3-925「お友達」

「お友達」

あれは2月も半ばを過ぎた頃、さすがの俺も受験までの残り日数を数えられるようになり、
そのプレッシャーをひしひしと感じていた、そんな頃だ。
俺は進学を希望する北高を専願で望んでいたため、受験は後のない一発勝負というやつだった。
もっとも、自分が落ちる可能性ということも、俺は毛ほども感じてはいなかった。そんな俺に対して、
受験という一大イベントに、神経質になったのはどちらかといえば、お袋の方であり、家で有形無形
のプレッシャーを掛けてくる家族から逃げるようにして、俺は図書館にやってきたのだった。
もっとも、そこで勉強をしないで遊べるほど泰然自若としていないのが、俺の小人物的な所であり、
今日も今日とて図書館で参考書を広げているのである。
「その……お、お久しぶりです」
消え入るような声で、俺を呼ぶ少女に気がついたのはノートにシャーペンを走らせ始めてから、
小一時間ほど経った後だったろうか。参考書から目を上げると、俺に対して会釈する赤いダッフル
コートにお下げ髪の少女がいた。数瞬、記憶から彼女をサルベージ。
彼女に会うのは久しぶりだったが、以前にもまして、大人びていた。とても妹と同い年には見えない。
後輩と言えば普通に通じるだろうな。そんな風に感じていた。
「……やあ、キミか、久しぶりだね。どうしたの?」
「その……本を借りようと思って……」
彼女はそう言うと、恥ずかしそうに辺りを見回した。周囲には俺と同じように自習する
学生たちがおり、そのいずれもが俺を親の敵でも見るような目で見ていた。
フン、この程度で集中が乱されるようじゃ、受験には勝てないぞ。
とは言うもののマナー違反はこちらの方なので、コートを着込みつつ、彼女をうながして、
休憩エリアに移動する。参考書は置きっぱなしだ。この時期、場所取りも楽じゃあないのだ。

ホント、久しぶりだね。そんな当たり障りのない会話をしながら、自販機で買ったカップの
カフェオレを彼女に勧める。恐縮することしきりに彼女はゆっくりとそれに口を付けた。
でも、ほんとずいぶん可愛く、いや綺麗になったよね。そんな言葉がすらすらと口から出てくる。
いや、彼女との共通の話題が少なすぎるため、どうしてもそんな軽口を叩くぐらいしかすることが
ないのだが、これがまったくもって逆効果、彼女は真っ赤になってうつむいてしまうばかりだ。
「……そ、そんなことない……です」
まぁ、そんな仕草を見せられて、こう何も感じる物がないといったら嘘になるわけで、
「最近、家にも来ないみたいだけど、どうしたの?」なんて、俺は追い打ちを掛けていた。
「受験だって聞いてたから……」
なんということか、彼女は俺が受験で勉強しているだろうと、遠慮してくれていたわけだ。
容赦なく算数ドリルを持ち込む我が妹とのこの違いはなんなのか。
「……あ、そうだ。こ、これ……どうぞ。きゅ休憩の時にでも、食べてください」
そういって彼女はピンク色の紙とフィルムで可愛らしくラッピングされた包みをくれた。
包みはほのかに温かく、かすかに香ばしい匂いがした。
「……そのちょっと作り過ぎちゃって……お裾分けです」
ちらりと見えたポシェットの中にいくつか同じような包みがあったのを俺は見逃さなかった。
誰かのとこに届けにでも行くつもりだったのだろう。これを受け取るであろう誰かに何とも言え
ないもどかしい気持ちを感じる俺だった。
ありがとう、そう告げて、コートのポケットにしまい込む。
「やぁ、キョン。僕との約束の前に、逢い引きとはお安くないね」
ゴフッ、逢い引きという生々しい言葉の響きに含んだコーヒーがむせた。
「驚かせてしまったようだね、すまない。大丈夫かい」
彼女から差し出されたハンカチを断わり、佐々木から差し出されたティッシュで顔面をぬぐう。
こんなことで、彼女の綺麗なハンカチを汚すまでもない。そう、今日は一次志望の私立の受験が
終わり、余裕の出た佐々木に勉強を教えてもらうという約束であったのだ。
そんなんじゃねぇよ、と悪態をつく。俺とそんな風に見られたら彼女が可哀想じゃないか。
くつくつと佐々木は沸騰したお湯をこぼすような笑い声を立てた。
「いや、すまないね、謝罪させて貰うよ。驚かすつもりはなかったんだ。ただ、キミにね。
こんな可愛らしい彼女がいるなんて、思いもしなかったからさ」
「だから、そんなんじゃないって言っているだろ。彼女は……」
俺のセリフを遮るようにして、
「わ、私は吉村美代子っていいます。キョ…キョンさんのセックスフレンドです」

………熱ぃい。思わず、紙コップを握りつぶした。だらだらと、右手をコーヒーがしたたり落ちるが、
気にはならない。
な、な、な、なにを言っていやがりますか、この娘は? というか、知らない言葉を軽々しく使っ
ちゃうのは、お兄さん、感心しませんよ。その一方衝撃的な発言を聞かされた佐々木はどんより
と両の眼を濁らせたまま、携帯電話を取り出した。
あ~、佐々木さん、館内は携帯禁止ですよ~。
「キョン、見たところ、彼女は13歳未満のようだ。だとすると、たとえ同意の上であったとしても
性行為は犯罪となる。わかっているね」
そうですか、わかりません。ぼ、僕はですね、潔白です。この娘、吉村美代子さんはね、
僕の妹の親友で、家にもよく遊びに来る仲でしてね。
「そして、ふたりは一線を越えた……と。へ~。そうなんだ。ふ~~ん」
目の下に怪しい影を纏わせて佐々木はつぶやいた。
人の話はちゃんと最後まで、聞く。
「いや、キョン。僕は冷静だ。僕は常に理性的かつ論理的な人間であるつもりだよ。
キミが犯罪を、性犯罪という男として、人間として最悪の犯罪に数えられる罪を犯していたとしても、
キミがそれをちゃんと償う気持ちがあり、反省し、罪を精算し、罰を受けるのであれば、僕らの間の
友情は失われることはない。約束するよ。そしてさようなら、大好きなキョン」
いや、だから、それなら、まず友人の潔白を信じる所から始めるべきではないか。
彼女はミヨキチは、単なる友人なの。お友達、マイ・ディア・フレンド、アーユーオーケィ? 
混乱して、できもしない英語で返答する俺なのだった。
「そうか、ニックネームで呼び合うような仲なんだね」
人の話を聞けよ、わからず屋。
「やった!! 言われていた通りです」
そんな俺たちを余所に、ミヨキチは小さくガッツポーズ。
俺たちふたりはぽか~ん。
「衝撃的な発言で、びっくりさせれば、ちゃんと本音で答えてくれるって、妹さんに
言われていたんです。そうしないと、あなたはごまかすだけで、まともに答えてくれないって」
は、はぁ、そうなんですか……。
「それじゃ、私は行きますね。受験がんばってください。それから、お裾分けなんて嘘。
気持ち、ちゃんと込めてますから」
そう言って、ぴょこんと頭を下げて、ミヨキチは、俺たちの前から去っていった。
って戻ってきた。
「あ、それから、言葉の意味、ちゃんとわかってますから」
ぴゅーと、風のように去っていく少女。
その後ろ姿を俺たちは眺めるばかりであった。
数瞬後、ククッ、佐々木がこらえきれない様子で笑みを漏らした。
「一本取られたね、キョン。いや、一本どころじゃないな。三本先取で三本勝ちというところだ」
まったくだ。女の子はわからん。
「まぁ、それはともかくだね。手を洗ってきたまえよ、それから、さっきのとやらを頂こうか。
彼女から、何か食べられるものを貰っているだろう」
なんだよ、その辺りから見てたのか。
「いいや、僕にはのぞき屋の趣味はない。ないがね、先ほどの顛末に関する精神的な慰謝料
くらいはもらってもかまわないと思うんだ。キミから、そして彼女からね」
左手でコートの右ポケットから先ほどの包みを取り出して、佐々木に渡す。
「ふむ、まだほのかに温かいね。焼きたてというところか」
そんな佐々木の返答を背で聞き流しながら、手洗いへと向かった。コーヒーはすでに乾き、
右手はベタベタになっていた。

便所から戻り、先ほどの自販機コーナーに戻ると、佐々木が備え付けのベンチで
俺を手招きしていた。不機嫌そうに足を組んで、彼女はポリポリとクッキーをかじっている。
見れば、彼女の隣にはティッシュに包まれたクッキーが置かれていた。
うながされるままに座ると、佐々木が不機嫌さを隠すこともなく、俺に告げる。
「一応、キミの分だ。もとより、キミが彼女からもらったものだからな。全部、僕が食べてしまう
のも悪いだろう」
チョコチップがまぶされた焼きたてクッキーは、なかなかの出来映えだった。
これをミヨキチがクラスの男子に配ったら、金が取れるな、などとどうでもいい感想が生まれた。
「それから、飲み物なしでクッキーを食べるのもつらいだろう。これは僕のおごりだ。心して飲み給え」
そういって、佐々木は新しい紙コップを差し出した。
さっきのコーヒーは二三口しか飲んでいなかったからな。
ありがたく受け取る……ってココアかよ。
「気に入らないのかね、僕の心づくしの贈り物だ」
ぎろり、と眼光鋭く、佐々木の大きな瞳が殺気をたたえた。
すみません。
謝罪の言葉もそこそこに、甘い物を甘い物で流し込む。
ココアとチョコチップクッキーでカカオが被ってしまったな。
「キョン、確か妹さんは、今年、小学5年生になるのだったな」
こくりと、頷く。
「ということは十歳か……まったく、最近の小学生は……まったく」
いやはやまったくだ。昨日覚えたはずの英単語も、数学の例題も完全に吹き飛んでしまった。
ずずっと生ぬるいココアを啜る。
「まったく……キミがそんなだから……まったく」
佐々木がブツブツと聞き取りにくい声で、文句を続けていた。
春は未だ遠く。そんな2月の頃のことだった。

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最終更新:2013年03月03日 01:23
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