6-860「湯煙@佐々木」

古泉属する機関とやらがどれだけのコネと力を持っているかは
知らないし知りたくも無いが、それでも信じていいことが一つだけある訳で、
それはSOS団創設後に行われたであろう俺の身辺調査の結果である。
これ以上ないというほどに平凡な中流家庭で、
これ以上ないというほどに平凡な人生を(あくまで高校生になるまではだが)
送ってきた俺は間違いなく普通の人間だということだ。
普通。
今となってはどれだけ懐かしく、
郷愁を覚えずにはいられない響きだろう。
灰色空間やらタイムトラベルやら様々な経験を積んだ俺には
最早遠いところにある言葉であり、
しかしこうして見ると自分の経験値もどうってことなかったのだと
自責の念に駆られることも無いわけではない。
いやいや、よく考えてみろ俺。
俺の経験値において大半を占めているのはあくまで
非日常的冒険活劇チープ版であり、
鶴屋さんの別荘にしても夏の孤島にしても豪華ではあっても
それが威圧感となることはなかった。
だからこれは初体験となる。
山奥に佇み、奥ゆかしさと風流さすら威圧感へと変えるほどに一般人とは縁の
無い高級旅館に泊まるというのは。
「という割にはいつもの君と変わりが無いように思えるよ、キョン」
どうやら俺のような一般人には近づくことさえ憚られるようなこの
高級旅館も、佐々木と俺の顔には何ら影響を及ぼさないらしい。
ちなみにこの旅館、本館に部屋がない。
風呂もない。
どうしてかと言えば、本館を囲むように存在する部屋という名の
簡素ながらもしっかりとした家屋に必要なものが全て揃っているからだ。
いや、どう考えても金と土地の無駄遣いである。
俺には到底理解できないというかしたくない。
分不相応もいいところだぜこれは。
「妙な経験だけなら随分と積んだんでな。その賜物だろう。」
「君がそういうのならそうなのだろう。
とはいえ、君の気持ちも理解できなくはない。
実際ここは著名人や政治家もお忍びで利用するほどの隠れ宿というやつで、
言い換えれば変なところで我侭だったり意地を張ったりする人間が
来るのであれば必然、無駄なところに贅を尽くすようになるというものだよ。
それでもキョン、この渡り廊下からの景色は中々のものだと思うけれどね。
来訪者の傾向故に案内人である女中さんがいなくてよかったと思わないか?
深緑を味わいながらゆっくりと部屋に向かおうじゃないか。」
たしかに、しっかりと手入れされた日本庭園が視界に広がっている。
審美眼じみたものがないことは重々承知だが、それでもこれがどれだけすごいか多少は
解るというものだ。
「不均一的、あるいは非左右対称的な美というのかな。
そもそも花道や枯山水、陶芸にも見られるように日本の伝統では微妙な歪みと
それに伴う不完全性をこそ愛でる訳だが、
人間の顔だって左右対称とはいかないことを考えればそれこそ自然なのだろうね。
西洋的な左右対称は人為的で僕は好かない。
ありのままを受け入れるというのは日本の美徳の中でも最上のものに違いない。」
「枯山水ってのはアレか。京都の寺やらにあるようなのだろう。」
「そうだね。
まぁ、これは学者、あるいは識者閣員によって意見が分かれるものだと思うけれど、
基本日常に関連するカタチで美を表す傾向にある日本においてあれだけ緊張感のある
芸術というのも珍しいだろう。
………うーん、やっぱり芸術に関しては僕は口を閉じている方がいいのかもしれないな。
いつもの調子で口が回らない。」
「そんなに気にする必要はないだろう。
こういうのはきっと、評したりするもんじゃなくて体で感じ取るもんなんだろうさ。」
口にしてからちょっとしまったと思った。
語りモードに入った佐々木に対する言葉としてはあまりに直情的で観念的だ。
きっと手痛いしっぺ返しが帰ってくるんだろうと身構えていたが、
どうしたことだろうね。
佐々木はぽかんとした無防備な顔で俺を見ていた。
あ、笑い出した。
「くっくっくっくっく……いや、その通りだよ。
確かに、言葉が不粋となる時もある。
言語だけで全ての情報が遣り取りできるとか限らないのだからね……
だめだ、お腹いたい…くっくっく……やはり君は最高だよ、キョン」
そうかい。お褒めいただい光栄さ。
「いや、すまない。嘲っているつもりなどまったくないよ。
むしろ今までで一番高い評価を下している最中だよ。」
「ま、何だって構わんさ。さて、お部屋についたぜお姫様。」
扉を開け、去年の夏の出来事から反省を学んだ俺は佐々木をしっかりエスコートする。
畳の香りがほどよく嗅覚を刺激し、俺と佐々木は部屋の趣味の良さと
窓からの景色に圧巻されているうちにちょっと回想モードに入ろうじゃないか。
「キョン、折角の休みだ。ここは一つ、長旅と洒落込むのはいかがかな?」
事の発端は佐々木のその一言に由来する。
まぁ、俺たちも高校二年になる訳で、
前には絶海の無人島に行ったりもしたから
今更長旅に怖気づくなんてこともなく俺は佐々木の誘いにあっさりと乗った。
「そうかい、それはありがたい。ところで、君は行きたいところがあるのかな?
もし構わないなら、僕に決めさせてもらいたい。」
全然構わない。
佐々木なら絶海の孤島やら吹雪の雪山に行ったりはしないだろうという確信があるからな。
あんな心身共に疲れる旅行は年に一回か二回で十分であり、
それも古泉プロデュースの茶番劇があること前提の時だけだ。
「ちなみにキョン、君は行き先不明のサプライズ旅行と予定が100%判明している
観光旅行のどちらがお好みかな。」
言うまでも無いことだろうに。
旅行ってのはゆっくり楽しむためにあるというのが凡人たる俺の信念である。
「くっくっくっ、確かにその通りだ。ではキョン、楽しみにしているよ。」
さて、皆さんなら気付いていただけるものと思うが一応言っておこう。
俺はこのとき、旅行に参加する人数を聞いていなかった。どうせ佐々木団の面子
の、そうだな、橘あたりも参加するだろうと思っていたのだ。
これもSOS団雑用係にして連絡が来るのは一番最後という俺の立場に由来する
に違いない。本当、習慣というのは恐ろしいものだね。

メールで送られてきた旅行の予定は佐々木らしく綿密なのに無理がないものとなっており、
こいつ将来旅行代理店にでも就職すれば高給取りになれるだろうという幻想が浮かばない
こともないほどのものであった。
何ていっても、こちらの起床時間まで指定してきてるんだからな。
どうやら中学三年における一年の付き合いは俺の生活リズムが把握できるほど
のものだったらしく、しかし俺が佐々木の生活リズムを把握できていないのは
さて、何でだろうね。
「キョン、それは僕の生活リズムを知りたいということかい?
無論、君になら教えるのもやぶさかではないが、他人に伝えることは社会的タブーに相当する
旨は言っておこうじゃないか。
それとも、君は知り合いの行動は悉く把握していないと心配になるのかな。
僕の記憶が正しいと仮定した上ではそのような奇矯な趣味を君が持ち合わせていた
覚えはないのだがね」
「どんな趣味だそれは。というか、他の連中は来てないのか?」
「ああ、言い忘れていたよ。僕と君以外に参加者は無し。所謂二人旅というやつだ。」
そうかい、そりゃびっくりだ。どれくらいびっくりかというと、
コペルニクス的なんたらってぐらいびっくりだぜ。
表情が変わらないのは高校になってから積んだ非常識経験値の賜物だ、というか
「集合地点をここにした時点でそれに気付くべきだった…とでも考えているのだろう。」
俺の脳内をスキミングのごとく読み取らないでいただきたい。
そりゃあ、集合地点が俺達が通っていた塾に近い懐かしい公園であったのに
そこまで考えが及ばなかった俺の脳なら、簡単な機器で内容を読み取れそうだが。
「まぁ、いいか…というか、さっさと行こうぜ。
時間ギリギリになって走るなんて御免だからな。」
お互い荷物は小さめのトランクと肩掛けバック。
三泊四日の旅行な訳で、さて、せいぜい楽しもうじゃないか。
はい、回想終了。
ってうお、佐々木と二人旅って気付いた時点で色々ピンチなことに
考えが及ばない俺をどうしたらいいのだろうか。
いやいや待て待て。
佐々木の指定してきた起床時間は俺にしてみればあり得ない早起きは三文の得
的日の出タイムであり、新幹線と電車を乗り継いでこの隠れ宿に一番近い
駅に着くまで頭の中に眠気が沈殿していたのだから早朝の俺に冷静
かつ正常な判断を下す力などあろうはずもなく、つまりこれは不可抗力で
あって誰に文句を言われる筋合いもないのだ。
あとは、健全なままこの旅行を終えれば万々歳である。
うん、すばらしいじゃないか俺。自分に対する言い訳は完璧だ。
「絶景と評していいのではないかな、これは。キョン、どう思う?」
「いいんじゃないか。
俺はこんな景色を見るの初めてみたいなもんだからどう言ったらいいか考えてたところだ。」
部屋の中がどうなっているのかちと調べ、荷物もおいて一休みする午後五時。
簡単な台所もついていることに驚愕したり座布団を出したりと色々したが、
今は佐々木が淹れてくれたお茶で二人揃ってのんびりしている。
…本当に今更だが、こんなとこに一介の高校生が来て、しかも自分は宿泊費を一銭も
払っていないことに我ながらどっきりだ。
佐々木曰く、母親の親戚に作家筋で著名な方がいるらしく、
ここに二人分予約を入れたはいいが締め切りの関係でいきなり来られなくなったらしい。
キャンセルするのも面倒なので、誰か行かないかと話を回したところ、
新幹線でもかなり時間のかかるここまで来たがる人間はいなかったらしく、佐々木にまで
お鉢が回ってきたらしい。
加えて佐々木の両親は仕事で忙しいらしく、お友達と行って来なさいの一言だったとのこと。
いいんだろうか、そんなことで。
俺がそんな招待される側としてはいささか不謹慎な思考に埋没していたので、
佐々木がいつ動き始めたのに気付かなかった。
荷物をごそごそとしては、押入れから何か取り出している。
ためつがめつして俺をチラッと見ては、また荷物をごそごそ。
「………どうしたんだ、佐々木。というか、何をしている?」
ギクっというような擬音を伴うような動作で佐々木が止まった。
こいつに限ってないと思うが、何かやましいことでもあるのだろうか。
「いやいやいやいや、気にしないでくれ。というか、電車での長旅で
疲れも溜まっているだろう?
六時には夕食が運ばれてくるはずだから、君から先にお風呂に入ってはいかがかな。」
招待された側としてそれはちょっといただけないな。
一番風呂は佐々木に譲るぜ。
「な、何を言っているんだ君は。誘ったのは僕で、むしろ君が僕の我侭に付き合って
くれているのだから君から入ってくれ。」
風呂が二つあればよかったのだが、どうやらそこまで無意味に豪華という訳ではなく、
それでも露天風呂つきなのだが、残念ながら体を洗うスペースが一つしかない以上
どちらかが先に入るしかない。
まぁ、よくよく考えてみれば佐々木も女だし、自分が入ったあとの風呂に
男が入るのは嫌なのかもしれない。
では男が入った後の風呂はいいのかという疑問もあるが、
それはきっと優先順位の問題なのだろう。
じゃ、すまんが先に風呂いただくぜ。
「ああ、ゆっくりと寛いできてくれたまえ、キョン」
色々あったが、計画通り。
今キョンはお風呂で体を洗っているところだろうから、今のうちに必要な準備を
全て済ます必要がある。
まずはお布団。
これも自分で引かねばならないというのはつらいが、この宿の特性を鑑みれば
仕方の無いことだろう。
食事を持ってくることと、午前中の掃除の時間以外はほとんどノータッチであり、
だからこそここを選んだのだから。
…話が逸れた。とにかく、先ずはお布団だ。
一組では、彼のことだ、俺は居間で寝るからなどと言いかねないので、二組敷く。
ぴったりとくっつけた状態にして。
次、財布や携帯電話を入れているハンドバックを枕の近くにおいておく。
一応中を見て、禁則事項がしっかり入っているか確認する。
うん、完璧。
あと最後に一つ。備え付けの今時貴重な黒電話で本館に連絡。
……彼には内緒だが、宿泊者名簿の私と彼の年齢は実年齢+三となっている。
頼みごとは二つ。どちらも言うまでも無いことだが、用心に越したことはない。
くっくっく、これで外堀は埋めたも同然。
あとは……最終段階。
高鳴る心臓に落ち着くよう指令を下し、私は必要なものを持って立ち上がった。




「キョン、失礼するよ」
いたって呑気に人生初の檜風呂を楽しもうと体の汚れを洗い落としていた俺を
停止させるに十分なことをしてくれました、佐々木さんは。
カラカラと扉が動き、温まった体には寒く感じる空気と一緒に佐々木が入ってきたのだ。
丁度背中を洗おうとしていた手はもちろん停止し、
強靭だと思われた我が理性はあっけなく混戦状態に陥った。
「さ、佐々木!ちょっと待ておま」
「背中はまだ洗ってないようだね、キョン。それでは僕が洗ってあげよう。」
いや、一応バスタオルを身に着けてはいるんだけどね。
むしろなんか色々とそのお姿は危険過ぎですよ佐々木サン。
「そうかな?隠すべきところを隠しているのだから構わないと思うが。」
そんな問題ではなくてだな、何というか、その、
嫁入り前の娘さんが男が入ってる風呂にくるなんてそりゃよろしくない訳で

ええい、これ以上は禁則事項だ。何があったかは各自の妄想力にお任せしようじゃないか。
という訳で、テレビの不味いシーンが生放送中にあった時のように
「しばらくお待ちください」をテロップとして流しながらお花畑で夕食まで時間を飛ばさせていただく。




6-860「湯煙@佐々木」
7-883「湯煙@佐々木vol.2」
8-621「湯煙@佐々木(翌日)」

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最終更新:2008年06月06日 10:51
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