘の際、【心の壁】を使っていたじゃろうて」

「し、しかし、アダムの眷属と【同化】出来るのは、アダムと同じ肉体の構造を持つアダムの眷属だけのはずです」

「きみはガンダールヴについてどこまで知っている?」

「始祖ブリミルの使い魔でありとあらゆる武器をつかいこなした存在としか…」

「では、なぜガンダールヴはありとあらゆる武器を使いこなせるんだね?」

「いや、その、存じ上げません…」

コルベールはしどろもどろになりながら答えた。
オスマンが軽いため息をつく。

「きみは博識の様にみえるが、肝心な事は何も分かっていないんじゃな」

「申し訳ございません…」

「いいか、よく聞きなさい。ガンダールヴがガンダールヴたる所以は、ガンダールヴが、神々より、【三つの実】を与えられたことにある。
一つは【生命の実】。これはアダム族が食した実じゃ。この実によって、ガンダールヴは驚異的な身体能力を手に入れた。
二つ目は【智恵の実】。これは、我々、リリンが食した実なんじゃ。そのおかげで、我々は文明を手に入れた。ガンダールヴはこの実の力によって、ありとあらゆる武器の最適な使い方を導き出す。
さて、ここでクイズじゃ。あの少年が自身の身の丈を越える程の鉄槌を手にしたらどうなると思う?実際にそういう武器を扱う平民の戦士はおるぞ」

突然、質問を投げ掛けられたコルベールは思ったことを素直に口にした。

「やはり、使いこなすのではないでしょうか…」

「半分正解で半分ハズレじゃ」

「と、申しますと?」

「確かに鉄槌を使いこなすじゃろう。生命の実によって、身体能力が向上しておるからな。しかし、使いこなすと言っても人並み程度じゃ。 伝説にあるように、千人の軍団と互角に立ち回る等、まず不可能じゃろうて。彼は小柄過ぎる」

「では、伝説が誤っていると?」

「そう、結論を急くな。ふむ、そうじゃな。彼が鉄槌を手にしてから一週間も経てば、人外と呼んでいいほど、自在に使いこなせるようになるじゃろうな」

「何故です?」

「それだけの時間があれば、彼は強靭で逞しい肉体へと成長を遂げるからじゃ。逆に、レイピアなどの俊敏さが要求される武器を彼に握らせれば、細く引き締まった身体になるじゃろう」

「どういう意味ですか?」

「その理由は【進化の実】にある。アダム族にも、我々、リリンにも与えられる事がなく、ガンダールヴのみに託された唯一無比の実じゃよ。
その実のおかげで、ガンダールヴは強くありたいと願えば、強くなるし、賢くありたいと願えば、賢くなる。常識外れのスピードでな。つまり、ガンダールヴは究極の進化システムを有した絶対的な存在なんじゃよ」

「な、なるほど…。オールド・オスマンの並々ならぬ知識には平伏するばかりです」

お世辞を言いながらも、コルベールはあることが心にひっかかって仕方がなかった。
この老人はガンダールヴに関して、なぜ、こんなにも詳しいのだろうか。
国内でもトップクラスの所蔵数を誇るトリステイン学院内図書館にも、ガンダールヴに関して述べられている書物は数点しかない。その上、それらの全てが曖昧な内容で、本によっては書いてあることも違う。
おそらく王室図書館も同様であろう。
しかし、この老人が出鱈目なことを言ってるようにも、思えない。筋がきちんと通っているのだ。老人の言葉はどんな書物よりも説得力があった。
その老人が再び口を開く。

「そのガンダールヴが魂のないエヴァと接触したらどうなる?答えは簡単じゃ。あれ程、強力な武器など、世界中のどこを探しても見つからんじゃろうて。ガンダールヴのルーンは喜んで刻印者の体を書き換えるじゃろうな」

「まさか…」

「左様。彼の肉体の構造は、今、アダムのそれになっているに違いない。リリンの魂を持ちながらアダムの肉体を持つ、新たな可能性を持ったヒトの誕生じゃ…」

オスマンが冷酷な笑みを浮かべた。

「オールド・オスマン…。あなたの真意はどこにあるのですか?」

オスマンが笑う。冷酷な微笑に冷度が増した。

「ミスタ・コルベール。私には優秀な駒が必要なんじゃ。それも、大量にな。全ては【神様気取りの馬鹿げた人間】に対抗するために」

「は、はぁ」

「きみにも、いろいろと働いてもらうぞ。私には君のような人間が必要だ」

コルベールは嫌な予感にかられた。

「はい、ありがとうございます」

「ただな、心してくれよ。もし、きみの口から、秘密が漏れるようなことがあれば、私は、きみを始末しなくてはならない」

オスマンの表情に凶暴な陰りがさしたように見え、コルベールの背中に冷や汗が流れた。

「は!杖に誓って!」

それしか、言えなかった。

会話に夢中になっていた為、不自然な地鳴りが接近してくるのに、二人揃って気付くのが遅れた。
窓の外を眺めると、真っ直ぐ本塔に向かい歩行する初号機の姿があった。
初号機の後ろには半壊した火の塔が見える。

「なるほど。オールド・オスマンはこれも予見していたのですね」

「…皮肉か?」

「と、とんでもありません」

コルベールが額に滲んだ汗をポケットから取り出したハンカチで拭った。

「どうやら、まだ、【同化】が甘いようじゃな。全く御しれておらん」

「しかし、いかが致しますか…?このままだと、本塔も火の塔の二の舞になりますぞ」

「まあ、本塔は他の建物に比べ、かなり強靭に作られている上、ありとあらゆる場所に【固定化】の魔法も施されておる。あの速度なら、突撃されてもそれ程の被害にはならんよ。それでエヴァも留められるじゃろ」

オスマンの予想通り、初号機はそのままの速度で本塔に直撃し、その動作を止めた。
しかし、大量の壁や柱が崩れ落ち、本塔が盛大に揺れたのは予想外だった。彼は初号機の重量を見誤っていたのである。

「これで、またエヴァ破棄派の教師達がうるさくなりますな」

「ああ。しかし、それよりも…」

オスマンは初号機がめり込んだ壁面を見つめた。

「まずいな…。宝物庫に近すぎる」

その光景を本塔の外から眺めていたロングビルが微笑む。突如、舞い降りた幸運を目にし、喜びに満ち溢れていたのだ。

「チャーンス…っ!」

彼女は静かに呟いた。

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『土くれ』の二つ名で呼ばれ、トリステイン中の貴族を震撼させているメイジの盗賊がいる。土くれのフーケである。
フーケはトリステイン全体を舞台にして、所狭しと盗みに励んでいた。夜陰に乗じて邸宅に侵入し、誰にも気付かれることなく対象を奪い去ったと思えば、白昼堂々王立銀行を襲ったりもした。
フーケの特徴は城でも壊せるような、巨大な土くれのゴーレムを使役すること、そして、扉や壁を錬金魔法によって土くれに変えてしまうことだ。
『土くれ』は、そんな能力を持つことからつけられた、二つ名なのであった。
そんな土くれのフーケの正体を見たものはいない。男か、女かもわかっていない。ただ、わかっているのは『土』系統のメイジであるということと、犯行現場の壁に『秘蔵の○○、確かに領収致しました』とふざけたサインを残していくこと。
そして、所謂マジックアイテム、強力な魔法が付与された数々の高名なお宝が名によりも好きということであった。

巨大な二つの月が、五階に宝物庫がある魔法学院の本塔の外壁を照らしている。
壁にめり込む初号機の肩の上には、長く青い髪を夜風に靡かせ悠然と佇む人影があった。
土くれのフーケである。

「予想通りね。オーガの腕が宝物庫の内側まで壁をぶち抜いてるわ…。これなら、簡単に【破壊の杖】を頂戴できるわね」

宝物庫は、一流のメイジが複数人も集まって、あらゆる呪文に対抗出来るよう設計されていた。
そのせいで、高名な土くれのフーケすらも迂闊には手を出せずにいたのだ。しかし、昼間の騒動により、呆気なく破壊されてしまった。
フーケにとって、恰好の機会が訪れたのだ。フーケがそれを見過ごすはずがなかった。



翌朝。
トリステイン魔法学院の教員室では、朝から蜂の巣をつついた様な騒ぎが続いていた。
何せ、秘宝【破壊の杖】が盗まれたのである。
朝、見回りの教師が宝物庫を点検した際、壁にフーケの犯行声明が刻まれていた為、事が発覚した。それから、しばらくして、教員の必死の現場検証により、初号機の開けた横穴が侵入経路であるということもわかったのだ。
すぐさま、ルイズとシンジが教員室に呼び付けられ、その場にいたほとんどの教師に吊し上げられた。
鳶色の瞳が潤んでいるのを見てシンジの心は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そこにオスマンが現れた。

「これこれ、子供をそういじめるものではない」

ルイズとシンジを叱り続けていた教師がオスマンに訴える。

「しかしですね。全責任は彼等にあります。やはり、あのオーガ、処分するべきですよ!」

「子供をくどくど叱ったところで【破壊の杖】が返って来るわけでもなかろう。それにオーガの処分がどうとか言う議論も、今、やったところで無意味じゃ」

それから、オスマンは、気付いたようにコルベールに尋ねた。

「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」

「それがその…、朝から姿が見えませんで」

「この非常時に、どこに行ったんじゃ」

「どこなんでしょう」


そんな噂をしているところにミス・ロングビルが現れた。
彼女は、今朝、事が露見してからというもの、単独でフーケの行方を調査していたようで、近在の平民から有力な情報を得たといった内容の報告をオスマンにした。

「仕事が早いの。ミス・ロングビル」

コルベールが慌てた様子で促した。

「で、その情報とは?」

「はい、フーケは近くの森の廃屋を隠れ家としている模様です。その平民が言うには、今朝方、巨大なゴーレムを従えた黒ずくめのローブを来た男が、その廃屋に入っていったようです」

「ふむ、調べてみる価値はありそうじゃな」

オスマンが、髭を撫でながら言った。

「で、そこは近いんですか?」

コルベールが問う。

「はい、徒歩で半日。馬で4時間といったところでしょうか」

「すぐに王室に報告しましょう!王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」

一人の教師が叫んだ。
オスマンは首を降ると、目をむいて怒鳴った。年寄りとは思えない迫力であった。

「馬鹿者!身に降りかかる火の粉を己で払えんで、何が貴族じゃ!魔法学院の宝が盗まれた!これは魔法学院の問題じゃ!当然、我等で解決する!」

オスマンは咳ばらいをし、有志を募った。

「では、捜索隊を編成する。我と思うものは、杖を掲げよ」

しかし、誰も杖を掲げない。皆、困ったように顔を見合わせるだけだ。

「おらんのか?おや?どうした!フーケを捕まえて、名をあげようと思う貴族はおらんのか!」

ルイズは俯いていたが、それからすっと杖を顔の前に掲げた。

「ミス・ヴァリエール!」

一人の女教師が驚きの声を上げた。

「何をしているんですか!あなたは魔法も未熟な生徒じゃありませんか!」

「お願いします。私にやらせて下さい、オールド・オスマン!自分で犯した不始末くらい、自分で始末を付けさせて下さい!」

ルイズはきっと唇を強く結んで、言い放った。真剣な目をしたルイズは凛々しく、美しかった。
その様子を見て、オスマンは軽く笑った。

「そうか。では、君に頼むとしよう」

教師達が口々に反対の声をあげる。

「返り討ちにあうのが関の山です!」

「何故、そんな馬鹿げたご決断を…!」

オスマンは、教師達の言葉に取り合わず、ルイズに言葉を投げかけた。

「魔法学院は、君の努力と貴族の義務に期待する!」

ルイズは直立し威勢よく言い放った。

「この杖にかけて!」

それからスカートの裾をつまみ、恭しく礼をする。
シンジは呆けた様子でその光景を見守っているだけだった。



その後、シンジは、オスマンに促され、初号機の前まで連れて来られた。
ルイズは、案内役を務めることになったミス・ロングビルと共に出発の準備をしている。

「昨日は失敗したようじゃな」

「すいませんでした…。校舎を壊してしまって」

「なに、気にすることはない。幸い怪我人もおらんかった」

「あの…。このルーンは…、ガンダールヴとは一体なんなんですか?昨日、このルーンが発光して、それで気付いたらエヴァとシンクロしているような感覚に陥って…、冗談で歩く様に思ったら本当に歩いてしまって…」

シンジは不安げな声でとつとつと語った。

「伝説の使い魔のルーンじゃよ。先日、説明した通り、それが全てじゃ」

もちろん、この言葉は嘘である。オスマンは、今の段階でこの少年に全てを語るのは時期尚早と考えているのだ。

「この前、おっしゃっていた特殊能力ってやつなんでしょうか?」

「おそらくな。さぁ、昨日と同じ様にやってごらんなさい。意識を集中させ、呼吸は深く」

「だけど、昨日と同じことになってしまったら…」

「最初から、失敗することを考えてはならん。成功するイメージを強く持つんじゃ。それに、ここで君が諦めたら、ミス・ヴァリエールの命も今日限りじゃろうな」

シンジが眉をひそめる。

「ミス・ヴァリエールに対して失礼を承知で言うが、彼女が『土くれのフーケ』と対峙するなんてことは、性質(たち)の悪いパーティージョークにもならん。
使い魔である君は、ミス・ヴァリエールの実力の程をよく理解しておるじゃろ。土くれのフーケは、その所業はともかく、非常に強力なメイジじゃよ。ミス・ヴァリエールの決断は、はっきり言って、蟻が象を倒そうとするくらい愚かな行為じゃ。
それでも、彼女が退くことはないじゃろう。彼女の覚悟は本物じゃ。わしはそう確信しておる。じゃから、やられるよ、あっさりとな。君はそれでいいのかい?」

「そんなの…っ!決まってます、よくないです。だけど、ぼくには何も出来ない…」

それだけ言うと、シンジは悔しそうに拳を握りながら俯いた。
オスマンはそんなシンジの頭を優しく撫でる。

「何を言ってるのじゃ。君には、このオーガがいるじゃないか。このオーガを使役する君なら、間違いなく土くれのフーケごときには遅れをとったりはせん。わしが保証しよう」

シンジが顔を上げる。彼の瞳には、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる老人の顔が映った。

「ぼくに出来るんでしょう…?」

「君が望むのであればな。さ、やってみなさい…」

シンジは瞳を閉じ、意識を集中させた。
少年の決意に答えるかのごとくガンダールヴのルーンが鮮やかな青色の光を放ち始めた。
まず、初号機の両腕が動いた。手の平で壁を押し上げ、自らの体をそこから引き抜いたのだ。
その振動で、石くれや砂埃が地面に舞う。
それから、ゆっくりと数歩だけ後退し、その場所に直立した。

「…動いた。オスマンさん、ぼくの思った通りに動きましたよ!」

シンジが興奮気味に叫ぶ。

「成せば成る、何事もな」

オスマンは少年に向かってにっこりと微笑んだ。
電力もエントリープラグすらも必要としない初号機の自立起動、それはシンジの世界の常識に照らし合わせれば、不可解極まりない自体のはずだった。
しかし、オスマンの思惑通り、シンジは偶発的に発揮されたガンダールヴの特殊能力によるものと思い込んでしまった。不利益などあろうはずがない、そう信じて疑わなかったのだ。
シンジが自身の体の変化に気付くのはまだまだ先の話である。
その為、彼のアダム族としての肉体は、次第にリリンの魂に馴染んでいった。取り返しがつかなくなるのも、そう遠い日ではない。




「じょ、冗談じゃないわ。そんなの連れていけないわよ」

ルイズは、待ち合わせ場所に現れたシンジの後ろにいる巨大な初号機を見上げ、顔をこわばせながら言った。
彼女の言い分はもっともである。なにせ、先日、死ぬような思いをさせられたばかりだし、その上、頭を抱えたくなるようなこの現状を作り出したのも、結局は初号機なのだ。
ミス・ロングビルはというと、顔を蒼白させたまま押し黙っていた。当然の反応なのかもしれない。しかし、勇気を振り絞り、それでもやっぱり震える声で、オスマンに向かい言った。

「私もミス・ヴァリエールの意見に賛成です。危険を増加させるだけのような気がします。それに今回の任務には隠密性が重要です。こんな巨大なオーガを従えていたら、フーケに、貴方を追跡する私達はここにいますよ、と言っているようなものですわ」

オスマンは首を横に振ると、二人を窘める様に言った。

「相手はあのフーケじゃ。使えるものは何であろうとも使い切る、それくらいの心構えで臨まないと、苦心を舐めさせられるだけじゃよ」

ルイズがそれに反論した。

「しかし、オールド・オスマンもヴェストリの広場での事件をご存知のはずです。このオーガは狂気の塊です。そんなものには、背中をあずけられません。ただでさえ、危険な任務なのに、背後すらも気にしなくてはいけない様では、それこそ達成は困難です」

「前を歩かせれば済む話じゃ」

オスマンが呑気な声で揚げ足をとると、ルイズの肩が振るえ始めた。

「そういう事を申し上げてるんじゃございません!」

「わかっておるよ。それに大丈夫じゃ。君達の心配するようなことは起きん。彼はこうして立派にこのオーガを制御しているではないか」

しかし、ルイズは納得がいかない様子だった。
オスマンは彼の長い髭を摩った。

「ふむ、そうじゃ、ミス・ヴァリエール。わしから交換条件をだそう」

「交換条件…、ですか?」

「もし、君がこのオーガの同行を認めるならば、火の塔及び本塔の修繕にかかる全費用を本学院が負担しよう。つまりチャラじゃ。どうだね、悪くない条件だと思うのじゃが」

突然、提示された破格の条件にルイズは目を丸くした。当然の事ながら、あれだけ破壊された校舎を、彼女がもらう実家からの仕送りだけで、修復することなど不可能だ。
と、すると、両親に泣き付かなければならなくなる。ヴァリエール家はトリステインの名門だ。払えないことはないだろう。
しかし、大目玉を喰らうのだけは免れない。もし、オスマンの提案を飲めば、その悩みは解消される。
結論は簡単に出た。

「オールド・オスマンがそこまで譲歩して下さっているのに、お断りするなんて出来ませんわ」

ルイズは微笑んだ。
ミス・ロングビルの顔からは血の気が完全に失せた。
それから、一行はロングビルが用意した馬車に乗り込んだ。
馬車といっても幌のない荷車に馬二頭を固定しただけの粗末なものである。土くれのフーケに奇襲を受けた時に、豪華な籠車よりも散開しやすいというのが理由だ。
御者を担うことになったロングビルが鞭を振るうと、従順な馬達が走りだす。
それを見届けていたオスマンに背後から声をかける者がいた。
コルベールである。

「彼は勝つでしょうか…?」

「ああ、間違いなくな。土くれのフーケごときでは手も足も出んじゃろ」

エントリープラグを経由して初号機とシンクロする場合、初号機の視覚が捉えたものはエントリープラグの内壁に投影される仕組みになっている。
しかし、ガンダールヴを利用したシンクロだと初号機の視覚まではリンクされないようだった。
ちなみに俯瞰視点からの操縦は思った以上に困難で、出発直後の初号機は事あるごとに転倒し、荷車を牽引する馬を、一々、驚かせていた。
そして初号機の転倒数に比例して、馬の手綱を握るロングビルの血色は明らかに良くなっていった。今では、その端正な顔立ちに笑みすら浮かべている程だ。

「意外とお茶目なんですね、このオーガは」

そんな言葉まで口から出始めた。単純に滑稽な初号機の姿を楽しんでいるだけなのかもしれない。
しかし、一時間も経つと【サードチルドレン】という名に恥じない華麗な操縦をするシンジの姿があった。
この少年は根が真面目なだけあって、移動中、来たるべきゴーレムとの戦いに備えて、初号機の訓練を続けたのだ。
地球では何度も搭乗した機体である。その為、下地だけは十分に出来上がっていたので、コツを掴んだ後の彼の成長ぶりは劇的なものだった。
目の前で初号機の前方宙返りを披露されたルイズは呆気にとられて呟く。

「すごい…。こんな曲芸まで出来ちゃうんだ」

初号機が着地した際に発生した衝撃により、地面がめくれ、巨大な土の固まりが宙を舞った。

「やろうと思えば、300メイルくらい簡単に跳躍できますよ」

シンジが自信に満ち溢れた声で断言した。

「ほんとに!?すごいじゃないの!」

「これがエヴァの本当の姿です」

それから、シンジは初号機の事について、彼が知りうる知識を事細かくルイズに向かって説明した。
初号機の左肩部に納めされているナイフを使えば、いかなる金属も容易に切断可能であること。初号機の体の周りを覆う装甲は短時間であれば、高熱のマグマに浸そうが十分に耐えられる性能を持っていること。
そして、初号機の展開するA.T.フィールドは、同じA.T.フィールドに中和されない限り、ほぼ全ての攻撃を無効化するということ。
シンジの言葉を聞いていたルイズの鳶色の瞳がきらきらと輝きだす。
この少年は実に控えめな性格である。だから、間違っても大見栄を切る為だけに嘘言を呈することなどは考えられないのだ。
つまり、彼の言葉は全て真実に違いない。ルイズは、そう確信した。

「土くれのフーケなんて目じゃないわね」

「たぶん、そうですね」

シンジが微笑む。
すると、ロングビルが体調の不良を訴え、仕方なくルイズが代わりに手綱を握ることになった。
シンジには経験がない為である。
必然的に、シンジがロングビルの看病をすることになった。

「あの、大丈夫ですか、ロングビルさん?」

シンジが心配のあまり、横たわるロングビルに尋ねた。

「ええ。なんとか…」

言葉とは裏腹に、ロングビルはどんどん容態を悪化させていった。そんな彼女が無理して口を開く。唇が真っ青だった。

「あの、碇くん。さっきの言葉は本当ですか…?」

「さっきの言葉?」

「あのオーガの潜在能力…」

「ええ、本当です。土くれのフーケなんて、すぐに片付けてみせますよ。だから、ロングビルさんは安心して横になっていて下さい」

ロングビルはあっさりと自身の意識を手放した。
ルイズとシンジは二人揃って顔を青くした。
急激な症状の悪化、そして、ついには昏倒してしまったのだ。なにか生命に関わるような病なのではなかろうか。二人の頭には最悪の展開がよぎった。

「ど、どうしましょう、ルイズさん?」

「トリステイン学院に戻るしかないわね」

「土くれのフーケは?」

「人の命には変えられないわよ」

ルイズは少しだけ残念そうに呟いた。
しかし、その台詞に嘘はなかったらしく、手綱を操ると馬車をもと来た道に引き戻した。
その時、空を舞う一匹の風竜がルイズの視界に飛び込んで来た。猛烈な速さでこっちに向かって飛翔している。その背には見知った顔が二つ、キュルケとタバサだった。
ルイズの姿を捉えた風竜が馬車の側に舞い降りた。

「キュルケにタバサ!あんた達何しに来たのよ!」

キュルケが風竜から飛び降りて、前髪をかきあげた。

「学院中の噂になってるわよ。ルイズが、あのゼロのルイズが、学院一番の落ちこぼれが、土くれのフーケの討伐にでたってね。身の程知らずもいいとこだわ。だから、あんたがやられるところを見学しに来たの」

「さっきと言ってることが違う…」

タバサがぽつりと呟いた。

「しっ!タバサ、あなたは黙ってて」

キュルケがタバサを制した。
なんだかんだ言っても、ルイズのことが心配で駆け付けたのだろう。シンジのなけなしの勘が、そう告げていた。
すると、ルイズが誇らしげに胸をはる。

「あんた、あのオーガが見えないの?」

キュルケのこめかみに汗が滲んだ。

「……それも学院中の噂になってたわ。ルイズの使い魔が例のオーガを引き連れて、校門の外に消えたって。これ、どういうことよ?なんで動いてんのよ?」

キュルケは、暴走時の初号機しか知らない。その為、初号機には拭いがたい畏怖の念を抱いているのだ。

「いい、よーく聞きなさいよ?このオーガはシンジの使い魔なの。つまり、私の使い魔は、使い魔でありながら、使い魔を使役する素晴らしい使い魔なのよ!」

「なんか、早口言葉みたいですね」

シンジがちゃちゃを入れるとルイズに、ばか、と一言説教された。

「つまり、今はシンジ君の制御下にあるわけ?」

キュルケがシンジに尋ねる。

「ええ」

「暴れたりしない?」

「大丈夫ですよ」

シンジの言質をとったキュルケは、少しの不安をその豊かな胸に残しながらも、再び余裕の態度を取り戻した。

「じゃ、行くわよ、ルイズ」

「どこによ?」

「フーケの所に決まってるじゃない」

「無理よ」

「どうして?」

ルイズが昏倒したままのロングビルを指差した。

「ミス・ロングビルの体調が優れないの。ひょっとしたら、何か重い病なのかもしれないし…」

キュルケがタバサを見遣る。

「わかった」

キュルケの言いたいことを瞬時に察知したタバサは、ロングビルの体に物体浮遊魔法【レビテーション】をかけ、彼女の使い魔である風竜の背に乗せた。

「頼むわよ」

キュルケの言葉にタバサは軽く頷き、風竜に指示をだした。

「シルフィード、トリステイン学院へ」

シルフィードと呼ばれた風竜は短く鳴いて、了解の意を主人に伝えると、青い鱗を輝かせ、力強く翼を羽ばたかせた。あっという間に高空にのぼり、トリステイン学院に向け飛んでいった。

「さ、後顧の憂いは絶たれたわよ。行きましょうか」

キュルケの言葉通りトリステイン学院に戻る理由のなくなった一行はフーケの隠れ家へと馬車を走らせた。
しかし、それはシンジの苦行の始まりに過ぎなかった。
まず、誰が手綱を握るかで喧嘩が始まった。シンジの無難な提案で代わりばんこにやることになった。
次にルイズが用意していたお昼のお弁当をきっかけにして、喧嘩が始まった。味付けは薄い方がいい、だとか、恋と一緒で何事も濃い方がいい、だとか、シンジからすればどうでも良い内容ばかりだった。
その後もルイズとキュルケの口喧嘩は絶える事なく続き、それを宥める役目のシンジがいい加減に辟易してきた頃、馬車は深い森に入っていった。鬱蒼とした森が三人の恐怖を煽る、…わけがなかった。前方を歩く初号機が行く先を阻む木々を次々と薙ぎ倒しているからである。

「土木用に使えるわね」

その光景を眺めていたキュルケが軽口を叩いた。

しばらくすると、一行は開けた場所に出た。森の中の空き地といった風情である。
ロングビルの情報通りその中心には確かに廃屋があった。元は樵小屋だったのだろう。朽ち果てた炭焼き用らしき窯と、壁板が外れた物置が隣に並んでいる。
人が住んでる気配は全くない。本当にフーケはあの中にいるのだろうか?
二人の少女が同様の考えを頭に巡らせていた時、唐突にシンジが口を開いた。

「この情報、ガセじゃないですか?」

「なんでよ?」

ルイズが尋ねた。

「だって、ロングビルさんが言ってたじゃないですか。フーケは巨大なゴーレムを従えて廃屋に入っていったって。フーケの作り出すゴーレムはおよそ30メイルの巨体ですよね?40メイルのエヴァとあまり変わりのないゴーレムが森を破壊せずに進むなんて有り得ないですよ。
なのに、この空き地のどこを見ても、そんな様子は全くないじゃないですか」

シンジの言うことはもっともだった。
無駄足だった事に気付いた二人の少女が揃って溜息をつく。

「一応、中の様子を見てきますね」

「そ、頑張ってね」

ルイズは力無く言った。緊張の糸が一気に切れてしまったようだ。
シンジは小屋の側まで、近づくと窓越しに中を覗いてみた。やはり、小屋の中に人影はない。
部屋の中には埃の積もったテーブルと、転がった椅子があるだけだった。
しかしながら、シンジを驚かせるには十分な代物がテーブルの上に置かれていた。それはシンジのよく知る物だったのだ。

――あれは…、マゴロク・エクスタミネート…。

しかし、その【代物】はシンジが知っているそれよりもはるかに小さい。ちょうど、人が扱うようなサイズだ。恐らく試作品か、それに近いものなのだろう。
シンジは小屋の中に入ると、それを手にとった。
やはり、あれに間違いない。もしかして、これが破壊の杖なのだろうか。
シンジは小屋から出て、ルイズに声をかけた。

「ルイズさん、破壊の杖って、これのことですか?」

シンジから差し出された物を驚きの表情で凝視したルイズは慌ててポケットの中から折りたたまれた一枚の紙を取り出した

ルイズは破壊の杖を見たことがない。その為、破壊の杖の成形が描かれた紙をオスマンから預かっていたのである。そして、紙に描かれたスケッチとシンジの手にするそれの姿は酷似していた。

「間違いないわ…。それこそが破壊の杖よ」

杖?これのどこが?
シンジは少し納得がいかない様子だった。

「と、とにかく、任務達成よ!」

ルイズがシンジに向かってピースサインを送った。




ロングビルは保健室でいまだ昏倒したままである。かと言って、命に別状があるわけでもないようだ。トリステイン学院に常勤する医師によると、過度のストレスが原因ではないかということだった。

学院長室で三人の報告を聞いたオスマンが微笑む。

「よくぞ、破壊の杖を取り返してきた」

誇らしげに、ルイズとキュルケが礼をした。

「一件落着じゃな。君達二人の働きに貢献する為に、【シュヴァリエ】の爵位申請を王室に出すつもりじゃ。追って沙汰があるじゃろう」

二人の少女の顔が輝く。

「本当ですか?」

キュルケが驚いた声で言った。

「嘘はない。君達はそれくらいのことをしたのじゃからな」

ルイズがちらっとシンジの顔を伺う。

「オールド・オスマン。シンジには何もないんですか?」

「残念ながら、彼は貴族ではない」

「ルイズさん、気にしないで下さい。ぼくは何もいらないですよ」

シンジが言うと、オスマンはぽんぽんと手を打った。

「さてと、今日の夜は【フリッグの舞踏会】じゃ。この通り、破壊の杖も戻ってきたし、予定通り行う」

「そうでしたわ!フーケの騒ぎで忘れておりました」

キュルケの様子が急に慌ただしくなった。

「今日の舞踏会の主役は君達じゃ。用意してきたまたまえ。せいぜい、着飾るのじゃよ」

二人は礼をするとドアに向かった。しかし、シンジは動こうとしない。ルイズがその姿を見て、立ち止まる。

「先に行ってて下さい」

シンジが言うと、ルイズは心配そうに彼を見つめた後、頷いて部屋を出ていった。

「なにか、わしに聞きたい事があるねかね?」

シンジは頷いた。

「あの破壊の杖はぼくがもといた世界の武器です」

オスマンの目が光る。

「ふむ、もといた世界とは?」

「ぼくはこの世界の人間じゃありません」

「本当にそう思っているのかね?」

「間違いないです。ぼくの世界の常識はハルゲキニアは全く通用しません。ぼくは、ルイズさんの召喚でこっちの世界に呼ばれたんです」

オスマンは目を細め言った。

「ハルゲキニアの星空を見たことはあるかい?」

「はい?」

「答えははそこにあるんじゃよ、おそらくな」

オスマンの頭の中には、すでに一つの仮説が出来ていたのだ。

「よく分かりません」

「今はそれでいいんじゃよ」

オスマンが微笑む。

うやむやにされた気もしないでもなかったが、それには目をつむり、シンジは一つの疑問をオスマンに投げかけた。

「あれは…、破壊の杖はぼくの世界で、【マゴロク・エクスタミネート・ソード】と呼ばれていました。つまり、剣です。形状だって、どこからどう見ても剣のはずです。なぜ、あれが破壊の『杖』なんですか?あれをこの世界に持ってきたのは誰なんですか?」

オスマンは溜息をついた。

「あれをわしにくれたのは、わしの命の恩人じゃ」

「その人はどうしたんですか?その人はぼくと同じ世界の人間です。間違いありません」

「死んでしまった。今から300年も昔の話じゃ」

「300年?」

「わしは350歳くらいになる。正確な年齢は忘れてしまったよ。永く生き過ぎたせいでな」

「こっちの世界の人はそんなに長寿なんですか?」

「いや、わしだけじゃよ。普通の人間なら100年も生きられん。話を戻すが、300年前、森を散策していたわしは、ワイバーンに襲われた。
そこを救ってくれたのが、あの破壊の杖の持ち主じゃ。彼は破壊の杖でワイバーンを切り裂くと、ばったりと倒れた。怪我をしていたのじゃ。わしは彼を学院に運び混み手厚く看護した。しかし、その甲斐なく……」

「亡くなられたんですね?」

オスマンは頷いた。

「わしは恩人の形見に、『破壊の杖』と名付け宝物庫にしまいこんだ。もちろん、わしにも、わかっておった。あれは剣だとな」

「では、何故…?」

「君も知っておろう。剣は平民の武器じゃ。貴族は杖を使う。わしは自分の恩人が使用した武器に敬意を表して『杖』と銘打った。ただ、それだけのことじゃよ」

オスマンが遠い目になった。

「彼はベッドの上で、死ぬまでうわごとの様に繰り返しておった。『ここはどこだ。元の世界に帰りたい』とな」

「いったい、誰がこっちにその人を呼んだんですか?」

「それはわからん。どんな方法で彼がハルゲキニアにやってきたのか、最後までわからんかった」

「そうですか…。もとの世界に戻るきっかけになればと思ったんですが…」

「力になれんで、悪いの。ただ、これだけは言っておく。わしはいつだって君の味方じゃ」

オスマンはそう言うと、シンジの体を抱きしめた。

「よくぞ、恩人の形見を取り戻してくれた。改めて礼を言うぞ」

「いえ……」

「君は平民だ。爵位を与えることは出来ない。その代わりにこの破壊の杖を君に授けよう」

「いえ、そんな…。オスマンさんの恩人の形見じゃないですか。とても、受け取れません」

オスマンがシンジの頬を撫でた。

「君はまだまだ幼い。望郷の念にかられることもあるだろう。その慰めにでもしなさい…」

「……本当にいいんですか?」

「もちろんじゃ」

オスマンは二刀一対のマゴロクソードをシンジの手に握らせた。




アルヴィースの食堂の上の階が大きなホールになっている。舞踏会はそこで行われていた。シンジはバルコニーの枠にもたれ、星空をぼんやりと眺めていた。
オスマンの言葉が、頭の中でリフレインする。

『ハルゲキニアの星空を見たことはあるかね?』

一人寂しく佇むシンジの姿に気付いたキュルケが彼のもとに近寄ってきた。純白のドレスがきめ細やかな褐色の肌を際立たせている。胸元が不必要なまでに開いていた。

「シンジ君、なにしてるの?」

「いえ、星空を眺めていたら、なんだか、懐かしくなってきちゃって…」

「あら、意外とロマンチストなのね」

「違うんです。星の配置だけは、ぼくのいた世界と似通ってるみたいで…、それで、なんとなく」

その時、一人の男子生徒がキュルケに声をかけた。

「ミス・ツェルプストー。もし、よろしければ、僕と…」

男子生徒がキュルケに右手を差し出す。ダンスに誘っているのだ。

「喜んで」

微笑みを浮かべたキュルケがシンジに向き直る。

「ごめんね、シンジ君」

「いえ。それよりも、楽しんで来て下さい」

キュルケの姿がホールへと消える。
黒いパーティドレスを着たタバサは、一生懸命にテーブルの上の料理と格闘していた。
皆、それぞれにパーティを満喫しているようだった。

ホールの壮麗な扉が開き、ルイズが姿を現した。シンジに舞踏会の参加を強制させたくせに、えらく遅い登場である。
門に控えた呼出しの衛士が、ルイズの到着を告げた。

「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおなーりー!」

主役が揃ったことを確認した楽士たちが、小さく、流れるように音楽を奏で始めた。
いつの間にかギーシュがシンジの横にいた。顔が真っ赤だ。相当、ワインを頂戴しているのだろう。

「こうやって、着飾るとルイズもかなりの美人だな。ほら、見なよ。今まで、ルイズの事をからかっていた生徒たちがルイズにダンスを申し込んでる」

「ルイズさんは普段から美人ですよ」

ギーシュが軽く笑った。

「そうか、そうかもな。しかし、そんな美人と毎日寝食を共にできる君は幸せ者だな」

「そうでもないですよ。ずぼらだし、わがままだし…。服くらいは自分で着てもらいたいです」

さっき、一杯だけ飲んだワインが原因なのだろう。シンジにしては珍しく軽口を叩いた。

「他人には見せないありのままの姿を見せる…、それって家族ってことだろ?トリステインに身寄りのない君にとっては有り難い話じゃないか」

シンジは息を飲んだ。

「……ギーシュさんて、いい人だったんですね」

「おいおい。何を今更…」

ギーシュはわざとらしく髪をかきあげる。

「ま、あの時は殴ったりして悪かったな…」

シンジの背中を掌でぽんと叩くと、ギーシュは豪華な食事の並ぶ円卓へと向かった。

入れ代わりにルイズがやって来た。ほんのりと赤みを帯びたシンジの頬に気付いたルイズは腰に手をやって、首を傾げた。

「楽しんでるみたいね。」

「ええ。ルイズさん、ドレス似合ってますね」

「ありがと」

「踊らないんですか?」

「相手がいないのよ」

ルイズが手を広げた。

「いっぱい、誘われてたじゃないですか」

ルイズはシンジの言葉を無視した。

「ね、一緒に踊らない?」

「ぼく、ダンスわからないですよ」

「いいのよ、教えてあげるから」

「ぼくでもできますか?」

ルイズはドレスの裾を恭しく両手で持ち上げると、膝を曲げてシンジに一礼した。

「わたくしと一曲踊って下さいませんこと。ジェントルマン」

きらきらと輝く微笑みを浮かべたルイズがシンジの手をとった。

「私に合わせてね」

シンジは見よう見真似でルイズに合わせて踊りだした。

「ねえ、シンジ…」

「なんですか?」

「私、今ではあなたを召喚して本当に良かったって思ってるの。もちろん、あのオーガがいたからとか、そう意味じゃなくて…」

「ぼくもご主人様がルイズさんで良かったと思ってますよ」

ルイズは軽やかに優雅なステップを踏みながらシンジに尋ねた。

「シンジはもとの世界に帰りたい?」

「ええ。帰らなくちゃならないんです。ぼくにはやらなくてはならないことがありますから…。でも、どうやったら、帰れるかだなんて分かりませんし、もうしばらくはよろしくお願いします」

破壊の杖は一つの事実を示唆していた。マゴロクソードはセカンドインパクト発生後に造られた武器である。300年も昔にあるわけがない。つまり、地球とハルゲキニアの時間軸は間違いなくリンクしていないのだ。よって、焦って帰る方法を探す必要はどこにもない。
のんびりとその時を待てばいい、シンジはそう考えていた。

「こちらこそ、よろしくね。私の可愛い使い魔さん」

シンジが微笑む。

「はい。ぼくはゼロの使い魔ですから…!」


 フーケ、
    侵
第参話 入


終わり


ワ 第四話


、来訪


へ続く



【新世紀エヴァンゲリオン×ゼロの使い魔】

~想いは、時を越えて~


第一部 完
最終更新:2007年09月28日 21:46
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