28-534「佐々木さんの、子猫の目の甘い日々5 雪の面影、なぞるように、の巻」

佐々木さんの、子猫の目の甘い日々5

雪の面影、なぞるように、の巻

「こういう情報を耳にしたことはないかニャ、キョン?」
ふざけた語尾とは裏腹に、猫耳をパタパタと震わせて真剣な口調でシャ……佐々木が話し始めたのは、
とある三連休の中日にあたる、冷え込んだ日曜の夕方だった。
ああ、ちょっと待ってくれシャ……佐々木。このクソ寒い中、SOS団の活動をようやく終えて、
今炬燵でようやく人心地ついたところなんだ。
さらに久々にロッドフォームの必殺技が炸裂してるのを絶賛視聴中なんだ。まさにクライマックスだぜ、録画だけどな。
唯一の正統派の蹴り技なんだ。この技だすのも本当に久しぶりなんだよ。
空気といわれた遊佐が珍しくメインを張ってるんだ。さ来週からは他人事じゃないし。
ああっ!尻尾でTVのスイッチを切るなシャシャキ! あと俺の足に、冷えた足を絡ませるな。
「真面目に聞いてくれたまえ」
すみません。真面目に聞くのでそんなに睨まないでください。瞳孔が縦に開くと怖いです。
「僕らの中学の校庭にあった桜が、工事で切り倒されてしまった、いやしまうのだよ」
へえ、そいつは初耳だ。
「何でも水道管工事の関係で、どうにも仕方がないらしい。校庭の桜、と言っても、
 北側の裏門にある一部の桜だけなので、大して反対も出なかったらしいんだ」
まあ、それなら仕方ないだろう。しかし裏門にある桜ってえと、もしかしてアレか?
「そうニャ。君が時々利用していた場所だよ」
たった数年前のことなのに、随分と懐かしい気持ちがするな。
校庭の方の桜は女子なんかがよく占領してたし、毛虫が出たりしたもんだから、時々独りで外で弁当食べたいとき、
あの桜の下に行ったりしたんだよなあ。
しかしよく知ってたなシャシャキ。国木田以外には誰にも知られてないと思っていたんだが。
「あそこはね、図書室からよく見えたものだから、時折視界に入ってきていたんだニャ」
成る程、そいつは気づかなかった。
「君とある程度の親交を持ったのは、三年になってからそれなりに時間が経過していたから、
 あの場所に君と共に赴いたことはなかったけどね。何となく、思い出す場所だったんだニャ」
そうか。そう言われると、何となく残念な気分になるな。ま、仕方ないけど。
「ねえキョン。あの桜がなくなる前に、見に行かないかい?」
って今からか? おいおい。切り倒されるのはまだだろ。この寒い中また外出するのは……
「こういうことは思い立ったが吉日だよ。後回しにすると、きっと忘れてしまって、後悔する破目にニャるよ。
 まあ、無理強いはしないけれども。……どうしても駄目かい?」
ああもう、そんな目をせんでくれ。これで断わったら、俺が極悪非道みたいじゃないか。
「それでこそ僕のキョンだよ」
シャシャキはそう言うとくっくっと喉をならすような微笑みを浮かべて目を細めた。
やれやれ。
……なあシャシャキよ。確かに外出することに同意はしたさ。それは認めよう。
だがその格好は一体何だ。
「何と言って、猫の散歩に首輪とリードは必要じゃニャいかね? 君は普段シャミに散歩させないのかい?」
本来のアイツはおとなしい家猫なんだよ。それにな、いくら猫耳があろうが尻尾が生えてようが、
同じ年頃の女子に首輪つけてリードひっぱるなんぞ、どこからどう見ても、
よっぽど倒錯した趣味の持ち主にしか見えねえよ。勘弁してくれ。
「そうは言っても、周囲の人々にしてみれば、僕は三毛猫のシャミ以外の何者でもないからね。
 外出するならこうしたものは必要だよ。何もつけずに猫を散歩させる方が、却って人目を引いてしまう」
ああもう。長門や九曜にでも見られたら、俺は明日からド変態の烙印を背負って高校生活を送ることになるぞ。
既に日が暮れて、こんな切りつけるような冷たい風の吹きすさぶ夕方、出歩く人が少ないのがせめてもだ。
傍目にどう映っているかは知らんが、主観ではSMごっこの罰ゲームにしか見えんぞコレ。
「ほらキョン、しっかりリードしてくれたまえ。僕はご主人様の指示に従う従順な愛玩動物なのだからね。くっくっ」
楽しんでないかシャシャキ? 楽しんでるだろ。ええ、こん畜生。
「そう言えば、イギリスで首輪を付けられた女性が、「私はご主人様の私物です」と乗車しようとして、
 拒否されたのも、ちょうど今時分ではなかったかな? なかなかタイムリーだね。
 仄聞した時には、何を愚かな真似を、としか思わなかったけれど。そういうのも一つの愛情表現として
 アリといえばアリなのかという気がしてきたよ。まあ僕の場合は実現は不可能だけど、やってみたいと思わないかい、キョン?」
人を変態畜生道の底なし沼に引きずり込むのはやめなさい。あと時事ネタはすぐ風化するから。
「ご飯だけでもおいしいわ」
だからやめろというに。それ分かるの30代以上だぞきっと。
シャシャキはまたくっくっと喉を鳴らし、弾んだ足取りで律動的な歩みを見せる。
周囲からは、猫を散歩させてる姿に見えるんだろうが、落ち着かないことこの上ない。
まあ、この姿になってから、前よりよく笑うようにはなったのかな。
それがいいことなのか、何か別の影響なのかはわからんが。


懐かしき学び舎、というほどの感慨はないが、久しぶりの中学校の姿は、半ば闇に溶け込んでいた。
もう夕方というより夜だ。特に人気のあまりない裏門は、寂寥感だけを強く漂わせていた。
裏門のすぐ脇に、その中途半端に年代を重ねた、中くらいの桜はあった。
門の外からでも覗けるのが有難い。わざわざ不法侵入するだけの気力はゼロだ。
日当たりが悪いせいか、幹はそれなりに太いのだが、枝ぶりがまったく貧相で、
「こうしてみると、何と言うか本当に大したことないな。よく俺もここ選んだもんだ」
何故か入れ込んでるシャシャキには悪いが、闇のなかにひっそりたたずむ桜の樹を久しぶりに見た印象は、
正直そんなものだった。
「うん、まあ桜自体は僕もさほど大したものではないと思うのだけどね。
 ただ、独り桜の樹の下に居た君が、とても自然体で過ごしていたのが、やけに印象に残ったんだ。
 いつか、この桜が満開になった時、そんな自然体な君と桜の花びらが散るのを見てみたいニャ、と、
 そう思ったのだよ。残念ながら、卒業時にそれを叶えることはできニャくて、
 まあ、数多い僕の心残りに、また一つ加わったというわけさ。
 さほど大きな心残りではなかったのだけど、切り倒されたこの樹を見たとき、妙な虚脱感に襲われてね」
? 何かおかしくないか、シャシャキ。
「ああ、まだ言ってニャかったっけ? 今日の僕はね、今から数ヶ月あと。工事が始まって、
この樹が切り倒されてから初めて気がついた日の僕ニャんだよ。
君と、もう一度この桜を見てみたくて、矢も楯もたまらない気持ちにニャった日のね」
何とまあ。今更といえば今更だが、お前、力をとんでもなく無駄遣いしてるぜ、絶対。
「そんなことはないよ。僕にとっては、凄く大切なことニャんだから。
 まあ、願わくば、満開の桜を最後に君ともう一度見たかったけれど、それは流石に叶わぬ願いかニャ」
シャシャキが寂しげに微笑んで、そう呟いた次の瞬間。
深い藍色の空に覆われた視界が、一瞬、ジンクホワイトとセピア色の光彩に包まれた。
定かではないが、茜色の雲のようなものも見えた気がした。
そして。
「みたまえキョン!」
驚きと喜びに満ちたシャシャキの声。視界がさえぎられた一瞬の間に、
桜は枝いっぱいに花を実らせて、はらはらと、まるで雪の予行演習のように、薄白い花弁を舞い散らせていた。
はらはらと、はらはらと。一月の最中、さっきまで葉すらなかった桜が。
驚き呆れる俺とは異なり、佐々木はこの怪異を素直に受け止めているようだった。
まるでウチの妹が雪を見てやるように、両手を広げ、喜びの声をあげてクルクルと周り、舞い散る桜を
全身で受け止めている。
はらはらと、はらはらと。
一本の桜では決してありえない、大量の花弁が次々と舞い踊り、街頭の光に反射して、白く視界じゅうを染める。
まるで吹雪のように。
  ♪桜散る 桜散る 雪の面影なぞるように♪
昔、親父が聞いていた歌詞が頭をよぎる。まさに吹雪のように、桜は音もなく、静かに花弁を降らし続けている。
シャシャキは大きく目を見開き、満面の笑顔で花びらの吹雪を受け止めていたが、
やがて、何かを理解したように、ゆっくりと瞳を細め、静かな、透明な笑顔を浮かべた。
そして桜の幹に目をやり、そっと「ありがとう」と呟いた。

『桜の樹の下には屍体が埋まっている これは信じていいことなんだよ』
そう唄ったのは梶井基次郎だったが、確かに桜にはどこか狂気を孕んだ、人の理の外の美しさがある。
ましてやこの時節も因果律も無視した、突然の桜には。
静かに微笑むシャシャキの横顔が、一瞬舞う花弁に遮られる。
  ♪桜散る 桜散る もう君が見えないほど♪
何故か、このまま佐々木がこの狂気の桜とともに消えうせてしまうような、そんな理不尽な恐怖感が背筋を走った。

「きゅぅ!」
思わずリードを思いっきり引っ張ってしまっていたらしい。シャシャキが首を押さえて苦しんでいる。
うわ、すまん。本当にすまん。
「ど、どうしたのだねキョン。突然の異常事態に動転するのは当然だが、君のほうがこういった事態に対する
 免疫はあるのだと思っていたのだが。
 ああ、それともこれは新手のプレイニャのかい。この姿をとって以来、君の隠されたサディズムの発露には
 つねづね注意を払っていたのだが、またそのステップが上がったということニャのだろうか。
 僕としては君が望む行為全てに対して答えたいのはやまやまなのだが、流石に肉体的な限界だけは如何とも
 しがたいのだよ。人間は頚動脈を10秒抑えれば気絶するんだ。それに、高校生で緊迫+首絞めプレイに開眼
 するというのは、やはり止めておく方が人として正しい……」
待て。違う。違うっつーの。無理やり変態の途を突き進むのはやめなさい!
急にお前が、この桜と共にいなくなっちまうような、そんな気がして思わず引っ張っちまっただけだよ。
シャシャキは、この桜の突然の発生に見せたのと同じくらい、目を丸くして、俺の顔を見つめた。
「大丈夫だよ、キョン。君がそれを望むなら、僕はいつでも、君の傍らに居続けるから。
 そんな心配はしないでくれたまえ」
降り積もった白い花の淡い光の中で、シャシャキはそっと微笑んだ。


その後しばらく、流石に寒さに限界が来るまで、二人で静かに桜を眺めていた。
「一度ね、こうして桜吹雪の下に佇んでみたかったんだ。君とね。
 僕の無茶な願いを、桜の樹が叶えてくれたのかな」
そう締めくくるように呟いて、シャシャキは最後に桜に向けて一つ会釈をした。
桜じゃなくて、お前の力じゃないか。そう言うのは簡単だったが、まあ、桜の最後のご奉公と思って置く方が、
何となく良いような気がして、俺は無言でうなずいた。

翌日、登校前と下校時に、中学に寄ってみたが、桜は何事もなかったかのように、
一月の季節に相応しい、枝だけの寒々しい姿を保っていた。
勿論路面にも、昨夜路面を白く染めた花弁の残りなど一つもなかった。
ただ一つ、シャミの首輪に一枚だけへばりついた白い花弁を見つけたのは、3日ほど後のことだった。
桜の樹は、予定どおり、春休みに切り倒されたそうだ。
                                             おしまい

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最終更新:2012年07月24日 00:19
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